私が8年前に編集した『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)について、読者のお2人から、収録論稿の記載がヘイト・スピーチであるとして抗議するとともに、同書を絶版にするべきだとの趣旨のお手紙(2021年9月11日付)を頂きました。
その手紙はお2人によって、ツイッターですでに公開されています。
これに対する回答を9月22日付で、出版社より発送してもらいました。回答は2通ありますが、そのうち第一便を下記に公表します。
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拝啓
お手紙(2021年9月11日付)、ありがとうございました。
私(前田朗)が編者となった『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)をご購読いただきましてありがとうございます。
ご存じの通り、日本でヘイト・スピーチという言葉が知られるようになったのが2013年であり、同年の流行語大賞に選ばれました。同時期に出版された本書は、最も早い時期に「ヘイト・スピーチ」と冠した書物であることから、反差別・反ヘイトに関心を寄せる方々から歓迎され、その後の反差別の議論と運動に少なからず役割を果たすことができたものと自負しております。
私自身、本書の出版を通じて、ヘイト・スピーチに関する研究と運動のいっそうの重要性を痛感しました。そこで、その後も研究を続けることとし、『ヘイト・スピーチ法研究序説』(三一書房、2015年)『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房、2019年)『ヘイト・スピーチと地方自治体』(三一書房、2019年)を執筆することになりました。これらの研究の出発点となった本書が幅広い方々から歓迎され、吟味され、運動に資することができたことを、改めて思い起こしております。
その後の8年間を振り返ると、毎年のように「ヘイト・スピーチ」と冠する書物が公にされ、ヘイト現場でのカウンター行動が広まり、2016年には不十分な法律ながら「ヘイト・スピーチ解消法」が制定されました。大阪市、京都府、京都市、川崎市、国立市を始め各地の自治体で反ヘイト条例が制定されました。こうした議論と運動の現場に、私たちも加わることができたことは幸いでした。もちろん、反差別・反ヘイトの思想と運動にはさらなる奮起が必要とされていることも事実であり、私たちも次の歩みを始めているところです。
さて、同書に収録された西岡信之著「沖縄における憎悪犯罪」(以下「西岡論稿」)に関連して、ご意見とご質問をお寄せいただきましてありがとうございます。西岡論稿は、沖縄におけるヘイト・クライム/スピーチについて論じた、当時としては数少ない論考であり、出版時に多方面から好評をいただきました。
西岡論稿は、当時、西岡氏が実際に体験した人格攻撃に関連して、その苦境を表明する記述を含むものでした。西岡氏は平和運動や基地反対闘争の国際的視点に立って、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけました。本書出版時、「本土」のみならず、沖縄の人々からもこれに賛同するご意見を伺うことができたと承知しております。編者の私も、沖縄の人々から連帯の重要性についてご意見を伺い、本書に感謝の意を述べる方もいらして恐縮するとともに、平和運動における国際連帯の重要性を改めて痛感させられたことを記憶しております。
それから8年の歳月を経て、まったく思いがけない方向から、思いがけない内容のご批判をいただいて、大変当惑しております。
お手紙には、「貴殿らに対し抗議する」と「抗議」が明記されており、「真摯な回答を求めます」と記されている一方、末尾では、「回答」の如何に関わりなく、「本書は絶版にすべきである」との結論が提示されており、対話が全面拒否されています。そうであれば、「認識」をお示しして「回答」をお届けしても意味がないことが明白です。
とはいえ、読者から「抗議」のお手紙をいただいた訳ですし、特に「ウチナーンチュ」の「代表」と宣言されての「抗議」と質問です。編者として私の認識をお示しして「回答」とさせていただくことで、「対話」を始める端緒となることを期待して、私なりのお返事とさせていただきます。
なお、執筆者である西岡信之氏は現在リタイアしており、お手紙に自ら応答することができませんので、ご了解ください。
1 西岡論稿の基本趣旨
さて、ご指摘は西岡信之氏の論稿「沖縄における憎悪犯罪」における下記の記述に対するものです(同書118頁)。
「また独立系の団体のなかには、日米両政府ばかりか本土の日本人批判、県内に移住してきた日本人に対しても批判を始めるなど、民族排外主義が高まっています。
右翼・保守系団体による沖縄への差別、排外主義とともに、沖縄における一部の琉球民族独立系による日本人への差別、排外主義など、沖縄はいまやひとつの小さな島嶼県内で、複雑な排外主義という課題を背負う状況に陥っています。
圧倒的多くの民衆の敵は、1%の超富裕層からなる支配者階層であって、民衆の99%は、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけます。」
この記述に対して、お手紙では次のようなご指摘がなされています。
「『独立系の団体』とはどの団体を指しているものなのかこの記述からは明らかではありませんが、『本土』の日本人批判や県内に移住してきた日本人に対して『批判』することがなぜ、日本人への差別、民族排外主義なのでしょうか。この記述はまさに人種差別撤廃条約が禁止し、国連の人種差別撤廃委員会も勧告している沖縄の人たちが、その権利を主張し、訴えることを妨げ又は害する目的又は効果を有するものであり、本書が克服すべきテーマとして掲げたヘイトスピーチそのものです。」
ご指摘に関連して、以下で私の認識をお示しします。
第1に、西岡論稿の基本趣旨を、全体の文脈と流れに即して確認させていただきます。
西岡論稿は、沖縄におけるヘイト・クライム/スピーチ現象を取り上げ、①2013年の日比谷野外音楽堂における「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」に続くパレードに対して投げつけられたヘイト・スピーチを報告しています。②ヘイト活動は「在特会」だけでなく、一定の広がりを見せ始めていることを検証し、これに対する批判を強めることを課題としています。③沖縄に対する攻撃は、沖縄戦の歴史記述や靖国神社問題などで顕著となり、「琉球新報」「沖縄タイムス」に対する攻撃が始まっていることに言及しています。④ヘイト活動が一部では過激化し、直接行動に出て来るようになったことに警鐘を鳴らしています。⑤2013年の政府主催の「主権回復・国際社会復帰式典」に見られる歴史認識と米軍基地強化に反対する必要性を唱えています。
これが西岡論稿の全体像であり、基本趣旨であることをまず確認させていただきます。
西岡信之氏は長年にわたって平和運動、憲法9条擁護運動に携わり、「本土」(大阪や東京)で基地反対闘争、安保法制反対運動等において活躍しました。そのため2000年代初頭に沖縄に移住し、基地反対闘争に加わりました。その経験と認識を基に西岡論稿が書かれています。
同時に2010年頃から、西岡氏は日本人であるがゆえに運動の現場から排除される経験をし、時に人格を否定されるような経験をしました。当時、私は西岡氏からその悩みを直接聞いたので、はっきりと記憶しています。
西岡氏は平和運動、憲法9条擁護運動の立場ですから、日米安保条約に反対し、すべての軍事基地に反対する運動に参加してきました。「圧倒的多くの民衆の敵は、1%の超富裕層からなる支配者階層であって、民衆の99%は、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけます」というのは西岡氏の基本的スタンスの表明と言えます。
第2に、西岡論稿に書かれた内容それ自体を確認させていただきます。
西岡論稿は該当箇所で「独立系の団体のなかには」「一部の琉球民族独立系による」と対象を明示しております。西岡論稿は該当箇所で「沖縄一般」を対象にしておりませんし、「沖縄の人たち」「ウチナーンチュ一般」を対象にしていません。
お手紙では「独立系の団体のなかには」「沖縄における一部の琉球民族独立系による」という批判が「沖縄の人たちが、その権利を主張することを妨げる」としていますが、論理があまりにも飛躍しています。
西岡論稿は「沖縄の人たち」一般について言及していません。ほのめかしてもいません。読者がそのように誤解することのないように、2回にわたって「独立系の団体のなかには」「一部の琉球民族独立系による」と明示しています。西岡論稿は難しいレトリックを用いることなく、通常の表現を用いて対象を明示していますので、普通の読者であれば読み違えることは考えられません。
西岡論稿が「独立系の団体」「一部の琉球民族独立系」による人格攻撃を取り上げる際に、あえて団体名を特定しなかったのは、「民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけ」るためです。団体名を特定しなくても、当時の状況下で読めば、関係者にはわかります。名指しを避けることによって、その後の連帯が可能となります。
実際、西岡氏は事前に沖縄の友人知人に原稿を読んでもらい、これで関係者に意味が伝わることを確認しています。本書出版後、読者から本書に好意的な感想が伝えられましたが、批判する声を聞いたことはないとのことでした。
私自身も、本書について沖縄の複数の友人知人から感想を伺いましたが、今回のお手紙でいただいたような指摘を受けたことはありません。読者が、西岡論稿の基本趣旨を理解し、その意図や意味を正確に、つまり、書いてある通りに読み取ってくれたからです。
第3に、西岡論稿に書いていないことをご批判いただいても、お返事のしようがありません。
お手紙の別の個所では「政府や1%の超富裕層のみと対峙するだけで、差別やヘイトスピーチが解消・克服できるわけがありません」と、元の文章を書き換えてご批判されています。西岡論稿では「圧倒的多くの民衆の敵は、1%の超富裕層からなる支配者階層であって、民衆の99%は、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけます。」と書いています。「政府や1%の超富裕層のみと対峙するだけで、差別やヘイトスピーチが解消・克服できる」などと意味不明のことを書いておりません。
元の文章を書き換えないようにお願いします。「対話」のための最低限の条件ですので、今後はよろしくお願いします。
2 ヘイト・スピーチについて
ヘイト・スピーチは、よく誤解されるのですが、「汚い言葉」や「気に入らない言葉」ではありません。
ヘイト・スピーチに関連する国際文書として知られるのは、ご存じの通り、市民的政治的権利に関する国際規約(以下「国際自由権規約」)と人種差別撤廃条約です。
第1に、国際自由権規約第20条2項は「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」としています。
要件は、①「差別、敵意又は暴力」に関連し、②「扇動」となること、③「国民的、人種的又は宗教的憎悪」にかかわること、④「唱道」することに分けることができます。
この条項の解釈については、国連人権高等弁務官事務所が主導して開催された連続専門家セミナーの成果文書としての「ラバト行動計画」に明示されています(詳しくは前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』500頁以下参照)。
西岡論稿についてこれを見ると、①西岡氏は差別に反対し、②いかなる扇動も行わず、③憎悪に反対して、④連帯を呼びかけています。立場の異なる人にも「民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけ」ることが明示されています。
第2に、人種差別撤廃条約第4条は「締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う」として、同条(a)が次のように定めています。
「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。」
要件としては、①「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布」、②「人種差別の扇動」、③「いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動」、④「人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供」が掲げられています。
この条項の解釈については、同条約第8条に基づいて設置された人種差別撤廃委員会が長期にわたる検討の結果としてまとめた「一般的勧告第35号 人種主義ヘイト・スピーチと闘う」にまとめられています(詳しくは前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』489頁以下参照)。
西岡論稿についてこれを見ると、①西岡氏は「人種的優越又は憎悪に基づく思想」に反対し、②「人種差別の扇動」を行わず、③「暴力行為又はその行為の扇動」とは無縁であり、④「人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供」も行っていません。
第3に、ヘイト・スピーチの定義については、国際自由権規約及び人種差別撤廃条約が代表的な文書ですが、定義について国際社会に完全な一致がある訳ではありません。欧州人権裁判所や米州人権裁判所でも議論が行われていますし、欧州連合(EU)加盟国はすべてヘイト・スピーチ処罰規定を有していますが、その条文の体裁や内容は多様です(世界150カ国のヘイト・スピーチ規制状況について前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』第8章、及び同『ヘイト・スピーチ法研究原論』第7章参照)。
国連レベルの条約(国際自由権規約及び人種差別撤廃条約)、地域機関の法理論(欧州人権条約・同裁判所等)、世界各国の法規制状況を踏まえてみると、ヘイト・スピーチの必須要件としては、①人種、国民、言語等の動機・属性、②差別及び暴力、③その扇動が共通に掲げられていることが分かります。
このようにヘイト・スピーチに関する国際常識はすでに明らかとなっています。そして、国際常識に従って西岡論稿を見るならば、これがヘイト・スピーチに該当しないことは明らかです。
第4に、日本の「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進に関する法律(以下「ヘイト・スピーチ解消法」)を見てみます。同法第2条は次のように定めます。
「この法律において『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において『本邦外出身者』という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。」
ヘイト・スピーチ解消法は対象を「本邦外出身者」に限定していますが、「本邦外出身者」以外の者に対するヘイト・スピーチも許されないことは言うまでもありません。
ヘイト・スピーチ解消法の要件は、①差別的意識を助長し又は誘発する目的で、②公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し、③又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、④本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、⑤本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動、に分けることができます。文章の組み立てから言って、①が目的、④が理由であり、②③がその例示であり、ヘイト・スピーチの本体となる実行行為が、⑤「地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」となっています。
西岡論稿についてこれを見ると、①西岡氏には法律が定める「目的」がなく、②「危害を加える旨の告知」もなく、③「著しく侮蔑する」こともなく、④一定の「地域の出身たることを理由」とすることもなく、⑤「地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」もありません。
以上の通り、西岡論稿はいかなる意味においてもヘイト・スピーチに該当しません。西岡論稿全体について見ても、当該記述だけを取り上げても、これらがヘイト・スピーチに該当しないことは疑問の余地がありません。繰り返しますが、ヘイト・スピーチは「気に入らない言葉」ではありません。
3 おわりに
さて、お手紙では「沖縄が歴史的に置かれている差別構造」が基地押し付けとして現象していること、その差別構造を作っているのは政府のみではなく「それを支えるヤマトの人たち」であることが指摘されています。
お手紙に示された歴史認識を、私はある程度共有しております。しかし、歴史認識は多様であり、立場性の認識も人それぞれです。このように言うと「相対化している」とご批判をいただくかもしれませんが、自らの歴史認識を絶対化して議論することは避けなければなりません。
ただ、この論点についての私の認識をお示しするには、かなりの紙幅を必要とします。そこで、私見の提示は別便にて行うことにさせていただきます。本回答と併せて第二便をお読みいただけますと幸いです。
以上で、ご指摘への「回答」とさせていただきます。「対話」が遮断されることなく、議論を始める端緒となることを期待して、私なりのお返事とさせていただきます。
なお、本便は公開していただいて結構ですが、書き換えたり前後を入れ替えたりすることのないようにお願いいたします。
ありがとうございました。
敬具
2021年9月22日
前田 朗