Sunday, February 16, 2014

「危機の大学論」か「大学論の危機」か

尾木直樹・諸星裕『危機の大学論』(角川ONEテーマ、2011年)                                                                                                 成田空港の書店でまとめ買いした中の1冊。「日本の大学に未来はあるか?」が副題。芸人が新書で出した大学論に期待したり、不満を述べたりしてはいけないのだろうが、ちょっと・・・。特異な事例や経験をいきなり一般化するスタイルが目立つ。例えば、23頁で朝起きられない学生のためにモーニングコールをする大学さえあるという話を紹介した(名前は出ていない)と思うと、25頁でモーニングコールなどの「大学が全体の一割程度にとどまるなら」いいかと思いますとして、その数行後に「そういう部分までケアしていこうとする大学が多数派になりつつあるのですから、そこが問題です」とくる。いったいどこの話なのか。                                                                                           改善案も、ありきたりというか、古臭い。高卒で大学に進学するのではなく、欧州によくあるようにいったん社会に出てから、大学で学び直すとか、企業に勤めて定年後に通える大学になったらとか、地域コミュニティに根差した大学を、あるいは欧州のように秋入学を、といった提案をさも新しげに話し合っている。提案に反対する理由は一つもないが、何十年前の提案なのか。「学力低下」問題も、ありきたりの認識と、ありきたりの提案。高校に対して、高校卒業証書に見合った教育が出来ていないから、ちゃんとしろというのは当たり前だが、それが現実に出来ないから問題が生じている。他方、企業に対して、新卒ばかりの就職や、春一斉の採用を止めるように期待している。高校や企業が変われば大学も変われるのに、という話になっている。                                                                                     高卒や大学生の海外留学が近年減っていることを嘆いているが、海外留学の増減だけで何を図るのだろうか。もともと日本人は言葉の壁もあり、海外留学は少ない。少し増えたのがまた少し減っただけの話だろう。そうした数値の増減で、日本の大学の現在や将来を語れるかどうかは疑問だ。なにしろ、東大や京大などを対象にしているのではなく、最初から学力定位校の話をしていると言っているのだから、留学の数が基準になるとも思えない。                                                                                                                                                                                                                                     日本の大学数が780と増えすぎていて全入時代に突入している中で、1)世界レベルの研究の大学、2)リベラルアーツ・教養と人間力教育の大学、3)善良な社会人育成大学の3つに分類して考えるべきだと繰り返す。3つとする根拠は何もないが、それぞれの特性を分類して、それぞれに見合った入試、教育、卒業指導を行うのは当たり前のことなので、これには賛成。というか、たいていの大学でとっくに議論済みのことだと思うが。