Sunday, March 31, 2013

ヘイト・クライム(人種差別、差別煽動)関連論文リスト

『ヘイト・クライム』(三一書房労組、2010年)                                             「ヘイト・クライムを定義する(1)~(6)」『統一評論』536号、537号、541号、542号(2010年)、546号、547号(2011年)                              「ヘイト・クライムはなぜ悪質か(1)~(5)」『アジェンダ』30号、31号(2010年)、32号、33号、34号(2011年)                                                「2010年の民族差別と排外主義」『統一評論』543号(2011年)                                           「ヘイト・クライム法研究の課題」『法と民主主義』448号、449号(2010年)                                               「ヘイト・クライム法研究の展開」『現代排外主義と差別的表現規制』(第二東京弁護士会人権擁護委員会、2011年)                                                              「差別集団・在特会に有罪判決」『統一評論』550号(2011年)                                                               「アメリカのヘイト・クライム法」『統一評論』551号(2011年)                                                            「ヘイト・クライム法研究の現在」村井敏邦先生古稀祝賀論文集『人権の刑事法学』(日本評論社、2011年)                                                                                「差別禁止法をつくろう! 差別禁止法の世界的動向と日本」『解放新聞東京版』779号、780号(2012年)                                                                             「誰がヘイト・クライム被害を受けるか(1)~(4)」『統一評論』556、557号、566号(2012年)、568号(2013年)                                                                        「人種差別撤廃委員会第八〇会期」『統一評論』558、559号(2012年)                                                                                「差別表現の自由はあるか(1)~(4)」『統一評論』560号、561号、562号、563号(2012年)                                                                                          「日本における差別犯罪とその煽動について(1)~(4)」『解放新聞東京版』791号、792号、793号、794号(2012年)                                                                               「在特会・差別街宣に賠償命令」『マスコミ市民』524号(2012年)                                                                             「差別・排外主義の在特会に賠償命令」『統一評論』565号(2012年)                                                               「ヘイト・クライム法研究の射程」『龍谷大学矯正・保護総合センター研究年報』第2号(2012)                                                                                           「国連人権理事会の普遍的定期審査(二)」『統一評論』567号(2013年)                                                                                            「人種差別撤廃委員会・日本政府報告書」『統一評論』569号(2013年)                                                                 「自由権規約委員会・日本政府報告書」『統一評論』570号(2013年)                                                                                       「ヘイト・クライム処罰は世界の常識」『イオ』202号(2013年)          

映画『約束――名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』

映画『約束――名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』を観てきた。                                                           http://www.yakusoku-nabari.jp/                                                     国民救援会会員になって30年以上、「奥西さんを守る東京の会」会員になって20年以上になる。江川詔子『六人目の犠牲者』を読んだのはいつだったか。長年の知人の宮原哲朗弁護士、同期の神山啓史弁護士、ヒューマン・ライツ・ナウの伊藤和子弁護士も弁護団に加わっている。袴田事件と同様に、授業で何度も取り上げて、学生に話してきた。                                                                                            東海テレビが何度かドキュメンタリーを制作してきたが、今回は、再現ストーリーの映画公開だ。事件の全体像がよくわかるが、ドキュメンタリーでは伝えることのできない死刑囚本人の思いを表現するために再現ストーリー映画の手法になったようだ。東海テレビ取材班『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店)も先日、青森での研究会の往復新幹線で読んだ。                                                                                                     ぶどう酒の王冠、犯行に用いられたテップ剤(ニッカリンTとされていたが)などの証拠を崩してきた弁護団の頑張りにもかかわらず、再審請求は棄却されてきた。唯一、再審開始を認めた名古屋高裁決定も、わけのわからない逆転棄却に終わった。                                                                                            映画では取り上げられていなかったが、いま一番気になるのは竹筒だ。奥西さんは、犯行前夜に、犯行の準備をしたとされている。ニッカリンTを瓶から竹筒に移し、瓶を名張川に捨てたとされている。その竹筒を持ち歩き、犯行当日の午後5時すぎに、公民館に瓶を持ち運んで、だれもいない隙、わずか5分間に、ぶどう酒一升瓶の王冠を取り、栓を開けて、竹筒からニッカリンTを一升瓶に入れたうえで、栓をもとに戻して、竹筒は囲炉裏に入れて、燃えてしまったことになっている。竹筒の話は本当だろうか。疑問だ。                                                                                                    犯行前日はぶどう酒を出さないことに決めてあり、ぶどう酒を出すことになったのは犯行の日の朝である。それなのに、奥西さんは、前日夜に準備をしたことになっているのは、ありえない話で、何度も指摘されてきた。                                                                                                 それ以上に知りたいのは、竹筒を囲炉裏に入れた後のことだ。                                                                                         第1に、囲炉裏にいれた竹筒が燃えてしまったとすると、どのような状態になっていたのか。5分間で犯行をして、竹筒を囲炉裏に入れて、他の人が戻ってきたときに、竹筒はどういう状態だったのか。                                                                                                          第2に、ニッカリンTを一晩入れておいた竹筒である。ニッカリンTを一升瓶に移して、すぎに竹筒を囲炉裏に入れて燃やしたという。テップ剤はどうなったのだろうか。異臭、悪臭はしないのだろうか。弁護団は苦労に苦労を重ねて、当時のニッカリンTを入手して再審請求に臨んでいるので、実験は済んでいるのかもしれない。異臭も悪臭もしないのだろうか。                                                                                                     映画実現にたどりつくまでの苦労は、パンフレットと上記の本でよくわかった。日本映画を代表する仲代達也と樹木希林が、一地方テレビ局がつくった再現ストーリーものに出演するということ自体、驚くべきことだ。名張事件の重要性、奥西さん救出の切迫性を感じて出演を引き受けた仲代達也と樹木希林には頭が下がる思いだ。若き日の奥西さんを演じた山本太郎もなかなかよかった。

Sunday, March 24, 2013

森美術館問題を考える討論集会Part.2レジュメ

<博物館事件>小史                                                                                                                                                         前田 朗                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              1 森美術館問題の一側面                                                                                                                                                                                                ・博物館・学芸員の表現の自由と責任   ・博物館の社会的責任   ・博物館が送り出すメッセージと社会                                                                                                           ・「外圧」と博物館--社会から博物館へのメッセージ                                                                                                                                                                                                                                                                                                           2 最近の博物館・美術館事件小史                                                                                                                                                                                                                                         1) ニコンサロン事件 2012年5月 「慰安婦」写真展「中止」                                                                                                                                                                                                                             2) 目黒区美術館事件                                                                                                                           2012年3月 「原爆を視る1945-1970」展中止                                                                                                                                                                                                                             3)水平社博物館事件                                                                                                              2012年1月 元在特会会員による差別街宣                                                                                                                                                                                                                         4) 福島県立美術館事件                                                                                                          2012年1月、「ベン・シャーン展」一部不展示                                                                                                                                                                                                                       5) チンポム「原爆の図」事件                                                                                                                 2011年5月、岡本太郎壁画に原発事故絵を追加(美術館ではないが)                                                                                                                                                                                                                                                                            6) 神戸ファッション美術館事件                                                                                                                           2010年5月、岡本光博「バッタもん」作品撤去                                                                                                                                                                                                                                                 7) 新潟市美術館問題                                                                                                                  2009年以後、北川館長のもとでの美術館運営問題                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                3 博物館事件をめぐる<力学>                                                                                                                                                                                                                                                      1) 事件化の契機                                                                                                                                                                                                                           ・館から社会へのメッセージ                                                                                                                    ニコンサロン                                                                                                                           目黒区美術館                                                                                                                            水平社博物館                                                                                                                           福島県立美術館                                                                                                                       神戸ファッション美術館                                                                                                     ・社会から館へのメッセージ(1)                                                                                                                                                                                                                                                   ・社会から館へのメッセージ(2)                                                                                                                                                                                                                            2) 事件処理・対応の<力学>                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              3) 博物館事件に見る権力作用                                                                                                                                                                                                                    ・政治主権――国家、警察、天皇制                                                                                                      ・経済権力――東京電力、ルイ・ヴィトン                                                                                                  

Monday, March 18, 2013

見えない子どもたち

2月から3月にかけて、ジュネーヴの国連欧州本部新館展示コーナーで、生まれてきても出生登録もされず、名前もつけられない子どもたちがいることを訴え、子どもたちを「見える存在にしよう」という写真展が行われていた。

リサイクルアート展

ジュネーヴ空港の近くの展示場の庭で「リサイクルアート展」をやっていた。ちょうど、本会場ではモーターショーをやっていたが、その庭で、廃車の部品を使ったリサイクルアート展である。

Friday, March 15, 2013

人権理事会UPRでの新しい課題を考えた

グランサコネ通信2013-18                                                                  *                                                                                              今回のグランサコネ通信、最後の通信だ。「グランサコネ」とは何かと聞かれるが、ジュネーヴ郊外の私の宿舎の所在地名である。小さな丘の上にあり、私の部屋は一戸建ての山小屋の1階であり、何もなくて不便だが、静かでいいところだ。国連欧州本部までゆっくり歩いて30分だ。今回は2月16日に来たので4週間の滞在だった。                                                                   最初の週は国連人権理事会平和への権利作業部会に参加し、ロビー活動を行った。幸い、3回発言できた。後日、NGO会議にも参加した。人種差別撤廃委員会には2日しか顔を出せなかったが、資料は少し集めた。その後は、人権理事会が始まったが、1週目は大臣の演説なので、途中からルガーノ観光に行ってきた。2週目と3週目はまじめに出席して、情報収集し、議題4(慰安婦問題)と議題5(朝鮮学校差別問題)の発言ができた。十分とは言えないし、NGO発言をしていったい何の効果があるのかと言い出せばなかなか難しいが、同じ時期にちょうどニューヨークの女性の地位委員会でも「慰安婦」問題が取り上げられたので、NYとGEの両方で日本政府に要求を突き付けることになってよかった。                                                                                      日本政府の普遍的定期審査は予定通りの結果というか、去年の10月の審議が本番で、今回は報告書の採択なので、まあこんなものかと思う。今回は、15日のペルー、スリランカも含めて、14カ国の普遍的定期審査のすべてを傍聴した。そこで新しい課題に気づいた。これまで日本関連NGOは、UPRで、日本の人権状況を訴え、各国政府に発言をチェックし、日本政府の応答に腹を立て、より良い勧告を求めてきた。その勧告を実現するために国内で頑張ってきた。しかし、それでは決定的に足りない。もっとやるべきことがある。その第1は、他の諸国のUPRに際して、NGOが何をなすべきかであるが、これは今回は置いておく。                                                                                                    重要なのは第2で、他の諸国のUPRに際して、日本政府が何を発言し、いかなる勧告を出しているかのチェックである。今回の13カ国に関する日本政府の動きをチェックしてみた。これは一定期間継続的に調査する必要がある。(1)UPRは、国連加盟国すべてについて公開の場で相互にチェックし合い、相互協力によって人権状況を改善するためのものである。当然、自国のことだけではなく、国連加盟国には、多国の人権状況に改善提案をすることで、国連人権理事会に貢献することができる。日本政府はその努力をどれだけやっているか。(2)他国の人権状況に改善勧告を出すためには、それなりの調査・研究、情報収集、分析が必要である。いい加減なことを言うわけにはいかない。各国のジュネーヴ代表部のスタッフには、そうした調査・研究能力が求められる。アメリカ、中国、日本のような大国は、ジュネーヴに大きなビルを構え、多数のスタッフが抱えている。何十人もの外交官が活動している。それでは、日本は何をしているか。                                                                                     以上の(1)と(2)の関心から、今回の13カ国に対するUPRの経過を調査した。結論は、ほとんど最初から見えていたが、日本政府の発言は非常に少ない。日本政府が各国に対して出した勧告は、韓国に3、スイスに0、スリランカに2、ペルーに0、パキスタンに2、ザンビアに2、ガーナに0、ウクライナに0、グアテマラに0、ベニンに0、チェコ共和国に0、アルゼンチンに0、ガボンに0といった調子だ。つまり、UPRの大半の時間を日本政府はひたすら沈黙しているのだ。アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、キューバ、カナダ、ノルウェーなどは、多くの諸国に対して3つも5つも勧告を出している。ごくごく小さな国でも、良く出している。国連加盟国193カ国の中には、国家財政規模からいって、ジュネーヴに1人しか代表のいない政府も珍しくない。それでも、頑張っている。何十人もスタッフのいる日本政府は、上のようなありさまだ。この点はもっと詳しく調べる必要がある。今会期だけでなく、数回の会期にわたって調べること。そして、勧告の内容も検討することが必要だ。勧告を出していても、「いや、それはすでに実現しています」と答えられた例もある。どうでもいい内容の勧告もある。日本政府が審査を受ける時だけではなく、普段から国際人権法にいかなる姿勢を持ってるのかをチェックしていかなくてはならない。                                                                                                            *                                                                                                                                   と、今回の人権理事会活動をいちおうまとめ、今後の課題も確認して、今夜はSyrah, Matre de Chais, 2008.

人権理事会UPR韓国報告を採択(国家保安法、兵役拒否、死刑)

グランサコネ通信2013-17                                   *                                                  14日の人権理事会は普遍的定期審査UPRで韓国に関する報告書(A/HRC/22/10)を審議し、韓国への勧告を含む報告を採択した。昨年10月のUPR作業部会で、韓国には70の勧告が出されていた。今回、韓国政府はその多くを受け入れたが、拒否したものもあり、それは主に、国家保安法、兵役拒否、死刑に関するものだった。韓国政府は、国家保安法は主権国家の存続にとって必須不可欠であるとまで述べて、法律は裁判所によっても認められており、基本的民主秩序にかなっていると述べて、国家保安法を廃止せよという勧告を拒否した。兵役拒否を犯罪としていることにも、改善勧告が出されていたが、韓国政府は、朝鮮半島の特殊な政治状況を理由に変更の必要はないと、述べた。死刑を廃止せよという勧告については、韓国政府は、いまは実際の執行はしていないが、死刑制度自体は世論に支持されている、基本政策として今後も維持すると述べた。死刑存続の理由を「世論」に求めるのは、日本と似てきた。「人権」よりも「世論」というのは、どこにも通らない話なのだが。NGOでは、アムネスティ・インターナショナルが、死刑、兵役拒否、国家保安法を批判した。アジア人権発展フォーラムは、移住者の権利を尊重せよ、国家保安法を廃止せよ、平穏なデモの弾圧を止めよと主張した。国際子ども擁護団体は、子どもの権利(教育問題、性的搾取)に言及した。なお、ここ数日、韓国NGOが何人も参加してロビー活動を展開していたが、韓国の人権状況の普遍的定期審査の時になるとパタリといなくなった。誰もいない。不思議だ。もしかすると、NGOの席ではなく、他の所にいたのだろうか。

Thursday, March 14, 2013

人権理事会UPR日本報告を採択(死刑、代用監獄、「慰安婦」、フクシマ)

グランサコネ通信2013-16                                              *                                                                               14日の人権理事会は普遍的定期審査(UPR)だった。午前のガーナ、ウクライナ、グアテマラは速やかに終わり、休憩をはさみながら、昼はベニン、韓国、スイスと続いたが、意外にスイスの審議が長引いた。午後はパキスタン、ザンビア、日本と続いた。日本審査は5時からの予定が5時半開始、6時20分頃までとなった。                                                    *                                                                                            日本政府に関するUPR作業部会報告書(A/HRC/22/14)――内容は昨年10月に行われた作業部会の報告書で、各国から174の勧告が出された。                                                                                   日本政府のリプライ報告書(A/HRC/22/14/Add.1)――内容は174の勧告に対する日本政府の応答。大半の勧告を受け入れるが、26は拒否。拒否したのは、死刑廃止、刑事法制度(特に代用監獄問題)、そして「慰安婦」問題の3つが中心。                                                                                         最初に日本政府がリプライの報告発言をした。                                                                                            続いて、各国からの発言だが、イランは、日本の応答を歓迎しつつ、マイノリティの子どもに対する差別での善処に言及した。ラオスは、子ども売買への取り組み、障害者の権利、女性に対する暴力、ジェンダー平等に言及しつつ、日本政府の努力に触れた。フィリピンは、「慰安婦」について日本政府の努力を認め、人身売買に関するパレルモ議定書と、移住労働者権利保護条約の批准を求めた。韓国は、すべて「慰安婦」問題について。日本政府は日本軍政奴隷制について法的責任を受け入れていない、誠実な措置が講じられたとはいえない、問題はまだ未解決であるから法的責任を受け入れるべきである、と発言した。モルドヴァは、日本が女性に対する暴力と人身売買に取り組んでいることはわかるとしつつ注意喚起。タイは、ジェンダーステレオタイプな権利侵害と性的搾取があると指摘した。アルジェリアは、子どもの性的搾取と、女性の社会進出が遅れていることに言及。中国は、「慰安婦」問題についてまだ誠実な措置が講じられていない、人権委員会などの人権機関は、NGOが要請してきたが、対応がなされていない。法的責任を受け入れて、謝罪をし、女性に対する深刻なジェンダー暴力に向き合うように促す、と発言。そのほかに、マレーシア、ミャンマー、ルーマニア、ヴェトナム、ボツワナが日本を積極的に評価する発言。                                                                                                         NGOは、国際人権連盟IFHRLが、死刑と代用監獄について批判し、谷垣の死刑執行も批判、死刑執行猶予制度を採用せよ。アムネスティ・インターナショナルAIが、死刑、代用監獄(「ダイヨウカンゴク」と発言)、性奴隷制について法的責任と補償をすべきなのに、安倍首相が歴史修正主義だ、と批判。国際子ども擁護SCIは、子どもの権利条約第3議定書に署名すること、フクシマの人々の健康権を尊重し、被曝した人への差別に対処することを求めた。国際レズビアン・ゲイ協会ILGAは、日本の「レインボウ」の情報をもとに、ジェンダー・アイデンティティに関する差別を訴えた。ドン・ボスコ国際DBIは、子どもの教育、教員のストレス、体罰問題を取り上げ、さらにフクシマの子どもが危険な放射線下に置かれていると指摘した。国境なき記者団RWBは、福島事故に関する情報公開、知る権利、取材の自由が制約されていることを取り上げ、表現の自由が市民の安全を保障することに繋がるようにせよと求めた。反差別国際運動IMADRは、憲法14条にもかかわらず、人種差別など各種の差別があるとして、包括的な差別禁止法の制定、朝鮮人や中国人に対する憎悪の煽動への対処を求めた。ヒューマン・ライツ・ナウHRNは、福島の人々の健康権につき、20ミリシーベルトは国際基準の20倍だと批判し、人々に選択の可能性がなくされている事を指摘し、被害者への補償と医療を求めた。日本の表現の自由を考える会JARFSは、日本が公務員のビラ配りを犯罪としていることを批判した。                                                                                                          最後に日本政府がリプライで同じことを主張して終わり。報告書は予定通りに採択された。

私たちは星屑でつくられている

村山斉『宇宙になぜ我々が存在するのか――最新素粒子論入門』(ブルーバックス、2013年)                                                         *                                                                                         同じブルーバックスの前著『宇宙は本当に一つなのか』に続く著者の、一般向けの入門解説書だ。                                                                                            極大の137億年前に成立した宇宙と、極小極微の素粒子論の最新物理学で解く宇宙と私というコンセプトで、主役はニュートリノ、だ。第1章「恥ずかしがり屋もニュートリノ」に始まり、「素粒子の世界」「とても不思議なニュートリノの世界」「ものすごく軽いニュートリノの謎」「ニュートリノはいたずらっ子?」「ヒッグズ粒子の正体」を経て、第7章「宇宙になぜ我々が存在するのか」に至る。一昔前に読んだ宇宙論や素粒子論から随分と飛躍的に理解が進んでいるので驚きが多い。                                                                                               2012年に「神の粒子」ヒッグズ粒子が発見された時のニュースの意味も本書でよくわかった。この分野ではカミオカンデと並んで有名なCERNの大型加速器LHCがヒッグズ粒子を発見したが、ジュネーヴの北にあるのですぐそこだ。ジュネーヴ郊外、ジュネーヴ空港の向こう側の地下にある。本書113頁に上空から見た写真が掲載されているが、いつも歩いている道、というか本書を読んでいるさなかの3月13日にも歩いた道が、ちゃんと写っている。北側にあるジュラ山脈もいつも来ている山々だ。                                                                                                               著者は1964年生まれの素粒子物理学者、以前はカリフォルニア大学バークレー教授だったが、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構招堤機構長、特任教授。いろんな喩話を用いて、難しい素粒子論を素人でも理解できるように分かりやすく話すのが得意だ。ただ、たとえ話をいくら読んでも本当のことはわからない。しかし、こちらに本当の理論を理解する能力がないので、著者の喩話を楽しく読むしかない。

Wednesday, March 13, 2013

人権理事会で朝鮮学校差別問題を発言

グランサコネ通信2013-15                                                                 *                                                                                        12日の人権理事会が最後に議題5(マイノリティ)に入って、マイノリティ・フォーラムの報告書のプレゼンテーションの後に、一般討論に入ったが、すぐに午後6時になり、続きは13日に持ち越し。                                                                                マイノリティ特別報告者リタ・イザクの報告書は2つ。1つは議題3でマイノリティ問題独立専門家の報告書(A/HRC/22/49)。今回のテーマは言語的マイノリティの権利である。言語的マイノリティの権利を国際人権法における諸規定で確認し、各論ではさまざまな局面での権利に言及している。マイノリティ言語の存続に対する脅威、マイノリティ言語を承認すること(たとえば南アフリカ憲法は、セペディ、セソト、セツワナ、スワティ、チヴェンダ、シツォンガ、アフリカーンス、ンデベレ、ホサ、ズールー、英語を公用語としている)、公的生活におけるマイノリティ言語の使用、教育におけるマイノリティ言語、メディアにおけるマイノリティ言語、行政司法分野におけるマイノリティ言語、氏名・地名・公共表示におけるマイノリティ言語、経済政治生活への参加など、重要な報告書なのでどこかで詳しく紹介したい。日本でいえば、裁判所はアイヌ語や琉球語の使用を禁止してきた。言語的マイノリティの権利を否定してきたと言ってよいだろう。たしか、2005年、ドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」は、日本政府に対して、アイヌ語などの放送を行うように勧告していた。もう1つの報告書は、議題5のマイノリティ・フォーラム報告書(A/HRC/22/60)。                                                                   13日は朝から少し寒く、時折、白いものが舞っていた。このところ暖かくなって春めいてきていたが、また寒さが戻ってきた。13日午前の人権理事会は前日に引き続き議題5の審議を行った。議題5でNGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR)は朝鮮学校差別について報告した。昼には腐敗がもたらす人権侵害についてのパネル・ディスカッションが行われた。13日午後から、国別の人権状況を検討する普遍的定期審査(UPR)に入った。今回の対象国は、チェコ、アルジェリア、ガボン、ベニン、韓国、スイス、パキスタン、ザンビア、日本、ペルー、スリランカだ。日本の審査は14日午後の見込み。                                                                                                             13日の議題5におけるJWCHR(前田朗)発言は、日本における新しい差別政策について紹介したいと始め、2月に日本政府が朝鮮学校の高校無償化排除を決定したことを取り上げた。在日朝鮮人の形成過程(植民地支配、強制連行、第二次大戦後の状況)に触れ、在日朝鮮人が、日本政府による差別にもかかわらず、60年間、朝鮮学校を維持してきたことを紹介し、2010年4月に始まった高校無償化から朝鮮年学校を排除してきたこと、アメリカ、フランス、中華学院などには支給して、朝鮮学校だけを排除していることを批判し、日本政府は人種差別撤廃条約、国際人権規約(自由権規約、社会権規約)、子どもの権利条約を守るように訴えた。                                                                                                 発言の時、日本政府と朝鮮政府はいたが、なぜかこの日も韓国政府は席を外していた。

Tuesday, March 12, 2013

人権理事会で「慰安婦」問題を発言

グランサコネ通信2013-14                                                                                *                                                                                               12日の人権理事会は、議題4の一般討論を終えて、議題3と5のマイノリティの審議に入った。議題4で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR)は日本軍「慰安婦」問題について発言した。                                                                                             JWCHR(前田朗)は、「慰安婦」問題の最近の状況を報告したいと始め、次に日本軍性奴隷制の歴史を簡潔に述べ、朝鮮半島、中国、フイリピン、インドネシアなどアジアの女性20万人が強かん所で性奴隷にされたこと、国連人権委員会などが何度も解決のための勧告をだし、各国、特にアメリカ議会が決議をしたこと、にもかかわらず全く解決していないこと、元首相の中曽根康弘が強かん所を作ったことなどに触れたうえで、2011年に韓国憲法裁判所が韓国政府に対して解決のための努力をするように判決を出したこと、2013年1月にニューヨーク市議会も決議を出したことを紹介し、安倍首相が歴史の事実を否定する発言を繰り返していると述べ、この問題が国連人権委員会に初めて報告された1992年から20年が経過し、被害女性は80歳を超えているので、解決を急ぐべきだと発言した。                                                                                         発言の時、日本政府と朝鮮政府はいたが、韓国政府が席をはずしていたのが残念。韓国のNGOも何人も来ているのに、だれも関心を示さない。関心を示してくれたのは中国の若い男性NGOくらいのものだ。あとで会ったら彼は私を韓国人と思っていた。韓国NGOははじめてきたグループで、別室で連日のように朝鮮政府非難のセミナーを開いている。初日に行ってみたところ、朝鮮戦争における離散家族・行方不明者など韓国民間人被害を取り上げていた。ところが、受付スタッフを手伝っていたのは韓国外交官。開会演説は韓国大使。配布資料は今回のために作成した立派な印刷資料で、会場に持ち運んできたのも外交官だ。NGOセミナーと称しているが、実際は韓国政府が仕切っていた。これまで国連人権理事会で韓国と朝鮮はお互いに非難しないようにしていたが、今後は様相が変わりそうだ。

ネオリベラリズムのオモテとウラ

中山智香子『経済ジェノサイド――フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書) 「経済学者はいったい何をしているのです」(リーマン・ショック後にエリザベス女王が発した言葉)が帯に印刷されている。「お金がすべて」のネオリベラリズムが経済を領導・分析してきたはずが、現実に追い越され、突き放されて、なすすべもなく崩壊し、<お寒い経済学>と成り果てたことを示すものだ。                                                                                         本書は、グローバリズムの時代のネオリベラリズムの起源を1973年9月11日、チリのアジェンデ政権に対する軍事クーデタとその後のチリ経済を「発展=崩壊」させた初期フリードマン経済学にみる。その後、フリードマン経済学がアメリカを、そして資本主義世界を席巻し、とめどなき倫理の崩壊、異常な格差構造、そして経済ジェノサイドがもたらされる。ネオリベラリズムの興隆、発展、世界制覇、そして崩壊は、素人にもよくわかる。                                                                                                       だが、その過程が決して単線的ではなく、さまざまな局面での闘いがあり、理論の対抗があった。一方でハイエクやフリードマン、シカゴ学派が登場するが、他方でフランクやアミンの世界システム論、そしてガルブレイスが対抗軸形成に活躍する。最後はポランニーだ。こうした経済学者の経歴や理論だけではなく、相互批判や、裏ワザによる嫌がらせや弾圧や、時にはさや当てなど、おもしろくも怖~いエピソードの紹介が続く。経済的自由、資本の自由、法律的に言えば営業の自由が近代において持っていた一見すると革新的な意味が、現代資本主義における貧困、人間抑圧、連帯の喪失へと転換していった謎がていねいに解き明かされる。フリードマンの「自由」が必然的に自由の破壊に至る道筋の解明である。                                                                                                                      著者は1964年生まれの東京外国語大学教授で、ウィーン大学に留学していたり、『経済戦争の理論――大戦間期ウィーンとゲーム理論』という著者があると言うが、本書ではアメリカのフリードマンとガルブレイスを中心に描いている。多彩だ。文章も面白い。時々、カッコ書きで遊んでいるのが楽しい。                                                                         もっとも、ポランニーにたどり着いて終わるのでは、どうかな~~と思う。20年以上前だろうか、ポランニーを紹介して、おもしろおかしく流行になった経済学者がいたが、あれはいったいどうなったの? という感じだ。手あかがついて放置されたポピュリズム・ポランニー。ポランニーのせいではなく、日本的現象だったのかもしれないが、今となっては、この荒野にそのまま植えてもポランニーの芽は出ないだろう。

Monday, March 11, 2013

平和への権利NGO会議で発言(フクシマ、9条)

グランサコネ通信2013-13                                                       *                            11日の人権理事会は、各国の状況で、シリア、朝鮮、ミャンマー、イランなどの状況をめぐって審議が続いた。                                                                                                                                                                                                                                                                                   12時から14時まで、サイドイベントとして平和への権利NGO会議を開催した。主題は2月に行われた平和への権利作業部会の評価である。議長はBangwe et Dialogue会長のコレット・サモヤさん。作業部会の時に発言していたが、Bangwe et Dialogueは初めて聞くNGOだった。今日聞いたら、Bangweはブルンジ語でstop fighting だそうだ。彼女は元ブルンジ国連常駐代表で、リタイア後Bangwe et Dialogueを率いるとともに、NGO女性の地位委員会平和への権利責任者だ。                                                                                                                                                                                                                                                                       最初の発言はカルロス・ビヤン(スペイン国際人権法協会)で、作業部会とその報告の分析をしていたが、中身は弟子で事務局のダヴィド・フェルナンデスが書いたもの。その後11人のNGOが発言し、最後にアルフレド・デ・ザヤス民主的国際秩序促進独立専門家(ジュネーヴ外交大学教授)が発言しておしまい。                                                                                                                                                                                                                                                                                                     発言の機会をもらったので、3月11日は福島原発事故2周年ということから始めて、福島の状況をほんの少しだけ話し、それから作業部会については、参加・発言した政府やNGOが少なかったことを指摘したうえで、日本政府がまったく貢献していない、憲法9条と前文には平和的生存権があり、長沼訴訟札幌地裁判決や名古屋高裁判決が平和的生存権を認めていること、コスタリカや韓国も含めて6つの判決があることを紹介した。 

Friday, March 08, 2013

資本主義の外部に音楽はあるか

毛利嘉孝『増補ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房)                                                                              http://www.serica.co.jp/309.htm                                                                                                 *                                                                                                                         2007年に初版が出た本の増補版だ。以前は飛ばし読みの感じだったが、今回はちゃんと読んだ。アドルノの批判理論による文化研究、ポピュラー音楽論を一つの手掛かりに、ジャズ、ロオック、パンク、レゲエ、テクノミュージック、ヒップホップ、などのポップミュージックの変遷と意味を探る試みだ。著者は1963年生まれ、東京芸術大学准教授、専攻は社会学だ。音楽学部の学生相手に、社会学と音楽の交錯する分野の授業をしているそうで、その教科書として書かれたものだ。つまり学生向けの本だが、ビートルズはもとより、ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、ブラック・ミュージックなどが次々と取り上げられていて、あの時代に青春を送った人間にとってはそれだけでも面白い。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドだ。もっとも、ヴェルヴェットとキャラバン、そして初期ジェネシスの関係を追いかけていた私としては、キャラバンとジェネシスが出てこないのがちょっと。アトール、オザンナ、バンコ、アフロディテス・チャイルドのようなマイナー・バンドじゃないんだから。でも、アドルノ理論を活用して、現代ポップミュージックと資本主義の関係を問うのだからおもしろくないはずがない。資本主義との関係というのは、音楽を単にメロディ、リズム、歌詞として楽しむだけではなく、音楽の生産、流通、消費に着目して、音楽がどのように人々に届けられ、支持されていくのかを論じているからだ。増補版では、CDが売れなくなった原因を探る中で、音楽産業の変容とアイドル文化の在り方の変遷を重ね合わせて分析している。もっとも、音楽はやっぱり読むものではない(苦笑)。                                                                                                                                               *                                                                                                                                     本書の主張を単純化してはいけないが、終わりのほうでまとめて次のように書かれている。                                                                                                                                       「ここまで、ポプラー音楽の実践について述べてきました。あらためて確認しなければいけないのは、ポピュラー音楽の実践は、実験的なアヴァンギャルドや左翼的な実践とは異なり、資本や権力に対して常に両義的な立場を取るということです。それは対抗的になると同時に反動的になる可能性を同時に秘めています。そして、そのことが、しばしば(自称)ラディカルな政治中心主義者をいらだたせながらも、大衆的なものを動員し、組織化することを可能にしたのでした。この両義性こそが、本来の政治を獲得する鍵であり、ポピュラー音楽の魅力なのです。                                                                                                                                                    ポピュラー音楽は、資本主義に対抗するものでもなく、独立したものでもなく、資本主義が作り出した無駄なもの、過剰なもの、廃棄してしまったものから作り上げられたものです。それは資本主義の、副産物だったのです。現代社会の皮肉は、その副産物が今では主要な生産物へと変貌しつつあることです。その結果、ポピュラー音楽はその役割をまた変容させつつあります。」                                                                                                                               本書を通読すれば、この指摘は納得できよう。                                                                                                                                                                 不満と言えば、ポピュラー音楽、ポピュラリティのある音楽が、ロックやジャズやパンクとあらかじめ決められているところだろう。ポピュラー音楽と資本主義という問題設定をしたとたんに、「民族音楽」は世の中から消されてしまう。「Ⅳ 人種と音楽と資本主義」で「黒人」音楽をめぐりジャズの発展史が語られるが、それ以外の世界の民族音楽は取り上げられない。資本主義以前から存在し、存在したと信じられ、資本主義世界において再編成されていく民族音楽については何も語られない。欧米の音楽産業(ラジオ、テレヴィ、レコード会社、プロダクション)の世界でメジャーになったものだけがポピュラー音楽と認定されていく。アラブであれインドであれ民族音楽も資本主義に徐々に取り込まれてきたのだろうが。                                                                                                                                          *                                                                                                                                                    目次                                                                                                                                                             はじめに                                                                                                                                        Ⅰ ポピュラー音楽と資本主義                                                                                                                              1 マルクス主義的批判理論の導入                                                                                                                             2 アドルノのポピュラー音楽批判                                                                                                                                      3 反抗の時代・ロックの時代                                                                                                                            4 アドルノ的なペシミズムに対するポピュラー音楽研究からの批判                                                                                                                            Ⅱ ロック時代の終焉とポピュラー音楽の産業化                                                                                                                                        1 産業化するポピュラー音楽                                                                                                                                         2 七〇年代の日本のポピュラー音楽                                                                                                                                3 音楽産業の変容                                                                                                                                     4 フォーディズム的な生産様式とその終焉としての六八年                                                                                                              5 ポストフォーディズム的生産体制                                                                                                                                 Ⅲ ポップの戦術――ポストモダンの時代のポピュラー音楽                                                                                                              1 アート・イントゥ・ポップ                                                                                                      2 アンディ・ウォーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド                                                                                                                     3 パンクとテクノの登場とロックの終わりの終わり                                                                                                                         4 KLFと資本主義の消費                                                                                                                          5 日本のポピュラー音楽におけるポップの戦術                                                                                                                           Ⅳ 人種と音楽と資本主義                                                                                                                                  1 人種とポピュラー音楽                                                                                                                          2 「黒人」というカテゴリー                                                                                                                       3 移動する音楽・変容する音楽                                                                                                                                                     4 二重に搾取されるブラック・ミュージック                                                                                                                                  5 二重の搾取に抗して                                                                                                                             6 資本主義と人種                                                                                                                                         Ⅴ 「Jポップ」の時代                                                                                                                                   1 音楽は本当に危機なのか?                                                                                                                              2 九〇年代の音楽産業のバブル景気的成長                                                                                                                      3 ミリオンセラーの増加と音楽のファミリーレストラン化                                                                                                                    4 Jポップの形成期の「シブヤ系」                                                                                                                       5 新自由主義とフリーターの九〇年代                                                                                                                           6 インディーズのオーバーグラウンド化                                                                                                                           Ⅵ 「ポスト・Jポップ」の風景                                                                                                                      1 アイドルのCDチャート寡占時代                                                                                                                                2 モーニング娘。からAKB48へ                                                                                                                         3 オタク的消費のメインストリーム化                                                                                                                         4 パッケージからライヴとマーチャンダイジングのビジネスヘ                                                                                                                       5 アイドルやアーティストは、今何を生み出しているのか?                                                                                                                            6 生産的な消費と消費的な生産                                                                                                                                                  Ⅶ ムシカ・プラクティカ――実践する音楽                                                                                                                          1 実践する音楽                                                                                                                                         2 DJカルチャーとDiYカルチャー                                                                                                                             3 デジタル時代のDiY実践                                                                                                                        4 日本のDiYカルチャー――音楽の贈与経済へ                                                                                                                                5 福岡の音楽実践――ミュージック・シティ・天神                                                                                                                      6 再びポピュラー音楽ということ                                                                                                                                      あとがき

平和への権利NGO会議(3月11日)

3月11日、国連欧州本部の会議室で、平和への権利NGOミーティングが行われる。国連人権理事会平和への権利作業部会の議長だったコスタリカ政府のChristian Guillermetが参加する。2月21日に採択された勧告の中に、議長が市民社会と非公式協議を行うという趣旨の項目があり、その第一弾である。そのほかにも10人ほどのスピーカーが予定されている。                                                                                                                *                                                                                                     CSO Assesment of the first session of the Open-Ended Working Group on the draft UN Declaration on The Right to Peace                                                                                                               *                                                                                                                               Palais des Nations, Geneva, 11 March 2013 from 12:00 to 14:00                                                                                                              Room XXIII                                                                                                *                                                                                                                            Organised by CSO Coalition on the Human Right to Peace                                                                                                                        *                                                                                               Program of work                                                                                                   Welcome statement by the Moderator, Ms. Colette Samoya, President of the Bangwe et Dialogue, Facilitator on the right to peace at the NGO Committee on the Status of Women in Geneva and former Permanent Representative of Burundi to the United Nations in Geneva                                                                                                                                Assesment of the first session of the OEWG                                                                                                                              Speakers:                                                                                                                               H.E. Christian Guillermet, Deputy Permanent Representative of Costa Rica to the United Nations in Geneva and Chairperson/Rapporteur of the OEWG on the draft UN Declaration on the Right to Peace                                                                                                                                   Prof. Carlos Villan Duran, President of the Spanish Society for International Human Rights Law, representative of the International Observatory of the Human Right to Peace and the International Association of Peace Messenger Cities. Roundtable discussion with the following CSO representatives who participated in the first session of the OEWG                                                                                                                                           Speakers:                                                                                                                                                               Mr. Fabio Agostini, representative of the Association “Comunita Papa Giovanni XXIII” .                                                                                                                    Ms. Micol Savia, representative of the International Association of Democratic Lawyers and the American Association of Jurist .                                                                                                                                                 Mr. Rudolf Schneider, representative of the Institute for Planetary Synthesis CSO Assesment of the first session of the Open-Ended Working Group on the draft UN Declaration on The Right to Peace. Palais des Nations, 11 March 2013                                                                                                                                Mr. Derek Brett, representative of the International Fellowship of Reconciliation .                                                                                                                                                  Prof. Maeda Akira, representative of the Japanese Workers' Committee for Human Rights .                                                                                                                                                       Ms. Valerie Bichelmeier, representative of the Make Mothers Matter Int. .                                                                                                                                                       Mr. Rolf Carriere, representative of the Non-Violence Peace Force .                                                                                                                                                     Prof. Curtis Doebbler, representative of North South XXI .                                                                                                                                                 Mr. Oumar Baldet, representative of the Rencontre Africaine pour la defense des droits de l'homme .                                                                                                                                    Mr. Kazunari Fuji, representative of Sokka Gakai International .                                                                                                                                                               Mr. Mutua Kobia, representative of the Worldwide Organization for Women .                                                                                                                                                      Ms. Elly Pradervand, representative of the Women's World Summit Foundation Remarks delivered by Prof. Alfred de Zayas, Independent Expert on the promotion of a democratic and equitable international order                                                                                                                                              Closing statement by the organisers and Moderator, Ms. Colette Samoya, President of the Bangwe et Dialogue, Facilitator on the right to peace at the NGO Committee on the Status of Women in Geneva and former Permanent Representative of Burundi to the United Nations in Geneva CSO Assesment of the first session of the Open-Ended Working Group on the draft UN Declaration on The Right to Peace. Palais des Nations, 11 March 2013    

国連人権理事会、子どもの権利、民間軍事会社の審議   

グランサコネ通信2013-12                                                                                                                                                                *                                                                                                        7日は、午前、昼、午後と子どもの権利の審議だった。まず、午前は、子どもの健康への権利がテーマで、ランセット主任編集者のリチャード・ホートン、WHOのフラビア・ブストレオ、ウルグアイ健康省のグスタボ・ジャチェット、子ども売買・子ども搾取・子どもポルノ特別報告者のマーラ・ムジッド、バングラデシュのプロジェクト担当のセリナ・アミンによるパネル・ディスカッションだった。途中、子どもの主張の時間があり、ハイチで子どもHIV問題に取り組んでいる16歳の少女、ボリビアのモンテルード地域で子どもユースネットを組織し活動している15歳の少年が発言した。                                                                                                                                      昼から議題3の報告書の審議に入り、子どもに対する暴力問題国連特別代表マータ・サントス・ペの報告書、及び子ども売買問題特別報告者マーラ・ムジッドの報告書のプレゼンテーション、そして各国政府の発言と続いた。                                                                                                                    午後に再び健康への権利のパネル・ディスカッションで、子どもの健康への権利特別報告者のアナンド・グローバー、リチャード・ホートン、エセックス大学教授のポール・ハント、子どもの権利委員会のアリア・ヘルゾーク、子どもに対する暴力問題国連特別代表のマータ・サントス・ペ、欧州評議会のイサベル・デ・ラ・マタ、インドの子どもを守るNGOのトーマス・シャンディ、米州人権裁判所のオスカル・パラ。                                                                                                                  マーラ・ムジッド報告者の報告書は、今回、ツアーにおける子どもの性的搾取、を取り上げている。商業的性的搾取の一形態としてのセックス・ツアーの現状と、これを止めさせるためのキャンペーンや、取り締まる措置の具体例が示されている。                                                                                            *                                                                                                                           8日午前は、子どもに対する暴力問題国連特別代表マータ・サントス・ペの報告書、及び子ども売買問題特別報告者マーラ・ムジッドの報告書をめぐる審議が続いた。                                                                              ILO代表の発言は子ども買春労働の規制に関するものだったが、途中で「ILOはUnited Statesの特別機関であり、あ、失礼、United Nationsの特別機関であり・・」と言って失笑を買っていた。本音が出たのか、自虐ギャグなのか。                                                                                                                                                                            さらに、民間軍事会社を規制する国際法的枠組みに関する作業部会報告書のプレゼンテーションが行われた。2012年8月13日から17日にかけて、作業部会第2セッションが行われ、その報告書である。民間軍事・警備会社による重大人権侵害をどう規制するのかについては、一方で、傭兵禁止国際条約があり、それに関する作業部会もあるが、民間軍事・警備会社そのものを国際法と各国国内法でいかに規制するのかが課題だ。この領域ではすでにモントルー文書(武力紛争における民間軍事・警備会社の活動に関する各国のための適切な国際法上の義務とよい実践例に関するモントルー文書)と、国際行動規則(民間警備提供者のための国際行動規則)があり、それをどのように発展させるかが議論されている。報告書を読む余裕がなかったが、作業部会におけるアメリカの発言だけ読んでみた。アメリカは、民間軍事・警備会社についてアメリカは国内法できちんと規制している、と自慢している。民間軍事会社のウェブサイトをロッキングしているのと、民間軍事会社に政府機能を代行させるような契約を禁止しているのだという。驚きの発言だ。                                                                                                          8日昼は「国際女性デー」のセレモニーとビデオ・ショーだった。10数か国が協力して、女性の人権活動家や、人権侵害被害を受けた女性の証言ビデオ。                                                                                                                                     午後は、議題3全体の一般討論が続いた。                                                                                                                       *                                                                                                                                           Dôle des Monts, Robert Gilliard S.A. Sion, 2012.

Thursday, March 07, 2013

最新の刑事訴訟法入門テキストに学ぶ

緑大輔『刑事訴訟法入門』(日本評論社、2012年)                                                                                             http://www.nippyo.co.jp/book/6059.html                                                                                      *                                                                                                    学生向けの法律雑誌『法学セミナー』に連載したものを1冊にまとめた入門書である。著者は1976年生まれの北海道大学准教授。若手研究者だ。たしか刑事立法研究会で同席したことがあったが、よく覚えていない。                                                                                                                  各章の冒頭に「事例」や「資料」を提示して、続く本文で理論的問題を考えるスタイルになっていて、わかりやすい。ジュネーヴに来てから、1日1~2章のペースで読んできて、なかなか勉強になった。もっとも、学部学生には結構難しいのではないだろうか。入門書にしては註にあがっている著書・論文などは実に専門的だ。これらも読むといいでしょう、と書かれているが、学生や法科大学院生にはとうてい無理だろう。                                                                                                                                     また、2年間の雑誌連載のため、自白にたどり着いたと思ったら、最後にいきなり「刑事訴訟法と学説」で終わっていて、裁判・判決・上訴・再審が抜けている。現状でも330頁あるので、それらを入れられなかったのはやむを得ないが。                                                                                                     未決拘禁、取調べ、黙秘権の記述は特に気になったが、従来の学説と実務の域を超えない。これまたやむをえないが、これで取調べにおける人権侵害を防止できるだろうか。現行の実務に対する批判は的確になされているが、そこから先が必ずしも十分ではない印象だ。                                                                                                                     *                                                                                                                                  LAPHROAIG 10 years old.

Wednesday, March 06, 2013

国連人権理事会、チャベス追悼

グランサコネ通信2013-11                                                                                               *                                                                                                                       3月5日午前、人権理事会第22会期は引き続き、議題3において提出された報告書(特別報告者、作業部会)をめぐる議論を行った。                                                                                                            前日からの続きで、まず拷問問題と人権擁護者の人権が議論された。各国政府の発言を聞いていてわかるのは、おおまかに4つの種類に分けられることだ。第1は、自国における拷問や虐待の存在を前提に、事態を改善するためにとってきた措置の説明をする発言。第2は、拷問や虐待があると指摘を受けて、その存在を否定したり、解釈を変えて言い訳をする発言。拷問があることが知れ渡っている国の場合。第3に、自国のことには言及せず、他国の人権侵害を列挙する発言。第4に、発言しない諸国。最後が一番の問題で、日本政府が典型だが、拷問の事実を認めず、したがって拷問をなくす努力はしない。                                                                                                                        *                                                                                                                        3月5日昼から、恣意的拘禁作業部会報告書と反テロ特別報告者報告書の審議に入った。恣意的拘禁作業部会報告書は去年までも何度か紹介してきたが、今回、思いがけないことに「恣意的拘禁とは何か」の定義を主題としている。人権委員会時代から「恣意的処刑・略式処刑」の議題があったので、それと同じように恣意的拘禁の議題と理解してきたが、各国から批判が出たようだ。                                                                                                             作業部会は、各国における恣意的拘禁の事例を取り上げて警告を発してきた。これに対して、どの国も、これは恣意的拘禁ではない、と抗弁する。その際に、恣意的拘禁とは何かの定義が定まっていないので、あれこれと言い訳がまかり通る。作業部会に対する批判も出て来る。そこで、今回、改めて恣意的拘禁の定義の試みが行われている。これも後日、どこかで紹介しようと思う。                                                                                                             報告書はまず、慣習国際法において恣意的と言える自由の剥奪について、自由剥奪を正当化する法的根拠が不明の場合、自由剥奪において世界人権宣言の主要な人権が不当に制約されている場合、公正な裁判に基づいていない場合、移住者や難民が長期にわたって行政拘禁されている場合などを列挙する。続いて、世界人権宣言、国際自由権規約、アフリカ人権憲章、米州人権条約、欧州人権条約、アラブ人権憲章の関連条文を指摘する。国際自由権規約の批准はすでに167か国に及び、国際基準として使えるという。                                                                                       おもしろいのは、各国の憲法も参考になるとして、オーストリア憲法75条5項、アゼルバイジャン憲法28条、フランス憲法66条、スペイン憲法17条4項、デンマーク憲法法律71条2項、チリ憲法19条7項、モロッコ憲法23条、日本国憲法31、33、34条、パラグアイ憲法11、12、133条、グルジア憲法18、40、42条、ギリシア憲法6条、スイス憲法31条、キルギスタン憲法16条、セルビア憲法27~31条、ポルトガル憲法27条、モーリシャス憲法5条を列挙していることだ。一部の国の刑事訴訟法や人権法や人身保護法も列挙されている。条文番号だけ例示されているが、調べてみると面白いかもしれない。もっとも、全部調べるのは容易ではない。国連の特別報告者だからできることだ。                                                                                                            日本の憲法学では、アメリカ、ドイツ、フランスの例を挙げて、これが世界の動向だ、と根拠もなく決めつけるのが通例となっている。これほど視野の狭い憲法学は国際社会に通用しない。                                                                                                                      もっとも、審議における発言を聞いても、定義問題について理論的に応答した国はなかったように思う。定義をはっきりされると、後で反論できなくなって困るからか。報告書が出たばかりで、理論的な検討はまだできていないためかもしれない。NGOの発言は、いつもと同様に、イラク、アフガニスタン、イスラエル/パレスチナ、シリア等々の実態報告が中心だった。                                                                                                                *                                                                                                                                             3月5日夕方から、宗教の自由、強制失踪の特別報告者の報告書の審議に入った。3月6日午前も続き。                                                                                                                                        6日午前10時過ぎ、ベネズエラのチャベス追悼セレモニーだった。ペルー、ボリビア、べネズエラ政府代表が順に追悼の辞を述べた。「チャベスはラテンアメリカの<第2の独立>のリーダー」という表現が続いた。ボリバル革命を継承する闘士という位置づけだ。全員で黙祷。                                                                                                             追悼が終わった後で、元の審議に戻ったが、バングラデシュ、パキスタン、シエラレオネ、中国などが、それぞれの発言の冒頭に、アドリブで、チャベスにささげる一言を述べた。中国の次の順番の日本政府代表は、追悼の言葉はなく、事前に用意した自分の発言をひたすら読み上げていた。こういうのって凄く目立つんだけどなあ。                                                                                                      宗教の自由に関する発言では、シエラレオネ発言が気になった。「クリスムス」と言っていた。「Christian and Muslim」の意味だという。シエラレオネは、ムスリム60%、クリスチャン30%の国だが、きれいに分かれるわけではなく、いわば二重宗教状態の家族がいて、ムスリムとクリスチャンが同居しているし、ムスリムの休日やクリスチャンの休日をお互いに共有しているので「クリスムス」と呼ぶのだという。「文明の対立」や「宗教戦争」に対するアンチテーゼとして意味づけたいという趣旨の発言だ。実態がどうなのかはよくわからないが、面白かった。神棚と仏壇とクリスマス・イヴが同居する日本とは違って、ちゃんと意味があるのだろう。                                                                                                                                  6日昼は、障害者の権利をめぐるパネル・ディスカッション。ピレイ人権高等弁務官のあいさつに続いて、ケニアの障害者団体ネットワークのオウコ・アルチェリ、障害者権利委員会議長のロナルド・マッカラム、ILOの専門家バーバラ・マレイ、ロシア障害者協会会長のニキチシュ・ルクレデフ、企業障害者フォーラムのスーザン・スコット・パーカーのパネル。6日午後の部から、人権と環境の報告書、外国債務の報告書の審議に入った。                                                                                                                *                                                                                                                                       4日(月)から日米の有力弁護士が参加している。1人は伊藤和子さん。アフガン国際戦犯民衆法廷やイラク国際戦犯民衆法廷ではお世話になった。これまでも人権理事会に参加したことがあるが、今回はヒューマン・ライツ・ナウが国連NGO資格を取ったので、正式デビューだ。イラクや福島のことを訴えるそうだ。精力的に頑張っている。                                                                                                                          もう1人はカレン・パーカーさん。長年の常連NGOで、30年近く前に日本の代用監獄問題を国際社会に持ち出し、20年前には日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題を取り上げてくれた。イラク世界民衆法廷ブリュッセル法廷の時にお世話になり、2005年の人権小委員会に劣化ウラン弾問題を訴える時にも協力してくれた。2週間、人権理事会に専念だそうだ。  

Monday, March 04, 2013

人権理事会、ヘイト・スピーチ、拷問の審議   

グランサコネ通信2013-10                                                                        *                                                                         3月4日、人権理事会第22会期は、議題3において提出された報告書(人権高等弁務官、特別報告者)をめぐる議論を行った。                                                                    人権高等弁務官報告書で興味深いのは、人種差別煽動禁止に関するセミナー報告書であった。昨年10月にラバト(モロッコ)で専門家会議が行われた。それ以前にもウィーン、バンコク、ナイロビ、サンティアゴで開催されてきたというが、ラバト・セミナーの結果として「人種差別煽動禁止に関するラバト行動計画」をまとめている。4日午前はNGOの発言が続いたが、大半が特定の国(イスラエル、アフガンなど)の差別事件や差別政策の報告で、「煽動処罰」に絞った発言はほとんどなかった。                                                                                            日本では、煽動処罰に対する反発が強く、憲法学も刑法学も、煽動処罰は罪刑法定主義に反する、という不思議な主張をする。ジェノサイド条約も国際刑事裁判所規程も人種差別撤廃条約も、煽動処罰を明示している。かなり多くの国に実際に煽動処罰規定があり、実際に適用されている。ところが、日本の法学者は、煽動処罰は人権侵害だ、と言い放つ。この問題はきちんと議論しなければならない。ラバト行動計画を後日、日本に紹介しよう。                                                                                                                「平和的抗議の文脈での人権促進保護」という報告書も提出されているが、4日午前の発言者はあまり触れなかった。報告書を読む余裕がなかったが、いくつかの諸国の法制度などの紹介が中心だ。デモの自由のテーマで、日本でもこのところ大いに話題になっているので、読んでおこう。                                                                                                                                      食糧の権利、家屋(住居)の権利、拷問、人権擁護者の権利の特別報告者の報告書の審議が続いた。食糧の権利の報告書は「女性の権利と食糧の権利」に焦点を当てていた。                                                                                         メンデス拷問特別報告者の報告書は、今年は獄中医療に焦点を絞っている。再生産の権利の侵害とか、苦痛を取り除く医療の否定とか。さまざまな類型の調査が行われているので、これまでと同様、この報告書も後日「救援」紙上で紹介する予定だ。獄中医療は日本でもさまざまな問題を生じてきた。報告書をざっと見ると、多角的に論じているが、刑事施設における高齢者問題を取り上げていない。日本では刑事施設における高齢者と医療が大きな論点になるが、世界的には違うのだろうか。   * * メンデス報告書の目次は次のようなものです。                                                               *                                                                             Ⅰ 序文                                                                                                  Ⅱ 特別報告者の活動                                                                                           A 今後の国家訪問(調査)及び保留となっている件                                                                                               B キー・プレゼンテーションと協議の焦点                                                                                                        Ⅲ 拷問及び虐待の保護枠組みを医療に適用すること                                                                                   A 拷問及び虐待の定義の解釈問題                                                                                                 B 拷問及び虐待枠組みの医療への適用                                                                                                C 解釈指針となる諸原則                                                                                                              Ⅳ 医療における多様な形態の虐待の認定                                                                                             A 医療条件にとっての強制拘禁                                                                                             B リプロダクティヴ・ライツの侵害                                                                                               C 苦痛治療の否定                                                                                                            D 精神障害をもった人                                                                                                                   E 周縁化された集団                                                                                                                     Ⅴ 結論と勧告                                                                                                                  A 拷問及び虐待としての医療における虐待を概念化する意味                                                                                                        B 勧告 

ヘルマン・ヘッセ博物館

ヘルマン・ヘッセ博物館                                                                           *                                                                                               ルガーノからバスで15分のモンタニョーラにヘルマン・ヘッセ博物館があるので、行ってきた。ヘルマン・ヘッセといえば『車輪の下』『郷愁』『デーミアン』だ。青春時代の読書。というか、それしか知らない。まったく無知だったので博物館で勉強してきた。                                                                                *                                                                                          ヘッセは、1919年から1931年にかけてモンタニョーラのカーサ・カムッツィの4部屋に住んだ。普通の一軒家だ。それが1997年に、地元のヘルマン・ヘッセ財団の努力により博物館になった。                                                                                                  モンタニョーラは小さな山の上にあるので、ヘッセは部屋の窓からルガーノ湖を見下ろした。当時は部屋からルガーノ湖が見えたと言うが、現在は他の建物があって、見えない。南スイスの温暖な気候と、ティチーノの山々と湖の風景がヘッセにはあっていたようだ。ヘッセはこの地で40歳代の主要な作品を書いた。『シッダールタ』『ナルシス・・』『ガラス玉遊戯』など。また、色彩豊かなティチーノの風景を水彩画で描き始め、千枚もの作品を残したという。かなり早い時期にベルンでヘッセ絵画展も開かれている。「早い時期」というのは、ヘッセがドイツでは嫌われ貶められていた時期があり、ノーベル文学書を受賞したのは1946年で、ヘッセ中期以降の作品がドイツで普及したのもそれ以後だ。第二次大戦中のドイツではヘッセの本は出版できなかった。『ガラス玉遊戯』はスイスで出版されている。つまり、世界的作家として知られるようになるよりもずっと以前に、ヘッセの水彩画の個展が開かれていた。                                                                                       年譜によると、ヘッセは父親がバルト系ドイツ人でエストニアの出身のため、出生時はロシア国籍だったという。のちにドイツ国籍に。家庭の事情もあって学校になじめず、教育を受ける機会が制限され、後に15歳で学校に通った時に6歳児のクラスだったとか。書店に勤務した時期に読書に励み、独学で文章を書き始め、それが出版されて、作家になっていく。南ドイツやスイス(バーゼルやベルン)で青少年時代を過ごしたが、作家として自立したのち、ティチーノにやってきてモンタニョーラに居を構えて主要作品を書いたので、スイス市民権も取得した。                                                                                        第一次大戦時に一度は志願兵になろうとしたが、戦争の現実を知って反戦派になり、反戦の文章を書いた。本名では出せなくなっても、別のペンネームを駆使して書きまくった。ナチスの時代には当局に疎まれ、ヘッセ作品はドイツでは出せなくなった。その時期ヘッセはユダヤ人救出に努力を傾けたという(博物館の説明に書いてあったが、日本語ウィキペディアには書かれていない)。1946年にノーベル文学賞を受賞したのも、作品の評価とともに、反戦とユダヤ人救出に励んだドイツ人作家としての評価もあったのではないだろうか。                                                                                                                           博物館には、ヘッセの水彩画、使った絵具、クレヨン、机、文具、傘、麦わら帽子、直筆手紙、写真などが展示されている。アジア旅行のお土産品も。水彩画は絵葉書として販売しているが、他に、エルンスト・ヴュルテンベルガーが描いたヘッセ(1905年)、ハンス・シュツルゼネッガーが描いたヘッセ(1912年)があり、ハーディ・コールがヘッセの写真(1935年)をもとに描いたヘッセ像(1995年)があり、いずれも絵葉書になっている。どれもよく特徴を表現した人物画だ。コール画は麦わら帽子姿で好感が持てる老人だ。また、1962年に亡くなった時、モーツアルトを聞きながら静かに息を引き取ったということになっている。家族がモーツアルトをかけたのは事実かもしれないが。                                                                                                                                                                                                                   博物館は、時々、地元のアーティストと協力した企画展、講演会、映画鑑賞会、コンサートもやるそうだ。  

Sunday, March 03, 2013

ティチーノ美術を満喫

3日間、観光でルガーノに行ってきた。スイス東南部のティチーノ地方は南がイタリアで、言葉がイタリア語圏だ。ルガーノ旧市街中心のケーブル駅すぐ近くのホテルだったので、旧市街、ルガーノ湖畔を何度も歩いた。                                                                                    お目当ての州立美術館では、地元作家のインスタレーションだったが、絵画、立体、音響、映像をフルに活用しているものの、学生の卒業制作にときどき見かけるパターンで、完成度もさほど高くなかったのが残念。湖畔の公園には地元彫刻家の作品が多数設置されていた。古典的なマリア像もあれば、抽象的な幾何学立像もあれば、ミロの絵画を彫刻表現に変容させたような作品もあった。ヴィンツェンツォ・ヴェラはとくに有名な19世紀の彫刻家で、市民公園入口には「ウィリアム・テル像」が置かれていた。                                                                            *                                                                                                                      ルガーノ州立美術館(ティチーノ州)                                                                                                      *                                                                                                                           ティチーノ州がスイス連邦に加盟した150周年の1953年に、州の事業として美術館建設が決まり、州、市町村、財団、作家、地元の収集家などの協力によって準備が進められ、多数の寄贈品によって1987年に開設された美術館なので、比較的新しい。所蔵品は、第1に、地元ティチーノの作家の作品(ティチーノ出身、及び他の出身でティチーノに居住した作家たち)、第2に、西欧の近現代美術、である。                                                                                                                                                               地元ティチーノの作家としては、まず、ジョヴァンニ・バティスタ・ディチェポリ、ジュゼッペ・アントニオ・ペトリニ、ジョヴァンニ・セロディネ。近代では、クリスチャン・ロルフス、ヘルマン・シュテンナー、コンラド・フェリックスミュラー、アドルフ・ヂートリヒ、アメデー・オゼンファントなどだ。                                                                                                                               作品で目を惹くのは、ジョヴァンニ・アントニオ・ヴァノニの『預言者エゼキエル』、ヴェラの彫刻『スパルタカス』、ファウスト・アグネリの『象徴主義のテーマ』、ジョレンスキーの『原初の形態』、オットー・ネーベル『アスコナ、湖畔』、フリッツ・グラーナーの『トンド第3』といったところか。                                                                                                               州立美術館には、ピサロ、ドガ、ルノアール、クレー、ヴェレフキン、メレト・オッペンハイマー、サルトリ、クーノ・アーミエ、ホドラーなども若干所蔵されている。その他、20世紀の地元画家の作品も多い。                                                                                                              *                                                                                                                             ジョヴァンニ・アントニオ・ヴァノニ(1810~1886年)はマッジア渓谷出身で、19世紀ティチーノの装飾画家の代表である。寓話的な人物画を得意とし、紋章、祈願画も描いた。ロマン主義の影響がないわけではないが、基本的には大衆的な画風で、さまざまなスタイルをこなした。欧州各地を旅して画家と交流したのち、ティチーノに戻って、アントニオ・シセリや地元の画家たちと出会った。『預言者エゼキエル』は、天上のエゼキエルと地上のエゼキエルの対話を主題としつつ、地上のエゼキエルの足元には骸骨が横たわる。一見すると滑稽な表情をしているように見えるが、暗い背景にはえんえんと骸骨と墓地が描かれている。天上のエゼキエルは白雲の上、光に包まれて、地上の現実に何やらお祓いでもしているのだろうか。                                                                                                                     *                                                                                                                                                 ファウスト・アグネリ(1879~1944年)は、ブレラ・アカデミー出身で、最初は表現主義の影響を受けて風景画を手掛けていたが、やがて独自のイマジネーションでのカーニヴァルの世界を構築していった。戦間期の自由を満喫したデカダンスの影響もあり、理想主義的スタイルを採用したが、後にティチーノの風景を描くようになった。丘、山々、渓谷を基本要素に還元し、形態を単純化していった。『象徴主義のテーマ』は、作画年が不明だが、カーニヴァル世界を描いた時期のものだ。中央にハープを持った女性が立って演奏している。その周囲に7羽のクジャクが集まって音楽に聞き入っている。女性の衣装もクジャクの羽模様なので、全体がクジャクの羽に覆われている。クジャクの羽と画面両脇の花によって画面が構成されている。もう2人の人物がいて、一人はハープを弾き、もう1人は椅子に座って音楽を聴いているが、ともに背景に埋もれそうな描き方である。この時期、動物や花をモチーフにすることが多かったという。メランコリーな雰囲気に満ちた、同時にリズムと音楽が基調をなしている。                                                                                                                                      *                                                                                                                                         オットー・ネーベル(1892~1973年)はベルリン出身だが、アスコナに長期滞在して活躍した。1927年に夫婦でティチーノ旅行をしたのち、1928年以来、ロソーネに購入した家に数か月滞在した。アスコナでマリアンヌ・フォン・ヴェレフキンとあって美術学校設立の相談をしたが実現しなかったという。ネーベルは独学の画家だが、バウハウス、特にクレーやカンディンスキーと交流し、フランツ・マルク、シャガールの影響を受けた。当時のバウハウスでは音楽、詩、絵画の類比をめぐる論争が行われていたが、ネーベルはそれに強い関心を持っていた。『アスコナ、湖畔』(1928年)は、今でもリゾート地として知られるアスコナの湖岸を描いたものだ。画面は木製と思しき柱と壁、そして湖岸の築堤によって分割されている。左下の長方形に中に、ボート、海水浴や日光浴の客を単純化した形態で描いている。湖岸以外は、直線と円(築堤の上の木、水着姿の人物の麦わら帽子、ビーチボール)で構成されている。ネーベルの抽象画のコンセプトがよくわかる作品だ。                                                                                                                                          *                                                                                                                Sassarei, Merlot 2011, Lugano-Pazzalo, Ticino.