Sunday, September 30, 2012

ニコニコニコン、恥かきニコン


新藤健一編『検証・ニコン慰安婦写真展中止事件』(産学社)


 

韓国写真家・安世鴻氏のニコンサロン写真展「事件」をめぐる経過と真相を世に問うブックレットである。

 

「慰安婦」問題の真実を訴えようとすると、ただそれだけで固まってしまう社会。見えざる手によって表現が押しつぶされる社会。日本はこの20年、変わらない。

 

歴史の事実に目を向けることを恐れ、ひたすらごまかす。事実を歪めたり、なかったことにして、安心を得ようとする。

 

それだけならまだしも、被害者を貶めたり、他人の意見や表現を抑圧し、国際社会で恥をかき続ける。そんな「日本的」行動様式をニコンも見事に再演してくれた。NHK番組改ざん事件を思い出した人も多いだろう。

 

本書は日本語とハングルの対訳つきだ。最近はこうした出版も増えてきたようだ。西欧に行けば、英語フランス語とか、フランス語ドイツ語の対訳本は珍しくない。手間暇かかるし、コストもかかるが、こうした出版によって日韓の間の垣根を少しでも低めていくことも大切だ。編者及び担当編集者に敬意を表したい。

 

新藤健一:1943年、浅草生まれ。1964年、共同通信社入社。ニュースカメラマンとして帝銀事件・平沢貞通被告の獄中写真、韓国の朴正煕大統領暗殺事件、連合赤軍事件、ダッカでのハイジャック事件などをスクープ。写真部次長、編集委員などを経て、2003年に退職。現在、東京工芸大学非常勤講師。20123月、国連本部で開催された写真展 3.11 ユニセフ東日本大震災報告写真展』(日本ユニセフ協会主催)のキュレーターを務める。著書に『疑惑のアングル』(平凡社)、『写真のワナ』(情報センター出版局)、『映像のトリック』(講談社)など。

 

まえがき
Chapter
 1 ニコンサロンと写真家、安世鴻
Chapter
 2 突然の中止通告の理由
   寄稿① ニコンサロン・安さん写真展取り消し問題 豊田直巳
Chapter
 3 地裁の正論、ニコンの暴論
Chapter
 4 厳重“すぎる”警備体制
   寄稿② 慰安婦問題――河野談話とマイク・ホンダと安世鴻 溝上明
Chapter
 5 日本社会の縮図、ニコン事件
   寄稿③ ニコンの「政治的」介入が映し出したもの 綿井健陽
政治的なカメラ――あとがきに代えて
   ■資料 全記録 ニコン慰安婦写真展中止事件の経緯

はるなつあきふゆ芸術実行犯


ChimPom『芸術実行犯』(朝日出版社)


 

今日は、相模大野グリーンホールで、社会派コント集団ザ・ニュースペーパー公演だった。


 

夕方から台風接近で激しい風なので、早々に帰宅して、UAの「HORIZON」や「太陽手に月は心の両手に」など聞きながら、本書を読んだ。

 

<美術館で拝むだけがアートではない。アートは社会のリアルに切り込むための「武器」である。

 原爆ドーム上空に飛行機雲で「ピカッ」の文字を描き、事故直後の福島第一原発敷地内に放射能マークの国旗を掲げ、岡本太郎の巨大壁画に原発の絵を付け足す。現代日本のアートシーンで最も物議をかもしてきたアーティスト集団ChimPom(チン↑ポム)が自由を新たに塗りかえる。

 世界のアートの動向と共におくる生き方としての美術入門。「これからのアイデア」をコンパクトに提供するブックシリーズ第3弾。画期的なブックデザインはグルーヴィジョンズ。>

 

『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(河出書房新社)でも社会的に話題となり、岡本太郎壁画「追加」事件でも大騒ぎとなった、「自称美術家」「騒がせや」「一発屋」のChimPomだ。

 

どんな奇想天外の話で楽しませてくれるかと思ったら、本書は、ChimPomの歴史、歩みを概説しつつ、ストリート・アート、アクテヴィズムについて論じた著作だった。美術館におけるアート、制度化されたアートとは別に、屋外で、路上で、社会に、現実に介入し、人々に価値観の転換を迫る問題提起の書だ。

 

「スーパーラット」「オーマイゴッド」「アイムボカン」から、「広島の空」を経て、3.11以後におけるアートの可能性に挑戦し、自らの退路を断ったChimPomの「覚悟」「心意気」がよくわかる。

 

「アートで世界はひっくりかえる」、そして「アートが新しい自由をつくる」へと、手を変え、品を替え、自分を作り、アートをつくり、アートを楽しみ、世界を愉しむChimPom

 

まもなく第二作品集が出ると予告されている。楽しみだ。

Thursday, September 27, 2012

鹿砦社編集部編『憂国か革命か テロリズムの季節のはじまり』


鹿砦社編集部編『憂国か革命か テロリズムの季節のはじまり』(鹿砦社)

 

「テロリズムの季節のはじまり」と宣言されると嫌な気分になってしまうが、「夕刻」ならぬ「憂国か革命か」という問いかけを、鈴木邦男、若松孝二、板坂剛、佐藤雅彦らが提示しているのと、大江健三郎「政治少年死す セヴンティーン第二部」、深沢七郎「風流夢譚」が収録されているので、購入した。

 

はじめにに次のように書かれている。

 

<そもそも<テロリズム>とは何か?

1960年代から70年代の疾風怒濤の時代を知るわれわれは、左右両翼による政治テロの生々しい実態に接してきた。

いや、60年代、70年代に限らず、現代史を紐解くと、歴史の結節点に幾度となく政治テロが起きていることが分かる。

(中略)

本質的に政治テロをなくそうとするのであれば、<テロリズム>について根源から探求することが必須だろう。

しかし、われわれはこれまで、そうした本質的な捉え返しをしてきたであろうか?>

 

<非暴力・非武装・不服従・無防備・非国民の平和力>を探る立場からは、テロリズムは全面否定の対象であるが、なぜテロリズムが起きるのか、そもそもテロリズムとは何か、いかにしてテロリズムの倫理と論理をあらかじめ解体するべきか、を検討しておく必要があることは言うまでもない。ロシアのテロリストを思い、啄木とともにテーブルを叩いてもテロリズムの考察にはならない。

 

国家権力と暴力――9.11や3.11を経た現在、まっさきに議論するべきは国家テロであることも言うまでもない。にやけたテロリストたちが権力をふるう現実をどう見るのか。

 

とはいえ、そこから反転して個人テロを擁護することはできない。個人テロを全面的に批判するために、国家テロと個人テロの総体を構造的に読み解いていく必要がある。

 

鈴木邦男の思索は長いこと、この点に集中してきたと言ってよい。名著『愛国の昭和』にいかに向き合うのか――それをかつてなんと平壌で読んだのだが。私たちの課題はますます重く、深くなるが、逃げ出すわけにはいかない。テロリズムは、昭和の愛国の発明品ではない。アイルランドでも、イタリアでも、チェチェンでも、パレスチナでも、イラクでも、時代の悲鳴が響き続けてきた。

 

まだ答えはない。当面の反問は「軍隊は国民を殺す」であり、「国家は国民を殺す」である。これは逆説ではなく、普遍命題であるからだ。


 

なお、鈴木邦男の『新・言論の覚悟』について

Wednesday, September 26, 2012

郷原信郎『検察崩壊――失われた正義』


郷原信郎『検察崩壊――失われた正義』(毎日新聞社)


 

<緊急対談! 「小沢事件」の中、東京地検特捜部で起きた虚偽公文書作成事件。
小川敏夫前法務大臣、石川知裕衆院議員、大坪弘道元特捜部長、八木啓代氏ら注目の論者と共に、検察の嘘をすべて暴く。

6
27日の記者会見時、報道関係者・一部国会議員のみに配布され、最高検察庁がいまだ一般市民への公開を拒否している、本事件の内部調査についての「最高検報告書」、本事件の発端となった「田代報告書」も全文掲載!>

 

元東京地検特捜部検事で弁護士、組織のコンプライアンス問題の第一人者・の郷原信郎が、東京地検特捜部事件(小沢一郎・陸山会事件、田代検事報告書偽造事件)をテーマに4人の人物と対談している。4人の人選が凄い。

 

元法務大臣・小川敏夫、元小沢一郎秘書で衆議院議員の石川知裕、元大阪地検特捜部長でフロッピディスク改竄事件の犯人隠避罪・被告人にされている大坪弘道、そして歌手で「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」代表の八木啓代。

 

いずれも「渦中」の人物であり、4つの対談すべてを通じて、事件の真相を多角的に、文字通りえぐり取るように解明している。待望の書である。

 

“最高検、東京高検、東京地検の犯罪者集団”はグーの音も出ないだろう。

 

どの対談も具体的で明晰ですぐれているが、特に鮮やかなのは「これは日本という国で検察が起こしたクーデター」という八木啓代の指摘である。この視点が従来欠けていた、ないし弱かったのは否めない。小沢一郎がどうかという問題ではなく、検察による民主主義破壊を許してはならないという立場から、検察犯罪を徹底的に追い詰める八木のたたかいは見事である。凛としてたたかう八木に拍手喝采。

 

なお、本書は、この間の大阪地検特捜部事件と東京地検特捜部事件によって検察の正義が失われたという立場である。つまり、それ以前の検察には正義があったという前提である。郷原、小川、大坪は検察出身なので、自分たちは正義を遂行していたと言いたいのだろう。

 

しかし、国際人権規約の自由権規約委員会や、拷問禁止委員会から繰り返し指摘されてきたように、日本の刑事司法は重大人権侵害を続けてきており、検察実務は違法な実務である。本書においても、検察の正義が失われたことが繰り返されるが、刑事司法における身柄拘束や取調べの在り方そのものが人権侵害であることには触れられていない。







Tuesday, September 25, 2012

朴三石『知っていますか、朝鮮学校』


朴三石『知っていますか、朝鮮学校』(岩波ブックレット)


 

 

<目次>

 

はじめに

 

1 事実を知ることの大切さ

――学生の感想から考える

 

2 朝鮮学校で学ぶ生徒たち

――日本の学校・地域社会との交流

 

3 なぜ日本に朝鮮学校があるのか

――在日朝鮮人と朝鮮学校の由来

 

4 どのような教科書を使っているのか

――反日教育でなく友好のための教育

 

5 朝鮮学校と日本社会

――何をどうするべきか

 

 

<著者の言葉>

このブックレットは,つぎのような五つの内容で構成した.

 第一に,朝鮮学校や在日朝鮮人にかんする日本の大学生の素直な感想,意見を紹介することにしたい.そのなかに朝鮮学校を正確に知るための論点が示されていると思うからである.そこには普通の日本人がもちやすい印象や感覚,情報の特徴も反映されていると思う.

 第二に,朝鮮学校とはどのようなところなのかを知るために,生徒たちの学校生活のさまざまな様子を紹介することにしたい.

 第三に,そもそも近代において朝鮮人がなぜ日本で暮らすようになったのか,なぜ日本に朝鮮学校があり,なぜ子どもたちは日本の学校に通わず,あえて朝鮮学校に通うのか,などについて述べたい.

 第四に,教科書から朝鮮学校を知るという視点から,朝鮮学校で使われている教科書の内容と特徴について述べたい.

 第五に,朝鮮学校は日本社会にとってどのような存在であるのかについて述べたい.このなかで朝鮮学校の生徒や親たちや教師たちが,日本社会と日本人の皆さんに何を訴えたいと考えているのかということについて紹介したい.

 

 このブックレットが,今まで朝鮮学校についてあまり知らなかった,あるいは知る機会がなかったという大学生や高校生,先生方など多くの日本人の皆さんの参考になれば幸いである.なお,本書の内容については,すべて筆者の責任においてまとめたものであることを付記しておきたい.

 

日本による植民地支配の結果として、日本に強制連行されたり、渡航を余儀なくされた朝鮮人が自分たちの手で作り上げた朝鮮学校の歴史と現在を、ブックレット1冊でわかりやすく提示している。世界的には植民地支配下で移住した人々は宗主国社会に同化・統合されるのが一般的だが、朝鮮人は在日朝鮮人と呼ばれるように、民族性を保持して日本社会に在住し続け、朝鮮学校を守り育ててきた。朝鮮語を学び、朝鮮の歴史を学び、朝鮮の文化を身につけることで、朝鮮人としてのアイデンティティを育んできた。日本社会による差別と同化圧力、帰化行政にもかかわらず、今も朝鮮学校に子どもたちの声が響き渡る。その秘密を本書は教えてくれる。朝鮮高級学校を高校無償化から排除するという執拗な差別政策を続ける日本の異様さが浮き彫りになる。

Sunday, September 23, 2012

越田清和編『アイヌモシリと平和――<北海道>を平和学する!』


越田清和編『アイヌモシリと平和――<北海道>を平和学する!』(法律文化社)

 



 

北海道ピーストレード事務局長である編者による「序章 アイヌモシリから考える平和――『人間の静かな大地』という平和」は、「北海道」を「アイヌモシリ」と呼ぶことによって、和人(日本人)によるアイヌに対する「植民地支配という認識」が可能になるという。アイヌモシリは、北海道、樺太、千島列島全体をさす言葉でもあるが、明治維新の翌年1869年にアイヌモシリに北海道という呼び名をつけて、日本政府がアイヌ民族に何の断りもなく、大地を略奪し、アイヌ民族を弾圧し始めた。1899年には「北海道旧土人保護法」という差別法によって徹底弾圧が完成する。これに対して、編者は脱植民地化を現在の課題として掲げ、国連先住民族権利宣言を一つの手掛かりとする。

 

本書は13本の論文と、7本のコラムから成る。アイヌ民族共有財産紛争、アイヌモシリの軍事化、北海道の強制労働と朝鮮人強制連行、民衆史掘り起し運動、憲法から見る北海道、女性自衛官人権裁判など、いずれも興味深い論文が続く。執筆者は、さっぽろ自由学校「遊」共同代表、北海道大学准教授、弁護士、世界先住民族ネットワークAINU事務局長、ドキュメンッタリ映画監督、福島の子どもたちを守る会北海道事務局長など。研究者、教育者、平和運動家など幅広い協力の成果である。

 

井上勝生(北海道大学名誉教授)「近代アイヌ民族のたたかい――十勝アイヌ民族を中心に」は特に興味深い。アイヌ民族共有財産裁判の過程での掘り起し、研究成果であり、和人による一方的な収奪に抗して、アイヌ民族が平和的に抵抗を組織した歴史が明らかにされている。

 

また、越田清和「アイヌモシリの軍事化――旭川における陸軍基地の創設をめぐって」は、北海道の「軍都」旭川の形成過程――屯田兵の進出、陸軍基地の形成、土地収奪、アイヌ民族の抵抗が、明らかにされている。

 

表題通り、「アイヌモシリと平和」について多角的に論じた著作であり、これまで類書が存在しない。アイヌモシリ(北海道)への侵略者・屯田兵の子孫の一人としても、本書に学ぶところが多かった。

 

他方、「ヒロシマと憲法」「オキナワと憲法」「ナガサキから平和学する!」「ピース・ナウ沖縄戦」など、地域で平和づくりの実践を試み、地域から平和を発信する著作が増えている。本書もそうした試みに新しい重要な成果を付け加えるものだ。

 

ちなみに先住民族の権利については





 

なお、本書では北方領土問題は扱っていないが、アイヌモシリの「返還」問題にはごくわずかだが触れている。この点に関連して、



保阪正康・東郷和彦『日本の領土問題――北方四島、竹島、尖閣諸島』


保阪正康・東郷和彦『日本の領土問題――北方四島、竹島、尖閣諸島』(角川ONEテーマ21)

 

目次

まえがき なぜ今、領土問題を考えるのか

第1部 外交交渉から見た領土問題(二十五年間の交渉に敗北した北方領土問題、新しい議論が期待される竹島問題、武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題)

第2部 対談 領土問題を解決に導く発想と手がかり(領土問題を考える前提、現実的対応が求められる北方領土、日韓共存、交流の道を探る竹島、抑止力と対話が必要な尖閣諸島)

あとがき 領土をどう考えるか

 

ノンフィクション作家・保阪正康と、元外交官で長年北方領土問題を担当した京都産業大学教授の東郷和彦による新書である。

 

新書1冊で3つの領土問題を取り上げているので、それぞれについての詳細な検討はなされていない。すべて日本の領土であるという前提を設定し、領土問題として議論されるようになってきた背景、議論の経過の要点の整理と、東郷の現場体験をもとにした立論、そして外交交渉による解決のための模索がなされている。「今、すぐに対処しないとあの領土は永遠に戻ってこない」と危機をあおりながら、他方で冷静な議論が必要と主張してみせる。

 

特に北方領土問題は東郷が担当しただけあって、思い入れのほどが伝わってくる。冷静に、と言いながら、実は感情論も交じっている。それは欠点ではなく、むしろ「外交敗北」を正直に認める本書の意義は高い。北方領土交渉における日本側の失敗を列挙して、これだけ失敗すればもうおしまいだということも明らかにしつつ、それでも機会が全く失われたわけではないとして、次の日ロ交渉にいかに臨むべきか、外交の知恵の必要性が求められる。

 

尖閣諸島についても、菅内閣時の中国漁船事件への対処の誤りを的確に指摘している。これによって事態をこじらせ、中国側の姿勢が変化してしまったことの意味を考えるスタイルになっている。本書は12年2月に出版されているが、著者の危惧は、まさに12年夏に明瞭に現出してしまう。「国有化」問題がふたたび中国を刺激して、反日事件が起きる一方、日本側にも異様なナショナリズムが浸透し、差別意識むき出しの世論が蔓延している。

 

歴史的事実に基づき国際法に照らして判断すること、そして、領土問題を単なる対立に終わらせずに、領土交渉を通じて双方の理解を深め、将来展望をもてるような議論をすべきことを説いている点が、本書の最大の特徴と言ってよいだろう。

 

もっとも、事実に基づいて、と言いながら、明らかな虚偽に基づいた主張も忍び込ませている。一例だけあげると、次のように書かれている。

 

「戦後日本側は、多くの人が竹島は日本領だと思いつつも、1954年の韓国の武力による占拠ののちも・・・」(112頁)

 

これは正しくは次のように書くべきだろう(笑)。

 

「戦後日本側は、多くの人が竹島にはまったく関心を持たず、その存在も、どこにあるのかも、何一つ知らないままに・・・」

Wednesday, September 19, 2012

「韓原爆被害者を救援する市民の会結成40年記念集会


7月14日、広島まちづくり市民交流プラザで「韓国の原爆被害者を救援する市民の会結成40年記念集会」が開催された。

 市場淳子(会長)の基調講演によると、1971年12月に大阪で同会が結成されたが、そこに至るまでに6年の闘いがあったという。その後、孫振斗訴訟をはじめとして、郭貴勲(カク・キフン)訴訟、在日ブラジル被爆者訴訟、さらには在韓被爆者健康手帳交付申請訴訟など、日本において訴訟が数多く闘われてきた。その多くが苦難の末に勝訴を勝ち取ったとはいえ、勝訴しても一気に制度改革には結びつかず、幾度も幾度も立ちあがって闘う必要があった。一部は敗訴になっている。

市民の会は、結成40年という節目を迎え、韓国憲法裁判所判決や大法院判決を活用して世論に訴えかけを続けて行くだろう。被爆者問題は日本人被爆者や韓国人被爆者だけではなく、朝鮮半島北部の被爆者や、アメリカやブラジルなどにいる被爆者の救済も必要であるとし、「被爆者はどこにいても被爆者」という姿勢で活動を続けるだろう。

重要文献として、市場淳子『ヒロシマを持ちかえった人々――「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』(凱風社、2000年)、茅野丈二・平野伸人『命つないで――在韓被爆者・金文成さん救援の記録』(長崎新聞社、2010年)。

Tuesday, September 18, 2012

村山治『検察――破綻した捜査モデル』


村山治『検察――破綻した捜査モデル』(新潮新書)

https://www.shinchosha.co.jp/book/610481/

 

<最強の捜査機関は「時代遅れのガラパゴス」に

記者クラブとの関係、「国策捜査」の深層、不祥事続発の背景まで検察取材の第一人者が徹底解説>

 

大阪地検特捜部事件、小沢一郎事件などで証拠改竄・捏造が批判を浴び、繰り返し醜態をさらした検察を長年取材してきた朝日新聞記者による新書だ。これまでに『特捜検察vs金融権力』『市場検察』を書いているという。

 

取り上げられている話題、事件、具体例はほとんど知っていることばかりだが、随所に匿名で検察関係者の話が出て来るところが、いちおうのウリだ。

 

厳しい検察批判というよりは、検察取材を続けてきた立場からの検察再生の期待を込めた批判であろう。

 

これまでの新聞記者による検察ほんと違うのは、第一章が「諸悪の温床『取調べ』」というところだ。これも大阪地検特捜部事件や小沢一郎事件のおかげか。「人質司法」批判にもきちんと言及している。もっとも、相変わらず、昔の平野龍一の議論程度しか見ていない。その後の刑事法研究の水準を踏まえていないが、やむをえないか。

Monday, September 17, 2012

パレ・ウィルソンの人権像


レマン湖のほとりに立つパレ・ウィルソン(人権高等弁務官事務所)の食堂を出ると中庭にこの像が建っている。前から気になっていたが、今回、写してきた。

インデペンデントWHO


ジュネーヴの世界保健機関(WHO)の前でチェルノブイリ問題を訴えてきたNGO「WHO独立せよ Independent WHO」訪問の写真。この日は、8月13日で、フランス人、ドイツ人が立っていた。もう何年も続いているので、何度も訪れたが、いつも違う人たちが交替で続けている。日本の新聞記事も見られた。

http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/08/blog-post_7119.html


原発民衆法廷第5回広島公判


7月15日・広島(まちづくり市民交流プラザ)で原発民衆法廷第5回公判が開かれた。

広島公判は、原発民衆法廷全体の呼びかけ人に加えて、広島独自の呼びかけ人として、足立修一、岡原美知子、豊永恵三郎、日南田成志、藤井純子、森瀧春子、湯浅正恵、横原由紀夫が名を連ねた。また、元国際司法裁判所判事で、核兵器の投下は国際法違反であるとの判断を下したクリストファー・ウィーラマントリー国際反核法律家協会会長からメッセージが送られた。

 広島公判の主題は、第1に、原発そのもの及び原発事故の違法性・犯罪性であり、第2に、中国電力の島根原発及び工事が強行されようとしてきた上関原発問題であった。

 民衆法廷は原発の犯罪性を次のように指摘した。

 「原子力発電事故による最も深刻な被害は、放射能被曝による死亡または多種にわたる癌や白血病などの発病、さらには被曝の恐怖が原因の精神的疾患である。原爆攻撃の被害者、核実験場、核兵器製造工場、ウラン採掘場ならびにその近辺地域で被曝した人たちと同様、原発事故によって放出された放射能による外部・内部両被曝が、後発性の癌や白血病、心臓病などの内臓疾患、眼病など、様々な病気を引き起こすことは、チェルノブイリ事故の被災者、とくに幼児の発病ケースが多いことからも明らかである」。

 「これまで、『人道に対する罪』は、紛争時あるいは戦時にのみ犯される残虐な戦争犯罪の一種と一般的には考えられてきた傾向がある。しかし『人道に対する罪』とは、『戦前、戦中における、一般人民に対しての殺害・殲滅・奴隷的扱い・強制移動などの非人道的行為と、政治的・人種的・宗教的理由による迫』と定義されており、『戦前』、すなわち平時おいても起こりうる犯罪であるということを忘れてはならない。しかも、地震や津波によって引き起こされる過酷事故の場合には、必然的に無数の市民を放射能被曝の被害者にするということを明確に知りながら原発や放射能関連施設を稼働することは、『人道に対する罪』を予防しようとする意志が完全に欠落していることを表明している。したがって、原発の建設・設置そのものが、犯罪行為と称せるのではなかろうか。いわんや、地震が起きれば大事故を引き起こすような活断層の存在する地域に原発を建設することは、犯罪行為と言えるのではないか」。

ジュネーヴ2012(3)モンブラン





久しぶりにモンブランに登った。以前行ったときは8月なのに山頂は猛吹雪だったが、今回はよく晴れて素晴らしい景色だった。

ジュネーヴ2012(2)レマン湖










8月上旬のジュネーヴ祭は、レマン湖畔にお店が出る。大噴水、観覧車、そして観光客。花火大会もゆっくり見ることができた。

ジュネーヴ2012(1)








例年、8月はジュネーヴ(スイス)で国連人権機関に通っている。今年も国連人権理事会諮問委員会と、人種差別撤廃委員会を傍聴して、資料を収集してきた。

Sunday, September 16, 2012

原発犯罪の刑事責任を問う『原発民衆法廷③』(三一書房)


原発犯罪の刑事責任を問う『原発民衆法廷③』(三一書房)


 
さんいちブックレット003
『原発民衆法廷』5・20郡山公判
福島事故は犯罪だ! 東電・政府、有罪!
原発を問う民衆法廷実行委員会編


3冊目のブックレットは、5月20日に郡山で開催した第3回公判の記録である。郡山公判では、第1回東京公判で起訴された被告人らに対する判決(決定第3号)が言い渡された。ブックレットに全文収録しているが、主文は次のとおりである。
 

1.被告人・東京電力株式会社(代表取締役社長西澤俊夫)は、人の健康に関わる公害犯罪の処罰に関する法律第2条につき有罪とし、同法律第4条を適用する。
2.被告人・勝俣恒久、同・清水正孝、同・武藤栄は、いずれも、人の健康に関わる公害犯罪の処罰に関する法律第2条及び業務上過失致死傷罪(刑法211条)につき有罪。
3.被告人・班目春樹、同・寺坂信昭、同・近藤駿介は、いずれも、業務上過失致死傷罪(刑法211条)につき有罪。
4.被告人・菅直人、同・海江田万里、同・枝野幸男は、いずれも、業務上過失致死傷罪(刑法211条)につき有罪。

 

*東電以外の個人の被告人は次の九人である。勝俣恒久(取締役会長、以下肩書きは当時)、清水正孝(取締役社長)、武藤栄(取締役副社長兼原子力・立地本部長)、班目春樹(原子力安全委員会委員長)、寺坂信昭(原子力安全・保安院院長)、近藤駿介(原子力委員会委員長)、菅直人(内閣総理大臣)、枝野幸男(内閣官房長官)、海江田万里(経済産業大臣)