大江健三郎『個人的な体験』(新潮社、1964年[新潮文庫、1981年])
文壇デヴュー後、60年安保に際して若者代表の役割を負わされ、文学的には試行錯誤を続けた大江は、「セヴンティーン」事件もあって困難な時期を過ごした上、1963年に長男が重い障害を持って生まれるという、個人としても人生の最初の岐路に立たされた。苦境が作家を変えたと言ってしまえば簡単だが、文字通り逆境を乗り越えることによって大江は現代文学の最前線に躍り出て、疾走することになった。その記念碑的作品として本書は今も大江初期の最重要作品である。
1970年代中葉、学生時代に本書を手にしたとき、大江の長男のことを漠然としか知らなかった。どうやら著者自身と子どもがモチーフになっているらしいとは気づいていたものの、それ以上の知識を持たないまま読んだので、どこまでが現実に基づき、どこからが想像、創作なのかといったことに気を取られて読んでいたように思う。そうした読み方が良くないとは思わないが、作品の主題よりも、一つひとつのエピソードに囚われてしまっただろう。また、性愛に目覚めた年代で本書を読むと、不安や恐怖に襲われるが、鳥(バード)や火見子の行動様式には釈然としない思いに駆られもした。大江は、不安や恐怖や絶望を鳥と火見子の行動を通じて描き出しているのに、わかっていながら釈然としないのも事実であった。
文庫に寄せた文章で大江は次のように述べている。「頭部に異常のある新生児として生まれてきた息子に触発されて、僕はこの『個人的な体験』にはじまり。いくつもの作品を書いてきた。それらはすべて、出発点をなした長編とおなじく、現実生活での経験にぴったりかさなっているというのではなく、しかしやはりその自分としての経験に、深いところで根を達しているものであった。それらの作品のいちいちについて、表現されている知恵遅れの子供と父親との関係の差違を見れば、ひとつの作品ごとの、小説の方法についての僕の戦略があきらかであろう。それは文体の選び方ということへも、直接力を及ぼしたのであった。」
本作に始まり、『空の怪物アグイー』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『ピンチランナー調書』へと展開していく大江世界の変遷、変容を確認していく必要があるだろう。