Friday, February 28, 2014

世界人権裁判所の可能性?

2月27日、国連人権理事会・諮問委員会は、アルビニスムへの差別、今後の優先的審議事項などの議論をした。優先的審議事項としては、世界人権裁判所の可能性や、市民の安全と人権が提起されている。                                                                                  世界人権裁判所については、前回少し話題なったそうで、サイード・モハメド・アル・ファイハニ委員が『世界人権裁判所設立の可能性についての構想ペーパー:現行人権保障制度を強化する』(A/HRC/AC/12/CRP.1)を提出し、簡単なプレゼンテーションをしたが、討論はなかった。今後の扱いがよくわからなかった。構想ペーパーも1頁半のごくごく短いものだ。内容は、20世紀に国際人権枠組みが出来てきたが、人権侵害は広範で深刻になっている。現行人権制度には足りないところが多々ある。人権規範を提示するだけでなく、人権保護のために措置を履行する時代に入っている。世界は政治的にも社会的にも移行期にあり、法の支配と人権保障を強化する必要がある。被害を受けやすい人々が司法や法の支配に浴することができるようにしなくてはならない。そこで諮問委員会は、現行人権制度の弱点を点検し、人権保障のための包括的普遍的で拘束力のあるスキームを検討し、将来世代のための人権制度を発展させる必要がある。そのために世界人権裁判所の可能性について議論しようというもので、まだ裁判所制度の構想にはなっていない。すべては、これから。                                                                                  欧州には欧州人権条約と欧州人権裁判所がある。米州人権裁判所、アフリカ人権委員会などの例がある。アジアには人権条約も人権裁判所もないので、その議論が必要だが、アジアは広すぎて難しい。と思っていたら、世界人権裁判所の構想だ。                                                                                                 個人による戦争犯罪や人道に対する罪を裁くための国際刑事裁判所をつくるのに国際社会は半世紀かかった。世界人権裁判所もいったいどれだけかかるかわからないが、そのための議論を始めておくことは大切だ。

Thursday, February 27, 2014

柄谷行人の柳田国男論

柄谷行人『遊動論――柳田国男と山人』(文春新書、2014年)                                                 なぜ柳田国男かと思ったが、著者は40年前に柳田論を書いていて、それを2013年にそのまま出版し、さらに柳田のアンソロジーを出すと言う。つまりセット販売で、この新書も出たということだ。著者がかねてから主張してきた交換様式B(再分配)やC(商品交換)に対して、交換様式A(互酬)に対応した交換様式Dの模索の一環だ。柳田にもその萌芽があったという論証が本書の課題である。                                                          わからないではないが、「最初期に山人を論じた柳田が山人に言及しなくなったのは事実だが、言及していないだけで、捨て去ったわけではなく、ずっと柳田の中で生きていたはずだ」として、「はずだ」「はずだ」と積み重ねる著者の強引な論法は、著者のファンには説得力があるかもしれないが、普通の感覚の持ち主にはレトリックだけとしか見えないだろう。柳田の論述において、主題も手法もすっかり変わり、何十年も忘れ去られたテーマが、否定すると明言していないのは事実としても、ずっと続いていたというのは奇特な話だ。でも、こういう強引な読み込みが著者の思想の魅力なのだろう。『マルクスその可能性の中心』以来、時折著者の本を読んだとはいえ熱心な読者ではないし、著者の最近の主著もざっと見ただけなので、あまり内容に立ち入ってコメントできないが。もっと勉強しなくては、と思わせてくれる本ではある。

Wednesday, February 26, 2014

一方的強制措置と人権

2月26日、国連人権理事会・諮問委員会は「一方的強制措置が人権に及ぼす影響」について審議した。前々回あたりにこの話が出て、人権理事会24会期の決議によって諮問委員会の新しい審議事項になったものだ。一方的強制措置というのは、国連決議に基づかずに一部の国家が独自の立場で行う制裁のことだ。具体的には、アメリカによるキューバに対する制裁が最大の話題だ。国連加盟国193のうち185以上がずっと反対して、制裁解除を求めている。他に話題に出たのはイラク、イランなど。26日の委員の発言では朝鮮への言及はなかった。日本政府推薦の委員は発言しなかった(全審議を聞いたわけではないので聞き落したかもしれないが)。諮問委員会は、ジーグラー委員を議長とする作業部会(レベデフ委員、オカフォル委員、スーフィ委員、イゲズ委員)を決めた。そして、諮問委員会から各国政府、国際機関、NGOに対して出す質問票の案が配布された。例えば次のようなものである。                                                                               「あなたは、一方的強制措置がターゲットとされた国の人権に影響を与えると考えますか。もしイエスなら、どのように影響すると考えますか。もしノーなら、その理由は。」                                                        「あなたは一方的強制措置によってもっとも影響を受ける特定集団の例を示すことが出来ますか。」                                                                                          「一方的措置は、ターゲットとされていない第三国の国民に影響を有しますか。」                                                                        「一方的強制措置の影響に対処するのに、現行の人権規範と機関はどのように用いられるでしょうか。」                                                                                                    「あなたは人権と一方的強制措置の問題に対処するのにどのような役割を果たせますか。」

Tuesday, February 25, 2014

人権とオリンピック理念

2月25日、モンブランがいつもよりよく見えた。ジュネーヴ上空は少し曇っていて、南の空が完全に晴れ上がっていると、陽の当たるモンブランの姿がくっきりと浮き上がって見える。                                                                                    国連人権理事会・諮問委員会は「スポーツとオリンピック理念を通じての人権促進」のテーマを議論した。サッカーにおけるフーリガンが典型だが、スポーツの場面でレイシズム、不寛容、排外主義が登場する。オリンピックにおいても、競争意識の激化が、他国や他民族への敵対意識に繋がったり、侮蔑発言が出たりする。そうしたことのないよう、スポーツ精神、オリンピック理念によって相互研鑽と連帯をはぐくもうという趣旨だ。委員の発言は穏当で、よくわかるが、たいしたことは言っていない。最後に、ゲストのレムケと言う人物が、ビッグビジネスを主題にした。ワールドカップやオリンピックは、国家、スポーツ産業、スポーツ団体のみならず、メディア、スポーツツーリズムを巻き込んだビッグビジネスとなっており、競争が激化し、無用な対立をあおる結果となっている。ここにどう切り込むかが重要だという趣旨。とはいえ、具体的にどう切り込むかは言わなかった。また、選手団の歌と旗が、現実には国歌と国旗にされていることについて誰も問題提起しない。あくまでも国家を基礎とする国連だから、この点は踏み込めないのだろう。国連人権機関がIOCやFIFAに物申すのはかなり難しいだろうし。となると、人種差別や民族対立の根本には目をふさいで、極端なフーリガンを非難することしかできない。それでもやらないよりはましだが。

レイシストになる自由?(4)

ブライシュ『ヘイトスピーチ』(明石書店)は、「3 ホロコースト否定とその極限」において、ホロコーストにまつわるレイシズムの類型と潮流を取り上げる。3類型は、第1に「ホロコーストを露骨に是認したり、賛美したり、正当化したりする」、第2に「ホロコーストを過少化ないし極小化する」、第3に「露骨なホロコースト否定」である。ドイツ、フランス、オーストリア、アメリカにおける極右、歴史修正主義が1980年代に大きな存在感を示すようになり、これへの対処として法規制が試みられてきたことを示す。1985年の欧州議会報告書、ドイツにおける法制定をはじめ、各国での試みが検討される。アメリカとイギリスでは処罰対象とならないことも。そして、アーヴィングの事例を中心に、規制賛成と反対の論拠を提示して、分析している。                                                                                  「ナチやファシスト、あるいはそれらに占領されたりそれらを支持したりした過去をもつ国は、ホロコースト否定を禁じる動きの最前線に立った。ドイツ、オーストリア、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、スペイン、ポルトガル、そして多数の東欧諸国はすべて、ホロコースト否定の処罰に利用可能な法律を制定している。・・・法律の擁護者は、ホロコースト否定は単なる言論ではなく、ましてや歴史をめぐる議論ではないととらえている。レイシズムに反対する人々にとって、それはユダヤ人と他の社会を分裂させるためにユダヤ人を孤立させ、中傷し、侮辱しようとするユダヤ人に対する攻撃の試みである。」                                                                                                                                                             ブライシュは、さらにホロコースト否定の処罰が持ちうる弊害として指摘されてきた点も検討したうえで、「ホロコースト否定が、社会全体に害を及ぼしかねない憎悪を引き起こすことが確実であると判断される場合には」「ホロコースト関連のレイシズムを、扇動に関する一般的な法令で罰することである」とする。                                                                                                                  ドイツ法については楠本孝(三重短期大学教授)、櫻庭総(山口大学助教授)による、もっと詳細な専門研究がある。ブライシュは、ドイツ以外の欧州諸国を分析対象に加え、なおかつアメリカとの対比に視線を注いでいる点で、楠本、櫻庭とは違った趣を示している。また、本書全体を通じて、アメリカ型と欧州型を固定させるのではなく、それぞれがどのように変化して現在に至っているのかを必ず基本に据えて分析している。その意味で、本書は非常に有益である。                                                                                                   若干疑問を指摘しておこう。                                                                                                     第1に、冒頭にホロコースト否定の3つの類型を提示しているが、その後の分析ではこの3類型を区別した議論には必ずしもなっていない。例えば、スペインでは、2007年11月7日の憲法裁判所判決が、ジェノサイドの単なる否定は人間の尊厳に反するとしても犯罪ではなく、これを犯罪とした刑法607条の「否定」という文言は憲法違反であるとして、処罰を否定し、他方、ジェノサイドの「正当化」は犯罪実行を間接的に煽動するものであり、憎悪誘発観念の公然たる撒布に当たるのでまさに犯罪であり、「正当化」処罰条項は合憲であるとした。3類型論を唱えるのであれば、最も重要なスペイン憲法裁判所判決をきちんと踏まえる必要がある。今後の研究では、「ホロコースト否定」という一般論ではなく、その内実に立ち入った分析が必要となる。                                                                                                                                                                                              第2に、ブライシュは、ホロコースト否定はすべてユダヤ人に対するレイシズムであるとしている。もともとはその通りなのだが、現在ではこのように言えないだろう。フランス刑法は、ユダヤ人に対するホロコーストだけではなく、国際法廷判決において確定した人道に対する罪すべてを含む趣旨になっている。つまり、旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷で確定した民族浄化の犯罪、ルワンダ国際刑事法廷で確定したツチ・ジェノサイドなどの否定も処罰対象になりうる。さらに、つい先日このブログで紹介したばかりだが、スイスでは、アルメニア・ジェノサイドの否定が犯罪とされた。アルメニア・ジェノサイドに関する国際法廷判決は聞いたことがない。フランスと違って、スイス刑法には「国際法廷判決で確定した」という要件がないのだろう。                                                                                                                                   このことは、2001年のダーバン人種差別反対世界会議で紛糾に紛糾を重ねた論点にかかわる。アジア・アフリカ諸国はホロコーストholocaustsを厳しく批判し、再発防止を求めた。ユダヤ人団体はこれに徹底抗議して、Holocaustの再発防止を求めた。ホロコーストとは、ユダヤ人が被害を受けた歴史上一回限りの大事件なのか(大文字で始まる単数形Holocaust)、それとも世界各地で繰り返されてきた悲劇なのか(小文字のholocausts)。これをめぐってダーバン世界会議は紛糾し、決着がつかなかった。                                                                                                      日本でこの議論をする場合には、日本帝国主義による平和に対する罪、戦争犯罪をどう見るかに関わり、南京大虐殺や「慰安婦」問題ということになる。どんな差別発言も表現の自由だという日本であり、しかも歴史否定論者が首相という異常な国であるから、まともな議論にならない。

Monday, February 24, 2014

フクシマを国連に報告

2月24日、国連欧州本部のあるパレ・デ・ナシオンで、国連人権理事会・諮問委員会12会期が始まった(~28日まで)。人権理事会は47か国の政府が理事になるが、諮問委員会は国際人権法の専門家委員(学者、弁護士、元外交官など)によって構成される。日本政府推薦の委員は今回から小畑郁(名古屋大学教授)。24日午前は開会のセレモニー、議長の選出、議題の採択など。                                                                                       午後に、議題3の「人権理事会が諮問委員会に要請したテーマ」のうち「ポスト災害・紛争状況における人権の促進と保護」の討議が始まった。担当の委員たちによる作業部会において既に討論がなされ、次の人権理事会に提出する報告書草案を作成中とのことで、今回は討論なしに終わりそうだった。シツルシン委員が「自然災害についての議論はしたが、去年、日本からのNGOが福島原発事故という人災を取り上げるようにと発言した。その議論もさらにしなくてはならない」と発言した。私たちのことだ。議長が「NGOからの発言希望はあるか」というので、シツルシン発言を手掛かりに、希望したところ許可が出たのでフクシマについて発言させてもらった。おおむね次のような内容。                                                                                 <昨年に続いてフクシマの状況を紹介したい。昨年9月11日、神奈川に避難している被災者が、原発被害を訴えて横浜地裁に提訴した。事故から3年経つが、多くの人々が国内避難民状態であり、故郷に帰れない。政府と東電は金もうけしか考えていない。市民による原発民衆法廷は福島、広島、大阪、東京などで公判を開き、13年7月21日に判決を出した。判決は、原発事故災害と人権に関する国連特別報告者を設置するように提案した。日本政府は避難者を汚染地域に帰らせようとしている。被災者の人権(生命権、健康権、子どもの権利)が侵害されている。海洋汚染が続いているが、政府は無策である。>                                                                                                                                       ポスト災害と人権作業部会のプラダ委員が「福島災害の問題も含めて検討して、報告書作りをしていきたい」と応答してくれた。                                                                                                 「ポスト災害・紛争状況と人権の促進と保護」というテーマは非常に奇妙なテーマだ。災害と紛争状況をいっしょくたにしている。「ポスト災害と人権」と「ポスト紛争状況と人権」は、関連する面もあることはあるが、本来は別のテーマであり、区別して議論するべきだ。しかし、このテーマは上部の人権理事会が設定したものなので、諮問委員会にはこれを変更する権限がない。邪推だが、人権理事会は、ポスト災害やポスト紛争状況と人権の議論は不可欠だが、これをきちんとやると大変なことになるので、それぞれやるのではなく、セットにして議論することで、成果を出せなくてもよいようにした、と考えられる。たぶん、国際人権法として意味のある有益な成果文書に到達することが出来ないだろう。そういう限界が最初からあることは残念だが、ともかくチャンスのあるところでは、ひたすらフクシマからの被災者の人権侵害状況を訴えていくしかない。                                                                                                  昨年の発言は下記に紹介。                                                                                                           http://maeda-akira.blogspot.ch/2013/08/blog-post_12.html

Sunday, February 23, 2014

大江健三郎を読み直す(7)周縁の人間として表現し続ける

大江健三郎『死者の奢り・飼育』(新潮文庫)                                                                                         初めて読んだ大江作品は何だろうと考えてみると、わからなくなった。『死者の奢り・飼育』『芽むしり仔撃ち』『われらの時代』は中学3年の時に文庫本を買ったので、それが最初かと思いこんでいたが、今回読み返してみて、果たして当時、最後まで読み通したのかどうかはっきりしない。たぶん読まなかったのだと思う。                                                                                                       高校2年の時、沖縄返還がニュースになっていた際に、大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)があると知り、高校の図書館で探した。図書館に暮らしているような国語の教師が「大江ならここだよ」と言って書棚を指さしながら、「あれ、ないな。貸出し中だ」と言って、代わりに『厳粛な綱渡り』(文藝春秋)を渡してくれたのを覚えている。『沖縄ノート』『ヒロシマ・ノート』はその後に、当時、札幌市内の4丁目にあった冨貴堂という書店で購入した。と思いだして整理してみると、最初に手にした文庫本は途中まで読みかけのまま放置し、エッセイの『厳粛な綱渡り』を読んでから、『死者の奢り・飼育』に改めて挑戦したのだろう。                                                                                                                               『死者の奢り・飼育』(新潮文庫、1959年)には、2つの表題作のほか、「他人の足」「人間の羊」「不意の唖」「戦いの今日」が収められている。『東京大学新聞』1957年7月号の「奇妙な仕事」に続いて、『文学界』1957年8月号に掲載された「死者の奢り」が文壇デヴュー作とされ、続く「飼育」『文学世界』1958年1月号で芥川賞を受賞した若き作家・大江の初期作品群だ。「人間の羊」と「戦いの今日」は、読んだはずだが、その内容は記憶にない。                                                                                                                                40年ぶりに新潮文庫を手にして、改めて思うこと、考えるべきことはいくつもある。1つは、みずみずしい文体と呼ばれた大江の文体が、なぜ、どのような意味でみずみずしかったのか。それは今では感得しにくいことのように思える。2つは、実存主義との関係だ。初期の大江がサルトルの実存主義に感化され、『嘔吐』の影響を受けた作品を送り出し、猶予や参加などの言葉を多用したこと。サルトルを知らない中学・高校生には、読んでもその意味がわからなかったこと。3つは、初期作品群に共通する主題が「監禁状態」「閉ざされた状況に生きること」だったことである。第二次大戦後10年程を経て、輝ける戦後民主主義が一段落した時期に、青年・大江は自分の人生も、同時代の若者も、そして日本も「監禁状態」にあると感じていた。そのことを今、どう見るのか。60年安保を迎えようという時期の、多くの若者の意識はそうではなかったと記録されているはずなのに、大江の時代意識は早過ぎたのか、遅すぎたのか。その点に関連して、4つは、文庫本の解説を書いているのが江藤淳である。最近では版が変わると解説が変わったりすることも少なくない文庫本だが、新潮文庫には江藤淳が1959年8月に書いた解説がそのまま掲載されている。江藤は、大江が「思想を表現しうる文体を持った新人と目されていた」として、「実存主義的認識をてぎわよく小説家した」ものと冷静に突き放しながら、大江の「抒情」に「かつてないすぐれた資質の出現」を見たという。「論理的な骨格と動的なうねりをもつ」「新しい文体」だという。そして、江藤は「時代的にいえば一種の閉塞状態であり、存在論的にいえば『社会的正義』の仮構をみぬいたものの一種の断絶感である」とし、大江が「のちに若い世代の代弁者の役割をひきうけざるをえなくなったのもあながち無理ではなかった」と述べている。これはまさに『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』『厳粛な綱渡り』『持続する志』で、60年安保とその後の言論の戦いに参入していった大江のことである。それゆえ、江藤は「しかし、同時に、彼はこのときからいつおわるともない作家生活に進んで身を投じたのである。文春クラブでかいまみた少年作家は、『もう子供ではなかった』のである」と解説を閉じていた。                                                                                                                                  1955年に「夏目漱石論」でデヴューした江藤淳(1932年生れ)は、1958年、石原慎太郎(1932年生れ)、大江健三郎(1935年生れ)、谷川俊太郎(1931年生れ)、寺山修司(1935年生れ)、浅利慶太(1933年生れ)、永六輔(1933年生れ)、武満徹(1930年生れ)らとともに、「若い日本の会」を結成して、60年安保闘争に突入していった。今では、エピソード以上のものではないが、ともあれ、そういう時代だった。                                                                                                                                                    2007年のインタヴュー(『大江健三郎 作家自身を語る』)で、大江は「同じ年代で、少し早めに仕事を始めていた若い者たちが、あいつの顔知ってる、名前も知ってるという感じで集まったわけですから。一緒の仲間ではあったけれども、私や武満徹さんのように自分の仕事はまっすぐやっていく、現実政治に対しては批判的な立場に居続ける、現実を動かしていく中心の力になるよりは周縁、はみ出したところにいる人間として表現し続けていくという仲間と、そうでない人たちとに、はっきり分かれて行ったと思います。」 「『安保批判の会』から三十年たっていた一九九〇年頃には、保守政党の指導者たちにとって都合のいい、しかも頼りになる理論家として、たとえば江藤淳という評論家がしっかりした足場を得ていた。」                                                                                                                                          「もともとかれは中心にあるべき資質の人で、反・安保の言動をした一時期が、まったく例外的なものでしたから。私の小説を江藤淳が強く支持してくれたのは、私の出発時から六ヶ月のことでしたが、その間私はかれの書くものはすべてよくわかると考え、しかしすぐにもこういう良い関係は終わる、とも予感していました。/・・・私と江藤淳が理解関係を持っていたのは、本当に最初の六ヶ月だけでした。」                                                                                                                                                 あの時、「もう子供ではなかったのである」と書いた江藤淳は、1962年にロックフェラー財団のお金でアメリカ留学しエスタブリッシュめざしてひたすら上昇していった。大人か子供かではなく、中心か周縁かで考える大江とはすれ違うばかりだったろう。権力か非権力かと言っても同じことである。大江は、この時代を振り返るときに、同年代の文学者としては、一方で井上ひさし(1935年生れ)を常に称揚し、周縁、非権力の志を喚起する。ここに現代文学における「非国民」が佇んでいる。大江は、他方で江藤淳についてわずかだけ語る。露骨な権力主義者・石原慎太郎については、文学という面では、当然のことながら語らない。確認するべき差異は、一人でまっすぐ立っているか否かだろう。他者と共感し、連帯しながらも、文学者として一人まっすぐ立つこと。権力や政府や世論や権威におもねって凭れかかり、その反動で他者を貶めることなく、生きること。『死者の奢り・飼育』は、戦後10年を経た時期に「閉塞状態」を打ち破ろうとした若者たちの一つの意識の反映だったが、若者たちと言っても、その先に見定めようとしていたのは驚くほど違う未来だったのである。

ザンクト・ガレン美術館散歩

ザンクト・ガレンのテキスタイル博物館に行ったところ、3月まで閉館になっていた。残念。世界遺産のカテドラルを見てから、ザンクト・ガレン美術館にまわった。旧市街の一歩外にある公園の中に劇場と美術館がある。劇場はメキシコを代表する画家フリーダ・カーロをテーマとした演劇公演中だった。                                                                                                                  ザンクト・ガレン美術館は2つの企画展。1つは、フランシスコ・シエラの「アヴァロン」という展覧会。1977年チリ生まれ、1986年からスイス在住で、ザンクト・ガレン、シャフハウゼンなどで音楽、絵画、写真を学んだという。スイス美術賞やロンドンの展覧会で高い評価を得た若手現代アーティストのようだ。展示は4部構成。配布された資料の解説はドイツ語なのでよく分からないが。まず、大きな皿に一筆書きのような感じで顔を描いたものを油彩で描いた「怒る男」。陶器の皿と、ピカソのタッチの顔の輪郭のアンバランスが面白いと言えばおもしろい。次に、コーヒー・セットや灰皿の絵だ。これも油彩で、奇妙なリアリズムだ。3つ目が、「アバロンの形態学」。灰色のプラスチックで作った長方形や三角の素材を、油彩で描いたもので、7点のシリーズだが、趣旨がよくわからなかった。                                                                                                                                             最後に油彩画3点だが、ここが代表作の扱いになっていた。代表中の代表が「庭園にて」だ。遠くから見ると、公園の中に青いドレスの若い女性がいて、その姿がみごとに鮮やかに浮き立っている。素敵な写真、と思わせるが、実は油彩。近くで見ても、丹念な筆使いで、鮮やかな写真風の光景を描いている。18世紀後期の写実主義の再現だそうで、たしかに公園の緑と茶色の生け垣や、背景のアルプスらしき山の描き方は、写真よりも写真らしい写実だ。解説ではハイパー・リアリズムとなっている。しかし、それだけだ。確かに写実的で巧みだが、いまどき珍しくない。                                                                                                                                            と思ったら、解説にはその先があった。若い女性は白い人形を持っている。スイスでは有名なメリンゲ。その2本の手が骸骨で、その片手は本を持っている。その本は、表紙等の体裁はハロー・キティの子ども本に見えるが、実はヒトラーの『我が闘争』だという。若い女性と人形が乗っている赤い絨毯は画家の祖母でユダヤ人のものだったという。画家は、文化史的背景のみならず、個人的観点と社会的関連を示したのだ、と解説に書かれている。                                                                                     しかし、よく理解できない。第1に、祖母がユダヤ人ということは、作品からはわからない。赤い絨毯はほんのわずか見えるだけで、模様も分からない。第2に、本は『我が闘争』だというが、ごくまじかでじっくり見ても、それはわからない。本のタイトルはMein Kampfとは読めない。特にMとKは、どんなに見ても、そう判読できない。少女から大人になる途中の若い女性が、メリンゲ人形の骸骨の手にハロー・キティ本のふりをした『我が闘争』を持って、ユダヤ人祖母の絨毯に乗っていることに、画家本人に何らかの文化史的かつ社会的文脈での「思い」はあるのかもしれないが、肝心なことは、作品から読み取れない。解説を読んではじめてわかることだ。公園の生け垣や芝生が緑というよりも茶色になっていて、花が咲いていないので、冬なのだろうが、その意味もはっきりしない。ヒトラーが暗示する時代の冬とも読めるが、冬の公園に鮮やかで可憐な赤と白の花のような美女が立ち上がるという印象だ。                                                                                                                            もう1つの展示は、Post/Postminimalというもので、ロルフ・リッケの収集品だ。1970年前後のニューヨーク・アートシーンの作品をいくつかと、2010年前後の地元スイスの作品を、並べて展示していた。バリー・ルヴァの「長い岸辺」(1968年)、ビル・ボリンガー「ロープ」(1969年)、リチャード・セラ「コイル」(1968年)、ロマン・シグナー「砂」(1973年)。そして、ヴァレンティナ・シュタイガー「衣装ハンガー」(2013年)、カティンカ・ボッケ「ポーズ」(2011年)、マリアナ・カスティーヨ・デバル「安楽でないオブジェ」(2012年)といった作品群だ。70年ニューヨークと2010年スイスの現代アートの対比が何を狙ったものか、私にはわからない。ニューヨークとスイスの現代アートの流れを踏まえた人にしかわからないだろう。                                                                                                                                                    ザンクト・ガレン美術館は、30年ほど前まではよくある西欧近代美術館でマネやジャコメティを所蔵していたらしいが、その後、現代アート専門になったようで、近年開催された企画展はいずれも西欧の現代アートのようだ。併設されている自然博物館を見て帰った。

Wednesday, February 19, 2014

ヘイト・クライム禁止法(59)ナミビア

ナミビア政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/NAM/12. 26 September 2007)によると、憲法第23条は「人種差別の慣行及びアパルトヘイトのイデオロギーは禁止され、それらの慣行及びその宣伝は、議会立法によって、通常裁判所で裁かれる犯罪とされる」としている。1991年の人種差別禁止法(1998年改正法)は、条約第4条に従った人種差別禁止を履行する基本法である。憲法第10条2項は、性別、人種、皮膚の色、民族的出身、宗教、信条、社会的経済的地位を理由とする差別を禁止している。その解釈には、国籍、世系による差別の禁止も含まれる。人種主義団体の定義は、人種差別禁止法第1条によると、皮膚の色、人種、国籍、民族的又は国民的出身だけに言及されている。差別の禁止については多くの最高裁判決がある。積極的是正措置も行われている。                                                          ただ、報告書には統計や具体的事例は出ていない。                                                      人種差別撤廃委員会がナミビア政府に対して出した勧告(CERD/C/NAM/CO/12. 22 September 2008)によると、委員会は、1998年人種差別禁止改正法のヘイト・スピーチ禁止条項が、実害のある場合に限定されていることに関心を有する。政府公務員によるマイノリティに対する言葉による攻撃についての具体的措置に関する情報が報告されていない。委員会は条約第4条に即してヘイト・スピーチを予防し、これと闘い、処罰するために法律を見直すよう勧告する。意見・表現の自由の行使には特別の義務と責任が伴う事について、一般的勧告15号を参照するよう勧告する。人種、皮膚の色、世系、国民的又は民族的出身に基づく人々やコミュニティに対する、政治家による攻撃、烙印、ステレオタイプの傾向に対処する措置が必要である。

Tuesday, February 18, 2014

レイシストになる自由?(3)

エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(明石書店、2014年)                                                          「2 ヨーロッパにおけるヘイトスピーチ規制の多様性」において、ブライシュは、フランス、イギリス、ドイツ、ベルギーなどを素材として、ヨーロッパにおけるヘイトスピーチ規制が、1920年代から90年代にかけて、「規制に向けたゆっくりとした歩み」をしてきたことを論証する。各国における状況だけでなく、国際人権法における発展もごく簡潔ではあるが示される。                                                                                          続いて、1990年代以後のヨーロッパで多くの法律が制定され、規制が次第に拡大してきたことに焦点を当てている。欧州人権条約と欧州評議会の動きがあったからである。その下で、イギリスの2006年宗教的憎悪法、フランスのヘイトスピーチ規制法、デンマークのムハンマド揶揄・風刺画事件とその対応を取り上げて分析している。                                                                                          その上で、ヨーロッパにおける規制の強化と、アメリカにおける表現の自由擁護との分岐について、なぜこれほど異なった方向に進んだのかと問いをたて、2つの要素に注目する。1つは、「アメリカの司法制度は個人主義的な権利中心の枠組みに基づいている。これに対してヨーロッパの司法制度は、人間の尊厳、名誉、礼儀、共同体といったものに強く価値を置いている」。2つは、「こうした法律が制定された文脈」である。「ドイツ、オーストリア、そしてイタリアは第二次大戦後、ファシズムの壊滅的な経験を脱してすぐに、ファシズム的な象徴や言論を禁じる法律を制定した。イギリスやフランス、またドイツでも、1960年代から70年代に反ユダヤ的あるいは反移民的な言論が増加し、これに対する新たな法律がつくられた。そして9・11以降の文脈においては、反ムスリム的な言論が喫緊の課題となった」。1980年代以降のホロコースト否定発言への対処を別とすると、以上の2点でブライシュは欧州とアメリカを比較している。                                                                                       ブライシュの分析は、従来から指摘されてきたことと大筋で変わらないが、従来の議論は、アメリカの状況だけを分析して結論を出したり、欧州の状況だけをもとに結論を出すことが多く、双方の状況を丁寧に検証したものでは必ずしもなかったように思われる。その意味で、ブライシュは従来からの仮説を検証したと言ってよいだろう。重要なのは、アメリカ型とヨーロッパ型を理念型にすることではなく、歴史的経過の中でなぜこのようになったかを問い続けていることである。                                                                                                  なお、ないものねだりを承知で言えば、次の点が欠けている。1つは、ヨーロッパと言っても、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、デンマークなどに限定されている。北欧、イタリア以外の南欧、東中欧は比較の外である。2つは、アメリカとヨーロッパ以外の大半の世界は無視されている。ブライシュは対象を「自由民主主義国」に限定しているのだから、やむを得ないが、自由民主主義の定義はなされていない。北欧諸国は福祉国家だから違うのだろうか。オーストラリアやニュージーランドはどうか。考えるべきことは少なくない。

ヘイト・クライム禁止法(58)スイス(2)

今回のスイス政府報告書には、条約第4条に関する具体例は前回報告した、と記載されていた。スイス政府が2008年の人種差別撤廃委員会73会期に提出した報告書(CERD/C/CHE/6. 16 April 2007)によると、2005年12月13日、反レイシズム連邦委員会は1995年から2002年までの刑法第261条に関する判決の統計を公表した。裁判所に持ち込まれた事案は212件で、判決や決定は277ある。212件の約半数は却下された。残りにつき刑事手続きが進行した。110件のうち80%は最終的に有罪となった。                                                                                   1)「ダヴィデの星の前、ゲスラーの帽子の前でお辞儀をさせてくれ」という表現は、ユダヤ人に対する憎悪と差別の煽動に当たるとして訴追がなされた。物事の本質に即して、裁判所は、これが憎悪、ユダヤ人の絶滅の呼びかけであるとした。ウィリアム・テルは結局ゲスラーを殺したのである。                                                                                                  2)1999年、チューリヒの司法当局は「ユダヤ人と仕事をするなら、騙されることになるだろう。ヒトラーの『我が闘争』を読め。50年前の真実は今も真実だ」という表現は、ユダヤ人の組織的名誉毀損のイデオロギーの宣伝に当たると判断した。実行者は600フランの罰金である。                                                                                                         3)さまざまな運搬場から100人もの運転手がやって来る倉庫の職場で、被告人は被害者を「セルビアの豚」「尻の穴」と呼んだ。2002年、バーゼルの司法当局は、「セルビアの豚」は人間の尊厳を損ない、他人の名誉を毀損する犯罪に当たるとし、500フランの罰金とした。                                                                                             4)連邦最高裁は、ナチスドイツが人間殲滅にガス室を使用したことに疑いをはさむことは、ホロコーストの重大な過小評価であると判断した。1998年にアールガウ地裁が下した有罪判決を維持し、歴史修正主義者に15か月の刑事施設収容と8000フランの罰金が確定した。                                                                                                                       5)チューリヒ高裁は、有色人へのサービスを拒否して、「お前の国からの客なんていらない」と言った企業主に600フランの罰金とした。                                                                                                               6)2004年5月27日、連邦最高裁は、刑法第261条の公然性の概念を明確にした。人種主義的行為は公然と行われた場合に犯罪となる。それまで最高裁は、大きな集団の人々の前で行われれば、その人々に結びつきはなくても犯罪が成立するとしていた。このため、極右的見解を広めるスキンヘッドの集会は、入場チェックを行う私的集会や、非公開集会という形で行うことができた。最高裁は、刑法第261条の公然性に関して、非常に小さな私的サークルだけで行われたのでなければ処罰されるとした。入場チェックをしたり、参加者を選抜したとしても、それだけでは私的とはみなされない。                                                                                                                          7)アルメニア・ジェノサイドを否定した事案で、最高裁は当該犯罪は公共秩序犯罪であるとした。それゆえ、個人の法的権利は間接的に保護されるに過ぎない。個人被害者は当事者として現在した必要がない。                                                                                                                             他方、人種差別のシンボルを公然と展示・着用したり、その他の方法で公衆がアクセスできるようにすることを犯罪としようという立法提案がある。極右過激派のシンボルだけでなく、暴力や人種差別を唱道するすべての過激運動のシンボルに適用しようという意見もある。                                                                                                                               人種差別撤廃委員会はスイス政府に次のような勧告をした(CERD/C/CHE/CO/6. 23 September 2008)。                                                                                                                                委員会は、スイス政府が条約4条を留保していることに関心を有する。スイス憲法が表現の自由と集会の自由の重要性を表明していることを考慮しつつ、委員会は、表現の自由や集会の自由は絶対的ではなく、人種主義や人種差別を促進・煽動する団体の設立や活動は禁止されるべきだと呼びかける。この点で、委員会は特にスイスで人種主義や外国人嫌悪が台頭し、そうした政党や団体が活動していることに関心を有する。委員会は、条約第4条の義務的性格に照らして、スイスが条約第4条の留保を撤回し、人種主義と人種差別を促進・煽動する団体を違法で禁止されると宣言するよう勧告する。この文脈で、委員会は一般的勧告15号(1993年)に注意を喚起する。                                                                                                                            委員会は、さらに次のように勧告した。委員会は、スイスにおいて、皮膚の黒い人に対する警察による過剰な実力行使が増加しているという報告に関心を有する。委員会は、あらゆる形態の人種差別的慣行及び警察による過剰な実力行使の根絶のための措置を取るよう促す。法執行官の活動に関する不服申立てを調査する独立機関の設置。申し立てられた実行者への懲戒手続き及び刑事手続き、被害者への適切な補償。警察官への研修訓練の継続。マイノリティの警察官への採用等。

Monday, February 17, 2014

ヘイト・クライム禁止法(57)スイス(1)

2月14日午後と17日午前、人種差別撤廃委員会は、スイス政府報告書(CERD/C/CHE/7-9. 14 May 2013)の審査を行った。政府は10数名、NGOの傍聴は35名ほど。地元だけあってNGOが多かった。                                                                      スイス政府報告書によると、憲法第8条が差別の禁止を明示している。また、憲法第7条は人種主義行為に対する積極的措置を取ることも定めている。                                                                              4条(a)について、刑法第261条と軍刑法第171条(c)が、公然と行われた人種的動機による行為を犯罪としている。                                                                                         警察統計によると、2009年に刑法第261条で捜査を行ったのは230件、159件が刑事手続きに乗り、73件が終結した。人種差別による有罪判決は30件。2010年に報告された事案は204件で、156件が解決した。2011年は182件で、128件が解決した。2010年と2011年の判決については最終数値がまだ得られていない。申立の大半は文書又は口頭の発言、電磁的手段での人種主義的見解の表明である。                                                                                                     反レイシズム連邦委員会統計によると、1995年から2009年までの間の申し立ては501件。判決が出たのは273件で、84%が有罪となっている。具体的事例は前回報告書に記載したと書かれている(前回報告書を明日チェック予定)。審査の際に口頭で少し説明があったが、早口でメモ取れず。ヘイト動機犯罪についての刑罰加重のデータはないとのこと。他方、スイス全体の刑事施設収容者の75%がスイス国籍ではない外国人だと言う。このことは委員たちも繰り返し話題にした。                                                                                                   4条(b)について、2005年、政府は暴力や人種差別を勧める過激運動を促進するシンボルを公然と用いることを犯罪とする立法案を議会に提出した。議会では、処罰される行為と処罰されない行為の区別が難しい、人種主義のシンボルの定義が不明確などの意見が出ている。人種主義のシンボルの使用が犯罪となるのは、人種、民族集団又は宗教の構成員を組織的に貶めたり侮辱したりする目的を有している場合だけである。議会は、刑法第261条を廃止したり、弱めようとする立法提案を拒否している。2007年8月7日、スイス民主主義者というグループが「表現の自由のために――黙ってないぞ!」という国民投票イニシアィヴを行おうとしたが、2009年2月7日の締め切りまでに10万の署名が必要なところ8万筆しか集められなかった。その後、こうした努力はなされていない。他方、議会は、規制を強化する立法提案も拒否している。

Sunday, February 16, 2014

「危機の大学論」か「大学論の危機」か

尾木直樹・諸星裕『危機の大学論』(角川ONEテーマ、2011年)                                                                                                 成田空港の書店でまとめ買いした中の1冊。「日本の大学に未来はあるか?」が副題。芸人が新書で出した大学論に期待したり、不満を述べたりしてはいけないのだろうが、ちょっと・・・。特異な事例や経験をいきなり一般化するスタイルが目立つ。例えば、23頁で朝起きられない学生のためにモーニングコールをする大学さえあるという話を紹介した(名前は出ていない)と思うと、25頁でモーニングコールなどの「大学が全体の一割程度にとどまるなら」いいかと思いますとして、その数行後に「そういう部分までケアしていこうとする大学が多数派になりつつあるのですから、そこが問題です」とくる。いったいどこの話なのか。                                                                                           改善案も、ありきたりというか、古臭い。高卒で大学に進学するのではなく、欧州によくあるようにいったん社会に出てから、大学で学び直すとか、企業に勤めて定年後に通える大学になったらとか、地域コミュニティに根差した大学を、あるいは欧州のように秋入学を、といった提案をさも新しげに話し合っている。提案に反対する理由は一つもないが、何十年前の提案なのか。「学力低下」問題も、ありきたりの認識と、ありきたりの提案。高校に対して、高校卒業証書に見合った教育が出来ていないから、ちゃんとしろというのは当たり前だが、それが現実に出来ないから問題が生じている。他方、企業に対して、新卒ばかりの就職や、春一斉の採用を止めるように期待している。高校や企業が変われば大学も変われるのに、という話になっている。                                                                                     高卒や大学生の海外留学が近年減っていることを嘆いているが、海外留学の増減だけで何を図るのだろうか。もともと日本人は言葉の壁もあり、海外留学は少ない。少し増えたのがまた少し減っただけの話だろう。そうした数値の増減で、日本の大学の現在や将来を語れるかどうかは疑問だ。なにしろ、東大や京大などを対象にしているのではなく、最初から学力定位校の話をしていると言っているのだから、留学の数が基準になるとも思えない。                                                                                                                                                                                                                                     日本の大学数が780と増えすぎていて全入時代に突入している中で、1)世界レベルの研究の大学、2)リベラルアーツ・教養と人間力教育の大学、3)善良な社会人育成大学の3つに分類して考えるべきだと繰り返す。3つとする根拠は何もないが、それぞれの特性を分類して、それぞれに見合った入試、教育、卒業指導を行うのは当たり前のことなので、これには賛成。というか、たいていの大学でとっくに議論済みのことだと思うが。

ステンドグラス博物館散歩

ロモンRomontはローザンヌとフリブールの間にある。人口5000人弱の小さな村で、中心部は丘の上にあり、周囲に農村が広がっている。ロモンという名は12世紀ころから記録に残っていて、町の中心の塔は1278年にはできていたという。これまで通過したことはあったが、何もない町と思っていた。妻がステンドグラス博物館があるのを見つけたので、行ってみた。小さな博物館が町の中心、丘の上にある。ヨーロッパ有数のステンドグラス博物館だそうだ。                                                                                         常設展は、中世から現代までの様々なステンドグラスだ。アダムとイブ、ノア、モーセ、マリアとイエスなど定番の絵柄から、中世らしき都市風景、動物や街並み、そして近代的なデザインまで多様である。ステンドグラスだけでなく、図案・元絵や、ステンドグラス制作用具、象嵌細工なども展示されている。英語のカタログを2冊購入した。1冊は『ステンドグラス:ロモン・ステンドグラス博物館の展示品をもとにした入門書』、もう1冊は『グラス上の逆絵(さかさえ):ロモン・ステンドグラス博物館の展示品をもとにした入門書』。                                                                                                                   また、現在は、地元で活躍してきたステンドグラス作家フリーデ・ヴィルトヴァスラーの作品展開催中だ。彼女は1932年インナーシュヴェンデ生まれ、シュツットガルトで勉強し、1970年頃からアーティストとして活躍し、ステンドグラスに力を入れた。展示作品も1970年頃からのものだが、2013年の作品も10点以上あった。現役作家だ。耽美的な抽象画で、かなり思い入れの強い作家だ。ステンドグラスよりも、その前の図案・元絵が多かった。そのカタログは、ドイツ語/フランス語しかなかったが、せっかくなので買ってきた。展示されていたのと、カタログに載っている作品とは、結構異なる。

Saturday, February 15, 2014

大江健三郎を読み直す(6)その向こうにむけて、できるだけ遠く投げておくことはできる。

大江健三郎『読む人間』(集英社文庫、2011年[集英社、2007年])                                                                                2007年に出版された単行本に、3.11以後の講演を一つ加えて文庫化されたもの。講演「読むこと学ぶこと、そして経験――しかも(私の魂)は記憶する」は、3.11以後の水戸で、東日本大震災に関わって自分の読書体験と小説執筆の話をして、それを加えたものだ。第1部「生きること・本を読むこと」は『すばる』に連載された講演記録で、元は2006年、池袋のジュンク堂での企画「大江健三郎書店」に際して半年間に7回の講演をしたものである。第2部「死んだ人たちの伝達は火をもって表明される」には、「『後期のスタイル』という思想――サイードを全体的に読む」と、上の「読むこと学ぶこと、そして経験」が収められている。                                                                                                         第1部の講演は、大江が若い時期からその都度読んで、学んできた著作、特に詩をもとに、その言葉を読み解きながら書いてきた小説の話である。つまり、読むことと小説を書くことの幸せなつながりである。ランボー、エリオット、ブレイク、マルカム・ラウリー、ダンテ、渡辺一夫など大江の読者にはなじみの名前が登場する。それらの言葉に大江がどのように触発され、味わい、悩み、読み直し、解釈し直しながら、自らの小説を構築していったかが語られる。「7 仕様がない!私は自分の想像力と思いでとを、葬らねばならない!」は「最後の小説」「最後の三部作」である「おかしな二人組」――『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』を扱っているが、これらを読んでいない私にはわからないところ、推測するしかないところもある。                                                                                               第2部の「『後期のスタイル』という思想――サイードを全体的に読む」は、2003年に亡くなったサイードを「主人公」とした映画『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(シグロ、2005年、佐藤真監督)の上映会での講演記録であり、サイードについてかなりまとまった話をしているので重要である。                                                                                                             (私がこの映画を見たのは、東中野のポレポレ座だったと思う。そして、後に監督の自殺を知って驚いたものだ。『阿賀に生きる』の監督で京都造形芸術大学教授だったが。大江の講演は2006年のことなので、佐藤監督が自殺するより以前である。)                                                                                                               大江とサイードの出会いや、さまざまなエピソードを紹介しつつ、サイードの「後期のスタイル」を自分に引き寄せて語る大江の講演は感銘深いものである。最後の3段落を何度も読んだ。全部は長いので最後の段落だけ引用しておく。                                                                                                          「長い目で見れば希望はある、ということに私は賛成です。しかもいま私は、その長い時はいつまでも続く、その前に自分らは死んでしまう、というように考えることはやめました。自分の死は確かだが、しかも相対的だ。その向こうにむけて『後期のスタイル』によってなしとげうるものを、できるだけ遠く投げておくことはできる。それをカタストロフィーとも見まがう緊迫したやり方でなしとげた芸術家たちの仕事が、現にいま私らの歴史の最良の部分を支えているではないか? そのエドワード・W・サイードの確信に、それこそ連帯の思いと優しい感情、すなわち優情を更新しながら、自分のlatenessの時を生きようと、私は思っています。」                                                                                                          ここから次の「最後の小説」である『水死』や『晩年様式集』への回路が開けてくる。                                                                                    ちなみに、最後の「読むこと学ぶこと、そして経験」では、井上ひさしの『父と暮らせば』を素材に語っているが、次の言葉には大笑いできた。                                                                                     「井上さんの言葉に、『難しいことを、やさしく』に始まる名高い一節があります。私はその反対に『やさしいことを難しく』だと自己批判したことがありますが(笑)。」

レイシストになる自由?(2)

エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(明石書店、2014年)                                                                        本書冒頭の言葉は次の通りである。                                                                              「自由民主主義諸国は、自国の市民のためにできるだけ多くの自由を確保しようと苦闘してきた。同時にこれらの国々は、自らの歴史を絶えず蝕んできたレイシズムと闘うことにも全力を尽くしてきた。この両方の目標を達成することは常に可能だったわけではない。なぜなら時に人々は、まさに自由民主主義が掲げている自由を根拠として、レイシズムを支持してきたからである。最も大切に育まれた二つの価値が衝突してしまうとき、社会には何ができるのだろうか。」                                                                                                  こうして著者は、アメリカおよび西欧の自由民主主義諸国における経験を通じて、「個人と社会が自由とレイシズムの間のトレードオフをいかにして調停するかという問題」に挑戦する。                                                                                                                           ブライシュのいう自由民主主義とは何なのか、自由民主主義諸国とはどこなのか、と問うことはあまり意味がない。アメリカと西欧諸国が取り上げられ、アメリカこそ自由民主主義の代表とされているので、「戦争の自由、拷問の自由、盗聴の自由、餓死の自由か」と言いたくなるが、ブライシュは、焦点をレイシズムとヘイト・スピーチに当てて、アメリカの読者に向けた文章を書いているのであって、アメリカの状況を改善しようとしているので、余計なことで読者を逆なでしたりはしない。                                                                                                                ついでに、「ブライシュの自由民主主義諸国に日本は入るのか」。これは面白い問いになる。おそらく、こう質問されれば、入るという答えになるだろうが、本書の記述全体を通してみると、日本は入らないという結論になる可能性がある。この点は、訳者に聞いてみたいところだ。                                                                                                          ブライシュは「人々は、まさに自由民主主義が掲げている自由を根拠として、レイシズムを支持してきたからである」と断定する。これは少々驚きである。というのも、ヘイト・スピーチ処罰反対派は、自分がレイシズムを支持しているとは認めないからである。                                                                                                   日本の憲法学者の議論を見ればよくわかるが、「レイシズムには反対だが、表現の自由が大切だから、刑事規制には反対だ。他の手段を採用するべきである」という形の議論をして、自分はレイシズムを批判しているのだというポーズをとる。憲法学者は、そもそも「ヘイト・スピーチの規制か、表現の自由か」という奇妙な二者択一を掲げる。その上で「表現の自由が大切だから刑事規制に反対」と述べているのだから、二者択一の前提から言えば、明らかに「レイシズムを支持している」。しかし、そうは認めない。憲法学者たる者、レイシズムを容認するなどと口にするわけにはいかないからだ。                                                                                                              「人々は、まさに自由民主主義が掲げている自由を根拠として、レイシズムを支持してきたからである」というブライシュの言葉は、その意味でかなり挑発的ではある。アメリカの読者はどう読むのだろうか。                                                                                                                                  「Ⅰ 自由と反レイシズムを両立させるために――本書の見取り図」において、ブライシュは、2005年9月30日のデンマークの新聞『ユランズ・ポステン』が預言者ムハンマドの風刺・戯画を掲載して引き起こした事件を手がかりに、自由民主主義のジレンマを確認し、自由と反レイシズムのバランスを取るべきだという意見が見られるものの、具体的にどのようにバランスを取るのか、その議論が不十分であるとして、本書の課題を提示する。ブライシュは、歴史的経験的な調査の結論として、次の4点を最初に示している。第1に、「1945年以降、自由を守ることにこだわらずにレイシズムを抑え込む、というのが全般的な傾向となっている」。第2に、その傾向は「すべり坂」のように急速に自由の領域を侵食しているわけではなく、「ゆっくりとした歩み」である。第3に、1969~70年代以後、「アメリカでは、表現の自由が実際にレイシストの表現にも拡張されている」。第4に、1940~50年代、「アメリKもまた、きわめて重要な意味で自由の制限を巡る戦いを経験してきた」。職場でのハラスメントの規制がその典型である。本書は、これらの点を詳細に論じていくことになる。                                                                                                                         ① 自由と反レイシズムのバランスをどうとるかについての様々な一般原理についてよく考えること。                                                                                                              ② どのような自由を最も大事にする必要があり、レイシズむのどの側面が最もたちが悪いかを判断する際には、その国の歴史的な文脈を考慮すること。                                                                                                                   ③ 治療することが病気を放置することよりもよいのか悪いかを判断するために、個別の法律の効果を評価するように努めること。

ヘイト・クライム禁止法(56)ルクセンブルク

雨と強風と雷の2月13日、人種差別撤廃委員会はルクセンブルク政府報告書(CERD/C/LUX/14-17. 29 May 2013)の審査を行った。ルクセンブルク政府代表は4名、傍聴NGOは7名と、ややさびしい状況だった。ルクセンブルクは軍隊のない国家なので一度調査に行った。ルクセンブルク市街は、東京と比べるとのどかな田舎町で、ゆったりしていて、素敵な町だった。地下要塞の遺跡も面白い。もっとも、EU機関がひしめく新市街はおもしろみがない。                                                                             報告書は、条約2条と4条の記載がとても簡潔だった。2条では、レイシズムと人種差別の防止のための努力をしっかり行っているとして、欧州人権条約第12議定書、13議定書、14議定書の批准に伴う3つの法律。国籍法。欧州・反対人身売買条約と議定書批准に伴う措置。子ども性的搾取条約等の措置。国際刑事裁判所規程の国内法化。越境組織犯罪対策条約の批准。                                                                                         4条については、犯罪に人種的動機が伴ったことは刑罰加重事由にはなっていないことだけが記載されている。基本的な情報がないので驚いたが、それは前回報告書に記載されているという。委員からは、今回の報告書にも記載するべき、ヘイト・スピーチの最新統計を知りたい、条約4条を履行していると言えるのか、といった指摘が相次いだ。今回報告書の担当者が、これまでの経緯をきちんと把握しないで報告書を書いたのかもしれない。                                          ***************************                                                                                                                                                 ルクセンブルク政府の前回の報告書(CERD/C/449/Add.1. 15 May 2004)には、条約4条に関して詳しい記載がある。報告書によると、人種差別の煽動及び人種差別行為を根絶するため迅速かつ積極的な措置を講じている。                                                      条約4条(a)に関連して、刑法第457-1条は、口頭、文書、又はその他のオーディオ・ヴィジュアル・メディアを通じてなされた憎悪又は人種暴力の煽動を犯罪としている。憎悪又は人種暴力を煽動する物の、ルクセンブルク内での製造、所有、移転および配布、及び外国への移出は犯罪である。刑罰は、8日以上2年以下の刑事施設収容及び251以上25000ユーロ以下の罰金である。                                                                                                      条約4条(b)に関連して、条約4条が求める形で人種主義団体を禁止していないが、NPO団体法では、裁判を通じて、公共の法秩序を妨げる活動を行う団体の解散が可能である。団体そのものの禁止を規定していないのは、地下で構成員募集がなされることや、監視のむずかしさによる。刑法第457-1条によると、口頭、文書又はその他のオーディオ・ヴィジュアル・メディアを通じて、差別、憎悪、人種暴力を煽動する目的を有する団体、又はそのような活動をする団体に所属する者を処罰するとしている。団体を禁止していないが、所属する個人の責任を直接追求する。刑罰は、8日以上2年以下の刑事施設収容及び251以上25000ユーロ以下の罰金である。                                                                                                                        条約4条(c)に関連して、刑法第456条は、公務員等による人種差別行為の刑罰を重くしている。刑罰は1月以上3年以下の刑事施設収容、又は251以上25000ユーロ以下の罰金、両者の併科もありうる。                                                                                                         前回審査の結果、人種差別撤廃委員会がルクセンブルク政府に出した勧告(CERD/C/LUX/CO/13. 18 April 2005)によると、政府の努力にもかかわらず、アラブ人やムスリムに対する人種差別事件が起き、マイノリティに対する差別的態度が見られる。委員会は政府に、特にメディアにおけるなど、偏見や外国人嫌悪との闘いを継続するよう促す。委員会はインターネットにおける人種主義に関心を有する。委員会はルクセンブルク政府に、条約の原則に応じて、現代的形態の人種主義と闘い、次回報告するように促す。EUサイバークライム条約と議定書を批准するよう示唆する。ルクセンブルク政府による人種差別犯罪への対応を歓迎する。委員会は、人種主義動機を刑罰加重事由とするべきだと示唆する。次回報告書で、人種差別事案と裁判所による対応を報告するよう要請する。

Wednesday, February 12, 2014

ヘイト・クライム禁止法(55)カザフスタン

2月12日、ジュネーヴは快晴で、人権高等弁務官事務所の窓からレマン湖の彼方にモンブランが見えた。人種差別撤廃委員会はカザフスタン政府報告書(CERD/C/KAZ/6-7. 5 August 2013)の審査を行った。カザフ政府代表は15名、NGOは少なくて8名ほど。担当のファン委員(中国)は、中国にもカザフ人が居住していることとか、上海機構のことなども触れつつ、問題点を指摘していた。                                                                                                   カザフ政府報告書によると、憲法第14条は、出身、社会的地位又は職業的地位、財産、性別、人種、国籍、言語、宗教、信仰、居住場所その他の条件によって差別されないとしている。憲法第20条3項は、戦争宣伝、社会的、人種的、国民的、宗教的、階級的又は民族的優越性の唱道又はキャンペーンは許されないとしている。憲法第5条3項は、社会的、人種的、国民的、宗教的、階級的又は種族的憎悪を煽動する目的の団体の創設及び活動は禁止されるとしている。                                                                                              刑法第54条は、国民的、人種的又は宗教的憎悪又は敵意によって動機づけられた犯罪の実行は、刑罰を加重するとしている。                                                                                           刑法第141条は、市民の平等権侵害を犯罪としている。出身、社会的地位、公務の地位、又は財産状態、性別、人種、国籍、言語、宗教的見解、意見、居住場所、任意団体構成員であることその他の条件を理由に、個人の権利と自由を直接または間接的に制限することである。                                                                                                                                 刑法第164条1項は、社会的、国民的、民族的、人種的又は宗教的敵意を煽動する行為に刑事責任が生じるとしている。社会的、国民的、民族的、人種的又は宗教的敵意を煽動する行為のほか、宗教への姿勢、階級、国籍、民族性又は人種を考慮して、国民的名誉と尊厳、宗教感情を侮辱すること、市民の排除を促進すること、優越性又は劣等生を促進すること。                                                                                                                                刑法第160条はジェノサイドの刑事責任を定め、その要件をジェノサイド条約の定義と同様に規定している。                                                                                                              刑法第337条2項は、ヘイト団体の創設及び指導者について刑事責任を定めている。 2009年から2012年前半期に、刑法第164条の煽動は20件(2009年7件、2010年8件、2011年1件、2012年前半期4件)である。そのうち、12県は裁判にかけられ、2件は起訴猶予、1件は終結、1件は強制医療措置、4件が保留となっている。                                                                                                                  2009年3月21日、携帯電話で「カザフ人よ、ロシア人をやっつけろ」と書いて、テレヴィ局に送信し、それが放送に流れた件で、テミルタウ裁判所は被告人を刑法第164条1項の罪で30か月分の罰金とした。                                                                                                     2010年1月、ウイグル民族の名前で活動する3人が、アルマティの集合住宅の壁にペイントで赤裸々な落書きをした件で、カザフ民族の名誉と尊厳を侵害したとして、2010年4月24日、アルマティのメデオ裁判所は、刑法第164条2項の罪につき、3人を2年の刑事施設収容とした(落書きの内容は報告書に記載されていない)。

レイシストになる自由?(1)

アメリカにおけるヘイト・スピーチ議論を丹念に検討したエリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(明石書店、2014年)が出た。2月1日に訳者の一人からいただいたので、このところ1日1章、読んできた。全7章、プラス訳者解説。                                                                                      Erik Bleich, The Freedom to Be Racist?, Oxford University Press.2011.                                                                                                  著者はミドルベリー大学政治学部教授で、専門はヨーロッパにおける人種とエスニシティの問題で、主な著作に『イギリスとフランスにおける人種政治』、『ポスト9.11におけるムスリムと国家』があるという。ヨーロッパの研究をしているだけあって、本書は、アメリカとヨーロッパの動向を詳しく整理・対比して、議論を進めている。アメリカの研究者には、アメリカ内部のことだけで世界を語ったつもりになっている研究者が少なくない。「アメリカ教」の憲法学者はそれを真に受けてしまう。それに比して、本書はアメリカとヨーロッパの比較に視野を広げている。どちらがいいかなどという単純な比較ではなく、両者の差異がなぜ差異に見えるのか、なぜその差異が形成されてきたのかを検討している。                                                                                                               訳者は6名。明戸隆浩(社会学、多文化社会論)、池田和弘(環境社会学・市民社会論)、河村賢(科学社会学)、小宮友根(エスノメソドロジー)、鶴見太郎(歴史社会学、パレスチナ問題)、山本武秀(政治学)。ヘイト・スピーチが大きな話題になったため短期間で翻訳したはずだが、なかなかいい翻訳だ。アメリカだけでなく、イギリス、フランス、ドイツ、デンマーク、ベルギーなどヨーロッパの状況が取り上げられているので、一人で翻訳するのは危ない冒険だ。6名の優れた研究者の協力による本書は、まさに待望の出版である。                                                                                                                        日本では去年ヘイト・スピーチが流行語となったが、定義もせずに、非常にいいかげんな形で使っている。メディアではジャーナリストや評論家の頓珍漢な意見が堂々と語られる。憲法学者まで初歩的知識もなしにデタラメを語っている。ジャーナリストや弁護士のような素人ならまだしも、憲法学者が無知と誤解を拡散している。こういう状況下で、師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)や本書が、ヘイト・スピーチの基礎知識を提供し、スタートラインを明確にひいているのが現状だ。                                                                                                               これまで何度も何度も強調してきたように、「表現の自由だかからヘイト・スピーチを処罰できない」「民主主義国家ではヘイト・スピーチ処罰はできない」というトンデモ発言がまかり通っている。事実は逆である。国際的なレベルでは「表現の自由とヘイト・スピーチ処罰は矛盾しない」と考えられているし、EU加盟国は全てヘイト・スピーチ処罰規定を持っていて、民主主義国家ではヘイト・スピーチを処罰するのが常識である。「ヘイト・スピーチの処罰か表現の自由か」という問題設定がそもそも不適切である。                                                                                                                          ブライシュは、アメリカの状況を前にヘイト・スピーチの議論に挑んでいるので、「ヘイト・スピーチの処罰か表現の自由か」をいちおうの前提としつつ、そこで本当に問われているのは何かを突き付ける形で議論をしている。「自由と規制のあるべきバランス」という議論だ。二者択一ではない。                                                                                                                                 また、ブライシュは、人種差別禁止法、ヘイト・クライム法、ヘイト・スピーチ法にきちんと目を向けている。人種差別禁止法もヘイト・クライム法も無視して、ヘイト・スピーチ法だけを取り出して恣意的な議論を展開することはしない。これは当たり前のことをしているだけなのだが、日本の議論との落差が極めて鮮明になる。                                                                                                                                        そして本書の特徴はアメリカとヨーロッパの比較法・比較政治である。それ自体はめずらしいわけではない。ヘイト・スピーチを処罰しないアメリカと、処罰するヨーロッパという話は、欧米の研究でも日本の研究でも長年指摘され、いくつかの解釈が提示されてきた。ブライシュも同じテーマを掲げる。ブライシュの議論の特質は、アメリカ型とヨーロッパ型という固定的な判断を避けて、それぞれがどのようにして現状に到達し、これからどのように変化を遂げていくのかという関心で見ていることだ。                                                                                                                                                というのも、アメリカは、人種差別禁止法やヘイト・クライム法では先行しているし、一時期、ヘイト・スピーチ規制にも乗りだしたのに、1960年代以降、表現の自由の判例が確立して、ヘイト・スピーチ処罰は困難になってきた。他方、ヨーロッパは、人種差別禁止法では必ずしも先進的と言えるわけではないし、ヘイト・クライム法はむしろ遅れているほどなのに、1960年代以後、短期間のうちにヘイト・スピーチ規制の法体系を確立させてきた。両者のすれ違いの謎を解明することがブライシュ本の魅力となる。                                                                                                                          ブライシュ本、一度読んだだけでは不十分なので、徐々に再読していくことにした。

Tuesday, February 11, 2014

ウズベキスタンの朝鮮人

2月11日、ジュネーヴは、朝からとてもいい天気だった。昨日までは小雨続きだったが、朝は雲一つない快晴。少し気分を変えようと、前日までの黒の作務衣をやめて、薄紫の韓服を着て出かけた。徐勝さんが買おうとするのを、「徐さんに紫は似合わない」などと決めつけて横取りして買った一着だ。それだけでも大切な韓服だ(笑)。グランサコネの丘を下るときは、鼻歌でコッタジの「人は花より美しい」。                                                                                                                                                     11日午後、パレ・ウィルソンで開かれた人種差別撤廃委員会は、ウズベキスタン政府報告書の審査だった。入口をはいると、ちょうどカリザイ議長と5人ほどの大男が打合せ中で、この5人がウズベキスタン政府代表だった。一人が入口脇のデスクに資料を並べていたので見ると、英語の世界人権宣言の本があった。3冊しかなかったのですぐに1冊貰った。『世界人権宣言とウズベキスタンにおける人権保護の国内制度』。もう一つ、表紙にロシア語とハングルの書いてある本が置いてあったので、中身も確かめずに貰っておいた。                                                                                 NGO席にも結構、大男が並んでいたが、女性もかなり体格がいい。タジク人は背が高いが、ウズベク人はがっしり大男大女が多いのかと思いながらNGO席に座ると、隣の女性が「コリアン?どこから来たの?」。「日本です」。「えっ、日本に行ったの?」という意味不明の会話になった。そこでようやく気が付いた。中央アジアには朝鮮人が多数居住している。1937年、スターリン時代に強制移住させられた朝鮮人とその子孫だ。ウズベキスタンもそうだ。彼女は、私のことを「ウズベクの朝鮮人が、日本に移住して、今回、ジュネーヴにやってきた」と思ったのだろう。顔で朝鮮人と思ったのか、韓服のためなのかは、聞かなかったが。                                                                                              入口脇デスクでもらったロシア語とハングルの本を開いてみると、まさにコリアン・ウズベクの本で、写真集だった。本文はロシア語で、一部ハングルで書かれている。1937年の強制移住の苦労から始まって、2007年(強制移住70周年)までのコリアン・ウズベクの人々の生活や文化を写真で見せる本だ。125頁、300枚ほどの写真。

ヘイト・クライム禁止法(54)ウズベキスタン

人種差別撤廃委員会は、2月11日、ウズベキスタン政府報告書(CERD/C/UZB/8-9. 13 May 2013)の審査を行った。政府は5名、傍聴NGOは20名ほど。                                                          政府代表が本をくれた。ウズベキスタン国内人権センター『世界人権宣言とウズベキスタンにおける人権保護の国内制度』(クリエイティヴ・ハウス・ウズベキスタン、2010年)。世界人権宣言の基本精神及び各条項に従って、ウズベキスタンの状況を点検している。日本政府もこのくらいの努力をしてほしいものだ。                                                                                               ウズベキスタン政府報告書によると、憲法第57条は、戦争を唱導したり、社会的、民族的、人種的又は宗教的対立を唱導することを目的とする政党や団体の設立を禁止している。1996年の政党法も同様の規定である。2007年のマスメディア法は、戦争、暴力、テロ、宗教的過激主義、原理主義の主張の宣伝に利用したり、国民的、人種的、民族的又は宗教的敵意を煽動する情報を広めることを禁止している。                                                                                                      刑法第156条は、「民族的、人種的又は宗教的憎悪の煽動」と題して、故意に民族っコミュニティの名誉と尊厳を侵害し、国民的出身、人種、民族的背景又は宗教に基づいて、人々の集団に対して敵意、不寛容、不調和を煽動する見解を持って人の感情を侮辱すること、又は国民的出身、人種、民族的背景又は宗教に基づいて、権利を直接または間接に制限したり、直接または間接の特権を拡張することを、5年以下の自由剥奪刑としている。                                                                                                               刑法第141条は、性別、人種、民族集団、言語、宗教、社会的背景、信仰、人身の状態又は社会的状態に基づいて、市民に、権利を制限したり、特権を与えることを、最低賃金の50倍の罰金に処するとする。暴力を伴う事案では、2~3年の矯正労働、6月以下の拘禁又は3年以下の自由剥奪とする。(暴力犯罪に差別動機が伴う場合の規定様式と、差別犯罪に暴力が伴う場合の規定様式の差異が気になる。他の諸国について要調査)。                                                                                                                         刑法第97条2項(k)は、民族的又は人種的敵意に動機づけられた故意殺人に、15年以上25年以下、または終身の自由剥奪刑としている。同様に、刑法第104条2項(h)は重大身体傷害、刑法第105条2項(h)は身体障害について刑罰加重としている。                                                                                                                                            以上の条文に用いられている「民族的及び人種的敵意」という動機は刑罰加重事由とされている。                                                                                                                                           2010年、裁判所における刑法第156条による有罪言渡人員は、全事件の0.12%、2011年は0.1%、2012年前半期は0.08%であった。                                                                                                                              人権コミッショナー(オンブズマン)は市民権侵害の申立てを受け付けるが、2010年には、身柄拘束や刑事訴追に関して、宗教的理由その他の異議申し立てが288件あった。                                                                                                                       刑法第56条に従って法執行機関が行った捜査は、2011年及び2012年前半期に10件20名の宗教的過激主義に事件であった。同じ時期に刑法第141条についての捜査事案はなかった。

Monday, February 10, 2014

ヘイト・クライム禁止法(53)ポーランド

2月10日、人種差別撤廃委員会CERDは、ポーランド政府が提出した報告書の審査を行った。ポーランド政府代表は10名ほど。傍聴のNGOは30名近かった。ナチスによる被害を受け、今もヘイト・クライム対策や、ホロコースト教育に力を入れているポーランドだけあって、ヘイト・クライムの箇所ではコマンド責任にも言及していた。捜査官への教育では、捜査官もヘイトに陥ることがありうることを教えると言ったことも述べていた。                                                                                                     ********************************                                                                                      前回のポーランド政府報告書(CERD/C/POL/19. 19 May 2008)については、前田朗「ヘイト・クライム法研究の進展」『Let’s』81号(2013年)で、紹介した。同じくポーランド政府が拷問禁止委員会CATに提出した報告書(CAT/C/POL/5-6. 15 November 2012)におけるヘイト・クライム関連の記述もそこで紹介した。(なお、いつものことだが、以下の地名その他の固有名詞の表記は正確ではない。)                                                                                                              ********************************                                                                                                                            今回のCERDへの報告書(CERD/C/POL/20-21. 6 August 2013)によると、ポーランド政府は平等処遇や人種差別の禁止のために憲法、刑法、労働法、国民的民族的マイノリティ法などで対処している。さらに、人権擁護者法もある。                                                                                                                            前回報告書によると、刑法第256条及び第257条は、国民、民族、人種及び宗教の差異、又はいかなる宗派に属さないことのために、公然と憎悪を煽動した者、その国民、民族、人種又は宗教関係ゆえに、又は、いかなる宗派にも属さないことゆえに、住民の中の集団又は諸個人を公然と侮辱した者、又はそれらの理由で、他人の人間の尊厳を侵害した者は、訴追されるべきとしている。他方、刑法第119条1項・2項は、集団又は個人に対して暴力を用いたり、違法な脅迫をすること、そうした犯罪の実行を公然と煽動することを禁止している。                                                                                                                                            今回報告書によると、刑法一部改正が行われた。刑法256条改正により、情報の受け手を、ファシストその他の全体国家の公然たるプロパガンダに煽動したり、国民的、民族的、宗教的差異や、宗教的信念のないことによる差異に動機を持つ憎悪に煽動する内容をもつ、印刷物を生産、記録、照合、購入、販売、所有、呈示、輸送又は移送し、その他の物を記録する行為を犯罪としている。実行者は、罰金、自由制限刑、又は2年以上の自由剥奪刑である。実行者が有罪となった場合、裁判所は当該物が実行者の所有物でなくても没収できる。この規定はインターネットを通じて行われる憎悪の煽動にも適用される。刑法119条の用語も改正された。119条1項は従前どおりである。119条2項(公然煽動)は、刑法126a条に移された。さらに、刑法118a条が追加され、政治的、人種的、国民的、民族的、文化的及び宗教的理由、又は世界観の差異、ジェンダー、宗教的信念のないことゆえに、人の集団の生命をねらい、又は迫害することを犯罪として規定した。刑法126a条は、118条に定義された行為(ジェノサイド、集団の生物学的破壊)の実行を公然と煽動すること、である。                                                                                                                                   ヘイト・クライムについて、2010年には、検事局は全国で163件の刑事手続きを行った。うち30件(38人)について曽於追試、72件は却下、54件は予備審問で却下、6件は処分保留。却下事案の大半は、実行者の特定ができなかったり(38件)、法定要件を満たさなかったものである(23件)。社会的有害性がないという理由で却下となった事案はない。公然侮辱事案の多くは、インターネット上、壁やファサードへの落書きである。                                                                                                             2011年前半期には、109件取扱い、そのうち11件(16人)につき訴追、53件が却下、1件が条件付き却下、36件が予備審問で却下である。実行者の特定ができなかったのが29件、法定要件を満たさなかったものが12件、証拠不十分が10件。                                                                                                                                                      以上の事案では、インターネット上の事例が最も多く、次いで壁の落書き、サッカーの試合中、そして書籍や音楽の順である。                                                                                                                              ファシスト・プロパガンダについて、2010年、37件のうち、訴追が6件、却下が19件、予備審問で却下が12件。                                                                                                                         2011年前半期では、22件のうち、訴追が2件、却下が14件、予備審問で却下が6件。ワルシャワ検事局が訴追した事案には、第三帝国の国歌とヒトラーの演説と写真をソーシャル・ネットワークにアップした事例が含まれている。                                                                                                                                                  被害者について見ると、2010年と2011年前半期で、反ユダヤ主義(それぞれ42、27)、人種的理由(16、14)、ロマに対する憎悪(14、8)である。                                                                                                                                     具体的な判決例も紹介されている。2009年3月19日、ヤスロ地裁は、ロマ出身者を侮辱し、威嚇した20歳の女性に、10か月の自由制限刑と30時間の社会奉仕命令を言い渡した。2009年6月23日、シュザノウ地裁は、古いユダヤ人墓地で墓石をひっくり返した3人の14歳に、墓地所属の博物館での講習に参加することと、墓地で6時間の社会奉仕命令を言い渡した。2010年7月14日、ヤスロ地裁は、ロマ出身者を侮辱、その人格の不可侵性を侵害した35歳の男性に、1年6か月の刑事施設収容(3年の執行猶予付き)を言い渡した。2010年12月14日、ラクロウ地裁は、3人の男性に有罪を言い渡した。3人は、全体主義を促進し、国民的差異に基づいて憎悪を煽動し、特定集団を国籍や人種に基づいて侮辱し、暴力を煽動するなど、公共のお秩序に対する犯罪を行うために組織を設立したメンバーである。3人は、それぞれ1年6月、1年1月、1年3月の刑事施設収容となった(実刑)。

Sunday, February 09, 2014

消費者がデザインするとは

柏木博『デザインの教科書』(講談社現代新書、2011年)                                                                          「わたしたち消費者は、ただ受け身なだけではない。わたしたちはものを選択し、そして自らの生活の中で組み合わせ、つまり編集し、そしてときにはつくりかえていく。また、そうした日常生活の実践をより豊かなものに、またより心地良いものにするために、デザインとはどういうものかを見ておくことが、少なからず手がかりを与えてくれるはずだ。」                                                                 本書はデザイナーを目指す人のための「教科書」ではなく、一般消費者が暮らす中で選択し、消費する製品、ものをデザインの観点で理解し、暮らしに生かす観点での「教科書」である。もちろん、近代のデザインとは何であるのか、とりわけ20世紀をつくったデザインとはどのようなものであったかの基礎知識も提示している。そして、現代の問題として、貧困解決とデザイン、生き延びるためのデザイン、ユーモアを持った器用人のデザインという観点を提示する。著者の初期の著作を貫いていた思想が発展させられて、一般向けに簡潔に解説されている。                                                                               初期の著作とは、『日用品のデザイン思想』『道具の政治学』などのことだ。著者にはもう一つ、『欲望の図像学』『肖像のなかの権力』に発する思索があるが、いずれも人とものとの相互関係・相互作用を、手に取る、暮らす、といったレベルで読み解くとともに、日常生活やさりげないデザインに表象される権力作用も解明してきた。                                                                                   著者は現在、武蔵野美術大学教授だが、かつて6年ほど同僚だったことがある。博学で話術もすぐれているが、物事を見る視線がシャープで、加えてさっぱりした人柄もあって、学生にも人気だった。

ヘイト・クライム禁止法(52)エクアドル

エクアドル政府が人種差別撤廃委員会75会期に提出した報告書(CERD/C/ECU/19. 23 October 2006)によると、憲法は法の下の平等を規定するとともに、先住民族の集団の権利を保障している。                                                                                               下記の人種義行為は犯罪である。あらゆる手段による人種主義の普及又は煽動、人種差別暴力行為又は財政支援は、6月以上3年以下の刑事施設収容。人種差別暴力が身体傷害を惹起した場合2年以上5年以下の刑事施設収容。人種差別暴力が死の結果を惹起した場合16年以上25年以下の特別長期刑事施設収容。実行犯が公務員の場合は刑罰加重。                                                                                    エクアドル政府は、この規定が、条約4条の履行を目的としているとしつつ、差別と偏見に対処するのには不十分であると認めている。そのため被差別と寛容の教育に力を入れるとしている。                                                                                                    人種差別撤廃委員会が、エクアドル政府に対して出した勧告(CERD/C/ECU/CO/19. 22 Septembar 2008)によると、委員会は政府が憲法で先住民族の権利を保障しようとしていることに留意しつつ、先住民族の集団の権利保障のための特別立法を行うように勧告した。委員会は、ロマに対する差別に関する一般的勧告27に注意を喚起し、国家公務員による差別からロマを保護する戦略と計画を策定するよう勧告した。

Saturday, February 08, 2014

ヘイト・クライム禁止法(51)オーストリア

オーストリア政府が人種差別撤廃委員会CERD75会期に提出した報告書(CERD/C/AUT/17. 8 May 2007)によると、人種差別の煽動や人種主義行為の根絶のための措置に関して何よりも重要なのは法規範である。刑法283条は、人種差別煽動を犯罪としている。ナチス禁止法もある。刑法33条により、人種主義行為は刑罰加重となっている。行政手続き行為法によって、人種的理由による差別は行政犯となっている。結社法と集会法により、不法な結社や集会は解散させることができる。(今回が17回目の報告書のためか、条文は引用されていない)。                                                                        1999~2004年の間に、刑法283条の事件は、次の通り(数は人員、裁判所判決は当該年度に終結した数)。                                                                                  1999――警察への届け出41、訴追2、有罪判決3、無罪判決1                                                                                                    2000――警察への届け出40、訴追7、有罪判決1、無罪判決0                                                                                                 2001――警察への届け出38、訴追16、有罪判決11、無罪判決6                                                                                         2002――警察への届け出97、訴追13、有罪判決9、無罪判決1                                                                                                     2003――警察への届け出34、訴追27、有罪判決13、無罪判決6                                                                                                                  2004――警察への届け出29、訴追17、有罪判決14、無罪判決4                                                                                     1999~2004年の間に、ナチス禁止法の事件。                                                                                                             1999――警察への届け出413、訴追45、有罪判決25、無罪判決2                                                                                               2000――警察への届け出604、訴追14、有罪判決32、無罪判決4                                                                                                          2001――警察への届け出554、訴追40、有罪判決24、無罪判決3                                                                                                                    2002――警察への届け出618、訴追25、有罪判決20、無罪判決2                                                                                                2003――警察への届け出765、訴追37、有罪判決31、無罪判決3                                                                                                            2004――警察への届け出724、訴追25、有罪判決27、無罪判決7                                                                                               人種差別を促進・煽動する団体の禁止は、2002年の結社法12条1項に規定され、刑法283条やナチス禁止法に規定する行為を行えば、解散させることが出来る。結社ではなくても、組織的プロパガンダ活動が一定の条件を満たせば集会とみなし、1953年の集会法6条に従って禁止される。                                                                                                  CERDがオーストリア政府報告書審査の結果、出した勧告(CERD/C/AUT/CO/17. 22 September 2008)によると、委員会は政府が刑法283条の検証を行っていることを歓迎するが、規定が、公共の秩序を危険にする行為に向けられ、民族集団の構成員である個人に対して向けられた行為に限定されていることに関心を表明した。委員会は、刑法283条が、被害に曝されやすい集団、民族的マイノリティ、移住者、難民認定申請者、外国人に属する人々への人種差別行為をカバーし、公共の秩序に制限されないようにして、条約4条に合致するように推奨した。委員会は、表現の自由は特別の責任を伴うものであり、人種主義的観念を散布しない義務を含むことを呼びかけた。委員会は、オーストリア政府に、特に政治家が、人種、皮膚の色、世系及び国民的又は民族的出身に基づいて、人々を標的にし、烙印を押し、ステレオタイプに見ることに反対する措置を講じるように勧告した。

Friday, February 07, 2014

大江健三郎を読み直す(5)「意思の力による楽観主義」

大江健三郎『「伝える言葉」プラス』(朝日文庫、2010年[朝日新聞社、2006年])                                                             2004~06年に朝日新聞に連載されたエッセイと、3つの講演録を収めた本である。作家の小野正嗣が文庫解説を「小さな本である。しかしはじめて大江健三郎という小説家・知識人の書いたものを読む人にとって・・・大きな――大きく、切実で、その意味で大切な――本である」と始めている。                                                                       「伝える言葉」の24のエッセイは、大江健三郎の他のエッセイと同様に、考え抜かれたメッセージにあふれている。ちょうど第一次安倍政権による教育基本法改悪の前後だったので、教育基本法の理念と輝きをめぐる文章が目立つ。                                                                    また、「明らかに表現すること」、「読みなおし続ける」、「再び書き直す」、「晩年の読書のために」などで、読むこと、読みなおすこと、書き直すことの意義が繰り返し説かれている。大江が子ども時代に身に着けた習慣としての、文章を書きうつすことに始まる、読書と思索を繋ぐ手の役割もわかりやすい。                                                                                           書き直し、読み直す作家である大江の作品を読み直すこと――その課題を掲げた者にとっても、本書は小さいが大きい本である。                                                                          そして何よりも、最後に収録された「ひとりの子供が流す一滴の涙の代償として」におけるエドワード・サイード評である。シモーヌ・ヴェイユの言葉にい引用された『カラマゾフの兄弟』のイヴァンの言葉を引いて、全面的な支持を表明するとき、大江は、現代文学の最前線をけん引してきた作家としてではなく、ノーベル文学賞受賞作家としてでもなく、あるいはよく推測されるように、障害を持った息子・光と生きることを固く決め、半世紀その通り実践してきた父親としてでもなく、否、同時にそのすべてでありつつ、一人の人間として、ふたつのねがいを記して訴える。東アジアで非核地帯をつくることと、沖縄を米軍基地押しつけから解放する、そのねがいだ。それは『ヒロシマ・ノート』・『沖縄ノート』以来の大江の生涯をかけた闘いでもある。自分が生きている間に解決することはないだろうという悲観主義に襲われながらも、大江はサイードの「意思の力による楽観主義」を引き合いに出して、サイードに倣おうとする。パレスチナの現実を前に、ひるみ、たじろぎ、悲観しながらも、常に前向きに闘い続けたサイードの楽観主義によって「未来への未練」を断ち切る試みである。                                                                                                       サイードと大江の「晩年のスタイル」「晩年様式」に学ぶことは容易いようで、至難の業でもある。だがそこから始めなければ、次は、ない、だろう。

ヘイト・スピーチ法100か国調査めざして

2月6日にブログにアップした「ヘイト・クライム禁止法(50)ベルギー」で、ヘイト・クライム法、ヘイト・スピーチ法の紹介が50回に達した。ブログにアップしていない国の法状況も論文で紹介してきたので、その合計が75か国になった。2010年に『ヘイト・クライム』(三一書房労働組合)を出版して以後の私のヘイト・クライム研究の柱の一つが諸外国の法状況の紹介である。「100か国調査して紹介する。それが終わるまでは、比較法について分類整理したり分析したりせず、ひたすら調査紹介を続ける」と公言してきた。100か国はかなり遠い先の話と思っていたが、75か国になったので、ようやく先が見えてきた。                                                                                                             100か国調査の話は、これまでの比較法研究に対する批判から出ている。第1に、日本における比較法研究は、その多くが「一国主義研究」である。アメリカ、フランス、ドイツなどのうちどこか一か国の法状況を調査して、翻訳・紹介し、さらに分析も加えて、そこからただちに教訓等を引き出すという方法である。これをなぜか「比較法」と呼んでいる。第2に、「欧米中心主義」であり、しかもとくに「アメリカ中心主義」である。ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチの研究は圧倒的にアメリカ法研究だ。一部、刑法学者はドイツ法を研究しているが、憲法学者はアメリカだけを紹介する。欧米中心主義には、日本が「西側の一員」であり、西欧的な法体系を一応学んできたという理由があるが、それにしても極端である。特にヘイト・スピーチでは、アメリカ法に学んで憲法の表現の自由のレベルでだけ研究し、他の問題をすべてネグレクトする。そして、アメリカの状況だけを根拠に、世界はこうなっている、と見事に断定する。そういうレベルの研究が多すぎる。                                                                        こうした研究史に対する皮肉の意味を込めて、100か国調査を始めた。もちろん、一か国の状況を調査するだけでも大変なのに、一人で100か国の調査などできるはずがない。できるはずのないことを始めたのは、ヘイト・スピーチ法については、人種差別撤廃条約4条に規定があるので、人種差別撤廃条約を批准した各国が人種差別撤廃委員会に報告書を出していて、そこに関連情報の記述があるからだ。人種差別撤廃委員会の資料を見れば、とりあえずの調査は可能だ。歴史研究は無理だし、判例研究や学説研究もすぐにはできないが、おおよその状況を紹介することは可能だ。とすれば、次のAとBの2本の研究によって、ヘイト・スピーチ法の国際的動向を立体的に明らかにできる。                                                                                      A 従来通りのアメリカ、ドイツなどの一国に関するヘイト・スピーチ法の総合的研究(歴史、立法、判例、学説研究)                                                                                                         B 人種差別撤廃条約4条関連資料に基づく100か国調査                                                                                        このAとBをそろえることが重要だ。Aについては憲法学者や刑法学者の研究に委ねることにして、私はBを徹底的にやることにした。それが3年経って75か国だ。ずいぶん時間がかかったが、意外に早かったような気もする。もともと人種差別撤廃委員会には春と夏に参加してきたし、政府報告書は人権高等弁務官事務所のウェブサイトでアクセスできるから、そう難しいことではない。今の調子なら今夏までに100か国に到達できそうだ。                                                                                                           ということで、次のステップの研究も考えておかなくてはならない。100か国の調査で得られた情報をどのように分類整理し、分析するのか。その概要は頭の中にあるが、そのための論文執筆に時間は限られている。龍谷大学を拠点に開催してきたヘイト・クライム研究会で報告して、議論の素材にしてもらう予定だ。                                                                                                               なお、100か国にとどまらず、人種差別撤廃条約批准国170ほどの全てを調査せよとの提案も受けている。もちろん、継続調査課題だ。

Thursday, February 06, 2014

ヘイト・クライム禁止法(50)ベルギー

2月6日午後、パレ・ウィルソンで開催された人種差別撤廃委員会CERDはベルギー政府報告書の審査を行った。ベルギー政府代表は16人いて、男5、女11で、しかも正面壇上に上がった3人は女ばかり。報告を担当したのは女性大使。傍聴したNGOは20名ほど。報告書は委員に高く評価されていたが、大使の報告は統計データの羅列にかなりの時間を要して稚拙だったため、かなりの委員がイヤーホーンを外して、他のことをやっていた。2007年の反人種差別法のことが報告書に出ていたが、条文は出ていない。報告でも、人種以外の各種差別に対応しているということに触れた程度。2013年には差別動機犯罪の刑罰加重を定めた新法が出来たようだが、詳細は不明。                                                                   ベルギー報告担当のヴァスケス委員(米)が多くの質問をしたが、サイバー・ヘイトへの対策、ベルギーが条約4条を留保していること、CERD一般的勧告35を活用すべきことを強調した。ダー委員(ブルキナファソ)、ディアコヌ委員(ルーマニア)も、人種差別対策では先進的なベルギーがなぜ4条を留保しているのか理解できない、実際にヘイト団体構成員処罰もしているのになぜ留保か、と繰り返していた。リングレン委員(ブラジル)も、ユダヤ人差別事件が増えているので、4条留保は撤回できないかと指摘していた。                                                                   ベルギー政府がCERD84会期に提出した報告書(CERD/C/BEL/16-19. 27 May 2013)によると、新しい反差別法ができたので、裁判所の判決で人種主義的動機に言及する例が出るようになったという。2007年10月12日、アントワープ刑事裁判所は、2006年に、できるだけ多くの外国人を殺す意思で、2歳の少女を射殺、トルコ人女性を殺人未遂の19歳の男性に終身刑を言い渡したが、刑罰加重事由として人種主義に言及した。2008年3月14日、ハイノー刑事裁判所は、黒人売春婦に火炎瓶を投げて殺人未遂となった3人の若者を、15~20年の刑事施設収容とした。                                                                       ヘイト団体と闘い、構成員を処罰するのはベルギーでは優先事項である。2011年3月9日、ヴュルヌ刑事裁判所は、ネオ・ナチ集会で有名な「血と名誉Vlaanderen」の3人に3月の刑事施設収容、うち2人は執行猶予付きを言い渡した。2012年2月10日、アントワープ刑事裁判所は、非ムスリムに対する憎悪と暴力の煽動で訴追されたラディカル・イスラム運動の「シャリア4ベルギー」のスポークスマンにつき、2年の刑事施設収容及び550ユーロの罰金を言い渡した。この団体はヨーロッパにシャリア法を広めようとしているもので、ベルギーでは有名であるという。以上の判決での適用法令が、報告書には記載されていない。                                                                               2006年5月16日、Vlaams Belangに対する政府交付金の割当てを撤回する申立が国家委員会に提出された。この政党は、多くのウェブサイトで基本的権利に対する敵意の表現をしていることで批判を集めていた。Vlaams Belangの申し立てにより、憲法裁判所が表現の自由、集会結社の自由との適合性について判断することになった。2009年12月3日、憲法裁判所は、法令はそれらの自由に反するように解釈されてはならないとし、「敵意」という概念は、現在の法律ルールを侵害することを煽動する表現だけを意味すると理解されるべきだとした。例えば、暴力行為を行うことの煽動、欧州人権条約の思想に反対することの煽動。結局、ある意見が人々に民主主義の本質的原則の一つを侵害するよう煽動するものか否かをめぐる問題は、その内容と文脈に従って考慮されなければならない。Vlaams Belangは、交付金を失っていない。                                                                                  今回のベルギー政府報告書では、関連する法令の条文が全く分からない。過去の報告書などチェックする必要。 *                                                                                         <追記>                                                          2月7日、ベルギー政府が回答した中で、条約4条について、委員から「なぜ留保しているのか」と質問があったが、ベルギー政府は「留保」ではなく「解釈宣言」をしている。この解釈宣言は、ベルギー政府が条約の義務を履行する妨げにはなっていない、と回答した。解釈宣言の中味はわからなかった。

平和への権利をめぐる情勢

2月6日、よく晴れたジュネーヴ、国連平和への権利宣言を求めるキャンペーンをリードしてきたスペイン国際人権法協会のコーディネータだったダヴィド・フェルナンデスと面談。いまは国連人権理事会の平和への権利作業部会長であるコスタリカ政府の法律アシスタントとして活躍中。                                                                                  平和への権利宣言草案は当初は1月に公表され、2月下旬に作業部会で審議のはずが、宣言草案が公表されず、作業部会は6月末に変更になったので、その事情を聞いた。                                                                                                いろんな事情があるのだが、最大の問題は、アメリカや日本の反対工作が強まっていることだ。その最大の論拠は「平和への権利は国連憲章に合致しない」だ。平和とは何かの定義問題として、以前、アメリカは「平和は権利ではない」という主張をしていたが、最近は、国連憲章1条の「目的」における平和と人権、それに対して2条の「原則」を対比して議論するようになったようだ。平和は憲章1条では国連の「目的」の一つであって、「原則」ではない。まして、人権も「目的」の一つであって、平和と人権は別項に規定されているから、平和への権利という「原則」を掲げることは国連憲章に合致しない、ということになる。ひじょうに硬直した形式論だが、国連という国際機関の公式の議論では、形式論は強固な論拠となる。実質論は「解釈」で超えられるが、形式論を「解釈」で超えるのは難しい。こうして反対派が増えてきた。ダヴィドの読みでは、仮に宣言草案を国連総会に持ち込んでも、70か国以上が反対するのではないかという。アメリカや日本が反対しても圧倒的多数の賛成で採択する、という当初のもくろみが崩れた。                                                                                                                       このためダヴィドは、近年の国連人権理事会特別会期における紛争と人権をめぐる議論をすべて洗いざらいチェックして、紛争下における人権状況をもとに事実から発した議論の立て直しに力を入れている。リビア、パレスチナ、スーダン、シリアなどにおける紛争下の人権をめぐる議論を素材に、平和的生存権right to live in peaceや、right to live in context of peaceという議論をやり直さないといけないと言う。                                                                                                   日本における平和への権利をめぐる運動の状況を伝えておいた。また、最初に国連人権理事会における平和への権利論議に注目して日本に紹介した塩川頼男さんが亡くなったことも。

Wednesday, February 05, 2014

ホワイト企業を増やすために

高橋俊介『ホワイト企業』(PHP新書、2013年)                                                                  ブラック企業が流行語になったので、そのうち出るだろうと思っていたが、早くもホワイト企業というタイトルの便乗本が出た。レッド企業やグリーン企業は出ないのだろうか。著者は、企業での人事・組織論の経験が豊かな、慶應義塾大学教授で、内閣沖縄振興審議会委員として沖縄の企業における人材育成戦略を展開している。書名は便乗だが、内容はそれなりの質を持っている。戦後日本資本主義を支えた輸出型生産企業におけるピラミッド型組織におけるタテ型OJTは崩壊したとして、サービス業化した日本の課題は新しい現実に即応した人材育成戦略であるとし、人材育成力を高めることによって、ブラック企業に陥ることなく、ホワイト企業として成長できるという。働きやすさも働きがいもないブラック企業は論外だが、単に「人を大事にする企業」といったお題目も不適切であり、自律的な人材をどのように育てるかの戦略が必要だと言う。実例としてサイバーエージェント、スターバックスコーヒージャパン、リッツ・カールトン、星野リゾートなどがあげられている。著者が調査した例もあれば、著者自身の実践の例もある。ブラック企業を批判して、若者がブラック企業に捕まらないようにしていく必要があると同時に、ホワイト企業の条件を明らかにして、ホワイト企業を増やしていくことも重要である。

ヘイト・クライム禁止法(49)モンテネグロ

2月5日、雨のジュネーヴ、平和広場では「ヴェトナムに人権を」デモが約100人。                                                             人種差別撤廃委員会84会期は3日目、モンテネグロ政府報告書の審査だった。政府は10名、NGOの傍聴も10名前後。政府報告に続いて、いつもガムをかんでるケマル委員(パキスタン)が担当報告者で、未批准の人権条約の批准問題、家庭暴力、ロマ、IDP、人身売買、選挙におけるアファーマティヴ・アクションなどを取り上げた。その後、10人ほどの委員が発言。ディアコヌ委員が、ヘイト・スピーチ、差別のプロパガンダ、ジェノサイドの関連を指摘し、ヘイト・スピーチについて、刑事規制、民事規制、過激な差別団体の解散を効果的に行うよう求める発言をした。                                                                  モンテネグロ政府が人種差別撤廃委員会84会期に提出した報告書(CERD/C/MNE/2-3. 12 July 2013)によると、憲法第6条は人権の不可侵性、第7条は憎悪煽動の禁止、第8条はあらゆる理由に基づく差別の禁止を定めている。政府第1回報告書審査の結果としての人種差別撤廃委員会の勧告に従って、新たに「差別禁止法」を制定した。いつ制定したか書かれていないが、ケマル委員の質問の中で2011年と述べていた。新法は、差別の定義と差別煽動の定義を示している(同法3条)。                                                                                            「差別とは、性別、人種、皮膚の色、国民的関係、社会的又は民族的出身、マイノリティ国民性、又はマイノリティ国民コミュニティ、言語、信条、政治的又はその他の意見、性的志向、健康状態、障害、年齢、身体状態、ある集団の一員であること、ある集団の一員であると考えられたこと、その他の個人的特徴に基づいて、個人又は集団を他の人々に比べて、正当化できない法的又は事実上の、直接または間接の区別又は不平等な処遇、又は処遇をしないこと、個人を他の人々に比べて、排除、制限、優先することである。」                                                                                    「本条第一項で言及された理由で、ある個人や集団を差別する煽動は、差別であるとみなすべきである。」                                                                                      新法は、さらに、差別からの個人の保護、特別措置としてのアファーマティヴ・アクションなどを定めている。                                                                                      人種差別撤廃条約第4条については、刑法第15章「個人及び市民の自由と権利に対する刑事犯罪」で扱われている。刑法第158条は、マイノリティの言語使用のような事例で、当局による個人の権利行使の否定や制限を犯罪としている。刑法159条は平等侵害を犯罪とし、刑法163条は移動や居住の自由の侵害を犯罪としている。                                                                                         国民的又は民族的出自又は文化の表現の権利の侵害は刑法160条で処罰される。1年以下の刑事施設収容又は罰金である。公務員が行った場合は3年以下である。名誉に対する犯罪は刑法第17章であり、モンテネグロに居住する国民、国民集団、民族集団に対する公然たる侮辱は刑法第199条で規制される。                                                                                   刑法第370条は、国民、人種又は宗教的憎悪を惹起する犯罪、すなわち、人種、皮膚の色、宗教、出身、国民的又は民族的出自に基づいて、ある集団又は集団構成員に対する暴力又は憎悪を公然と勧誘した者は、6月以上5年以下の刑事施設収容とされる。同様の理由に基づいて、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪が行われた場合も同じ犯罪であり、モンテネグロ法廷又は国際法廷の管轄となる。民間人や集団に対するジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、ジェノサイド実行の教唆、文化的歴史的記念碑の破壊、宗教施設の破壊、科学・美術・教育目的の施設の破壊等は、刑法第35章に規定される犯罪である。                                                                                                      他方、公共平穏秩序法第17条によると、発話、文章、記号その他によって、公共の場において、市民の人種、民族、宗教の感情や公共道徳を侵害した者は、最低賃金の3倍以上20倍以下の罰金、又は60日以下の刑事施設収容とする。 モンテネグロ政府報告書(CERD/C/MNE/2-3. 12 July 2013)によると、2009年1月から2011年5月の間のヘイト・スピーチ処罰実例として、刑法第370条の憎悪惹起犯罪について、ポドゴリツァ高裁に3件の事件が係属し、いくつかの判決が出ている。第1の事件では被告人は7月の刑事施設収容、第2の事件では4月の刑事施設収容とされ、第3の事件は手続き中であるという。ただ、事件の内容が記載されていない。                                                                                               そのほかにもいくつかの裁判例があるが、報告書によると、多くが免責に終わっている。人種差別撤廃委員会で、この点につき委員から質問が出ていた。

Tuesday, February 04, 2014

ヘイト・クライム禁止法(48)ホンデュラス

ホンデュラス政府が人種差別撤廃委員会84会期に提出した報告書(CERD/C/HND/1-5. 13 May 2013)によると、憲法60条は、性別、人種、階級その他の人間の尊厳に偏見を持たせる理由に基づく差別は処罰されるとしている。                                                            刑法321条はこのルールを一般的な差別犯罪としている。「性別、人種、年齢、階級、宗教、政党又は政治的関係、傷害、又はその他の人間の尊厳に偏見を持たせる理由に基づく差別に他人を服させた者は、3年以上5年以下の刑事施設収容又は3万以上5万レンピラス以下の罰金に処する」。ホンデュラス政府はこれが条約第1条に規定された差別の定義を満たしていないことを認めている。例えば、「あらゆる区別、排除、制限又は優先」といった表現がない。条約第1条は「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身」としているが、刑法321条はこれとは異なる。                                                                    司法・人権省は、刑法321条改正を検討し、国会に上程している。草案は「性別、ジェンダー、年齢、性的志向、ジェンダー・アイデンティティ、政治的意見、身分、先住民族の一員であること、アフロ・ホンデュラスの一員であること、言語、国籍、宗教、家族的背景、財政状態、社会的地位、異なる能力、傷害、健康状態、身体の外観、又はその他の人間の尊厳に偏見を持たせる理由に基づいて、恣意的又は違法に、個人又は集団の権利の行使を妨げ、制限し、減少させ、妨害し、または無効にした者は、3年以上5年以下の刑事施設収容又は3万以上5万レンピラス以下の罰金に処する。実行行為が暴力を持って行われた場合は、刑罰は3分の1加重される。」                                                                刑法319条は、ジェノサイドの処罰を定めている。司法・人権省は、殺人罪の規定について、「憎悪又は侮辱」を刑罰加重事由とする改正案を作成している。                                                                    ホンデュラスは2002年に国際刑事裁判所規程を批准したので、ジェノサイドや人道に対する罪について、国内法の下でも処罰されると理解している。                                                                       以上はヘイト・クライムに関する情報で、ヘイト・スピーチについては特に記述されていない。刑法321条は暴力を伴わない場合の規定なので、解釈によってはヘイト・スピーチ処罰が含まれると考えられるが、詳細は不明。また、刑法総則規定をみてみないと不明だが、通常の教唆、煽動、幇助の規定があるのであろう。又、ジェノサイドの教唆などもICC規程に明記されている。その種のヘイト・スピーチ規定があると言える。

人種差別撤廃委員会84会期始まる

2月3日、ジュネーヴの国連人権高等弁務官事務所会議室で、人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会84会期が始まった。私は4日から参加。                                                                                   3日は、議長団選出、議題の確認、スケジュール確認などが行われた。議長にはカリ・ザイ委員(グアテマラ)が選出された。先住民族として初の議長である。副議長はクリックリー(アイルランド)、アフトノモフ(ロシア)、アミル(アルジェリア)。委員は18人。2年ごとに半数が改選される。長年、委員だったソンベリー委員は、昨年8月の会期で一般的勧告35「人種主義的ヘイト・スピーチと闘う」を仕上げて、勇退した。新顔はホヒュート(トーゴ)、カラフ(パキスタン)など。女性はクリックリー、ダー(ブルキナファソ)、ホヒュート、ジャヌアリ=バーディル(南アフリカ)の4人でジェンダーバランスは良くない。                                                                                               4日はホンデュラス政府の初めての報告書審査だった。政府から大使他3名、傍聴したNGOは10名前後。担当委員はムリヨ・マルティネスで、主に貧困、就職差別、先住民族のリーダーであるアントニオ・ガルシア暗殺などを取り上げた。ディアコヌ委員が条約4条(b)のヘイト団体規制を取り上げ、先住民に対するヘイトの情報があると指摘していた。リングレン委員は、刑法321条のヘイト・クライム規定の改正案が出ているが、これも不十分と指摘。アフトノモフ、ボスユイ、ヴァスケス、ケマル、クリックリー、アミルなど、例によって続々と発言して、6時に終了。政府解答は明日に持ち越した。

Saturday, February 01, 2014

ヘイト・スピーチと闘う市民

2月1日、昨年末に岩波新書で出版された、師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』出版記念会に参加した。著者は弁護士で、例えば枝川朝鮮学校裁判の代理人として活躍し、日本で噴出しているヘイト・クライム、ヘイト・スピーチ問題に取り組むために、国際人権法を学ぶためにイギリスに留学し、人種差別撤廃委員会でのロビー活動も行い、帰国後、ヘイト・スピーチについて積極的に発言してきた。                                                                     出版記念会第1部では、著者に加えて、田中宏(一橋大学名誉教授)、金哲明(弁護士)、私がそれぞれ発言した。ヘイト・スピーチをどうとらえるのか。ヘイト・スピーチの本質と定義。ヘイト・スピーチを生み出し社会的差別の状況。ヘイト・スピーチ規制の基本的考え方。法律以外の規制も含めた包括的な人種差別禁止法などについて討論した。                                                                           第2部では、新大久保でのカウンター行動に取り組んできた人や、在日朝鮮人からさまざまな発言がなされた。                                                                                「表現の自由だから処罰できない」などと、差別表現を懸命に擁護する憲法学者やジャーナリストが日本には少なくない。しかし、思考が転倒している。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを処罰しなければならないというのが、国際社会の常識だ。ナチス・ドイツのユダヤ人迫害が表現の自由だなどということはありえない。旧ユーゴスラヴィアの民族浄化におけるマイノリティへの迫害が表現の自由だなどということは絶対にない。広範または組織的に行われる迫害は人道に対する罪である。マイノリティの人格権と表現の自由を守る必要がある。マジョリティの表現の自由を口実にした差別の煽動や迫害は犯罪である。ヘイト・スピーチ処罰は民主主義国家の常識であり、EU諸国はすべて処罰する。日本の憲法学は差別擁護と決別するべきだ。