Saturday, February 15, 2014

レイシストになる自由?(2)

エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』(明石書店、2014年)                                                                        本書冒頭の言葉は次の通りである。                                                                              「自由民主主義諸国は、自国の市民のためにできるだけ多くの自由を確保しようと苦闘してきた。同時にこれらの国々は、自らの歴史を絶えず蝕んできたレイシズムと闘うことにも全力を尽くしてきた。この両方の目標を達成することは常に可能だったわけではない。なぜなら時に人々は、まさに自由民主主義が掲げている自由を根拠として、レイシズムを支持してきたからである。最も大切に育まれた二つの価値が衝突してしまうとき、社会には何ができるのだろうか。」                                                                                                  こうして著者は、アメリカおよび西欧の自由民主主義諸国における経験を通じて、「個人と社会が自由とレイシズムの間のトレードオフをいかにして調停するかという問題」に挑戦する。                                                                                                                           ブライシュのいう自由民主主義とは何なのか、自由民主主義諸国とはどこなのか、と問うことはあまり意味がない。アメリカと西欧諸国が取り上げられ、アメリカこそ自由民主主義の代表とされているので、「戦争の自由、拷問の自由、盗聴の自由、餓死の自由か」と言いたくなるが、ブライシュは、焦点をレイシズムとヘイト・スピーチに当てて、アメリカの読者に向けた文章を書いているのであって、アメリカの状況を改善しようとしているので、余計なことで読者を逆なでしたりはしない。                                                                                                                ついでに、「ブライシュの自由民主主義諸国に日本は入るのか」。これは面白い問いになる。おそらく、こう質問されれば、入るという答えになるだろうが、本書の記述全体を通してみると、日本は入らないという結論になる可能性がある。この点は、訳者に聞いてみたいところだ。                                                                                                          ブライシュは「人々は、まさに自由民主主義が掲げている自由を根拠として、レイシズムを支持してきたからである」と断定する。これは少々驚きである。というのも、ヘイト・スピーチ処罰反対派は、自分がレイシズムを支持しているとは認めないからである。                                                                                                   日本の憲法学者の議論を見ればよくわかるが、「レイシズムには反対だが、表現の自由が大切だから、刑事規制には反対だ。他の手段を採用するべきである」という形の議論をして、自分はレイシズムを批判しているのだというポーズをとる。憲法学者は、そもそも「ヘイト・スピーチの規制か、表現の自由か」という奇妙な二者択一を掲げる。その上で「表現の自由が大切だから刑事規制に反対」と述べているのだから、二者択一の前提から言えば、明らかに「レイシズムを支持している」。しかし、そうは認めない。憲法学者たる者、レイシズムを容認するなどと口にするわけにはいかないからだ。                                                                                                              「人々は、まさに自由民主主義が掲げている自由を根拠として、レイシズムを支持してきたからである」というブライシュの言葉は、その意味でかなり挑発的ではある。アメリカの読者はどう読むのだろうか。                                                                                                                                  「Ⅰ 自由と反レイシズムを両立させるために――本書の見取り図」において、ブライシュは、2005年9月30日のデンマークの新聞『ユランズ・ポステン』が預言者ムハンマドの風刺・戯画を掲載して引き起こした事件を手がかりに、自由民主主義のジレンマを確認し、自由と反レイシズムのバランスを取るべきだという意見が見られるものの、具体的にどのようにバランスを取るのか、その議論が不十分であるとして、本書の課題を提示する。ブライシュは、歴史的経験的な調査の結論として、次の4点を最初に示している。第1に、「1945年以降、自由を守ることにこだわらずにレイシズムを抑え込む、というのが全般的な傾向となっている」。第2に、その傾向は「すべり坂」のように急速に自由の領域を侵食しているわけではなく、「ゆっくりとした歩み」である。第3に、1969~70年代以後、「アメリカでは、表現の自由が実際にレイシストの表現にも拡張されている」。第4に、1940~50年代、「アメリKもまた、きわめて重要な意味で自由の制限を巡る戦いを経験してきた」。職場でのハラスメントの規制がその典型である。本書は、これらの点を詳細に論じていくことになる。                                                                                                                         ① 自由と反レイシズムのバランスをどうとるかについての様々な一般原理についてよく考えること。                                                                                                              ② どのような自由を最も大事にする必要があり、レイシズむのどの側面が最もたちが悪いかを判断する際には、その国の歴史的な文脈を考慮すること。                                                                                                                   ③ 治療することが病気を放置することよりもよいのか悪いかを判断するために、個別の法律の効果を評価するように努めること。