児玉龍彦『内部被曝の真実』(幻冬舎新書、2011年)
7月27日の衆議院厚生労働委員会における参考人意見が大変な話題となり、
ユーチューブ再生100万回の児玉さんの著書ですが、第一部は、参考人発言を
収録しています。映像で見るのと、文章で読むのとでは、また 少し違う印象で
すが、短い中に、言うべきことをしっかり言う姿勢が明確です。
第二部は「疑問と批判に答える」で、8月6日に「ニュースにだまされる
な!」に出演した時の発言です。
「データが足りないときこそ予測が大事」
「線量を議論しても意味がないのはなぜか」
「危険を危険だとはっきり言うのが専門家」
第三部は「チュルノブイリ原発事故から甲状腺がんの発症を学ぶ」です。安易
な「エビデンス論」への疑問を述べています。
第四部は「チェルノブイリ膀胱炎」で、セシウム137低線量被曝が長期にわ
たると何をもたらすかがわかります。
「前がん状態“チェルノブイリ膀胱炎”の発見」
「チェルノブイリ住民に匹敵する福島の母乳のセシウム汚染」
「子どもたちの接触・吸入を防ぐために今すぐ除染を」
「被災者の立証は不可能である――東電、政府の責任」
おわりにで「私はなぜ国会に行ったか」で、福島での除染活動で痛感したこと
を中心に、述べています。最後は次のようになっています。
「福島原発の除染については、すべてはこれからである。われわれは、祖国の
土壌という、先祖から預かり子どもに伝えるかけがえのない財産を汚染してし
まった。
しかし、人が汚したものなら、人がきれいにできないわけがない。
そのために全力を尽くすのがわれわれ科学者の責任である。
こう思って話し出したら胸がつまってしまった。もっと理性的にならねばな
らないと思いつつ、自分の中で、怒りと理性がぶつかって、抑えきれなくなった。
あまりに感情的になり、申し訳なく思っている。」
「専門家とは、歴史と世界を知り知恵を授ける人」という言葉も使われていま
す。まさに専門家。そして「科学者の責任」です。
評論家の佐高信さんが、デタラメ教授やダマシタ教授について、単に「専門バ
カ」ではなく「専門もバカ」と言っていますが、本当に「専門もバカ」が多く
て困ります。科学者の責任など省みず、特権の上に胡坐をかいている御用学者たち。
でも、ちゃんとした専門家もたくさんいます。どんどん出てきて頑張ってほし
いものです。というか、黙々と頑張ってらっしゃる方たちがいます。
付録の資料は衆議院に提出したものです。本文わずか136頁、付録資料を入
れても165頁です。すぐ読めます。
衆議院発言と付録資料はすでに映像で見ているものですが、それでも必読の書
です。
私が期待していたのは、上記の項目見出しの「線量を議論しても意味がない」
の部分でした。参考人発言の真ん中あたりで話していたことです。濃縮や集積の
話です。
今回の問題は、「総量で原爆数十個分に相当する量が漏出し、原爆汚染よりも
ずっと大量の残存物を放出したということが、まず考える前提になります。」
「総量が少ない場合には、ある人にかかる濃度だけをみればいいです。しかし
ながら総量が非常に膨大にありますと、これは粒子の問題になります。」
これが発言後半で、例えば滑り台の下の部分が放射線が高いという話につなが
ります。雨が降ったり、子どもたちが滑ることによって、放射能は下の台に濃縮
するのです。雨どいや道路の側溝や、稲わらに濃縮するという 話につながりま
す。つまり、ある地域の放射線を計測して平均値を出しても、それだけではまっ
たく無意味です。そこから議論を立てることなどできません。一番やらなけれ
ばならないのは、子どもたちが手を触れる場所の迅速徹底的な除染なのです。除
染の専門家には当たり前の話を、7月27日、児玉さんが国会で発言したので
す。政府も御用学者も誰一人として国民に伝えませんでした。
次に内部被ばくです。
「内部被ばくと言うのは、さきほどから何ミリシーベルトというかたちで言わ
れていますが、そういうのはまったく意味がありません。I131は甲状腺に集
まります。トロトラストは肝臓に集まります。セシウムは尿管 上皮、膀胱に集
まります。これらの体内の集積点をみなければ、いくらボディホールカウンター
で全身をスキャンしても、まったく意味がありません。」
つまり、濃縮は二重の過程で起きます。日常空間の中で水や空気の流れによっ
て放射能が、滑り台の下、側溝、稲わらなどに濃縮します。さらに、人体に取り
込まれると、それぞれ甲状腺、その他に集積していきます。両方のメカニズム
をしっかりわきまえて議論しなければならないし、除染しなければなりません。
なるほどと思って振り返ってみると、4~7月には、みんな、懸命になってミ
リシーベルトだマイクロシーベルトだと大騒ぎしていましたが、8~9月にはそ
ういう議論は激減しました。児玉さんの話で、理解できたからでしょう。それ
以外にも、同様のことを述べて広めた方がいたのでしょうか。単に町中の線量を
計測して、その数値をあげつらっても、それだけでは子どもたちの被曝の予防にはまったく
意味がないということを。