Friday, September 10, 2021

沖縄に対する植民地主義を終わらせるために

高橋哲哉『日米安保と沖縄基地論争――〈犠牲のシステム〉を問う』(朝日新聞出版)

https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=23033

<依然として7割以上の米軍基地が集中する沖縄。国民の8割が日米安保に賛成するなか、人口1%に「犠牲」を押し付けるシステムは正当なのか。基地の「本土引き取り」を提唱する著者が、様々な論争からこの国の"差別政策"の所在を示す。>

「犠牲のシステム論」を発展させ応用した『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』で基地引き取り論を提唱した高橋の最新刊である。

「県外移設」「基地を引き取れ」と呼びかける沖縄の声に応答し、日米安保体制を選択し、日本を守るために米軍基地を容認し、これを沖縄に押しつけてきた「本土」の一員の「責任」として「基地引き取り論」を展開した前著は、「琉球新報」「沖縄タイムス」をはじめとする沖縄メディアで論争を呼び起こした。

「植民地主義者」であり続けることを是認しないために、思想的かつ実践的に提起された議論である。

高橋が哲学研究者であるため、基地引き取り論は思想的、哲学的にのみ提示されていると決めつけ、運動論としては異なるのだと受け止める向きもあるようだが、高橋の基地引き取り論を思想的、哲学的と限定する理由はない。

むしろ、日本という国の政治主体として、主権者として、その一員として、安保体制を前提とせざるを得ない現状では、まず基地引き取りを、そして安保の解消をと求める立場は、実践的でもある。

本書で高橋は、基地引き取り論への批判に応答する。

沖縄の映像批評家・中里効、沖縄近現代文学・ポストコロニアル批評の新城郁夫、思想史家・鹿野政直、ドールーズ=ガタリをはじめとする現代思想研究者の廣瀬純と佐藤嘉幸、そして社会思想史の大畑凛――いずれも私たちが敬愛してきた研究者であり、豊かな研究業績、鋭い分析、幅広い視野で私たちに思想と理論の輝きを教えてくれた論客である。高橋の基地引き取り論がそれだけ論争誘発的な意欲作だったためである。

ただ、これらの優れた思想家と高橋の間には随分と大きなすれ違いがある。なぜ、これほどの論客達が高橋の著述をこれほど誤読してしまうのか、いささか不思議な思いをすることも少なくない。

「戦後責任論」「靖国論」以来、長い間、私は高橋の著作に多くを学んできた者の一人であり、高橋に説得されてきた者の一人である。基地引き取り論についても、基本的に「高橋派」ということになる。

私自身、植民地主義批判、レイシズム批判を研究の基軸に据えてきたつもりである。私の問いは「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」である。

「私はなぜ植民地主義者になったのか」――沖縄=琉球について言えば、「500年の植民地主義」「150年の植民地主義」「70年の植民地主義」が積み重なって、沖縄=琉球差別が歴史的に続いてきており、基地押しつけはその一例である。

「植民地主義者であり続けたくない」と考えるのなら、沖縄=琉球差別をいかにやめることができるかを考えなければならない。内心における偏見や差別に留意するだけでは、それは果たせない。現に眼前にある制度的法的歴史的な「構造的差別」を解体する思想を紡ぎ出すことなしに「植民地主義批判」をすることはできない。

それゆえ、私も基地引き取り論者であるが、それを前面に打ち出しては来なかった。友人達と数年間取り組んだ沖縄=琉球シンポジウムで高橋に講演をしてもらったり、新横浜のスペースオルタで高橋にインタヴューする中で基地引き取り論を受け止めてきた。

高橋哲哉・前田朗『思想はいまなにを語るべきか 福島・沖縄・憲法』(三一書房)

https://31shobo.com/2018/02/18006/

私自身は、琉球独立論により関心を持って受け止めてきた。まず独立論、それと並行して基地引き取り論ということになる。それができない段階においても沖縄ヘイトに反対し、差別を批判し続けることに変わりはない。

いずれにせよ、高橋の冷静で、ていねいな応答によって、基地引き取り論をめぐる論争は新しい段階を迎えることになる。そして、重要なのは、沖縄からという以上に、「本土」の側から、きちんと応答することである。