Saturday, September 27, 2014

ヘイト・スピーチの法的研究を読む(4)

金尚均編『ヘイト・スピーチの法的研究』(法律文化社、2014年)第Ⅱ部「表現の自由とヘイト・スピーチ」の第5章「表現の自由の限界」(小谷順子)は、ヘイト・スピーチの憲法論の基本的な整理をしている。この間、ヘイト・スピーチが話題になる中、憲法学者による思い付きコメントはいくつ見られたが、憲法論をきちんと整理した文章がようやく出たという印象だ。著者は静岡大学教授・憲法学。
小谷は、憲法21条が保障する「表現」の意味を確認したうえで、「表現内容規制」について、刑事法(わいせつ表現、脅迫表現、名誉毀損表現等々)、民事法(損害賠償)、人権法(国内人権機関)の現状と論点を整理し、「行為」規制と集団行動の規制について検討する。さらに、表現の自由の保障意義に照らして、民主主義過程(自己統治)論、個人的価値(自己実現)論、真実の発見/思想の自由市場論を踏まえてヘイト・スピーチ規制の限界を論じている。むすびで小谷は次のように述べる。
「現行法制度において一定の表現規制が許容されていることを考慮すると、ヘイト・スピーチ規制についても、なんらかの論理で正当化することが可能であるようにも思われる。とくに、表現の自由の保障意義に照らした場合、民主主義過程、個人的価値、および『思想の自由市場』という意義のいずれにおいても、ヘイト・スピーチ規制の正当化は可能であるように思われる。しかし、それでもなお規制消極論が有力に唱えられているのはなぜなのか。次の第6章でみていく。」

16ページの論文に重要論点が詰まっている。これだけの論点を整理して論じるのはなかなか大変だ。私もこの間、ヘイト・スピーチの憲法論について何度も文章を書き、発言してきた。その主要部分は憲法学への外在的批判である。内在的な批判も試みはしたが、まだできていない。これからの課題と考えていた。小谷は、これまでの憲法学の論理に従って内在的に検討しながら、ヘイト・スピーチ規制の可能性を論じている。その意味で、とても参考になる。同じ枠組みで、私なりに考える必要がある。