Sunday, August 31, 2014

「オルセー美術館--印象派の誕生」

「オルセー美術館展――印象派の誕生――描くことの自由」(国立新美術館)は盛況だった。宣伝ポスターを飾ったマネ『笛を吹く少年』をはじめ、モネ『かささぎ』、カバネル『ヴィーナスの誕生』、ミレー『晩鐘』、セザンヌ『草上の昼食』・・・有名作の前には人だかりができて、絵画を見ると言うよりも、並んだ人の頭を見るような展覧会である。これだから、日本の展覧会は、といつも思うが、やむをえない。
何しろオルセーだ。何といっても印象派だ。西欧近代絵画の最初にして最大のムーブメントであり、マネ、モネ、セザンヌ、ルノワール、シスラー、シニャック、クールベ、ミレー、コロー、ピサロ、ドガ、ドローネーである。印象派はずいぶん観た。パリでもバーゼルでもヴィンタトールでも、膨大な印象派を観た。サロンという権威への挑戦、古典古代の教養絵画(宗教画、歴史物語画)からのテイクオッフ、あらゆる技法を駆使しうる自由な絵画、そして英雄ではなく庶民や労働者の登場。それが19世紀後半のフランスだ。労働者や農民や踊り子。つまり、第三階級としての市民や、下層とされた人々の世界が描かれる。何の変哲もない光景が主題となる。人民の平等と風景の平等が主題を変える。それが人々の喝さいを浴びることになる。世界の印象派だが、日本では特に人気とも言われる。企画展なら印象派。印象派さえ集めれば成功間違いなし。実に印象派だ。
印象派において絵画は女性の裸体に特化していく。古典古代はもとよりルネサンスにおいて裸体画は多しい若き男性像が主流であったが、印象派にあっては、身を売らざるを得ない娼婦や、カフェの女給や踊り子たちが「脱がされていく」。近代市民社会の視線は、見る者と見られる者の位相を変えたが、ジェンダー観点で言えば、近代における女性の対象化、客体化、が印象派の美しきキャンバスに固定させられていった面がある。人民の平等と風景の平等の中で、性の不平等が巧みに進行する。そこから数々の「傑作」が生まれていく。カバネルのヴィーナスはその極北だろう。

受け取ったチラシによると、2015年、三菱一号館美術館では「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展――私の印象派。」だそうだ。印象派が「モーニング娘。」並みにポピュラーなったわけだ。

Saturday, August 30, 2014

吉野作造のたたかいに学ぶ


こまつ座公演『兄おとうと』(紀伊國屋サザンシアター、原作・井上ひさし、演出・鵜山仁)を観劇。大正デモクラシーの吉野作造と、おとうとの吉野信次の、信頼と衝突、兄弟愛と葛藤を、時代状況の中に位置づけて描いた秀作だ。5年前に上演されたようだが、知らずに観なかったのは不覚。役者は6人。作造とその妻、信次とその妻、この4人は一貫しているが、残りが大変だ。作造の友人と警察官と右翼と説教強盗と会社経営者を、小嶋直樹が演じる。吉野家の家政婦と市川の貧しい女性と渡日した中国人女性と女説教強盗と娼家の女主人を中村裕子が演じる。主役4人の演技も見事だが、脇役2人の1人5役が素晴らしい。そして、しっとり、しめやか、軽やかに響く朴勝哲のピアノ。
デモクラシーを日本に広めようとするリベラル政治学者・作造の理論は、明治憲法や明治の現実を批判せざるを得ない。天皇の官吏となったおとうととはことごとく対立する。大正デモクラシーは一世を風靡するが、他方で、作造は国士から「非国民」として命を狙われる。昭和に入ると、日本は戦争への道を転がり始める。デモクラシの危機に直面した作造の文筆のたたかいは続く。そして――という筋立てだが、井上ひさしらしい、歌と踊りと、ギャグとユーモアに、大笑い、小笑いの連続だ。

憲法と民主政治をめぐる作造、関東大震災後の復興に力を注ぐ作造、戦争に向けてひた走る現実政治を批判する作造――それは歴史の追跡ではなく、現在を照らし出す話だ。井上ひさしの作品群では、文学者を扱った「評伝シリーズ」とは区別されているものの、同じ系列に入れてもいいのかもしれない。

Tuesday, August 26, 2014

川島浩平『人種とスポーツ--黒人は「速く」「強い」のか』

川島浩平『人種とスポーツ――黒人は本当に「速く」「強い」のか』(中公新書、2012年)

比較文化論を学んだアメリカ研究者による本で、このタイトルであるから、当然、「黒人は生まれつき身体能力が高い。だから、野球、バスケットボール、フットボール、陸上競技など圧倒的に強いのだ」といったステレオタイプに対する批判の書である。その結論をどのように説得的に示してくれるかが興味のポイントだ。
冒頭で「黒人」概念の恣意性、黒人とされる人々の多様性が指摘されるが、それは置いておき、サハラ以南の出身の人々を黒人として扱うと言うので、いささか不思議に思ったのだが、それも最後にちゃんと説明をつけてくれる。伏線の一つだった。
叙述の中心部分は、近代アメリカの野球、バスケットボール、フットボールにおける黒人の歴史である。差別による排除の時代や、エリート黒人が「白人化」して活躍した時代、そしてついには黒人が優越して、黒人身体能力生来説が登場する時代を、描いている。さまざまなヒーローたちが登場する。知らない名前も多いが、著名アスリートがいかに活躍したか、それがまた生来説の根拠とされていった過程も明快だ。逆に水泳ではなぜ黒人が活躍していないのか。このあたりから冒頭の議論にたちかえる。「黒人」とは何か。概念の恣意性が端的に示される。
もっとも説得的なのは、エスニック集団の精査の紹介である。例えば、長距離走のトップアスリートはケニア人である。マラソンを見るたびに、ケニア人、黒人が速いと思い込んでしまう。ところがケニアの大半の人々は速くない。速いのは、リフトバレー高原地域、とくにナンディの人々である。なぜなのかも一定程度解明されている。もう一つの例を著者は、ドミニカとジャマイカを例に説明する。ウサイン・ボルトのジャマイカは陸上短距離が圧倒的に強いが、ドミニカ共和国の陸上は弱い。逆にドミニカは野球が強く、ジャマイカは野球は駄目。ここに明快に示されている。
最後に再び黒人概念の曖昧さが指摘される。当たり前のことで、白人も黄色人も恣意的で偶然的な概念だ。そもそも人種などあるのかが問題である。本書では一度も出てこないが、黒人というならメラネシアの黒人はどうするのか、といった具合に。
そして、最後の最後に著者の理論仮説が少しだけ提示される。第1に、当事者が誰か。第2に、時間・時代的文脈がいつか。第3に、地理・空間的文脈はどこか。第4に、現象が発生する契機となる状況は何か。第4の中には、次のような要因が含まれる。
「プランテーションの家父長制下の命令や奨励、帝国主義者による教育や訓練、ナショナリズムによる国威発揚、グローバル資本主義下の利潤追求など、当事者の生きた時空のなかで政治、経済、文化、社会面の諸力が衝突、連動、総合されて形作られる」。
なお、黒人女優ネル・カーターの秀逸なジョークが紹介されている。1990年、マンデラ釈放集会で、「水泳は「非黒人的」な競技である。なぜなら、もし黒人が泳ぎを知っていたなら、奴隷として酷使された祖先たちがアフリカに泳ぎ去ってしまい、この国にアフリカ系アメリカ人が残っているはずもないから・・・」と。これで拍手喝采。秀逸だが、危険なジョークでもある。黒人は泳げないと言う誤った生来説を促進してしまうのだが。
知らない歴史が分かり、写真もたくさん掲載され、愉しめる1冊だ。著者は武蔵大学教授。著書に『都市コミュニティと階級・エスニシティ』、編著に『21世紀アメリカ社会を知るための67章』など。
Syrah,Valais Sion,2009. シオン城と勘違いしている人が多いが、シオン城はモントルー。ワインが旨いのはヴァレーのシオン。

8月のジュネーヴ国際人権活動はこれでおしまい。本日のフライトで帰国。ちなみに、宿泊はいつもの山小屋だった。

「死刑は無力だ」のその先へ

東野圭吾『虚ろな十字架』(光文社、2014年)

ミステリー作家による刑罰論が展開された作品だ。死刑を取り上げているため、宣伝帯にも「死刑は無力だ」とあるが、死刑論であると同時に、死刑に限らず刑務所収容による自由刑(自由剥奪刑)の意味を問い直そうとするものでもある。
文体は簡素で、はっきり言って、そっけない。出来事が淡々と語られるが、背景も人物像も深く書かれることはない。登場人物の主観面はそれなりに書かれているが、書き込むと言うほどではない。あえてこのような文体を採用することによって作品としての効果を上げていると思う。理不尽な殺人事件で娘を殺された夫婦が、深い悲しみに心を閉ざしながら、それぞれの道を歩む。デザインの現場を離れて、ペットの葬儀社に勤務して静かに生きていた主人公のもとに、かつて別れた妻が殺されたとの連絡がある。警官が訪れ、家族や親戚にも動揺が走り、11年前の事件とのつながりを探るが、何もつながりは見いだせない。ところが、そうそうに「犯人」が自首して出る。犯人の自首によって事件の一面は判明するが、その真相、特に動機は皆目見当がつかない。殺された妻は雑誌に記事を書いてジャーナリスト・ルポライターとしての地位を得ようとしていた。その記事や原稿を読み進める中から、主人公は思わぬ真相に辿りつく。
妻は、娘が殺された事件を片時も忘れず、被害者遺族の問題をも追跡していた。出版を目指して書いていた原稿は『死刑廃止論という名の暴力』だ。娘が被害を受けた事件で犯人側についた弁護士(つまり、凶悪犯の味方について、死刑判決を回避させた弁護士)や、元刑務官などにも取材を重ねて、自らの感情も織り交ぜながら仕上げた原稿だ。
『遺族は単なる復讐感情だけで死刑を求めるのではない。家族を殺された人間が、その事実を受け入れるにはどれほどの苦悩が必要なのかを、どうか想像していただきたい。犯人が死んだところで被害者が蘇るわけではない。だが、では何を求めればいいのか。何を手に入れれば遺族たちは救われるのか。死刑を求めるのは、ほかに何も救いの手が見当たらないからだ。死刑廃止というのなら、では代わりに何を与えてくれるのだと尋ねたい。』
かくして妻は積極的死刑存置論を展開するが、生半可な死刑存置論ではない。なんと「殺人犯はすべて死刑にせよ」という超過激な立場に立つ。妻は被害者遺族運動に関わってはいるが、遺族運動そのものは描かれず、本書の主題となるわけではない。
日本には死刑があり、死刑判決があり、執行が続いているが、実は、ほとんどの殺人犯は死刑にはならない。殺人や強姦殺人や放火殺人などの凶悪犯罪は、かつては年間一二〇〇~一五〇〇件だった時期が続いたが、近年では一〇〇〇件を超えることはまれである。そのほとんどが懲役刑になる。死刑を言い渡されるのは、ごくごく一部に過ぎない。だから確定死刑囚の数も一〇〇人代の前半にとどまる。殺人犯全員死刑論だと、毎年数百件の死刑判決を出さなくてはならない。つまり、毎日毎日どこかの裁判所で死刑判決を言い渡すことになる。裁判所は土日は休みだから、年間250日開廷するとすれば、全国で毎日四件近くの死刑判決が必要になる。こうなると死刑は日常と化し、ニュースでなくなる。裁判官も裁判員も激務になり、何より拘置所職員には地獄となる。まったく現実性がないが、しかし、死刑存置論の立場を鮮明にするためには殺人犯全員死刑論という立場を持ち出してみる必要はあるだろう。なお、これは東野圭吾の立場ではなく、小説作品の中であえて打ち出した立場だ。東野圭吾の立場は死刑廃止論ではないようだが、主人公はそう簡単には決められないという立場を取らせている。そして、死刑だけでなく、収容刑の意味を問う発言につなげている。「死刑は無力だ」のその先が気になるが、普通の市民は立ち止まり、悩み・・・という路線だ。

『容疑者Xの献身』は2006年だから、8年ぶりに東野圭吾を読んだ。トリックに走るのではなく、人間模様の織り成す社会、日常、人々の意識の中に潜んでいる謎や、煩悶や、葛藤を描く作品に味わいがある。事件の周囲に集まってしまう人間模様の怪、とでも言うのだろうか。

ヘイト・クライム禁止法(83)ニュージーランド

ニュージーランド政府が人種差別撤廃委員会82会期に提出した報告書(CERD/C/NZL/18-20. 14 June 2012)によると、世界人権宣言、条約第四条、条約第五条を政府は尊重している。前回(2006年)報告書(CERD/D/NZL/17)で報告した内容が維持されている。ニュージーランドには特別のヘイト・スピーチ法はないが、人権法第一三一条は人種的不和の煽動を犯罪としている。
人権法第六一条(人種的不和の不法性)違反でなされた告発は、三一件(二〇〇七年)、二三件(二〇〇八年)、三〇件(二〇〇九年)、二一件(二〇一〇年)である。人権法には表現の自由の規定もあり、単に人種に言及しただけでは不法とはならず、民族的敵意を引き起こそうとするものでなければ犯罪とならない。適用事例は二〇〇九年に一件あったが、有罪とはならなかった。
 二〇〇二年の量刑法第九条は、量刑に際して裁判所は、犯行者が当該犯罪を、人種、皮膚の色、国籍、宗教、ジェンダー・アイデンティティ、性的志向、年齢、障害などの特徴を共有する人々の集団に対する敵意のゆえに行ったか、その敵意がその特徴ゆえに生じたのか、犯行者が被害者はその特徴を有していると信じたのか否かを考慮しなければならない。
『刑事司法統計年報二〇〇九年』は、人種的に動機づけられた犯罪など偏見犯罪に関する情報を取り上げている。警察は今後も調査を続ける。政府は人種的に動機づけられた犯罪の公的統計を有していないが、警察は、人種的動機による差別、ハラスメント、人種主義事件を報告するようになってきた。メディアでも言葉による侵害から身体的虐待まで、人種的に動機づけられた暴力事件を報道するようになってきた。

委員会はニュージーランド政府に次のような勧告をした(CERD/C/NZL/CO/18-20. 17 April 2013)。人権法によって人種的不和の煽動を非難しているが、サイバースペースで行われている人種憎悪の煽動に対する包括的戦略が欠けている。インターネット上の人種憎悪の煽動に条約第四条に従って対処する包括的立法をするよう勧告する。内閣のメンバーが、中央アジア・中東出身者の皮膚の色、出身国、宗教に関して煽動的な発言をしたのは残念であるが、司法大臣及び人種関係委員会がこの発言を強く非難したのを歓迎する。一定の民族的及び宗教的集団に対するステレオタイプや偏見と闘うために啓発を通じて民族的調和を促進する努力を強化するよう勧告する。

刑務所は受刑者に向き合えるのか

岡本茂樹『凶悪犯罪者こそ更生します』(新潮新書、2014年)

臨床教育学者で、立命館大学産業社会学部教授だが、LB級刑務所で篤志面接委員を続けていると言う。その経験をもとに、13年に『反省させると犯罪者になります』(新潮新書)をだし、本書が第2弾だと言う。本書でも「反省させると犯罪者になります」という考えが解説される。いささか過激なタイトルともいえるが、反省から更生につなげるプロセスを、受刑者がどのように辿るのかについて著者なりの研究、経験をもとに展開している。気づきを経て、自分と向き合うことなしに「反省」させても、そこにはごまかしが含まれて、本当の反省にはなりえないことが強調される。刑務所に収容された受刑者は「反省」を求められ、迫られ、「反省」すれば成績が良くなり、「反省」しなければ仮釈放が遠のくのだから、いやでも「反省」する。それは「反省したふり」でもある。「反省したふり」の上手な受刑者は本当に反省することがない。落ちるところまで落ちて、自分が起こした事件に向き合い、被害者とその遺族に向き合い、事件を起こすにいたったきっかけを自ら探り当て、自分にしっかり向き合って初めて反省することができる。受刑者も一人の対等な人間であることを踏まえて接することで、面接員も受刑者のホンネに接することが出来る。本書の最後の問いかけは「刑務所は受刑者に向き合えるのか?」である。



布施英利『構図がわかれば絵画がわかる』

布施英利『構図がわかれば絵画がわかる』(光文社新書、2012年)

帯カバーにムンクの『叫び』が提示され、「画面を支配する赤=攻撃」「赤の効果で空が飛びだして見える=意見」「逆三角形が不安定=不安を生む」「青が赤より近くにある=空間の秩序を破壊」といった解説が施されている。なるほど、と思い手にした。まずは点と線がつくる構図として垂直線と水平線、次に形がつくる構図として対角線と三角形と円、さらに空間がつくる構図として一点遠近法と二点遠近法と三点遠近法、と言いた具合に構図の入門が続く。後半では、光、色、人体の解説があり、最後に人体を理解する為尾美術解剖学である。説明のために提示される絵画作品は、フェルメール、ダ・ヴィンチ、セザンヌ、ピカソ、ヴァン・ゴッホ、モネ、ルノワール、光琳、等伯など誰でも知っている作品が中心だ。もっとも、ギリシア彫刻やインドの仏像なども詳しく取り上げられる。人体と仏像の部分は著者の個人的趣味に走り過ぎだが、全体として楽しい構図入門だ。
著者は芸術学者、東京芸術大学准教授(美術解剖学)だ。芸大出身だが、東京大学の養老孟司のもとで解剖学も学んだという。

フェタ、ロックフォール、ナチュラル、そして名前に魅かれてL’ESPRIT DE GENEVE par Emilienne et Jean Hutin,2012.

Monday, August 25, 2014

ヘイト・クライム禁止法(82)モーリシャス

モーリシャス政府が人種差別撤廃委員会82会期に提出した報告書によると(CERD/C/MUS/15-19. 16 October 2012)、憲法第三条は人種、出身地、政治的意見、皮膚の色、性別などによる差別を、憲法第一二条は表現の自由を規定している。刑法第二八二条は「人種憎悪の煽動」、刑法第二八三条は「治安を害する煽動」、刑法第二八四条は「法への不服従の煽動」を定めている。差別的メッセージや人種主義メッセージの流布のためにインターネットを利用することは、二〇〇一年の情報コミュニケーション技術法により犯罪とされる。モーリシャス文化の多元的性格を促進するために、二〇〇一年に独立放送局が設置され、多彩な言語・文化を反映した番組を促している。
委員会はモーリシャス政府に次のような勧告をした(CERD/C/MUS/CO/15-19. 18 April 2013)。刑法第二八二条が条約第四条に列挙された行為の訴追を可能にしていると言う政府の確認を留意する。委員会は、人種差別を促進・煽動する団体を禁止するように呼び掛ける。人種的動機を刑罰加重事由とするよう勧告する。この点で委員会の一般的勧告七及び一語に注意を払うよう促す。モーリシャスには皮膚の色、先祖、身分などに基づいて人ビットの間に優越性・劣等性の感情があることを不安に思う。人種的民族的優越性を撤廃するため平等意識啓発キャンペーンを行うよう勧告する。


Sunday, August 24, 2014

ヘイト・クライム禁止法(81)キルギスタン

キルギスタン政府が人種差別撤廃委員会82会期に提出した報告書によると、刑法に人種差別や差別煽動に関する規定がある(CERD/C/KGZ/5-7. 8 June 2012)。憲法16条は人権と自由の保障を定め、性別、人種、言語、障害、民族的背景、宗教、年齢、政治的信念、教育、主審などによる差別を禁止している。刑法第三七三条はジェノサイドを犯罪としている。刑法第九七条は民族間、人種、宗教的憎悪又は敵意に基づく殺人、刑法第二九七条は憲法秩序を転覆する暴力の呼びかけ、刑法第二九九条は民族、人種、宗教又は宗教間の憎悪煽動、刑法第二九九の一条が憎悪煽動団体の処罰を定めている。
内務省(テロ及び過激主義と闘う情報センター)によると、一九九九年一月一日から二〇一一年四月三一日の間に、一一八四件の事例が報告され、刑法第二二六条(テロ)が三一件、第九七条(憎悪動機の殺人)が三三七件、第二九七条(憲法秩序転覆呼びかけ)が七二件、第二九九条(憎悪煽動)が六八六件、第二九九の一条(憎悪煽動団体)が一〇件である。
最高裁判所は二〇〇七年以降、憎悪煽動に関する統計を公表している。第九七条(憎悪動機の殺人)は、一件(〇九年)、三件(一〇年)、二件(一一年三月末まで)。第二九九条(憎悪煽動)は、二三件(〇七年)、四〇件(〇八年)、五二件(〇九年)、五八件(一〇年)、九件(一一年三月末まで)である。

委員会はキルギスタン政府に次のような勧告をした(CERD/C/KGZ/CO/5-7. 19 April 2013)。刑法の規定が条約第四条の要求を完全にカバーしていないことに関心を有する。委員会の一般的勧告一、七、一五に照らして、第四条は義務的性格を有するので、政府は第四条を完全に履行するために刑法に追加規定を設けるように勧告する。キルギスタン刑法は人種憎悪煽動を処罰しているが、委員会が入手した報告によると、政治家やメディアにおけるマイノリティに対する差別発言が訴追も処罰もされていない。政府に政治家やメディアにおける差別発言を強く非難するよう勧告する。差別発言を捜査、訴追、処罰するための適切な措置を講じ、差別発言を予防するためにメディアの教育訓練などの予防措置を講じるよう勧告する。

ヘイト・クライム禁止法(80)ドミニカ共和国

ドミニカ共和国が人種差別撤廃委員会82会期に提出した報告書によると、憲法第49条は表現の自由を定めるとともに、反論権を「公表された情報によって自分が被害を受けたと考える者は、反論と訂正を求める権利を有する」としている(CERD/C/DOM/13-14. 7 March 2012)。この権利は外国人にも保障され、文書、ラディオ、テレヴィ、インターネットを問わない。2008年、文化大臣はアフリカ系住民が国家に貢献したことに光を当てる文化政策を策定した。
条約第4条に関して言えば、報告書の対象期間に、ドミニカ共和国で、人種的優越性の宣伝、促進、人種憎悪、それらと類似の現象は起きていない。過激主義はドミニカ共和国には存在しない。

委員会はドミニカ共和国に次のような勧告をした(CERD/C/DOM/CO/13-14. 19 April 2013)。憲法第39条、刑法第336条、337条は、条約の定義に合致した人種差別概念を採用していない。委員会は、移住者に関する立法と政治措置が人種、皮膚の色、国民的出身に基づく差別をしないように勧告する。ドミニカ共和国には構造的で広範なレイシズムが存在する。とくに皮膚の色と国民的出身に基づく差別がある。委員会の一般的勧告七及び一五を考慮して、委員会は、人、集団、組織によって行われている差別を禁止する規定を導入するよう勧告する。レイシズム、外国人嫌悪、不寛容に反対するキャンペーンが必要である。マスメディアは人種的偏見を促進するべきではない。

ヘイト・クライム禁止法(79)アルジェリア


アルジェリア政府が人種差別撤廃委員会82会期に提出した報告書(CERD/C/DZA/15-19.15 October 2012)によると、人の名誉や評判に対する中傷行為を禁じた刑法がある。
従来は以下の通りであった。刑法296条は、人の名誉や評判に対する偏見となるような申立や非難は中傷であり、その出版や複製は、相手の名前を直接名指していなくても、特定できれば犯罪であるとする。刑法298条は、個人に向けられた中傷については5日以上6月以下の刑事施設収容及び/又は150以上1500以下のアルジェリア・ディナールの罰金とし、民族的又はPhilpsophical集団又は特定の宗教に属する者に向けられた中傷については1月以上1年以下の刑事施設収容及び300以上3000以下のアルジェリア・ディナールの罰金とする。刑法297条は、特定の非難を含まない攻撃的表現、侮辱、悪口は侮辱罪であるとする。刑法298条bisは、特定の集団に属する者に向けられた侮辱は5日以上6月以下の刑事施設収容及び/又は150以上1500以下のアルジェリア・ディナールの罰金とする。
2001年に刑法が改正された。刑法298条は、個人に向けられた中傷について罰金を5000以上50万以下のアルジェリア・ディナールに、集団に向けられた中傷について罰金を10000以上10万以下に改正した。

委員会はアルジェリア政府に対して次のような勧告を出した(CERD/C/DZA/CO/15-19. 20 February 2013)。法律は、人種差別を条約に沿って犯罪としていない。民族集団に対する中傷や侮辱は犯罪とされているが、委員会は、条約4条の全内容が法律規定に反映されていないことに関心を有する。委員会は、条約に従って刑法に人種差別の禁止を盛り込む改正を行うよう勧告する。CERD一般的勧告7号及び15号に注意を向けるよう勧告する。

大江健三郎を読み直す(27)40年ぶりの再読

大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、1967年[講談社文庫、1971年])
40年ぶりに読んだ。二度読むことにある種の恐怖感を抱いていたからだ。大江にはいくつもの代表作があるが、本書は初期の代表作というにとどまらず、現時点でも、その後の数々の大作とともに代表作に数えられる。というよりも、1967年の発表時に現代日本文学の代表作の一つになっていた。文学体験のまだ少ない18歳の私が、母校の図書館の開架式書庫に置かれた大江作品を発表順に読んだのは春から秋にかけてのことだ。もっとも、夏休みには故郷に帰省して中断したから、本書を読んだのは秋になっていただろう。感銘を受けたというのではない。感動したとか感激したというのでもない。言葉に表現できない動揺を味わい、本書を閉じるとすぐに忘れようと努力したのだった。衝撃というのではない。静かに震撼させられたと言うべきだろう。その後しばらく大江作品から遠ざかることになった。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』には、『万延元年のフットボール』に続く意欲作といった宣伝文句が伴っていたから、すぐには読めなかった。表題から言っても、避けて通るしかなかっただろう。『洪水はわが魂に及び』もすぐには読めなかった。20歳の終わりに出版された『ピンチランナー調書』で、はじめて大江作品を出版時に同時並行的に読むことになったが、それ以後に『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』に帰ることが出来たと思う。
ここには大江作品の主題群がぎっしりと詰まっている。60年安保体験が導入になっていて、それが100年前の四国の谷間の一揆につながる。知識人と民衆の指導と共闘と反発と激突が織りなす絵巻である。『個人的な体験』で描いた障害を持って生まれた長男は、前面には出てこないが常に影を落としている。核時代の想像力を問い続けた大江の同時代認識もシャープに打ち出されている。四国の森の奥の大江世界の原型は最初期作品群にも見られるが、四国の森の奥を神話的世界として表象していくのは本書である。
40年ぶりに読み直すことにしたものの、いきなり読むことは躊躇われた。2014年に大江作品を最初から読み直すことにして、1月からずっと読み返しを続けてきたのは、もちろん、大江文学を読み直すことで私自身の現代体験の意味を問い直すことであったが、同時にとりわけ、40年手にしてこなかった本書にもう一度分け入るということでもあった。そして、やはり、ここに、出発点がある、と再確認することになった。ここに、すべてがある、わけではない。ここに、答えがある、わけでもない。1967年に大江が参入し、衝突し、格闘し、糾弾し、小説として再構成した同時代――それは一方で戦後民主主義と呼ばれた時代の輝きと、薄れ始めた輝きと、混迷であり、他方で大江が今もなおこだわり続けている敗戦体験――戦後民主主義との対比で言えばまさに戦前的なるもの、ただし、単に軍国主義の日本ではなく、明治に遡って、さらには江戸時代にも遡っていくことのできる日本、日本的心性とでも評すべきもの、その相克、葛藤、馴れ合い、騙し合い。戦前と切り離されたかなり純粋な戦後民主主義世代の私にとっては、読みたいが読みたくないもの、それが描かれているのだ。
四国の森の奥に育ち、都市に逃げ出し、青春小説を次々と送り出した大江は、青春小説から卒業して文学的主題を模索し、反芻し、獲得し、再獲得し続けた果てに、四国の森の奥を神話的世界として構想し、生涯の主題に研ぎ澄まして行った。北海道札幌の郊外に育ち、文学とは異なる道に彷徨いこみ、都市の雑踏を平凡に生きてきた私には、大江世界との共通点は少ないようにも思えるが、文学の力はそうした私をも鷲づかみにするのだ。
『万延元年のフットボール』は、はじめ雑誌『群像』に連載され、大幅な訂正を施して、講談社から出版された。大江は文庫版に寄せた「乗越え点として」において次のように述べている。
「いま考えてみると、重すぎる荷をかついで危険なところに立っているようにして、この長篇の構想とともに身動きできぬふうだった3年ほど、僕はさきに書いた、ウイスキーを飲んで泳ぐという、気まぐれな思いつきに顕在化したような自己破壊の衝動を、自分のいうちにひそめていました。さらに作家の仕事を続けるか、作家とはことなる方向へと再出発するか、という分岐点の前に立ち止まるようでもあったのだと思います。」

分岐点の先に直ちに分岐が現れ出るのではない、四国の森の奥の行き詰まり、どん詰まり、石鎚山脈と四国山地の山塊に閉ざされた窪地という地理的な奥底に入り込み、崩壊した蔵屋敷の下に発見された地下蔵にこもり、弟が率いて谷間に悲鳴と叫喚と喧噪を引き起こした暴動からはみ出し、拠点を喪失するような地点に行き着いて、大江は乗越え点、転換点に辿りつく。振り返れば無数の分岐点がそこに横たわっていたのだろう。これが私の動揺であり、恐怖であった。18歳の私は本書の多くの主題を読み落としていたに違いないが、地理的どん詰まり、精神的どん詰まりで自己の拠点をいったんはすべて失い、そしてその先に、と想像することで、動揺にかられ立ち尽くしたのだろう。

Saturday, August 23, 2014

植村和秀『ナショナリズム入門』

植村和秀『ナショナリズム入門』(講談社現代新書、2014年)
国家主義、国民主義、民族主義、国粋主義、ネイション、ナショナル、国民国家、民族国家、国家形成、国民統合、国民形成、国民化、国民意識、民族紛争、少数民族、ナショナリティ、国民性、国籍、移民、レイシズム、人種、人種主義、パトリオティズム、愛国心、愛国主義、エスニシティ、エスニック、多文化主義、帝国、帝国主義、シティズンシップ、市民権。
ナショナリズムと関わるこれらのキーワードをめぐる諸研究を新書や選書を中心に120冊ほど紹介し、手際よく論じている。日本、ドイツ、東欧、アメリカ大陸、西欧と南欧、ロシア・ソ連、イスラム、東アジアなどにおける民族と国家の重なりとずれが引き起こす問題を中心に論じている。小さな新書にもかかわらず、特定の地域研究を基礎とするのではなく、全地球的規模で問題の広がりと特質を浮き彫りにしていくところは、なかなかの構成だ。現在におけるナショナリズム入門として、よくできている。
もっとも、これだけキーワードを連ねるのなら、コアとなる国家そのものについて分析を深めてほしいものだが。

著者は京都産業大学教授、1966年生まれ、専攻は政治思想史・ナショナリズム論。著書に『昭和の思想』『丸山真男と平泉澄』『日本のソフトパワー』などがあるという。。

パレ・デ・ナシオンの美術展示

この夏もパレ・デ・ナシオン(国連欧州本部)ではいくつもの展示がなされた。全部をいることはできなかったが、代表例を2つ。
「エチオピアの驚異(不思議)Wnders of Etiopia」写真展――新館2階のロビーホールで開かれた写真展。スイスやイギリスなどの写真家による作品で、多くは山岳、草原、河川、鳥獣類の写真。自然が織りなすまさに驚異的な美と不思議を見事にとらえた写真がいくつもあった。ごく一部、歴史ある街並みと人々の様子もあった。また、エチオピア女性の伝統衣装が10点ほど展示されえていた。
優れた写真だが、いつも思うのは、アフリカの自然や、エキゾチックな街並みの写真を撮影して公表するのは欧州の写真家(日本の写真家)ということだ。まだ、やむを得ないのだろうか。
「HIV/AID――沈黙を破るBreak of Silence」展――人権のためのアートArts for Human Rights主催の美術展。31人のアーティスとの作品だ。半分以上が南アフリカだが、他にイングランド、スコットランド、インドなど。イギリスとその植民地、大英連邦。油彩あり、シルクスクリーンあり、銅版画あり。宣伝ポスター風の作品と、かなり美術志向の強い優れた作品が見られた。「沈黙を破る」という主題を決めて、その下で描いたようで、いずれもまさに「沈黙を破る」ための努力、叫び、行動を描き、呼びかけている。

Le Petit-Lullier, Domaine Chateu L’Eveque, Geneve, 2013.

Friday, August 22, 2014

人種差別撤廃委員会・日本政府報告書審査(8)ヘイト・スピーチ関連・委員発言

ケマル委員――2010年にソンベリ委員が指摘したとおり、日本国憲法14条に差別禁止規定があるが、条約(ICERD)にある禁止自由をカバーしていない。反差別法をICERD2条~6条にあうように、包括的な形で定める必要がある。
勧告13で、ICERD4条(a)(b)の留保について、留保を撤回するべきである。政府報告書84,84があるが、懸念を表明したい。特定のグループ、例えば朝鮮学校の子どもを標的とした差別発言や、部落差別が続いている。ヘイト・スピーチには絶対的な定義がないからと言って、マイノリティに対するヘイト・スピーチが良いということにはならない。13年には360件の差別デモがあったと言う情報がある。日本政府は具体的にどのような措置をとったのか。ヘイト・スピーチをおさえるのにどのように措置をとっているのか。朝鮮学校に対するデモについて判決があるというが、もっと詳しい状況を負知りたい。
勧告14について、人権教育をしているのは承知しているが、これまでと同様、公人による差別発言が繰り返されている。これに対して、どのような対応がとられたのか、具体例を知りたい。最近の措置が取られたのではないか。日本社会はコンセンサスを重視し、対決的ではないと言うが、積極的な対応が必要である。マイノリティ、弱者が日本の文化にあわないと言う指摘があるが。また、ヘイトは日本の歴史においては事例がかつてはあったので、朝鮮学校へのデモに厳格な措置が取られる必要があるのではないか。
バスケス委員――ヘイト・スピーチについて、残念なビデオを見た(*NGOブリーフィングの際に上映した5分のビデオで、在特会によるヘイト・スピーチと暴力の様子をまとめたもののこと)。朝鮮人に対するヘイト・スピーチである。条約に基づいて懸念があり、安倍総理もヘイト・スピーチに適切に対処すると述べていると言う。CERDが2013年に採択した一般的勧告35「ヘイト・スピーチと闘う」において、ヘイト・スピーチに対する対応を整理してある。一般的勧告26にも書かれている。日本は憲法の枠内で条約を実施するとして、条約4条を留保していることは承知している。しかしなぜ留保が必要なのか、留保の性格、範囲も問題である。勧告を受けて見直したが、留保の決定は変えないというが、性格や内容をもっと明確にしてほしい。憲法の範囲内で条約を実施するというが、憲法がなぜそこまで制約になるのか。懸念しているのは、どういう限界が必要なのか、である。表現の自由は幅広いが、ヘイト・スピーチに対応することは特に表現の自由とは抵触しない。実際に暴力をふるい、威嚇している。「出てこい」「殺すぞ」などと、非常に過激な言動であり、スピーチ以上のものである。まさに暴力の威嚇が身に迫っている。大阪高裁判決が出て、最高裁係属中ということも承知している。期待している。33-44、ヘイト・スピーチ処罰規定を設けるべきである。措置を取る必要がある。教育、寛容の精神との回答だが、37では、公人によるヘイト・スピーチについ述べている。もっと情報を提供してほしい。高いレベルの公人(政治家等)がヘイト・スピーチをどのように非難しているのか、「ヘイト・スピーチはいけない」と言っているのか。ヘイト・スピーチに対するカウンター・デモがあるが、心配なことに、人種差別グループのヘイトデモに対するカウンター・デモの側から逮捕者が出ている。カウンター側がメッセージを広めることができない。差別に反対するカウンターを阻害することは許されない。ヘイト・スピーチ法ができても心配がある。NGOによると、現政権は法律を乱用して、マイノリティに対して押さええつける心配がある、という。CERD勧告20は、あいまいで幅広いヘイト・スピーチの定義によって、守られるべき人にとってマイナスになる可能性がある。条約の定義にあう形で定義する必要がある。法律を口実としてマイノリティをおさえつけない、マイノリティを守ることが目的であると明確に述べる法律であるべきだ。
ディアコヌ委員――「前回報告書に書かれている」と言う報告書は役に立たない。差別について、法務省の組織、人権擁護局など265のアンテナというのはわかった。差別の動機ついて、例えば人種だが、日本はどう理解しているのか。学術的には人種は存在しない。我々は皆同じ人間という人種である。日本における人種の定義はどうなっているか。日本国籍保持者か。世系はどう考えるのか。人種差別禁止法が必要である。さまざまな外国人が住んでいるので、包括的な差別禁止法をつくるべきだ。ヘイト・スピーチは、バスケス委員が言った通り、表現の自由とヘイト・スピーチの規制に矛盾はない。CERD一般的勧告35「ヘイト・スピーチと闘う」は長い検討の結果、採択された、情報の自由があるが、差別言説は、バスケス委員が指摘したように、単に表現の自由ということではなく、暴力であり、暴力の煽動は世界中で問題となっている。殺す、ガス室、叩き殺すと言った表現は暴力に訴える、暴力を唱導することは表現の自由とは区別できる。
ユエン委員――バスケス委員が既に発言したが、ヘイト・スピーチについて、京都朝鮮学校事件で地裁でも高裁でも1200万円の賠償命令が出ている。名誉毀損を認定し、不法行為とした。刑事の側面、起訴されたとの話も聞いたが、もう少し詳しく知りたい。刑法の罰則が幅広いようだが、しかし、ヘイト・スピーチが起訴相当の罪にあたる場合があるという。具体的にどういう罪が法律に定められているのか。実際に発動されて、判決で認定されたのか。刑法のどのような条項か。差別は日本刑法で罰せられないのではないか。ヘイト・スピーチは法律で禁止されていない。表現の自由という理由だが、ビデオを見て懸念を抱いた。ビデオでは、特定の出来事が映っているが、加害者に警察が付き添っているように見える。ほとんどの国では、こういう事が起きれば、加害者を逮捕し、連行し、収監するはずだ。刑事的な面でどのように対処しているのか。安倍首相の発言はきちんとした措置を求めている。これは評価すべき。立法措置の見通しはあるのか。タイムスケジュールを設定しているか。朝鮮学校だけが名指しされている。中華、アメリカン・スクール、他にもあるのに、朝鮮学校だけ別のカテゴリーで、別扱いされている印象を受けた。
フアン委員――ヘイト・スピーチをいかに止めるか。2010年のCERD勧告は、4条留保を撤回すべきとしたが、日本は留保撤回は考えていないと言う。その理由は、人種差別が激しいことはないとか、正当な言論を抑え込むことになるからとか、重大な人種差別はないと、言っている。しかし、日本はどうもそれほど明るい状況ではないのではないか。人種差別が実際に日本に存在する。極端な個人や団体、右翼が、日本人の優越性、植民地主義的考えを抱いて、少数派、外国人に嫌がらせをし、挑発、暴力的行為をしている。インターネット、新聞テレビでもヘイト・スピーチを流布させ、民族的対立をあおっている。閣僚、政治家が政治的発言をして、人々をあえて誤解させる発言をしている、在日、子どもたちへの差別発言がある。「中国脅威論」の発言もある。日本では法律で差別を禁止せず、パリ原則に従った国内人権機関もない。差別言論が起きているのに処罰されない。極右集団や個人の発言がさらにあからさまに過激になっている。被害者は司法へのアクセスがない。極右組織はあきらかに人種主義的、排外的デモが政府のお墨付きを得ている。排外主義デモが警察に守られている。人種主義的スローガンを叫び、かつての日本軍国主義の旗や、ナチスの旗を掲げている。被害者が訴えても警察は無関心であるという。極右は根深い人種差別思想を心の中にもっている。過激な「殺すぞ」といった発言が、日本人以外の者に向けられている。日本的名前に改名するよう圧迫もある。雇用、年金も平等処遇を受けていない。日本に差別が存在し、深刻な事態である。ICERDに基づいて、表現の自由は2013年のCERD一般的勧告35において明示したが、ヘイト・スピーチを禁止するべきである。表現の自由を保護することとヘイト・スピーチ禁止の間に矛盾はない。一人一人が表現の自由と同時に社会的責任を有している。とくに政府、政治家は自制するべきである。条約4条の責任を果たすよう勧める。差別禁止法を作るよう、積極的措置を取るべきである。それから、関東大震災時に、6000人もの人が警察や軍隊によって殺された。犠牲者はその後の処遇に満足せず、調査を求めている。日本政府は、いつ調査を行うのか。
ラヒリ委員――日本はアジアの人たちに対して、植民地主義との闘いの必要性を意識させた。高度成長、経済成長、伸展があった。しかし、孤立した部分がある。移住者のコミュニティは差別に直面している。コリアン50万人が差別を受けている。朝鮮学校無償化問題もある。アイヌなど先住民族も差別されている。ビデオを見たが、ヘイト・スピーチが助長されていることは否定できない。国内人権機関が、これだけ長い検討の後になぜできていないのか。
バルデル委員――日本の姿勢、「ジャパニーズネス」についてどうとらえれているのか。どの国も社会の一体性を維持するのに苦労している。排外主義、反発があり、包摂ではなく排除がどの国でも起きる。
アフトノモフ委員――最高裁が2014年7月、京都朝鮮学校の件で、直接条約について判断し、差別は見逃すことはできないとし、京都地裁を支持しなかったが、くつがえすことはしなかったと聞いた(*大阪高裁判決のこと、一部混乱?)。日本ではヘイト・ウピーチを刑法で処罰対象できない。集団に対するヘイト・スピーチの処罰を許していないと言う点。政府の立場はどうなのか。
ディアコヌ委員――4条の適用留保が、表現の自由という観点と説明された、ICERD5条と比べて、憲法の他の権利はどうなっているのか。4条には様々な行為、4つの行為がある。流布、煽動、暴力煽動、差別的行動参加・資金調達。表現の自由の範囲に入らない。煽動は表現の自由ではない。なんのためにICERDを締結したのか。暴力煽動は表現の自由ではない。暴力を予防しなければならない。留保撤回を検討しているが、結論に至らないのか。日本のICERD批准から20年経った、あまりに長い時間がたっている。結論に到達し、国内法によって処罰を規定するべきである。どうして表現の自由をそこまで守らなければならないのか。アフトノモフ委員が言ったが、個人に対す差別と集団に対する差別がある。ICERD4条は集団に関するが、国内法でカバーされていない。法律がないので、裁判所がどのように判断するのか。条約規定が法執行官や裁判官によってフォローされていない。国内法で定める必要がある。憲法14条が列挙的例示に過ぎないことは理解したが、適正な解釈はなされたのか。差別について禁止しているという具体的判断は示されたのか。ないのなら法律が必要である。
クリックリー委員――ヘイト・スピーチは同僚たちが述べた。日本政府は警察は中立であると言うが、ビデオを見てほしい、どういう発言か。(*「殺せ」などの)ビデオの翻訳が正しいのであれば、本当にこれが中立公正なのか疑わしい。
ケマル委員(まとめ)――まず何よりも、包括的差別禁止法の制定である。憲法とのギャップを埋めることになる。4条(ab)と日本国憲法に不一致はない。しかし、日本政府は留保している。これでは、善意であっても誤解されかねない。善意の印象を与えていないパラドクスである。4条と憲法に矛盾はなく、負担でない。ヘイト・スピーチの処罰は、表現の自由にマイナスにならない。




Thursday, August 21, 2014

人種差別撤廃委員会・日本政府報告書審査(7)NGO記者会見


CERDの日本政府審査終了直後、日本関連NGOは、現地記者に記者会見を行った。審査を傍聴した20名以上のNGOメンバーが一堂に会し、その中から、ヘイト・スピーチ、朝鮮学校、アイヌ民族、琉球民族、部落に関して、代表がCERD審査を傍聴しての感想を述べた。外国人人権連絡会、在日本朝鮮人人権協会、民団、北海道アイヌ協会、部落解放同盟など。
有田芳生(参議院議員)は、CERD委員がヘイト・スピーチは表現の自由ではなく、暴力の問題であることを強く指摘したことを受けて、国会での議論でも必ず表現の自由と言われるが、差別と暴力の問題であることを再確認できたこと、自民党にプロジェクト組織ができると聞いているし、ヘイト・スピーチ議員連盟もできているので、協議しながら立法について検討を進めていきたいと語った。
糸数慶子(参議院議員)は、日本政府は琉球民族を先住民族と認めず、日本国民と平等と言いながら、基地問題のように実際には全く平等ではないと強調するとともに、今後も国内で日本政府に対するだけでなく、国際社会に訴え、国際連帯の中で物事を考えていきたいと語った。

8月21日夜、コルナヴァン駅前のビヤホールで打ち上げ。日本政府報告書審査

人種差別撤廃委員会・日本政府報告書審査(6)審査2日目・後半

 *下記は現場でのメモと記憶による報告であり、正確さの保証はありません。論文や報道などに引用することはできません。CERDの雰囲気をおおまかに伝えるものとしてご了解ください。残念ながら意味不明の所もあります。
*CERDを傍聴された方、下記に間違いや不適切な個所がありましたらご指摘願います。

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以下、21日後半である。第2ラウンドは、委員からの質問と、日本政府による応答である。
アフトノモフ委員――最高裁が2014年7月、京都朝鮮学校の件で、直接条約について判断し、差別は見逃すことはできないとし、京都地裁を支持しなかったが、くつがえすことはしなかったと聞いた(*大阪高裁判決のこと、一部混乱?)。日本ではヘイト・ウピーチを刑法で処罰対象できない。集団に対するヘイト・スピーチの処罰を許していないと言う点。政府の立場はどうなのか。また、中国人について、大船コミュニティの情報がなかなか得られない。
アミル委員――ムスリム監視調査について回答があったが、重要な問題なのに、とても短かった。情報収集だけなのか、それとも疑っての情報収集なのか。アメリカは、監査活動の対象となった人たちに陳謝した。自由がある国でこういう活動をすることはどういう事なのか。
法務省――ヘイト・スピーチ裁判は、一審判決が、被告らが威圧的侮蔑的示威活動を行い、その映像をネットを通じて公開した旨認定し、教育事業を妨害し、名誉毀損をしたので、不法行為であり、原告の損害賠償請求を認容、差止めを認容した。大阪高裁控訴審判決は一審を支持して、控訴棄却した。政府は個別具体的な司法判断についてはさしひかえたい。
大使――警察は、他の国と同じように警備上の必要がある場合は監視活動を行う。対象が特定の宗教に関わることはない、ムスリムということで監視対象とすることはない。どのような方でも、日本人も外国人もすべて、警備上の必要から監視することはある。ムスリムであるからということはない。
フアン委員――沖縄について日本の立場、政府としては先住民が沖縄に存在することを認知していないが、沖縄には2つのカテゴリーの人が居住している。1つは、日本人、1879年以降沖縄に移住した人とその子孫であり、1つはこの地域に、琉球に1000年前から定住していた人だ。歴史をさかのぼると、沖縄は琉球諸島、琉球王国がつくられ、450年存在した。文化、言語、社会制度は独自なものが存在した。琉球王国は、清、明と特別な関係をもっていた。アフトノモフ委員が述べたが、琉球王国は独自である。NHKで琉球王国を扱った番組があり、2万以上が中国に起源を有する、現在も沖縄にいると明らかにしていた。それが1879に併合され、沖縄県が設置された。併合後、日本政府負は同化政策をおこない、改名を強制し、日本本土から移民を促した。歴史を考えると、先住民の存在を認めないことは歴史的に正しい姿勢とは言えない。歴史を考えるべきであう。先住性を考えて、地元の人たちの意見を聞いて、当然の権利を保障するべき。
ケマル委員――慰安婦についてのお日本政府の法的立場はわかった。それを中身を蒸し返すつもりはない。しかし、出来事は条約締結前のことだが、法律的に言うと、100年前に起こったことも今日性があれば検討するべきである。特定の取り決めがあっても、合意があっても、正義が必要、正義がなされるべきであり、補償問題が残されている。日本画反省の気持ちを表明したのは評価すべきことである。しかし、そこから後退するような印象を与える出来事があったから、マイナスのイメージを与える、重要なこととして指摘しておきたい。朝鮮学校を自治体が支援しないのは自治体の裁量であろうが、ここで取り上げているのは、中央政府の対応である。文化や言語を保護するように努めてほしい。お金が出せないならそれはそれでいい。インターナショナルスクールは高い授業料をとっている。政府からの支援は期待していない。朝鮮学校とインターナショナルスクールを区別する必要がある。それが正義のためになる、奨励することが日本のためになる。
大使――沖縄について、南北に長く大小さまざまな島からなる日本は特色ある文化、伝統、をもち、沖縄も特色ある文化が受け継がれている。わが国においては、何人も自己の文化を享有し、宗教、文化、言語を否定していない。豊かな文化、長い歴史を有する沖縄、個性豊かな地域社会の形成に資する、振興開発措置法がある。慰安婦について、remorse謝罪をしたことだが、アジア女性基金の償い金とともに渡した総理大臣の謝罪の手紙を紹介する(*現場でコピーを配布した)。
文科省――朝鮮学校について、先ほどの繰り返しになるが、制度の対象となるための基準を満たすかどうかを審査した結果、不指定としたにすぎず、特定民族に差別をしているわけではない。各種学校につき、すべての朝鮮学校は認可されている。インターナショナルと区別というが、インターナショナルのすべて各種学校という訳ではない。各学校が判断すること。
ディアコヌ委員――4条の適用留保が、表現の自由という観点と説明された、ICERD5条と比べて、憲法の他の権利はどうなっているのか。4条には様々な行為、4つの行為がある。流布、煽動、暴力煽動、差別的行動参加・資金調達。表現の自由の範囲に入らない。煽動は表現の自由ではない。なんのためにICERDを締結したのか。暴力煽動は表現の自由ではない。暴力を予防しなければならない。留保撤回を検討しているが、結論に至らないのか。日本のICERD批准から20年経った、あまりに長い時間がたっている。結論に到達し、国内法によって処罰を規定するべきである。どうして表現の自由をそこまで守らなければならないのか。アフトノモフ委員が言ったが、個人に対す差別と集団に対する差別がある。ICERD4条は集団に関するが、国内法でカバーされていない。法律がないので、裁判所がどのように判断するのか。条約規定が法執行官や裁判官によってフォローされていない。国内法で定める必要がある。憲法14条が列挙的例示に過ぎないことは理解したが、適正な解釈はなされたのか。差別について禁止しているという具体的判断は示されたのか。ないのなら法律が必要である。部落、同和とは特定地域なのか、どういう状況なのか、人数は、経済的社会的権利、公職に就く権利はどうか。
クリックリー委員――ムスリムに対する監視は、かなり広範囲にわたる監視が行われている。終了させ、停止させることはあるか。均衡のとれたものである必要がある。国内人権機関の新しい法案はあるのか。市民社会が参加していることが必要だ。ヘイト・スピーチは同僚たちが述べた。日本政府は警察は中立であると言うが、ビデオを見てほしい、どういう発言か。(*「殺せ」などの)ビデオの翻訳が正しいのであれば、本当にこれが中立公正なのか疑わしい。人身売買について、新しい措置を検討しているか。男女平等参画計画はいいが、具体的措置は、ターゲットは、時間枠を設定しているか。移民、マイノリティ、先住民女性が直面している状況に即して検討しているか。家事労働女性ILO条約はどうか。家事労働女性の権利保護を考えているか。慰安婦に陳謝の手紙を配布したのはわかったが、これはいつの手紙なのか、現在も出ているのか。性奴隷については、人権高等弁務官も人権委員会(CCPR-HRCのこと?)も述べている。生存者に対する対策をどう考えているのか。朝鮮学校の高校無償化は第二次大戦直後の検討事項だったのではないか。
警察庁――ムスリム監視活動だが、警察時の情報収集はテロ対策の今後の活動に支障が生じる恐れがあるので、具体的なお答はできない。警察は法律に従い適正に情報集活動をしている。ヘイト・スピーチにつき、ヘイト側を守っているのではないかという話が出たが、どちらかの立場を守るという警備をしているわけではない、あくまで中立的な立場で行っている。
課長――NGOとの参加協議は、2012年5月市民NO意見交換、HPでも意見聴取をした。例えば、同和、無償か、個人通報、反差別法など様々な意見を得た。首相の詫びの手紙、アジア女性基金の活動は2007年に解散したので、その時点まで行われた
法務省――人種差別の扇動、憎悪的人種差別的行為への対応は刑法の諸規定で行い、扇動については教唆、幇助として処罰される。
法務省――統計についての質問があったが、1)在留するアフリカ系は、昨年末現在中長期在留、アフリカ諸国11545、2)永住者は、昨年末、在留、大戦前から特別永住者、369249、一般永住者64542、3)日系ブラジル人、日本人配偶者等、定住者永住者及び永住者の配偶者、13年ブラジル、入国28070、うち3349、13年末現在、ブラジル国籍181268、うち179803。
配偶者・女性、離婚した場合、在留資格の変更手続きで一律に在留を否定しない。DVのデータはないが、09年改正、DVの避難については保護は正当な理由なので取り消しは行わない。DV法に照らして、基本的には配偶者の暴力は犯罪となる行為も含めて重大な人権侵害であるので、人道的観点からも迅速的確な対応が求められている。保護を優先した手続きをしている。国内人権機関は、検討しているところである。人権委員会設置法案については、権限、調査の対象範囲について様々な議論があった。今後のスケジュールについてはお答えできる段階ではない。
厚生労働省――人身売買、被害者保護については、省庁横断的に、行動計画2009、婦人相談所、13年3月末までに356人一時保護。心理療法担当職員配置、通訳の費用計上、医療費支援、05年度から適切な保護民間シェルターに委託、一時保護もできることになり、11年度、事案の取り扱い方法のうち被害者保護のための着眼点を取りまとめた。
ユエン委員――繰り返しの回答が続いた。委員は18人いるが、委員が同じことを繰り返し質問していると思われるかもしれないが、何度も質問が出る理由を考えてほしい。日本政府からの答えがないかもしれないと考えてみてほしい。十分な回答ではない。何回も出てきた質問だが、朝鮮学校について私の最初の発言で、差別があると述べたが、朝鮮学校は分類上、各種学校であり、中華学校、インターナショナルと一緒に分類されている。最初から恩恵を受けている、ベネフィットは撤回された。基準を満たさなかったと言うが、基準とは何なのか。ピョンヤン寄りだということなのか。人種差別の問題ではないのか。誰が被害を受けるのか、生徒ではないか。差別があるのではないか。政治的な理由があるのかもしれない、しかし、大局的基本的に見て、差別という人権侵害である。一つの方向に囚われては解決しない、他の人の意見に胸を開くことが重要である。
バディル委員――公職の権利についても同じことだが、国籍、公的意思の形成というのは明確でない。これは法律に基づく言葉であるとは思えない。私の理解が間違っているのか。この概念は恣意的解釈が可能になってしまう。多文化多国籍の社会では差別の対象となっている人を公務員に迎えることの方が正しいかもしれないと考えられないか。公的意思の形成の意味を知りたい。年金も、高齢者、障害者について、80年改正の時にマイナスの影響があった。経過措置は取られたのか。不足を補てんする経過措置、悪影響を受けた人に補てんはなされたのか。
カラフ委員――条約の実施が重要である。2010年の審査から4年経った、4条留保の撤回、そして14条の実施、個人通報を採用すれば、日本の評判がよくなる。
フアン委員――曖昧な回答が出ているように感じる。アジア女性基金は2007年終了という。安倍首相のアジア女性基金についての考えはどうなのか。閣僚メンバーはどうなのか。第二次大戦に関する立場が後退したのならば、陳謝の手紙の目的は何か、現在の閣僚はどうか。
ケマル委員(まとめ)――まだまとまっていない、もっと議論したうえでまとめたい。いまは印象だけの簡単なまとめである。日本の条約履行状況は全体に、進捗している。条約実施がなされているのは、民主的憲法であるからである。だからこそ、もっと条約に完全に準拠することができる。まず何よりも、包括的差別禁止法の制定である。憲法とのギャップを埋めることになる。4条(ab)と日本国憲法に不一致はない。しかし、日本政府は留保している。これでは、善意であっても誤解されかねない。善意の印象を与えていないパラドクスである。4条と憲法に矛盾はなく、負担でない。ヘイト・スピチの処罰は、表現の自由にマイナスにならない。国内人権機関設立や、アイヌ、マイノリティ、沖縄、部落の格差がないよう生活水準に引き上げなど。それから報告書では、具体的にCERDの最終見解に応答してほしい。ポイント絞って、リスト・オブ・イッシューを出している。朝鮮人、中国人、ムスリム、沖縄、マイノリティ、じっくり時間をかけて、インカメラで議論して、見解をまとめたい。
大使――ご質問に誠実にお答えした。今後とも人権状況改善、差別を許すことなく、国際社会と協力していきたい。

以上で、今回の日本政府報告書審査はすべて終了した。CERDの最終所見(勧告)は8月29日に委員会で決定される見込みである。

人種差別撤廃委員会・日本政府報告書審査(5)審査2日目・前半

*下記は現場でのメモと記憶による報告であり、正確さの保証はありません。論文や報道などに引用することはできません。CERDの雰囲気をおおまかに伝えるものとしてご了解ください。残念ながら意味不明の所もあります。
*CERDを傍聴された方、下記に間違いや不適切な個所がありましたらご指摘願います。

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前日に引き続き、21日午前10時から、パレ・ウィルソン(国連人権高等弁務官事務所)大会議室において、人種差別撤廃条約ICERDに基づく人種差別撤廃員会CERDの日本政府報告書審査が行われた。NGO席は、日本関連NGO、記者など多数で満席。20日に各委員から多数の質問が出されたのを受けて、まず日本政府からの回答である。
KONO大使――多くの委員から提起されたヘイト・スピーチだが、ICERD4条が禁止する行為には、様々な場面における様々な行為が含まれるので、すべてについて刑罰法規をもって規制することは、その規制の必要性、具体的内容、合理性が厳しく要求される表現の自由との関係、刑罰法規の明確性の原則など憲法と抵触するので4条(ab)の適用を留保した。現在の我が国の状況が、この留保を撤回し、表現の自由を委縮させる危険を冒してまでヘイト・スピーチ立法をする必要がある状況に至っているとは考えない。日本政府はこの問題に手をこまねいているわけではない。法務省人権件機関が、外国人の人権擁護に取り組み、年間強調事項の一つとしているし、人権の擁護啓発雑誌にヘイト・スピーチの記載を追加して配布しいている。公務員に外国人の人権研修講義を行い、啓発活動も進めている。21(2009)年12月の京都朝鮮学校事件の刑事処罰に関しては、被告人4名について、威力業務妨害罪、侮辱罪等で起訴がなされ、京都地裁で有罪判決が出て、確定した。ヘイト・スピーチに関いて、日本刑法では、名誉毀損罪、侮辱罪、威力業務妨害罪、脅迫罪、強要罪などが成立しうるので、捜査当局は刑事事件として取り上げるべきものがあれば法に基づいて適正に処理している。(*日本のヘイト・スピーチ・デモの)ビデオを見た委員から、警察がヘイト・スピーチをする集団を守っているというご指摘があったが、警察は、いかなる立場からも違法行為を看過してはならない、公正中立な立場から規制を行っているのであって、ヘイト・デモを守っていないし、カウンター側を阻害していない。安倍首相は、一部の民族を排除するような言動は極めて残念で、あってはならない」「ヘイト・スピーチはこれまでの国際社会関係を乱し、日本の誇りを傷つけるので、厳しい対処が必要である。自民党でも検討する必要がある」と述べている。政府としては、自民党の取り組みも含めて、この問題に注視していく。
・沖縄について、沖縄県に所在している人、沖縄出身者について、社会通念上、生物学的文化的に一体の共通性を持っている人々と広く認識されていないし、ICERDの人種差別の定義に該当しない(*条約の適用対象ではない)。いずれにしてもわが国では、沖縄出身者を含めてすべての人々が、自己の文化を享有し、自己の宗教、言語を否定されておらず、日本国民としての全ての権利を等しく保障されている。日本政府は沖縄を含む各地の特色ある文化に敬意を払っている。沖縄の文化も保存、振興を図っている。1972年の本土復帰以来、振興特別措置法ができ、様々な振興策がとられ、社会資本の整備を行い、格差が縮小し、産業分野でも着実に発展している。2014年、振興計画の策定主体は国から県へ移管し、県の要望を十分踏まえ、沖縄代表、振興審議会の調査を踏まえながら決定されている。
・人身取引対策について、政府は人身取引手口の巧妙化を踏まえて、2004年行動計画をつくり、2009年12月に改定し、行動計画2009を策定し、人身取り引き議定書3条の定義に従い、行政機関の緊密な連携、国際機関、NGOとの協力の下、人身取引事案を積極的に把握し、人身取引の撲滅、被蓋派の保護につとめている。被害者の社会復帰のために、09~13年、予算を25万ドル、19万ドル、27万ドルを計上し、外国人人身被害者の帰国支援、社会復帰支援事業、帰国後の社会復帰支援費用にあてている。庇護という観点から2011年7月、事案の取り扱い方法、被害者保護の着眼点を整理し、取引対策に携わる関係行政機関に周知している。事案の取り扱い方法、保護措置を取りまとめたが、警察、入管、法務局、婦人相談所、労基署など各種窓口で相談者が、被害者である可能性あると判断すれ、ば保護することを目的とし、警察、婦人相談所、児童相談所に通報し、連携して取り組む。
・技能実習生であるが、研修技能実習は、わが国で培われた技能、知識の開発途上国への技術移転、知識移転のためにつくられた。この制度について、賃金未払い、長時間労働、不正事案の発生があり、国際社会の批判も受けたので、本年6月の閣議決定で、日本再興戦略を決め、国際貢献を目的とする、制度の抜本的見直しを行うことにした。関係省庁の連携、全体に一貫した運用体制、送出し国との政府間取り決め、外部監査の義務化、新たな法律、管理監督の在り方を、年内めどに抜本的に見直し、15年度中に新制度への移行をめざしている。業界指導の充実、地域協議会、関係者などについて、整備し円滑に進めるため、抜本的見直しが現在進行中である。
・慰安婦問題であるが、日本政府の立場は、慰安婦問題はICERD人種差別に該当するものではない。一部の委員が性奴隷という表現を用いているが、この表現を用いることは不適切である。また、日本は1995年にICERDを締結した。条約締結以前に生じた問題に条約は適用されない。一部の委員が、1923年の関東大震災の問題を取り上げたが、これらは条約の実施状況として取り上げることは適切ではない。以上は法的観点の話である。同時に、委員会が求める情報について日本政府は誠実に対応するっことにしているので、わが国の取り組み、立場を説明する。日本は先の大戦に至る一時期、多くの方、アジア地域の人に多大の損害、苦痛を与えた。歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省お詫び、内外の全ての犠牲者に哀悼の意を繰り返し表明してきた。安倍首相も、筆舌に尽くしがたい辛い思いをされた方々への思いは、歴代総理と変わるところはない。補償に関して、慰安婦を含め先の大戦に関わる賠償、財産請求権は、サンフランシスコ条約及び2国間条約に従って誠実に対応し、個人請求権は法的に解決済みである。韓国について言えば、日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決」した。それでもなお、日本は慰安婦とされた多数の女性の名誉と尊厳を傷つけたことに、お詫びと反省のため国民的議論を尽くして、1995年アジア女性基金を償い事業目的で創設した。具体的にはフィリピン、台湾で慰安婦女性に200万円の償い金、医療福祉支援事業を行った。インドネシアでは高齢者対策、オランダでは癒しがたい傷を受けた方の生活状況改善事業をした。日本政府はアジア女性基金に48億円の拠出、そのうち医療福祉11億である。国民の募金による償い金にも最大限の協力をした。償い金提供の際、総理のお詫びremorseの手紙を渡した。歴代総理、橋本、小渕、森、小泉首相が自筆の署名で謝罪と反省の手紙を直接送った。アジア女性基金は2007年に解散したが、フォローアップ事業をしている。なお、強制連行との指摘があるが、91年12月~93年8月に調査、聞き取りを来なって、全体として判断したが、資料の中には軍、官憲による強制連行を示す記述は見当たらなかった。
・移住労働者権利条約、ILO169号条約,無国籍条約、ジェノサイド条約を批准していないことについて、条約の理念は理解しているが、国内法との整合性など慎重な検討が必要である。
・日本国憲法14条の法の下の平等が、条約ICERDの差別的取り扱いの範囲、条約よりも狭いのではないかとの指摘があったが、14条1項の人種その他は「例示的説明」であると解釈されている。「限定列挙」ではない、これらの列挙に直接該当しない場合も不合理な差別はすべて禁止されると解釈されている。14条はICERDの定義の5つの不合理な差別もすべて禁止している。
警察庁――ムスリム情報収集との指摘について、警察は公共の安全、秩序維持の責務を遂行している。そのために必要な情報収集をしている。ムスリムであると言う理由だけで監視活動を来なった事実はない。法律に基づいて適正な活動をおこなっている。 
厚生労働省――二重差別であるが、法務省人権擁護機関が人権相談所を有し、女性、子どもの人権相談を行い、疑いのある事案は調査し、適切な措置をとっている。法務局は、女性の人権電話、女性の人権ホットライン、子どもの人権110番、小中学生子どもの人権SOSミニレター、女性の人権を守ろうなど啓発活動の年間強調事項にしている。女性の人権、人権尊重を高める教育を推進し、社会教育もおこなっている。子ども若者育成支援推進法により、支援政策を総合的に推進している。困難を有する母子家庭に、母子家庭就業支援、養育費、児童扶養手当、総合的自立支援策を行っている。2012年第3次男女共同参画基本計画が、女性について必要な取り組みを勧める。
外国人年金、社会保障、社会保障制度に関して、国内法の国籍要件は撤廃し、適法に滞在する外国人にも同様に制度が適用されるようつとめている。国民年金の国籍要件は1982年に撤廃し、外国人にも適用、1985年法改正で基礎年金発足し、合算対象期間についても国籍取得者、永住許可を得た方に、適用除外とされた期間が受給資格期間に算入されるようになった。
ホテル等入場拒否について、ホテルは旅館業法があり、特定の人種民族を理由とする宿泊拒否は認められていない。国際観光ホテル整備法は国際観光振興目的であり、外国人が安心して宿泊できるよう指導している。飲食店レストラン喫茶店映画館公衆浴場等について、生活衛生関係営業の運営適正化法があり、生活衛生営業指導センターによる指導体制をつくり、利用者からの苦情に積極的に取り組みをしている。公衆浴場へのアクセスについて外国人向けにHPに情報掲載している。
法務省――家庭裁判所調停員について、国籍を持たない者の就任は認めていない。調停員は裁判所非常勤職員であり、国籍が必要である。調停員の権限職務の内容をみると、裁判官とともに調停委員会を構成して活動し、その決議は過半数の意見による、調停が成立した場合それは確定判決と同じ効力を有する、呼出し命令措置には過料の制裁があり、事実調査証拠調べを行う権限も有する。これらの権限を有していることを総合的に考慮すれば、公権力の行使、国家意思の形成に携わるので、国籍が必要である。
戸籍について、高度のプライバシーであり管理を厳格に行うよう研修指導している。2005年戸籍法改正で、不正請求防止策、請求者本人確認、不正請求に罰則強化、不正閲覧発覚に厳正な処分をしていると認識している。
日本人男性と離婚した外国人女性について、配偶者在留資格だが、離婚した場合であっても、引き続き在留を希望するときには申請の理由、来日経歴、在留状況、家族状況、離婚に至った経緯を総合的に判断して、在留の可否を決定することとしている。養育看護を必要とする日本人子どもの養育のため在留を希望する親については、親子関係、親権者、確認できれば、定住者在留資格に変更を許可している。
帰化について、氏名には日本文字を使用しなければならないが、漢字を使うか否かは自由であり、日本人らしい氏名を強要している事実はない。
人権侵害被害者の支援では、国の全額出資により日本司法支援センターがつくられ、全国の事務所をおき、資力の乏しい者対象に民事法律扶助業務、無料法律相談、弁護士費用の立て替え、代理人弁護人との打ち合わせにカウンセラー同席の費用も援助している。
パリ原則国内人権機関について、新たな人権救済機関法案は2012年国会提出されたが、廃案となった。人権救済制度の在り方については、これまでの議論状況を踏まえ適切に検討している。
部落差別、同和について人権擁護機関、はさまざまな人権相談、助言、適切な機関紹介、疑いがある場合は人権侵犯事件調査、侵害の排除、再発防止の適切な措置を行い、同和差別意識解消のため、偏見差別をなくそうを年間強調事項の一つとして掲げ、年間を通して各地で講演会、研修会、冊子配布、イベント実施をつづけている。厚生労働省が、地域で開かれたコミュニティとして、隣保館を設置運営し、各種事業を総合的に実施している。雇用差別について、採用選考で就職差別を未然に防止するため、公正な選考、指導啓発をしている。文科省は実践的研究の実施、調査研究、実践事例の収集・公表をすすめ、意識を高めることにし、社会教育においても2013年度より実践的に実施している。。
難民について、特定国からの庇護希望者についての優先基準はない。法規定の難民は、条約の適用を受ける難民であり、条約に従っている。認定に当たっては個々の申請について条約の要件への該当性を個別に判断しているので、優先的な基準は存在しない。
庇護希望者の送還について、それぞれリスクがあり、送還すべきではないのではないかという質問について、申請中の者を退去強制手続きにより送還することはない。認定申請をした者のうち、認定されなかった場合でも、人道的配慮が必要なものは在留を認めている。人道的配慮の必要性が認められなかった者は強制退去命令となるが、その場合であっても、次の国に送還はない。難民条約33条1項に規定する領域に属する国。2、拷問禁止条約3条1項に規定する国。強制失踪条約16条1行為規定する国。
在留特別許可について、退去強制手続き以前に許可すべきではないかとの質問があったが、入管法では、不法入国者・不法残留者については退去強制事由、原則として退去強制としている。在留特別許可は本来退去強制されるべき者に対する法務大臣による例外的、恩恵的措置である。現行法制上、在留特別許可は退去強制手続きの過程で行われる必要がある。
難民認定申請をして認定がなされない場合でも人道上その他の理由により特別に在留を許可することがある。
文科省――朝鮮学校無償化除外は差別ではないかとの指摘があったが、無償化にかかる指定処分については差別に当たらない。高等学校等就学支援金は、学校において支援金を適正に管理が行われるう事が必要である。教育基本法、学校教育法など関係法令の遵守が求められる。朝鮮学校生徒に支援金制度の適用をするかどうか、基準を満たすかどうかを検討した結果、朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係があり、北朝鮮と密接な関係がある。学校の人事や財政に影響を与えているので、不当な支配に当たらないことについて十分な検証を得ることが出来ず、指定の基準に当たると認めるに至らなかったので、指定しない処分をした。今後、都道府県知事の認可をうけて「1条校」になるか、北朝鮮との国交が樹立されれば、朝鮮学校も審査の対象となる。1条校には、多くの在日朝鮮人が学んでいる。国籍を理由とした差別には当たらない。政策方針変更はいつ、どのようになされたのかという質問があったが、基準審査結果の不指定であって、政策変更をしたことはない。なお、自治体の支援との関係で、助成金は地方自治体の独自の判断で行っているものであって、国としては考えていない。自治体が独自に朝鮮学校を支援することは違法ではない。朝鮮学校を、中華学校、アメリカン・スクールなどと区別して特別扱いはしていない。各種学校としての認可をしており、区別はしていない。
学校に通っていない日系ブラジル人、保護する子どもの就学だが、公立学校への無償受け容れをしているし、外国人学校にもかよえる。義務教育学校への機会を逸することのないよう、就学案内を通知することを、地方教育委員会に通知している。その際、複数言語に対応したひな形を自治体に示している。児童生徒受入れの手引きを教育委員会に送り、周知徹底を図っている。補助事業として、就学前児童に初期教育、不登校・不就学の子どもへの支援、公立学校への移転支援、母語・母文化について、課外において当該国の文化学習も大切、地域の実情に応じて取り組まれている。
ユネスコの8つの言語について、2009年報告書にアイヌ、八丈、奄美、国頭、沖縄、宮古、八重山、与那国がのっている。文化庁は、消滅の危機にある言語方言の活性化の調査研究を実施している。沖縄の文化保護について、文化遺産、保護法に基づく指定、通常2分の1の助成だが、沖縄について一定の要件で5分の4。
内閣官房アイヌ室――1)先住民族権利宣言後、政府は2008年国会決議、官房長官談話を経て、在り方に関する有識者懇談会の2009年報告書で、宣言関連条項を参照しつつ、先住民族であるとの認識に立って、実情に応じた具体的政策、総合的かつ効果的政策をすすめ、アイヌ政策推進会議を設置し、政策を着実に実行している。ただし、国連で宣言に賛成票をした際、土地や資源に関する権利については、第三者の権利及び公共の利益からの制約があることを指摘した。しかし、土地資源の活用、アイヌ文化の復興に強い関心をもち、文化の伝承に必要な土地につき、国有地を活用する事業を認めている。
2)北海道以外に居住するアイヌ民族について、2008年国会決議後、北海道に先住し、独自の言語文化を有する先住民族であり、2010~11年、北海道以外のアイヌの生活実態調査を、全国的見地から必要な支援策を検討し、実施している。
3)アイヌ統計データについて、報告書には2006年北海道庁調査結果を乗せたがその後、2014年北海道庁による新たな調査結果が公表されている。結果概要だがたとえば、教育の状況、大学進学率は着実に向上してきており、今回も25.8%、8.4ポイント増加、しかし、43.?%に比して17.2ポイント異なる。平均年間世帯収入、住民税の状況から見ると、非課税世帯6.4ポイント増加、一方で一定の額を超えて課税される世帯が2.1ポイント増加。アイヌの人々が居住する市町村との比較において今だに差がみられる。対応として、北海道が、経済的理由による就学困難者に対して奨学金事業の支援をしており、政府はこれを支援している。

4)アイヌの文化の維持について、アイヌ語では、97文化振興法で支援、総合的かつ実践的研究、アイヌ語の振興や、伝統に関する普及、伝統的生活空間の再生、アイヌ語、アイヌ文化の振興に寄与している。文化遺産、保護法では、古式舞踊、生活用具を国の文化財指定、保存継承の補助をしている。政府主導により、民族共生の象徴的空間、2015年一般公開に向けて、共生象徴空間として博物館を準備中。伝統的家屋、工房、アイヌの世界観、自然観を学ぶことが出来る空間として、アイヌ文化復興のナショナルセンターになることが期待される。なお、日本では日常生活、経済活動で日本語が一般的に使用されている。学習指導要領に日本語だけとは明文化されていないが、日本語以外の言語は通常は想定されていない。しかし、アイヌ語学習をすることは可能である。