Tuesday, April 26, 2011

平和的生存権国連宣言を求める(友和1月号)

――国連人権理事会における議論



人権理事会諮問委員会



 2010年8月、ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催された国連人権理事会諮問委員会第5会期で、諸人民の平和への権利が議題として取り上げられた。


8月5日、ジュネーヴに集結した5つのNGOは、諮問委員会(人権問題専門家によって構成された委員会)にアピールするための相談を行い、NGO発言を行った。


  最初に、デヴィド・フェルナンデス・プヤナ(スペイン国際人権法協会)が、これまでの取り組みを踏まえて、人権理事会での検討を通じて諸人民の平和への権利の概念内容を明確にし、国連宣言を作るよう訴えた。プヤナは、キャンペーンを組織したスペイン国際人権法協会(AEDIDH)事務局員である。続いて、アルフレド・デ・ザヤス(国際人権協会)が、平和への権利の射程の広さを強調して、すべての人権を支えるものとして人権体系に位置づける発言をした。デ・ザヤスはジュネーヴ大学名誉教授である。ミシェル・モノー(国際友和会)は、テロとの闘いにふれ、テロ対策には戦争ではなく、平和への権利の定式化こそ重要と訴えた。モノーは「軍隊のないスイス」運動のメンバーである。次に筆者が、2008年5月に日本で開催された9条世界会議や、2009年にコスタリカのプンタレナスで開催された平和会議を紹介した。最後にクリストフ・バルビー(国際良心・平和税)が、紛争解決の思想と方法としての平和への権利について述べた。バルビーは「軍隊のない国家27カ国」の研究者で、講演のために2度の来日経験がある。


  諮問委員会は作業グループを設置し、議論を行なった結果、決議を採択した。諸人民の平和への権利について、さらに議論する必要性を認めて、今後も議論を続けることになった。



スペインNGOのキャンペーン



  国連で諸人民の平和への権利が議論されているのに、日本では報道されないため、ほとんど知られていない。これまでの経過を簡潔に追ってみよう。


2006年10月、スペインの法律家たちが、「平和への権利するルアルカ宣言」採択し、世界キャンペーンを始めた。国連人権理事会に持ち込んで、平和への権利の議論を巻き起こし、各国政府に要請行動を行い、2008年以後、関連する決議を獲得してきた。諸国・地域のNGOにも呼びかけた。


 2010年2月、今度は「ビルバオ宣言」採択した。ルアルカ・ビルバオ両宣言は、平和とはすべての形態の暴力が存在しないことであるという理解に立っている。直接暴力(武力紛争)、構造的暴力(経済的社会的不平等の帰結、極貧、社会的排除)、文化的暴力である。法律的見地からは、平和とは国連憲章の基礎であり、世界人権宣言その他の人権文書の指導原理であり、平和そのものが人権と考えられるべきである。諸人民の平和への権利という表現は1984年の国連総会決議に由来する。人権理事会は、2008年決議8/9と2009年決議11/4を採択し、平和への権利の研究を始めた。スペイン・グループは、2010年6月、ルアルカ・ビルバオ宣言を踏まえて「バルセロナ宣言」をまとめた。欧州やラテン・アメリカを中心に賛同NGOが続々と増えている。スペイン国際人権法協会がとりまとめたNGO文書には世界の500ものNGOが賛同している。同月、人権理事会は決議14/3を採択し、さらに研究を続けることになった。なお、日本政府は残念なことに一貫して反対投票してきた。



ルアルカ宣言



最初のルアルカ宣言を見てみよう。宣言は、国連憲章の平和理念や、世界人権宣言や国際人権規約などの国際人権法の理念や、1984年の国連平和的生存権宣言などを振り返り、「個人、集団、人民は、正当な、持続可能な、継続する平和への不可分の権利を有する。この権利によって、個人、集団、人民は、この宣言に明示された権利の担い手である」(第1条)とする。


さらに、平和への権利の教育の権利として「平和・人権教育を受ける権利」があり、信頼、連帯、相互尊重の精神での紛争解決も教育内容に含められる(第2条)。人間的安全保障の権利として、食料、飲料水、健康、衣服、住居や基礎教育を得る権利や、雇用や労働組合加盟の公正な条件を享受する権利も有する(第3条)。安全と健康な環境の権利として、国家によるものであれ非国家行為者によるものであれ、違法な暴力行為からの保護を受ける権利がある(第4条)。不服従と良心的兵役拒否の権利として、個人としても集団としても、平和のための不服従と良心的兵役拒否の権利がある。不服従を認めない法律に平和的に抗議し、従わないことが認められる。軍隊構成員であっても、犯罪的命令や不正義の命令には従わない権利がある。武器製造や開発のための科学研究に参加しない権利がある。軍事支出のための税金支払いを拒否する権利がある(第5条)。すべての個人と人民は、人権や人民の自己決定権に対する重大又は組織的な侵害に抵抗・拒否する権利がある。戦争、戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド、侵略の罪、戦争宣伝に反対する権利を有する(第6条)。差別なしに、難民状態の場合に難民の地位を承認される権利がある(第7条)。移民、平和的移住、参加の権利として、平和的に移住する権利や母国に帰還する権利が認められる。居住する国家における公的な事項に参加する権利がある。自分たちの要求を自由に表明できるようにするために特別の機関を設立する権利がある(第8条)。国際人権法としての思想・良心・信仰の自由の行使が認められる(第9条)。人権侵害について、効果的補償を受ける権利、真相解明や責任者の処罰を含めて、裁判を求める権利がある。人権侵害被害者や家族は真相を知る権利がある(第10条)。軍縮を求める権利があり、軍縮による経費を経済的社会的文化的発展に利用することができる(第11条)。すべての個人と人民は、発展の権利、発展への貢献、発展を享受する権利がある(第12条)。すべての個人と人民は、持続可能な自然環境に暮らす権利がある(第13条)。被害を受けやすい集団は、暴力の諸形態が権利の享受に対してもつ影響を分析する権利がある。紛争の平和的解決に対する女性の特別な貢献が活用されるべきである(第14条)。すべての個人と人民は、平和と真実の情報の要求を認められる(第15条)。平和への権利の実現のための義務として、国家や国際機関のさまざまな責務が確認される(第16条)。平和への権利に関する本格的議論を行うためのワーキング・グループ設置を提唱する(第17条)。そのワーキング・グループの機能が列挙される(第18条)。



2010年人権理事会決議



  2010年決議14/3(A/HRC/RES/14/3)は、賛成31、反対14で採択された。


 決議の主な内容は、次の通り。わが地球の諸人民が聖なる平和への権利を持つことを確認し、平和への権利の履行の促進が各国の義務であるとし、平和への権利はすべての者のすべての人権にとって重要であるとし、平和・安全・発展・人権を国連システム内で統合することをめざし、国際平和と安全保障の維持・確立が全ての国家の責務であるとし、すべての国家が国連憲章に従って平和的手段で紛争を解決する義務があるとし、平和への権利の実現のために平和教育が重要であるとし、諮問委員会にこの問題について議論し報告書を提出するよう求め、2011年の人権理事会で継続審議すると決めている。


  投票結果は次の通りである。賛成は、アンゴラ、アルゼンチン、バーレーン、バングラデシュ、ボリヴィア、ブラジル、ブルキナファソ、カメルーン、チリ、中国、キューバ、ジブチ、エジプト、ガボン、ガーナ、インドネシア、ヨルダン、マダガスカル、モーリシャス、メキシコ、ニカラグア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、カタール、ロシア、サウジアラビア、セネガル、南アフリカ、ウルグアイ、ザンビア。


  反対は、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、フランス、ハンガリー、イタリア、日本、オランダ、ノルウェー、韓国、スロヴァキア、スロヴェニア、ウクライナ、イギリス、アメリカ。棄権は、インド。


 平和的生存権に反対しているのは、EU諸国、日本、アメリカである。アフガニスタンとイラクへの戦争を見れば明らかなことだが、戦争勢力は誰なのか、民族自決権を踏み躙っているのは誰なのかを考えるためにも参考になる。



日本での取組みを



  2010年12には、サンティアゴ・デ・コンポステラで平和への権利NGO国際会議」がかれ、宣言が採択された。スペイン・グループはこれらの成果を元に、さらに人権理事会で議論を進め、平和への権利の法典化を求め、最終的には国連総会での宣言採択をめざす。いよいよ「国連・人民の平和への権利宣言」の可能性が見えてきた。


  国連で諸人民の平和への権利(平和的生存権)が審議されているのに、残念なことに日本国憲法前文や9条が貢献していない。スペイン・グループは日本国憲法9条を知っている。しかし、日本の平和的生存権の議論をよく知らない。言葉の壁は大きい。議論に加わってきた日本人も僅かだ。日本政府は断固反対を貫き、日本のマスメディアは報道しない。日本とは無関係に平和的生存権の議論が進む。日本から参加しているのは、国際民主法律家協会(IADL)に属する法律家であり、9条に関して情報発信しているが、今後の議論に、より積極的に加わっていく必要がある。例えば、2008年のイラク自衛隊派遣違憲訴訟名古屋高裁判決は、平和的生存権の具体的権利性を認めた公文書である。おそらく世界史上画期的な文書のはずだから、国連に報告していく必要がある。


 また、2011年春には、スペイン・グループの代表を日本に招くための準備も始まった(*)。国連平和的生存権宣言を実現するための取組みを日本国内でも強化したいものだ。



「友和」2011年1月号



* スペイン法律家招請は、3月11日の東アジア大震災と原発事故のため中止になった。本年秋以後に実現したいと考えている。

Thursday, April 14, 2011

「北方領土」とアイヌ民族の権利(3)

先住民族権利宣言



国連総会は、二〇〇七年九月一三日、先住民族権利宣言を採択した(以下引用は市民外交センター訳)。先住民族に対する普遍的人権宣言であり、画期的なものである。


 「先住民族は、集団または個人として、国際連合憲章、世界人権宣言および国際人権法に認められたすべての人権と基本的自由の十分な享受に対する権利を有する」(第一条)。「先住民族および個人は、自由であり、かつ他のすべての民族および個人と平等であり、さらに、自らの権利の行使において、いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティ(帰属意識)に基づく差別からも自由である権利を有する」(第二条)。「先住民族は、自己決定の権利を有する。この権利に基づき、先住民族は、自らの政治的地位を自由に決定し、ならびにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追求する」(第三条)。


大まかに分類すると次のような内容である。第一に、人権保障の原則である。冒頭の三か条に続いて、先住民族権利宣言は多様な権利を掲げている。自治の権利(第四条)、国政への参加と独自な制度の維持(第五条)、国籍の権利(第六条)。


第二に、民族的アイデンティティ全体に関する権利である。生命、身体の自由と安全(第七条)、同化を強制されない権利、すなわち「先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する」 (第八条)。共同体に属する権利(第九条)、強制移住の禁止(第一〇条)。


第三に、文化・宗教・言語の権利である。文化的伝統と慣習の権利(第一一条)、宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還(第一二条)、歴史、言語、口承伝統(第一三条)。


第四に、教育・情報などの権利である。教育の権利(第一四条)、教育と公共情報に対する権利、偏見と差別の除去(第一五条)、メディアに関する権利(第一六条)、労働権の平等と子どもの労働への特別措置(第一七条)。


第五に、経済的社会的権利と参加の権利である。意思決定への参加権と制度の維持(第一八条)、影響する立法・行政措置に対する合意(第一九条)、民族としての生存および発展の権利(第二〇条)、経済的・社会的条件の改善と特別措置(第二一条)、高齢者、女性、青年、子ども、障害のある人々などへの特別措置(第二二条)、発展の権利の行使(第二三条)、伝統医療と保健の権利(第二四条)。


 第六に、土地・領域(領土)・資源の権利である。 「先住民族は、自らが伝統的に所有もしくはその他の方法で占有または使用してきた土地、領域、水域および沿岸海域、その他の資源との自らの独特な精神的つながりを維持し、強化する権利を有し、これに関する未来の世代に対するその責任を保持する権利を有する。」(第二五条)。土地や領域、資源に対する権利(第二六条)、土地や資源、領域に関する権利の承認(第二七条)、土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利(第二八条)、環境に対する権利(第二九条)。


 第七に、自己決定権を行使する権利である。アイデンティティと構成員決定の権利(第三三条)、慣習と制度を発展させ維持する権利(第三四条)、共同体に対する個人の責任(第三五条)、国境を越える権利(第三六条)、条約や協定の遵守と尊重(第三七条)。


その他、第八に、実施と責任の諸規定、第九に、国際法上の性格規定である。



アイヌ民族の権利



権利宣言以後、アイヌ民族をめぐる動きが急速に展開している。


かつて日本政府はアイヌ民族の権利を認めようとしなかった。アイヌ文化保護法は文化に関する法律で、権利を認めるものではない。日本政府は、二〇〇一年の人種差別撤廃委員会でも、「先住民族の国際法上の概念が確立していないからアイヌ民族を先住民族といえるかどうか判断できない」といった逃げの姿勢であった。人種差別撤廃委員会や、国連人権理事会の人種差別問題特別報告者は、アイヌ民族を先住民族と認めて、権利保障するよう勧告してきた。


権利宣言採択の翌〇八年六月、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を衆参両院が採択した。国会が行政に対して、アイヌの先住民族性の認知を求めた。七月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が設置された。三名の委員中、アイヌ民族委員が一名選ばれた。有識者懇談会は、〇九年七月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書を提出し、〇九年八月、「アイヌ総合政策室」(旧アイヌ政策推進室)、〇九年一二月、「アイヌ政策推進会議」が設置された。一四名の委員中、アイヌ民族委員は五名である(まだ少ないが)。二〇一〇年一月、推進会議が活動を開始した。権利宣言が採択されてから僅か三年で日本政府の姿勢は一大転換を遂げた。


権利宣言を踏まえて、歴史をアイヌ民族の視点から洗い直す必要がある。アイヌ民族に関する歴史をきちんと学校教育で教え、アイヌ民族の視点から歴史観を検証することが不可欠である。日本はどうやって近代国家になったのかを問うことは、明治政府の責任(植民地化、制度的差別、強制同化政策)を浮かび上がらせる。日本はどうやって「民主主義国家」になったのか。戦後政府の責任(「単一民族国家」幻想)が問われる。日本の植民地主義はどうであったか、非植民地化プロセスはいかに辿られたのかである。


その上で具体的政策である。国民の理解の促進(教育・啓発)、広義の文化に関する政策の推進(国連宣言の遵守という視点から)、推進体制の整備(審議会・行政窓口の設置、法制化など)がすすめられるべきである。遅ればせながらも、日本政府が転換を遂げた現在、課題は具体的政策の策定と履行であり、社会的差別の是正である。


 ところが実際には、日本政府は、北海道外に居住するアイヌの調査、およびアイヌ民族の象徴的施設の問題しか取り上げようとしない。特に権利宣言第二五条以下は完全に無視している。


権利宣言を考慮すれば、北海道は、いったい誰の「固有の領土」であったのか明確になるはずだ。アイヌ民族から奪った土地の返還が基本原則である。今さら返還は現実的でないというのは奪った側の理屈に過ぎない。北海道の土地の半分は国有地であるから、返還は不可能ではない。アイヌ民族の代表と交渉して、返還できる土地の返還を進め、返還困難な土地については土地利用権について協議するなり、補償するなりの施策を進めるべきである。私有地の返還はなるほど困難が伴うだろう。しかし、譲渡の制限や、環境保護のための開発規制は不可能ではない。また、補償は当然可能である。


 「北方領土」も同様である。「父祖が築いた北方領土」などと宣伝しているが、実際は「父祖が盗んだ北方領土」ではなかったか。日ロの国境をめぐる外交交渉において、アイヌ民族や、ロシア側の先住民族の意見を十分に聞き、配慮する必要がある。それは国境線の引き方にも関わるが、どこに国境線が引かれようとも、先住民族の権利を尊重するべきである。



「救援」502号(2011年2月)

「北方領土」とアイヌ民族の権利(2)

「固有の領土」という虚構



 一二月一七日、沖縄県石垣市議会は「尖閣諸島はわが国固有の領土である」として「尖閣諸島開拓の日」を定める条例を可決した。これに対して中国外務省は「中国の釣魚島の領土、主権を侵すたくらみは無駄で無効だ」という談話を発表した。竹島(独島)を日本領土として「竹島の日」を定めた島根県条例と同様に、石垣市の決定はまったく不適切である。仮に「尖閣諸島は沖縄/琉球に属してきた」という立場に立ったとしても、石垣市議会の行為は愚劣と言うしかない。


 第一に、日中の政治的対立が生じている渦中に一方的な主張を並べ立てても、紛争と対立をいっそう煽る結果にしかならない。第二に、他者との協議を否定し、他者の存在すら無視する姿勢は国際的な信頼を損なうだけである。日中関係だけでなく、東アジアにおいてかつて日本人は他者を見下し、無視してきたが、同じことを繰り返している。第三に、「固有の領土」などという主張は国際社会に通用しない。国際法上もそのような考え方は採用されていない。石垣市議会は国際法を無視した主張をしている。国際社会の常識を無視し、他者の存在も無視して、内向きの自己主張を漫然と繰り返す姿勢は、日本政府と相似している。というよりも、日本政府・外務省やネット右翼の珍奇な主張を反復しているに過ぎない。


 「北方領土」についても日本政府は同様の主張を執拗に繰り返してきた。


北方四島は、歴史的にみても、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土であり、また、国際的諸取決めからみても、我が国に帰属すべき領土であることは疑う余地もありません。北方領土問題とは、先の大戦後、六〇年以上が経過した今も、なお、ロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題です。」(内閣府北方対策本部見解)


もともと「固有の領土」概念は、北方領土や米軍政下の小笠原諸島について現状を説明するために日本政府がひねり出した言葉に過ぎない。それが竹島や尖閣諸島にも転用されるようになった。国内向けには、一見するとわかりやすい言葉であり、世論もそのまま受け容れているようだ。しかし少し考えれば無意味な言葉であるとわかる。奈良や京都や大阪について「わが国固有の領土」と言うことはない。必要がない。この言葉を用いるのは北方領土、竹島、尖閣諸島である。つまり、領土紛争のある場で用いられている。領土紛争は両当事者間の関係で決まる。他者との関係抜きに「わが国固有の領土」など成立するはずもない。内向きの政府が国民をさらにいっそう内側に囲い込んで、常識と非常識の区別すらつかないようにしてしまった。


北方領土(南千島)は一度もロシアなど他国の領土になったことがなく、近代国家としては日本以外に所属した可能性を論じるまでもないのは事実である。しかし、南千島にしても北海道にしても、もとはアイヌ民族が先住してきた地域である。アイヌモシリがいつ、なぜ「日本の固有の領土」になったのか。日ロ間の外交による国境線引きは日ロ間の話に過ぎない。アイヌ民族とかかわりのないところで勝手に線を引いただけである。



逆さの鏡に映った固有



 先住民族の法律家であるロバート・ミラー、ジャチンタ・ルル、ラリサ・ベーレント、トレイシー・リンドバーグの『先住民の土地を発見する――イギリス植民地における発見の法理』(オクスフォード大学出版、二〇一〇年)において、ロバート・ミラーは、英米における発見の法理の要素を検証した(前号参照)。同様に、トレイシー・リンドバーグの論文「カナダにおける発見の法理」を見てみよう。


リンドバーグによると、「大地は我等の母である」という先住民族の観念はステレオタイプに誤解されがちだが、先住民族と土地との関係を理解するためには、西欧的観念をいったん脇に置く必要がある。多くの先住民族文化においては、大地は生きていて、生活の糧を与えてくれる。大地はすべての生き物に生命を授ける。その意味で大地は母親である。誰も母親を所有することはできない。誰も母親を取り除いたり、他人に与えたりできない。先住民族は他の民族とさまざまな協定を結んできたが、協定によって先住民族と土地との関係を変更することはできない。先住民族と土地との関係を理解するためには「固有(inherency)」を観念する必要がある。その土地に伝来生活してきた先住民族の土地との関係である。


リンドバーグによると、先住民族の「固有」を破壊し、排除してきたのが「発見の法理」であった。発見の法理とは、植民者の信念体系と、その信念体系に基づく自己の制度(法、経済、政府)の優越性を合法化(rightfulness)、正当化(righteousness)するために共有された理論ドグマである。発見の法理は優越性という人種主義哲学に起源を有する。旧世界のキリスト者が新世界の異端者を劣等視するための理論である。宗教、言語、法など近代的思考が総動員され、「善と悪、合法と不法、正当と不道徳、土地所有者と占有者」が恣意的に配分される。カナダでは一四九七年のヘンリー七世がジョン・カボットに与えた征服条例が端緒となった。


リンドバーグは、カナダにおける発見の法理を八つの要素によって説明する。


1. 西欧人による最初の発見という主張


2. 植民者によって取り引きされる国民と国民


3. 現実の占有と所有


4. 西欧人の土地所有であるという主張


5. インディアンの土地所有観念の創設


6. 先住民族の主権を制限する試み


7. 国内化・一国化(キリスト教、同化、強奪)


8. 発見によって制限された主権概念の発展


 ジョン・カボットに続いて、ジャック・カルティエがニューファンドランドに移植し、カナダにおける発見の法理が猛威を振るう。植民者の信念はやがて憲法となり、法となり、判例となり、すべての者を拘束していった。


リンドバーグによると、発見の法理は今日もカナダ法にしっかりと根付いている。先住民族の哲学や法観念はカナダ法によっては吟味されない。帝国主義植民者の言語、彼らの法的言語は先住民族にとっては疎遠な言語にすぎない。先住民族の法秩序にとっては違法な敵対物に過ぎない。植民者が用いる「固有」は、逆さの鏡に映った非-人道性である。カナダ法と先住民族の法の相互関係性において、法、合法、違法の基準を評価しなおす必要がある。この意味で、カナダ法史なるものは、いまだ歴史となりえていない。


先住民族の土地観念としての「固有」を、現代国家日本が国際関係の中で用いることの倒錯性が、ここで明らかになる。日本政府の「固有」なるものは逆立ちした観念であり、アイヌ民族に対する非-人道的支配の明証である。アイヌ民族がシャモに対して用いる時に初めて「固有」という言葉に息が吹き込まれるのだ。




「救援」501号(2011年1月)

「北方領土」とアイヌ民族の権利(1)

無主地先占論





 メドヴェージェフ・ロシア大統領のクナシリ島電撃訪問によって北方領土問題が注目を集めた。外務省が「予想していなかった」と醜態を晒したのは、驚きであった。一部のメディアや政治評論家が予想していたのに、外務省の情報収集と分析はいったいどうなっているのか。しかも、予想していなかったと認めて公表してしまう神経には呆れるしかない。これでは外交はできない。外務省にできるのは、経済力を背景とした札束外交と、アメリカへの泣きつき外交だけである。大阪地検特捜部事件に見られる検察崩壊。公安警察のデータ流出。尖閣諸島映像流出。これだけ続くと、日本はほとんど「無政府状態」と言っても良いほどだ。菅政権が続いても、崩壊しても、庶民にとっては何も変わらないのかもしれない。



尖閣諸島(釣魚島)、竹島(独島)、北方領土(南クリル)の領土問題では、ナショナリズムが噴出し、中国や韓国に対する剥き出しの差別と排外主義がはびこっている。日本メディアは中国の反日デモだけを報道し、日本側の反中国デモを隠蔽して意図的に情報格差を作り出して、差別を煽っている始末だ。メディアによるバックアップを受けて、ヘイト・クライム団体が勢いづき差別発言を撒き散らしている。



 こうした中、領土問題について浮上しているのが無主地先占論である。日本政府は、尖閣諸島についても、竹島についても、「わが国固有の領土」論と無主地先占論を併用し、使い分けてきた。「固有の領土」論なる奇妙な主張は、国内では通用するが、国際社会には通用しない。欧米諸国の大半が戦争や領土紛争を経て国境線を引き直してきたのだから、固有の領土論など受容されるはずもない。他方、無主地先占論と固有の領土論とは背反するにもかかわらず、未練がましくも両者を使い分ける姿勢は滑稽かつ噴飯物である。とはいえ、江戸末期の日露交渉においてロシアがこれを唱えたように、無主地先占論とも言うべき法理が国際的に利用されてきたのも事実である。



一〇月三〇日、みどりの未来運営委員会が公表した見解「『尖閣』諸島(釣魚島)沖漁船衝突事件――脱『領土主義』の新構想を」は、「そもそも、日本政府が領有権を正当化する『無主地先占の原則』(所有者のいない島については最初に占有した者の支配権が認められる)は、帝国主義列強による領土獲得と植民地支配を正当化する法理であり、また、アイヌなど世界の先住民の土地を強奪してきた歴史にも通ずる論理です。共産党を含む全ての国政政党が当然のように日本の領有権を主張するのは、このような近代日本についての歴史認識の致命的な欠如を表わしています」と問題提起している。同委員会によると、「『無主地先占』の法理は、『持ち主なき土地』を当事者との交渉なく強奪してきた近代国家の論理が基礎にあり、その意味ではこれとアイヌ民族などの土地強奪の歴史には通ずるものがあると考えます」という。住民のいない尖閣諸島や、最近になって韓国側の住民がごく僅か居住するようになった竹島とは異なって、アイヌモシリ(北海道)、クリル(千島)、サハリン(樺太)にはアイヌ民族等が先住していたのに、その存在を無視して、日本とロシアが勝手な交渉で国境線を引いてきた歴史への批判は頷ける。





発見の法理





 国際法においてよく使われるのは、占領の法理と発見の法理である。現実の占有(actual occupancy)、征服(conquest)、発見(discovery)、最初の発見(first discovery)、象徴的所有(symbolic possession)などの言葉で枠づけられる植民地帝国の用語である。



先住民族の法律家集団による共同研究であるロバート・ミラー(オレゴン州ルイス&クラーク法科大学院教授、東シャウニー民族)、ジャチンタ・ルル(ニュージーランド・オタゴ大学講師、ンガティ・ラウカワ民族)、ラリサ・ベーレント(オーストラリア・シドニー工科大学教授、ユーレヤイ民族)、トレイシー・リンドバーグ(カナダ・オタワ大学教授、ネーイワク民族)の『先住民の土地を発見する――イギリス植民地における発見の法理』(オクスフォード大学出版、二〇一〇年)は、発見の法理に関する詳細な批判的研究である。



 二〇〇七年九月一三日、国連総会は先住民族権利宣言を採択したが、反対したのはオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカの四カ国だけであった。民主主義国家であり法の支配で知られる四カ国が宣言に反対したのは、一面では驚きであったが、他面ではよく「理解できる」ことでもあった。先住民族の権利を丸ごと剥奪して国家形成をした歴史を有する四カ国だからである。この四カ国では、一五~一六世紀に形成された発見の法理がいまでも生きている。



 ロバート・ミラーによると、一八二三年のジョンソン事件アメリカ最高裁判決によって、一五世紀に形成された発見の法理の主な要素は次のように説明されている。



1. 最初の発見――他国に先駆けて発見した西欧国家がその土地の所有権と主権を取得する。しかし、それだけで完全な権限になるわけではない。



2. 現実の占有と所有の継続――エリザベス一世の時代に、発見の定義に現実に占有することが追加された。具体的には基地建設や兵士派遣を意味する。



3. 先取権――発見した国家が先住民族からその土地を購入する権限を有する。他国による購入を阻止する権限である。



4. ネイティヴ住民の権利――最初の発見以後、西欧諸国の法体系によって、先住民族はその土地の所有権を喪失したと見なされた。



5. 先住民族の主権と通商権の制限――最初の発見以後、先住民族の主権や自由貿易権は喪失させられた。



6. 隣接――西欧人は、発見した土地や現実の入居地の隣接地についても権利を有する。河口を発見すれば、その河川が流れる土地全体についての要求権となる(ミシシッピ川とルイジアナ州、コロンビア川とオレゴン州)。



7. 無主地――他に居住者がいない土地についても同様に発見の法理が適用された。西欧人はこの言葉をひじょうに緩やか(リベラル)に解釈し、実際は先住民族が所有・居住している地を無主地と称した。



8. キリスト教――発見の法理の下では、非キリスト教徒には同じ人間としての権利が認められていない。人権、土地所有権、主権、自己決定権はキリスト教徒のものであった。



9. 文明――西欧文明観念が西欧の優越性を基礎づけ、先住民族に文明、教育、宗教を授与することが西欧人の使命とされた。先住民族に対するパターナリズムが成立した。



10. 征服――西欧諸国による先住民族に対する「正戦」による軍事的勝利が侵略や征服の最終的正当化となった。




「救援」500号(2010年12月)