Thursday, January 19, 2023

差別研究はどこまで来たか02

山本崇記『差別研究の現代的展開』(日本評論社、2022年)

差別論を社会運動との関連・交差・協働において再構築しようとする山本は「第3章複合差別に抗う別様な共同性――社会運動の再定位を通じて」において、あらためて「1968年」論の限界を測定する。「1968年」論は「切断の思想」であり、「マイノリティを見出していく」という日本人の主体性を大前提としており、しかも単一史観に立っているという。

だが、1968年当時においても、例えば自主映画『東九条』のように、被差別部落の若者たちと在日朝鮮人の若者たちの出会い・協働が実現した事例がある。山本は映画『東九条』の事例を詳細に紹介・分析して、「別様な共同性」を模索する手掛かりとする。「過去の社会運動のノスタルジアな語りを排すのであれば、研究者には、モノグラフの作成と再帰的コミュニケーションを喚起するための適切且つ実践的なコミットメント=<総括>の場の創出が必要となるのではないか」と自らに問いかける。

「第4章 差別者と被差別者の関係性と対話史」において、山本は「複合差別」と「当事者性」の問題圏に向き合う。上野千鶴子の先駆的な「複合差別」研究を踏まえつつ、「複合差別」論のさらなる深化をめざす。具体的には「同和はこわい考」をめぐる論争、及び「戦後責任」論争を俎上に載せて、「差別/被差別関係の論争史」を読み解く作業である。

「同和はこわい考」が部落解放運動に提起した問題を再整理した山本は、その後の議論において、「差別/被差別関係をめぐる部落問題における葛藤や緊張を経験しながら論を進めてきた時代」が過去のものとされ、「悪しき相対主義と無自覚な本質主義、その隙間を縫う新手の部落差別が出来している」と言う。差別に向き合い「両側から超える」という物言いがなされるが、誰が、いかにして「両側から超える」のか。「<現実>にある関係性を括弧に入れた」議論であってはならない。

1990年代には高橋哲哉と加藤典洋の「戦後責任」論争が展開されたが、そこに加わった論者のうち徐京植と花崎皋平の間で交わされた批判と反批判は、花崎自身による奇妙な文章の大幅書き直しとすれ違いの結果、生産的な論争に発展することがなかった。山本はその経緯を点検し、一定の地平が共有されていたにもかかわらず、対話が成立しなかった経緯を探る。

「『同和はこわい考』や『戦後責任論争』をめぐる議論では、ポジショナリティやレスポンシビリティなどといったキーワードも使われてきたが、倫理主義的な態度・姿勢を求める硬直した議論になりがちであり、一部の研究者やアクティビストによる論争としてしか展開しないある種の『思弁性』を生んできたきらいがある。そのような非実践的且つ倫理的な態度に終始しない批判的対話関係の具体化とその先の実践が必要である。」

「第5章 差別論の比較社会学――各領域の特徴と課題」で、山本は、歴史学、民俗学、人類学、心理学、哲学における差別論に学びながら、社会学の課題を再確認する。

「第6章 コロナ禍における差別論――社会学的アプローチの更新の契機として」では、コロナ禍における「差別の平等な分配」論を素材に、偏見と差別の違いを論じ、差別する「私」への問いを繰り返す。

「第1に、誰もが差別し/差別され得るという視点からの『利己主義』的啓発論は脆弱なものであり、マジョリティ性(構造的非対称性)が不問のままとなる陥穽点を持っている。第2に、差別には前景と後景があり、その前後の過程のなかで悪性化していく。それが、私たちの存在論的認知構造/関係形成の在り方に起因していることに自覚的であること。そして、第3に、差別する『』の心の感染状況を可視化/言語化していくことを恐れず、開示していくコミュニケーションを図っていく必要があること。前述のグッドマンらによる『社会的公正教育』の視点からは、『抵抗』と『再定義』の間での葛藤を続けつつ、自己を変容させる『内面化』に向けた実践が求められているということであろう。この点を第4に加えたい。」

1980年生まれの山本が、現時点で、『同和はこわい考』や『戦後責任論争』をめぐる議論を検証しながら、次の課題を導き出す意欲的な試みを行っている。それぞれの論争当事者からは異論が提出されるかもしれない。私も当時、2つの論争を同時代の論争として受け止め、私なりに考えを深めようとしていたことを思い起こす。

その点では、徐京植と花崎皋平の論争のすれ違いを論じた結論として、次のようにまとめられていることには、私は違和感を感じている。

「『同和はこわい考』や『戦後責任論争』をめぐる議論では、ポジショナリティやレスポンシビリティなどといったキーワードも使われてきたが、倫理主義的な態度・姿勢を求める硬直した議論になりがちであり、一部の研究者やアクティビストによる論争としてしか展開しないある種の『思弁性』を生んできたきらいがある。そのような非実践的且つ倫理的な態度に終始しない批判的対話関係の具体化とその先の実践が必要である。」

「ポジショナリティやレスポンシビリティなどといったキーワードも使われてきたが、倫理主義的な態度・姿勢を求める硬直した議論になりがち」というのは、なぜなのだろうか。「思弁性」や「非実践的且つ倫理的な態度」という表現も、気になる。

というのも、徐京植は「倫理主義的な態度・姿勢」を求めた訳ではない。徐の議論が「思弁性」や「非実践的且つ倫理的な態度」ということもないと思う。むしろ、もっとも実践的だと思う。

花崎皋平は哲学者だが、ベトナム反戦以来、長きにわたってもっともすぐれた実践的思想家として知られる。

もっとも、山本は、徐や花崎のことを上記のように表現したのではなく、徐・花崎論争がかみ合わなかった結果、社会学者の受け止めが「倫理主義的な態度・姿勢」「思弁性」「非実践的且つ倫理的な態度」に流れる傾向があったと言いたかったのかもしれない。

Sunday, January 15, 2023

差別研究はどこまで来たか01

山本崇記『差別研究の現代的展開』(日本評論社、2022年)

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8897.html

<目次>

はじめに 本書の見取り図――問題意識と構成

序 章 差別をめぐる論点

第1部    理論的検討――メカニズム・社会運動・政策

第1章    差別概念の検討――差異のディレンマに向き合う

第2章    差別をめぐるディスコース史

第3章    複合差別に抗う別様な共同性――社会運動の再定位を通じて

第4章    差別者と被差別者の関係性と対話史

第5章    差別論の比較社会学――各領域の特徴と課題

第6章    コロナ禍における差別論――社会学的アプローチの更新の契機として

第2部    実践的検討――規制・予防・被害回復

第7章 差別の規制と法制度の対応

     ――現代における部落差別事象を事例に

第8章 差別解消とソーシャルワーク

     ――隣保館の相談・啓発と支援・予防機能

第9章 差別被害と回復の方途

     ――京都朝鮮第一初級学校襲撃事件を中心に

終 章 反差別と共同性

     ――〈総括〉と再帰的コミュニケーションを通じて

山本は静岡大学准教授で、地域社会における社会的差別・排除の在り様に関するエスノグラフィ、差別・社会的排除に抗するインクルージブな地域社会・福祉・教育の在り様に関する研究をしている。

目次を見れば明らかなように、山本は第1部の理論的検討と第2部の実践的検討の2つの柱建ての下、「差別論/研究の更新」を掲げる。従来の差別論が、個別の実践報告か、抽象度の高い理論研究に偏っていたのに対して、「それらをトータルに捉える際に、社会学という学問領域を軸にしつつも、隣接領域の成果も吸収することに努めた」という。

2016年の障害差別解消法、ヘイトスピーチ解消法、部落差別解消推進法という3つの法律により、法学領域の研究が大いに進展しているが、「社会学はこの点に十分コミットできていない。特に、司法判断(判決)や法律では零れ落ちる差別被害の実態や回復の在り方については積極的な介入があってよい」として、社会学の差別論を「包括的な視点から更新してみたい」という意欲的な試みである。

山本は「序章 差別をめぐる論点」で、主に部落差別を中心にして近年の差別事象を素材に、差別論の論点を確認する。「現代差別の地平――インターネット時代のヘイトスピーチとアウティング」「差別の日常性と処方箋」「差別の実体と関係――部落差別の定義から見る」「カテゴリーの歴史性と可塑性」、「複合差別論の位置」、「属地・属人の位置」、「コミュニティという方法――別様な共同性へ」といった論点を登記し、本書全体を通じて、これらを論じることが予告される。

「第1章 差別概念の検討――差異のディレンマに向き合う」で、山本は「差別の社会理論の課題」を考察する。先行研究を評価しつつも、「社会学的差別論は、(1)差別のメカニズムを含む構造的視点を欠落させていること、(2)差別の是正・解体を求める社会運動の視点を欠落させていること、そして、(3)差別を是正し再生産もする、政策・制度に関する議論を欠落させていることである」という。山本はかつて、1980年代までの研究には以上の視点が見られたが、それが失われていったと見て、この欠落を改めて埋めていくことを課題とする。

まず差別概念の定義が俎上に載せられる。社会学辞典などの定義を検討し、その基礎にアルベール・メンミの定義があることを確認する。個人・集団の差異化、そして「異質性嫌悪」、さらには「他者の拒否」による「差別主義」である。だが、社会学の差別論はメンミの定義を十分に踏まえて展開することなく、権力論や関係論に向かっていったという。

山本は差別の社会理論を構築するために、アイリス・ヤングの「差異の政治」論に向かう。

ヤングは差別概念を論じるために、だがその前に「抑圧」概念の検討に力を入れた。搾取、周縁化、無力化、文化帝国主義、暴力という5つの局面で抑圧を論じる。その背景には「新しい社会運動」があった。運動論としても抑圧に対抗する戦略の構築が課題となる。

メンミとヤングを踏まえて、山本は「差別の包括的な議論に向けて」議論を始める。「差異の政治」の差異化、アンダークラスの分析を経て、主体―近代的個人(普遍主義)―集合的アイデンティティ(文化的差異)という「差異の三角形」を提示する。

そのうえで、山本は「差別論の構造的把握――メカニズム、社会運動、政策/制度」を掲げる。これが本書の基本課題となる。

社会学における差別研究の先行理論状況を把握していない法学研究者にとって、山本の社会学研究をどう見るかは慎重さが求められるが、かつての社会学における差別研究がその理論的な力を喪失し、いま再び差別研究に向き直しているという状況把握は、なるほどと思う。

近年の社会学研究における差別論は多様であり、豊かに見える。だが、同時に差別の歴史や現在の実態を踏まえない研究が目立つことも否めない。ヘイト・スピーチの議論を見ると、差別と差別論の歴史を学ばずに思い付きだけで論じる傾向が多々みられることは、このブログでも私の著書でも、繰り返し指摘してきた。

1章でメンミとヤングに学んだ山本は「第2章 差別をめぐるディスコース史」において、さらに日本の社会学における差別論を点検する。「社会運動を論じなくなった差別論の系譜」という挑発的ともいえる表題で、山本は「現代差別論が辿り着いた先」を論じる。

「『1968年』論による絶対化」では、学生運動史における「1968年」論が差別研究の桎梏になってしまったことを振り返る。197080年代には差別論研究は社会運動研究であった。しかし、その後、理論的に発展した社会学は社会運動から「離陸」し、切り離されていく。「差別論の社会学化」が「社会運動からの離陸」になってしまい、「並列化」「個別化」をもたらしたという。

先行研究を踏まえて、山本は現代差別論の課題を模索するが、重要な契機として登記されるのが、「ヘイトスピーチと反ヘイトのカウンターの登場」である。社会運動としてのカウンターの位置づけは、社会学のみならず、重要な課題となるだろう。レイシズムや反レイシズムの運動と研究を射程に入れた差別論を正面から再構築することが課題となる。

ヤング理論は重要なので、私の『序説』166168頁では、ヤング理論をヘイト・クライム論に応用したバーバラ・ペリー論文を紹介した。

「戦争が廊下の奥に立ってゐた」 「新しい戦前にさせない」連続シンポジューム

「新しい戦前にさせない」連続シンポジューム

2.91回シンポ 「戦争が廊下の奥に立ってゐた」

 

タガが外れたような今日このころ、何かおかしくないですか?

沖縄・南西諸島でなにが起きているのだろうか、沖縄をまた捨て石にするのだろうか

「撃たれたら撃ち返す」のでなく、撃たれないようにできないのか

「抑止力」競争の行き着く先は核武装になるのでは

軍事費倍増で暮らしはどうなるのか

平和を実現するのは「抑止力」か、それとも「非武装」か

米軍は日本を守るのか、軍隊は国民を守るのか 

根底的な問いを考え、戦争への道に抗する声をひろげましょう

大いに議論し、平和をめざすための第一回シンポジューム。

 

と き 29日(木) 615分開場 630分~9

ところ 文京区民センター3A  

文京区本郷4-15-14  

JR水道橋東口から徒歩7分、都営地下鉄三田線春日スグ、丸ノ内線後楽園から徒歩3

 

総合司会   杉浦ひとみ(弁護士) 

主催者挨拶  佐高信

630分~7時 トーク 小室等×佐高信

          *小室等 フォーク・シンガー(六文銭09)                                      

7時~730分 南西諸島からの告発 

山城博治(ノーモア沖縄戦・命どう宝の会共同代表)

730分~850分  <シンポ>安保政策大転換にたちむかう

  山城博治

纐纈厚(山口大学名誉教授)

清水雅彦(日本体育大教授)

福島瑞穂(参院議員)

           質疑討論

850分~9時  「新しい戦前にさせない」運動をひろげよう

       服部良一(社民党・市民共同)

参加費  500円  

 

主催 「共同テーブル」

E-mail: kyodotable@gmail.com

連絡先/藤田09088085000  石河090-60445729

暮らし(いのちき)は武器で守れない

 「新しい戦前にさせない」 共同テーブル・アピール

暮らし(いのちき)は武器で守れない                           

 

暮らしを大分では(いのちき)と呼ぶ。いのちを連想させる味わい深い方言である。政府は憲法9条を捨てて軍備拡大に踏み出そうとしているが、それは生命を削り、暮らしを壊す道である。暮らしと軍拡は両立しない。戦火の消えないアフガニスタンで、中村哲さんは井戸を掘り、暮らしを建て直して平和を築こうとした。憲法9条を持つ日本の中村哲さんはそれまでフリーパスでアフガンを歩くことができた。しかし、イラクへの自衛隊派遣が、その平和のパスポートを奪う。だから、哲さんは国会で「自衛隊派遣は有害無益」と訴えた。軍隊が国民を守らないことは旧満州や沖縄の例で明らかである。

軍備に頼らない平和を求めるために、私たちは「安保三文書」を徹底批判する。暮らし(いのちき)か、軍拡か。三橋敏雄という俳人は「過ちは繰り返します秋の暮」と詠んだが、私たちは愚かな軍拡の道を選ばない。

 

2023年春  

共同テーブル発起人

浅井基文(元広島平和研究所所長・政治学者) 安積遊歩(ピアカウンセラー) 雨宮処凛(作家・活動家) 伊藤 誠(経済学者) 植野妙実子(中央大学教授・憲法学)  上原公子(元国立市長)大内秀明(東北大学名誉教授) 大口昭彦(弁護士・救援連絡センター運営委員) 海渡雄一(弁護士) 鎌倉孝夫(埼玉大学名誉教授) 鎌田 慧(ルポライター) 金城 実(彫刻家) 纐纈 厚(山口大名誉教授・歴史学者) 古今亭菊千代(落語家) 佐高 信(評論家) 清水雅彦(日体大教授・憲法学) 白石 孝NPO法人官製ワーキングプア研究会理事長) 杉浦ひとみ(弁護士)  竹信三恵子(和光大名誉教授・ジャーナリスト) 田中優子(前法政大学総長) 鳥井一平(全統一労働組合・中小労組政策ネットワーク) 前田 朗(朝鮮大学校講師) 宮子あずさ(随筆家)    室井佑月(小説家・タレント) 山城博治(沖縄平和運動センター顧問)

Friday, January 13, 2023

ジェンダー迫害の罪06

国際刑事裁判所の検事局『ジェンダー迫害の罪に関する政策』を簡潔に紹介する。

Ⅶ 捜査

検事局は捜査の最初期段階からジェンダー迫害を注意深く考慮するだろう。資源を有効に活用し、証拠収集・分析、戦略的計画・意思決定に十分な時間をかけるだろう。

A 準備

検事局は、人権侵害を認定し、犯罪との結びつき、集団構成員が標的とされたことを認定する。職員はそのための研修を受ける。

職員には、その地域の伝統、宗教実践、慣習、文化、女性・賛成の地位等に通じることが求められる。検事局は、基本権侵害の申立てを検討し、操作に役に立つその他の要因を検討する。これらの問題について情報を提供できる専門家や証人を特定する。専門家チームを任命する。

ジェンダー迫害の効果的な捜査にはネットワークが決定的である。ネットワークを作るには、検事局は予審段階で入手した地域の共同体や市民社会組織についての情報を考慮する。

ジェンダー迫害の被害者や証人に接するには慎重な配慮を要するので、検事局は、操作を支援する関係者から適切な個人を特定する。

捜査の尋問班は、被害者や証人が自ら選んだ代名詞や言語を採用する。通訳・翻訳者も、ステレオ対応を避けるために適切な人選を配慮する。被害者や証人への尋問には入念な準備が必要である。捜査という特別な文脈で、ジェンダー差別行為に言及するので、適切な言葉やコミュニケーション方法を採用する。

B 実務

国際刑事裁判所規程681項に従って、検事局は被害者と証人の安全、心身の健康、プライバシー、尊厳を保護する措置をとる。

国際刑事裁判所規程681項 裁判所は、被害者及び証人の安全、心身の健康、尊厳及びプライバシーを保護するために適切な措置をとる。裁判所は、その場合において、すべての関連する要因(年齢、第七条3に定義する性、健康及び犯罪(特に、性的暴力又は児童に対する暴力を伴う犯罪)の性質を含む。)を考慮する。検察官は、特にこれらの犯罪の捜査及び訴追の間このような措置をとる。当該措置は、被告人の権利及び公正かつ公平な公判を害するものであってはならず、また、これらと両立しないものであってはならない。

検事局は、被害者や証人が直面する脅迫、被害を受けやすいこと、保護と支援の必要性について配慮する。

C 分析

紛争以前の人権の文脈を分析することが、ジェンダー迫害を検討する際に基本権剥奪の指標を評価する役に立つ。実行犯は、差別的ジェンダー規範を用いるからである。既存のジェンダー規範は、ジェンダー迫害行為の抗弁とはならない。ジェンダー規範が国内法で合法か違法かを問わない。

検事局は人権パースペクティブに立って情報収集と分析を行う。その分析がじぇんdな―迫害のパターンをより明らかにする。実行犯は、少女のための学校を爆撃して少女の教育を禁止する。リプロダクティブ医療を否定する。女性家族の必要に応じた会合から家族男性を排除して男性を落としめる。LGBTQI+の文化センターを破壊することでLGBTQI+の価値を毀損する。

検事局はジェンダー迫害行為の交差性分析を行う。

Thursday, January 12, 2023

ジェンダー迫害の罪05

国際刑事裁判所の検事局『ジェンダー迫害の罪に関する政策』を簡潔に紹介する。

要素3:その標的(の選択)は、国際刑事裁判所規程73項に定義されたジェンダーに基づいていた。

ジェンダー迫害の主観的要素は、次の通り。実行犯は、

・基本権の著しい剥奪をもたらそうとし、通常であればその剥奪が生じることを知っていた。

・差別する特別の意図を有していた。

・実行行為が、広範又は組織的な攻撃の一部であることを知っていた、若しくは、広範又は組織的な攻撃の一部となることを意図した。

被告人が国際刑事裁判所規程253項(a)の下で直接の実行犯、共犯、間接実行犯として訴追されない場合、被告人に特別な差別意図があったことが証明される必要はない。しかし、その他の責任形式についての心理的要素は証明を要する。

「動機」及び「意図」の概念は混同してはならない。犯罪実行の動機は、犯罪実行の意図と同じではない。実行犯が欲望ゆえに窃盗をした事実は重要ではない。問題は単純に実行犯が盗みを行うことを意図したか否かである。

基礎になる行為を実行する意図に加えて、ジェンダー迫害について差別的意図が必要であり、証明を要する。個人的動機が差別意図と混同されてはならない。個人的な強姦する動機には、「性的喜び」や強姦する機会が含まれる。この動機は差別意図とは異なる。個人的動機はジェンダーを理由として実行犯が行為を決定することと混同してはならない。差別する意図は、実行犯が、標的とされた集団やその構成員を不平等に扱うことを特に意図した場合に示される。

差別意図は、ジェンダーに基づいてある集団に迫害行為を行う際に証明されうる。実行犯が、ジェンダーを理由に女性も男性も別々に強姦する場合がありうる。実行犯が、女性と少女を「堂さん」や「戦利品」と考えて女性や少女を強姦するかもしれない。同時に実行犯が男性と少年を「女性化する」戦略で、女性のごとく扱うために強姦することもある。

差別意図の証明には、実際に偏見や予断を有していたことは必要ない。実行犯がジェンダーに基づいて行為したことを示せば足りる。実行犯は、女性と少女を奴隷化したり、強制結婚する迫害行為を自分の「権利」と考える場合があり、個人的に偏見を有していたり、被害者を処罰しようとしたわけではないこともある。しかし、この行為はジェンダーに基づいている。

実行犯は、複合的又は交差的な理由から迫害行為を行うことがある。ジェンダー迫害は、政治、人種、国民、民族、文化、宗教その他の理由の迫害といった複合的な形態と交差する。

要素4:実行行為が、国際刑事裁判所規程71項で言及された行為、又は国際刑事裁判所の管轄権の範囲内にあるいずれかの行為と結びついて、行われた。

ジェンダー迫害は、国際刑事裁判所規程71項で言及された行為、又は国際刑事裁判所の管轄権の範囲内にあるいずれかの行為と結びついて行われるとする。ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪、及び侵略の罪である。

ジェンダー迫害は、その他の身体傷害や財産に対する攻撃と結びつきうる。標的とされた集団にとって重要な、歴史、文化、宗教、経済、毛王育、社会センターその他の集会場所、礼拝所、アーカイブ等。これらの破壊がジェンダー迫害にあたることもある。

要素5:実行行為が、文民たる住民に対する広範又は組織的な攻撃の一部として行われた。

要素6:実行犯が、実行行為が文民たる住民に対する広範又は組織的な攻撃の一部であったことを知っていた。

文民たる住民に対する広範又は組織的な攻撃の一部であれば、迫害行為が広範又は組織的であったことの証明を要しない。攻撃の間に迫害行為が反復されたことを要しない。ジェンダー迫害の認定にとって、ジェンダーに基づく犯罪を行う政策や計画があったことの証明を要しない。文民たる住民に対する広範又は組織的な攻撃穴されたことを証明すれば足りる。

攻撃が広範な性格を有したと評価するには、ジェンダー迫害が、共同体や人道に全体として害悪を引き起こすように、多様な被害者をつくりだす事実を考慮する。

Wednesday, January 11, 2023

ジェンダー迫害の罪04

国際刑事裁判所の検事局『ジェンダー迫害の罪に関する政策』を簡潔に紹介する。

Ⅴ 規制枠組み

 検事局は、国際刑事裁判所規程や犯罪の成立要素に従って職務を遂行する。

・職務のすべての段階でジェンダー迫害に効果的に対処するため、規制枠組みの規定を完全に行使する。

・規程を国際人権法及び適用可能な法源に従って解釈・適用する。

・ジェンダー迫害を予審や捜査の目的で事案の分析に取り入れ、迫害のすべての行為の累積的影響を考慮する。

・ジェンダー迫害の交差性アプローチを採用し、訴追戦略にあたって、政治、人種、目民、民族、文化、宗教その他の理由による迫害を考慮する。

国際刑事裁判所規程7条1項(h)の『犯罪の成立要素』は人道に対する罪としての迫害について6つの要素を掲げる。

要素1:実行犯が、国際法に反して、一人又はそれ以上の人から基本権を著しく剥奪した。

要素2:実行犯が、ある集団又は共同体のアイデンティティを理由として、その一人又はそれ以上の人を標的にし、若しくはその集団又は共同体それ自体を標的にした。

要素3:その標的(の選択)は、政治、人種、国民、民族、文化、宗教、国際刑事裁判所規程73項に定義されたジェンダー、又は国際法の下で許容されないことが普遍的に認められているその他の理由に基づいていた。

要素4:実行行為が、国際刑事裁判所規程71項で言及された行為、又は国際刑事裁判所の管轄権の範囲内にあるいずれかの行為と結びついて、行われた。

要素5:実行行為が、文民たる住民に対する広範又は組織的な攻撃の一部として行われた。

要素6:実行犯が、実行行為が文民たる住民に対する広範又は組織的な攻撃の一部であったことを知っていた。

要素1:実行犯が、国際法に反して、一人又はそれ以上の人から基本権を著しく剥奪した。

国際刑事裁判所規程72項(g)は、迫害を「集団又は共同体のアイデンティティを理由として、国際法に反して、一人又はそれ以上の人から基本権を意図的かつ著しく剥奪したこと」と定義する。

国際刑事裁判所規程211項(b)の「適当な場合には、適用される条約並びに国際法の原則及び規則」に従って、世界人権宣言、市民的政治的権利に関する子草規約、経済的社会的文化的権利に関する国際規約、拷問等禁止条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約、障害者権利条約、アフリカ人権憲章、米州人権条約、欧州人権条約、並びに慣習国際法の下でのその他の権利が参照される。

国際刑事裁判所及びその他の国際法廷は、関連する判例法を豊かに形成してきた。アル・ハッサン事件予審部は、広範な基本権侵害を認定した。クルノジェラッチ事件判決、クヴォッチカ事件判決、ブラシュキッチ事件判決、タディッチ事件判決参照。ニュルンベルク裁判は教育の権利や雇用機会の権利の剥奪のような行為が宗教迫害にあたると認定した。

要素1は、犯罪の実行に差別意図があったことを示す。国際刑事裁判所規程のすべての迫害行為が差別から自由である権利の侵害である。国際刑事裁判所規程で禁止された犯罪と差別から自由である権利の侵害が結びつくので、基本権の著しい剥奪となる。

「不処罰を終わらせる」国際刑事裁判所の任務により、検事局は、迫害のすべての行為の累積的結果を考慮する必要がある。国際刑事裁判所規程171項(d)の目的にとって、事案の重大性を評価する。

171項(d)は、「当該事件が裁判所による新たな措置を正当化する十分な重大性を有しない場合」には裁判所が事件を受理しないと定める。

要素2:実行犯が、ある集団又は共同体のアイデンティティを理由として、その一人又はそれ以上の人を標的にし、若しくはその集団又は共同体それ自体を標的にした。

国際刑事裁判所規程71項(h)は、禁止された理由でいずれかの特定される集団又は共同体に対する迫害を犯罪とする。72項(g)は、迫害を「その集団又は共同体のアイデンティティを理由として」国際法に違反して基本権の著しい剥奪と定義する。実行犯は、(1)ある集団又は共同体のアイデンティティを理由として一人の人またはそれ以上の人を標的にするか、(2)その集団又は共同体を標的にしたのでなければならない。

ジェンダー迫害は、人が性的登頂ゆえに標的とされる、及び/又はジェンダー役割、行動、活動及び態度を定義するために用いられた社会構成と基準ゆえに、標的とされなければならない。実行犯によって禁止されたジェンダー基準を有すると考えられた場合や、実行犯によって要求されたジェンダー基準を満たしていないと考えられた場合である。

「犯罪の成立要素」は、標的とされた集団が幅広い概念であると明らかにしている。直接に標的とされた集団の一部である必要はない。標的とされた集団のシンパサイザーでも十分である。この点はンタガンダ事件予審部決定では、「ヘマの住民でない」ことで標的とされたことを民族的理由に基づいたと認定した。シュタキッチ事件判決は「セルビア人でない者」に対する迫害を認定した。もし実行犯が、少女を学校から排除しようとしてある学校を標的としたなら、その学校の教師や職員が標的とされた集団の一部を形成する。

実行犯が、その人を標的とされた集団の関係者であると考えれば十分である。実行犯がある人をゲイやレズビアンであると考えて標的としたならば、その人が実際にはゲイやレズビアンでなくても、犯罪が成立する。実行犯がその人の所属を間違えたことは、その行為の差別的性格を失わせるものではない。

すべての人が何らかのジェンダーアイデンティティを有するので、ジェンダー迫害はすべての人について成立しうる。標的とされた集団には女性、少女、男性、少年、LGBTQI+の人が含まれる。女性も男性もドレスコードのゆえに標的とされる。同性愛者であるとみなされて標的とされうる。

Tuesday, January 10, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(222)侮辱罪の解釈と立法

清水晴生「ヘイトスピーチと侮辱罪」『白法学』272号(2020年)

清水は白鴎大学教授で、刑事法研究者である。11頁の短い論文である。

<目次>

1 川崎市差別のない人権尊重のまちづくりとヘイトスピーチ解消法

2 ヘイトスピーチと侮辱罪の成否

3 ヘイトスピーチと侮辱罪の保護法益

1 川崎市差別のない人権尊重のまちづくりとヘイトスピーチ解消法

清水はヘイトスピーチ解消法第2条の定義規定を引用し、「この扇動を原型、危害告知と侮蔑とを派生型ということもできる。後二者『など』が煽動だと規定されているのである」という(92頁)。「ここにすでにヘイトスピーチの他にはない特徴が表れている」。というのも、「それは抽象的なものに向けられていながら同時に個人にも向けられ、あるいは個人を攻撃することを通じてその全体をも攻撃しようとするものである。このような両面性がある。」(92頁)

ヘイト・スピーチの個人的法益と社会的法益の双方に関連する二面性を指摘している。

 このように二面性を確認するが、清水自身は「まずもって個人的法益が侵害されたか否か」であるとして、個人的法益に限定して、侮辱罪との対比を行う。罪刑法定主義や明確性の原則に照らして、個人的法益としての構成が重要だからである。

 そこで清水は川崎市条例第12条を引用し、「ここでは解消法とは異なり、まず原型の煽動を規定し、その後に派生型だったはずの脅迫と侮辱とが並ぶ。しかし、このような列挙の仕方には十分な意味があるように思われる」(94頁)として、その意味を分析する。

2 ヘイトスピーチと侮辱罪の成否

 清水は、ヘイトスピーチと名誉棄損罪・侮辱罪を対比して、大審院対象5324日判決を読み直す。

 「事案の具体的な処理としても、脅迫の被害者がある寺に対する侮辱をしたことに対して、そこで演説会を開こうとしていた団体の構成員がこれに対抗しただけで脅迫に該らないとはいえないと判示したのであって、いわば単に当該侮辱は、脅迫の加害者個人に対してなされたものではないとしたに過ぎない。つまり名誉棄損や侮辱というのは常に特定された相手に対して行われるものであり、今回の侮辱が向けられた特定の相手は、その団体の構成員たる加害者ではなかったといっているに過ぎないのである。」(97)

 それゆえ、ある家族に対する名誉棄損は個人に対する者に準じることになる。「あの店の奴らは」「あの学校の先生たち」も特定可能である。

 「この種の表現についてはその言辞のみならず、例えば掲げられている画像・映像、どのような場所で行われているかといったことも加味して評価することができる。名指ししなくても、ある団体の建物の目の前で行っていれば、その団体に対する侮辱であることが当然に理解されるという場合が少なくない。」(98頁)

 「一見属性にのみ向けられたような言辞・表現であっても、空間的限定を伴うことにより、それは特定の集団に帰属する個々人に向けられたものとなりうるのである。そして当然いわゆる概括的故意を認めることができる。あとはそのような特定性を支える具体的事実が客観的な証拠によって認定されることを要するというだけであって、刑法231条の侮辱罪にいう『人』を『侮辱した』という構成要件要素の充足に不足するところはないのである。当該言辞・表現が特定範囲の人々・個々人の社会的名誉・社会的評価を低減させるに足りるものと認められれば、名誉毀損罪あるいは侮辱罪の成立を認めることができる。」(99頁)

 このように清水は、現行刑法の侮辱罪が個人侮辱のみならず、集団侮辱をもカバーしていると解釈することで、一定のヘイト・スピーチの可罰性を基礎づける。

3 ヘイトスピーチと侮辱罪の保護法益

 清水は保護法益論の冒頭で重要な指摘をする。

 「ヘイトスピーチはいわば言葉による暴力である。連日聞かされた言辞により精神的障害を負った場合、これを傷害罪に問う余地はある。」(99頁)

 私と同じ主張である。清水はさらに次のように述べる。

 「そのような身体的傷害に匹敵する精神的傷害以前に、その結果の発生に至る前の時点で言葉による暴行でもあるわけだが、言葉による暴行を認めるのは言葉による傷害を認めることよりは困難といえる。これはむしろ脅迫であったり、名誉棄損や侮辱の対象とされる行為と解される。物理力と言論表現とで分けて規定しているものと理解されるからである。」(99頁)

 清水は、ヘイト・スピーチは脅迫罪にあたる場合もあれば、侮辱罪にあたる場合もあるという。侮辱罪にあたる場合について、清水は次のような解釈を施す。

 「これをヘイトスピーチに即してやや詳しく述べるならば、本来多様性の範疇内にあって非難に相当しない属性や事実に対する極端に一方的な評価が公然と喧伝されることで、自己が現に生活する社会の一部に明白に自己や自己の属性、自己の属するコミュニティに対する嫌悪、敵愾心を抱き尚且つ表明する人々が一定数ないし相当数存在していることが示され、そのことにより当該評価が伝播することであるいは更に同調されることで社会的評価の低減を招くおそれ・抽象的危険が生じる。そしてそのおそれの発生により名誉毀損罪や侮辱罪の成立にとっては十分であるところ、それだけではなく延いては名宛人らの精神的平穏及び平等な市民としての自尊心に対する侵害をも結果として惹起するのである。」(100頁)

 「このことをやや図式的にいい換えてみれば次のようにも捉えることができる。即ち、誰しもが自己措定、つまり『自分は何者であるか』という生き方や人生の意味についての問いに対する答えとして自己同一性の画定をしながら生きていく中で、『自分はあれではない』、『自分は○○ではない』という分断を前提とした相対的な自己措定を行うとき、そこでは下層者の措定がなされる。これが公然となされるに至ったとき、措定される側は単に社会的評価に対する侵害を被るというだけではなく、社会の中で保持され自己措定のよすがとしてきた信頼が他者による措定によって破壊されることで、社会内での自己実現をも阻害されることになるのである。即ちこの侵害行為は単に外部的な社会的評価を害するのみならず、外部とも結びついて積み重ねられ形成されてきた人格権をも侵害するのである。つまり、他者からの自己への信頼のみならず、自己自身による自己自身への信頼までが破壊・侵害されるということになる。」(100101頁)

 「この意味では、他者からの自己への信頼・評価・評判が害されるおそれのみで名誉棄損や侮辱が成立することには十分であるところ、外部的事実や素行に対する指摘にとどまらず、特に憲法14条が平等と差別の名の下に掲げるところの『人種、信条、性別、社会的身分』といった重大な人格権侵害を引き起こしうる属性に関連づけて名宛人とした特定集団に属する個々人への名誉棄損・侮辱行為については、それらの罪の加重類型を新たに規定することも理由がないとはいえないことになる。」(101)

 ここでは「加重類型を新たに規定すること」に言及しており、一定のヘイト・スピーチについての立法論となっている。

 以上のとおり、清水は、第1に、一定のヘイト・スピーチについて現行刑法で可罰的であるという解釈論を提示しつつ、第2に、一定のヘイト・スピーチについては加重類型を新たに設ける立法論を唱えている。

 清水の「原型」と「派生型」の理解は独特である。なるほどとも思うが、法務省が提示した3要件を見ていないのかもしれない。実際には次のような関係である。

    ヘイト・スピーチ解消法2条の定義→②法務省の3要件→③川崎市条例12

清水はを抜きに、①と③を対比しているため、そこに独自の解釈を介入させているのだろう。

 清水は、ヘイト・スピーチの「二面性」を指摘しながらも、個人的法益に限定して議論する。また、現行刑法を基準に考えるため、まずは侮辱罪の解釈を展開し、そこでは把握できない部分について加重類型の立法論を展開する。これ自体は合理的な発想だ。

 ただ、清水の議論では、ヘイト・スピーチの本体部分を捉えることは難しい。保護法益だけではない。実行行為を正しく把握できないのではないか。

  ヘイト・スピーチは「ABを侮辱した」という単純な行為では把握しきれない。国連事務総長が公表した「ヘイト・スピーチ国連戦略」が明示しているように、「ABを侮辱すると同時に、Aが公衆に向かって『○○人を差別しよう』と煽動する」のである。後段の差別の助長、煽動はヘイト・スピーチ解消法にも明示されているし、清水自身も「原型」と認識している。

  清水は個人的法益重視の立場から、「原型」の議論を割愛して、「派生型」の議論に集中する。現行法を出発点として解釈を試みる努力は大いに理由があるとはいえ、この方法でヘイト・スピーチの基本性格や実行行為を把握することができるだろうか。

 

 

 

 

ジェンダー迫害の罪03

国際刑事裁判所の検事局『ジェンダー迫害の罪に関する政策』を簡潔に紹介する。

Ⅳ 一般政策

 国際刑事裁判所検事局は、ジェンダー迫害に特に注意を払っている。国際刑事裁判所規程7条に規定されているように、ジェンダー迫害は人道に対する罪であり、ジェノサイド、戦争犯罪、侵略の罪と結びついて行われる。ジェンダー迫害の罪には、常にというわけではないものの、性暴力、身体暴力の形態が含まれる。精神的虐待も含まれる。身体的傷害だけでなく、文化破壊や学校や病院への攻撃も含まれる。

 ジェンダー迫害は、国際法に違反して、基本権を侵害し、差別から自由な基本権を剥奪する。例えば、生命の権利、拷問から自由な権利、奴隷制から自由な権利。刑法の遡及適用から自由な権利。集会・意見・表現の自由、移動の自由、宗教の自由、宗教からの自由。平等、尊厳、身体統合、家族、プライバシー、安全の権利。教育の権利。雇用、財産、政治参加、司法へのアクセス、保健へのアクセス。これらの一つの剥奪、または複数の剥奪は人権侵害である。基本権の剥奪は、暴力や破壊、規制の押し付けによって生じる。リプロダクティブな選択、結婚、就学、就職、衣服が含まれる。

 ジェンダー迫害は、基本権を侵害する差別的規制を課す社会構成や基準を強要して行われる。例えばイスラム国(IS)によるジェンダー差別的な規制である。

 検事局は、国際法違反の人権侵害が文化的に決定されていることを認識している。基本権侵害は、文化に基づいて行われ、無視され、正当化されるものではない。

 文化遺産に関しても、標的とされた集団構成員の特定の価値ゆえに、標的とされることがある。女性にとって重要な集合場所であるムスリムの破壊、LGBTQI+の人々に重要なセンターの焼損はジェンダー迫害、文化迫害である。文化遺産についてはすでに検事局の「文化遺産に関する政策」文書がある。

 検事局はジェンダーと子どもに関連して職員のスキルを強化するための具体的措置を講じており、被害者の経験やジェンダー差別に対処する努力をしている。ジェンダー、年齢、その他の個人のアイデンティティについて差別の交差性(人種、民族、先住民、言語、宗教、政治的意見、国籍、文化、富、出生…)にも着目している。

検事局は各国その他に、ジェンダー迫害の罪の抑止や処罰のための補足的努力を促している。

Monday, January 09, 2023

ジェンダー迫害の罪02

国際刑事裁判所の検事局が『ジェンダー迫害の罪に関する政策』文書を公表した。

The Office of the Prosecutor, International Criminal Court, Policy on the Crime of Gender Persecution, December 2022.

以下、簡潔に紹介する。

Ⅲ 序文

迫害は長期にわたって国際関心事項であり、慣習国際法に基づいている。人道に対する罪としての迫害は、ロンドン憲章と東京憲章に規定され、ニュルンベルク裁判判決における国際犯罪であり、それらの文書記録にはジェンダーに基づく犯罪の記録が残されている。

国際刑事裁判所規程はジェンダー迫害を明示した初めての国際刑法文書である。ジェンダー迫害を盛り込んだことで、性的加害やジェンダーに基づく加害の様々な形態が認知されるようになった。

国際刑事裁判所規程7条2項(g)の下で、「迫害」は集団又は共同体の同一性を理由として、国際法に違反して基本的な権利を意図的にかつ著しくはく奪することをいう。ジェンダー迫害のゆえに標的にされる集団には、女性、少女、男性、少年、LGBTQI+の人々が含まれる。

国際刑法によれば、すべてのジェンダーと性的指向の人々が性暴力の被害を受ける。しかし、ジェンダー差別は、国際刑法では歴史的に、暴力の駆動因とみなされてこなかった。例えば、性暴力をジェンダー中立暴力とみる傾向があった。

国際刑事裁判所検事局は、ジェンダー迫害で訴追できる事件を評価する際に偏見を持たず、ジェンダーに基づいて標的とされうる人々を認定する。

子どもに悪影響を及ぼすジェンダー迫害について、検事局は、特に重大な犯罪であると考え、子どもが国際法の下で特別に保護を受けるよう考慮する。子どもを年齢や出生を理由に標的にする迫害行為は、ジェンダーのみならず、交差的な理由に基づいて訴追できる。

ジェンダー迫害は国際刑事裁判所の管轄内の犯罪と結びついてすべての人々に対して行われるが、歴史的構造的な差別と基本権剥奪を反映している。

実行犯の差別的意図は、既存の社会構成と基準と重なる。実行犯の差別的意図は、国際刑事裁判所規程で禁止された迫害のその他の理由と交差する。

ジェンダー迫害の最近の事例には、アフガニスタン、コロンビア、イラク、リビア、ミャンマー、ナイジェリア、シリア、イェメンがある。

国際刑事裁判所規程第21条の次の規定が関連する。

211項(b) 第2に、適当な場合には、適用される条約並びに国際法の原則及び規則(確立された武力紛争に関する国際法の原則を含む。)

(c) (a)及び(b)に規定するもののほか、裁判所が世界の法体系の中の国内法から見いだした法の一般原則(適当な場合には、その犯罪について裁判権を通常行使し得る国の国内法を含む。)。ただし、これらの原則がこの規程、国際法並びに国際的に認められる規範及び基準に反しないことを条件とする。

213項 この条に規定する法の適用及び解釈は、国際的に認められる人権に適合したものでなければならず、また、第7条3に定義する性、年齢、人種、皮膚の色、言語、宗教又は信条、政治的意見その他の意見、国民的、民族的又は社会的出身、貧富、出生又は他の地位等を理由とする不利な差別をすることなく行われなければならない。

ジェンダー迫害の重大性とその捜査と訴追の意義を認識して、検事局は、アル・ハッサン事件の訴追を行った。国際刑事裁判所の歴史上初めて、2019930日、国際刑事裁判所予審部はジェンダーに基づく迫害を訴追した。

2022年、検事局は、ジェンダー・子ども部の任務と権限を強化し、優先的に扱うことにした。ジェンダー・子ども部は国際刑事裁判所のすべての部局を支援して、性的・ジェンダーに基づく犯罪に関する任務を遂行する。

本政策文書の目的は次の5つである。

・国際刑事裁判所規程の任務に従って、性的・ジェンダーに基づく犯罪に対処するために特別な注意を払うこと。

・国際刑事裁判所規程、「犯罪の成立要素」、手続き証拠規則の解釈と適用のために明確さと方向性を提供すること。

・ジェンダー迫害の捜査、分析、訴追に関連して最良の実務の文化を推進すること。

・本文書の履行を通じて、ジェンダー迫害に関する国際司法の発展に寄与すること。

・ジェンダー迫害に対処することの意義について注意を喚起すること。

ジェンダー迫害の責任を問い、予防するには関係者の統一的な行動と関与が必要である。

検事局は申し立てられた犯罪にアプローチするのに、透明性、明確性、予測可能性を促進する文書を公表している。本文書の出版、配布、履行には各国、国連機関、専門家、移行期の司法機関、国際機関、市民社会団体、研究者、活動家、被害者の協力が重要である。

Sunday, January 08, 2023

ジェンダー迫害の罪01

国際刑事裁判所の検事局が『ジェンダー迫害の罪に関する政策』文書を公表した。

The Office of the Prosecutor, International Criminal Court, Policy on the Crime of Gender Persecution, December 2022.

以下、簡潔に紹介する。

<目次>

Ⅰ 鍵となる用語の使用

Ⅱ 要約

Ⅲ 序文

Ⅳ 一般政策

Ⅴ 規制枠組み

Ⅵ 予審

Ⅶ 捜査

Ⅷ 訴追

Ⅸ 補償

Ⅹ 協力と外部関係

 制度の発展

 本政策の履行

Ⅰ 鍵となる用語の使用

5つの用語について解説がなされている。

「社会の文脈」――「社会の文脈」は、国際刑事裁判所規程73項で用いられている言葉で、ジェンダーを定義するために用いられた社会構成と基準を指す。これには例えば、「女性」「男性」「少女」「少年」のような、性的指向、ジェンダーアイデンティティ、ジェンダー表象が含まれる。人種、民族、文化の理解を定義するために用いられる限り、これらもジェンダー理解を定義するために用いられる社会構成と基準となる。

「ジェンダー」――国際刑事裁判所規程73項では、「ジェンダー」は、社会の文脈で、2つの性――男性と女性として理解される。ジェンダーは性的特徴に関連し、男性性と女性性を定義する社会構成と基準であり、役割、行動、活動、態度に関連する。社会構成として、ジェンダーは社会の中で変容し、社会ごとに異なり、時の経過で変化する。このジェンダー理解は国際刑事裁判所規程21条に合致する。

「ジェンダー迫害」――「ジェンダー迫害」とは、国際刑事裁判所規程71項(h)のジェンダーに基づく迫害による人道に対する罪である。ジェンダー迫害は、性的特徴ゆえに、及び/又はジェンダーを定義する社会構成及び基準のゆえに、人に対して行われる。

「インターセックス」――「インターセックス」は、性的特徴において四z年身体のヴァリエーションの範囲を記述するために用いられる傘の用語である。

LGBTQI+」――「LGBTQI+」は人々を同定する。より広いLGBTQIコミュニティに合致するが、その他の自己確認の用語が使われることもある。

Ⅱ 要約

迫害は長期にわたって国際関心事項であり、慣習国際法に基づいている。人道に対する罪としての迫害は、ロンドン憲章と東京憲章に規定され、ニュルンベルク裁判判決における国際犯罪であり、それらの文書記録にはジェンダーに基づく犯罪の記録が残されている。

長期にわたって記録が残されているが、ジェンダーに基づく人道に対する罪――ジェンダー迫害は国際刑事裁判所規程以前の条約法には明示されていなかった。ジェンダー迫害を明示したのは国際刑事裁判所規程が初めてである。ジェンダー迫害を盛り込んだことで、性的加害やジェンダーに基づく加害の様々な形態が認知されるようになった。

とはいえ今なお多くの被害者が司法(正義)を手にしていない。世界中の紛争において、武装当事者が人道に対する罪としての迫害にあたるジェンダーに基づく犯罪を行っている。この20年間、国際刑事裁判所検事局はジェンダー迫害を訴追するようになってきたが。国際刑事司法にはまだギャップが存在する。

国際系所法廷においても国内法廷においても、同様であり、結果として、ジェンダー迫害は適切に捜査されず、告発されていない。

定義上、ジェンダーに基づく犯罪は、女性、男性、子ども、LGBTQI+の人々を標的とする。その中核では、実行犯は、ジェンダー表象に合致するジェンダー基準に反するとみなされた人々を規制し、処罰するために実行する。これらの基準は人生喉の局面も規制し、個人の移動の自由、リプロダクティブな選択、誰と結婚できるか、どこで働けるか、いかなる服装を着用するかなどの決定に影響する。

迫害のすべての形態と同様に、ジェンダー迫害の責任を問うためには、この犯罪の根底にある差別を認定し、理解することを要する。虐殺において行われた犯罪について実行犯の責任を問うだけでは不十分である。正義のためには、なぜ実行犯がその行為に出たのか、差別を撤廃し、暴力の連鎖を断ち切るにはどうすればよいかなど包括的な理解が求められる。

被害者やコミュニティには重大な帰結が生じるので、ジェンダー迫害が生じる状況、伝統的に訴追が十分なされないのはなぜかという問いが国際刑事裁判所検事局にとって優先事項となる。そこで本政策文書を作成した。

国際刑事法によれば、すべてのジェンダー及び性的指向の人々が性暴力及びジェンダーに基づく暴力の標的になりうる。しかし、ジェンダー差別は、国際刑法では伝統的に暴力の駆動因とみなされていなかった。性暴力がジェンダー中立犯罪とみなされがちだった。

ジェンダー迫害を認知したことで、この犯罪を行う差別的意図を認知することが出来るようになった。差別の複合性や交差性ゆえに被害に晒される被害者に光があたった。例えばLGBTQI+の人々は女性、男性、少女少年に属するが、同時にLGBTQI+集団に属するために攻撃されることも見えてきた。

このように認知することは、歴史的に形成された構造的差別と基本権の剥奪を反映している。これにより女性嫌悪主義、同性愛、トランスへの差別を認知できるようにした。ジェンダー迫害の罪の責任を問うことは、持続的な平和に寄与し、国際的に制度化されたジェンダー差別と暴力を掘り崩すことが出来るようになってきた。

ジェンダー迫害の訴追は、他の犯罪で訴追するよりも十分に犯罪の性格を把握できるようにし、不処罰のギャップを修復できるようになった。ジェンダー迫害の訴追は、無数のジェンダーに基づく行為が見えやすくした。

国際刑事裁判所は「不処罰を終わらせる」任務を有するので、検事局は迫害のすべての行為を考慮する。特に、これらの行為の累積的効果を認知し、事件の重大性を評価しなければならない。差別的理由による基本権侵害を命名することにより、虐待の正確な記録、総合的な記録を積み上げることができるようになる。

検事局の要請に基づいて、特別顧問が本政策文書を起草した。検事局にイニシアティブに加えて、長期にわたって特別顧問、国際刑事裁判所職員、外部の行為者――各国、国連の専門家、国連女性機関、国際機関、市民社会団体の協力を得た。

ジェンダー迫害の責任を問い、予防するには関係者の統一的な行動と関与が必要である。

Wednesday, January 04, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(221)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』の書評

秦博美「前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱―反差別の刑法学』を読んで(上)」『北海学園大学法学研究』574号(2022年)

目次

一 はじめに

二 本書のはしがきと全体構成

三 憲法学者の見解(総論)

四 憲法学者の見解(各論)

五 検討

 1 (近代)個人主義

 2 思想の自由市場論   (以上本号)

 3 見解規制、観点規制、内容規制

 4 事前規制、予防規制

六 その他の論点

七 終わりに

秦は北海道庁に35年間勤務し、現在は北海学園大学教授、地方自治の専門家である。著書に『自治体の行政執行と法治主義』(共同文化社、2021年)がある。

ヘイト・スピーチ研究文献(220)自治体ガイドラインの検討

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/12/blog-post_19.html

一 はじめに

 秦は、生協書籍部で本書を入手して読んだという。20205月のグテレス国連事務総長による「国連ヘイト・スピーチ戦略と行動計画」を紹介し、「沈黙することは憎悪と不寛容に無関心のシグナルを送ることである」という部分を強調したうえで、次のように述べる。

 「ところが、我が国の『主流派』憲法学者の多くがヘイトスピーチ規制に消極的である。現状是正の必要性から規制積極説を採りたい評者は(文字どおり)『勉強不足』なのだろうかと、今まで苛まれてきた。本書は、こんな評者を悩みから『解放』してくれるのであろうか、それとも単なる『開放』に終わるのか。」(452頁)

 ここで「主流派」というのは、表現の自由の優越的地位を唱えて、ヘイト・スピーチ規制に消極的な憲法学のことであり、平和主義や民主主義の定着のために努力してきたリベラル憲法学のことである。

 私は過去半世紀にわたって平和主義と民主主義のリベラル憲法学に学んできたが、ヘイト・スピーチの刑事規制は民主主義にとって必須不可欠であり、これを否定するリベラル憲法学は実はレイシズムに侵されていると見ている。このことを何度も何度も指摘してきたが、まだ十分に論証したとは言えないかもしれない。

ヘイト・スピーチ研究文献(199)憲法学との対話

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_18.html

 秦は、ヘイト・スピーチの現状に心を痛め、一定の規制が必要と考えつつも、リベラル憲法学に学んできたので、規制積極説を採るのは「勉強不足」のせいかと逡巡してきたようである。

二 本書のはしがきと全体構成

 秦は、「民主主義を実現するために、レイシズムとの闘いが求められる」という私の言葉を強調引用し、『要綱』の目次を掲げる。秦の書評は『要綱』全体ではなく、憲法論の部分に限られることになる。

三 憲法学者の見解(総論)

 秦は、「差別とヘイトを擁護する特権主義の憲法学を博物館に収蔵しなくてはならない」という私の言葉を引用しつつ、憲法学の動向を確認する。

 秦は「主流派憲法学者」として、長谷部恭男、宍戸常寿、松井茂記を引用する。

次に秦は「折衷説(中間説)」として高橋和之、渋谷秀樹、佐藤幸治を引用する。

秦自身の言葉としては次のように述べている。

「愚考するに、規制することが許されない『表現』と罰すべき『犯罪行為』との間に、規制すべき『表現行為』という領域があるのではないか。ヘイトスピーチは、単に『あまりに下品で苛烈』だからという、それ自体の評価によって規制するのではない。個々のヘイトスピーチによって個別具体的な『被害』の発生を『構成』しうるから規制するのである(この場合、表現が行為と評価しうるものに至ったと構成することも可能であろう。)。詳細は、五で検討することにする。」(459頁)

 非常に重要な指摘である。

 次に秦は「積極説」として、浦部法穂を引用する。

 最後に秦は「アメリカ法に限定される研究対象」として、これまでの憲法学の議論がアメリカ法研究に限定されており、国際人権法や世界の150か国の立法例を全く無視してきたことへの私の批判を引用する。

 さらに秦は奈須祐治を引用する。特に奈須の次の文章を引用している。

 「否定説の議論に対しては、過度な抽象化、範疇化を行っていると批判できる。ヘイト・スピーチ規制といっても一様ではなく、標的、害悪、媒体、態様、規制態様等の様々な要素の各々について、どのような選択をするかによって規制の合憲性は変わってくる。規制のありうるバリエーションを考えれば、内容中立性原則等の法理に依拠して一律に制約を違憲とみなすのは適切ではない。」

 私もこれは重要な指摘であると考え、最近、「ヘイト・スピーチの要素と類型」という論文を書いて、奈須の問題提起に応答しようとしている。秦も同様の考えであろう。

四 憲法学者の見解(各論)

 憲法学の検討として、秦は駒村圭吾と齋藤愛の見解を取り上げる。

 秦は駒村説を詳しく紹介し、「過度な抽象化、範疇化を行っている」という奈須説に与する。

 次に齋藤説を5頁にわたって詳しく紹介し、「事柄の形式的断片を採り上げ、同一化を装うもので、正しい評価を覆い隠している」(468頁)と指摘する。さらに藤井正希の見解も援用しながら検討を加え、結論として「齋藤教授は、政策効果の遠近を混同している。目の前の害悪を除去することが、弊害を根本的に解決したり、根源的要因に効果的に対処することとは別次元の議論であることは言うまでもない。」(470頁)という。

 私も同感である。

五 検討

 1 (近代)個人主義

 駒村と齋藤は、近代個人主義を持ち出して、「個人主義という近代的前提との原理的な不整合」を生むと唱え、ヘイト・スピーチの刑事規制は個人主義に抵触すると断定する。私はこれを様々に批判してきた。私の認識では、駒村も齋藤も、そもそも近代個人主義とは何かをまったく理解していない。

 秦は、高橋和之の議論を参照しつつ次のように述べる。

 「各人が自らの半生を振り返れば分かるとおり、個人の集合的アイデンティティが個人の自律的生を構想する個人主義の基礎となっているということであり、『個人主義という近代的前提との原理的な不整合』を生むということではない。」(473474頁)

 同感である。

 2 思想の自由市場論   

 秦は、「思想の自由市場論」に対する私の批判を引用している。

「①思想の自由市場論は検証されたことのない仮説であり、あいまいな比喩的表現を超えるものではない。②思想の自由市場論が仮に検証されてもヘイト・スピーチに適用する妥当性が明らかにされていない。③思想の自由市場論がアメリカにおいて採用されているとしても、日本国憲法が採用しているという論証がなされたことはない。④思想の自由市場論をヘイト・スピーチ論に持ち出すことは、被害者を無理やり引きずり出すことであり、他者の主体性を無視する暴力である。」

 私は「思想の自由市場論」を何度も何度も批判してきた。ところが、どの憲法学者も反論しようとしない。反論抜きに、「思想の自由市場だ」とお題目を繰り返す。多くの憲法学者にとって思想の自由市場論は、議論してはならない絶対命題なのかもしれない。学問ではなく宗教・信仰だ。

 秦は次のように述べる。

 「確かに著者の指摘のとおり、議論に際し当然に所与の前提にしていた嫌いがある。安易に『思想の自由市場論』を持ち出すべきではないだろう。」(475頁)

 私の「思想の自由市場論」批判に、初めて賛同者が現れた。

 秦論文は(上)であり、今回はここまでである。(下)がいつごろ公表されるのか、期待したい。

 近代個人主義や思想の自由市場論という近代合理主義、近代憲法、民主主義の基礎に関わる局面では、秦は私と同様の見解を持っているようだ。

 ただ、秦論文の後半がどうなるかは予測できない。後半での論点は「見解規制、観点規制、内容規制」と「事前規制、予防規制」である。この論点についての私の議論はまだ不十分であり、秦から厳しい指摘がなされるかもしれない。私も勉強不足のままにしておくわけにはいかないので、応答するためにさらに勉強する必要がある。秦による厳しい批判を歓迎したい。

 なお、私は『ヘイト・スピーチと地方自治体』(三一書房)も公刊しているが、そこでの検討は憲法や国際人権法のウエイトが高く、行政法や地方自治法の議論ができていない。秦は行政法・地方自治法の専門家なので、より立ち入った議論がなされるのを期待したい。

 川崎市条例については、本論文でも言及されており、高い評価が示されている(462頁)。

 なお、秦博美「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例(上)(下)」『自治実務セミナー』667号・668号(2018年)がある。

紛争下の女性ブリュッセル宣言

202269日、欧州理事会European Councilは「紛争下の女性エンパワーメントに向けた行動に関するブリュッセル宣言」を採択した。

Brussels Declaration on Actions towards Empowering Women in Conflicts

同日開催の「紛争下の女性」イベントに続いて、共催者である欧州理事会議長のシャルル・ミシェル、国連女性機関UN Women、ナディア・イニシアティブNadia's Initiative、及びデニ・ムクウェゲ博士財団Dr. Denis Mukwege Foundationの共同宣言として発表された。

当時、見落としていたため紹介が遅れた。欧州理事会の声明だが、日本で報道されたかどうか記憶していない。

以下紹介。

<紛争下の女性エンパワーメントに向けた行動に関するブリュッセル宣言>

1.世界中で暴力紛争件数が増加し、国連憲章や国際人道法を含む国際法違反の人権侵害や蹂躙が広範囲にわたって繰り返し発生しているので、我々は、紛争関連状況における女性と少女を保護し、エンパワーメントするためのコミットメントを再確認する。

2.女性が紛争予防と解決、並びに長期的な平和構築に大いに貢献するだけでなく、直接影響を受けた地域の民間人として、難民や国内避難民として、又は紛争の文脈で直接標的とされた者として、紛争状況の影響を特に受け続けていることを想起する。

3.紛争関連状況において女性と少女に対して行われたすべての国際法違反を強く非難し、すべての紛争当事者がこれらの行為を直ちに停止することを確保するよう要求する。

4.この点に関し、ウクライナ、及びアフガニスタン、中央アフリカ共和国、コンゴ民主共和国、エチオピア、イラク、マリ、スーダン、シリアその他の紛争地域及び紛争後の状況において、女性と少女に対して行われた紛争関連の性暴力、及び強姦を含むジェンダーに基づく暴力の証言や報告があることに慄いている。

5.すべての諸国には、サバイバーのための包括的なケアの利用可能性を確保し、不処罰を終わらせ、強姦その他の形態の性暴力及びジェンダーに基づく暴力を含む紛争関連状況における女性と少女に対する暴力に責任ある者を訴追する責任があることを強調する。すべての諸国は、紛争関連の性暴力を防止し、対処し、生存者を保護し、支援し、実行犯を裁判にかけなければならない。

6.特にローマ規程及び国際刑事裁判所を通じて、紛争関連の性暴力に対処するための法手続を強化するための国際的法枠組み及びイニシアティブの完全な履行を支持する。

7.我々は、国連安保理決議第1325号及びそのフォローアップ決議のすべてからなる「女性、平和、安全保障」アジェンダの完全、効果的かつ迅速な履行にコミットしている。「女性、平和、安全保障及び人道的行動に関するコンパクト」への署名者を含む他の地域機関及び国際機関との協力の文脈において、「女性、平和、安全保障」アジェンダが持続可能な平和、安全、人権、正義及び発展を支援するすべての努力に完全に統合されることを確保する。

8.紛争予防、危機管理、紛争解決、救援と回復、及び長期的平和構築のための重要な主体としての女性と少女のエンパワーメントを支援する。

9.外交安全保障政策を含むすべての政策にジェンダー視点を統合し続ける。同様に、紛争解決及び長期的平和構築への女性の完全、平等かつ有意義な参加と貢献に対する構造的障壁に対処するためのイニシアティブを促進する。

10.平和維持と危機管理、予防外交と関連活動を含む平和と安全保障に関連する問題に取り組むすべての関連する国内機関、地域機関、国際機関におけるすべての意思決定レベルでの女性の役割の強化を支持する。

11.市民社会、特に地域、草の根、女性主導、フェミニスト組織、少女と青年主導の組織、女性の平和構築者及び調停者、並びに女性の人権擁護者の参加及びリーダーシップを、これらの行為主体への持続的かつ信頼できる資金提供を通じたものなど、予防と応答のすべての努力において活性化させる。

12.我々はサバイバー中心アプローチによる安全保障と保護への投資にコミットしている。それは、紛争関連の性暴力及び紛争後の状況を防止し、対応し、性暴力のサバイバー並びにその子ども、家族その他の証人にアクセス可能で質の高い支援を確保するためであり、心理社会的及び法的サービス、社会経済的サービス、並びに性的・リプロダクティブ・ヘルスと権利へのアクセスを含み、救援と再統合の十分かつ迅速な提供を伴う。

13.性的搾取又は紛争に関連する他の形態の性暴力及びジェンダーに基づく暴力を伴うものなど、人身売買、特に女性と少女の人身売買犯罪と闘うためのリスク緩和措置の履行にコミットする。

14.紛争及び紛争後の状況にある諸国が、サバイバー及び被害者の司法へのアクセス、並びに賠償を含む適当で、効果的、迅速かつ適切な救済へのアクセスを確保するための移行期の司法戦略を策定し履行することを支援する。

15.紛争関連の性暴力についての情報の倫理的な収集及び利用のためのキンシャサ宣言Kinshasa Declaration又はムラド・コードMurad Codeのような、サバイバー主導のイニシアティブを歓迎する。

16.サバイバーと被害者、地域社会、国際社会及び国際機関との協働を維持し、紛争関連状況における女性と少女の権利を保護、促進し、彼らのエンパワーメントを確保するための共同の努力を強化することにコミットする。

 

Kinshasa Declaration

 https://csiw-ectg.org/survivors-hearing-for-reparations-for-conflict-related-sexual-and-gender-based-violence-kinshasa-principles/

Murad Code

 https://www.muradcode.com/

*なお外務省のサイト「紛争下の性的暴力防止イニシアティブ」には関連する文献がアップされている。

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/pc/page1w_000129.html

Tuesday, January 03, 2023

地べたからの平和の哲学宣言

安積遊歩『このからだが平和をつくる――ケアから始まる変革』(大月書店)

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b615434.html

<生命に優劣をつける優生思想も、戦争も根は同じ。「争えない体」を持つ私たちが生きること、それ自体が平和への歩み――。障害当事者として、女性として、親として、果敢に街に出、発言してきた著者が語る車椅子からの平和論。>

目次

はじめに――「障害」という字と平和

1章 重度訪問介護で平和をつくる

1 介助とは何か

2 介助が制度になるまで

3 介助と子ども

2章 人類は生き延びられるか

1 全ての命が生き延びるために

2 差別とは何か

3章 このからだが平和をつくる

1 健常と障害

2 脱施設化に向けて

3 いのちに対する暴力に抗う

おわりに

安積は次のように始める。

「この本は、重い障害を持つ人と、まわりの人々との関係性のうちに平和を創ろうとする人々の力を結集してつくられた。そしてまた、これを読んでくれているあなたへの、日々の暮らしのなかに平和を具体化するためのシステム、重度訪問介護という仕事への招待状でもある。平和への具体的な一歩を、ここから踏み出してほしいと心から願っている。」

優生思想は克服された思想のはずだった。

だが、克服どころか、優生思想はこの国と社会の基軸にしっかりと根付いたままである。優生思想は至る所で人々を分類し、格付けし、序列化し、切り刻み、服従させ、競争に追い込み、他者への蔑視を醸成している。この国と社会の制度を基本から支える思想につねに入り込み、私たちの意識をむしばんでいる。悪意の優生思想ではなく、むしろ「善意の(つもりの)優生思想」が私たちを縛り付けている。優生思想から自由になれない私たち。

思想とか哲学とか、上段に振りかぶって優生思想を分析し、解剖し、批判し尽くしたつもりになっても、それで優生思想から自由になれた訳ではない。思想を徹底分析することで解体するなどと言うのは無責任な知識人の思い込みに過ぎない。思想はもっと根深い。<大文字の哲学>はつねに優生思想に浸潤されるリスクを抱えているのに、そのことに気づこうとしない。

安積は、地べたから、床に寝そべりながら、車いすに座りながら、小さな、微細な、ささやかな言葉や、人間関係や、社会の仕組みの中から、私たちを拘束している優生思想を拾い上げ、点検し、自分で考えるためのレッスンを提案する。安積の地べたからの哲学は、哲学書の中に住所を持たない。歴史の中の哲学者たちの思索や書物とは交差することさえないかもしれない。

安積の視線は目の前の顔、表情、姿勢、動作に向けられるが、その射程は遥か彼方まで及んでいる。

安積の言葉は掌の上でゆっくりと紡ぎだされ、シャボン玉のようにふわりと浮かびながら、囁くように語りかける。

だが、安積の言葉は、時に鋭く、激しく、聞き手を震撼させ、読み手に脅威となることさえ、ある。かつての著書『車イスからの宣戦布告』において全世界を敵にまわして闘いぬいた安積である。

「優生思想は、私たちの存在を消すこと、隠すことを絶対的に是としてくる。その最初の犠牲者であり加害者が親だ。子どもが障害を持つ持たないにかかわらず、この優生思想にどっぷりと浸かった社会に生きているすべての親たち。だから出生前検査を勧められれば、無知と恐怖に混乱させられる。そしてそれを受け入れ、陽性と出た場合は100%に近い人が中絶するともいう。」

優生思想は克服されるどころか、私たちの常識の中に盤踞している基本思想なのだ。「その最初の犠牲者であり加害者が親だ。」――この短い言葉の中に言いしれぬ絶望と悲嘆が響いている。

だが、安積は絶望しているわけではない。他者を絶望させようとしているわけでもない。安積は、落胆に落胆を重ねた地点から、希望の言葉を紡ぎだそうとする。

2022年のロシア・ウクライナ戦争によって、平和意識が大きく揺らいだ。これまで日本国憲法第9条を根拠に「戦争反対、平和が一番」と唱えていた日本の平和運動は今や無惨な崩壊状態である。

「ロシアの侵略に反対し、ウクライナの自衛戦争を支援しよう。ウクライナに武器を送れ」と軍事協力を叫ぶ「自称平和主義者」。

「ロシアだけに戦争停止を求めるべきでだ。ウクライナにも戦争停止を求めるのは、ロシアの味方だ」と、「敵/味方論」を押し出し、「絶対平和主義」や「非武装平和主義」を「敵」として排除しようとする「自称平和主義者」。

これでは安倍の「積極的平和主義」と区別がつかなくなる。今や「平和」の名のもとに「軍備増強、大軍拡、敵基地攻撃」を唱える「平和主義者」が登場する。

<大状況>の「国際関係論」や、「国家間の政治」だけにリアリティを見る「偽リアリズム政治学」は、ひたすら軍拡を唱え、軍縮論者を「敵の味方」と決めつけて排除する。

ここでは、「世界の平和」は拒否され、「私たちの平和」だけが求められる。

「私たちの平和」のために「彼らには戦争と破滅」が必然となる。「敵の殲滅こそ平和」という論理が貫徹する。ミリタリズムとナショナリズムと戦争の論理はまさに優生思想の具体化である。

安積は戦争をやめ、平和を創るための思想の出発点を探る。

「自由、これは平和に生きようとするときにかけがえのないものだ。たとえ地球上から軍備や武器がなくなって、すべてが話し合いで解決するような状況になったとしても、このお互いの自由への理解と尊重がなければ、障害を持つ人にとっての本当の平和は来ない。傷害を持つ人の福祉を考えるときに、この平和と自由という視点が、時にすっぽりと抜け落ちている。」

「私たちは戦争をやめ、平和をつくるために、この重度訪問介護というシステムをつくりだした。そしてさらに、たくさんの人々が重度訪問介護に喜んで集ってくれることで、この世界に真の平和を必ずやもたらすことができるのだ。優生思想は戦争のなかで強烈に実践されるが、それとは真逆のところにケアがある。それを言語化し、優生思想を抹消する思想を、さらに紡ぎだしていこう。」

見守りとケアを出発点に据えることによって、政治・経済・社会のあり様を問い返す知的営みが課題となる。

安積は、ロシアによるウクライナ戦争に反対する。ただ、その論拠には、優生思想の拒否が含まれる。近代社会の合理主義、西欧中心主義と白人崇拝意識が含まれる。だから、安積は次のように語る。

「プーチンとトランプとゼレンスキー、そしてバイデン。白人の男たちの権力欲と強欲にまみれた政治。そして、その彼らの暴力性に、完全にとすら言いたくなるような取り込まれ方をしている日本政府のありよう。ここで生き延びるためには、銃を持てない身体の平和を自覚し、『争うな、戦うな』と主張し続けていくしかない。ウクライナの男性たちがみな銃で抵抗できない体であったなら、プーチンはウクライナを占領しても、おびただしい殺戮には至らなかったかもしれない。」

「私たちは私たちの身体ゆえに、非暴力無抵抗の平和主義者である。それを自覚し、日々のなかでも『争わず、戦わず』の生き方を主張し続けていこう。」

「生きるために殺す」と唱える「偽平和主義」に抗して、「生きるために殺さない」と唱える平和主義の過激さと切実さを、この社会はどれだけ理解するだろうか。

戦わないことを選択する安積は、戦争になれば「非国民」として排除され、殺される側に回される。このことを自覚するがゆえに、戦わない平和主義の原理的必然性を唱える。

非暴力非武装無防備の平和主義――私が長年主張してきた思想を、安積は原理的に提示する。

空飛ぶドローンの戦争論ではなく、地べたからの平和の哲学である。

安積遊歩(アサカ ユウホ)

1956年福島県福島市生まれ。生れつき骨が弱い特徴を持つ。22歳で親元から自立。1983年から半年間、アメリカのバークレー自立生活センターで研修を受け、ピア・カウンセリングを日本に紹介。1996年に40歳で娘を出産。優生思想の撤廃や、子育て、障害を持つ人の自立生活運動など、様々な分野で当事者として発言を続ける。著書に『癒しのセクシー・トリップ』『車イスからの宣戦布告』『いのちに贈る超自立論』共著に『障害のある私たちの地域で出産、地域で子育て』他。