Thursday, February 06, 2014
平和への権利をめぐる情勢
2月6日、よく晴れたジュネーヴ、国連平和への権利宣言を求めるキャンペーンをリードしてきたスペイン国際人権法協会のコーディネータだったダヴィド・フェルナンデスと面談。いまは国連人権理事会の平和への権利作業部会長であるコスタリカ政府の法律アシスタントとして活躍中。
平和への権利宣言草案は当初は1月に公表され、2月下旬に作業部会で審議のはずが、宣言草案が公表されず、作業部会は6月末に変更になったので、その事情を聞いた。
いろんな事情があるのだが、最大の問題は、アメリカや日本の反対工作が強まっていることだ。その最大の論拠は「平和への権利は国連憲章に合致しない」だ。平和とは何かの定義問題として、以前、アメリカは「平和は権利ではない」という主張をしていたが、最近は、国連憲章1条の「目的」における平和と人権、それに対して2条の「原則」を対比して議論するようになったようだ。平和は憲章1条では国連の「目的」の一つであって、「原則」ではない。まして、人権も「目的」の一つであって、平和と人権は別項に規定されているから、平和への権利という「原則」を掲げることは国連憲章に合致しない、ということになる。ひじょうに硬直した形式論だが、国連という国際機関の公式の議論では、形式論は強固な論拠となる。実質論は「解釈」で超えられるが、形式論を「解釈」で超えるのは難しい。こうして反対派が増えてきた。ダヴィドの読みでは、仮に宣言草案を国連総会に持ち込んでも、70か国以上が反対するのではないかという。アメリカや日本が反対しても圧倒的多数の賛成で採択する、という当初のもくろみが崩れた。
このためダヴィドは、近年の国連人権理事会特別会期における紛争と人権をめぐる議論をすべて洗いざらいチェックして、紛争下における人権状況をもとに事実から発した議論の立て直しに力を入れている。リビア、パレスチナ、スーダン、シリアなどにおける紛争下の人権をめぐる議論を素材に、平和的生存権right to live in peaceや、right to live in context of peaceという議論をやり直さないといけないと言う。
日本における平和への権利をめぐる運動の状況を伝えておいた。また、最初に国連人権理事会における平和への権利論議に注目して日本に紹介した塩川頼男さんが亡くなったことも。