Wednesday, December 28, 2022

ポスト資本主義を探るために

的場昭弘『資本主義全史』(SB新書)

https://www.sbcr.jp/product/4815615277/

<資本主義の歴史とは「過去」と「現在」

そして「未来」の歴史である

西欧で生まれた資本主義が、拡大し、そして暴走している。資本主義はなぜ限界にむかっているのか。資本主義と持続可能な世界は両立するか。ポスト資本主義とは何か。本書では世界史の流れの中で、資本主義の変遷をたどることより、これまで自明のものとしてあった資本主義の本質をつかむ。予測不可能な未来を切り開くために必須の教養が身につく一冊。>

序章 資本主義とは何か

1章 資本主義という社会がそれまでの社会とどう違うか

2章 資本主義の始まり――19世紀のヨーロッパ

3章 産業資本主義から金融資本主義への移行

4章 戦後の経済発展と冷戦構造――資本主義対社会主義

5章 資本主義の勝利へ――グローバリゼーションの時代資本主義を読み説く

6章 暴走する資本主義――ソ連・東欧の崩壊から金融資本主義へ

7章 資本主義のゆらぎ――リーマンショック後の世界

終章 資本主義の後に来るもの

マルクス学の第一人者として知られる的場は、このところ資本主義の全体像を描き、「世界史」に挑んでいる。本書の次には、『「19世紀」でわかる世界史講義』(日本実業出版社)を世に問うている。

https://www.njg.co.jp/post-37596/

本書『資本主義全史』前半は、西欧資本主義の形成と展開をマルクス『資本論』に依拠しつつ、著述している。後半は、ソ連東欧崩壊以後の現代史を、グローバリゼーション、ネオリベラリズム、暴走する資本主義、リーマンショック後の世界という流れで著述する。方法論はマルクスだが、的場歴史学・経済学の展開である。マルクスの世界史認識の方法を用いて、現代世界史を読み解く試みである。

リーマンショックとは何であったのか。その政治経済的意味をアメリカのみならず、世界史的に位置づけるなら、西欧型資本主義の限界に気づくことになる。中心諸国はともかく、周辺諸国においては国家破綻が現実のものとなる。ギリシアのデフォルトが典型例であるが、それはただちにEUの危機である。危機に直面したEU諸国の政治経済の新展開が、ナショナリズムとポピュリズムを呼び起こし、アメリカも巻き込まれていく。オバマからトランプへの転換である。

対抗勢力は中国を先頭にしたアジア諸国である(日本はむしろアメリカ追随だが)。半周辺帝国主義の登場により、西欧の没落が現実化する。200年の近代史を貫いてきた西欧による政界支配の終焉はどのような道をたどるだろうか。

的場は預言者ではないので、資本主義の後に来るものについて具体的なシナリオを提示しているわけではない。西欧型資本主義からアジア型資本主義への流れは必然であり、政治、経済のみならず、文化、思考においても大いなる転換が予想される。西欧型の競争主義からアジア型の互恵主義への移行が実現するだろうか。そうだとしても長い歴史のスパンの話だ。

いずれにしても、西欧資本主義の没落を予兆的、先進的に具体化しているのが日本だろう。この30年間の横ばい、停滞、そのためにさらなる極度のアメリカ追随という歪んだ政治経済は、西欧資本主義の近未来のリトマス試験紙になるのかもしれない。世界を知り、日本を知るために役に立つ1冊だ。

的場昭弘『待ち望む力』(晶文社)

https://maeda-akira.blogspot.com/2013/08/blog-post_8.html

的場昭弘『「革命」再考――資本主義後の世界を想う』(角川新書)

https://maeda-akira.blogspot.com/2017/03/blog-post_20.html

的場昭弘『未来のプルードン――資本主義もマルクス主義も超えて』(亜紀書房)

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/06/blog-post_19.html

Tuesday, December 27, 2022

敵基地攻撃能力の保有などを新方針とする安保関連三文書改定の閣議決定に抗議する法律家団体の声明

敵基地攻撃能力の保有などを新方針とする安保関連三文書改定の閣議決定に抗議する法律家団体の声明 

2022年12月27日 

改憲問題対策法律家6団体連絡会 

社会文化法律センター 共同代表理事 海渡 雄一 

自由法曹団 団長 岩田研二郎 

青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 笹山 尚人 

日本国際法律家協会 会長 大熊 政一 

日本反核法律家協会 会長 大久保賢一 

日本民主法律家協会 理事長 新倉 修 

1 日本の安全保障政策を大きく転換させる安保関連三文書改定 

本年12月16日夕刻、政府は、安保関連三文書(国家安全保障戦略、防衛計画 の大綱、中期防衛力整備計画)を改定することを閣議決定した。改定は、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を容認し、軍事費が5年間で計43兆円の大幅増が明示されるなど、憲法9条に基づく専守防衛を改め日本の安全保障政策を大きく転換するものである。 改憲問題対策法律家6団体連絡会は、今回の閣議決定に対し強く反対し抗議する。 

2 敵機地攻撃能力の保有は憲法9条に違反し、戦争への危険を高める

 ⑴ 敵基地攻撃能力の保有は憲法9条に違反する 

日本は先の大戦において、中国などを侵略し、真珠湾への奇襲攻撃により泥沼のアジア太平洋戦争に突入し、自国及び他国に対し多くの惨禍をもたらした 反省から、2度と政府の行為によって戦争の惨禍を繰り返さないと決意して(憲法前文 1 項前段)、憲法9条が、戦争放棄(1項)、戦力不保持(2項前段)、交 戦権の否認(2項後段)を定めた。

 敵基地攻撃は、相手国の武力行使の着手の認定が困難で、国際法上違反とされる「先制攻撃」に繋がる現実的危険性が十分にあり、「自衛のための必要最小 限度」を超えた武力行使を認めるものであり、憲法9条1項に反する。加えて、 仮に日本が敵基地をミサイルで攻撃すれば、敵国もミサイルで日本を反撃することになり、全面戦争に発展する蓋然性が高い。このような事態を招来する敵基地攻撃能力は、「自衛のための必要最小限度」を超えた武力行使を認めるもの であり、「国際紛争を解決する手段」として戦争を放棄した憲法9条1項、「国の交戦権は、これを認めない。」とした憲法9条2項後段に違反する。 

さらに、戦力不保持に関して、政府は、「他国に侵略的攻撃的脅威を与えるような装備」については憲法上保持できないと説明してきた(1988年4月6 日参議院予算委員会、瓦力防衛庁長官)。今回の閣議決定は、まさに「他国に侵略的攻撃的脅威を与える」装備の導入を認めるものであり、憲法9条2項前段の戦力不保持に反する。

 ⑵ 「抑止の虚妄」 敵基地攻撃能力の保有は、東アジアの緊張関係を強めるだけ

敵基地攻撃能力の保有によって、スタンド・オフミサイルなどの長距離攻撃が可能な兵器を保有し、東アジアを攻撃の射程内に入れることになる。中国、 朝鮮をはじめとする東アジア諸国は、日本を警戒し、東アジアにおける緊張関係はさらに高まる。

 安保関連三文書改定を受けて、中国外務省の報道官は、「中日両国関係で日本が約束したことや合意を無視して中国を中傷し続けている。断固として反対す る」と述べ、外交ルートを通じて日本側に抗議をした。韓国メディアは、日本 のことを「事実上戦争が可能な国家に変貌した。東アジアの軍備競争をさらに 激化させ、緊張を高める」、「憲法9条を完全に無力化する内容」と警戒し、韓国も自らを強くする努力が必要だと主張する。

 日本が、東アジア諸国に対して軍事的圧力を高めていくことは、決して戦争の抑止にはならず、むしろ果てしない軍拡競争を招くなど、軍事的衝突の危険 を高めるものであり、安全保障上も失策であると言わざるを得ない。

 ⑶ 安保関連三文書改定は、日本が戦争する危険を飛躍的に高める日米同盟における米国と日本との関係は、これまで「矛と盾」との関係と説 明されていた。しかし、近年米国が、自国の負担を減らし日本のさらなるコミ ットメント(矛の役割)を求めていることは周知の事実である。バイデン政権は、本年10月に公表した「国家安全保障戦略」の中で、「唯一の競争相手」と位置づける中国への対抗措置を最優先課題に掲げており、日本の安保関連三文 書改定も、アメリカの対中戦略に基づいて改定されたことは明らかである。改定された三文書は、中国を「深刻な懸念」「強い懸念」と位置づけ、日本が矛の役割を積極的に担い、攻撃兵器の保有・配備により中国を抑止し、抑止が破れた場合には、日米共同軍事計画に基づき、南西諸島や九州地方をはじめとする我が国の本土を軍事拠点とし、自衛隊が米軍の指揮のもとに米軍と一体となって中国と戦争をすることを想定している。また、核を含むあらゆる能力によって裏打ちされた米国による拡大抑止の提供を含む日米同盟の抑止力と対処力を 一層強化するとして、平時から日米同盟調整メカニズムを「発展」させ、日米のより高度かつ実践的な共同軍事訓練や日米の基地の共同使用の増加に努めるほか、空港、港湾等の公共インフラの軍事利用体制整備、産学連携の軍事研究開発に取り組むとしている。

 2015年9月19日、国民の反対の中で成立した安保法制の下では、台湾有事をめぐり米中に武力紛争が起きれば、政府は「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した」として存立危機事態を認定し、自衛隊が集団的自衛権に基づき米中の戦争に参戦することとなる。そうなれば、真っ先に南西諸島や九州のみならず日本本土が中国の反撃を受けて取返しのつかない甚大な被害を被ることとなる。安保法制に加えて、敵基地攻撃能力保有の政策の 大転換は、日本が米中戦争の当事国となる危険を飛躍的に高めることとなる。

 3 軍事費の大幅増額は許されない 

⑴ 軍事費を2倍にしても安全にはならない 安保関連三文書改定によって、軍事費が5年間で計43兆円の大幅増が明示された。この大幅増が実現すれば、軍事費はGDP比2%の水準となり、日本の軍事費は米国、中国に次ぐ第3位の規模となる。

 かつて日本は、平和主義憲法に基づき、軍事大国とはならないことを示すために軍事費をGDPの1%内としてきたが、それが近隣諸国に安心を与え平和の構築に寄与してきた。この制約を根本的に取り払いGDP比2%の軍事費を捻出したとしても、中国の現状の軍事費とはまだ3倍近い差がある。他方、中国は日本の5倍程度のGDPを有しているため、日本が軍事費を増額するならそれに対抗して、容易に自国の軍事費を増やすことができる。

 軍拡は、相手国のさらなる軍事の拡大を招くだけであって、軍拡によっては永遠に安全を得られない。

 ⑵ 軍事国家化は、福祉国家と基本的人権の尊重の原則にも影響を与える 

安保関連三文書改定によって、今後5年間の軍事費の総額がこれまでの1.6 倍にあたる43兆円程度とされた。この莫大な軍事費は、経済成長が大きく見込 まれない日本においては、増税、国債、文教・福祉予算等の歳出削減によって賄う以外に方法はない。 前代未聞の軍事費拡大は、福祉国家を崩し、国民に貧困と苦難を強いる。まさに「軍栄えて民滅ぶ」という事態を招きかねないものである。

 4 実質改憲を閣議決定で行うような国は立憲民主主義国家とはいえない 

今回の安保関連三文書改定は、「専守防衛」を名実ともに完全に破棄する安全保障 政策を大転換するものであり、前記のとおり敵基地攻撃能力の保有は、憲法9条に違反する。本来ならば、憲法改正手続きに拠らなければ変えられないことであり、今回の閣議決定は、実質的改憲にほかならず、立憲民主主義の基本に反する暴挙である。

 また、軍事費の大幅増額によって国の財政の在り方も大きく変更し、国民生活に現 実的かつ大きな影響を与えるものである。そうであるならば、国民生活の実態を踏まえた上で、少なくとも国会での十分な審議が必要であることは明らかである。 

5 まとめ 

 憲法の平和主義、憲法 9 条に反し、近隣諸国との緊張を高め、戦争のリスクを増大させる今回の安保関連三文書改定閣議決定は、撤回されるべきである。 平和主義憲法に基づく独自の安全保障政策を展開し、東アジアの平和構築に積極的に貢献するとともに、社会保障費、教育予算、物価対策、子育て関連費用等を充実させて、国民(市民)の命と生活を守ることこそが、政府の使命である。

 以 上

Monday, December 26, 2022

学術会議会員の任命拒否理由の情報公開を求める弁護団の呼びかけ

 学術会議会員任命拒否に抗議する全ての皆様に緊急に呼びかけます 

 学術会議を根幹から変質させる政府「方針」「法案」との闘いを! 

 2022年12月25日 

学術会議会員の任命拒否理由の情報公開を求める弁護団 

 福田 護 三宅 弘 米倉洋子 南 典男 大江京子 関守麻紀子 大山勇一 神谷延治 辻田航 三宅千晶 安齋由紀(いずれも弁護士)

 はじめに 

 2022年12月6日、内閣府は「日本学術会議の在り方についての方針」を唐突に公表しました (https://www.cao.go.jp/scjarikata/20221206houshin/20221206houshin.pdf)。「方針」は、学術会議の独 立性・自律性を根幹から変質させる内容であるうえ、政府はこの方針を盛り込む法案を拙速にも1月からの 通常国会に提出し成立させようとしています。しかし、学術会議と学問を政治に従属させる法律の成立を許 してはなりません。

 以下、「方針」の内容をご紹介し、市民の皆さまと各団体における緊急の闘いを心から呼 びかけます。

 1 6名の会員任命拒否と1162名の法律家による情報公開請求 

 2020年10月1日、菅義偉内閣総理大臣(当時)は、日本学術会議(以下、「学術会議」といいます) が法に従った適正な手続で会員として推薦した105名のうち6名の任命を、理由も一切明らかにしないまま拒否するという、日本学術会議法違反の前例のない暴挙を行いました(以下、「本件任命拒否」といいます)。

 本件任命拒否に強く抗議する1162名の法律家(法学者・弁護士)は、2021年4月26日、情報公 開法に基づき、政府に対し、任命拒否の理由がわかる行政文書等の開示請求を行いましたが、政府は文書の 「不存在」を理由に不開示決定をしました。そこで、同年8月、情報公開請求人は行政不服審査法に基づく 審査請求を行いました。

 私たちはこの審査請求人の弁護団です。現在、「情報公開・個人情報保護審査会」の答申を待っているとこ ろです。 

2 学術会議会員人事の自律性は憲法23条で保障されている 

 学術会議は、科学者集団としての学問共同体であり、その政治権力からの独立性・自律性は、憲法23条 の学問の自由によって保障されています。学術会議が「独立して」職務を行うとされるのは(日本学術会議 法3条)、憲法23条の要請に基づくものです。そして、政府から独立した組織であるからこそ、学問に裏付 けられた公正な立場で政府に意見を述べることができ、学問を人類の福祉に役立てるという学術会議の目的を達することができるのです。 

 そして、会員人事の自律性は、学術会議の独立性の根幹をなすものです。だからこそ、「内閣総理大臣の任命権は形式的なもの」との政府答弁が重ねられ、そのとおりに運用されてきたのです。 

 従って、本件任命拒否は、憲法23条違反です。 

 私たちは、情報公開請求を通じて、本件任命拒否には正当な理由などないことを明らかにするだけでなく、 本件任命拒否が違憲・違法な過ちであったことを政府に認めさせ、6名の任命を実現し、将来にわたって二 度と再び違憲・違法な任命拒否を行わせないことをめざしてきました。 

3 内閣府「日本学術会議の在り方についての方針」(2022 年12 月6 日)の驚くべき内容 ―学術会議の独立性・自律性を根幹から揺るがすもの

 ところが、内閣府は、冒頭に述べたとおり、「日本学術会議の在り方についての方針」(以下、「方針」とい います)を公表しました。以下、特に、会員の選考・任命に関連する内容を紹介します(「方針」に文章化さ れていない内閣府の説明も含みます)。

 ① 学術会議には「政府等と問題意識や時間軸を共有」することが求められているとの表現が、再三繰り返 されています。学術会議の独立性・自律性という視点がなく、政府に協調し、追随する組織になることを 求めています。

 ② 学術会議は「新たな組織に生まれかわる覚悟で抜本的な改革を断行することが必要」との言葉で総論を 締めくくっており、根本的な変質を迫っています。 

③ 会員選考のルールや選考過程への「第三者委員会」の関与が提起されており、会員人事の独立性・自律 性が損なわれるおそれがあります。

④ 「内閣総理大臣による任命が適正かつ円滑に行われるよう必要な措置を講じる」との文言があり、内閣 総理大臣の実質的任命権や任命拒否を、正面から肯定するように読み取れます。 

⑤ 「できるだけ早期に関連法案の国会提出を目指す」とされ、具体的には、年度末(2023年3月末) までに通常国会に法案を提出した上成立させるという意図が表明されています。

 ⑥ 法案成立後、改正法に基づいて会員選考・任命を行うため、2023年10月の会員改選は行わず、「次 期改選は1年半程度延期する」とされています。 

4 学術会議の独立性を守ることは、国民・市民の自由を守り、戦争への道を阻むこと ―市民の力で学術会議を守ろう!

 通常国会での法案提出・成立の阻止を! このたび唐突に出された政府の「方針」は、政府の意向に沿う人を会員にし、政府が気に入らない人を排 除することを可能とする法律を作り、学術会議の独立性・自律性を完全に失わせようとするものです。これ は、憲法23条に違反して、政府の下に科学・学術を従属させようとするものであり、学術会議の変質・解 体に他なりません。 

 学術会議は、科学者が戦争に協力したことの反省から1949年に設立され、軍事研究に反対する声明を 繰り返し出してきた経緯もあります。12月16日閣議決定されたいわゆる安保3文書は、敵基地攻撃能力 (反撃能力)の保有、防衛予算GDP2%・5年で43兆円などを打ち出し、いま日本は、本格的な軍事国家へと舵を切ろうとしています。その中で、安保3文書は官民の技術力を安全保障分野に積極的に活用する とし、また、学術を軍事に動員する経済安保法などの法律も成立しています。このような情勢の下で、政府は、政治権力から独立した存在の学術会議が、政府の安全保障政策の妨げになると考えているのではないで しょうか。

 学術会議の独立性・自律性を侵すことは、広く国民・市民の、学問、思想、良心、表現の自由の侵害につ ながり、戦争への道を開くことにつながります。

 2022年12月21日、日本学術会議は、内閣府の「方針」を厳しく批判し、「強く再考を求める」声明を出しています

(https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s186.pdf)。

 この声明を支持しま しょう。

 通常国会の開会は、もう間もなくです。この問題の重大性・緊急性を、抗議声明など様々な方法で多くの人々に知らせ、世論の力で「方針」を撤回させ、「法案」提出を断念させましょう。国民・市民の力で、学術会議の独立と学問の自由を守りましょう。

 私たち弁護団も、力を尽くす決意です。 

                                                                                                       以上

Tuesday, December 20, 2022

差別とヘイトに抗する居住権の闘い

斎藤正樹『ウトロ・強制立ち退きとの闘い』(東信堂)

https://www.toshindo-pub.com/book/91752/

ウトロで生き抜いた住民たち/はじめに/用語解説/ウトロ年表(19102021) 

第1章

 第1節ウトロの歴史/第2節在日一世オモニの証言/第3節ウトロの土地は誰れのものか

第2章

 第1節立ち退き裁判/第2節国際人権法では/第3節「われら住んで闘う」ウトロ住民

第3章

 第1節日本居住福祉学会第10回ウトロ研究集会

第4章

 第1節ウトロ救済に向けて/第2節社会権規約(条約)の解釈の発展/第3節新しい住宅の完成を祝う/第4節日本居住福祉学会ウトロ研究集会(2019

おわりに

<第二次大戦中、軍需飛行場に動員された朝鮮人労働者の居住地区だった京都府宇治市の在日朝鮮人集落ウトロ地区。終戦後も、土地は在日朝鮮人コミュニティにとっての「共有財産」であった。チャンゴ(民族楽器)の聞こえるまち。強制立ち退き判決など様々な困難を乗り越え、複雑な事情の中マイノリティの「居住の権利」を実現させた市民運動の奮闘を克明に描いた「居住福祉新ブックレット」第3弾!>

斎藤はウトロを守る会副代表、元宇治市職員。甲山冤罪事件裁判、朴秋子問題を考える会、外国人登録指紋押捺反対、シベリア抑留国籍差別裁判を支える会などにかかわる。

ウトロについては、中村一成『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』(三一書房)がある。

https://31shobo.com/2022/03/22003/

私は書評「底が抜けた差別社会で生きること」『部落解放』(20229月号)を書いた。

強制立ち退き問題が「解決」し、住民の引っ越しが進み、ウトロ祈念館が開館した。

https://www.utoro.jp/

しかし、ウトロ等放火事件が起き、差別と排外主義が襲い続けている。

差別犯罪としてのウトロ放火事件――ヘイト・クライムを許さないために

https://isfweb.org/post-1060/

私は「ウトロ等放火事件刑事一審判決評釈」『部落解放』(202212月号)を書いた。

斎藤は宇治市役所職員時代から長年にわたってウトロ住民の生活権・居住権を求める闘いを支援し、これに学び続けた。本書の特徴は、居住権を求める闘いに加わった斎藤が、国際人権法の視点を導入し、さらに日本居住福祉学会の研究者たちの協力を得て、解決を目指したことである。現場の闘いを支える国際人権法と居住学会という構図が実現したことは特筆すべきであろう。

ウトロという磁場の生活文化が、国際人権機関を動かし、国際人権法研究者を動かし、韓国政府を動かし、宇治市役所を動かす。粘り強い闘いの歴史を斎藤は記録する。斎藤は「ウトロの教訓」を「立場の弱い住民大衆にとって、居住の権利を守る最も有効な闘争戦術は、人の歴史が染みついたその場所に、コミュニティを維持しながら日常的に集団で住み続けることである」という。

生きることが闘うことであるという視点は、中村一成の「ウトロ ここで生き、ここで死ぬ」と同じであり、これはウトロ住民が長い闘いの中で鍛えて、確認してきた原則である。

立ち退き問題は「解決」したが、差別とヘイト・クライムは続く。差別とヘイト・クライムに抗する闘いがウトロ祈念館を実現した。今後はウトロ祈念館を中心に住民と守る会の闘いが続く。

Monday, December 19, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(220)自治体ガイドラインの検討

秦博美「ヘイトスピーチに対する『公の施設』の利用制限――自治体のガイドラインに見る判例と中央省庁の法解釈に対する過剰反応」『北海学園大学学園論集』186(2021)187号(2022年)

目次

一 はじめに

二 公の施設と集会の自由

三 地方自治体のガイドライン作成の経緯

四 ガイドラインの内容

五 最高裁判決(泉佐野市民会館事件及び上尾市福祉会館事件)の射程

六 いわゆる『迷惑要件』の必要性

七 終わりに

秦は北海道庁に35年間勤務し、現在は北海学園大学教授、地方自治の専門家である。

秦は、「自治体職員は法律解釈の『自信』の無さから、判例と中央省庁の(字句レベルの)法解釈に過剰に反応し、委縮する傾向がある」という。中央省庁の法解釈が適切になされていれば、特に問題は生じない。ところが、中央省庁の法解釈にも、子細に検討すれば必ずしもそのまま採用すべきでない場合もある。ヘイトスピーチのガイドライン問題はその一つではないかが問われる。

秦は、公の施設と集会の自由に関する法原則をきちんと確認したうえで、川崎市をはじめとする地方自治体のガイドラインの内容を点検する。具体的には、川崎市、京都府、京都市、東京都のガイドラインを、1)不当な差別的言動の定義、2)利用制限の種類と要件、3)手続的保障について検討する。

地方自治体ガイドライン作成は大いなる前進であったが、憲法と判例に照らして点検すると、一部に微妙な言葉使いがなされたり、不要ではないかと思われる要件が掲げられている面がある。その理由を探索すると、最高裁判例の読み方に原因があるのではないかと推測される。

そこで秦は、集会の自由と公の施設に関連する最高裁判例として知られる、泉佐野市民会館事件及び上尾市福祉会館事件の最高裁判決に立ち戻って考察する。事案の概要、判示事項と判決要旨、判決文、園部補足意見等をていねいに読み直し、最高裁判決の射程を考察する。一定の団体に公の施設利用を拒否することのできる理由を分析すると、「都市公園の利用に支障を及ぼさないと認める場合」「都市公園の管理に支障がある行為」が問題となるが、「条例上明文にはないものの公物警察に関わる事柄が考慮事項として入り込む」。

秦は、結論として「川崎市のガイドラインは、管理権の作用(権限)が及ぶ対象(施設利用者)と、管理権を行使するに際しての(考慮事項としての)警察上の理由を混同しているのではないかという疑念が生じる」という。

このため、川崎市ガイドラインは「迷惑要件」を掲げている。秦は川崎市ガイドラインを緻密に検討し、次のように述べる。

「第1に、迷惑要件を付加することにより、『平穏』に実施されるヘイトスピーチは『他の利用者に著しく迷惑を及ぼさない限り』規制されないことになる。」

迷惑要件を掲げていない京都市ガイドラインなどとの比較、迷惑要件に疑問を呈する楠本孝説及び師岡康子説も踏まえて、秦は述べる。

「何のためのガイドラインなのかという深刻な事態が生じる。ガイドラインの『迷惑要件』なるものは、憲法上の集会の自由、表現の自由という、遠景の大義名分を守るために、眼前のマイノリティの人権侵害をも厭わない『免罪符』の役回りを果たすものであろう。その存在自体、積極的に『背理』であるというべきである。」

2に、秦は師岡康子説を参照しながら、「迷惑要件そのものへの疑問」を提示する。秦の見解は明快である。

「『迷惑要件』なるものの内容に対しても、泉佐野市民会館事件最高裁判決の『誤読』により、迷惑対象を『人』ではなく『他の利用者』に限定していることによる消極的矛盾も明らかであると考える。」

「仮に百歩譲って迷惑要件を付加することを認容するとしても、ガイドラインが掲げる『他の利用者に著しく迷惑を及ぼす危険のあること』は、泉佐野市民会館事件最判の誤読であるというべきである。表現の自由、集会の自由との調整が争われた同最判は『人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合』と判示しているのである。その結果、最判によれば、公の施設において『迷惑要件』なるものを適用すべき局面において、ヘイトスピーチ以外の事案であれば、『他の利用者』以外の者(人一般)の生命・身体・財産の侵害の恐れのある場合も規制対象となるのに対し、ガイドラインが存在することにより、ヘイトスピーチの場合に限って、より限定された公の施設の『他の利用者』の人権侵害の危険がなければ規制できないことになる。ガイドラインは、迷惑要件の内容においても矛盾を抱え込むことになるのである。」

「判例法理が妥当して規制される他の事案と比較して、まさに川崎市のガイドラインにより、ヘイトスピーチが格別の保護を受けることになるわけで、完全な矛盾というべきである。」

なぜこのような事態が生じててしまうのか。その理由を探った秦は、従来の研究書・解説書・注釈書において、上記の「誤読」が広められ、維持されてきたことを指摘する。それは、例えば自治省給与課理事官や、最高裁判事の著述に見られる。

いわば、中央省庁の官僚や最高裁判事が、最高裁判例を自分の都合の良いように書き換えていたのだ。

 秦は、川崎市ガイドラインに続いて、東京都ガイドラインも検討して次のように述べる。

「残念ながら、東京都のガイドラインは、一言でいえば極めて『平板』であり、自治体としてヘイトスピーチに毅然と立ち向かうという意気込みなり、熱情が感じられないものである。トップの政治姿勢に由来するものか否かは、筆者の現時点の『研究』領域を超えるので、何とも言えないが。」

「トップ」とは小池百合子都知事のことである。秦は同じ論文の別の箇所で、小池都知事が関東大震災朝鮮人虐殺の犠牲者追悼式典に追悼文を送らないことにした事件について言及し、ドイツにおけるナチスの犯罪責任追及と対比している。

ヘイト・スピーチと公の施設利用について議論が始まって10年ほどになる。当初は、山形県や門真市などがヘイト団体の施設利用を拒否した。門真市の件は私も直接かかわって、ヘイト団体への施設貸出しを拒否してもらった。これまでヘイト行為をしてきた団体が、今回もヘイト行為を行うと予告して公共施設を借りて集会開催を予告している。これでは地方自治体はヘイトの「共犯」になる。地方自治体はヘイトの共犯になってはならない。ヘイト団体に公の施設を利用させてはならない。だから門真市は、いったん受け付けた利用許可を取り消して、ヘイト団体に施設を利用させなかった。当時も今も私はこの主張を続けている(前田『ヘイト・スピーチと地方自治体』三一書房)。

だが、私の主張を支持する法学者はほとんどいない。表現の自由の専門家と称する憲法学者が、「ヘイト団体といえども公の施設を利用させるべきである。地方自治体には、ヘイト団体に公の施設を利用させる義務がある」と論陣を張って来たからだ。大阪市の審議会報告書がこの立場を前面に押し出して以後、全国各地の公の施設でヘイト集会が開催されるようになった。

このため川崎市のガイドラインは、(それ自体は前進であったにもかかわらず、)迷惑要件を掲げてしまった。この点を私たちは批判してきた。京都府や京都市のガイドラインには迷惑要件がないので、私たちはこちらを高く評価してきた。

この点では秦と私は同じ見解である。

秦論文が優れているのは、なぜ迷惑要件が付記されることになったのか、なぜ迷惑要件は不適切なのか、なぜ最高裁判例の誤読が生じたのかを綿密に論証している点だ。私はここまで論証していなかった。

私自身は、そもそも泉佐野市民会館事件及び上尾市福祉会館事件の事案はヘイト・スピーチ事案ではないから、直ちにヘイト・スピーチに関する最高裁判例とは言えない、と指摘してきた。

泉佐野市民会館事件及び上尾市福祉会館事件の事案は、周辺住民に被害が及ぶなど「人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合」に関連する。ここにはヘイト・スピーチの被害者に相当する人が登場しない。ヘイト・スピーチ事案では、ヘイト・スピーチの被害者に相当する人、及び、ヘイト行為者が差別の煽動を呼びかける公衆の存在が重要となる。

事案の構造が全く違うので、ヘイト・スピーチ事案に泉佐野市民会館事件及び上尾市福祉会館事件の最高裁判例をいきなり持ち出すのは不適切である。先例拘束の法理をきちんと的確に読み解く必要がある。

Saturday, December 17, 2022

中国文化財の返還を求めて

中国文化財返還運動を進める会編『中国文化財の返還――私たちの責務』(2022)

2021年に発足した「進める会」のブックレットである(54頁)。

はじめに 中国文化財返還運動から日中友好を実現しよう/一瀬敬一郎

1 文化財を返すとは、どういうことか?/五十嵐彰

2 靖国神社・山縣記念館所在の狛犬について/東海林次男

3 中国側の資料から見た靖国神社最古の狛犬/鄧捷

4 皇居にある唐時代の碑について/大賀英二

特別寄稿 日中友好のための「文化財返還」の実践的意義/吉田邦彦

日清戦争以来の歴史の中で、日本軍は中国から膨大な文化財を略奪した。朝鮮半島を植民地支配した時代に略奪した文化財も膨大だ。ほんの一部の返還がなされたが、多くは日本にあり、隠匿されているものも少なくない。中国からの略奪文化財の目録はできあがっていないだろう。

勧める会の当面の目標は2つである。

1)        靖国神社と山縣有朋記念館にある「石獅子」――日清戦争の際に遼寧反省海城市の三学寺から奪ったもの

2)        皇居の吹上御苑にある「鴻臚井碑」――日露戦争の際に遼寧省旅順市の黄金山麓から奪ったもの

一瀬敬一郎は、返還運動の経緯を紹介し、国際法(ポツダム宣言とサンフランシスコ条約)に触れ、日中友好のために返還を実現すべしという。

韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議の五十嵐彰は、文化財返還は「見えない傷を見る歴史認識」によるとし、奪った側と奪われた側の論理を検討し、「かつて植民地を支配したことによってもたらされた特権を享受している日本に暮らす者として、あるべき<もの>をあるべき<場>に戻す。そのことによって私たちを取り巻く瑕疵文化財が負っている見えない傷を修復して、文化財本来の価値を取り戻す」という。

東海林次男は、靖国神社の狛犬の来歴を丁寧に追いかけ、「戦利品」=略奪文化財であることを確認する。最近になって、問題の狛犬をガイドブックから削除した。また、遊就館打出の害具ガイドによる解説を禁止した。都合の悪いことに触れられたくないための隠蔽措置であろう。

鄧捷は、中国側の資料から、問題の狛犬の来歴を解明し、三学寺の歴史も明らかにする。狛犬が略奪された際の中国側の反応(嘆き、無念)の思いがよくわかる。

大賀英二は、皇居の吹上御苑にある「鴻臚井碑」――7世紀の唐が渤海郡王を冊封した事績が記されている碑の出自と、皇居への搬入経緯を明らかにする。さらに渤海国の建国の経緯や、その歴史的位置も解説し、全体像が見えるようにする。

吉田邦彦は、略奪文化財について、ユネスコの「世界遺産」「世界の記憶プログラム」の視点での重要性を指摘し。欧米諸国における返還事例を参照し、日中の返還の意味を測定する。

小さなブックレットだが、2つの文化財の出自・来歴、その背景となる歴史情報がていねいに示され、中国における返還要求の動きもわかりやすい。欧米諸国の実践例も紹介されている。

1990年代の国連国際法委員会やダーバン人種差別世界会議準備会議に始まる侵略や植民地支配の歴史の反省は、2001年のダーバン宣言を経て、奴隷制や、虐殺とジェノサイドや、強制労働など多様な問題への対応であり、各国それぞれの歴史、政治、文化のありように規定されているが、旧植民地宗主国であった西欧諸国においても、不十分ながらも、反省と謝罪が進められてきた。アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツなど、いずれも反省と謝罪の試みを続けている。

これに逆行したのが日本であり、歴史偽造・歪曲を通じて過去の帝国主義の戦争を賛美・正当化する異様な政治文化が根付いてしまった。

文化財返還についても、国際的には徐々に進展がみられるが、日本での動きは限られている。中国文化財問題でも、具体的な返還要求が出始めると、靖国神社が資料を隠蔽し始めたように、逆向きの動きが強まる恐れが高い。象徴に君臨する強盗一族が「鴻臚井碑」を返還するには、よほどの大きな政治変化が生じる必要があるだろう。

私はこれまでに「日本植民地主義をいかに把握するか(六)――文化ジェノサイドを考える」「日本植民地主義をいかに把握するか(七)――コリアン文化ジェノサイド再論」という2つの文章を書いた(『さようなら!福沢諭吉』)。

前者では、南永昌遺稿集『奪われた朝鮮文化財、なぜ日本に』(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター、2020年)を契機に、国際法におけるジェノサイドを踏まえて、文化ジェノサイドを文化財保護の観点で解明した。「コリアン文化ジェノサイド論」の手掛かりとするためである。

後者では、「帰ってきた文化ジェノサイド」として、最近の国際法の議論を紹介し、コリアン文化ジェノサイド論を、1)植民地ジェノサイドの諸相、2)武断政治と文化政治、3)略奪文化財返還問題の3つに分けて論じた。

今後もこのテーマの研究を続けたい。

Friday, December 16, 2022

オンライン暴力と女性ジャーナリスト04

3章 オンライン暴力に対処するメンタルヘルス訓練(つづき)

パニック攻撃管理法

恐怖を管理できなくなるとパニック攻撃が起きる。最初、何が起きているかがわからない。過呼吸になったり、最悪のシナリオばかり考えることになる。極度に心配になるが、あなたの生活が危険になっているわけではない。

パニック攻撃は、あなたが脅威を評価すれば、少なくなる。自分の健康に注意を払い、ストレスの水準をチェックすれば、パニック攻撃は少なくなる。

解決の方法の一つにプラナヤマというヨガ呼吸法がある。

片方の鼻孔を指で塞ぐ。空いている方から息を吸う。これを交互に繰り返す。いつでもどこでも簡単にできる方法である。

次に横隔膜呼吸である。

鼻から胃に深く息を吸い込む。息を止める。逆に鼻から息を吐く。止める。これを3回繰り返す。

不眠管理法

私たちは睡眠中に、休憩しているとは限らず、昼間の記憶を整理している。ストレスがあると、脳は過去に直面した同様の問題のイメージを喚起する。それによって問題解決を図る。

不眠には2つのケースがある。

脳がオフにならないために眠りにつけない場合と、深夜に目覚めて眠りに戻れない場合である。

眠る準備:ルーティーン

心を平穏にすることが必要であり、そのためには日々のルーティーンに立ち返るのがベストである。

暑いお風呂・シャワーにより、身体の温度を高め、徐々に眠りにつく。

別途に入って、紅茶をたしなむ。

本を読み、TVをみる。ニュース番組は見ない。お笑い番組の方が良い。

前述の呼吸法を行う。

ネガティブ思考をコントロールする。

ネガティブ思考はどんどん一方向に傾く。問題を解決できると信じて、心身を休養させる。

メディテーション(瞑想)

横になって、自分が好きな場所を歩いている様子を想像しよう。その場所を細部までイメージしてみよう。音、色彩、気温、感覚など。

電話はかけない。電話は脳を刺激して、昼間の脳作用を思い起こさせ、眠りを妨げる。

別途に横になり、水を飲み、歩き、ストレッチをする。歩く時には掌のストレッチを。リラックスしてTVをみる。音楽を聴く。絵を描く。過ぎに眠れなくても心配しない。心配するといっそう不安になる。

鬱病管理法

鬱病に苦しんでいる場合は専門家の助けを求めるのが大切。

医師の診断を受けるのが重要だが、自分でできることもある。

喪失を受け入れるために、嘆くことも重要である。嘆くことで、人生は続くことを思い起こし、現況が過ぎ去ることに気づく。どこから来て、どこへ行くのか、変化を自分に言い聞かせる。

嘆きの儀式:聖域をつくる

ろうそくを灯し、香をたく。

失ったものに代わるものを置く。

まだ持っているものを取り換える。

別れを告げる文章を書く。まだあるものについて書く。この経験から学んだことを書く。人生を立て直すために書く。

ビーチや森などに出かける。

生命の広大さを見つめる。

オンライン攻撃が自分の人生をどう変えたかを考える。

新しい人生を立て直すために自分でできることを考えてみる。

自分の周囲に助けてくれる人がいることを認識する。

自分は強い、孤独ではないと理解する。

自分自身を慰安する。

1 この人やこの経験から何を学んだか?

2 私が学んだことに、いかに感謝することができるか。

3 内省によって、自分がより強くなれたか?

4 この経験に基づいていかにして人生を立て直せるか?

Wednesday, December 14, 2022

オンライン暴力と女性ジャーナリスト03

3章 オンライン暴力に対処するメンタルヘルス訓練

本章ではオンライン暴力を受けたジャーナリストのための有益な訓練を示す。急性ストレス、不安、鬱病、PTSDによる苦痛に対するセラピーである。

脅威に晒された時、私たちの身体に何が起きるか?

脅威に晒された時、私たちの神経システムは、生存機会を増やす準備をするために反応する。私たちの脳は緊急モードとなり、高度のストレスを生み、感情や身体感覚を閉ざす。生存だけに焦点を当てるようになる。コルチゾールが血流の糖度を高め、アドレナリンが心拍を早め、筋肉に多くの酸素を送ろうとする。再びリラックスした状態に戻れないと、身体は苦痛、頭痛、胃炎を引き起こし、不眠につながる。

これらの訓練はいかに役に立つか?

ストレスに対処する方法は、私たちの脳のコントロールを回復し、アドレナリンやエンドルフィンの産出を止める。状況を冷静に評価し、合理的決定をすることができるようになる。幸福、平和、平穏、楽しみを生む感情になる。リラックスすることによって、人生についてよりよいパースペクティブを得ることが出来、ストレスや苦痛を除去できる。

腹式呼吸

ストレス状況になった場合に呼吸をコントロールすることでリラックスする。呼吸が短くなり酸素の吸入量が減る。深い呼吸をすることで山荘を増やし、ストレスを減らすことができる。ゆっくり深い腹式呼吸が第一歩である。立ったままでも座っても歩行中でもできる。

楽な状態で、目を閉じ、片手を肩に置き、もう一方をお腹にあてて、全身の状態を意識しながら、鼻から息を吸いこみ、いったん中断し、鼻から外に出し、再度吸い込む過程を繰り返す。

そして身体の状況をチェックする。何か変化はあったか。リラックスできたか。首や肩の痛みはどうか。手足が温かくなったか。

心理的緊急状態法

あなたが心理的緊急状態になると、視野狭窄になり、集中することが困難になる。第一歩として、リスク評価の前に呼吸を落ち着かせる必要がある。それからリスク評価の順番である。腹式呼吸を行ったうえで、リラックス出来たら、リスク評価である。本ガイド第2章に戻って評価を行う。必要なだけ十分に時間を使うこと。公道に出る前に、攻撃者は悪評を求めており、あなたが対応すると彼らの目標を達成できなくなることを覚えておこう。

不安管理法

次に不安をコントロールする番である。不安は恐怖の幹である。状況の評価ができないと、非合理的な不安につきまとわれる。より悪いシナリオに陥る。脅威が現実的であるなら、あなたは救助を求めるべきである。あなたの不安は非合理的亜恐怖によって引き起こされた場合、将来何が起きるかと思い悩むことを中止しようとするべきである。現在に集中することが肝要である。

心的ストレス解消法(MBSR

楽な姿勢で鼻からの腹式呼吸を繰り返す。周囲を見渡す。周囲に注意を払い、壁、テクスチュア、色、色調などをつぶさに見てみる。それから目を閉じて、息を吐きだす。音にも注意を使用。どんな音がするか、どこから聞こえるか。以前と同様の音が聞こえていることを確認する。それから目を開けて、その音のことを思いめぐらす。

こうして現在の状態を肌で感じることが出来る。

急性ストレス管理法

急性ストレスはストレスの原因を解決できない場合に起きる。ストレスを解決できないと不安になり、自分自身に否定的になり、食欲減退や不眠になる。急性ストレスをコントロールするには、自己ケアを優先することが重要である。ストレス解消には歩くことが有益だが、歩く前に、考えるべきことがある。

安全な場所を歩くこと。ふだんより2030%早く歩く。歩きながら周囲を観察し、見えるものについて考える。それにより考えすぎを止めて。520分歩く。

安全性の理由、あるいは健康状態のゆえに、外出できない場合、屋内で歩く。ダンスも有効である。

Tuesday, December 13, 2022

オンライン暴力と女性ジャーナリスト02

2章 リスクを評価する

もしあなたがオンライン虐待の攻撃を受けたら、以下の点を評価することで、あなたが直面しているリスクをよりよく理解できるようになる。第1にオンライン攻撃者の脅威を理解する。第2にメンタルヘルス問題を理解するために自己評価である。

オンライン攻撃者からの脅威を評価するために。

1:オンライン攻撃者は、あなたの投稿内容(記事)を攻撃し、削除しようとしているか?

その場合、攻撃者はあなたを攻撃しているのではなく、あなたの思想を攻撃している。あなたの投稿内容が、彼らに安全でない(危険)を感じさせたからである。

麻薬やアルコールがオンライン攻撃の要素となっている場合もある。攻撃がなされた日時をチェックしてみよう。深夜又は週末になされているか?アルコールや麻薬に関連している場合がある。

2:オンライン攻撃者は、あなたのジェンダー、民族性、性的指向、職業、または社会経済水準を攻撃しているか?

その場合、攻撃者はあなたの地位に嫉妬しているかもしれない。あなたには多くのフォロワーがいることに嫉妬しているかもしれない。

Q1:攻撃者は過激集団のメンバーか?

Q2:攻撃者は高度な教育を受けた者か?

Q3:虐待(攻撃内容)に性的脅迫が含まれるか?

Q4:虐待にあなたのジェンダー、民族性、性的指向についてのコメントが含まれるか?

3:攻撃者は頻繁に暴力的メッセージを送ってくるか?

一般に、多くのメッセージを送る人物は直接行動に出ることは少ない。心理学的見地からは、ある事柄についてより多く語る者は、それについての行動を起こすことは少ない。

4:オンライン攻撃者は、何かをすると脅迫しているか? あなたの生活に直接脅威を与えているか?

その場合、攻撃者は、あなたのことをどれだけ知っているか?

Q1:あなたの自宅住所など所在について特別な情報を持っているか?

Q2:あなたの家族について情報を持っているか? 写真や連絡方法。

Q3:あなたの日常のルーティーン、職場の場所、買い物に行く場所を知っているか?

こうした場合、オンライン暴力に反対する団体(例えばIWMF)に救助を求めるのが良い。

トローリング(荒らし):1ポイント

攻撃者は関心、承認、又は悪名を求めている:1ポイント

攻撃者があなたの個人情報を開示した:1ポイント

特別な脅迫ではない:1ポイント

ラッシング・アウト(逆切れ):1ポイント

あなたのジェンダー、人種、民族性、性的アイデンティティ、職業を攻撃している:2ポイント

頻繁なメッセージ:1ポイント

記事出版やインタヴューなどの行為をしたのちにメッセージが送られてくる:2ポイント

あなたに攻撃が特に集中:2ポイント

オンライン虐待の攻撃者があなたの個人情報を開示した:3ポイント

特別な脅迫:3ポイント

以上を合算してポイントが高いと、リスクが大きい。

メンタルヘルス自己評価

3ポイント以上になると、苦痛を感じる条件と言える

ポイントが高ければ高いほどより大きな苦痛を感じる

次のステップとして、あなたの条件・環境を書き出してみよう

1.心理的緊急事態

ショック、他のことを考えられない、時間感覚がいつもと違う、孤立感、何が起きているかを知るのに努力が必要、この状況を終わらせることばかり考えている

2.不安

平穏でいられない、落ち着かない、そわそわする、めまい、胃がひっくり返った感じ、胃酸過多・逆流、動悸が激しい、集中できない

3.急性ストレス

一般的な不安、パニック、頭痛、胃痛、筋肉痛、不眠、飲食異常、集中できない、決断できない、神経過敏、不信、自己不信、悲嘆、怒り

4.PTSD

急性ストレスの症状が3つ以上

トラウマの追体験

回避(逃避)

5.鬱病

倦怠、無関心、感情の平板化(喜びの欠如)、深夜に目覚める、つねに怒る、連日の睡眠、清潔さ・衛生に気が回らない、外出したくない

Monday, December 12, 2022

オンライン暴力と女性ジャーナリスト01

国際女性メディア財団の報告書『オンライン暴力に直面するジャーナリストのためのメンタルヘルス・ガイド』(202211)を簡潔に紹介する。

International Women’s Media Foundation, A Mental Health Guide For Journalists Facing Online Violence, 2022.

執筆者は Vinland Solutionの心理学者Ana Maria Zellhuber PerezJuan Carlos Segarra Perez

目次

まえがき

このガイドについて

1章 オンライン暴力を理解する

2章 リスクを評価する

3章 オンライン暴力に対処するメンタルヘルス訓練

4章 多様な種類の虐待について学ぶ

推奨する文献

「まえがき」によると、オンライン暴力はデジタル安全問題とだけ理解されがちだが、ジャーナリストのメンタルヘルスに対するオンライン虐待の悪影響は無視できるものではなく、ジャーナリストとその仕事、プレスの自由に重大な帰結をもたらす。このことは特に女性ジャーナリストについて当てはまる。女性ジャーナリストたちは、オンライン暴力の悪影響と闘うには、メンタルヘルスの支援が重要であると語って来た。オンライン暴力とメンタルヘルスをめぐる沈黙の文化は、ジャーナリストが長期的な支援を得ることを難しくする。このギャップを埋めるためにこのガイドが役立つことを願う。ガイドの内容はトラウマとメディアについて研究してきた専門家によって作られた。国際女性ジャーナリスト財団は、オンライン暴力と闘うために、ニュースルーム記者室に変化の文化をもたらしたい。2020年、国際女性ジャーナリスト財団は、「オンライン暴力に反対する連合」を創設し、60以上の団体が協力している。2021年、オンライン暴力対応ハブを発進させ、オンライン暴力に関する議論を活性化させてきた。

「このガイドについて」では、ジャーナリスト、スタッフ、フリーランサーなど、オンライン虐待の標的とされる人に役立つ情報を提供するという。なぜオンラインで虐待者が焦げきしてくるのか心理的理由を理解できるようにする。メンタルヘルス自己評価を可能にする。オンライン暴力が自分のメンタルヘルスにどのような影響を与えるかを理解できる。関連文献や諸団体の情報を提供する。

このガイドは、オンライン虐待についてメンタルヘルスを扱おうとするジャーナリストを実際に支援するが、専門家による援助に代用となるものではない。メンタルヘルスの心身の訓練を含む。必要な場合には、かかりつけの医師に相談する必要がある。

1章 オンライン暴力を理解する

1 人はなぜオンライン攻撃をするのか

虐待は暴力である。その目的は、ダメージと恐怖によって統制し抑圧することである。犯行社は、自分の標的によって脅威を感じたがゆえに攻撃する。動機は恐怖である。

原因と結果を理解することは、あなた自身を守るための鍵である。理解することによって、攻撃のリスクや否定的影響を縮小しするために、状況を管理する措置をとる力となる。

理解したからと言って、状況がストレスでなくなるわけではない。しかし、あなたが安全計画を手にして、自分の感情と症状を管理することができれば、トラウマになることはないだろう。

オンライン暴力は虐待の一形態である。オンライン虐待者は、他の虐待者と同様に、劣等感や嫉妬の感覚から虐待行為に出る。心理学者のメラニー・クラインは「自分が欲しいものを他人が所有し、享受しているという怒りの感情」と定義した。嫉妬は、他人が持っているものを欲するというよりも、自分が手にできないものを破壊しようという意味になる。暴力行為によって他人の名声を破壊し、ジャーナリストを沈黙させようとする。

オンライン暴力には2つの主な形態がある。

1)        人の生命や安全に対する脅迫

2)        人の名声に対する脅迫

攻撃には強いジェンダーバイアスがある。女性ジャーナリストやノンバイナリーのジャーナリストがより暴力攻撃を受ける。自分のジェンダー故に力を得ていると思う攻撃者はいっそうそうなる。

2 誰が私をオンライン攻撃するのか

オンライン攻撃者は、社会的地位も背景もプロフィルも多様である。自己評価が低く、自らトラウマを抱えていることが多い。サイコパシーやパラノイアのこともある。自分が他人に加害行為をしていることを理解できない。パラノイアの場合は他人を支配し、それによって自分の安全を確保しようと感じている。

経済水準の低い攻撃者は、他人が自分の権利を奪い、必要な収入を妨害していると考えがちである。IQの高い攻撃者は、社会的に抵抗するつもりであって、自分は能力が高いのに社会的に十分認知されていないので、必要な収入が得られないと考える。知的能力が低いのに成功している者に対する憤りを持つ。社会的に高い地位にある攻撃者は、被害者が自分の地位を脅かしているとみなしている。自分の領分をライバル集団から防衛しようと考える。

3 感情の対応の仕方

攻撃者は相手の反応に不均衡に反応する。相手が反応することは、攻撃者にとって自分が見られているという満足を呼び起こす。このリスクを減らすため、攻撃に対する南条的な反応について理解し、それを管理する必要がある。

オンライン攻撃は虐待されるものに感情的反応を引き起こす。恐怖、怒り、嫌悪などである。こうした感情は正しいか間違っているかの問題ではない。重要なのは、あなたがここで何を選択するかである。論理的理由や状況評価なしに行動してしまうと事態が悪化する。自分の感情を支配できなくなる。自分が何を経験しているのか、なぜこうした感情を持ったのかを分析する必要がある。

状況に対応するには、私たちが経験している感情をよりよく理解し、問題へのアプローチを考えることである。それによって、より合理的な解決を見出すことができ、後退せずに済む。オンライン虐待への健全な応答は、安全でいられることに焦点を当てることである。

4 オンライン暴力の心的感情的影響

オンライン暴力を受けたときに何が起きるか。オンライン攻撃はあなたをショック状態に追いやり、身体に身体的反応をもたらす。

・心拍が増加し、何が起きているかを考え、理解することを困難にする。

・心が攻撃されていることばかりに向けられる。対応するか何もしないかの可否に心を奪われる。

・こうした混乱が収まると、怒りや脅えが生じ、オンライン攻撃者に応答することを考えてしまう。過剰反応すると事態は悪化する。攻撃者は悪評を招くことを求めていることを覚えておきなさい。過剰反応は思うつぼである。

・あなたは立ち止まり、考え、リラックスし、状況を分析する必要がある。何をするべきかを判断できるのはそれからである。

あなたがジャーナリストの名声を攻撃する場合、相手のアイデンティティに挑みかかり、オンライン世界から相手を閉め出そうとする。相手の人格を消去するのが象徴的方法である。ジャーナリストがオンライン虐待を受けると、書かなくなり、集中するのに努力が必要になり、余計なことばかり考え、名声のことに心を奪われる。恐怖と心配の中で暮らすことになる。

オンライン暴力は日常のルーティーンにも悪影響を及ぼす。自分の人生が突然変化したように感じる。オンライン暴力によって、被害者の日常に変化を余儀なくさせることが虐待者の願いである。しかし、ジャーナリストは、心身の安全を維持するのに必要な措置をとることで、支配を取り戻すことができる。

オンライン暴力によるストレスは次のようなものとなる。

・頭痛、胃炎、肩こり、不眠症、食欲減退、過食。

・自分で自分を孤立化させようとする

・憂鬱、仕事に集中できない、他の活動もできない。

・悲嘆や孤独を監事、「なぜ私なの」と自問する。

・激怒のあまり、自分の個人核や職業上の関係を抑制してしまう。

こうした状況が続いて、自分をコントロールできなくなるのがPTSDである。

精神的に緊急事態になると、身体は自動的に反応する。急性ストレス、ストレス、トラウマが生じる。

不安、パニック、頭痛、胃痛、筋肉痛、飲食障害、意思決定の困難、神経過敏、不信、悲嘆。

選択できる解決のない状況、あるいは会稀有があると感じられない状況。状況をコントロールできないと感じる状況。トラウマは、自分に対する危機をもたらす状況を管理できないという感情が起きた場合に生じる。

以上の全体を管理できれば、あなたはストレスやPTSDを予防できる。あなたの人生を攻撃者に委ねないことである。友人と会い、よく食べ、このガイドで勧める技法を試み、自分にとってベストの活動を見出すこと。状況を管理するために、まず脅迫のレベルを評価し、その心的感情的影響を評価し、以前に経験したストレスを比較すること。

Saturday, December 10, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(219)レイシズムを考える09

山本浩貴「トランスナショナル・ヒストリーとしての美術史に向けて」清原悠編『レイシズムを考える』(共和国、2021年)

山本は、イギリスで旧植民地からの移民に対する差別や偏見と格闘してきたブリティッシュ・ブラック・アートのようなエスニック・マイノリティによる芸術が美術史の中でほとんど記述されてこなかったという。その前提はナショナル・ヒストリーによる「自然な」国民像に見られるように「国民国家という神話」が生まれ、美術史にも及んできたことである。

こうした状況への反省から、トランスナショナルなアートの掘り起こしがなされてきた。日本でも2015年から神奈川県立近代美術館葉山館に始まる「日韓近代美術家のまなざし」のような取り組みがあった。2016年、ソフィ・オーランドは『ブリティッシュ・ブラック・アート』において、イギリス現代アートとブラック・アートを同列に論じた。こうした取り組みの積み重ねが求められる。

山本は、在日コリアン美術に着目するが、「在日コリアン三世のアート」という言葉には収まらない多様性が生まれているともいう。朝鮮大学校美術科の5人の作家による絵画展「在日・現在・美術」(2014eitoeiko)や、武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の学生による「突然、目の前が開けて」(2015)を紹介する。

山本は、ここに「非対称性」が孕まれているという。「その非対称性には、社会的に優越した立場にあるマジョリティとしての日本人と有形無形の社会的抑圧を受けるマイノリティとして在日コリアンの間の権力関係がある。可視化された不公正を是正するためには、そこを訪れた一人一人がさらなる行動を起こす必要がある。だが、アートがもつ視覚的なものにアプローチする独特の力は、さまざまな社会問題をよりよい方向へと導く可能性を持つ」という。

そのうえで、山本はブリティッシュ・ブラック・アートの歴史を、戦後~1970年代、1980年代、1990年代~現在に分けて詳しく概説する。

山本は最後に次のようにまとめる。

「『ナショナル・ヒストリーとしての美術史』の排他的力学の中で無視され忘れられてきた、国境を横断するアーティストの表現に目を向け、その独自の力で差別や偏見と闘ってきた彼らの戦略を過去にさかのぼって掘り起こしていくことはきわめて重要である。それは、美術史や芸術学においてレイシズムの問題にアプローチする有効な方法のひとつである。それらの多様な実践を丁寧にかつ批判的に検討することによって、レイシズムに抗する芸術表現のさらなるアクチュアリティが切り開かれていく。」

武蔵野美術大学と朝鮮大学校美術科の学生による「突然、目の前が開けて」は私も観た。朝鮮大学校で授業をしているので、観ないわけにはいかない。ふだんは塀で区切られている2つの大学の間に架け橋がつくられ、自由に行き来することが出来る。私は、多くの日本人と逆に、朝鮮大学校の側から武蔵野美術大学構内に入って、美術展示を見てきた。

山本は言及していないが、この企画は朝鮮大学校にとっては勇気の必要な大胆な企画である。一般公開したため、展示期間中、ヘイト・スピーカーが自由に出入りできるからだ。この困難を乗り越えるために朝鮮大学校と武蔵野美術大学が心を砕き、協力できたこと自体に大きな成果を見ることが出来る。

昨年、私は「緑の宝石箱・スイス美術館巡り」藤井匡編『美術館を語る』(風人社)という文章を書いた。

https://www.fujinsha.co.jp/books/art/9784938643980-2/

そこで私は「スイス美術史は可能か?」という問いを立てた。西洋美術史の主舞台であるフランス、イタリア、ドイツ、オーストリアに囲まれたスイスの美術史とは何か。アンカー、ホドラー、ジャコメティらを想起することになる。ただ、キルヒナーやパウル・クレーはドイツ人、アンジェリカ・カウフマンはオーストリア人、セガンテーィニはイタリア人、ヴァロットンはフランス国籍を取得した。スイス一国の美術史は成立しない。

また、私はフリブール出身の彫刻家マルチェッロ(アデレ・ダフリー)を紹介し、さらにヌシャテルのジャンヌ・ロンバール、ローザンヌのアリス・ベイリー、シオンのマルゲリーテ・ブルナ・プロヴァン、チューリヒ・ダダのゾフィー・トイバー・アルプを取り上げて、女性アーティスト中心の西洋美術史の可能性、男性中心主義の西洋美術史とは異なる美術史の可能性に言及した。

もっとも、私の文章は西洋中心主義を乗り越える視点を提示していない。今後は山本に学んで、視野を広げたい。

マルチェッロについて

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/03/blog-post_14.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/03/blog-post_15.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/03/blog-post_97.html

Thursday, December 08, 2022

緊急事態下の国会議員任期延長に関する衆議院憲法審査会の運営及び議論の在り方に抗議する法律家団体の緊急声明

2022年12月9日

改憲問題対策法律家6団体連絡会

社会文化法律センター   共同代表理事 海渡 雄一

            自由法曹団            団長 岩田研二郎

            青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 笹山 尚人

            日本国際法律家協会        会長 大熊 政一

            日本反核法律家協会        会長 大久保賢一

            日本民主法律家協会       理事長 新倉  修

 

1 誤解を生じさせかねない姑息なやり方に抗議する

本年121日の衆議院憲法審査会において、衆議院法制局が、緊急事態における国会議員任期延長に関する各党会派の発言を論点ごとに整理した資料を提出し、橘幸信法制局長が20分にわたり説明を行った。

これは、自民党の新藤義孝委員(与党筆頭幹事)が、個人的な議論のとりまとめを行うために、衆議院法制局にその資料作成を依頼したものであり、予めの幹事会では、法制局長が資料説明をすることについては合意がなく、いわば不意打ち的に強行したものである。

衆議院法制局に説明させることで、審査会において議論が進展しているかのように見せかけて改憲をすすめようとする姑息なやり方である。事実、一部のマスコミ(NHK)は、1日衆議院法制局が主張を整理した資料を説明したことを伝えて、「衆議院の憲法審査会で論点整理まできた。」「そろそろ仕上げの仕事に入っていかなければならない。」とする自民党茂木敏充幹事長の発言を報道している。

  このような姑息なやり方は、与野党の合意に基づき審査会を運営するとした慣例に反し、国民世論を誤って誘導しかねない危険なものであり、自民党には猛省を求める。

 

2 議員任期延長改憲のみを議論することは根本的に誤りであること

  衆議院法制局資料からも明らかなように、緊急事態の国会議員任期延長改憲の議論は、その前提に問題があり、重要な問題についての議論が抜け落ちている。

  改憲推進派は、国会機能(国会の立法機能・行政監視機能)の維持のために、議員任期延長の改憲が必要であると口をそろえている。しかし、国会機能の維持が必要であることは、改憲派の問題とする任期切れ直前に大規模災害等が発生した場合だけではなく、議員任期が十分に残っている場合も、国会の閉会中または開会中に、大規模災害等の緊急事態が発生すれば同様に問題となる。国会の機能維持というのであれば、現に開会中の国会で委員会を招集し、閉会中であれば内閣が適切に臨時会の召集を求め(憲法53条前段)、あるいは、野党議員の求めに応じて内閣が国会を速やかに召集し(憲法53条後段)、政府が国会議員の質問に十分に答えて議論を尽くすことが必要である。これはいわゆる平時であっても全く同様である。

問題は、内閣が自分に都合が悪いときは国会を開かない、与党多数派が短時間で委員会審議を打ち切り、野党の質問に政府側が真摯に答えようとしない現状である。国会の開会が内閣の専断となっていて、国会(国会議員)が統制できていないこと、与党多数派が十分な国会審議に応じようとしない現状こそが問題の核心である。

この現状に鑑み、憲法に照らして国会機能を全うするためには、たとえば憲法53条後段に基づき臨時会を召集させることを強制する仕組みなど内閣に憲法を守らせる方途や、国会議員が国会の開会について一定の権限を持つような改革案を憲法審査会で議論することこそが求められている。

改憲推進派は、この本質的な議論に応じようとしていない。国会議員の任期切れが迫りしかも、その時に大規模地震などの緊急事態が発生し、その上、日本全土にわたり広範にかつ長期間、選挙が実施できない場合といった(確率的には極めて低く想定し難い)事態に限って、国会機能の維持のために議員任期延長の改憲が必要だと主張している。改憲をするためだけの議論であり、国会機能の維持など本心では念頭にないことが明らかである。

仮に国会議員の任期延長について改憲を行ったとしても、国会が開かれるとは限らない。参議院の緊急集会も、憲法上は「内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」(憲法542項)とされているため、現状では、内閣が緊急集会を確実に召集する保証はない。むしろ自民党などの改憲派は、緊急事態を口実に選挙を避けて権力を温存したうえで、国会を開かず、緊急政令等の内閣や首相の権限により都合よく政治を執り行うことを緊急事態条項を創設する改憲により目指しているとみるほうが正確である。

 

3 国会機能の維持のため論点を一から整理しなおすことが必要

121日の衆議院憲法審査会で、立憲民主党の中川正春委員が、「緊急事態の中での議員任期延長というほんの一部分のみにこだわるということではなく」「権力の暴走を民主的に防ぐための歯止めをどのように憲法を含む法体系の中に準備しておくかということ、この問題を総合的に議論する必要がある」と指摘した点は正鵠を射ている。

内閣の暴走により国会の機能が果たせていない現状の改革こそが喫緊の課題であり、国会機能の維持を理由に任期延長についての改憲のみを取り上げる議論の在り方は、根本的に間違っていると言わざるを得ない。衆議院憲法審査会は、議論すべき論点を一から整理しなおすことが必要である。

以上

「敵基地攻撃能力の保有に絶対反対する」(日本友和会声明)

 「敵基地攻撃能力の保有に絶対反対する」(日本友和会声明)

 

「敵基地が日本を攻撃しようとしていると認識した場合、攻撃されていなくても敵基地を攻撃できる能力を備える」という敵基地攻撃能力の保有(安保3文書改訂)を123日自民・公明両党があっさり容認した。

「敵基地攻撃」という言葉が余りにも露骨であるとの批判に曝され、現在「敵基地反撃」という名称に変更されたが、中身は「敵基地攻撃」であることには何ら変わらない。わが国の「専守防衛」という国家安全保障理念を空洞化する暴挙である。

 しかも、この能力行使の中身を見ると、攻撃を受けていなくても「相手が攻撃に着手したと認識」したら、攻撃するという内容である。「反撃」(攻撃を受けた者が反撃に転じる事ー広辞苑)ではなく「先制攻撃」であり侵略である。

 そして、2015年制定の新安保法により、同盟国への攻撃準備が認識された場合も同様に行動することになる。この明らかな憲法違反及び国際法違反に絶対反対する。

 

                          2022年12月7日

                                                                              日本友和会理事長 水戸 潔

ヘイト・スピーチ研究文献(218)レイシズムを考える08

安部彰「リベラリズムにおけるヘイトスピーチへの対抗策」清原悠編『レイシズムを考える』(共和国、2021年)

安部は、ヘイトスピーチへの「対抗」には、「カウンター」と法規制の2つの動向があるという。後者は表現の自由をめぐる論争を呼び起こしたが、ヘイトスピーチ解消法という非刑罰的手法で「一応の決着」をみたという。そのうえで安倍は「むしろ規範的な問題、なかでもとくに道徳的な問題」に取り組む。具体的には「リベラリズムからはヘイトスピーチへのいかなる対抗策が導かれるのか」である。

安部はまずJ.S.ミルの『自由論』における表現の自由の全面的な擁護と、その制約原理としての「危害原理」を考察し、ミルのリベラリズムによるなら、「ヘイトスピーチへの法規制は正当化されるであろう」という。問題は危害があるのか、不快に過ぎないのかである。在日朝鮮人にとってはまさき危害行為であるが、日本人にとっては不快に過ぎないとして、「それは、日本人がヘイトスピーチ問題の部外者であるということを露も意味しない」。ミルにおいては「批判と説得」が重視されることになる。

安部は次にアメリカの哲学者R.ローティのリベラリズムを論じる。見るの議論を高く評価するローティは、「自己創造」の自由の価値を最大限評価する。「人権文化」に着目するローティは、「差別主義者らの共感能力を高めるという方向で構想される」という。つまり「感情教育をつうじて、(異質な)他者の苦しみへの感受性と、他者とのオルタナティブな関係を想像―創造する能力とを養うといった道筋のもとで構想される」という。

感情教育という提案に対しては「なにを悠長なことを」という批判が予想されるが、安部は「人格の形成にかかわる教育という営みは性急であるべきではない」と言う。想像的共感や人権文化の実践・推進が重要である。

ヘイト・スピーチへの対策として、私は刑事規制、民事規制、行政規制、啓蒙・啓発、教育、対抗言論のすべてが必要であると唱えてきた。それが国際常識だからだ。人種差別撤廃条約を見ても、委員会の一般的勧告を見ても、ラバト行動計画を見ても、国連ヘイト・スピーチ戦略を見ても、すべての手段・方法を総動員して差別とヘイトに対抗する必要性が強調されてきた。これが最低限の常識である。安部は法規制、批判と説得、教育の重要性を指摘する。合理的で正当な議論である。

教育については、私は、どのような教育であるのかを示すべきだと指摘してきた。初等教育なのか中等教育なのか高等教育なのか社会教育なのか。いかなる教育課程と教材なのか。教師はいかに訓練されるべきなのか。教育によって、いつまでに差別とヘイトを克服することを目指すのか。人種差別撤廃条約第2条と第6条の要請である。教育論者はこうした点を明らかにするべきである。そうでなければ無意味な主張に過ぎないだろう。安部の議論には具体性がないのが残念である。

私はないものねだりをしているのではない。反差別の法と政策を制定し、反差別と反ヘイトの教育を行うことは国際人権法の要請であり、国際常識となっている。西欧諸国では反差別法、人権法が制定され、反差別の教育が実践されている。教育論者ならば、そうした実践に学んで具体的な議論を展開するべきであろう。安部の今後の研究に期待したい。

 

Wednesday, December 07, 2022

若者がドイツ政治を変えるとは

木戸衛一『若者が変えるドイツの政治』(あけび書房、2022年)

https://akebishobo.com/products/germany

はじめに 日本とドイツを比較する意味

第1章 「人間の尊厳は不可侵である」

第2章 家庭・学校から社会へ

第3章 歴史に向き合う

第4章 ドイツの若者の政治観

第5章 政治を変える

おわりに Youthquake!

Youthquakeは、2017年のイギリスのオクスフォード辞典の「ワード・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた言葉だという。EU離脱の国民投票に衝撃を受けた若者たちが、20176月の総選挙で、与党・保守党を過半数割れに追い込んだことから、注目されたという。「若者の反乱」といった意味だろう。

その後のイギリス政治を見れば、再び体制化が進み、老人支配が強化されてもいるが、「若者の反乱」が終わるわけではなく、何度も起き続けそうだ。その繰り返しによってギリス政治も徐々に変化していくだろう。

ドイツ政治も同様だ。本書で木戸は、ドイツの若者の政治意識や行動がどのようにドイツ政治を変えてきたか、変えていくかに焦点を当てるが、「ドイツの若者は素晴らしい」などと持ち上げるわけではない。ドイツの若者の反乱も、成果を上げたり失敗を繰り返したりしながら、国家と社会を徐々に変えていくからだ。

そんな当たり前のことを確認するまでもないのだが、これまでも歴史・政治・社会・文化の領域で日独比較が行われると、必ず、「ドイツがそんなに素晴らしいのか」といった反論が出て来る。ドイツだけが素晴らしいということはないし、ドイツが一貫して素晴らしいということもない。ドイツも様々な制約の中で試行錯誤している。ドイツの若者も、張り切ったり、立ち上がったり、悩んだり、座り込んだり、さまざまだろう。そのプロセスに学ぶことが大切だ。

木戸は、ナチス・ドイツの歴史を経験したドイツ連邦共和国が、自らのアイデンティティをいかにして練り直し、西欧世界の中で再度、信頼を獲得してきたかをたどり直し、「人間の尊厳」を基軸にした国家と社会の再編成を確認する。

ドイツ社会に人間の尊厳を定着させてきたのは、何よりもまず教育であり、歴史教育であるから、木戸はドイツの教育、学校、社会に目を注ぐ。「民主主義への教育は家庭と学校で始まる」――すでにここで日本との決定的な違いが明らかになる。日本では、学校と家庭こそが民主主義からもっとも遠く離れた世界である。それどころか、民主主義を持ち込んではならない領域とされているとさえ言える。

戦後ドイツも最初からこの道を歩んだわけではない。1968年の民主化がなければ、現在のドイツにはなっていない。1968年はドイツだけでなく西欧世界の価値観を大いに揺さぶった。それがドイツの学校をどのように変えていったかが本書の肝である。

歴史に向き合うドイツ、「過去の克服の試みは、日本でもよく知られる。一般に知られるのはワイツゼッカー大統領の演説だ。中曽根との違いが極端だったためだ。その後のドイツ大統領と日本首相の違いは、果てしなく大きく、溝が深い。「アウシュヴィッツはドイツのアイデンティティ」。木戸はそのエピソードをいくつか紹介する。

しかし、それだけではない。ドイツにはナチス以前にも植民地支配の歴史があるからだ。アフリカや太平洋におけるドイツの植民地支配が生み出した悲劇を忘れてはならない。木戸は、ドイツの暴力の起源を問い、ドイツ植民地主義の歴史、例えばハンブルクの「人間動物園」に光を当てる。日本でも「学術人類館事件」が知られるように、「人間動物園」をつくったのが人種主義であった。

ところで、ドイツの若者に焦点を当てて、日本を語ることは、端的に言えば、日本の若者はなぜ立ち上がらないのか、なぜこんなにおとなしいのか、を問うことにもつながる。

この問い自体が大人目線の問いであり、実は倒錯している、と木戸は言う。木戸の問題意識は次の言葉に示されている。

「その昔、私たちの世代も無気力、無関心、無責任の三無主義、あるいは無感動を加えての四無主義などと、散々な言われ方をしていました。それに対して反抗的な私は『そう仕向けたのは大人の責任ではないのか』と憤りを覚えていましたが、今や自分自身が、これほどまでに荒廃した政治社会の責めを負うべき番になってしまいました。ドイツ現代政治・平和学を専攻している立場から、本書を通じて、その責任の一端を果たすことができれば幸いです。」

つまり、「最近の大人はなぜこれほど悲惨なのか」という問いに回答を出すことが、木戸の責任である。

木戸と同じ世代の私も、一方で「世代論は採用しない」と公言してきたし、他方で「いつの時代も大人は『最近の若者は・・・』と偉そうに発言するものである(だから耳を傾ける価値はない)」と決めつけてきた。

しかし、私自身、定年退職した身となって、過去を振り返り、現在を考えると、どうしても世代論に乗っかってしまう。だからこそ、木戸と同じように「最近の大人は・・・」と問う癖を身に着けようと思う。というか、日本政治の老人支配を見ていると「老害」はとことん行くところまで行かなくてはならないのかもしれないなどとも思うが。

木戸は最後の最後に、二人の息子に言及しつつ、「実の両親」と「ドイツの両親」に謝辞を述べている。戦争、格差、貧困、気候変動の時代に、闇の彼方の光を求めるために。