Tuesday, September 23, 2014

ヘイト・スピーチの法的研究を読む(2)

金尚均編『ヘイト・スピーチの法的研究』(法律文化社、2014年)第部「日本におけるヘイト・スピーチ」は、法的研究の前提となる現状把握である。
第1章「ヘイト・スピーチとレイシズムの関係性」(森千香子)は、「思想」としてのレイシズムと「表現」としてのヘイト・スピーチという対比はわかりやすいが、その関係はそれほど自明ではないとして、両者の関係を問い直す。そのためにレイシズムの歴史をさかのぼるとともに、草の根のレイシズムと上からのレイシズムについて論じる。レイシズムの多様性を手掛かりに、その実相に迫る試みである。実際、西欧の研究の中では「エリート・レイシズム」の研究もあり、不況やストレスに悩む民衆のレイシズムとは区別されている。国家政策としてのレイシズムが民衆を巻き込み、操作していくプロセスに光を当てることも重要だ。
第2章「新保守運動とヘイト・スピーチ」(安田浩一)は、在特会のヘイト・デモ、ヘイト・スピーチの取材経験を通じて、なぜ、彼らがヘイト・スピーチをするのかを探る。
第3章「ヘイト・スピーチとその被害」(中村一成)は、京都朝鮮学校事件を素材に、被害の多面性と広がりを確認し、民事訴訟で勝訴したが、法廷で再び差別発言を浴びせられるなどの被害もあったことを明らかにしている。
加害側を追跡する安田と、被害側を紹介する中村の論述を通じて、ヘイト・スピーチとは何であるのかが見えてくる。

ヘイト・スピーチとは何であるのかは論者の定義にもよるが、本書では、文字通りスピーチとしてのヘイト・スピーチに限定して論じているようである。本書「はしがき」でも第部でもその定義を示していない。ただ、「はしがき」や帯の宣伝文句から判明するのは、「差別的表現」とヘイト・スピーチとを区別しようとしていることである。この区別の成否は第部以下を読まないとわからない。