川島浩平『人種とスポーツ――黒人は本当に「速く」「強い」のか』(中公新書、2012年)
比較文化論を学んだアメリカ研究者による本で、このタイトルであるから、当然、「黒人は生まれつき身体能力が高い。だから、野球、バスケットボール、フットボール、陸上競技など圧倒的に強いのだ」といったステレオタイプに対する批判の書である。その結論をどのように説得的に示してくれるかが興味のポイントだ。
冒頭で「黒人」概念の恣意性、黒人とされる人々の多様性が指摘されるが、それは置いておき、サハラ以南の出身の人々を黒人として扱うと言うので、いささか不思議に思ったのだが、それも最後にちゃんと説明をつけてくれる。伏線の一つだった。
叙述の中心部分は、近代アメリカの野球、バスケットボール、フットボールにおける黒人の歴史である。差別による排除の時代や、エリート黒人が「白人化」して活躍した時代、そしてついには黒人が優越して、黒人身体能力生来説が登場する時代を、描いている。さまざまなヒーローたちが登場する。知らない名前も多いが、著名アスリートがいかに活躍したか、それがまた生来説の根拠とされていった過程も明快だ。逆に水泳ではなぜ黒人が活躍していないのか。このあたりから冒頭の議論にたちかえる。「黒人」とは何か。概念の恣意性が端的に示される。
もっとも説得的なのは、エスニック集団の精査の紹介である。例えば、長距離走のトップアスリートはケニア人である。マラソンを見るたびに、ケニア人、黒人が速いと思い込んでしまう。ところがケニアの大半の人々は速くない。速いのは、リフトバレー高原地域、とくにナンディの人々である。なぜなのかも一定程度解明されている。もう一つの例を著者は、ドミニカとジャマイカを例に説明する。ウサイン・ボルトのジャマイカは陸上短距離が圧倒的に強いが、ドミニカ共和国の陸上は弱い。逆にドミニカは野球が強く、ジャマイカは野球は駄目。ここに明快に示されている。
最後に再び黒人概念の曖昧さが指摘される。当たり前のことで、白人も黄色人も恣意的で偶然的な概念だ。そもそも人種などあるのかが問題である。本書では一度も出てこないが、黒人というならメラネシアの黒人はどうするのか、といった具合に。
そして、最後の最後に著者の理論仮説が少しだけ提示される。第1に、当事者が誰か。第2に、時間・時代的文脈がいつか。第3に、地理・空間的文脈はどこか。第4に、現象が発生する契機となる状況は何か。第4の中には、次のような要因が含まれる。
「プランテーションの家父長制下の命令や奨励、帝国主義者による教育や訓練、ナショナリズムによる国威発揚、グローバル資本主義下の利潤追求など、当事者の生きた時空のなかで政治、経済、文化、社会面の諸力が衝突、連動、総合されて形作られる」。
なお、黒人女優ネル・カーターの秀逸なジョークが紹介されている。1990年、マンデラ釈放集会で、「水泳は「非黒人的」な競技である。なぜなら、もし黒人が泳ぎを知っていたなら、奴隷として酷使された祖先たちがアフリカに泳ぎ去ってしまい、この国にアフリカ系アメリカ人が残っているはずもないから・・・」と。これで拍手喝采。秀逸だが、危険なジョークでもある。黒人は泳げないと言う誤った生来説を促進してしまうのだが。
知らない歴史が分かり、写真もたくさん掲載され、愉しめる1冊だ。著者は武蔵大学教授。著書に『都市コミュニティと階級・エスニシティ』、編著に『21世紀アメリカ社会を知るための67章』など。
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Syrah,Valais Sion,2009. シオン城と勘違いしている人が多いが、シオン城はモントルー。ワインが旨いのはヴァレーのシオン。
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8月のジュネーヴ国際人権活動はこれでおしまい。本日のフライトで帰国。ちなみに、宿泊はいつもの山小屋だった。