Tuesday, August 25, 2009

徳成女子大学でのNGOシンポ





























8月22日、ソウルの徳成女子大学で、第3回歴史と平和NGO国際シンポジウムが開かれた。多数の分科会企画が開かれた。写真はその一つの関東大震災朝鮮人虐殺シンポジウムの様子。

東大門にて
















8月21~22日、日本の戦争責任に関する戦後補償や、関東大震災朝鮮人虐殺シンポジウムのためソウルにいってきた。写真は東大門付近の河川と、屋台のお食事。

Wednesday, August 19, 2009

空に歌えば――平和・人権・環境(32)

「月刊マスコミ市民」487号

 「第九で9条」を世界に響かせたい
     あきもとゆみこ


 第九で9条ピースパレード


 本連載第一二回目に紹介したように、あきもとゆみこは第九のメロディで日本国憲法第九条を唄ってきた。毎月一回、仲間と一緒に大阪・御堂筋をパレードしている(本誌二〇〇七年一二月号参照)。
 ところが、最近になって、無断で改作したCDが発行され、週刊誌に宣伝記事まで掲載された。その経過を振り返ってみよう。
 「二〇〇六年一月にこの歌を作りました。誰もが知っている第九のメロディにのせれば憲法第九条も広がるかなという思いと、第九の9と憲法九条の9のロゴがいいということで『第九で9条』と命名しました。そして、その二月からステージなどで唄う活動や毎月この歌を唄う『第九で9条ピースパレード』を続けています」。
 あきもとは、大阪府出身の絵描きだ。ミナミの街で、ある放浪画家と出会ったのがきっかけで似顔絵師になった。流しのギター弾きならぬ「流しの似顔絵描き」としても活動歴がある。ジャーナリストの斎藤貴男の推薦を貰って、平和主義を地域で実現するための無防備地域運動の漫画『マンガ無防備マンが行く!』(同時代社)も出版している。
 「ベートーベンの交響曲第九番の『歓喜の歌』のメロディに憲法第九条の条文をのせて唄います。『戦争はしません』と戦争放棄を掲げたのが、憲法第九条です。世界的にもとても貴重な平和憲法なのです。だけど、与党の自民党新憲法草案は、憲法第九条二項を変えて、自衛隊を自衛軍に変えて、戦争ができる国にしようとしています。軍隊になるということは『人を殺せる』ということなのです!
世界第四位の軍事費をもつ自衛隊でも、今まで人ひとり殺すことがなかったのは、第九条が歯止めになってくれたからなのです」。
 二〇〇六年五月三日、大阪の「中之島まつり」で披露し、一一月三日、おおさか九条の会の大阪城野外ステージで二五〇〇人の大合唱にこぎつけた。二〇〇八年の9条ピースウォークや、9条世界会議in関西のステージでも披露してきた。そして、大阪のメインストリート御堂筋で「第九で9条ピースパレード」 を毎月実施してきた。

 三年かけて定着


 『毎日新聞』二〇〇六年六月一七日記事「第九に託す憲法9条――平和『喚起の歌』に」は、「憲法改正の手続きを定める国民投票法案を巡る議論などが本格化する中、今年一月ごろ、『第九』を発案。メロディに合うよう、条文の息継ぎする箇所を調整してつくり上げ」たとして、あきもとの写真とともに紹介している。
 『大阪日日新聞』同年一〇月二五日記事「戦争放棄『第九』にのせて――憲法九条を歌で提唱」も、市民祭りのイベントで歌うあきもと の写真とともに、「九条は多くの人の平和への思いをつなぐ“最大公約数”。もっと知ってほしい」という言葉を紹介している。
 『しんぶん赤旗』同年一〇月二日の「近畿のページ」は、「今人気の歌『第九で9条』発案者です――目標は九九九九人の合唱」として、アカペラの CD『第九で9条』を作成したことも紹介し、「歌手を目指し、レコード会社からミュージックテープを出したことがあります。大きくてハスキーな声。のびのびと九条を歌い上げます」と報じている。
 『毎日新聞』同六年一二月二四日記事「『第九』で憲法9条を歌おう」も、御堂筋パレードを取り上げている。
 二〇〇七年にも、『毎日新聞』七月八日記事「第九で9条歌い御堂筋をパレード」が、パレードの様子を紹介している。
 『朝日新聞』一二月二五日「青鉛筆」欄も「この日はサンタクロースやトナカイの仮装をした約三〇人が参加し、御堂筋などを練り歩いた」、「けげんな顔の通行人も『9つながり』に気づくと納得。『平和を誓う9条も、長年歌い継がれる歓喜の歌と同様、国民に愛されてほしい』と主催者」と報じている。
 また、「憲法9条――世界へ未来へ連絡会」の機関紙『9条連』一六一号(二〇〇八年)にも「第九で9!大阪・御堂筋ピースパレード発」として
第九で9条が掲載された。
 二〇〇八年五月六日の「9条世界会議・関西」でも精一杯歌った。その様子はパンフレット『9条世界会議・関西報告集』(9条世界会議in関西実行委員会)に2枚の写真が収録されている。
 このように、さまざまな機会に歌ってきたので、努力の甲斐あって広く知られ、定着してきた。また、二〇〇八年三月には広島・原爆ドーム前でも歌った。今後は全国に広げて、みんなで九条を歌いたい。「九九九九人の第九」をめざしている。「肩肘をはらずに、みんなで平和を考えるきっかけになれば」という思いから、クリスマス・イヴに、九九九九人の参加者を募って「第九で9条」を歌うパレードやカウントダウン・ライブコンサートを実現したいという。「さらに夢を膨らませると、紅白で唄えたら最高です!」。

 週刊金曜日の記事


 ところが、あきもとの第九で9条を改作して、オリジナルであるかのように振舞う人々が登場した。
 『週刊金曜日』七四九号(二〇〇九年五月一日・八日号)に、宮本有紀「第九のメロディで九条を歌う 戦争の放棄」という文章が掲載された(『週刊金曜日』同号四二ページ)。筆者は同誌編集者である。記事は、次のように構成されている(引用に当たって個人名をアルファベットにした)。
 
冒頭、SやMらの発案で「第九で9条」の作成を始めたと書いている。「『第九』で有名なベートーベンの交響曲第九番四楽章。このメロディに憲法九条の条文を歌詞につけて合唱し、CDまでつくってしまった人たちがいる」。二〇〇八年四月、SとMが「偶然隣り合わせになり、雑談中に『第九に九条を歌詞としてつけるのは無理ですかね』と問われた」。その問いを聞いたMは「頭の中でちかっと共鳴した」という。奇怪な話だ。
 
②記事の途中にあきもとのことが出てくるが、あきもとの作品とは違うという説明に力点がある。「そこで『第九を歌うなら(秋元さんの作の歌詞ではなく)憲法九条そのものを歌詞に合唱しよう』ということになり、Mさんがヘ長調に編曲し、Sさんと歌詞構成を考えた『戦争の放棄』を歌うことに」したという。
 この文章だと、あきもとは第九条の条文ではなく、自分で作詞して歌っていることになる。しかし、楽譜を見れば一目瞭然だが、あきもとは第九条の条文を歌っている。そこに四番を付け加えているが、三番までは第九条そのものである。
 改作の方はというと、一番と二番は第九条だが、三番は「戦争放棄、戦争放棄、戦争放棄」となっていて、第九条そのままではない。「憲法九条そのものを歌詞に合唱しよう」という理由を掲げているが、実際は違う。『週刊金曜日』記事は事実と異なる。
 
記事は、次にCD作成過程を紹介した上で、二〇〇九年三月に収録を終えたが、CD完成直前にMが亡くなったことに触れ、Mがなぜ第九で九条を思いついたか、その思い入れが書かれている。「CD作成は遺言なんです」という言葉が踊る。Mは、ベートーベン、カント、ルソー、シラーに言及し、「絶対平和主義と、自由と平等の精神を背景に『人類はみな兄弟となる』というのであれば、日本国憲法第9条こそは、この原曲にもっとも相応しい歌詞」と述べたのだという。 
 
第九で9条をつくり、三年がかりでようやく広めてきたあきもとの思いは、見事に丸ごと横取りされる。
 
右の引用に続いて、記事は「そう言われると九の重なりが単なる偶然ではなく思えてくる。/たまたま隣に座ったMさんとSさんが互いに音楽に造詣が深く、共に九条を音楽で広めたいと思っていた偶然。たまたま同時期に提案された『第九で9条』の合唱。偶然も積み重なれば必然だ」と、「偶然」の積み重なりを強調する。
 あきもとの思いも努力も、御堂筋パレードの仲間の思いも、すべてMの遺言のための「偶然」にされてしまう。二〇〇六年以来の三年間は無視され、なかったことにされる。「たまたま同時期に提案された」「偶然」だと強弁する。先に紹介した数々の新聞記事や雑誌記事もなかったことにされてしまう。

 他者を黙殺する人々


 改作されたことをあきもとが知ったのは、二〇〇八年夏のことだ。インターネットで目に止まったのだ。
 「たまたま『第九で9条』で検索した時に、この事実を知り、とてもショックでした。すぐにこの人たちに、抗議をしました。」
 あきもとだけではない。御堂筋パレードに参加してきた仲間も繰り返し抗議のEメールを送った。しかし、何も返事がなかった。

そこで、あきもとの作った唄い方でいっしょに唄ってもらえないかという手紙を送った所、ようやく返事がきた。内容は、あきもとの「名前を入れて敬意を示した文を入れている」というおわびの文はあったが、それには「もっと唄いやすいように変えた」などという文が楽譜に載せられていた。結局、あきもとの要請は受け入れられなかった。

唄いやすいということについても、どうだろうか。歌いやすいか否かは主観的な判断なので、比較は難しい。だが、『戦争の放棄』は、一つの音符に言葉を詰め込んだり、逆に音符にまたがって言葉を長く伸ばしている。しかも、一番は長いのに、二番はいたずらに引き伸ばした挙句、途中でプツンと切れてしまう。これに対して、『第九で9条』は、音符に言葉を平均的に盛り込んでいるので、平明である。
 今回の『週刊金曜日』記事を見て、今度はCDも製作されたことに驚いたあきもとは、二〇〇九年五月、再び抗議の手紙を出した。しかし、返事はない。
 あきもとは『週刊金曜日』編集部にも要請の手紙を出した。
 「今回の記事を読んで思ったことは、この第九のメロディに9条をのせると言うアイディアが、偶然の重なりとされたことが、違うということです。そもそも私は、三年前の二〇〇六年一月に、ベートーベンの第九のメロディで憲法9条をのせた『第九で9条』という歌を作っております。第九の9と憲法9条の9のゴロがいいなあということで『第九で9条』と名づけました。そして、第九なら誰もが知っているし、歓喜の歌というメッセージもピッタリだし、大勢の人たちと唄えるということで、これはいいと、ひらめいたわけです」。
 それから二ヶ月になるが、返事はない。

 9条への思い


 あきもとは、自分がなぜ『第九で9条』を作ったのか、自分自身の思いを改めて考えた。
 「一つは、9条を広げて行くという大きな目的です。だからこそ、色々な方に協力してもらえ広がっているわけです」。
 しかし、それだけではない。
 「もう一つは、自分が作ったという自己主張、自己アイデンティティの存在です。これがあるから、自分自身の存在意義が認識できて、何かを作ったりできるわけで、原動力になっているわけです。今回は、後者の理由である私自身の存在をないがしろにされたことに、不快な気分になりました。けど、前者の目的は、今回のことを通しても広がっているのは事実です。」

 憲法第九条への思いは、人それぞれだ。その思いをどう表現するか、それぞれ工夫している。第九条をロックにした人も、フォークソングにした人も、詩吟にした人もいる(本連載二〇〇九年二月号参照)。第九条改悪を阻止し、一歩でも二歩でも平和のために歩みたいという思いは共通だろう。

 しかし、相手が嫌がっているのを知りながら、あえて改作しCDをつくり、週刊誌に宣伝記事を載せてしまうのは、どうだろうか。事実と異なる記事によって傷ついた読者に返事もないのは、いかがなものだろうか。

 「私は、憲法9条や平和の運動をしている人たちの中でも、色々な主義や思想があって、なかなか一つになれないと感じていました。それなら歌ならどうかと思い第九で9条を考えた次第です。みんなで唄えば一つになれるのではと思い、広げてきたのですが、今回のことで、平和運動という名のもとので自己主張をなにより大事だと思う人がケッコウいるということがわかりました。平和をつくる以上に、まず自分たちの主張を通したいということなんですね。だから平和をつくるという大意を忘れ、自己主張をしすぎて、思想や主義が違って、まとまらないんですわ。音楽でも同じことなんですね。今回のことをキッカケに、改めて平和運動とは何かという本質を深く考えさせられました。」

 しかし、今回のことを引きずることなく、9条世界会議・大阪で精一杯歌ったように、世界に9条を響かせたいと願う。

「この件で9条全体の運動にとって支障にならないよう、これで終わりにしたいと思います。とにかく、今まで一緒に広めてきてくれた人たちのためにも『第九で9条』をこれからも楽しく唄っていきますので、みなさん、よろしくでーす!

************************

第九で9(ピースケのページ)

 http://peaceke.blog65.fc2.com/

**************************

<経過>
2006年 1月 あきもとゆみこ『第九で9条』製作し、歌い始める

独唱・アカペラCD作成
2006年12月 御堂筋でパレード始める(以後、毎月定例化)
2008年 3月 あきもと、演奏付CD作成
2008年 4月 SとMの会話で「発案」
2008年 6月以後 SとMが改作

(当初は『第九で9条』のタイトルも同じ)
2008年夏頃  あきもと等、改作に抗議

2009年 5月 改作のCD『戦争の放棄』発売

Monday, August 03, 2009

ヘイト・クライム(13)

法と民主主義435号(日本民主法律家協会、2009年1月)

<刑事法の脱構築

人種差別の刑事規制について

一 はじめに

かつて差別的表現に関する憲法論を展開した内野正幸は、人種差別撤廃条約や自由権規約を取り上げ、そして「自由主義諸国の苦悩」と題して各国の立法例を紹介している(1)。アメリカの人種的集団ひぼうの禁止、イギリスのヘイトクライム法、フランスの人種差別禁止法の集団侮辱と憎悪・暴力煽動、カナダの憎悪煽動罪などを紹介・検討し、立法例について、人種的集団に対する憎悪煽動、差別煽動、名誉毀損、侮辱の四つに類型化できるとしている。規制範囲について、人種差別撤廃条約四条aは禁止の対象にあまり限定をつけていない、立法例にも同様の例がある、ドイツやフランスの立法には「本来自由であるべきだと思われるような表現行為に対してまで、適用される傾向」があると指摘している。

内野は、「部落差別的表現の規制」について賛成論と反対論を検討したうえで、五つの私案を紹介している。

部落解放同盟・差別規制法要綱(案)
「第三(差別表現、差別煽動の禁止)(一)何人も、ことさら部落差別もしくは民族差別の意図を以って、個人もしくは集団を公然と侮辱し、またはその名誉を侵害してはならない。(二)何人もことさら前記記載の差別を煽動する目的をもって、公然と個人もしくは集団に対する暴力行為または殺傷行為を挑発してはならない。」

松本健男案
「何人も、民族、人種、国籍ならびに社会的出身、出生を理由として、個人又は集団に対し、公然と侮辱的言動をなし、あるいは名誉、信用を傷つけ、憎悪、暴力、交際拒絶を煽動し、もしくは社会的・市民的権利の享有を妨害し、あるいは誹謗してはならない。」

森井
「個人または団体に対し、ことさら部落差別の意図をもって、公然となされる侮辱、名誉毀損ならびに信用毀損を禁止する。」

山中多美男案
(一) 確信犯、開き直り、(二)差別を利用しての利益追及、(三)執拗な差別電話,手紙、落書き、(四)ファッショ的な内容、を対象にする。教育・啓発を先行させ、にもかかわらず反省のない者に行政罰を科す。

内野正幸案
「(第一項)日本国に在住している、身分的出身、人種または民族によって識別される少数者集団をことさらに侮辱する意図をもって、その集団を侮辱したものは、・・・・・・の刑に処す。(第二項)前項の少数者集団に属する個人を、その集団への帰属のゆえに公然と侮辱した者についても、同じとする。(第三項)前二項にいう侮辱とは、少数者集団もしくはそれに属する個人に対する殺傷、追放または排除の主張を通じて行う侮辱を含むものとする。(第四項)本条の罪は、少数者集団に属する個人またはそれによって構成される団体による告訴をまってこれを論ず。」

 以上の諸案の特徴は次のようなものである。

 第一に、①②③は禁止規定であり、犯罪とする趣旨と思われるのに、それが文章に反映されていない。④⑤は犯罪であることを明言している。

第二に、いずれも人種差別撤廃条約に準じた規定案にはなっていない。

第三に、①②③⑤は個人に対する差別禁止と集団に対する差別禁止の両者を含んでいる。

第四に、①②は差別禁止と扇動禁止の両方を含むが、それ以外は煽動禁止について明示していない。

第五に、いずれも差別表現を伴う暴力や差別的動機による暴力の加重処罰規定に言及していない。

二 国際人権機関の勧告

日本政府が人種差別撤廃条約を批准したことにより、議論状況は大きく変化した。人種差別撤廃条約第四条は、人種的優越主義に基く差別と煽動を犯罪として禁止するよう要請している。四条aは人種的優越・憎悪観念の流布・煽動を犯罪とし、bは人種差別団体を規制することとし、cは国による人種差別助長・煽動を禁じている(日本政府はabを留保している)。人種差別撤廃委員会に提出された報告書を見ると多くの国で実際にそうした処罰立法がなされており、現に適用されている。

人種差別撤廃委員会

二〇〇一年三月二〇日、人種差別撤廃委員会は、前年四月九日の石原慎太郎都知事の「三国人発言」は条約に違反する差別発言だと指摘した(2)。

日本政府は次のように回答した。「石原発言は特定の人種を指していない。外国人一般を指したもので人種差別を助長する意図はなかった。『不法入国した三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、災害時には騒擾の恐れがある』との言葉だが、都知事には人種差別を助長する意図はなかった。」

 委員会の最大の関心事は、日本政府が条約四条abの適用を留保しており、しかも日本に人種差別禁止法がないことであった。石原発言が野放しになっていることやチマチョゴリ事件(在日朝鮮人に対する差別と暴力)への厳しい批判に次いで、人種差別禁止法の制定を求める発言が続出した。印象的だったのは「人種差別表現の自由などというものは認められない」という趣旨の発言であった。委員会の「最終所見」は、人種差別の禁止と表現の自由は対立せず、両立することを指摘し、条約を完全に実施するために人種差別禁止法を制定し、人種差別を犯罪とするよう勧告した。

 

人種差別特別報告者

二〇〇六年、国連理事会の「人種差別特別報告者」ドゥドゥ・ディエンの報告書が公表された(3)。

「日本政府は、日本社会に人種差別や外国人排斥が存在していることを公式に表立って認めるべきである。差別されている集団の現状を調査して、差別の存在を認定するべきである。日本政府は、人種差別と外国人排斥の歴史的文化的淵源を公式に表立って認め、人種差別と闘う政治的意思を明確に強く表明するべきである。こうしたメッセージは、社会のあらゆる水準で人種差別や外国人排斥と闘う政治的条件をつくりだせるのみならず、日本社会における多文化主義の複雑だが意義深い過程を促進するであろう。」

ディエン報告者は、日本における人種差別の現状を分析し、日本政府の政策や措置も検討した上で、数々の勧告を行なった。特に強調されたのが、人種差別が存在することを公的に認め、人種差別を非難する意思を明確に表明し、人種差別と闘うための具体的措置をとること、人種差別禁止法を制定することである。

 「日本政府は、自ら批准した人種差別撤廃条約第四条に従って、人種差別や外国人排斥を容認したり助長するような公務員の発言に対しては、断固として非難し、反対するべきである。」

 「日本政府と国会は、人種主義、人種差別、外国人排斥に反対する国内法を制定し、憲法および日本が当事国である国際文書の諸規定に国内法秩序としての効力を持たせることを緊急の案件として着手するべきである。その国内法は、あらゆる形態の人種差別、とりわけ雇用、住居、婚姻、被害者が効果的な保護と救済を受ける機会といった分野における差別に対して刑罰を科すべきである。人種的優越性や人種憎悪に基づいたり、人種差別を助長、煽動するあらゆる宣伝や組織を犯罪であると宣言するべきである。」

国連人権理事会

 人権委員会が改組されて二〇〇六年に発足した人権理事会は「普遍的定期審査(UPR)」という制度を設け、各国の人権状況を審査することにした。日本についての最初のUPRは、二〇〇八年五月に行われた。総会に先んじた作業部会において、日本政府に対して多数の勧告がなされていたが、総会においても同様に厳しい指摘がなされた。多くの人権条約の選択議定書を批准していないこと、人種差別禁止法を制定すべきこと、インターネット上の人権侵害に対処すること、死刑廃止に向けた努力をすること、難民認定の独立機関を設置すること、日本軍性奴隷制度の解決に向けた努力をすることなど、多面的な指摘がなされた(4)。

自由権規約委員会

市民的および政治的権利に関する国際規約に基づく自由権規約委員会は、二〇〇八年一〇月三〇日、日本について最終見解を発表した(5)。

日本軍性奴隷制問題に関して、自由権規約委員会は問題を解決するよう厳しい指摘をした。年金制度に関しても、日本国籍者以外に対する年金からの除外を是正すること、移行措置をとることを勧告した。朝鮮学校に対して、他の私立学校と同様の卒業資格認定、その他の経済的手続的な利益措置を講じることも勧告した。

自由権規約委員会はその他にも多くの勧告を出している。主要なものを項目だけ列挙してみよう。アイヌ民族を先住民族として認めること。琉球/沖縄についても権利を認めること。人身売買被害者を救済すること。外国人研修生や技能実習生に対する搾取や奴隷化を是正すること。拷問を受ける恐れのある国への送還を行わないこと(ノン・ルフールマン原則)。裁判官などにジェンダー教育を行うこと。子どもの虐待に対処すること。同性愛者や性同一性障害者への差別をなくすこと。

 以上のように、国際人権機関から日本政府に対する勧告が相次いでいる。人種差別禁止法を制定するべき十分な立法事実があることを推測させるものである。

三 最近の議論

 国際人権機関からの勧告を受けて、NGOレベルではさまざまな議論の積み重ねが見られる。もともと、国際人権機関による勧告は、NGOの報告書などに基づいて審議を行った結果出てきたものであって、人権NGOの努力が背景にある(6)。ここでは「外国人人権法連絡会」による議論の成果をもとに見ていこう(7)。

外国人住民基本法(案)


 「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」が、一九九八年一月に作成した。前文、第一部「一般的規定」、第二部「出入国および滞在・居住に関する権利」、第三部「基本的自由と市民的権利および社会的権利」、第四部「民族的・文化的および宗教的マイノリティの権利」、第五部「地方公共団体の住民としての権利」、第六部「外国人人権審議会」(全二三条)から成る。第三条第二項は「国および地方公共団体は、人種主義、外国人排斥主義、および人種的・民族的憎悪に基づく差別と暴力ならびにその扇動を禁止し抑止しなければならない」とする。同条第三項は司法的救済等を定めている。


 この規定は、人種差別、暴力、その扇動を犯罪化することを含意しているものと推測できるが、その内容はあいまいである。具体的な実行行為が特定されていない。差別と暴力の保護法益は被害者の個人的法益と考えられるが、扇動は人種集団や民族集団の集団的法益を想定しているようである。刑罰には言及がない。


②多民族・多文化の共生する社会の構築と外国人・民族的少数者の人権基本法の


制定を求める宣言


 日本弁護士連合会が、二〇〇四年一〇月に作成した。前文と八項目から成る。基本的人権と少数者の権利、永住外国人の地方参政権等、社会保障、労働権、外国人女性に対する暴力防止、在留資格、入国管理手続きの適正化、教育権、人種差別禁止法等。第八項は「人種差別禁止のための法整備を行い、その実効性を確保するために政府から独立した人権機関を設置するとともに、差別禁止と多文化理解に向けた人権教育を徹底すること」とする。


 人種差別禁止法の提案であるが、人種差別の犯罪化が含まれているか否かは不明である。


③外国人・民族的少数者の人権基本法要綱試案


 日本弁護士連合会第四七回人権擁護大会第一分科会実行委員会が、二〇〇四年一〇月に作成した。右の「宣言」を具体化した要綱試案である。前文、第一章「総則」、第二章「外国人及び民族的少数者の人権と国及び地方自治体の責務」、第三章「旧植民地出身者とその子孫の法的地位」、第四章「人種差別の禁止」、第五章「国・地方自治体の施策」、第六章「救済機関」から成る。第四章の1は「国及び地方自治体は、人種差別撤廃条約の諸規定を国内においても実効化するための法律または条令を制定する責務を有する」とする。


 「人種差別撤廃条約の諸規定を実効化する」ことには人種差別の犯罪化が含まれるはずであるが、試案はそこまで明言していない。第六章では、「第二章ないし第四章に規定する権利の侵害」の救済機関としての国内人権機関を設置することとしている。司法的救済には言及していないので、人種差別の犯罪化を意図していないとも読める。


④人種差別撤廃条例要綱試案


 東京弁護士会外国人の権利に関する委員会差別禁止法制検討プロジェクトチームが、二〇〇五年六月に作成した。一「総則」、二「個別分野における差別禁止」、三「公務員による差別禁止の特別規定」、四「地方公共団体・企業及び私人の責務」、五「救済手続」から成る。人種差別を、直接差別・間接差別・ハラスメントに分類している。二「個別分野における差別禁止」では、労働・公務就任、医療・社会保障、教育、団体加入等、不動産の貸借、売買、施設利用等における人種差別を禁止し、末尾の「罰則」は「本章の禁止規定に違反した者は、これを罰する」とする。三「公務員による差別禁止の特別規定」では、「公務員が、公の場において、公務に従事する者としての立場において、人種等の事由につき日本における少数者の立場にある人種集団若しくはそこに属する者に対し、人種等に関し、暴力行為を行い若しくはそれを扇動し、憎悪を表現し、または脅迫若しくは侮辱を行ったときはこれを罰する」とする。五「救済手続」の「刑事告発」の項では、首長の直轄機関として設置される「人種差別撤廃委員会は、本条例において刑事罰の対象となる人種差別行為を認知したときは、検察官または司法警察員に対し告発することができる」とする。


 第一に、「個別分野における差別禁止」に違反した者を罰するとしているのは、極めて包括的な犯罪化規定である。労働、医療、教育等の非常に広範な分野における、さまざまの人種差別行為を、無限定に犯罪化する趣旨と読める。


 第二に、「公務員による差別禁止の特別規定」では、「人種集団若しくはそこに属する者」とあるように、個人的法益だけではなく、集団的法益も保護の対象としている。実行行為は、暴力行為、その扇動、憎悪表現、脅迫、侮辱である。個人に対する暴力行為、脅迫、侮辱は刑法上の犯罪であるが、扇動と憎悪表現は新たな犯罪規定である。扇動は、「人種差別の扇動」ではなく、人種差別的な暴力行為の扇動であるから、人種差別撤廃条約とは異なる。憎悪表現は、扇動、脅迫、侮辱以外のさまざまな人種差別的表現をさすものと考えられる。


⑤人種差別撤廃法要綱


 自由人権協会が、二〇〇六年二月に作成した。第一「目的」、第二「定義」、第三「一般的差別禁止」、第四「個別分野」、第五「公務員による差別または差別助長の禁止」、第六「罰則」、第七「国・地方公共団体・企業及び私人の責務」、第八「法律の広報・周知」、第九「法律の解釈の補足的手段としての国際人権法」、第一〇「救済手続きの考え方」から成る。第六「罰則」は「以下の行為が故意になされた場合は、人権委員会の告発を条件としてこれを罰する。(1)公務員が第五に違反して行った人種差別又は差別の助長、(2)前号以外の人種差別(ハラスメントを除く)」。人権委員会による告発は、第一〇の救済手続きによっては問題が解決しないこと、当該行為の悪質性、重大性、告発が人種差別撤廃のために必要なことを条件としている。


 第一に、公務員による人種差別又は人種差別の助長の犯罪化である。


 第二に、公務員以外の者による人種差別の犯罪化である。「ハラスメントを除く」としているのは、直接差別と間接差別を犯罪化する趣旨である。対象分野は、労働・公務就任、医療・社会保障、教育、住居、物品等の提供、団体加入である。非常に広範囲であり、犯罪成立要件はあいまいであるが、人権委員会による告発という条件によって制約している。


⑥外国籍住民との共生に向けて


 「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」が、二〇〇六年六月に作成した。第一章「多民族・多文化共生の未来へ」、第二章「人権と共生に向けた法の整備」、第三章「働く権利・働く者の権利」、第四章「移住女性の権利」、第五章「家族と子どもの権利」、第六章「子どもの教育」、第七章「医療と社会保障」、第八章「地域自治と外国籍住民」、第九章「『難民鎖国』を打ち破るために」、第一〇章「収容と退去強制」、第一一章「裁判を受ける権利」、第一二章「人種差別・外国人差別をなくすために」から成る。非常に詳細な提言である。第二章で外国人人権法と人種差別撤廃法の制定を提言しているが、その内容は第一二章で取り扱われている。まず「国際人権諸条約を完全批准し、これを実施する。特に以下のことを早急に実行する。①人種差別撤廃条約の第四条ab項に対する留保を撤回し、同条約第一四条(個人・団体の通報制度)が求める宣言を行う」とする。次に、人種差別撤廃法の要綱として、人権と基本的自由の享受、国と地方自治体の責務、人種差別の定義、公権力・公務員による差別重視、犯罪化、被害者の救済と補償、を掲げる。第五項は「人種差別に対する罰則、人種主義の宣伝・扇動を刑事犯罪とする規定を含むこと」とする。


 第一に、人種差別の犯罪化と、宣伝・扇動の犯罪化である。人種差別の犯罪化は非常に広範囲に見える。


 第二に、罰則と刑事犯罪という表現を使い分けているところからすると、宣伝・扇動は刑事犯罪とするが、人種差別は行政犯として過料の対象とする趣旨かもしれない。


⑦日本における人権の法制度に関する提言


 「人権の法制度を提言する市民会議」が、二〇〇六年一二月に作成した。「日本の人権状況をめぐる現状認識」「提言にあたっての基本的視点」「提言の基本的枠組み」「わたしたちの提言」から成る。人権基本法、当事者差別禁止法の制定や、人権行政推進体制の確立などを提言する。「差別禁止規定は、一般的・抽象的な文言にとどまらず、差別禁止事由と差別行為を明記するとともに、意図的ではない差別、伝統的な文化や慣習に基づく差別、及びパターナリズムに根ざす差別の禁止も盛り込むできである」とする。


 当事者差別禁止法が、人種差別の犯罪化を含意するか否かは不明である。

以上の諸提案の特徴をまとめてみよう


 第一に、内野が紹介した諸案と比較すると、最近の議論は、人種差別撤廃条約や国際人権機関による勧告を踏まえているので、国際人権法を意識した提案となっている。総合的な外国人人権法や人種差別禁止法が提案されている。

第二に、それゆえ、公務員による差別の禁止と公務員以外の者による差別の禁止、差別禁止と煽動の禁止、個人に対する差別と団体に対する差別などが、比較的区別されて議論されている。

他方、第三に、犯罪化するための立法提案としては充分な考慮がなされていない。内野案のような具体的な条文化の試みもなされていない。


 第四に、差別を伴う暴力や差別的動機による暴力についての言及がない。諸外国においても一般的な立法例であるし、日本で立法提案する場合にも、もっとも抵抗が少ないはずなのに、まったく言及されていない。

四 今後の検討課題

 人種差別禁止法をつくる考えはNGOの間で共有されるようになってきたが、特定の人種差別行為について犯罪化するための立法提案に関しては、まだ十分な検討がなされていない。一般的な禁止規定にとどまっていたり、犯罪とされるべき実行行為の特定がなされていない。内野が紹介した諸案と最近の議論を比較しても、議論の水準があがったとはいえないのが実情である。理由は何であろうか。

 日本政府は、表現の自由を根拠に人種差別表現の刑事規制の困難を主張してきた。明確性の原則など罪刑法定原則も強調されてきた。

 しかし、市民的表現の自由をあたかも敵視しているかのごとき日本政府、罪刑法定原則を省みようとしない日本政府が、人種差別表現の場面に限って表現の自由や罪刑法定原則を殊更に強調するのは理解に苦しむ。

 欧米はもとより、多くの諸国でさまざまな形でヘイト・クライムや人種差別扇動の処罰が行われている。諸外国に表現の自由がないなどと言うことは考えられない。罪刑法定原則が国際的に無視されているとも考えられない。

 表現の自由を不当に侵害することなく、罪刑法定原則に反しない方法で、人種差別を刑事規制する方策はさまざまにあるはずだが、そのための情報も議論も十分に提供されていないように思われる。最近の諸提案は専門的法律的検討を経ていないため、立法提案としては不十分である。

立法事実、現実的な規制の必要性 (つまり放置しがたい差別的な表現によって被害が生じている事実)はすでに十分認められている。特に、在日朝鮮人や最近の来日外国人に対する差別的な表現には深刻なものもある。


 比較法的な検討 (各国の国内処罰立法及び適用状況の研究)は非常に手薄である。


 憲法論は、なお議論の余地はあるかもしれない。「人種差別表現の自由」を唱える憲法学の見直しが必要である。

特に集団侮辱罪について、言論・表現を処罰することは常に憲法違反であるかのような特異な主張もあるが、明らかな間違いである。刑法は侮辱罪や名誉毀損罪を定めている。個人の名誉、社会的評価等を保護する個人法益保護のための規定である。集団侮辱罪の提案は、一定の集団に対する侮辱も刑事規制しようという提案に過ぎない。したがって、立法事実が明確に提示され、犯罪成立要件の規定が少なくとも現行の侮辱罪の規定と同じ程度に明確にできていれば、処罰立法を作ることが憲法違反になることはない。集団侮辱罪の規定が犯罪規定として整備されているかどうか、明確かどうかが問題になる。

立法事実があり、人種差別犯罪を処罰することは人種差別撤廃条約の要請である。世界人権宣言や自由権規約にも合致する。憲法に違反しない処罰規定をつくることもできる。とすれば、今後何を検討するべきなのか。

第一に、比較法研究である。諸外国の人種差別犯罪の諸規定の研究が不可欠である(8)。特に重要なのは、差別表現を伴う暴力や差別的動機に基づく暴力の加重処罰規定の研究である。これらは多くの諸国で採用されているし、立法提案の中でももっとも抵抗が少ないと思われるからである。


 第二に、立法政策論として、処罰規定の妥当性、有効性についての検討である。というのも確信犯に対する処罰は、却って「勲章」になってしまう場合がある。犯罪抑止効がないばかりか、潜在的逆効果をもちかねない。それでも象徴的意味合いで差別禁止立法が必要との判断もありうるが、いずれにしても情報が少なすぎる。より制限的でない他の手段を尽くす検討も必要である。

第三に、日本社会の歴史的経験からして、警察・検察・裁判所にこうした権限を与えることに疑問も生じうる。警察権限の肥大化、恣意的適用の恐れがある。例えば、日本人と朝鮮人がトラブルとなりお互いに中傷発言や暴力を行った場合、警察・検察・裁判所が不公正な判断をしないという保障はない。加害者と被害者を取り違えることがありうる。立法趣旨に反した法適用のおそれは決して低くはない。

第四に、以上のことを踏まえて、具体的な人種差別禁止規定を検討する必要がある。各規定について、保護法益、実行行為の特定、成立要件、訴追条件、刑罰などを的確に定める必要がある。

(1)内野正幸『差別的表現』(有斐閣、一九九〇年)。なお、反差別国際運動日本委員会『人種差別撤廃条約と反差別の闘い』(解放出版社、一九九五年)、在日朝鮮人・人権セミナー編『在日朝鮮人と日本社会』(明石書店、一九九九年)。

(2)前田朗「問われた日本の人種差別――人種差別撤廃委員会日本政府報告書審査」『生活と人権』一二号(二〇〇一年)。

(3)E/CN.4/2006/16/Add.2. なお、前田朗「日本には人種差別がある――国連人権委員会が日本政府に勧告」『週刊金曜日』五九七号(二〇〇六年)。

(4)A/HRC/8/44/Add.1.

(5)前田朗「自由権規約委員会が日本政府に勧告」『統一評論』五一九号(二〇〇九年)。

(6)前田朗「人種差別撤廃NGOネットワーク」『無罪!』二〇〇六年九月号。

(7)外国人人権法連絡会編『外国人・民族的マイノリティ人権白書』(明石書店、二〇〇七年)。

(8)前田朗「ヘイト・クライム(憎悪犯罪)」『救援』四四八号~四五二号(二〇〇六年)、同「コリアン・ジェノサイドとは何か」『統一評論』五一七号(二〇〇八年)など。

ヘイト・クライム(12)

統一評論』524号(2009月)

ヒューマン・ライツ再入門6

コリアン・ジェノサイドの真相解明を

――関東大震災朝鮮人虐殺ソウル・シンポジウム

 三月二八日、ソウル鐘路の韓国基督教会館で「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」が開催された。主催は「関東大震災における朝鮮人虐殺の真相糾明と名誉回復を求める日・韓・在日市民の会」、共催は韓国の民族問題研究所、およびアヒムナ運動本部である。

 基督教会館は、韓国民主化闘争の際の民衆運動の拠点のひとつだった。学生・労働者とともに、キリスト者による民主化の闘いが推し進められたからである。

独立運動・不逞鮮人・虐殺

冒頭、関東大震災朝鮮人虐殺の研究に人生をかけてきた徳相(滋賀県立大学名誉教授)のビデオ・メッセージが流された(以下の引用はシンポジウムの配布パンフレットによる)。

その問題提起は、事件を朝鮮民族独立運動に対する弾圧として再認識することであった。従来、震災の混乱時に「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」という流言飛語が流れ、民衆が虐殺を惹き起こしたという神話が流通してきた。混乱時の流言飛語の自然発生性と、興奮状態の民衆による虐殺とが組み合わされたイメージが繰り返されてきた。

しかし、そこには大きな疑問がある。軍隊や警察の行動をていねいに見ていけば、事件の真相はまったく異なる。

 戒厳初動軍の中心となった部隊について見ると、九月一日夜半に警備救援出動した府台野重砲連隊は、二日早朝に戒厳軍となり、岩波隊は朝鮮人二〇〇名を虐殺、松山隊は三〇〇名、また岡野隊は一七〇名を捕虜にした。

九月二日早朝、戒厳令を受けた習志野騎兵連隊は「敵は朝鮮人」の認識で出動し、問答無用の朝鮮人狩りを行った。

 民衆が流言飛語に乗せられて虐殺するよりも前に、最初から軍隊が組織的に虐殺した。続いて各地の警察が、朝鮮人暴動が発生したというデマを流した。軍隊や警察の行動を知った民衆が、各地で自警団を組織し、大虐殺に発展していく。混乱時の流言飛語による虐殺ではなく、軍隊と警察によって組織的に惹き起こされたことが明らかである。

それでは、なぜ日本軍はこれほど迅速に朝鮮人狩りを始めたのか。なぜ警察は朝鮮人暴動のデマを捏造したのか。

三・一朝鮮独立運動に先行する旧韓末の義兵戦争では、日本軍死者一三六、負傷者二二九、韓国義兵死者一七、七七九、負傷三、七〇六である。戦争というべき内実を持っていたことが見えてくる。義兵戦争に対する勝利の結果、日本は韓国を併合した。だからこそ現役陸海軍大将を総督とする統治が行われた。

「軍事警察の憲兵が行政を牛耳る軍政そのもので、朝鮮人は『服従か死か』の選択しかなかった。言論、集会、結社の自由を奪われ、その中で土地を奪われ、生存権を奪われていった。抵抗したり不平を洩らす者は『不逞鮮人』の烙印を押され監視、迫害の対象となった。所詮『大正時代』の日本の朝鮮認識は『不逞鮮人』『不逞唱歌』『不逞結社』等々『不逞』『不穏』にみちみちていた。『不逞』は不平、従順でないを意味した。天皇の領土を盗む不逞の輩とも使われた」。

その延長で三・一事件が発生した。独立万歳、生存権を主張する朝鮮民衆に対する弾圧は、「戦争の論理」にたって行われた。七、五〇〇名の犠牲は、まさに戦争被害である。その後も、日本軍と朝鮮軍の戦闘が繰り返された。三・一運動の影響を受けた中国四・三運動も日本に衝撃を与え、弾圧がいっそう激化した。東アジアにおける「植民地防衛戦争」という観点で見るべきである。

関東大震災時の戒厳軍の中心人物は、石庭二郎軍事参議官をはじめとして、朝鮮や満州で朝鮮独立運動と戦った経験のある軍人たちである。震災直後、軍隊は軍事参議官の私邸に兵士を派遣して警備している。朝鮮独立運動を弾圧し、大虐殺をした本人だとの認識があったからである。

同様に警察の中枢は、水野練太郎内務大臣と、赤池濃警視総監の二人であった。水野は、三・一事件当時、朝鮮総督府政務総監であり、赤池は総務局長だった。三・一事件の記憶を生々しく持っていた二人が、朝鮮人の抵抗に恐怖感を持って事態に対処しようとしたことは容易に推測できる。

軍隊と警察が率先して朝鮮人虐殺を実行し、朝鮮人暴動のデマを流して民衆を興奮させ、虐殺を煽動した。その結果、六六六一名というおびただしい犠牲者が出た。「国家権力を主犯に民衆を従犯にした民族的大犯罪、大虐殺となったのである」。

 「この在日同胞の独立運動の一環を負うこの悲惨な犠牲に対してこんにちまで何ゆえに、調査、謝罪要求一つしないのか。国家は国民を守る義務がある。歴史に時効はない。今からでも遅くはない。上海臨時政府の法統を引き継ぐ韓国政府は、日本政府当局に朝鮮人が放火した、井戸に毒を投げたとの汚名からの名誉回復と謝罪と真相調査要求をしていただきたい。在日同胞の願いである。殺された人の遺族の悲しみはそれなしに消えない」。

日本国家の犯罪と民衆責任

 続いて、山田昭次(立教大学名誉教授)「関東大震災時朝鮮人虐殺事件の日本の国家責任」は、歴史資料を駆使して、虐殺のメカニズムを解明し、日本国家の責任の全体を構造的に明らかにした(山田報告の詳細はこれまでの本誌連載参照)。

 日本国家の責任は、「第一に朝鮮人虐殺そのものの責任」である。朝鮮人暴動と誤認情報を流し、戒厳令を布告し、大虐殺を惹き起こしたことである。

 しかし、それだけではない。朝鮮人暴動がないことが判明すると、官憲は国家責任隠蔽工作を展開した。それには次の四つがあるという。

①架空の朝鮮人暴動の捏造。

②朝鮮人を虐殺した自警団員に対して形式的な裁判を行って、国家責任を果たしたような外観を作った。他方、朝鮮人暴動流言を流した官憲や朝鮮人を虐殺した軍隊の罪は全く問われなかった。

③虐殺された朝鮮人の遺体を朝鮮人に引き渡さずこれを隠し、虐殺数や虐殺状況を徹底的に隠蔽した。

官憲が編纂した関東大震災に関する歴史書は、朝鮮人虐殺の原因を朝鮮人自身と日本人民衆に押しつけ、朝鮮人虐殺の国家責任を隠蔽した。

このように国家責任とその隠蔽の問題性を抉り出しつつ、山田報告は、軍隊や警察に煽動された民衆の責任も問い直そうとする。日本民衆が朝鮮人に対して根強い差別と蔑視を抱いていたこと、自らの主体性を確立しえていなかったことが、煽動にのせられて朝鮮人虐殺に走った原因であるし、その後も日本民衆による反省がきちんとなされたとはいえないからである。

 山田報告に対して、韓国側から、朴漢龍(民族問題研究所研究室長)がコメントした。やはり国家責任と民衆責任をどのように把握するかが焦点とされた。

 「朝鮮人虐殺は国家の暴力的システムのみでなく、(むしろ)日本民衆の一部が虐殺に自発的に先駆けた事実が重要である。ここには朝鮮人に対する偏見と恐怖、それから差別意識があった。当時、日本統治当局や言論のせいにするとしても集団狂気に捕らわれて、スケープゴートとして朝鮮人を虐殺した行為そのものに関しては深い責任感を持って反省しなければならない。そうし上でこそ、次に、虐殺を幇助・共謀・指揮・工作した国家に対して強くその責任を問えると思う」。

 そして、南北朝鮮の政府、民衆、さらには在日朝鮮人の「責任」も再考しようとする。例えば、韓国の歴史教科書の記述の不十分性、韓国国家機関の無責任性など。その上で、在日朝鮮人の歴史的な意味を見直そうとする。

 「ただ被害者という枠組からのみ見るといけない。在日朝鮮人の中の相当数は、過去日本帝国主義の植民地支配と天皇制ファシズム、対外侵略戦争に対して闘争してきた。日本民主主義闘争史の中で、かれらの闘争が過小評価されては困る。植民政策の犠牲者としての人道主義的なレベルでの評価のみでなく、日本社会をよりよ社会につくるために献身した在日朝鮮人の堂々たる歴史を明確に告げる必要がある」。

ジェノサイドは終わったか

 次に前田朗が、関東大震災朝鮮人虐殺を国際法上の犯罪であるジェノサイドの視点で把握する報告を行った。その主な内容は、二〇〇八年夏の「在日朝鮮人歴史・人権週間(さいたま市ソニックシティ大宮)」における報告と同じであり、すでに本誌に掲載されている(前田朗「コリアン・ジェノサイドとは何か」『統一評論』二〇〇八年一一月号)。

 以下では、これと重複しない部分を引用・紹介しておく。

   *     *

 関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。

関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もしていません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかにしていません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでした。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていません。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボタージュあるのみです。

関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見たように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を擁護しています。

事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「アウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていることはよく知られています。

終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。

戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょうか。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することはできません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。

いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありません。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。

世界史の中で考えよう

 関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の中で考えることです。

レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のアルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないのでしょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語られていません。

今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、アフガニスタンとイラクで続いている戦争における膨大な民間人被害、そして、イスラエルによるパレスチナ・ジェノサイド――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければなりません。

 歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありません。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。

私たちに何ができるか。

 これまでの調査・研究の積み重ねの上に立って、これから私たちは何をすることができるでしょうか。さまざまな課題が考えられますが、ここではその一部を指摘する事で問題提起とさせていただきます。

 第一に、国際社会への訴えです。国連人権理事会をはじめとする国際人権機関に報告する事によって、事件を国際社会の舞台で明らかにしていきましょう。ユダヤ人ジェノサイドやアルメニア・ジェノサイドはよく知られていますが、コリアン・ジェノサイドはまったく知られていません。日本軍「慰安婦」問題や南京大虐殺と同じように、世界史的出来事として語る必要があります。そのために国際的なNGOネットワークの協力を得る必要があります。日本政府に対する責任追及(真相解明、事実の承認、謝罪など)を進めるためにも、関係政府(韓国、朝鮮、中国)に適切な対応を求めるためにも、国際社会への訴えが重要となります。

 第二に、日本の裁判所における訴訟の可能性ですが、この点は、次の梓澤報告の中で議論されるでしょうから、ここでは省略します。

 第三に、民衆法廷の可能性です。日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題を裁いた女性国際戦犯法廷、朝鮮戦争における国連軍の戦争犯罪を裁いたコリア戦犯民衆法廷、アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪を裁いたアフガニスタン国際戦犯民衆法廷、イラクについて同様のイラク国際戦犯民衆法廷のように、国際的な協力の下に民衆法廷を開いて、真相と責任の所在を明らかにすることです(前田朗『民衆法廷入門』耕文社参照)。

 歴史の彼方からの呼びかけ――八〇年以上の長きにわたって聞き取られることのなかった無数の叫びに耳を澄まし、ジェノサイドの過去を深く反省し、未来に向けて新たな歩みを始めることが必要です。二〇世紀最初の、東アジアにおける最初のジェノサイドを、私たち自身の手で終わらせましょう。

 前田報告に対して、韓国側から、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会常任代表)

がコメントした。

 まず、ある日本軍「慰安婦」問題のシンポジウムにおいて在日朝鮮人女性が「チマ・チョゴリ事件(在日朝鮮人の子どもたちに対する暴力や脅迫)を報告したが、シンポ参加者の反応はあまりよくなかったことがある。他方、朝鮮の人工衛星打ち上げ問題で日本の世論が沸騰した時期に、子どもの安全を気遣う在日朝鮮人の母親の思いを考えた。こうした事例を思い起こすと、日本の政治、経済、文化、社会のすべての分野で朝鮮人差別が継続している。「コリアン・ジェノサイドは、過去の歴史でのみならず、現在も継続している」と述べた。

 続いて、「世界史の中でコリアン・ジェノサイドを考える」ことが従来、十分とは言えなかった点について、日本軍「慰安婦」問題の解決のために挺身隊問題対策協議会が行ってきた国際活動が参考になるとして、その具体例を紹介した。真相解明のための資料公開、記録保全、専門家による研究、広報教育活動、マスコミ対策、演劇、展示、国際シンポジウム、海外同胞との協力など。

 さらに、国際人権法を活用した運動について、市民的政治的権利に関する国際規約、国連人権理事会、国際司法裁判所へのアクセスの重要性を指摘した。最後に、記憶と再発防止に関連して、ジェノサイドの時代としての二〇世紀の悲劇を繰り返すことのないように、「現在も日本の政治家およびマスコミ、社会全分野で繰り返されているコリアン・ジェノサイドに対する韓日政府次元の教育と追悼活動を求め、これを通じ予防活動を実施するようにし、市民次元でも再発防止のためのキャンペーン、文化芸術分野での活動などが行われればと思います」とまとめた。

国家犯罪を裁くために

 三番目に梓澤和幸(弁護士)「日弁連勧告の趣旨と再発防止」は、日弁連人権擁護委員会の関東大震災事件委員会委員長として行った調査と勧告の概要を紹介した(報告自体は個人の立場で行った)。二〇〇三年八月二五日の日弁連調査報告書および勧告の全文が資料として配布された。勧告の趣旨は次の二点である。

国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。

 ②国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。

 梓澤報告は、この勧告をまとめるにいたった日弁連の調査活動を紹介するものであった。

 第一に重要なことは、軍隊による虐殺があったことである。

 「当時、戒厳令が出ていたわけです。戒厳令が出ている中で、軍隊が出て行って人を傷つけると、それは戒厳『詳報』という文書に公式の記録に残っています。公式の記録に残った朝鮮人虐殺の数が、記録に残っているものだけで、九月一日から九月四日までの四日間で、二八三人です。二八三人、それはこん棒やなたで殺害したのではなく、銃で殺害したのです」。

 第二に自警団を作れという指令が出ていたことである。

 「自衛の策をとるために自警団を作れという指令が出ていた、その指令の中で出来上がった自警団の数は驚くべき数です。自衛隊と警視庁の関東大震災の研究という本が出ていまして、そこには約一五〇〇の自警団が出来ていたということが記録上に残っています。そういうことを国は研究しているんです。なのに、今まで国が民衆を扇動して悲惨な虐殺を巻き起こしたということが全く語られてこなかった。そのことは放置されてはいけないのではないか、ということが日弁連の勧告でございます」。

 日弁連報告書は、軍隊による虐殺の日時、場所、部隊などをできる限り特定して詳細に列挙している。その上で、軍隊や警察に先導・扇動された民衆による虐殺についても、日時、場所などを順次特定している。

 「日弁連の勧告はひとつのきっかけを作ったということで、つまり、今までの事件像、民衆が激高してやっちゃったというイメージを根底から覆す、事件像を覆すスタートを切ったんだという点で、私は日弁連の勧告の意味はもっと語られてしかるべきだと思います。今、私たちが生きているこの時代は、決して生者、生きている人が独占して良いものではありません。無念の思いで亡くなっていった人も含めて、この時代を共に生きていると信じます。そいう意味で、今日のこの集会や、私どもの非常に紆余曲折の末に到達した日弁連勧告の内容というのは、その意味が色々な人の生き方の問題として語られてほしい、と思っています」。

 梓澤報告に対して、韓国側から、魏大永(弁護士、民主社会のための弁護士会)がコメントした。

 梓澤報告は日弁連勧告の内容紹介に加えて、訴訟の可能性についても検討を加え、日本の裁判所での裁判の可能性について問題点を指摘していた。戦後補償裁判をはじめとする多くの裁判例を見ると、関東大震災朝鮮人虐殺について提訴することは必ずしも良策ではない。裁判所の姿勢が後ろ向きであり、訴訟法上のさまざまなネックがある。最悪の場合、裁判所によって歴史の事実が否定されかねない。せっかく日弁連調査によって明らかになった事実まで否定される恐れもある。

 この点について、魏コメントも同様の懸念を指摘した。日本政府や裁判所の姿勢からいって、謝罪、補償および賠償請求訴訟を提訴しても敗訴する可能性がとても高い。国際法的論点も国内法的論点も数多くあり、事実上日本政府に従っている裁判所にあまり期待できない。他方、賠償請求などの履行請求訴訟と異なって、違法確認訴訟の可能性は検討に値する。一九二三年一二月一五日の衆議院の質疑において、朝鮮人虐殺に関する質問に対して、総理大臣が、調査中であり後日報告する、と述べている。にもかかわらず、その後、国会に報告がなされていない。日本政府は現在に至るまで真相調査も国会報告も行っていない。調査および報告のために必要な相当の期間を超えて報告していないのは、政府の違法行為であることを確認する訴訟は可能ではないか、と述べた。

 

植民地犯罪とは何か

 最後に、本シンポジウムのタイトルが「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」となっていること、「植民地犯罪」という概念が用いられていることに関連して、少し検討しておきたい。

 第一に、「植民地犯罪」とは何か。国際法にも国内法にも「植民地犯罪」という用語は見られない。むしろ、植民地宗主国によって作られた国際法は、植民地を合法的なものとしてきた。国家指導者に対する暴力や脅迫によって締結された植民地条約は違法だが、それ以外の植民地条約はいずれも合法かつ有効とされてきたから、「植民地犯罪」という概念は否定されてきた。

 しかし、植民地とされた側の人民にとって、その歴史的経験はまさに「植民地犯罪」と表現するべきである。そこで、第二次大戦後の国連国際法委員会において国際刑事裁判所づくりが進められる中で、「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」に、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪と並んで、「植民地犯罪」規定が盛り込まれた。しかし、旧宗主国側の反発、法的定義の困難性などを理由に、すぐに削除されてしまった。一九九八年の 国際刑事裁判所規程は、もっとも重大な国際犯罪として、侵略の罪、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪のみを掲げた。

 他方、二〇〇一年のダーバン人種差別反対世界会議では、植民地時代における奴隷制が人道に対する罪であったことを旧宗主国にも認めさせることができた。謝罪や補償の義務は否定されたが、奴隷制が人道に対する罪であることを国連レベルで認めることになった。

 この間、各国においてもさまざまな議論が積み重ねられてきた。フランスでは奴隷制を人道に対する罪と認めるトビラ法が制定された。イギリスやアメリカのいくつかの州議会決議も出ている。こうして「植民地犯罪」そのものではないが、「植民地責任」というべき議論が世界で広がった。日本による朝鮮植民地支配も、こうした文脈で再検討されつつある。最近の歴史学研究は大きな成果をあげている(岩崎稔ほか編『継続する植民地主義』、金富子ほか編『歴史と責任』、永原陽子編『「植民地責任」論』など。なお、前田朗『人道に対する罪』)。

 第二に、関東大震災朝鮮人虐殺は日本で起きた事件であって、朝鮮半島で起きた事件ではない。それにもかかわらず「植民地犯罪」と呼んでいることにも注意が必要だ。国際法上の犯罪概念としての「植民地犯罪」を定義するとすれば、さまざまな困難がある。場所的定義の限定も要請されざるをえないからである。

しかし、人道に対する罪の成立要件に該当する犯罪のひとつとしての植民地犯罪を検討する場合、植民地という支配―被支配関係の下で起きた事件という点に着目すれば、日本において起きた事件もこれに該当するといえるだろう。

あるいは、国際法上の犯罪概念としてではなく、歴史的責任を解明するための作業仮説として「植民地犯罪」という概念を用いる場合も、同じことがいえる。

「植民地犯罪」は単純な類型ではなく、複数の犯罪概念を包括した概念として理解されるべきである。少なくとも次の三つの類型を相対的に区別して、それぞれ議論する必要があるだろう。

①植民地化の犯罪――実際には植民地戦争、侵略戦争、その中での民衆虐殺によって実現される。

②植民地支配における犯罪――植民地政策のみならず、支配―被支配関係の中で起きる。それゆえ、朝鮮から日本への強制連行、日本における差別と迫害も含まれ、関東大震災朝鮮人虐殺は典型例といえる。

③脱植民地化に関連する犯罪――植民地責任のサボタージュ、在日朝鮮人に対する差別と迫害、侵略戦争の美化、歴史の隠蔽など。

 このような検討を踏まえて、植民地犯罪概念を練り上げることも今後の課題である。

軍隊と警察が、朝鮮人集団をターゲットに組織的に大規模に行った虐殺。警察および政府が組織的に流した朝鮮人暴動のデマ。これに触発された民衆が「愛国心」と恐怖に駆られて敢行した虐殺。これはジェノサイドや人道に対する罪という国際法上の重大犯罪であった。第一の責任は日本政府にある。

虐殺の国家責任と民衆責任を解明するためにも、被害側の朝鮮政府や韓国政府、両国市民、他方で加害側の日本市民、そして在日朝鮮人が連帯して取り組む必要がある。

八六年の歳月を隔てて、いま問われているのは、東アジアの民衆自身による平和と安全と連帯の構築であるだろう。いまなお世界で繰り返されるジェノサイドや人道に対する罪の予防、再発防止のためにも、日本で起きたジェノサイドのメカニズムを解明し、政府による謝罪犠牲者の名誉回復を行うべきである。