Saturday, February 01, 2014
ヘイト・スピーチと闘う市民
2月1日、昨年末に岩波新書で出版された、師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』出版記念会に参加した。著者は弁護士で、例えば枝川朝鮮学校裁判の代理人として活躍し、日本で噴出しているヘイト・クライム、ヘイト・スピーチ問題に取り組むために、国際人権法を学ぶためにイギリスに留学し、人種差別撤廃委員会でのロビー活動も行い、帰国後、ヘイト・スピーチについて積極的に発言してきた。
出版記念会第1部では、著者に加えて、田中宏(一橋大学名誉教授)、金哲明(弁護士)、私がそれぞれ発言した。ヘイト・スピーチをどうとらえるのか。ヘイト・スピーチの本質と定義。ヘイト・スピーチを生み出し社会的差別の状況。ヘイト・スピーチ規制の基本的考え方。法律以外の規制も含めた包括的な人種差別禁止法などについて討論した。
第2部では、新大久保でのカウンター行動に取り組んできた人や、在日朝鮮人からさまざまな発言がなされた。
「表現の自由だから処罰できない」などと、差別表現を懸命に擁護する憲法学者やジャーナリストが日本には少なくない。しかし、思考が転倒している。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを処罰しなければならないというのが、国際社会の常識だ。ナチス・ドイツのユダヤ人迫害が表現の自由だなどということはありえない。旧ユーゴスラヴィアの民族浄化におけるマイノリティへの迫害が表現の自由だなどということは絶対にない。広範または組織的に行われる迫害は人道に対する罪である。マイノリティの人格権と表現の自由を守る必要がある。マジョリティの表現の自由を口実にした差別の煽動や迫害は犯罪である。ヘイト・スピーチ処罰は民主主義国家の常識であり、EU諸国はすべて処罰する。日本の憲法学は差別擁護と決別するべきだ。