Friday, February 07, 2014
大江健三郎を読み直す(5)「意思の力による楽観主義」
大江健三郎『「伝える言葉」プラス』(朝日文庫、2010年[朝日新聞社、2006年])
2004~06年に朝日新聞に連載されたエッセイと、3つの講演録を収めた本である。作家の小野正嗣が文庫解説を「小さな本である。しかしはじめて大江健三郎という小説家・知識人の書いたものを読む人にとって・・・大きな――大きく、切実で、その意味で大切な――本である」と始めている。
「伝える言葉」の24のエッセイは、大江健三郎の他のエッセイと同様に、考え抜かれたメッセージにあふれている。ちょうど第一次安倍政権による教育基本法改悪の前後だったので、教育基本法の理念と輝きをめぐる文章が目立つ。
また、「明らかに表現すること」、「読みなおし続ける」、「再び書き直す」、「晩年の読書のために」などで、読むこと、読みなおすこと、書き直すことの意義が繰り返し説かれている。大江が子ども時代に身に着けた習慣としての、文章を書きうつすことに始まる、読書と思索を繋ぐ手の役割もわかりやすい。
書き直し、読み直す作家である大江の作品を読み直すこと――その課題を掲げた者にとっても、本書は小さいが大きい本である。
そして何よりも、最後に収録された「ひとりの子供が流す一滴の涙の代償として」におけるエドワード・サイード評である。シモーヌ・ヴェイユの言葉にい引用された『カラマゾフの兄弟』のイヴァンの言葉を引いて、全面的な支持を表明するとき、大江は、現代文学の最前線をけん引してきた作家としてではなく、ノーベル文学賞受賞作家としてでもなく、あるいはよく推測されるように、障害を持った息子・光と生きることを固く決め、半世紀その通り実践してきた父親としてでもなく、否、同時にそのすべてでありつつ、一人の人間として、ふたつのねがいを記して訴える。東アジアで非核地帯をつくることと、沖縄を米軍基地押しつけから解放する、そのねがいだ。それは『ヒロシマ・ノート』・『沖縄ノート』以来の大江の生涯をかけた闘いでもある。自分が生きている間に解決することはないだろうという悲観主義に襲われながらも、大江はサイードの「意思の力による楽観主義」を引き合いに出して、サイードに倣おうとする。パレスチナの現実を前に、ひるみ、たじろぎ、悲観しながらも、常に前向きに闘い続けたサイードの楽観主義によって「未来への未練」を断ち切る試みである。
サイードと大江の「晩年のスタイル」「晩年様式」に学ぶことは容易いようで、至難の業でもある。だがそこから始めなければ、次は、ない、だろう。