Wednesday, January 29, 2014

大江健三郎を読み直す(4) 「深くて暗いニッポン人感覚」に向き合う

大江健三郎『水死』(講談社、2009年)                                                                    1935年生まれの大江が74歳を迎える年に送り出した長編小説は、40年も前に『自ら我が涙をぬぐいたまう日』で挑戦した「父の死の謎」をモチーフとして、あらためて父の死の謎に迫る「新しい代表作」だ。敗戦の少し前の洪水の日に、短艇で川に乗り出して水死した父。大江作品で何度も言及されてきたが、森の奥の物語や、母や伊丹十三や息子のように正面から描かれることはむしろ少なかった主題を人生の最後に渾身の力を振り絞って描き出した。                                                                      序章に登場する劇団「穴居人」の女優ウナイコ、劇団を率いるマサオ、中盤に登場する大黄(ギシギシ)さん、そして後半に初めて登場するウナイコの叔父といった人々が、作者・長江古義人(大江)とその家族たちとともに舞台を彩る。長江古義人は、一度は断念した父親の死をめぐる「水死小説」をあらためて執筆するため、両親が残した「赤革のトランク」を手にするが、そこには謎に迫るような情報は何もなく、再び執筆を断念する。他方、長江作品を演劇化してきた「穴居人」のマサオは、長江最後の小説制作に伴走しながら次の作品づくりに挑む。舞台は東京・成城の家から、四国の森の入口に移動する。その間に、長江と妹アサ、長江と息子アカリの間で交わされる会話と感情的対立。これらが輻輳しながら歳月が流れていく。                                                                           父親水死の謎への挑戦が消えてしまった後、作品は迷走しかける。「水死小説」断念後の中盤の第二部「女たちが優位に立つ」は、父親の死という主題から逸れて、やや冗長な印象を与えるが、それは読んでいる間のことで、読了後は一つのまとまった作品として受け止めることが出来る。長江作品を映画化しながら国内上映されずに終わった映画や、劇団・穴居人の芝居「死んだ犬を投げる」などのエピソードが単なるエピソードに終わらないことも、最後に判明する。森の奥の伝承と物語、長江一族の伝承と物語、障害を持ちながら絶対音感を持つ息子アカリの物語――さまざまの人生と思いを転結しながら、作品は収束へと向かう。                                                                                     結末は思いがけない形で訪れ、一気にクライマックスとなり、しかし、あっけない形で終焉する。結末において父の死の謎も解き明かされる。森の奥の伝承としての女たちの一揆、敗戦直前の軍人たちと父の未発の一揆、少年時代の古義人ともう一人のコギー、そこに加わった新たな悲劇としてのウナイコと叔父の物語、それは「深くて暗いニッポン人感覚」への文学的問いかけである。その問いは日本と日本人に向けられ、必然的に長江(大江)自身にも鋭く突きつけられる。                                                                              そして、最後の事件も解決も、森の奥からではなく、長江一族からでもなく、ウナイコと叔父と大黄さんからやって来る。しかも、長江が眠っている間に事態が急展開し、ウナイコの仲間のリッチャンから伝聞情報として語られる。                                                                                     このため、本書を閉じたのちに、大江が次の小説を書けば、結末を書き直すことが予想される。当然そうでなければならない。大江は同じ物語を何度も何度も書き直してきた作家なのだから。「深くて暗いニッポン人感覚」は、いまなお猛威を奮っている。日本軍「慰安婦」問題をめぐる社会意識、家父長制にしがみつく教育者・・・。しかし、本書は「最後の小説」として世に送り出された。実際には、3.11の後に78歳の大江は『晩年様式集』という「最後の最後の小説」を仕上げた。80歳を迎えようとする大江が『水死』の結末を書き直して、そのまた奥の真相を読者に提示することはあるのだろうか。

この国を人間の国にするための闘い――福島原発かながわ訴訟の会

1月29日は横浜市開港記念会館で開催された「福島原発かながわ訴訟を支援する会結成の集い」に参加した。2013年9月11日、神奈川県内に避難している福島原発災害の被害者17家族44人が国と東京電力に対して、生活破壊とふるさと破壊につき損害賠償を求めて横浜地裁に提訴した。その後、12月12日、第2陣6家族21人が提訴した。1月29日昼に、横浜地裁で第1回公判が開かれ、夜、支援する会結成の集いとなった。                                              集いでは、弁護団事務局長の黒澤知弘弁護士が訴訟の経過と基本的考えを解説した。続いて、村田弘原告団長や副団長ら3人から原告の訴えがなされた。また、支援する会呼びかけ人として、井戸川克隆・前双葉町長、中川弘・福島大学名誉教授、永山茂樹・東海大学教授などがあいさつ。私もあいさつをして、阪神淡路大震災の「復興」における棄民政策を、作家・小田実が「この国は人間の国なのか」と糾弾したことに触れ、日本政府と東電の原発政策や「復興」が棄民政策であり、原発民衆法廷では「人道に対する犯罪である」と指弾したことを紹介した。続いて支援する会共同代表の久保新一・関東学院大学名誉教授のあいさつに続いて、最後に「月桃の花」歌舞団が「フクシマ」「きぼうのうた」を歌って閉会となった。                                                                                   2012年9月11日の原告団声明は「私たちは日本の国民です。愛する家族を抱えた庶民です。支えあってきた地域住民です。人間らしい生活を奪われ、朽ち果てていくわけにはいきません。人間の尊厳を否定する『棄民政策』が繰り返されることは、断固、拒否します」と述べている。                                                                                        12月12日の第2陣原告団声明は「私たちは、一体、何をしたというのか・・・。朝に夕に、こんな疑問を繰り返しながら、世の中の動きに翻弄されている辛さ。第三者に分かってもらうことは難しいかもしれません。しかし、分かってほしい。分かってもらわなければなりません。そうでなければ、私たちの味わっている悲劇は繰り返される。当たり前なことが通る世の中を取り戻したい。子どもや孫たちに、人間らしく生きられる世の中を残したい・・・そう思って、私たちはつかれた体に鞭打って立ち上がりました」と述べている。                                                                                  福島の悲劇を風化させず、この国を人間の国にするための闘いが各地で続いている。

Tuesday, January 28, 2014

ヘイト・スピーチと闘う特集(9)

日本民主法律家協会の機関誌『法と民主主義』485号(2014年1月)は、2つの特集を組んでいる。一つは「特定秘密保護法の廃止を求めて」で、小野寺利孝(弁護士)、右崎正博(獨協大学教授)、森孝博(弁護士)、米倉外昭(日本新聞労連副委員長)が執筆。                                                               もう一つは私が企画した「ヘイト・スピーチをめぐる状況」。                                                                                      「京都朝鮮学校事件におけるヘイト・スピーチ」金尚均(龍谷大学教授)                                                                                        「ドイツにおけるヘイト・スピーチに対する刑事規制」楠本孝(三重短期大学教授)                                                                                       「ヘイト・スピーチ処罰の世界的動向」前田朗(東京造形大学教授)                                                                           「ヘイト・スピーチ規制に関する弁護士会の取り組みについて」李春熙(弁護士)

Monday, January 27, 2014

「ブラック企業」批判・今野晴貴講演報告

1月27日は「八王子労政会館の存続を求める会スタート集会」に参加した。東京都の方針「2020年の東京都」において、八王子の労働相談情報センターを立川に予定されている東京しごとセンター多摩に統廃合することが示された。それに伴い八王子労政会館は廃止だという。八王子労政会館は、地域の労働組合や、市民運動・平和運動、卓球その他のスポーツ・文化活動の拠点である。JR八王子駅や京王八王子駅からも近く、便利なため、多くの団体が長年重宝してきた施設だ。これがなくなると、八王子の市民運動・平和運動が多大な打撃をこうむることは必至。ということで、この間、準備を進めてきて、本日スタート集会だ。                                                               講演は、昨年の流行語「ブラック企業」でいま旬の著者・研究者の今野晴貴さん。著書『ブラック企業』や『ブラック企業ビジネス』はこのブログでも紹介した。2006年、中央大学法学部在学中に、若者のための労働相談のためPOSSEを立ち上げ、現在は一橋大学大学院で社会学・雇用政策を研究している。つまり、八王子に縁があり、当時は八王子の市民運動に参加し、一緒にデモをやっていた仲間である。講演は「八王子労政会館廃止になぜ反対するのか」と題しているが、ブラック企業など、労働状況が非常に悪化している現在、労政会館、労働相談所はますます重要になっているのに、労政会館を廃止するのは逆行しているという流れである。ブラック企業については、まず、若者の意識や行動様式を批判する現代若者論の誤りを次々と明快に説明し、その上で、ブラック企業とは何か、どのような業界に多いか、それはなぜかを論じた。ITなど新興成長産業にブラック企業が多いのは、急成長した企業で適正な労使関係を形成することなく、社長の独裁など、いびつな労務管理が行われているためである。実際の相談に基づいているので具体的で説得力があると同時に、ジャーナリストではなく研究者らしく、事例を分析する視点がしっかりしている。現代資本主義論、雇用政策、労務政策の変容の仲でのブラック企業という観点が重要だ。最前線で闘う理論家だ。講師の今野さんは30歳だが、参加者はたぶん平均年齢50~60歳。質疑応答では、年配者から次々と質問が出たが、今野さんはしっかり手堅く答えつつ、わからないところはわからない、これから研究しなければならないと答えていた。                                                                          講演後、スタート集会ということで、八王子労政会館の存続を求める会が発足した。

Sunday, January 26, 2014

ヘイト・クライム禁止法(47)フィジー

フィジー政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/FJI/18-20. 10 May 2012)によると、フィジー政府は人種的優越性の主張を断乎拒絶している。2009年のメディア法(法29号)は、人種や民族に基づく差別を禁止・制限する政府の関与を示している。違反したメディア企業に対して最大10万ドル、出版人・編集者に対して2万5千ドルなどの罰金、及び文書に寄る謝罪命令、最大10万ドルの被害補償を規定している。地方政府は、すべての人種に平等の機会を保障するよう文書指令を出している。                                                      人種差別撤廃委員会はフィジー政府に対して次のような勧告を出した。人種中傷を禁止した公共秩序法のように、国内法には人種差別を扱う規定があるが、条約第1条に合致した定義が採用されず、条約第4条に合致した法規定がないことは残念である。委員会は前回目での勧告を再確認し、直接差別と間接差別を含んだ人種差別の撤廃に関する包括的立法をするよう勧告する。委員会は、その立法が条約第4条の規定に完全に合致するように、人種的動機を刑罰加重事由とするように勧告する。実際に人種差別事件が報告されているのに、裁判所及びフィジー人権委員会への申立て、訴追、有罪判決が報告されていないことに関心を表明する。英語やヒンドゥー語を話せないマイノリティにとって裁判所使用言語が障壁となっていることに関心を有する。刑事司法制度における人種差別を予防するよう勧告する。次の報告書において、人種差別行為に関する申立て情報を報告するよう勧告する(CERD/C/FJI/CO/18-20. 23 October 2012)。

ヘイト・クライム禁止法(46)リヒテンシュタイン

リヒテンシュタイン政府が人種差別撤廃委員会81会期に提出した報告書(CERD/C/LIE/4-6. 14 February 2012)によると、前回審査において人種差別撤廃委員会がリヒテンシュタイン政府に対して、人種差別撤廃条約4条(b)に合致する特別立法をするように勧告した。この件について、警察は、条約4条(b)にいう人種主義団体が存在するとは認識していないが、国外で活動する人種主義団体と連絡している人物に関する情報を把握している。人種主義的な人物や極右過激思想を持つ人物による集会を阻止し、解散させた。2007年、極右過激思想をもつ者たちのクラブハウスを禁止した。メンバーは逮捕され、刑事施設収容の執行猶予判決を受けた。                                                                                 リヒテンシュタインには右翼ポピュリスト政党は存在しない。しかし、2009年の社会科学的調査によると、30~40人程度の極右過激サークルがあるが、顕著な指導者は存在しない。その集団を警察は慎重に監視している。                                                                                2011年3月、政府は極右過激派に関する調査報告書を初めて発表した。事件年表、対策措置、メディアの状況、若者の集会などに関する包括的文書である。                                                                             本報告書が扱う期間に警察に届け出られた人種差別事件は23件である。2007年には上述のクラブハウス閉鎖、2008年には集団乱闘が1件、2009年と2010年にはトルコ人店舗に対する放火が3件。                                                                                      人種差別撤廃委員会はリヒテンシュタイン政府に対して、刑法283条1項(7)が人種差別促進・煽動団体構成員を犯罪化しているが、条約4条に従った人種主義団体を特に禁止する法律がないことを残念に思うとし、委員会一般的勧告15(1993年)に注意を喚起し、リヒテンシュタイン政府が条約4条に完全に従った、人種差別促進団体を特に禁止する法律を制定するよう勧告した(CERD/C/LIE/CO/4-6. 23 October 2012)。

Saturday, January 25, 2014

国際原子力マフィアを追跡する

コリン・コバヤシ『国際原子力ロビーの犯罪――チェルノブイリから福島へ』(以文社)                                                                フランス在住の美術家・著述家による、フランスを中心とした原子力ムラ(原子力ロビー)の犯罪の実態を解明する本である。著者は1970年代から核と原子力の問題に関心を持ち、『はんげんぱつ新聞』『原子力資料情報室通信』に寄稿してきた。                                                         本書では、3.11以後の福島に、なぜ健康に関する国際機関WHOではなく、国際原子力機関IAEAがやってきたのかと問いを立て、IAEAとWHOの関係を端緒にしながら、チェルノブイリの核被害を過小評価し実態調査を阻んできた国際原子力マフィアが福島で同じ犯罪を積み重ねようとしている危険性を指弾している。                                                                    第1章「国際原子力ロビーとはなにか」ではIAEA、WHO、ICRPなどによる支配体制を明るみに出す。第2章「エートス・プロジェクトの実相から」では、プロジェクトの概要を紹介し、福島で行われたダイアログ・セミナーの正体を示して、責任者の不在、過剰なる自己責任論、選択肢の不在を批判する。                                                                            ここまでが本論だが、著者は第3章「内部被曝問題をめぐるいくつかの証言から」において、IAEA支配=国際原子力マフィアと闘ってきた科学者たちを紹介する。ワシリー・ネステレンコ、ユーリ・バンダジェフスキー、ガリーナ・バンダジェフスカヤ、アレクセイ・ヤブロコフである。日本で言えば高木仁三郎や熊取6人衆にあたるだろうか。ネステレンコらの証言を伝えることにより、国際原子力マフィアの支配の実相がより鮮明に浮かび上がるとともに、国際原子力マフィアとの闘いの展望が可能になる。                                                                          末尾の資料に「放射能防護関連を中心とする国際原子力ロビー 人脈と構造図」が掲載されている。「放射能防護関連を中心とする」という限定がついているが、その世界的広がりがよくわかる。原発燃料の採掘・精製、原発メーカー、原発製造と工事請負企業、御用学者など、国際原子力マフィアの巨大さは想像を絶する。実証科学と想像力の両方を駆使しながら、本書を読むことが必要である。

Friday, January 24, 2014

冤罪と闘う再審請求運動――千葉成田ミイラ事件

釣部人裕『雪冤――冤罪のない社会へ』(ダイナミックセラーズ出版)                                                           1月18日に大阪で開催した『21世紀のグローバル・ファシズム』出版記念会の折に、著者から本書をいただいた。宮本弘典(関東学院大学教授)が巻頭言を書いている。千葉成田ミイラ事件が冤罪であるとして、再審請求を目指しいている。無罪を訴えている高橋弘二は、2000年2月に逮捕され、殺人罪で起訴された。1999年11月11日が「事件」発生日ということだが、著者によると、関係者が「被害者」は生きていると言っているのに、千葉県警は99年11月12日に「遺体」を押収して冷蔵室に入れ、3日後に司法解剖をさせた。鑑定書には死亡推定時期が解剖時より1~5か月前とされている。明らかに幅が広すぎる。押収以前、「被害者」は冷房を使用していないホテルの一室にいた。5か月も置かれていたならば、腐敗し大変な悪臭を放っていたはずだ。いくつもの論点があり、本書は警察の不正を告発している。刑法理論上の論点としては、不真正不作為犯としての殺人罪の成否があげられる。重要な論点だ。新書200頁に満たない小さな本なのですぐに読み終えたが、本書ではわからないことが多い。より詳細な、釣部人裕・高橋弘二『千葉成田ミイラ事件①』があるので注文した。

Tuesday, January 21, 2014

大江健三郎を読み直す(3)

大江健三郎『定義集』(朝日新聞出版、2012年)                                                           2006年4月から2012年3月まで、朝日新聞文化面に月に一回連載されたエッセイ72本をまとめて1冊にしたものだ。最後の72本目のエッセイ「自力で定義することを企てる」を、「私は若い頃の小説に、障害を持ちながら成長してゆく長男のために、世界のありとあらゆるものを定義してやる、と『夢のまた夢』を書いています。それは果たせなかったけれど、いまでも何かにつけて、かれが理解し、かつ笑ってくれそうな物ごとの定義をいろいろ考えている自分に気がつきます。/しかし私が『定義集』の全体で自分の大切な言葉として書き付けたのは、中学生の習慣が残っている、まず本でなり直接なりに、敬愛する人たちの言葉として記憶したものの引用が主体でした。いま晩年の自分が出会っている(そして時代のものでもある)大きい危機について、修練してきた小説の言葉で自前の定義を、とおそらく最後の試みを始め、『定義集』を閉じます。」と結んでいる。                                                                   大江は本書で実に多くの印象的な言葉、教訓となる言葉、反芻すべき言葉、こだわり続けるべき言葉を紹介し、時に瞑目し、時に註釈し、時に反駁している。中野重治、南原繁、渡辺一夫、魯迅、中原中也、西脇順三郎、木下順二、山口昌男、加藤周一、小田実、井上ひさし、丸谷才一、大石又七、高木仁三郎、鎌田慧、肥田舜太郎、オーデン、ウイリアム・ブレイク、レヴィ=ストロース、マラマッド、エドワード・サイード、テツオ・ナジタ、ギュンター・グラス、オルハン・パムク、フリーマン・ダイソン、パヴェーゼ、バルガス・リョサ、ウィリアム・スタイロン、ミラン・クンデラなどの言葉が、21世紀の現在の文脈の中で、大江の問題意識に即して引用され、定義されていく。どの頁も3度、4度、繰り返しながら読み進めたので、かなりの時間を要したが、それだけゆっくり読むに値するエッセイ集だ。                                                                                      この時期は、大江にとっては、(息子・光のこと以外の、社会問題としては)9条の会の広がり、『沖縄ノート』訴訟の勝訴、そして(最後の1年は)3.11以後の脱原発の取り組みの時期である。9条の会関係では、各地に運動が広がったが、加藤周一、小田実、井上ひさしが他界した時期である。また、自民党政権から民主党政権を経て、復活した自民党政権に至るまで、9条軽視と軍事化が急速に進められた危機の時代でもある。1970年出版の『沖縄ノート』(岩波新書)に対する異様な難癖訴訟(2005年提訴)に応じなければならなかったのは大変な負担と時間のロスだが、大江、岩波書店、弁護団、支援者の結束によって無事に勝訴判決を確定させたのが、2012年のことだ。そして、3.11は大江の精神を直撃した。「最後の小説」のはずの『水死』の後に、『晩年様式集』を書き、本書最後の一年のエッセイを書き続けたのは、脱原発運動の盛り上がりに同伴した時期である。大江は集会で登壇し挨拶をし、デモの先頭に立つなど、70年代後半のノーベル賞作家にもかかわらず、あるいは自分と世界をつないで想像力の翼を宇宙的に拡げてきた作家らしく、脱原発運動を後押しもした。                                                                                                そうした出来事と並行して書かれたエッセイだけに、「定義集」は大江文学による同時代認識の定義集となっている。

Monday, January 20, 2014

再稼働ありきの政府・ニセ規制委員会批判

再稼働阻止全国ネットワーク編『原発再稼働絶対反対』(金曜日)                                                                               泊、六ヶ所、東通から、伊方、玄海、川内まで、全国各地の原発及び関連施設の反対運動・監視行動に取り組んできた人々による再稼働阻止ネットワークの協働による1冊だ。それぞれの原発・施設の特徴、地域への押しつけの経過、反対運動の取り組みなどが簡潔に報告されている。各地の原発情報や反対運動の本はすでにたくさんあるが、本書は再稼働阻止に焦点を当てている。また、横須賀原子力空母も対象に加えている。                                                                                         広瀬隆「再稼働して自殺しなさい」では、「原発を動かしたいなら動かしなさい。日本の滅亡は、眼の前だ。早く断崖から飛び下りなさい。安倍政権を選んだこの国民は、死に急いでいる。われわれが救わなければならないほどの価値を持っていないようだ。否この人たちは、メディアから事実を何も知らされていないだけだ。」と、著者らしい文章を載せている。反発する人もいるかもしれないが、作家の警告としては巧みな表現というべきだろう。天野恵一「再稼働のための『原子力規制委員会』」では、アクセルとブレーキが一緒になった組織と活動のインチキさを確認し、田中俊一委員長の正体を指摘・指弾し、再稼働阻止の闘いを改めて決意し、呼びかけている。

林芙美子の反戦文学とは何か

1月20日はこまつ座第102回公演「太鼓たたいて笛ふいて」(作:井上ひさし、新宿・紀伊國屋サザンシアター)を観た。                                                                                       『放浪記』の林芙美子を描いた芝居で、こまつ座では4度目の公演だが前回は観なかった。林芙美子の戦争協力のイメージにとらわれて、あえて観るまでもないとスルーしたのは失敗だった。原作を読んだ時に、戦争協力から転じて反戦作家になった経緯がいまひとつ胸にすとんと落ちなかったためだが、そのあたりは井上ひさしの戦争責任論をまだよく理解していなかったという事でもある。昭和庶民伝3部作や東京裁判3部作の全体を通して、井上ひさしは、天皇や軍部など権力者の戦争責任を追及するとともに、戦争協力した庶民の戦争責任も取り上げてきた。それに対して、従軍作家・林芙美子の位置がよく見えなかった。太鼓をたたいて戦争をあおり、笛を吹いて戦争に踊った従軍作家を、上から戦争協力した作家という理解をしていると、この作品を誤解する。                                                                 井上ひさしは、林芙美子を文壇の中心にいた作家ではなく、庶民としての作家という位置づけをしている。林芙美子は中国からボルネオまで従軍作家生活を続けるが、そこで日本の植民地支配と戦争政策の矛盾に気づき、戦争中に戦争協力を止める。戦後は反戦作家として作品を発表する。その転身をどう見るかが一番重要な点だ。敗戦後の価値観の転換に伴って戦後民主派となって平和や自由を唱えた軽薄な作家は数多い。自分の戦争協力を隠蔽して戦後派になった作家も少なくない。                                                                            ところが、林芙美子はいずれにも属さない。戦争をあおった自分の責任を痛感して、戦争協力を中断しただけではない。戦争をあおった者の一人として、戦争の結果、手を失い、家族を失い、家や土地を失った人々への責任を問い続けた。復員軍人、戦災孤児、夫を失った女性たちの生活に着眼し、戦争責任を果たすために戦後の新しい物語を描こうとした。井上ひさしは、その林芙美子を取り上げ、温かいまなざしを差し向ける。戦争協力を告発するためではなく、戦争協力した自分に向き合い続けた林芙美子に焦点を当てている。                                          大竹しのぶ、木場勝己、梅沢昌代、山崎一、阿南健治、神野三鈴――おもしろおかしく、かなしく、切ない、素敵な時間と空間をつくりだした俳優たちに感謝。ピアノの朴勝哲の繊細なプレイに感銘。原作に忠実でいながら原作を超えようとする栗山民也の意欲的な演出に感動。

Thursday, January 16, 2014

学習会「黙秘権と取調拒否権」

1月15日は平和力フォーラム主催の学習会「黙秘権と取調拒否権」(全水道会館)を開催した。黙秘権は憲法及び刑事訴訟法で保障された被疑者・被告人の権利だが、日本では実質的な補償が十分になされていない。それどころか、拷問その他の手段で自白を強要し、自白に基づいて有罪判決が量産されている。国際自由権規約の人権委員会や、拷問禁止委員会から、繰り返し是正勧告が出されているのに、日本政府は勧告を拒否している。学習会では、弁護士の小池振一郎さんから、日本における取調べの実態、取調べの可視化をめぐる動き、弁護人の立会を求める動きについて最新動向を紹介していただいた。元アムネスティ・インターナショナル日本支部事務局長で東京経済大学の寺中誠さんから、刑事訴訟法の基本原則に立ち返って、捜査や取調べの目的と合理的コントロールの在り方、国際人権法に照らして取調べのあるべき姿について報告していただいた。さらに、取調拒否権の行使を実践した3人の経験者から実際の体験をお話しいただいた。3人は留置所の房で取調べ拒否を宣言して、実際に権利行使を貫徹した。他方、パソコン遠隔操作事件では、弁護人の立会がなければ取調べを拒否するという実例がある。また、福岡では、取調べ拒否権を行使しようとしたところ、力づくで房から引きずり出して取調室に連行するという暴力が振るわれた事例も報告された。学習会の詳細は次の『救援』(救援連絡センターの機関紙)に報告する予定である。                                                                            なお、当日の私の発言に誤りがあったので訂正する。質疑応答の際に、逮捕時における顔写真と指紋の採取の強要が話題となり、私が刑事訴訟規則に規定があるだろうという趣旨の発言をしたが、刑事訴訟法218条3項に根拠規定がある。

ビクトル・ハラを追いかけて

八木啓代『禁じられた歌――ビクトル・ハラはなぜ死んだか』(晶文社、1991年)                                                                                             昨年11月、ジュネーヴのパレ・デ・ナシオンの喫茶店で、スペインの若い法律家と平和的生存権の話をしていたところ、隣の席の人物が「平和に生きる権利ならビクトル・ハラの歌だ」と話しかけてきた。若い法律家は「アルゼンチンの歌手かな」という程度しか知らなかった。私もアジェンデ政権と9.11のことを少し知っている程度だったので、うまく説明できなかったが、日本語でもたしか本が出ていたはずと思ってネットで調べたところ本書に出会った。著者は歌手だが、中学生の時に聞いたビクトル・ハラの歌に魅かれ、ラテンアメリカをフィールドとして歌い、学びながら、やがてビクトル・ハラの生涯を追跡し始めた。ビクトル・ハラと知り合いだった人間、シルビオ・ロドリゲス、レネ・ビジャヌエバ、エドゥアルド・カラスコなど10人以上の人々に取材して、想い出を語ってもらった。ハバナで、サンティアゴで。あるいはチリから亡命して外交に滞在している人たちに。そうしてビクトル・ハラの演劇人生、歌手としての活躍、1973年の軍事クーデターによる殺害を解明していく。その中で、ビクトル・ハラだけでなく、自由を求めるチリの人々の暮らしと願い、闘いと歌を肌で感じ取っていく。ビクトル・ハラの『ポブラシオン』のもとになったポブラシオン・ラ・ビクトリアでのサラ・ゴンサレスのコンサートに飛び入り出演した時の話はまさに感動的だ。さらに、サンティアゴの刑務所で政治囚を前に歌った話も印象的だ。最初のインタヴューでキューバの歌手シルビオ・ロドリゲスに話を聞いた著者は「もう、あとには引けないと思った」と書き留めた。そこから2年余りの調査とインタヴューを終えて本書を出版したのが1991年だが、その後も著者はあとには引くことがない。ひたむきに真直ぐ進み続け、今、検察の不正義を告発し、闘い続けている。激しく、美しい闘いを、ビクトル・ハラの精神で。                                                                               健全な法治国家のために声をあげる市民の会                                                                           http://shiminnokai.net/

Monday, January 13, 2014

特定秘密保護法廃案をめざして

清水雅彦・臺 宏士・半田 滋『秘密保護法は何をねらうか』(高文研)                                                       http://www.koubunken.co.jp/0550/0532.html                                                        日本体育大学准教授(憲法学)、毎日新聞記者、東京新聞論説委員の3人による特定秘密保護法批判の書である。本書作成中に秘密保護法が制定されてしまったため、秘密保護法案批判だった本書は、秘密保護法廃止を目指す理論書となった。本文80ページほどの小さな本だが、戦後日本における秘密保護法、特に1980年代の国家秘密法をめぐる論争、あるいは日米安保条約体制化の秘密法制(アメリカの要請による秘密保護制度)、さらにわ防衛・外交に加えて公安警察の秘密主義体質に由来する秘密保護法制など、多様な流れが特定秘密保護法に流れ込み、2013年の安倍政権の強引な法制定が実現した経過を分かりやすく示している。表現の自由、知る権利、報道の自由はもとより、市民生活の安全すら破壊しかねない悪法との闘いは、改憲策動との闘いにつながり、3.11以後の脱原発の闘いともつながる。いのち、暮らし、人々の自由と安全を顧みず、ひたすら利潤を追求し、抑圧的な社会を構築しようとする国家と資本の論理に抗する2014年の闘いをここから始めたい。

フランスの原発開発と抵抗運動の歴史を検証

1月13日は福島原発事故緊急会議主催の連続シンポジウム第4回「『原子力規制委員会』の原発再稼働への<暴走>を許すな!」(日本キリスト教会館)に参加した。2つの報告がなされた。鵜飼哲「フランスの原発開発と対抗運動の政治=思想史的素描」、天野恵一「『原子力規制委員会』批判の視座」。集会タイトルでも天野報告でも「原子力規制委員会」と括弧がついているのは、規制と言いながら実態は推進側の組織であり、まともな規制を期待できないという認識だからである。鵜飼報告は、フランスの核武装の歴史を概括し、第二次大戦後の世界情勢へのフランス的対応の意味を確認し、それに対するフランス反核運動の限界(対立から合意へ)を見定めた。次いで、原発開発史だが、フランスの原発開発は意外に遅く、石油ショックに端を発しているが、いったん原発政策を導入すると急速に展開していった。反原発運動が1970年代に始まるが、さまざまな成果を生みつつも、思想的にも政治的にも大きな限界を抱えていたし、内的矛盾も見られた。旧植民地との関係や、核の「平和利用」論など、原発の問題性が世界史的な文脈で見えてくる。報告者は「<福島>はフランスの未来、フランスは日本の未来?」と問いながら、日本における「安全神話」から「安心神話」への転換はフランスの道を歩むものであり、<民生>から<軍事>への途はフランスとは逆向きの転換プログラムとなると位置づけた。原発推進側の著作を読み解きつつ、抵抗運動の可能性と限界も明確にする報告であった。天野報告における「原子力規制委員会」認識と即応して、日本における脱原発運動の課題を浮き彫りにした。

Saturday, January 11, 2014

吉見教授名誉毀損裁判・支援発足集会

1月11日は「YOSHIMI裁判いっしょにアクション発足集会」(韓国WMCA)に参加した。原告・吉見義明教授が、被告・桜内文城衆議院議員によって名誉毀損されたとして、損害賠償、事実訂正、謝罪広告を求めた裁判である。2013年5月27日、日本外国特派員協会における橋下徹大阪市長による「慰安婦」問題に関する講演の際に、日本維新の会の桜内被告が吉見教授の著作を「捏造」であると発言したものだ。吉見側は6月13日に内容証明郵便で謝罪と撤回を求めたが、桜内側が謝罪と撤回を拒否したため、7月26日、東京地裁に提訴した。すでに第1回弁論(10月7日)、第2回弁論(12月11日)が開かれている。被告側は、吉見教授を名誉毀損しただけでなく、「慰安婦=性奴隷」という認識(国際常識)そのものを捏造として、歴史を捻じ曲げる主張を展開している。主張内容はネット右翼レベルのデマにすぎないが、そうした主張を外国特派員協会で行ったことは見過ごすことはできない。沖縄における「集団自決(集団死)」をめぐる大江健三郎の『沖縄ノート』に対して右翼が起こした名誉毀損裁判と同様、日本の戦争犯罪と歴史認識をめぐる政治的な議論でもある。歴史の事実を否定する修正主義者たちは、右翼論壇やネット上で執拗に事実を隠蔽したり、捻じ曲げる主張を繰り返してきた。その結果として、教科書から「慰安婦」記述が削除される事態になった。それだけでは足りないと、彼らはあらゆる嘘を積み重ねて、事実を否定しようとしている。その動きが河野談話の否定要求であり、「慰安婦」の事実の否定、性奴隷制認識の否定である。これまで歴史学が解明し、各地の裁判所における「慰安婦」裁判においても認定され、国連人権機関でも確認された性奴隷制の事実を否定するための策動が強化されてきた。安倍発言や橋下発言もその一環である。                                                                     11日の集会では、最初に吉見義明さんがあいさつをした。日本社会は、「焼け跡のデモクラシー」で、平和で自由で民主主義的な社会を築いてきた。その貴重な伝統を尊重したい。戦争という過去の克服の課題が残されているので、歪曲発言を許さず、過去の克服をして和解を実現し、女性に対する性暴力を許さない「新たな伝統」をつくりたい、という趣旨の発言をした。                                                        歴史学者の荒井信一(茨城大学名誉教授、日本の戦争責任資料センター設立者)は「吉見裁判の歴史的意義」として、右翼による河野談話否定は以前とは質的に異なる段階にあり、安倍発言以後、政治家もマスコミも一色になり、国際社会が何を言っても耳を貸さず、ひたすら歴史を隠蔽する姿勢を強めていることを明らかにした。さらに、アメリカとの関係での安倍の「2枚舌外交」を指摘し、「日本の歴史修正主義者の言論がいかに鎖国的状況のなかでしか通用しないものであるか」と述べたうえで、「歴史認識の抹殺」は、1990年代から被害者や国際社会が努力してきた成果、国連憲章や世界人権宣言以来の「共通の価値観」の否定につながると批判した。                                                                           川上詩朗(弁護士、吉見弁護団事務局長)は「吉見裁判の経緯と内容」として、裁判に至る経過を丁寧に説明し、「それからヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これは既にねつ造であるということが、いろんな証拠によってあきらかとされております」という桜内発言が名誉毀損であることを示し、これまでの被告の反論に説得力がないこと、被告側が「慰安婦=性奴隷」認識そのものを覆そうという姿勢で裁判に臨んでいることを報告した。                                                                                     大森典子(弁護士、弁護団長)は「吉見裁判の意義」として、「戦争についての歴史認識を世界と共有できなくなっている」日本の現状を指摘し、被告側のキャンペーンは被害者の被害を直視しないもので、「被害の告白に人間として痛みを感じない人権感覚」であると論じた。                                                                                                            最後に、梁澄子(支援する会「YOいっション」共同代表)が「被害者の視点から見る吉見裁判」として、1991年12月から2010年3月までの各地の裁判所における日本本軍性暴力裁判の判決において認められた事実を確認して、司法によっても性奴隷制の事実が認められてきたことを示し、被害者が望む解決を実現する必要性を強調した。さらに、現在の日本政府が、「慰安婦」問題に関する国際社会からの批判をかわすために、「慰安婦」被害者を置き去りにしたまま、現在起きている紛争下の性暴力の解決の努力をすることを国際社会に宣伝していることも取り上げた。                                                                                                     第3回弁論は3月3日である。通常の事案で通常の裁判所であれば、事実関係を確認し速やかに決審して原告勝訴の判決を下すべき事案だが、内容が「慰安婦」問題という非常に政治化された事件だけに審議は意外に長引くかもしれない。その際の論点は多数あるが、右翼論壇では「性奴隷とは何か」を恣意的に解釈する議論がまかり通っているだけに、原告側の主張立証を徹底する必要がある。

Thursday, January 09, 2014

大江健三郎を読み直す(2)

大江健三郎『晩年様式集』(講談社)                                                                             現代を読むために大江健三郎を読み直すことを今年~来年の課題にした。数多い作品をどのように読んでいくか考えたが、まずは、まだ読んでいない最近の作品をいくつか読み、次に最初期に戻って順に読んでいくことにした。本書は『群像』2012年1月号から2013年8月号に連載され、2013年10月に出版された、大江の最新作である。大江は何度か自作を「最後の小説」と呼んで、もう新作は書かないと称しながら、後に態度を変えて新作を送り出してきたが、2009年の『水死』(講談社)は本当に「最後の小説」になるかもしれないと考えられた。ギー兄さんや、息子・光や、伊丹十三など、家族や周囲の人物を素材として四国の森の奥の物語を描き続けた大江が、最後についに父親を正面から取り上げて、終戦の年に洪水の川に船出した父親の死の真相を追求したことにより、生涯の主題を書き終えたとされたからである。1935年生まれの大江が74歳の「最後の小説」だ。                                                                                             ところが、3.11が状況を変えた。3.11の翌年1月号の『群像』に新しい連載を開始した。そこでは、フクシマの地震、原発事故、放射能の問題が直接に影を落としている。放射能被曝の恐れから四国の森のへりに転居する家族と東京の大江をめぐる家族生活に加えて、1つの柱は大江自身のこれまでの作品世界が背景をなし、もう1つの柱は脱原発を求める市民の運動が背景をなす。大江自身、日比谷公園集会など脱原発の呼びかけの先頭に立ち、激励のあいさつを繰り返してきた。当然のことながら、大江の作品世界には初期の『ヒロシマ・ノート』以来の反核の課題があり、半世紀を超えて反核のメッセージを送り出してきた。その大江がヒロシマとフクシマをつないで、78歳の今、日本と世界に向けて発信した「最後の小説」だ。大江は次のように語る。「おそらく最後の小説を、私は円熟した老作家としてでなく、フクシマと原発事故のカタストロフィーに追い詰められる思いで書き続けた。しかし70歳で書いた若い人に希望を語る詩を新しく引用してしめくくったとも、死んだ友人たちに伝えたい」。                                                                                 晩年様式集という表題は大江が親しくし、晩年の盟友であったエドワード・サイードに由来する。サイードは最後の時期の作品をOn Late Style と呼んでいた。大江はこれをIn Late Styleとして作品の表題につけた。サイードの政治的立場や闘いに感銘を受け、翻訳された主要作品はそれなりに読んだとはいえ、サイードの思想を十分理解したとは言えない私には、この短い表題に込められたサイードと大江の本当の思いはまだわからない。本書を読み始めるときに不安だったのは、以前の大江作品を前提として、多くの引用によって成立しているであろう本書を、このところ大江作品を読んでいない私に読み進めることができるのかどうかだったが、『空の怪物アグイー』『万延元年のフットボール』『懐かしい年への手紙』『「雨の木」を聴く女たち』などに繰り返し言及されるが、ごく最近の作品を知らなくても、四国の森の世界をおおよそ知っていれば読むのに苦労はなかった。なお、上に「放射能被曝の恐れから四国の森のへりに転居する家族」と書いたが、その森は伊方原発から30キロにすぎない。どこかで次の原発事故が起きたらという不安を抱きながらの大江の観念の闘いは、確かに「円熟した老作家」ではなく、若々しい時代の大江の研ぎ澄まされた感性を想起させるものではある。かつて「遅れてきた青年」の著者だった大江は「遅れてきた老作家」にはならないのだろう。2年かけて大江の主要作品を読み通したら、最後にもう一度本書に立ち返ることにしよう。

ヘイト・スピーチと闘う特集(8)

『月刊社会教育』699号(国土社、2014年1月)                                                                   「特集・多文化・多民族共生――違いを豊かさに」                                                                  多文化社会における社会教育の課題/藤田美佳                                                                     ヘイト・スピーチといかに闘うか/前田朗                                                                              生活課題に立ち向かい、社会参加を進める実践へ/宮島登                                                         うつり変わる在住外国人の実情/石井ナナエ                                                                      多文化職場における参加型安全衛生活動/成田博厚                                                              多文化共生保育に出会って/宮田ますみ     

Monday, January 06, 2014

ブラック企業にたかる「ビジネス」批判

今野晴貴『ブラック企業ビジネス』(朝日新書)――――ベストセラー『ブラック企業』(文春新書)の著者による最新刊。前著で解明したブラック企業論を前提として、本書では、ブラック企業にたかってビジネスを展開し、ブラック企業を支え、従って若者を使い潰すことに協力している弁護士、社会保険労務士などの士業を中心に「ブラック企業ビジネス」の実態を暴いている。また、子どもがブラック企業の被害を受けていることに気付かずにブラック企業に勤務し続けるように説得してしまう親、診断に来た若者に自分の責任であると思わせてしまう医師、ブラック企業にどんどん学生を就職させている学校などを取り上げて、具体的に批判している。ブラック企業を辞めようとする社員に対して1億円の損害賠償を請求して嫌がらせをする弁護士、法的には無意味な主張を唱え、不必要な書類を執拗に送り続けて、相手を疲れさせ、諦めさせようとする弁護士など、その実体は呆れるほど低レベルだが、そうした弁護士が増えている。その原因は、一方ではブラック企業の登場によって、それがビジネスとなり、ビジネスのためなら弁護士倫理など放棄してしまう弁護士がいることであるが、他方では司法改革によって弁護士を増員したのに、仕事は減っているため、若手弁護士に仕事がなく、弁護士として修練を積むこともできないため、手軽な金儲けとしてブラック企業ビジネスに取り込まれていくと言う。第3章「私もワタミ・ユニクロの弁護士から『脅し』を受けた!」では、著書『ブラック企業』に対して、ユニクロから「虚偽の事実」「名誉毀損」との「通告書」が届き、ワタミからも「通告書」が届いた。大企業が、大学院生である著者に対して脅迫状を送りつけたのだ。嫌がらせ訴訟(SLAPP訴訟)の予告と言ってよいだろう。これに対して、著者は、具体的事実を列挙して説得力のある反論をしている。ユニクロの柳井、ワタミの渡辺の発言を具体的に引用して鮮やかに批判し、SLAPP訴訟への対応についても研究している。本書の最後に、著者はブラック企業とブラック企業ビジネスがはびこる社会をアリジゴク社会と命名し、アリジゴク社会を乗り越えるために、まず個人が戦略的に思考して、不条理と闘うことを手掛かりとし、さらに本当の専門家集団を作ること、ブラック企業対策プロジェクトを発足させることなどを提言している。専門家集団としては、これまでも日本労働弁護団、過労死弁護団が活躍してきたが、2013年7月、ブラック企業対策弁護団が結成された。著者の闘いが日本を変え始めた。

Sunday, January 05, 2014

名誉毀損の憲法論に学ぶ

松井茂記『表現の自由と名誉毀損』(有斐閣)――ヘイト・スピーチ研究のために関連著作の一つとして本書を読んだ。本書はアメリカにおける名誉毀損の判例研究と、日本における名誉毀損の研究の2つで成り立っているので、ヘイト・スピーチに直接関係する記述はないが、ヘイト・スピーチが名誉毀損に当たる場合もあるので、そのあたりを学ぶためには必読である。本書でも刑事名誉毀損法が扱われている。巻末の事項索引にヘイト・スピーチがあり、139頁と指示されている。139頁にも前後の頁にもヘイト・スピーチの語はないが、スコーキー事件のことが取り上げられているので、間違いではない。民事名誉毀損のアメリカ判例に関する研究は詳細で、とても勉強になった。もっとも、全13章のうち前半1~6章は1983年に執筆された論文をもとに加筆したものなので、最新情報という点では不足もある。後半の日本における名誉毀損の研究もさすがである。著者は、刑事名誉毀損の処罰法規は憲法違反という見解である。アメリカ憲法に大いに学んでいるので、こういう結論になるのだろう。ヘイト・スピーチ処罰についての見解は示されていないが、消極的に理解しているのではないかと推測できる。著者は大阪大学名誉教授で、現在はブリティッシュ・コロンビア大学教授である。著書に『司法審査と民主主義』『情報公開法入門』『インターネットの憲法学』『マス・メディアの表現の自由』『日本国憲法』『マス・メディア法入門』『アメリカ憲法入門』など多数。

Saturday, January 04, 2014

社会的諸関係のもとの労働力観再考

馬渕浩二『世界はなぜマルクス化するのか――資本主義と生命』(ナカニシヤ出版)――資本主義を貫く個人主義と自由主義の交差点に成立する個人的所有と、それを前提に組み込んだ労働所有論を問い直す試みである。マルクスの労働力観、交換様式論、資本主義的搾取論を前提としつつも、例えば、労働概念において、家事労働が不払労働として位置付けられてきたことに対するフェミニズムからの批判や、イリイチのシャドウワーク論を手掛かりに、生産労働と非生産労働の固定的な分割理解を問い返す。あるいは、労働時間と自由時間をめぐるマルクスの思索を前提としつつ、非労働時間が労働準備時間や労働力養成時間となることによって労働時間に従属している現実を理論に組み込む。資本家と労働者の労働契約という観念は、個人的能力を有する労働力所有としての個人(個人的所有)としての労働者の自立的存在を仮設しているが、資本主義的社会的諸関係の中でしかそのような労働者は存在しえない。だが、能力が私的に所有されるという発想自体が特殊に歴史的な制約された理解に過ぎない。「他者との関係においてしか発現しない能力」を想起し、「能力はそもそも社会関係なのだとしたら」と考えることによって、能力の関係主義的理解、能力の共同性、労働力の共同性が引き出される。そこから「コモンズとしての社会関係」、「コミュニズム原則」――「各人は能力におうじて、各人は必要におうじて」へは、あと一歩である。著者はコミュニズムを遠い将来社会である共産主義社会ではなく、現在の中に見出す。「現在し偏在するコミュニズム」こそが、われわれの現在の現実社会の中に存在しているにもかかわらず、社会が資本主義に包摂されることによって見えなくされていると論じる。マルクスのアソシエーション、柄谷行人の交換様式Dもまた導きの糸とされる。マルクス主義ではなく、マルクスに即したマルクスを出発点に、マルクス批判の潮流を踏まえ、かつ継承することによって、倫理哲学的に人間観、労働者観を改定し、現代社会論の新しい課題を登記している。生命の社会的生産をめぐる思索は魅力的であり、示唆に富む。アルチュセール、大熊信行、柄谷行人、ハート&ネグリ、広松渉、プルードンなどを参照しながらの考察である。ソ連東欧社会主義崩壊、マルクス主義崩壊以後、同時に捨て去られたマルクスの思想が、現代の課題に即してむしろ重要性を増しているとの確信と、そこから何を抽出し、何を継承するかという問題意識が、世界に分散しながらも、強く胎動している。著者は倫理学・社会哲学専攻で、著書に『倫理空間への問い』がある。なお、資本主義的労働過程の外での再生産労働や自由時間を論じている部分では、中野徹三『生活過程論の射程』を思い起こしたが、なぜか著者は中野に言及していない。

『光の賛歌 印象派展』

美術家よりも一般に人気の印象派の展覧会は何度も何度も開催されてきたし、フランスやスイスでもかなり観たつもりだが、まだまだ観ていないものがある。東京富士美術館で開催された『光の賛歌 印象派展――パリ、セーヌ、ノルマンディの水辺をたどる旅』でも初めて見る作品が多数あった。「光の賛歌」というタイトルが付されているとおり、アカデミーの絵画作品と違って、目に映る光の印象をそのままキャンバスに描き出す印象派の技法によって、水(川、海、池)や青空のとらえ方が大きく変化した。その変化の様子を確認させるのが本展だ。展示は3章構成。序章「印象派の先駆者たち」では、17世紀オランダ風景画のホイエン、ライスダール、イギリス・ロマン主義のターナー、フランス・ロマン主義のドラクロワ、レアリスムのクールベ、そしてバルビゾン派のルソー、トロワイヨン。クールベの「エトルタ海岸、夕日」は、同じエトルタを描いたモネやブーダンと比較できておもしろい。第1章「セーヌ河畔の憩い」では、シスレーが15点、モネも15点、さらにピサロ、マネ、モリゾ、シニャック、ルノワール、ロワゾー等。第2章「ノルマンディ海岸の陽光」では、モネ、ピサロのほかに、ブーダン、ヨンキント、モーフラ、カイユボット、セザンヌ。ノルマンディの現場は行ったことがないが、想像するのが楽しい。マネの「散歩」やルノワールの「ブージヴァルのダンス」だけ人物画で、他はほとんどすべて風景画だ。世界各地から集められた80点はなかなか壮観だった。各作品に100字ほどの解説が付されているのが、親切と言えば親切だが、多くの客がその場で解説を読み、作品はちらっと見る程度で歩いているのがよくわかる。何を見に来たのだろうと不思議に思う。解説は事前か、事後に読めばいいのに。三浦篤(東京大学教授)らが作成したカタログはコンパクトでよくまとまっている。作品解説もていねいだ。他方、美術館の学芸員が会場で声高に解説をしていたのも、サービスと言えばサービスだが、時に耳障りだ。ただでさえ正月休みで家族連れ、子ども連れが多く、赤ちゃんがビービー泣いていることさえある。静かに鑑賞したい客を相手にしない美術館なのかと考え込んでしまう。

ヘイト・スピーチと闘う特集(7)

前田朗「ヘイトスピーチは表現の自由の問題ではない」『解放新聞・東京版』827・828号(2014年1月)                                                                                      部落解放同盟東京都連合会機関誌にインタヴュー記事を掲載していただいた。                                                                                 http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/                                                                                               A3サイズの新聞2頁を使った、2万字ほどのインタヴュー。小見出しのみ紹介。                                                                                            ヘイトスピーチは差別犯罪の一つ/ヘイトスピーチは人道に対する罪・迫害/ヘイトスピーチの背景に日本社会の差別実態がある/京都地裁判決では差別の被害を認めた/差別の実態を把握した議論が必要

大江健三郎を読み直す(1)

今年は大江健三郎の作品を読み返すことにした。正確に言えば、『燃え上がる緑の木』第一部『「救い主」が殴られるまで』以前の主要な小説作品はすべて読んだので、それらを読み直すことと、第二部『揺れ動く(ヴァシレーション)』以後の小説は読んでいないので、それらを初めて読むことが課題だ。
高校時代に『死者の奢り』『われらの時代』を読んで以来、大江作品を熱心に読み続けたが、愛読者だったのは90年代半ばまでのことで、その後はエッセイを多少読む程度で、主要作品を読んでいない。
最近、あるメディアでの井上ひさしについての連載の中で、井上ひさしのユートピア観を取り上げたのだが、それに際し1980年代半ばに行われた井上ひさし・大江健三郎・筒井康隆の鼎談『ユートピア探し 物語探し』(岩波書店)を読んだ。思い起こすと、1980年代までは井上・大江・筒井の熱心な読者だったのに、その後も読み続けたのは井上ひさしだけで、大江と筒井を読まなくなった。
 筒井康隆を読まなくなった理由は明白だ。1990年頃だったか、『無人警察』における差別記述に抗議を受けた筒井が「断筆宣言」をして、小説を書かなくなった。そのため新作を読めなくなったのだが、差別との抗議を受けた筒井の態度と断筆宣言を肯定することができなかったので、筒井作品を読まなくなった。
他方、大江健三郎を読まなくなったのは、1994年にノーベル賞を受賞したことにより、なんとなく大江が「権威」に感じられたことと、大江作品に手を変え品を変えて何度も繰り返し登場する森の奥と息子・光の話に少々飽きたことによる。同じ主題を繰り返し描き続けたことで大江の小説世界が深められていったことは事実だが、大江自身が認めているように、このことによって読者を失っていったことも否定できない。この間、大江作品を読まなかったことを、いまどう考えるのかも、一つの課題である。
ともあれ、上記の鼎談からほぼ30年、大江のノーベル賞受賞から20年の今年2014年に大江の主要作品をゆっくり読み続けることにした。
その手始めとしてこの正月に読んだのが、大江健三郎『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮文庫)だ。読売新聞記者の尾崎真理子がインタヴューをして、2007年に1冊にまとめられ、2011年の3.11の後のインタヴューを加えて、2013年に文庫化されたものだ。
本書では、第1章で作家デビュー以前を振り返り、第2章で「奇妙な仕事」から『個人的な体験』までの最初期の作品、第3章では『万延元年のフットボール』から『M/Tと森のフシギの物語』、第4章で『「雨の木」を聴く女たち』から『新しい人よ眼ざめよ』、第5章で『懐かしい年への手紙』から『宙返り』、第6章で「おかしな二人組」三部作と『二百年後の子供』、そして第7章で『美しいアナベル・リイ』『水死』『晩年様式集』を順次取り上げている。
大江自身が語っているので、いくつものエピソードとともに、それぞれの作品への作家の思いを知ることができる。文庫1冊で、半世紀を超える大江の作家人生を辿ることができる。「大江自身による大江入門」だ。とても便利な1冊なので、まずは本書を読んだ。本書を手掛かりに、急がずに、ゆっくり大江作品を愉しもうと思う。現代を読むために大江を読み直そう。