*今回でファクトシートの約半分を紹介することになるが、大変驚いている。欧州人権裁判所でヘイト・スピーチについてこれほど多くの判決例があることが、これまできちんと紹介されてきただろうか。私が無知なだけかもしれないが、これまで見た論文では、せいぜい1つか2つの判決を紹介している程度だったように思う。国際人権法研究者で、欧州人権裁判所を研究してきた研究者はたくさんいるのに。もっと本格的な研究を示してくれると助かる。
*なお、以下の紹介における固有名詞の表記について、現地語の発音を調べていない。各国の法制や社会状況を調べていない。このため、事案の内容が正確にわからない場合がある。
「ファクトシート:ヘイト・スピーチ」は、「条約の保護の適用除外」「条約第10条(表現の自由)の保護に関する制限」「ヘイト・スピーチとインターネット」の3つのテーマに分けて、多くの判決を紹介する。
第2の「条約第10条(表現の自由)の保護に関する制限」では、①「暴力及び敵意の煽動の謝罪」、②「テロリズムの容認」、③「戦争犯罪の容認」、④「国民アイデンティティの侮辱」、⑤「過激主義」、⑥「論争のある歴史意味内容を伴う旗の掲揚」、⑦「同性愛ヘイト・スピーチ」⑧「民族憎悪の煽動」、⑨「国民憎悪の煽動、⑩「人種差別又は憎悪の煽動」、⑪「国家公務員の中傷」に関する判決を紹介している。
**********************************
条約第10条2項の下で、欧州人権裁判所が検討するのは、表現の自由への干渉があったか否か、この干渉が法律に基づいて、一つ以上の正当な目的を追求しているか否か、そして最後に、この目的を達成することが「民主的社会において必要」であるか否かである。
①
「暴力及び敵意の煽動の謝罪」
シュレク(no.1)対トルコ事件(1999年7月8日、大法廷)
申立人は週刊誌の発行人で、二人の読者からの手紙を掲載したが、それは南東トルコにおける政権の軍事行動を激しく非難し、独立と自由を求めて闘うクルド人に対する残忍な抑圧だと告発した。申立人は国家の不可分性に対する宣伝を行ったこと、及び人々の間に敵意と憎悪を助長したとして有罪となった。申立人は表現の自由が侵害されたと主張した。
欧州人権裁判所は、欧州人権条約第10条(表現の自由)の侵害はなかったと判断した。裁判所によると、告発された手紙は血の復讐のアピールになっており、一通の手紙は人名を特定して、彼らへの憎悪を掻き立て、彼らに対する物理的暴力の危険性にさらすものであった。申立人自身はその手紙に書かれた見解と結びついてはいなかったが、手紙の書き手に暴力と憎悪を掻き立てる通路を提供した。裁判所によると、雑誌の発行人である申立人には、雑誌の編集者や記者たちが情報を収集し、公衆に情報を提供し、紛争や緊張状態においてより大きな重要性を果たせるようにする間接的な義務と責任があった。
この点については、エズギュル・ギュンデン対トルコ事件(2000年3月16日、日刊紙で、武装闘争を強化し、戦争を賛美し、血の最後の一滴まで戦うことを支持っする文章を含む三つのっ記事を掲載したために有罪)、メディアFMレハ・ラジオ・イレティシム・ヒズメトレリ対トルコ事件(2006年11月14日、許容性に関する決定。国家の統一性と領土の統合性原則に反対し、暴力、憎悪及び人種差別を煽動しそうなラジオ番組を繰り返したため、放送権の一年間停止とされた事案)参照。
ギュンデュズ対トルコ事件(2003年11月13日、許容性に関する決定)
申立人はあるイスラム宗派の指導者であり、報道された発言において犯罪実行を煽動し、宗教憎悪を煽動したとして有罪とされた。申立人は四年二カ月の刑事施設収容と罰金を言い渡された。申立人はとりわけ表現の自由の権利が侵害されたと主張した。
欧州人権裁判所は、申立ては明らかに誤りで許容されないとした。裁判所の認定によると、申立人に課された刑罰の重さは、追及された正当な目的、すなわち犯罪実行の公然煽動の予防のために不均衡とはみなされない。裁判所が特に強調したのは、本件で行われたような発言のように、ヘイト・スピーチに当たる発言、暴力の賛美や煽動に当たるような発言は、寛容の観念に合致すると見ることができず、条約前文で設定された正義と平和という基本価値に違反する。確かに、申立人の発言はマスコミを通じて行われたので重大である。しかし、裁判所によると、トルコ法における刑罰軽減規定は、実行行為がとっさになされたものであることを要するとしており、多元的民主主義の基礎となる原理を否定する場合には不寛容となる。
ギュンデュズ対トルコ事件(2003年12月4日)
申立人はあるイスラム宗派のメンバーと自称していた。深夜のテレビ討論番組で、申立人は民主主義を非難し、現在の世俗政権は不敬であるとし、世俗的民主的原理を激しく批判し、シャリア法を導入するべきだと主張した。申立人は宗教宗派のメンバーであることに基づいた区別をして、人々に憎悪と敵意を公然と煽動したとして有罪とされた。申立人は表現の自由の権利が侵害されたと申し立てた。
欧州人権裁判所は条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所によると、申立人が唱えた宗派の過激な思想はすでに公衆にはなじみのあるもので、公衆の議論において活発に言及されていた。多元主義の討論は、その宗派と異端の思想を提示しようとするものであり、民主主義の価値がイスラムの観念と合致しないという考えを表明することを含む。このテーマはトルコのメディアで広く議論されてきたものであり、一般の関心のある問題に関連する。裁判所によると、申立人の発言は宗教的不寛容に基づいて暴力を呼びかけたり、ヘイト・スピーチとされるものではない。シャリアを単に擁護するだけで、シャリアを導入するために暴力を呼びかけていないので、ヘイト・スピーチとは見なされない。
ファルーク・テメル対トルコ事件(2011年2月1日)
合法政党の議長である申立人は、政党の集会でプレスに対して声明を読み上げて、アメリカのイラクへの介入と、テロ組織の指導者を拘禁したことを非難した。また警察に身柄拘束された人物が失踪したと批判した。声明の後、申立人は暴力その他のテロ手段の行使を公然と擁護したという理由で、プロパガンダ流布ゆえに有罪とされた。申立人は表現の自由が侵害されたと論じた。
欧州人権裁判所は条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所によると、申立人は政治活動で野党のメンバーとして発言し、一般の関心のあるトピックについての党の見解を表明した。行われた発言は他人に暴力の使用、武装抵抗、蜂起を煽動するものではなく、ヘイト・スピーチには当たらないとした。
この点については、ディクル(no.2)対トルコ事件(2006年4月11日判決。セミナー報告の出版による社会階級、人種及び宗教の間の区別に基づく憎悪と敵意の煽動の有罪)、エルダル・タス対トルコ事件(2006年12月19日判決、クルド問題の分析を含む新聞記事の出版による、テロ組織の声明を出版した故の国家の不可分性に対するプロパガンダの流布による有罪)を参照。
アルティンタス対トルコ事件(2020年3月10日)
本件では、申立人が2007年に定期刊行物「トカット・民主主義」に掲載した記事で、「キジルデル事件」の実行者を、特に「若者のアイドル」と特徴づけたことで罰金を科された。問題の事件は1972年3月に起きたもので、NATO軍の3人のイギリス人が誘拐され、処刑された。申立人は2008年に刑事裁判所で、当該記事がこれらの事件を含む反乱を賛美したとして有罪とされた。申立人は有罪とされ罰金を科されたのは表現の自由の侵害であると主張した。
欧州人権裁判所は条約第10条(表現の自由)の侵害はないと判断した。裁判所によると、申立人の表現の自由の権利への介入は、追及された正当な目的に照らして不均衡とは言えない。裁判所の見解では、「キジルデル事件」の実行者その行為について当該記事で用いられた表現は、暴力を賛美する、あるいは少なくとも暴力を正当化するものである。裁判所が考慮に入れたのは、本件で国家当局が与えた評価の限界と、申立人に課された罰金が合理的であるかである。さらに重要なのは、その著述が、若者たちに、特に違法組織のメンバーやシンパに同様の暴力行為を行って「若者のアイドル」になろうと促し又は駆り立てる危険性を最小化することではない。用いられた表現は、特に、同様の政治的意見を共有する人々に、問題の事件の実行者が促進したことを、その人々が自分たちのイデオロギーでは正当であると見做すようにする目的を実現するために、暴力の行使が必要であり正当であると公衆の意見に印象づけるものであった。
②
「テロリズムの容認」
レロイ対フランス事件(2008年10月2日)
申立人は漫画家であり、2001年9月13日のバスクの週刊新聞に、WTCツインタワー攻撃を描いて、有名ブランドの広告文句のキャプションに似せて、「われわれはみんなそれを夢見た。ハマスはそれをやった」と書いたため、テロリズムを公然と容認したとして有罪とされた。申立人は表現の自由が侵害されたと主張した。
欧州人権裁判所は、テロリズムを容認する共犯についての有罪に関して、条約第10条(表現の自由)の侵害はなかったと判断した。裁判所が特に考慮したのは、その漫画がアメリカ帝国主義を批判するに限らず、暴力的破壊を支持し賛美したことである。この点で、裁判所は、漫画に添えられたキャプションに着目し、申立人が、2001年9月11日の攻撃実行犯と考えた人々への精神的支持を表現したことに留意した。キャプションの言葉の選び方から、申立人は数千人の民間人に対して行われた暴力を是認する発言をし、被害者の尊厳を貶めた。さらに、認定されるべきことは、漫画が本件事案の条件において申立人が実現しなければならない特別な意味を有したことである。さらに、政治的にセンシティブな地域、バスクへのこうしたメッセージの影響は、見過ごされてはならない。週刊新聞の配布は限られているが、裁判所が留意したのは、この漫画の出版が一定の公的反応を呼び起こし、暴力を掻き立て、その地方の公共の秩序に影響を与えうることであった。結論として、裁判所が考慮したのは、国内裁判所が申立人を有罪とした根拠が重要かつ十分であり、申立人に課されたのが罰金という控えめな刑罰であり、非難の対象となった漫画が出版された文脈に照らして、裁判所は、申立人に課された措置が追求された正当な目的に不均衡ではなかったとした。
スタマキン対ロシア事件(2018年5月9日)
本件で、申立人はチェチェンの武力紛争について書いた新聞記事ゆえに、5年間の刑事施設収容を言い渡されたが、国内裁判所は、それがテロリズムと暴力を正当化し、憎悪を煽動するものであったという。申立人は新聞で表明した見解故に有罪とされたと主張した。
裁判所は条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所によると、記事の中には許容される批判の境界を越えて、暴力の呼びかけとテロリズムの正当化になっているものがあった。しかし、その他の記事は許容範囲内であった。全体として、申立人の発言の一部をとらえて処罰、権利を侵害する重い刑罰を科して、申立人の権利に介入する社会的必要性はなかった。裁判所は、国家がヘイト・スピーチ犯罪の範囲を定義する際に、注意深いアプローチを採用することが重要だと付け加えた。裁判所は各国に、問題となっている事案が当局やその政策を批判している場合には、こうしたスピーチに対する措置の外観を装って過剰に介入することを避けるために、厳密に法律を解釈するよう呼びかけた。
③
「戦争犯罪の容認」
レイデューとイソルニ対フランス事件(1998年9月23日)
申立人らは日刊新聞「ルモンド」に文章を執筆し、ナチスに協力したペタン元帥の政策にべールをかけて、好ましいものとして描き出した。文章はペタン元帥の記憶を擁護することにささげられた2つの団体のために書かれた勧誘であり、1945年にペタンへの死刑判決と公民権喪失をもたらした裁判を見直し、ペタンを復権させようとするものであった。レジスタンス国民同盟の告発によって、2人の著者が戦争犯罪と対敵通謀の犯罪を公然と擁護したとして有罪とされた。申立人らは表現の自由が侵害されたと主張した。
欧州人権裁判所は、条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所によると、非難された文章は論争的であると見做されうるが、否定主義とは言えない。というのも、著者らは個人の資格で書いたのではなく、2つの合法団体を代表して書いたのであり、個人としてナチス政策を擁護したわけではない。最後に裁判所によると、文章で言及された出来事は出版よりも40年以上前に起きたのであり、時の経過により、40年たったため10年や20年前の重大性と同じように扱うことは不均衡である。
④
「国民アイデンティティの侮辱」
ディンク対トルコ事件(2010年9月14日)
アルメニア出身のトルコ人ジャーナリストのフィアト(フランク)ディンクはイスタンブールで出版されたトルコ語アルメニア語の2言語新聞の出版人であった。8本の新聞記事でディンクはアルメニア出身のトルコ人のアイデンティティに関する見解を表明したところ、2006年に「トルコ人のアイデンティティを侮辱した」として有罪とされた。2007年、ディンクは新聞社を出たところ、頭の3発の銃弾を受けて殺害された。家族が申立人となり、有罪とされた罪に不服を申し立て、過激なナショナリスト集団によって標的とされたと主張した。
欧州人権裁判所は、フィアト・ディンクを「トルコ性」を侮辱したかどで有罪とする社会的必要が示されていないとして、条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所によると、一連の記事は全体として他人を暴力、抵抗又は反乱に煽動するものではない。著者はジャーナリスト及びトルコ・アルメニア語新聞編集人として、政治情勢に関する言論人としての役割に沿ってアルメニア人マイノリティ問題について論評したに過ぎない。申立人は民主主義社会における公衆の関心ある問題について自分の思想と見解を表明したに過ぎない。民主主義社会では、特定の重大な性質を有する歴史的出来事に関する論争は自由に行うことができ、それが歴史的真実を求める表現の自由の不可分の部分を成す。最後に、非難された記事は不必要に攻撃的でも侮辱的でもなく、他人にブレ嫌憎悪を煽動するものでもない。
⑤
「過激主義」
イブラヒム・イブラヒモフその他対ロシア事件(2018年8月28日)
本件はロシアにおける反過激主義法と、イスラム教の本の出版・配布の禁止に関する件である。申立人らは、2007年及び2010年にロシアの裁判所が著名なトルコ系ムスリムの神学者でクルアーンの註釈者であるサイード・ヌルシは過激主義者であり、彼の著作の出版・配布は禁止されると判断を下した、と申し立てた。申立人らはヌルシの著書を出版し、その出版権を得ていた。
欧州人権裁判所は、条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所によると、ロシアの裁判所はなぜその禁止が必要であるかを正当性をもって示していない。ロシアの裁判所は自ら分析を行うことなく、その著書や表現が文脈上問題があると見做されるとすることもなく、単に言語学者や心理学者の専門報告をもとに事実認定をしただけである。さらに、ロシアの裁判所は、申立人らがヌルシの著書は穏健で主流のイスラム教に属することを説明する証拠を提出しようとしたのに即座にこれを拒絶した。申立人の事案における裁判所の分析は、禁止されるより7年間も出版されていたのに、この本がロシアにおいて又は他の諸国で、いかに宗教間の緊張を惹起し、惹起する危険があるか、武力をもたらしたかを示していない。
⑥
「論争のある歴史意味内容を伴う旗の掲揚」
ファーバー対ハンガリー事件(2012年7月24日)
申立人は、人種主義と憎悪に反対するデモから100メートルと離れていないところで、論争のある歴史的意味をもつ縞模様のアーパド旗(Arpad flag)を掲げたことにより罰金刑を言い渡されたと申し立てた。
欧州人権裁判所は、条約第11条(集会結社の自由)に照らして条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所によると、ハンガリーの全体主義体制時に至る所で用いられたシンボルを掲揚することは、まさにその掲揚によって侮辱されたと感じる過去の犠牲者や家族に不安を呼び起こすかもしれない。しかし、裁判所によると、その感情は理解できるとは言え、表現の自由を制限する理由にならない。申立人は暴力的又は脅迫的方法で行動していない。申立人は非暴力で行動しており、デモ参加者との間に距離を置いていたし、公共の安全に危険を惹き起こしていないので、裁判所は、ハンガリー政府が、申立人が当該旗を降ろすことを拒否したとして、申立人を訴追し、罰金を科すのに、正当な理由を示していないと認定した。単に旗を掲揚しただけなので、公共の秩序を乱し、デモ参加者の集会の権利を侵害していないし、脅したり、暴力を煽動することもなかった。