Monday, June 27, 2011

裁かれた差別集団・在特会(法の廃墟39)


京都地裁判決



 東日本大震災と福島原発事故のため首都圏ではほとんどまったく報道されなかったが、四月二一日、京都地裁は、二〇〇九年一二月四日に京都朝鮮第一初級学校に押しかけて差別暴言を撒き散らした「在日特権を許さない市民の会(在特会)」メンバー四人に懲役一~二年(執行猶予四年)の判決を言い渡した。この数年間、各地で差別と暴力をほしいままにしてきた愚劣な犯罪集団に初めて司法による裁きが実現した。


 起訴の対象となったのは京都事件と、二〇一〇年四月一四日に徳島県教組事務所に乱入して暴れた徳島事件の二つであるが、京都事件について判決は大要次のように述べた。


被告人四名は、京都朝鮮第一初級学校南側路上及び勧進橋公園において、被告人ら一一名が集合し、日本国旗や『在特会』及び『主権回復を目指す会』などと書かれた各のぼり旗を掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして、『日本人を拉致した朝鮮総連傘下、朝鮮学校、こんなもんは学校でない』『都市公園法、京都市公園条例に違反して五〇年あまり、朝鮮学校はサッカーゴール、朝礼台、スピーカーなどなどのものを不法に設置している。こんなことは許すことできない』『北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『門を開けてくれ、設置したもんを運び届けたら我々は帰るんだよ。そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ』『ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ』『わしらはね、今までの団体のように甘くないぞ』『早く門を開けろ』『日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか』『お前らがな、日本人ぶち殺してここの土地奪ったんやないか』『約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』などと怒号し、同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」た


これらが、学校の授業運営などを妨害した威力業務妨害罪、朝鮮学校に対する侮辱として侮辱罪、および器物損壊罪と判断された。検察官は名誉毀損罪や脅迫罪を訴因としなかった。また、日本にはヘイト・クライム法がないため、威力業務妨害罪や侮辱罪を適用するしか方法がなかった。差別や虚言がそれ自体として裁かれたわけではない。


 法令の不備、訴因構成のあり方のいずれも限界があり、事案の本質を把握しえていないが、在特会の蛮行に有罪判決が出たことは大きい。



ヘイト・クライム研究会



 京都地裁判決の意義はさまざまな観点で語ることができる。


 第一に、初の司法判断である。在特会による嫌がらせ行為について、朝鮮学校への接近禁止仮処分決定という例はあるが、彼らの責任を問う初の判断である。それゆえ第二に、これまで在特会の犯罪を黙認してきた警察にとっても判決が与える影響は少なくないだろう。第三に、インターネットで在特会を知り、「本音を言っている」とか「新しい動きだ」などと勘違いして安易に同調する付和雷同組が減少することが期待できる。風向きが少しは変わるだろう。第四に、執行猶予四年の間は主犯格による朝鮮学校襲撃は大幅に減るだろう。もっとも、在特会は五月二八日に大阪・鶴橋駅前で街宣を行うなど、他の各地での動きを強めようとしている。違法行為を厳しく監視していく必要がある。


 五月二一日、龍谷大学において第一回ヘイト・クライム研究会が開催され、関心を有する刑事法研究者、平和学研究者、弁護士、市民が参加した。呼びかけは次の通りである。


 「近年、日本における人種差別、民族差別などの差別現象に、ひじょうに過激で卑劣な侮蔑や、暴力を伴う事例が顕著になってきたように思われます。日本国憲法体制の下でも連綿と続いてきた差別が、いわばヘイト・クライム的なものへと変質し始めたようにも見えます。日本社会の現実は、人種差別禁止法の制定に加えて、いまやヘイト・クライム法の検討も必要となっているように思われます。しかし、日本政府は、ヘイト・クライム法を制定するどころか、人種差別禁止法の制定さえ否定しています。法律学にもヘイト・クライム法の制定に否定的な傾向が見られます。それ以前に、日本においてはヘイト・クライムに関する基礎研究が不十分です。そこで、ヘイト・クライムとは何か、なぜヘイト・クライム法が必要なのかについて議論するために、本研究会では、ヘイト・クライム、およびその法的規制に関する基礎研究を行います。」


 二つの報告がなされた。


金尚均(龍谷大学教授)「ドイツにおける民衆扇動罪の動向――『アウシュヴィッツの嘘』処罰の基本問題」。


前田朗(東京造形大学教授)「『人種差別表現の自由』とは何か――ヘイト・クライム処罰と『表現の自由』について」。


 日本ではヘイト・クライム研究が遅れている。英米では一九九〇年頃からヘイト・クライム法制定の動きが始まり、二〇〇九年のアメリカ合州国のマシュー・シェパード法で、ほぼ出揃った。大陸法では、ドイツの民衆扇動罪や集団侮辱罪があり、形式は異なるものの北欧諸国、西欧諸国には該当法令があり、適用事例も多い。東欧諸国にも同種立法が広がっている。アジアやラテン・アメリカの立法は遅れているが、日本のようにまったく法的に対処しない国は珍しい。人種差別撤廃条約第四条が人種差別思想の煽動や人種差別団体の法規制を掲げているので当然である。


 金報告では「アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺はなかった」といった類の発言を処罰するドイツの民衆扇動罪の歴史と現状が明らかにされた。法規定に変遷があり、批判的な見解もあるが、異様な歴史修正主義を許さない姿勢は確立しているといえよう。オーストリア、フランスをはじめ欧州にはいくつも同種の法律がある。


 前田報告では「表現の自由があるので人種差別思想の煽動を処罰できない」という日本政府、および同様の主張をしている憲法学説を検討した。人種差別撤廃委員会が指摘するように、表現の自由を保障するためにこそ人種差別思想の煽動を処罰するべきである。


 京都地裁では被害者が在特会を相手取って提訴した民事損害賠償請求訴訟が続いている。日本政府による朝鮮学校の高校無償化からの除外問題もある。人種差別を規制するための人種差別禁止法が必要だが、加えて、特に悪質な差別行為を犯罪とするヘイト・クライム法も検討する必要がある。ヘイト・クライム研究会では継続して、ヘイト・クライムの本質、定義、規制法の可能性、比較法の研究を続けていく。

Friday, June 17, 2011

頑張ろうニッポン狂騒曲 拡散する精神/萎縮する表現(3)

 「頑張ろうニッポン」の大合唱が続いている。


 三月一一日の東日本大震災、追い討ちの津波、そして「想定外」の「人災」である福島原発事故。桁外れの三重苦に直面して、被災者はもとより、直接の被災者ではなくても、精神的打撃は甚大である。政治・経済・社会が被った損失も計り知れない。誰もが暗澹たる思いにうち震えている状態で、少しでも被災者を励まし、自らを奮い立たせて、復興に向けた歩みを始めなければならない。そのためのシュプレヒコールが「頑張ろうニッポン」である。


 とりわけ目立つのはTV広告だ。震災下、一定程度の自粛を余儀なくされた企業広告のほとんどが、ACジャパン(旧・公共広告機構)の臨時震災キャンペーンに変更された。連日、朝から深夜まで「頑張れニッポン、頑張ろうニッポン、日本はひとつだ、チームだ、団結だ・・・」の大合唱が、二ヶ月以上にわたって延々と続いている。


 その政治的社会的影響力を精確に測定することは困難だが、ACジャパンとマスコミが一体となって作り出した、前例のない「頑張ろうニッポン」キャンペーンの政治的効果は相当長期に及ぶことは間違いない。一九九五年の阪神淡路大震災の時にさえ、これほどの事態は生まれなかった。それゆえ、即座に思いつく政治的社会的影響について少々書き留めておきたい。


 何よりも「頑張ろうニッポン」はナショナリズムの鼓舞煽動である。当事者たちは政治的ナショナリズムを煽るつもりではない。落ち込んだ日本を元気づけるためにやっている。意識的なナショナリズム煽動と同断の批判はしにくいが、ナショナリズム決起につながる効果は否定できない。ナショナリズムの煽動は、具体的には三つの効果を伴う。


 第一に、「強者の論理」の横行である。負けないために、押しつぶされないために、確かに「強くなる」ことが必要だが、人々が強者の論理を内在化させると、強いリーダを求める政治意識が培養される。東京都知事選挙における石原慎太郎四選もその一現象だ。ここでの「強さ」は人間的精神的能力ではない。空威張りと暴力的な強さがアピールしてしまうのはポピュリズムゆえの勘違いである。勘違いが持つ政治的効果は残念ながら実に大きい。


 第二に、権力と財力の論理、資本の論理として具体化される上からの「頑張ろうニッポン」は、「情報強者」の情報隠しを容易にする。日本政府や東京電力が原発事故に関する情報を意図的に隠したとは言わない。実際は、混乱の中で情報がない、情報の意味がわからない、分析力がない、だけのことだっただろう。意図的に隠蔽するだけの才覚すらなかったと見るべきだ。しかし、長期にわたって情報が正確に伝えられないまま、国民は日本政府や東京電力と一体となるべき存在として再編されてしまう。現に存在する矛盾が隠蔽される。自覚的な「反(脱)原発論者」は別として、多くの国民が東京電力を批判的に見る姿勢を奪われてしまう。かくして「頑張ろうニッポン」は、「直ちに健康に影響のない放射能」とやらの下で「癌になろうニッポン」(萩尾健太弁護士の言葉)に転化する。


 第三に、ナショナリズムが社会に蔓延すれば、やがて排外主義や差別に繋がることは、何度も繰り返されてきたことである。異なる者の無視、異なる者に対する不安が、外国人への眼差しを厳格化させる。「小さな差別」の容認、黙認が始まる。在留外国人のうち短期滞在者のかなりの部分が帰国・離日したといわれるが、日本に在留し続けている外国人も少なくない。朝鮮や韓国からの被災者支援の事実はほとんど報道されず、アメリカによる「トモダチ作戦」だけが大々的に報道される。


 こうして社会の自己破壊が始まる。一人ひとりが生きる場での復興を必要としている被災者を置き去りにした政治劇の世界だからだ。一人ひとりの生きた人間の存在を無視した放射能ばら撒き政治が、人間の創造性を奪い、社会の治癒力を損なう。矛盾を拡大しながら同時に矛盾を隠蔽するアクロバティックな笑劇はいつまで続くのだろうか。



「マスコミ市民」2011年6月号

国際法の都ハーグ(二) 旅する平和学(40)

 ハーグが国際法の都になった要因の一つは、一八九九年にハーグ平和会議が開催され、ハーグ条約が締結されたことにある。一九〇七年にはハーグ陸戦法規慣例条約(規則)が採択され、後の国際人道法の基礎となった。世界会議から百年後の一九九九年には、第三回ハーグ平和会議が開催された。一九九〇年代には旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷、二一世紀には国際刑事裁判所が置かれることになった。



旧ユーゴ法廷



 一九九一年、かつては東欧社会主義圏における独自の自主管理社会主義を誇ったユーゴスラヴィアが崩壊しはじめた。ユーゴ崩壊過程は複雑な経路を辿ったが、世界を驚愕・震撼させたのは崩壊序幕を彩った「民族浄化」であった。民族浄化とは、一定の地域に共存してきた複数の民族のうち特定の民族を排除して、単一民族社会を構築しようとする思想・政策・行動である。直接的な方法としては、迫害、暴力、殺人、強制移送が用いられる。組織的強姦や強制妊娠という手段も用いられる。歴史的にはさまざまな民族浄化があったが、具体的にはボスニア紛争において、諸民族・諸集団が政治的主導権を握るために採用した政策といわれる。この言葉を広めたのはアメリカの広告代理店であったため背後の陰謀を指摘する声もあるが、後の裁判によって数々の蛮行の事実が証明されている。


 旧ユーゴ紛争を前に、国連安保理事会は一九九三年五月、非軍事的措置の一貫として旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)の設置を決議した。一九九一年以後に旧ユーゴ領域内で行われた民族浄化の諸現象のうち国際人道法に違反したものについて訴追・裁判を行う法廷であり、ハーグに設置された。一九九四年にはアフリカのルワンダで民族大虐殺が発生し、同様に安保理事会決議によってルワンダ国際刑事法廷(ICTR)がアルーシャ(タンザニア)に設置されたが、控訴審はハーグに置かれた。


 ICTY設置については、さまざまな観点での議論がなされた。第二次大戦後のニュルンベルク国際軍事法廷と極東国際軍事法廷(東京裁判)以来四〇年間空白となっていた国際刑事裁判が再始動したからである。ニュルンベルク・東京裁判に引き続き設置されるべきだった国際法廷の再発足として高く評価されたが、他方、安保理事会にそのような権限があるのかとの疑問も提起された。ICTY発足時には被告人の身柄拘束が実現せず、裁判も不十分との厳しい批判が続いたが、一九九七~九八年頃から裁判が本格的に行われるようになった。他方、被告人の身柄拘束のためにNATO軍が出動するなど軍事力に頼った事実も批判されている。さまざまな制約と疑問点のある法廷だが、歴史的にはひじょうに大きな役割を果たした。


 第一に、旧ユーゴ領域における平和構築にとってICTYが果たした役割は否定できない。第二に、フォチャ事件やセレヴィチ事件などで、集団強姦など戦時性暴力が人道に対する罪として裁かれた。性暴力判決の積み重ねはその後の国際人道法の発展に影響を与えた。ICTRも、ジェノサイドの罪を認めた史上初の判決を出し、戦時性暴力がジェノサイドに当たることを認めた点で画期的であった。第三に、手続きにおける証人保護の試みが始まった。第四に、ICTY・ICTRの発足に伴って、特定地域や特定時期だけではなく世界の戦争犯罪など重大犯罪を裁く国際刑事裁判所が必要であるとの国際世論が急速に高まり、国際刑事裁判所の設立につながった。



国際刑事裁判所



 ニュルンベルク・東京裁判の後、国連国際法委員会などにおいて国際裁判所設置の試みが続いたが、冷戦・東西対立によって頓挫した。その後の四〇年の空白の時代に、国際人権法が飛躍的に発展する一方、一九七七年のジュネーヴ諸条約追加議定書によって国際人道法も大きく発展した。しかし、空白は続いた。一九九〇年代になって、ICTY・ICTR設置を決めた国際社会はようやく国際刑事裁判所設立の議論を再開し、一九九八年七月、ローマ全権外交官会議において国際刑事裁判所規程を採択した。規程は、六〇カ国の批准によって二〇〇二年七月一日に発効し、ハーグに国際刑事裁判所(ICC)が設置された。


 ICCは、侵略の罪、集団殺害罪(ジェノサイド)、人道に対する罪、戦争犯罪についての個人責任を裁く常設裁判所である。ジェノサイドは、一九四八年のジェノサイド条約と同様の定義をしている。人道に対する罪については、広範又は組織的な殺人、せん滅、奴隷化、性奴隷制などの性暴力、拷問、迫害、アパルトヘイト、強制失踪などが列挙されている。裁きだけではなく、被害者補償のためのガイドラインをつくり、被害者信託基金も置いている。


 ICCの構成は、検察局と、裁判部(予審部、一審裁判部、上訴裁判部)がある。弁護士については、ICCでの弁護を担当するための組織が別に活動をしている。


 二〇〇九年、コンゴ民主共和国における虐殺に関して初の裁判が始まった。また、スーダン・ダルフール事件についてバシル大統領に対する国際逮捕状が発行された。予審部には中央アフリカ事件、ウガンダ事件も係属している。


 ICCは普遍的管轄権を行使する初の刑事法廷として試行錯誤を重ねているが、国際政治における障害も無視できない。第一に、アメリカ、ロシア、中国という大国が参加していない。締約国は一一四(二〇一〇年一一月)だが、超大国の参加がない。第二に、アメリカは参加しないだけではなく、自国民をICCに引き渡させないために二国間免責協定を多くの諸国と結んでいる。第三に、ICCがこれまで取り上げてきたのはコンゴ民主共和国、スーダン、中央アフリカ、ウガンダのため、アフリカ諸国からは差別的な取り扱いではないかとの批判が起きている。


世界のNGOは、ICCに対してアフガニスタンやイラクにおけるアメリカの犯罪や、パレスチナなどにおけるイスラエルの犯罪を告発し、資料を送ってきた。イスラエルによるレバノン空爆やガザ空爆についても、さまざまな国際調査団がICC付託の勧告を出している。しかし、アメリカ及びイスラエルについてICCが動き出す可能性は低いと見られている。イギリスはICC規程を批准しているので、ブレア元首相のイラク戦争に関する責任も問題になりうるが、ICC側に動きはないようである。


ICC規程は裁判所構成法・裁判法・実体刑法・刑事訴訟法を定めた国際条約であるが、その意義はさらに各国国内法にも及んでいる。例えば、ドイツはICC規程批准に伴って国内法を改正して、ICC国際犯罪を国内犯罪としても認めた。日本は二〇〇七年にICCに加わったので、それに伴う国内法の見直しがなされるべきだったが、行われていない。国際刑法研究は進展しているので、今後、国際人権法、国際人道法、国際刑法の国内法への影響が見込まれる。

国際法の都ハーグ(一) 旅する平和学(39)

 ハーグ(オランダ)には、国際司法裁判所と国際刑事裁判所が置かれている。国際刑事裁判所設置の際、いくつかの都市が名乗りを上げようとしたが、ハーグが名乗りをあげるや国際社会の大勢は直ちに決した。国際法の都という地位がすでに確立していたからだ。


国際人道法は、ハーグ法とジュネーヴ法の二つに分けて説明される。ジュネーヴには赤十字国際委員会や軍縮会議が置かれているし、ジュネーヴ捕虜条約、一九四九年のジュネーヴ諸条約などもある。とりわけ国連欧州本部では人権理事会が開かれ、人権高等弁務官事務所が置かれているので、ジュネーヴは国際人権法の都となっている(本誌二〇一〇年五月号~七月号)。



ハーグ法


 


 ハーグもまた国際人道法の都として知られる。『赤十字の諸原則』(一九五五年)、『赤十字の基本原則解説』(一九七九年)、『国際人道法の発展と諸原則』(一九八三年[井上忠男訳、日本赤十字社、二〇〇〇年])を著した赤十字国際委員会のジャン・ピクテは、最初に国際人道法に関する基本的な考え方を解説している。


第一に、国際人道法の目的は、敵対行為を制限し、その苦痛を軽減することにある。人道という理念に由来するもので、武力紛争時において個人を保護することが目的となる。かつての「戦時国際法」がそのまま国際人道法になったわけではない。戦時国際法のうち、人道理念にふさわしい諸原則が引用され、発展させられた。ピクテが初めて人道法という用語を提案したとき、法的概念と道徳的概念が混同されているという指摘があったという。確かに、国際人道法は道徳(人道的関心)を国際法に転換したものであるが、単に混同したのではない。


第二に、ジュネーヴ法、あるいは人道法は、戦闘外にある軍隊の構成員や、敵対行為に参加しないその他の人々を保護するためにある。赤十字国際委員会の発案と努力で形成されてきたもので、一八六四年や一九二九年のジュネーヴ捕虜条約、一九四九年の四つのジュネーヴ諸条約、一九七七年の二つの追加議定書がジュネーヴ法と呼ばれる。武力紛争時において人々を保護する規範を約六〇〇条に及ぶ法体系に法典化したものである。


第三に、かつて戦争法とも呼ばれたハーグ法は、作戦行動中の交戦者の義務と権利を規定し、敵に危害を加える手段の選択を制限する。一八九九年のハーグ会議及び一九〇七年のハーグ会議で採択されたハーグ条約を基本とする、使用を禁止された兵器など戦闘行為を規制する法体系である。ここでは軍事的必要性や国家の維持が前提となっている。初期のハーグ法の一部はジュネーヴ法に移行され、人道的な観点で共通するという意味で合流するようになってきた。


第四に、国際人道法と人権法の関係を見ると、人権法の目的は個人に対し、あらゆる場合において基本的人権と自由の享受を保障し、社会的な害悪から個人を保護することにある。人道法と人権法は、成文法としては別個の起源をもち、それぞれ発展してきたが、思想史的には、同じ歴史的、哲学的な起源を有する。どちらも人間を不正な暴力から守るために生まれたものであり、密接な関係にあるが、別個のものであり、相互に補完しあう。



国際司法裁判所



 国連憲章第一四章が国際司法裁判所の設置を定めている。「国際司法裁判所は、国際連合の主要な司法機関である。この裁判所は、附属の規程に従って任務を行う。この規程は、常設国際司法裁判所規程を基礎とし、且つ、この憲章と不可分の一体をなす」(憲章九二条)とされ、国連加盟国は当然に国際司法裁判所規程の当事国である(九三条)、国家による提訴に加えて、国連総会や安保理事会なども国際司法裁判所に勧告的意見を求めることができる(九四条)。


 国際司法裁判所規程(一九四五年)は、裁判所の構成、裁判官候補者の指名手続き、裁判官の選挙、開廷、裁判所の管轄権、用語、弁論手続き、判決などについて定めている。


 「裁判所は、徳望が高く、且つ、各自の国で最高の司法官に任ぜられるのに必要な資格を有する者又は国際法に有能の名のある法律家のうちから、国籍のいかんを問わず、選挙される独立の裁判官の一団で構成する」(二条)とされ、一五人の裁判官で構成されるが、そのうちのいずれの二人も、同一国の国民であってはならないとされる(三条)。


 裁判所の管轄は、まず「国のみが、裁判所に係属する事件の当事者となることができる」(三四条一項)とされる。国家間の紛争を解決することが主要な任務の一つである。「裁判所の管轄は、当事者が裁判所に付託するすべての事件及び国連憲章又は現行諸条約に特に規定するすべての事項に及ぶ。この規程の当事国である国は、次の事項に関するすべての法律的紛争についての裁判所の管轄を同一の義務を受諾する他の国に対する関係において当然に且つ特別の合意なしに義務的であると認めることを、いつでも宣言することができる」とされ、具体的には、ⓐ条約の解釈、ⓑ国際法上の問題、ⓒ認定されれば国際義務の違反となるような事実の存在、ⓓ国際義務の違反に対する賠償の性質又は範囲、について判断を下す。また、「裁判所は、付託される紛争を国際法に従って裁判することを任務とし、次のものを適用する」。ⓐ一般又は特別の国際条約で係争国が明らかに認めた規則を確立しているもの、ⓑ法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習、ⓒ文明国が認めた法の一般原則、ⓓ法則決定の補助手段としての裁判上の判決及び諸国の最も優秀な国際法学者の学説。


国際司法裁判所は数々の国際紛争について判断を下してきたが、ここで特筆するべきは、核兵器の使用に関する判断である。一九九六年七月八日、国際司法裁判所は、国連総会の要請に応じて勧告的意見を示した。核兵器の使用や核兵器による威嚇を認める慣習国際法は存在しないが、核兵器の使用や核兵器による威嚇を禁じる慣習国際法も存在しないとしたうえで、全員一致で、国連憲章第二条四項(威嚇・侵略の自制)に反し、第五一条(自衛権)の条件を満たさない核兵器の使用や核兵器による威嚇は違法であるとした。さらに、核兵器による威嚇や核兵器の使用は、核兵器に関する条約のみならず、武力紛争に適用される国際人道法を侵してはならないと判断した。評価が分かれたのは、国際法の現状を考慮すると、国家が存亡の危機にある時の自衛のための核兵器による威嚇や核兵器の使用は、合法か違法か結論できないとした点である。賛成七、反対七の可否同数であった。もっぱら自衛のための核兵器の使用とはいかなる自体か不明である。この点で限界があるが、国際司法裁判所が核兵器の使用について一定の見解を示したことは画期的であった。

Thursday, June 16, 2011

虚妄の民衆思想(3)


昨夏、私は、花崎皋平『田中正造と民衆思想の継承』(七つ森書館、2010年、以下「本書」)を読んで、非常に違和感を感じたため、そのことをブログにおいて表明したうえ、夏から秋にかけて、あるミニコミに「虚妄の民衆思想」という文章を書き、その全文を私のブログにアップし、いくつかのMLでご案内しました。


http://maeda-akira.blogspot.com/2010/09/1.html


http://maeda-akira.blogspot.com/2010/11/blog-post_22.html



本年1月19日、中野佳裕さんは、ML[civilsocietyforum21]に「季刊誌『環』 44 号:花崎皋平さんに関する書評。」を投稿しました。



*その書評は、中野佳裕「花崎皋平著『田中正造と民衆思想の継承』――その思想形成を内在的に理解する異色の書」『環』44号(2011年)378~381頁。



中野さんの書評を拝読しましたが、基本的に同意できませんでした。発想が根本的に異なるのだろうかと考えざるをえませんでした。すぐに私の感想を投稿するつもりだったのですが、仕事の忙しさにかまけて投稿しないままに終わりました。また、雑誌が手元に見当たらなくなったため、断念していました。しかし、最近、同雑誌がみつかり、改めて中野さんの書評を目にすることができたので、遅ればせながら感想など書き連ねてみます。



(以下、敬称略)



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中野の書評は3つの部分から成ります。



まず「著者の田中正造研究の集大成」において、「洋の東西を問わず、思想の優れた読み手は、思想書の論理構成の分析に終始することなく、その思想を成立させる根拠にある深い精神性の領域へと入り込むことに長けているように思われる。思想のもつ精神性をわたしたちが直面する現実に対する批判へと転化し、これまでとは異なる形で世界を見つめ、これまでとは異なる行為を起こす契機を開いていく。思想を読むという行為は、『批判』『実践』『解放』のトライアングルを螺旋的に反復する運動そのものである、と言えよう」というスタンスが開示されています。そのうえで、中野は、花崎について「思想を読むことの根本的な意味を十分に理解し、思想と運動との間に良質な循環を起こす独自の哲学の構築を模索してきた人である」とし、「世界のポスト開発思想と問題意識と展望を共有するだけでなく、日本とアジアの民衆運動・思想の独自性と可能性に光を与える無二の貢献を行っている」と位置付けつつ、本書が花崎の田中正造研究の集大成であるとしています。



続いて「実践の中で形成された民衆思想」と題して、中野は、「民衆思想」という言葉に「日本の社会像を構想することを含意する言葉」という側面を確認しつつ、「近現代の日本思想史を、一九六〇・七〇年代から正造の時代へ、そして正造の時代から再び現代へ、と反復する身振りが見られる」とし、正造の思想形成の独自性と花崎の思想形成の独自性、それぞれの独自性とともに、継承や交錯をもからめながら発展的に理解しています。「民衆の生活経験に寄り添いながら思惟する過程の中で、既存の西欧近代民主主義思想や立憲政治制度の衣を脱ぎ去り、より普遍的で深遠な生存の問いへと向かった一人の実践家」としての「花崎/正造」像を描きます。



最後に中野は「サブシステンスの領域に見出される霊性」と題して、キリスト教の影響を受けた正造が、晩年には「民衆の土着の経験の深みにおいて世俗の権力や近代の経済的価値観には還元されないより普遍的な価値――善、正義、聖性――を見出す」、「人間の生存基盤(サブシステンス)という最も基礎的な物質的領域に、もっとも深遠で神聖な霊性を見出している」としています。最後に、中野は、本書あとがきにおける花崎の主張に賛同して、正造の思想は「アジア地域の周辺において未だ実践されているさまざまな民衆運動を再評価し、経済グローバル化に代わって生命の様式の多様性を重んずるアジア独自の民衆世界を築く重要な布石となるであろう」とまとめています。



中野の書評は、限られた分量(4ページ分)で、内容・エッセンスを紹介して、書評者の思索を展開するという意味で、よくできた書評です。著者の意図を正しく把握して、正しく伝えようとするものです。加えて、著書の受け売りだけに終わることなく、本書を日本の近現代思想史に位置付け、今後の展望の中につなげるという問題意識も示されています。



しかし、疑問もあります。私は前述の「虚妄の民衆思想」において、花崎「民衆思想」について、第1に、正造や貝沢の評価をめぐって、アジアに対する「侵略容認の民衆思想」であること、第2に、正造の「妾」問題や、正造の実践をめぐって「女性差別容認の民衆思想」であることを指摘しつつ、花崎の「民衆思想」に疑問を呈しておきました。



ここでの批判は、もっぱら、本書、花崎『田中正造民衆思想継承』に対するものです。花崎の著作全体を取り上げてはいません。花崎がほかの著書において、長年にわたって取り組んできた運動と思想について開陳していること、そこにおいて日本によるアジア侵略を批判し、女性差別を批判してきたことはよく承知しています。私自身、長年にわたって花崎の著作の読者であり、大いに学ぶべきと考えてきました。



さて、「虚妄の民衆思想」では省略しましたが、それ以前にブログに書いた「結論」を引用しておきます。



<以上、今や社会運動と民衆思想の権威であり、全国にたくさんの教徒をもつ著者の「40年以上にわたるライフワークの集大成」を読んできました。正造、前田、安里、貝澤の思想のそれぞれに学ぶべきところがたくさんあることは、著者が紹介している通りでしょう。しかし、民衆とは何かを考えた時、民衆が民衆であるが故に正当であるという発想は厳しく戒める必要があります。民衆はファシズムの担い手になることもあれば、侵略の手先になることもあるのです。「侵略容認の民衆思想」「女性差別実践の民衆思想」--このことに自覚的であり、自ら問い続けることがなければ、無残で滑稽で危険な民衆思想しか生まれようがありません。>



なお、私はブログでは「花崎教徒」という言葉を使いましたが、実際、何人もの日本人から「花崎先生を非難するとはけしからん」という実に低レベルな意見を受け取りました。彼らはまさに「花崎教徒」であり、問題外です。日本人で、私見に基本的に賛同を示したのはわずか1人でした。在日朝鮮人からは5人以上、趣旨に賛成との意見をもらいました。



残念なのは、私に対する批判の中に、議論に値するようなまともな批判が一つもなく、「花崎先生を貶めるな」「あなたに花崎先生を批判する資格があるのか」といった水準のものしかなかったことです。



さて、中野の書評は、花崎の積極面を適切に評価し、測定しています。その点に異論をさしはさむつもりはありません。私が疑問に思うのは、中野が花崎の思想を全体としてどのように把握しているのか、です。



私は、花崎民衆思想がアジア侵略容認の民衆思想であると批判していますが、そのことによって花崎の全思想を否定するつもりはありません。花崎の生涯、業績は貴重なものであり、学ぶべきことが多いことを否定しません。私にとって重要なのは、そのような花崎の「集大成」においてアジア侵略容認記述がなされているのはなぜなのか。それが花崎の思想全体の中でいかなる位置にあり、いかなる意味を有しているのか、です。換言すれば、花崎の民衆思想の積極面と、そこににじみ出てしまった消極面とはいかなる関係にあるのか。両者は花崎のインナースペースにおいて、どのようにスパークしているのか。その矛盾は何を引き出すことになるのか。あるいは、もしかして両者が矛盾なく同居しているとすれば、それをどのように理解するべきなのか。女性差別についても同じことが言えます。



そもそも「花崎/正造」に侵略容認の一面を見ること自体、中野は認めないのかもしれません。あるいは、それを認めつつも、開発学の研究者である中野にとっては、それはさして重要ではないと考えられているのかもしれません。しかし、戦争認識にしてもジェンダー認識にしても、これは花崎の「民衆思想」の根幹にかかわるはずであり、一言でいえば致命的欠陥であると、私は考えます。



繰り返しますが、ある思想家の言説の中に許容しがたい否定的な個所があることをもって、その思想家を全否定するのは適切ではありません。全体から切り離して、そのことだけを非難するのは適切ではありません。しかし、その否定的言辞が、思想の根幹にかかわる場合、それが思想全体の中でどのような位置にあるのかを問わないことは、思考停止というしかありません。



中野の書評に即して、さらに問いを立ててみます。



第1に、中野は、花崎の本書を、正造「思想形成を内在的に理解する」ものと位置づけています。戦争認識やジェンダー認識を問うことは正造の思想にとって外在的なのでしょうか。花崎の思想にとって外在的なのでしょうか。



第2に、中野は「思想を成立させる根拠にある深い精神性」や「思想のもつ精神性」について語ります。本書にそのような側面を見出すことができることに、とりあえず異論はありません。しかし、その「精神性」とは、「深さ」とは何を意味しているのかこそが重要です。「思想を読むという行為」は、「花崎/正造」の限界を見極めることでもありうるのではないでしょうか。



第3に、中野の言う「民衆思想」とは何でしょうか。私はすでに「花崎/正造」の「民衆思想」が、民衆の中からではなく、民衆の外から登場していることに疑念を呈してきまた。他方、中野は、「名もなき民衆の日常生活において長年培われてきた世界観・知恵・実践を、学者や官僚が用いる専門知識としての哲学・思想と同等の、いやそれ以上に重要な思想として承認し、これら土着の思想文化に基づいて望ましい日本の社会像を構想することを含意する言葉である」と明示しつつ、花崎の正造像を「民衆の生活経験に寄り添いながら思惟する過程の中で、既存の西欧近代民主主義思想や立憲政治の衣を脱ぎ去り、より普遍的で深遠な生存の問いへと向かった一人の実践家の姿である」としています。ここでは、知の「専門性」に対する「民衆性」と、「西欧近代民主主義思想」に対する「民衆性」が、おそらく不可分のものとして重ね合わせられています。そのような民衆思想を構想し、実践することの重要性について私は同意します。しかし、同時に、中野が「民衆の生活経験に寄り添いながら」と語る時、いささかの疑念を呈さずにはいられません。誰が、なぜ、いかなる資格で「民衆の生活経験に寄り添う」のか。言葉尻をとるわけではなく、これは中野の「民衆思想」とは何なのか、中野自身の専門である開発学とは何なのかを考えるとき、重要な意味を持つはずです。



私はこれまで数々の民衆運動に参加し、民衆法廷運動を提案し、主催し、参加してきました。私の専門である人権論や戦争犯罪論は、民衆運動としての、民衆運動の中での研究です。非国民研究とその運動も、無防備地域宣言運動も、最近取り組んでいる東アジア歴史・人権・宣言運動も、いずれも民衆自身による権利運動であり、平和運動です。民衆以外の誰にも寄り添ってもらう必要がありません。中野/花崎/正造の「民衆思想」を否定するつもりはありませんが、私の考える民衆運動とは無縁の存在であるのだろう、と感じます。先に示した暫定的な結論を再引用して、この文章を閉じます。



<民衆が民衆であるが故に正当であるという発想は厳しく戒める必要があります。民衆はファシズムの担い手になることもあれば、侵略の手先になることもあるのです。「侵略容認の民衆思想」「女性差別実践の民衆思想」--このことに自覚的であり、自ら問い続けることがなければ、無残で滑稽で危険な民衆思想しか生まれようがありません。>

Sunday, June 12, 2011

平和への権利キャンペーン(無防備地域宣言ネット会報より)

平和への権利世界キャンペーン(一)



人権理事会で発言



 NGOの国際人権活動日本委員会(筆者)は、三月一一日、ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催された国連人権理事会で、平和への権利国連宣言を求める運動の一環として次のように発言した。


 <国際人権活動日本委員会は、本年一月の人権理事会諮問委員会で議論が行われたことを歓迎する。二〇一〇年六月二三日の「人民の平和への権利の促進」に関する人権理事会決議一四/三を歓迎する。


この観点で、日本の裁判所の関連する判決を紹介したい。周知のように、日本国憲法第九条は、戦争の放棄と軍隊不保持を定めている。さらに、日本国憲法前文は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めている。


二〇〇八年四月一七日、名古屋高等裁判所は、平和的生存権は具体的な権利であると認定した。名古屋高裁は、軍事紛争中のイラクで連合軍による武力の行使に伴い日本国自衛隊が空輸活動に参加したことは、憲法第九条に違反する自衛隊の武力の行使に当たると述べた。裁判所が憲法第九条違反を認定したのは、一九七三年九月七日の長沼事件札幌地方裁判所判決以来初めてのことである。また、最終的な確定判決となったのは初めてである。名古屋高裁による平和的生存権の承認も長沼判決以来初めてである。およそ一年後の二〇〇九年二月二四日、岡山地方裁判所も名古屋高裁に続いて、同様の自衛隊イラク派遣訴訟において平和的生存権を認定した。>


若干補足しておくと、第一に、人権理事会は国連機関であり、四七カ国が理事に選出されている(東アジアからは日本、韓国、中国)が、国連経済社会理事会との協議資格を認定されたNGOも参加し、発言することができる。国際人権活動日本委員会は長年の活動の後、二〇〇五年に国連NGO資格を認められたので、筆者は国際人権活動日本委員会の一員として人権理事会に参加し、発言した。


第二に、発言時間はわずか二分間である。以前の国連人権委員会時代にはNGOには五分間の時間が与えられていた。それでも短くて、発言原稿を準備する際には、情報を圧縮し、削除しなければならなかった。今は二分間なので、最低限度のことしか発言できない。欧米のNGOメンバーは猛烈なスピードでしゃべっているが、英語で発言しなければならないので、筆者は無理をせず、最短の原稿を普通の速度で読んでいる。


第三に、発言だけではとうてい伝えられないので、発言が終わったときに、発言原稿と同時に名古屋高裁判決の要旨の英訳を配布した。


なお、右の発言中に人権理事会決議が二〇一〇年六月二三日とあるが、決議採択は正確には六月一七日である。二三日はその決議文が正式に文書として受理された日付である。


三月一四日、同じ人権理事会で、NGOのスペイン国際人権法協会(ダヴィド・フェルナンデス・プヤナ)が、平和への権利国連宣言を求める発言をした。二〇一〇年一二月にサンティアゴ・デ・コンポステラで平和会議が開催され、サンティアゴ宣言が採択されたこと、本年一月の諮問委員会にサンティアゴ宣言を紹介して議論の素材としてもらったこと、今後に向けて平和への権利宣言案起草を開始するべきこと、である。



権利としての平和



 平和への権利国連宣言は、一九八四年に一度採択されている。ところが、二一世紀になって、人類は新たな戦争の時代を迎えてしまった。そこで人権委員会で平和への人権をめぐる議論が始まった。人権委員会を改組した人権理事会でもこの議論が継続された。


 その状況に応じて世界キャンペーンを始めたのがスペイン国際人権法協会である。同協会は、国連人権高等弁務官事務所で活躍したカルロス・ビヤン・デュラン教授が、スペインに戻って設立した新しい協会だが、平和への権利世界キャンペーンに総力を集中している。スペイン語圏を中心に徐々に運動を広げ、国連機関(人権理事会、ユネスコ、各種の条約委員会など)でのキャンペーンを展開してきた。現在、九〇〇を超えるNGOの賛同を得ている。世界キャンペーンの担当者がダヴィド・フェルナンデス・プヤナである。


  人権理事会は、二〇〇八年から二〇一〇年まで三年続けて、人民の平和への権利が重要であり、その内容を豊かにし、確定するために議論を続けるという決議を採択してきた。賛成が三〇カ国ほど、反対が一三カ国ほどである。提案国はキューバであり、賛成には非同盟諸国やロシア、中国が入っている。反対は、アメリカ、EU諸国、日本である。アメリカの反対理由は、平和の問題は安保理事会で議論するべきであり、人権理事会で議論するべきではないということと、人権というものは個人の権利であるのに、人民の権利という団体の権利は認められないというものである。


日本政府も同じような見解であろうと思われるが、世界で唯一、憲法前文に平和的生存権と書いてある国家が、平和への権利の決議に反対するのは疑問である。いったい誰が、どのようにして反対と決めたのだろうか。


平和への権利宣言をつくるということは、国際社会が権利としての平和を認めるということである。


かつて、平和は「戦争と平和」という枠組みで、戦争のない状態とされていた。戦争は主権国家の権限とされた(ただし、不戦条約以後は、主権の制限が始まった)。


これに対して、平和学者のヨハン・ガルトングは、戦争がなくても平和とはいえない場合があるとして、紛争、飢餓、伝染病,基地被害などの「構造的暴力」のない状態を平和と再定義した。


平和への権利は、さらに一歩を進めて、平和を個人の権利かつ人民の権利として再定義するものである。平和を権利として認めると、国家が戦争を行うこと自体が個人や人民の平和への権利を侵害することになる。平和への権利は、国家に戦争させない、戦争協力を拒否する、税金を戦争に使わせない権利となる。




平和への権利世界キャンペーン(二)



 平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会は、ゴールデンウィークにスペインから法律家(カルロス・ビヤン・デュラン、ダヴィド・フェルナンデス・プヤナ両氏)を招いてシンポジウムを開催する準備をしてきたが、三月一一日の東日本大震災とその後の福島第一原発事故のため、キャンセルを余儀なくされた。このため、出版や学習会など国内でのキャンペーンを行うとともに、国連人権理事会諮問委員会からの「質問」に応答する作業を進めている。



日本実行委員会



 本年初頭に日本実行委員会を発足させた。実行委員会は、例えば次の任務を担う(下記は「綱領」や「規定」として確定したものではない)。


国連人権理事会で審議されている「平和への権利」について、日本から議論に加わっていく。
平和への権利、平和的生存権の実現に関心のあるNGOと連携して、国連人権理事会などの国際機関に情報提供を行う。
国連人権理事会における議論を、日本社会に伝え、日本における議論を発展させる。
国連人権理事会における平和への権利の議論をリードしているスペインなどの法律家と協力して、平和への権利国連宣言の採択をめざす。
平和への権利キャンペーンを行っているスペインなどの法律家を日本に招いてシンポジウムを開催する。
日本国内において、憲法九条擁護と平和的生存権の実現に向けたキャンペーンに加わっていく。
これらのために、集会、学習会などを行うとともに、関連書籍の出版も行う。


日本実行委員会共同代表は、海部幸造(弁護士・日本民主法律家協会事務局長)、新倉修(青山学院大学教授)、前田朗(東京造形大学教授)であり、事務局長は笹本潤(弁護士・日本国際法律家協会事務局長)である。連絡先は日本国際法律家協会(JALISA、世界的なNGOの国際民主法律家協会の日本支部に相当する)に置いている。今後幅広く呼びかけ人を募る予定である。


上記のうち①②については、すでに筆者が二〇一〇年八月の人権理事会諮問委員会および二〇一一年三月の人権理事会でNGOとして発言してきた。また、JALISAの塩川頼男理事が中心となって、人権理事会の会期中にNGO主催のパネル・ディスカッションを開催してきた。③④については、筆者や笹本潤事務局長が法律家団体や平和団体の機関誌紙などに報告を続けてきた。スペイン国際人権法協会との連絡も密接に取り続けている。⑤はキャンセルとなったが、本年秋以後の招請を考えている。⑥⑦は遅れていたが、実行委員会発足により、まず出版を実現した(後述)。また、出版を機に学習会を企画して宣伝を始めた。春の企画は、四月三〇日・春日井市、五月一四日・東京・西片町教会、五月一九日・青山学院大学など。さらに、四月に「right_to_peaceのブログ」を開設した。



平和への権利の世界初の出版



四月下旬に、笹本潤・前田朗編『平和への権利を世界に――国連宣言実現の動向と運動』(かもがわ出版)を出版した。国連人権機関における平和への権利の議論と、日本における平和的生存権の解釈と実践と歴史を交錯させながら、わかりやすく解説した本である。平和への権利に関する出版は日本でも初めてだが、世界でも初めてのようだ。


というのも、スペイン国際人権法協会は、ルアルカ宣言、ビルバオ宣言、バルセロナ宣言、サンティアゴ宣言や、人権理事会における発言や資料提供など、膨大な資料を作成して活動してきたが、それらを一冊にまとめて出版するには至っていない。このため三月にジュネーヴで相談した際に、プヤナ氏から「これが初めての本になるので、日本語だけではなく、ぜひとも英語の目次をつけてほしい」とリクエストがあった。そこで編集の最終段階で英語の目次を追加した。


 本書は四部構成である。「Ⅰ 平和への権利宣言をつくろう」では、「平和への権利宣言をめざす運動――世界キャンペーンの経過と意義(前田朗)」と題して、基本的知識を概説した。「Ⅱ スペインからの呼びかけ」では、「平和への権利宣言・世界キャンペーン(スペイン国際人権法協会)」と題してスペイン国際人権法協会の見解を紹介した。


 さらに、「Ⅲ 平和的生存権を掲げて」には六本の文章を収めた。


「憲法前文の平和主義にも注目しよう――平和的生存権の学説と判例(清水雅彦)」では、憲法学が平和的生存権という用語をつくり出し、発展させてきたこと、一九七三年に長沼訴訟札幌地裁判決が平和的生存権を正面から認め、三五年後の二〇〇八年にイラク自衛隊派遣違憲訴訟名古屋高裁判決が平和的生存権を認めたことを整理している。


「市民が勝ち取った平和的生存権――自衛隊イラク派兵差止訴訟名古屋高裁判決(川口創)」では、イラク訴訟弁護団事務局長が訴訟の経過と判決の意義を明らかにしている。


「5大陸を平和憲法と平和への権利で埋め尽くそう――平和への権利サンティアゴ会議に参加して(笹本潤)」では、日本国憲法だけでなく、コスタリカ憲法や平和的生存権を認めた韓国の判例も参考にしながら平和への権利の実践的意義を説いている。


他方、「国際刑事裁判時代の平和的生存権(新倉修)」では、国際社会が半世紀の空白を乗り越えて設立した国際刑事裁判所が、侵略の罪、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪を処罰する時代になったこと、それとタイアップして平和への権利が登場している意味を論じている。


「世界の人権NGOとともに――国連人権理事会サイド・イベントを開催して(塩川頼男)」では、人権理事会の会期中にNGO主催で行ったサイド・イベント(パネル・ディスカッション)の様子を紹介している。


「個人でできることから始めよう――ピースゾーンと平和的生存権(前田朗)」では、平和への権利を、個人のレベル(市民的不服従、兵役拒否など)、社会のレベル(ピースゾーン、無防備地域宣言運動など)、国家のレベル(軍隊のない国家二七カ国など)に即して論じている。


 最後に「Ⅳ 資料」として「サンティアゴ・デ・コンポステラ宣言」の翻訳を収録した。宣言の内容を見ると、平和教育の権利、環境権、人間の安全保障、市民的不服従の権利、抑圧に抵抗する権利、軍備縮小への権利(核兵器を含む大量破壊兵器の撤廃禁止)をはじめとする多彩な内容を含んでいる。


 実行委員会では、この取組みを全国各地に広げたいので、学習会の企画があれば声をかけていただければ講師を派遣する態勢を準備している。




平和への権利世界キャンペーン(三)



国内キャンペーン



 平和への権利世界キャンペーンに学び、これに加わるために、日本実行委員会を立ち上げ、国内キャンペーンを開始した。その第一回講演会として、四月三〇日、日本国際法律家協会(JALISA)の塩川頼男理事主催により春日井市で講演会が開催された。JALISAは日本の国際法研究者・弁護士などの組織であるが、同時に世界的なNGOである国際民主法律家協会(IADL)の日本支部にあたる。


 講演者は四人で、いずれも『平和への権利を世界に』(かもがわ出版)の執筆者である。


最初に塩川頼男が、国際人権機関に参加するようになった経過と、平和への権利決議に注目した理由を説明した。塩川は、中部電力による思想差別の被害者であり、中部電力を相手取って差別の責任追及裁判を闘ったが、その一貫として国連人権小委員会に参加する人権ツアーに加わり、国際人権法の重要性を受け止めた。その後、毎年のように人権小委員会に参加して、情報を収集し、日本の状況を国際機関に報告してきた。その中で、人権委員会の平和への権利決議に注目するようになり、人権委員会が人権理事会に再編された後、自らの課題として平和への権利に関するサイド・イベントを開催してきた。サイド・イベントとは、国連人権理事会開催中に、NGOが同じ建物の会議室を借りて開催する学習会、パネル・ディスカッション、映画上映会などである。かつてはNGOフォーラムとか、NGOブリーフィングなどさまざまな呼び方がなされたが、政府主催の会合や国際機関主催の会合もあるので、最近はサイド・イベントという呼び方になっている。


続いて、筆者が平和への権利世界キャンペーンの概要を紹介した(本連載前回までの話と重複するので割愛)。


さらに、新倉修(青山学院大学教授)が、国際刑事裁判所が設立され、侵略や戦争犯罪を裁く時代になってきたことと、平和への権利の関連について思考を展開した。アメリカは国際刑事裁判所に背中を向けて非協力的な姿勢をとり続けている。同様に平和への権利決議に反対投票をしている。国際社会の平和と安全を維持するためには、大国主導の軍事力による平和(恐怖と抑圧による平和)ではなく、国際市民社会の英知を集めた平和作りが必要である。新倉はJALISA会長であり、IADL事務局長でもある。また、二〇〇八年の「9条世界会議」共同代表でもあった。


最後に、日本実行委員会事務局長の笹本潤(弁護士、JALISA事務局長)が、二〇一〇年一二月のサンティアゴ・デ・コンポステラ会議に参加した経験と、二〇一一年三月のジュネーヴにおけるサイド・イベントの内容を紹介した。笹本は、9条世界会議の呼びかけ人でもあり、昨年、コスタリカ留学の経験などをまとめた著書『世界の「平和憲法」――新たな挑戦』(大月書店)を出版している。


 また、笹本は、人権理事会や諮問委員会の今後の動きと、日本からの参加や情報提供について提案した。諮問委員会は「質問表」を公開して、世界のNGOに意見を求めているので、日本の平和的生存権に関連する情報を提供することが重要である。次の人権理事会は六月上旬、諮問委員会は八月上旬にジュネーヴで開催される。



平和的生存権の再構成



 「国際人権法における平和への権利」の議論は「日本国憲法の平和的生存権」の理解にも影響を与える。まだ十分な検討を行っていないが、筆者の思考の基本枠組みを示しておきたい。


 第一に、平和概念の変遷との関係である。(a)古典的平和概念は「戦争と平和」という対概念で組み立てられていた。平和とは戦争のない状態と考えられた。(b)平和学者ヨハン・ガルトングは、戦争がなくても平和とはいえない場合があることに注目して、軍事基地被害、飢餓、貧困をはじめとして平和でない状態があるので、これらを「構造的暴力」と名づけ、平和とは構造的暴力のない状態と考えた。(c)これに対して、平和への権利や平和的生存権の思考は、平和を「状態」ではなく「権利」として把握する。「権利としての平和」である。


 第二に、平和主義の二つの側面を見てみよう。(a)憲法9条は、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認という「否定」の形式で書かれている。平和を守るために、戦争をしない、軍隊を持たないという、消極的平和主義である。(b)他方、憲法前文は、恐怖と欠乏から逃れるために、平和的生存権という目的を達成することを日本国民が誓うという形式の積極的平和主義である。平和をつくるために何をなすべきかが問題となる。(c)両者は分断したり、対立させたりするべきではない。9条の消極的平和主義と前文の積極的平和主義とがセットになって、日本国憲法の平和主義が成立する。


 第三に、国際人権法における平和への権利には、さらに多くの内容が盛り込まれている。スペイン国際人権法協会がリードして作成・採択されたサンティアゴ宣言では、平和教育と人権教育への権利、人間の安全保障及び安全かつ健康的な環境で暮らす権利、発展の権利と持続可能な環境への権利、不服従及び良心的兵役拒否の権利、抑圧に抵抗・反対する権利、軍縮の権利、思想・意見・表現・良心・宗教の自由、難民の地位への権利、出移民及び参加の権利、被害者の権利(被害者認定、真実を知る、補償など)、脆弱な状況にある集団の特別規定(女性、子ども、障害を持った人、高齢者、マイノリティ、先住民族など)が定められている。さらに、「平和への権利の実現のための義務」が、国家、国際組織、市民社会、人民、個人、企業、メディアなどにあるとしている。


 日本国憲法の平和的生存権は、従来ともすると「戦争と平和」の文脈に押し込まれたり、「構造的暴力と平和」に着目しても、やはり軍事問題との関連で読まれてきた面がある。なるほど、憲法前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるので、平和的生存権も「戦争と平和」「構造的暴力と平和」の文脈で読むことに根拠がないわけではない。


しかし、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」などの文言や、憲法第三章の基本的人権の諸規定をあわせて読むならば、単に「状態」としてではなく、「権利としての平和」が掲げられ、その権利を自ら実践する積極的平和主義が要請されていることは明らかである。そうであれば、国際人権法における平和への権利の主な内容を、日本国憲法の平和的生存権に読み込むことも可能ではないだろうか。


 この点は、さしあたりの仮説にとどまるが、今後、さらに議論を深めていきたい。



「無防備地域宣言全国ネットワーク会報」掲載

Friday, June 10, 2011

平和への権利世界キャンペーンを日本で

人権理事会で発言




*




 3月11日、東日本大震災とそれに続く津波で東日本地域が恐怖に襲われていた頃、筆者は、ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催された国連人権理事会で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR)の代表として、平和への権利国連宣言を求める運動の一環として次のように発言した。




 <JWDHRは、本年1月の人権理事会諮問委員会で議論が行われたことを歓迎する。2010年6月23日の「人民の平和への権利の促進」に関する人権理事会決議14/3を歓迎する。この観点で、日本の裁判所の関連する判決を紹介したい。周知のように、日本国憲法第9条は、戦争の放棄と軍隊不保持を定めている。さらに、日本国憲法前文は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めている。2008年4月17日、名古屋高裁は、平和的生存権は具体的な権利であると認定した。名古屋高裁は、軍事紛争中のイラクで連合軍による武力の行使に伴い自衛隊が空輸活動に参加したことは、憲法第9条に違反する自衛隊の武力の行使に当たると述べた。裁判所が憲法第9条違反を認定したのは、1973年9月7日の長沼事件札幌地裁判決以来初めてのことである。また、最終的な確定判決となったのは初めてである。名古屋高裁による平和的生存権の承認も長沼判決以来初めてである。およそ1年後の2009年2月24日、岡山地裁も名古屋高裁に続いて、同様の自衛隊イラク派遣訴訟において平和的生存権を認定した。>




人権理事会は国連機関であり、47カ国が理事に選出されている(東アジアからは日本、韓国、中国)が、国連経済社会理事会との協議資格を認定されたNGOも参加し、発言することができる。NGOの発言時間はわずか2分間である。かつて人権委員会の時代は5分だったが、今は2分しかない。事前に発言原稿を用意して大急ぎで読み上げることになる。発言だけではとうてい伝えられないので、発言が終わったときに、発言原稿と同時に名古屋高裁判決の要旨の英訳を配布した。




発言を終えて、会場隣の喫茶店でコーヒーを飲んでいたところ、知人が「日本は大地震でひどいことになっている」と教えてくれた。もっとも、その時点では普通の大地震程度にしか考えていなかった。




3月14日、同じ人権理事会で、NGOのスペイン国際人権法協会(ダヴィド・フェルナンデス・プヤナ)が、平和への権利国連宣言を求める発言をした。2010年12月にサンティアゴ・デ・コンポステラで平和会議が開催され、サンティアゴ宣言が採択されたこと、本年1月の諮問委員会にサンティアゴ宣言を紹介して議論の素材としてもらったこと、今後に向けて平和への権利宣言案起草を開始するべきこと、である。




 この頃には、大地震、津波に続いて福島第一原発事故が悲惨な状況になっていることがわかった。欧米のメディアでは、福島原発事故が歴史的な大事故であることが明瞭に語られていた。ところが、インターネットで日本の状況を見ると、「ただちに健康に影響はない」「安全だ」の繰り返しであった。世界に伝わっている情報が、日本国内には伝わっていないことに不安を覚えた。




平和への権利世界キャンペーンのこれまでの経過については、前田朗「いま平和的生存権が旬だ!――国連人権理事会における議論」本紙218号(2010年9月)参照。




*




日本実行委員会




*




 本年初頭に平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会を発足させた。実行委員会は、ゴールデンウィークにスペインから法律家を招いてシンポジウムを開催する準備をしたが、3月11日の大震災とその後の原発事故のため、キャンセルを余儀なくされた。




日本実行委員会共同代表は、海部幸造(弁護士・日本民主法律家協会事務局長)、新倉修(青山学院大学教授)、および筆者であり、事務局長は笹本潤(弁護士・日本国際法律家協会事務局長)である。連絡先は日本国際法律家協会(JALISA、世界的なNGOの国際民主法律家協会の日本支部に相当する)に置いている。今後幅広く呼びかけ人を募る予定である。




 日本実行委員会実行委員会は、例えば次の任務を担う(下記は「綱領」や「規定」として確定したものではない)。




国連人権理事会で審議されている「平和への権利」について、日本から議論に加わっていく。
平和への権利、平和的生存権の実現に関心のあるNGOと連携して、国連人権理事会などの国際機関に情報提供を行う。
国連人権理事会における議論を、日本社会に伝え、日本における議論を発展させる。
国連人権理事会における平和への権利の議論をリードしているスペインなどの法律家と協力して、平和への権利国連宣言の採択をめざす。
平和への権利キャンペーンを行っているスペインなどの法律家を日本に招いてシンポジウムを開催する。
日本国内において、憲法9条擁護と平和的生存権の実現に向けたキャンペーンに加わっていく。
これらのために、集会、学習会などを行うとともに、関連書籍の出版も行う。




上記のうち①②については、すでに筆者が2010年8月の人権理事会諮問委員会および本年3月の人権理事会で発言した。また、JALISAの塩川頼男理事が中心となって、人権理事会の会期中にNGO主催のパネル・ディスカッションを開催した。③④については、筆者や笹本事務局長が法律家団体や平和団体の機関誌紙などに報告を続けた。はキャンセルとなったが、本年秋以後の招請を考えている。⑥⑦は遅れていたが、実行委員会発足により、まず出版を実現した。




*




平和への権利の世界初の出版




*




4月下旬に、笹本潤・前田朗編『平和への権利を世界に――国連宣言実現の動向と運動』(かもがわ出版)を出版した。国連人権機関における平和への権利の議論と、日本における平和的生存権の解釈と実践と歴史を交錯させながら、わかりやすく解説した本である。平和への権利に関する出版は日本でも初めてだが、世界でも初めてのようだ。




というのも、スペイン国際人権法協会は、ルアルカ宣言、ビルバオ宣言、バルセロナ宣言、サンティアゴ宣言や、人権理事会における発言や資料提供など、膨大な資料を作成して活動してきたが、それらを一冊にまとめて出版するには至っていない。このため3月にジュネーヴで相談した際に、ダヴィド・フェルナンデス・プヤナ氏から「これが初めての本になるので、日本語だけではなく、ぜひとも英語の目次をつけてほしい」とリクエストがあった。そこで編集の最終段階で英語の目次を追加した。本書には次の論稿を収録した。




平和への権利宣言をめざす運動――世界キャンペーンの経過と意義/前田朗




平和への権利宣言をつくるために/スペイン国際人権法協会




憲法前文の平和主義にも注目しよう――平和的生存権の学説と判例/清水雅彦




市民が勝ち取った平和的生存権――自衛隊イラク派兵差止訴訟名古屋高裁判決/川口創




5大陸を平和憲法と平和への権利で埋め尽くそう――平和への権利サンティアゴ会議に参加して/笹本潤




国際刑事裁判時代の平和的生存権/新倉修




世界の人権NGOとともに――国連人権理事会サイド・イベントを開催して/塩川頼男




個人でできることから始めよう――ピースゾーンと平和的生存権/前田朗




さらに、資料として「サンティアゴ・デ・コンポステラ宣言」の翻訳を収録した。




 実行委員会では、この取組みを全国各地に広げたいので、学習会の企画があれば声をかけていただければ講師を派遣する態勢を準備している。




 なお、right_to_peaceのブログ」を参照。