山邨俊英「反復的に行われるヘイト・スピーチに対する将来に向けての規制は『事前抑制』か?――Clay Calvertの議論を素材として」『広島法学』40巻4号(2017年)
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16年6月2日の横浜地裁川崎支部決定は、ヘイト集団によるヘイト・デモ計画に対して、デモ禁止仮処分の申立てを受けて、制定されたばかり(施行されていない)ヘイト・スピーチ解消法の趣旨も踏まえて、デモ禁止仮処分決定を下した。デモ禁止仮処分は、先に京都朝鮮学校事件で京都地裁がすでに出していたので、新しい問題ではないにもかかわらず、メディアや憲法学者はこれを大問題であるかのごとく大騒ぎした。表現の自由に対する事前規制派憲法が禁止する検閲に当たり、許されないとされるからである。川崎地裁決定は、被害を受ける者が平穏に生活する権利を侵害されることなどをもとに仮処分を認めたので、その法理をめぐって議論がなされることになった。
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山邨は、「反復的に行われるヘイト・スピーチに対する将来に向けての規制は『事前抑制』か?」という表題にある通り、ヘイトが反復される場合、将来に向けての規制を単純に「事前抑制」と言ってよいのかという問題意識に出発している。「過去の表現行為に対する否定的評価を根拠に将来の表現行為を規制することが憲法上そもそも許容され得るのか」という問題である。
そこで山邨は、Clay Calvertの議論を紹介する。Calvertは、ヘイト・スピーチではなく、インフォマーシャル放送において、莫大な消費者被害を引き起こす詐欺的なテレビ放送を繰り返した者に対して、再びインフォマーシャル放送を行いたいのであれば、事前に200万ドルのパフォーマンス保証を払うよう求めた事案について検討している。そこにおいて事前抑制と事後処罰の関係が問われた。この課金は「事前抑制と事後処罰との区別を相対化し、思想の自由市場へのアクセスの不平等を促進し、そしてそのような規制手法は本質的に内容規制であるため常に厳格審査に服するべきである」という。
山邨は、Calvertの議論をヘイト・スピーチに応用しようとする。デモ禁止仮処分や、ヘイト団体の公共施設利用問題と同じ性格を有しているからである。そして、山邨は、「Calvertの議論及び本稿の主題である問題の性質を考慮すると、事前抑制と事後処罰の区別を所与の前提とする考え方には再考の余地があるのではないだろうか」という興味深い主張を提示する。
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ヘイト・デモや公共施設利用問題では、私は、事前規制かどうかよりも、「政府が人種差別に加担してよいのかどうか」こそが主題であると指摘してきた。これに対して応答した憲法学者はまだいない。あくまでも「事前規制かどうか」にこだわっている。
しかし、京都地裁決定、さらには山形県や門真市の公共施設利用拒否によって、大きな前進が見られた。
ところが、大阪市審議会が、事前規制は許されないという結論を、ほとんど理由も示さずに提示し、これが猛威を振るうことになった。政府はヘイト団体に協力しなければならないという滅茶苦茶な議論である。
その後、私は、
(1)事前規制が許される場合があり、ヘイトはその例である、
(2)ヘイトの公共施設利用に関する最高裁判例はない。それがあるかのように描き出した大阪審議会の主張は不適切である、
(3)現に起きているヘイト・デモの規制は事前規制ではなく、事後規制である、
と主張してきた。私を支持する憲法学者や弁護士はまだいない。
ところが、16年12月に公表された川崎市協議会の報告書は、ここでいう事前規制についてその的確な実施を要請した。見事な報告書である。私と共通する見解だ。
山邨論文は、上記(1)と(3)に関連して、私とは異なる視点から問題解決を提示しようとしているので、とても参考になる。「事前規制」とは何かをめぐる研究が始まった。
なお、山邨は、思想の自由市場論や内容規制・内容中立規制論を前提として、その次の議論をしようとしている。この点も有益だ。
私は、思想の自由市場論や内容規制・内容中立規制論は日本国憲法と関係がなく、社会科学とも縁がなく、理論的に破綻しているから、学問的意味がないと考えているが。