Thursday, April 22, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(172)川崎市条例

石橋学「全国初、罰則付きルールによって、ようやく差別と向き合い始めた行政」『住民と自治』第690号(2020年)

神原元「『川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例』の意義と課題」『住民と自治』第690号(2020年)

「桜本の在日コリアンは、娯楽のように差別を楽しむレイシストと、ヘイトデモの舞台を整えることで差別に加担する行政によって二重三重に絶望を刻み付けられてきたのでした」というジャーナリスト石橋は、川崎市条例にたどりつくまでの被害者と市民の歩みを振り返る。

弁護士の神原は、川崎市条例が3段階の手順で処罰を定めたことについて「表現の自由とのバランスをとったといえます」とし、煽動の処罰については「本条例はヘイトスピーチ全てを規制しようというのではなく、拡声器や看板、ビラの配布等、特に悪質なものをくくりだして規制するものですから、明確性の原則に照らしても、批判に耐えうる内容になっていると考えます」と結論付ける。

神原の認識を図式的に示すと次のようになるだろうか。

1)刑法の教唆=A(教唆者の教唆)+B(実行者の犯罪による被害)=処罰

2)破壊活動防止法の煽動=A(煽動者の煽動)+B(ここに該当するものがない)=処罰

3)ヘイト・スピーチ=A(差別の煽動)+B(差別煽動による被害)=被害

従来、破壊活動防止法の煽動の処罰については、Bの被害(具体的法益侵害やその危険性)が存在しないのに、煽動行為だけで処罰されるため、違憲ではないかとする学説が多かった。ヘイト・スピーチも同じだという批判があるが、神原によれば両者は異なる。ヘイト・スピーチの本質は差別煽動であり、被差別者の被害は「世間一般に対する差別煽動が行われた時点で発生する」ため、決定的に違う。それゆえ神原によればヘイト・スピーチの処罰は表現の自由に照らしても明確性の原則に照らしても十分合理的であるということになる。

石橋と神原の見解は私と同じである。国際人権法に照らして正当である。

Tuesday, April 20, 2021

スガ疫病神首相語録28 長恨歌より

4月20日、不要不急の漫遊から帰国したスガが衆議院で報告した。居眠りジョーと友好的にお話ができた上、ファイザー社のCEOと電話で話して、ワクチン供給の口約束ができたという。東京からではなくワシントンから電話したおかげで「大成果」となったと主張した。契約できたわけではないのだが。漫遊中に新型コロナ禍は悪化の一途をたどった。

 

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白楽天『長恨歌』より

 

九重城闕病毒生

病毒万騎首都行

尾身揺揺行復止

西出都門百余州

医師不発無奈何

宛転群衆馬前死

花鈿委地無人収

医師金雀玉搔頭

愚相掩面救不得

迴看血涙相和流

 

九重城闕、病毒生じ

膨大な病毒、首都に行く

尾身揺揺として行きてまた止どまり

西のかた都門出づること百余州

医師発せずいかんともする無く

宛転たる群衆馬前に死す

花鈿は地にすてられて人の収むる無し

医師金雀無く、頭をかき

愚かな首相おもてを掩うて救ひ得ず

迴り看れば血涙相和して流る

 

 

高校時代、現代国語と古文は得意だったが、漢文は苦手だったのを思い出した。漢文のパロディをつくろうと思ったが、四苦八苦した挙句、できたのはこの程度だ。白楽天に申し訳ない。

Monday, April 19, 2021

憲法審査会に関する法律家6団体声明

「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案」の採決に反対し、改憲手続法抜本改正の慎重審議を求める声明

 

2021年4月20日

改憲問題対策法律家6団体連絡会

社会文化法律センター 共同代表理事 宮里 邦雄

自由法曹団 団長 吉田 健一

青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野 格

日本国際法律家協会 会長 大熊 政一

日本反核法律家協会 会長 大久保賢一

日本民主法律家協会 理事長 新倉 修

 

はじめに

4月15日、衆議院憲法審査会において、「日本国憲法の改正手続きに関する法律の一部を改正する法律案」(いわゆる公選法並びの7項目改正案)(以下「7項目改正案」という。)の審議が行われた。7項目改正案は、2016年に累次にわたり改正された公職選挙法(名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰延投票、投票所への同伴)の7項目にそろえて改憲手続法を改正するという法案である。

与党議員らは、審議は尽くされたなどとして、速やかな採決を求めている。これに対し、立憲民主党、共産党の委員からは、7 項目改正案は、期日前投票時間の短縮や、繰延投票期日の告示期限が 5 日前から 2 日前までに短縮されているなど投票環境を後退させるものが含まれていること、憲法改正国民投票は、国民が国の根本規範を決める憲法制定権力の行使であり、本当に公選法並びでいいのかという基本的な問題があること、7 項目改正案は、たとえば、洋上投票、在外投票、共通投票所、郵便投票の問題など、国民に投票の機会を十分に保障するという点で問題があり、また、CM 規制、資金の上限規制、最低投票率の問題など、憲法改正国民投票の公正を保障する議論がなされていないのであるから、審議は不十分であり、採決には程遠いという意見が相次いだ。

改憲問題対策法律家 6 団体連絡会は、以下の理由により、7 項目改正案の採決には強く反対する。

 

1 憲法改正国民投票(憲法96条)は、国民の憲法改正権の具体的行使であり、最高法  規としての憲法の正当性を確保する重要な手段である。参政権(憲法15条 1 項)の行使  である選挙の投票と同列に扱えば済む、公選法「並び」でよいとするような乱暴な議論は  憲法上許されない。

 2016年の公職選挙法の改正は、選挙を専門とする委員会で審議され、「憲法改正国民投票の投票環境はどうあるべきか」との観点での議論は全くなされていない。

 そもそも、憲法96条の憲法改正国民投票は、国民の憲法改正権の具体的行使であり、最高法規としての憲法の正当性を確保する重要な手段である。狭義の参政権である選挙の投票(憲法15条 1 項)とすべて同列に扱えば足りるとする議論は性質上許されない。ことは国の根本規範である憲法改正にかかわる問題であり、「公選法並び」などという本質2を見誤った議論で法案採決を急ぐことは、国民から付託された憲法審査会の任務を懈怠し、その権威を自ら汚すものというべきである。

 

7 項目改正案は、国民投票環境の後退を招き、また、そのままでは国民投票ができな  い国民が出るなどの欠陥があること

 法案提出者によれば、7 項目改正案の目的は、2016年の公選法の改正法と並べることで「投票環境向上のための法整備」を行うこととされる。しかし、7 項目改正案の審議は、始まったばかりであり、7 項目の内容には以下に例をあげるとおり、投票環境の後退を招き、あるいは国民投票の機会が保障されない国民がでてくるなどの重大な問題がある。

憲法改正国民投票は、上記の性質上、できる限り多くの国民に投票の機会が保障されなければならないし、投票環境の後退を招くことは許されない。

() 法案自体が、投票環境を後退させるもの

繰延投票の告示期日の短縮や、期日前投票の弾力的運用は、それ自体、投票環境を後 退させるものである。「投票環境向上のための法整備」という立法目的にも明確に違反 する。

() 投票できない国民が出てくるもの

洋上投票制度や在外投票制度は、並びの改正によって投票機会の一部については向上 が図られるものの、結局、このままでは国民投票ができない国民が出てくるため、国民 投票は実施できない。一定の国民について国民投票の機会を保障しないままの法案は、 憲法違反の疑いすらある。この不備を修正しないままで 7 項目改正案を急ぎ成立させる 必要性も合理性もないことは明らかである。

() 公選法の改正時には、予期できなかった事情や、公選法改選時の附則や附帯決議で必要な措置の検討などが課されている事項で投票環境の後退のおそれがあるもの

例えば「共通投票所」の設置は、「投票所の集約合理化」=削減をもたらしていると いう実体がある。「共通投票所」を設けたことによって本当に「投票環境が向上」した のか、「利便性が向上」したのか、総括が必要である。また、在外投票についても、在 外投票人名簿の登録率は減少している(2009 年は 9.54%に対して 2019 年は 7.14%)こ とを踏まえれば、その原因を解明した上で、その対策を施した改正が必要である。

 また、2016年改正後、「投票環境研究会」は郵便投票の対象者を現行の要介護5 から要介護3の者に拡大することを提起している。「利便性の向上」というのであれば、 主権者である国民の意思が広く適切に国民投票に反映されることが必要であり、とりわ け新型コロナの感染が拡大する中「郵便投票制度」の拡充は投票機会を保障するうえで 喫緊の課題の一つである。

以上の事項については、事情変更により新たな改正や見直しの検討が必要であり、2 016年の公選法改正並びの改正を行うだけでは、「投票環境の向上」にはならないか、 むしろ後退させる危険性がある。これらの問題を無視して7項目改正案を成立させるこ とは、国会議員としての怠慢以外の何ものでもない。

 

3 憲法改正国民投票の結果の公正を担保する議論がなされていないこと

 日本弁護士連合会は、2009年11月18日付け「憲法改正手続法の見直しを求める意見書」において、①投票方式及び発議方式、②公務員・教育者に対する運動規制、③組織的多数人買収・利害誘導罪の設置、④国民に対する情報提供(広報協議会・公費によるテレビ、ラジオ、新聞の利用・有料意見広告放送のあり方)、⑤発議後国民投票までの期間、3⑥最低投票率と「過半数」、⑦国民投票無効訴訟、⑧国会法の改正部分という8項目の見直しを求めている。とりわけ、(ⅰ)ラジオ・テレビと並びインターネットの有料広告の問題は、国民投票の公正を担保するうえで議論を避けては通れない本質的な問題である。また、(ⅱ)運動の主体についても、企業(外国企業を含む)や外国政府などが、費用の規制もなく完全に自由に国民投票運動ができるとする法制に問題がないか、金で改憲を買う問題がないかについての議論が必須である。

 7項目改正案は、以上のような国民投票の公正を担保し、投票結果に正しく国民の意思が反映されるための措置については全く考慮されていない欠陥改正法案である。結果の公正が保障されない国民投票法のもとで、国民投票は実施できない以上、7 項目改正案を急いで成立させる必要性も合理性も全くないことは明らかである。

 

4 憲法審査会における審査の在り方

 憲法審査会(前身の調査会も含めて)の審議は、政局を離れ、与野党の立場を越えて合意(コンセンサス)に基づき進めるというのがこれまでの慣例である。憲法審査会では、多数派による強行採決は許されない。また、国民の意思とかけ離れて議論することも、もとより許されないはずである。

 2017年5月に、当時の安倍首相が2020年までに改憲を成し遂げると宣言し、2018年3月に、自民党4項目の改憲案(素案)を取りまとめ、その後2018年6月に、公選法並びの7項目改正案与党らが提出している。同法案が、安倍改憲のために急ぎ間に合わせで作られたものであることは、経過から明らかである。7項目改正案を成立させることは、自民党改憲案が憲法審査会に提示される道を開く環境を整えるだけである。

 今、国民は憲法改正議論を必要と考えていない。7 項目改正案を急ぎ成立させることは、国民の意思ではない。

 以上

Friday, April 16, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(171d)憲法と憲法学との微妙な関係(4)

榎 透「日本におけるヘイト・スピーチ対策に関する一考察」『専修法学論集』第138号(2020年)

Ⅱ 日本におけるヘイト・スピーチ対策とその評価

 1 思想の自由市場・対抗言論

 2 教育・啓発

 3 相談体制

 4 禁止規定・罰則規定

 5 「公の施設」の利用制限

 6 拡散防止策

個々の論点について、榎の具体的な論述も見ておきたい。

1 思想の自由市場・対抗言論

(1)榎は、思想の自由市場論を採用する。ヘイト・スピーチでは当事者の対等性がないので思想の自由市場では解決しないという批判に対して、「思想の自由市場における参加資格者は当事者に限定されない」として、「マジョリティからの対抗言論も生じるはずである」「心ある者が(被害者とともに)反論すればよいのである」という(榎論文1112頁)。

(2) 当事者の対等性がないとの肝心かなめの指摘に、榎は答えていない。ヘイト・スピーチは特定の人々の排除と迫害の煽動である。当事者の対等性のない状態をつくり出そうとする行為であり、民主主義を著しく損なう。この点に答を出さずに、「思想の自由市場における参加資格者は当事者に限定されない」というのは答えになっていないのではないだろうか。榎の考える民主主義は特定の人々を排除して成り立っているのだろうか。

(3)「マジョリティからの対抗言論も生じる」のは、当たり前である。だから私たちは実際にこの10年間、対抗言論をさまざまに実践してきた。ヘイト・スピーチ規制積極論者の多くは、論壇で、オンラインで、そしてヘイトの現場で対抗言論に膨大なエネルギーを費やしてきた。現場で発言し、身体を張って行動し、TV、新聞、雑誌で発言し、論文を書いてきた。「殺せ」「死ね」という罵声を浴びせられながら、エネルギーを消耗してきた。「殺せ」と叫び、体当たりしてくる相手に、対抗言論など意味をなさないことは自明である。

差別とヘイトに反対して発言する者には攻撃が仕掛けられる。脅迫される。オンラインで誹謗中傷される。報道されている通りである。

対抗言論と縁のない論者が「対抗言論をすれば良い」と、どうして言えるのだろうか。「殺せ」と叫び、体当たりしてくる相手に、榎はどのように対抗言論をするのか、具体的実践例を示してもらいたい。これは最優先、最大の希望である。榎にはぜひとも実例を示してもらいたい。

対抗言論は多様な形が実践された。被害者が反論できる場合もあった。第三者が批判することもあった。現場でカウンター行動も組織された。しばき隊の発想と行動は見事であった。悪質な差別に反対して立ち上がったカウンターのメンバーが逮捕される異常な国で必死の行動であった。メディアは立ち遅れた。メディアがヘイト・スピーチを批判するようになるのに数年を要した。それでもメディアがヘイト批判をするようになって、情勢は大きく変わった。解消法や地方自治体条例を実現したのは、被害者が立ち上がり、カウンターが懸命の努力を続け、それにメディアが続き、ようやく議会が動いたからである。10年がかりで動いた話であり、その間にどれだけの被害があったのか、救済がなかったのかを知るべきだ。ヘイト・スピーチに反対行動する者が次々と逮捕された現実を知る者なら「心ある者が(被害者とともに)反論すればよいのである」などと言っていられない。

(4)もう一つ、事実を書いておこう。ヘイト・スピーカーたちは、「ヘイト・スピーチではありません。政治的表現です。われわれは表現の自由を行使しています。憲法学者も表現の自由だと言っています」と叫びながらヘイト・スピーチをまき散らした。ザイトクカイの行動様式は有名である。ヘイト・スピーチを行う彼らの背中を押しているのは一部の憲法学者である。

(5)思想の自由市場論への批判は、『原論』232235頁に書いておいた。その結論を引用しておく。

<結論として、①思想の自由市場論は検証されたことのない仮説であり、その内容は極めてあいまいであり、比喩的表現を超えるものではない。そもそも検証可能性のない理屈を仮説と称することは疑問である。②思想の自由市場論が仮に検証されても、それをヘイト・スピーチに適用することの相当性が明らかにされていない。③思想の自由市場論がアメリカにおいて採用されているとしても、日本国憲法がこの仮説を採用しているという論証がなされたことは一度もない。要するに、学問とは無縁の妄想に過ぎないのではないか。>(『原論』235頁)

榎が、私見に正面から反論してくれることを期待する。

2 教育・啓発

(1)榎は教育・啓発について「たしかに即効性がないという側面はあるかもしれない。しかし、それでも、ヘイト・スピーチは許されないという正確な知識と理解は、学校教育をはじめ大人にも適切に行き届くことが重要であろう。」という(榎論文14頁)

教育・啓発は長期的課題として重要であり、私たちは一貫して主張してきた。

(2)しかし、いま現に行われているヘイト・スピーチへの対策としては、教育は意味をなさない。短期的課題ではない。榎は「しかし、それでも」という。ならば、どのような教育を、どのように実践するのか、そのプログラムを提示するべきである。このことを私は他の論者に要請してきた。「刑罰ではなく、教育を」と唱える論者は多い。しかし、どのような教育をどのように実施して、いつまでにヘイトを減らすのか、具体的な提案をした憲法学者はいない。

(3) 比較法研究に関心のない私だが、前田朗『ヘイト・スピーチと地方自治体』第6章(三一書房、2019年)で、反差別教育について国際人権法の要請を確認し、国際人権法の実行例としてアイスランド、フィンランド、オーストリア、アイルランド、イタリア、ポルトガル、ポーランドの反差別教育の実例を紹介して、反差別教育のあり方を論じた。榎はアメリカにおける反差別教育について紹介しないのだろうか。

反差別教育については、部落差別に関連して同和教育等の名前で実施された教育実践がある。2016年には部落差別解消推進法が制定された。さまざまな差別について、それぞれの分野での反差別教育と、総合的な反差別教育を念頭に置いた研究が必要である。

3 相談体制

(1)地方自治体における人権相談やヘイト・スピーチ相談につき、榎は、神奈川県のヘイト被害相談の専門窓口新設に言及し、「今後のヘイト・スピーチ問題に関する相談体制のあり方を考えるうえで注目されよう」と言う。

賛成である。もっとも、ヘイトの法的位置づけがあいまいで、法的対策の具体的メニューのないまま地方自治体に相談したところで、できることは限られている。相談員もどうしたらよいのか悩むだけだろう。

(2)私は差別被害者の救済について、『ヘイト・スピーチと地方自治体』第7章で、国際人権法の要請を確認し、国際人権法の実行例としてスウェーデン、ベルギー、ルクセンブルク、ポーランド、スイス、デンマーク、チェコの差別被害者救済制度を紹介し、具体的な方策の検討を行った。榎はアメリカにおける差別被害者救済制度について紹介しないのだろうか。

4 禁止規定・罰則規定

(1)榎は、現行法(罰則なし)、東京弁護士会の人種差別撤廃モデル条例案、川崎市条例案(後に制定された条例)を検討している。ヘイト・スピーチの禁止規定を設けること、「あおる」という煽動規定を設けること、規制範囲の明確化(何を規制するのか明確でなければならない)、第三者機関を設置する手続について論じている。

榎は「禁止規定・罰則規定を条例に設けることについては、克服すべき書店がある」(榎論文24頁)とし、「憲法との関係で緊張をはらむこれらの劇薬」と表現する。榎は「ヘイト・スピーチを社会から表面的になくすということを重視する者からすれば、このような規制手段は迅速かつ効率的なものに見えるであろう」という(榎論文24頁)。

(2)私には、「ヘイト・スピーチを社会から表面的になくすということを重視する者」という表現が何を意味するのかよくわからない。榎はなぜ具体的に批判対象を明示しないのだろうか。私を含めて、ヘイト・スピーチに反対する論者の多くは、差別をなくすために努力を続け、ヘイト・スピーチをなくすために対抗言論を駆使し、さまざまな対策を試み、法規制を提案している。その多くの論者の中に、「ヘイト・スピーチを社会から表面的になくすということを重視する者」がいるのかどうか、私には判断できない。

5 「公の施設」の利用制限

(1)施設利用のガイドラインがいくつもつくられているので、榎は、川崎市その他のガイドラインを基に論じている。榎の結論は次の通りである。

「この種のガイドラインを策定するのであれば(そもそもガイドラインという形式でよいのかという問題もある)、『不当な差別的言動』の範囲、その認定の根拠や手法・基準等が明確でなければならず、そうでなければ、憲法上問題があると思われる。」(榎論文28頁)

この結論に異論はないが、私は合憲のガイドラインが十分できていると判断するが、榎は疑問視をしている点で、見解が異なるだろう。

(2)榎は「告知内容はもちろん、申請者・団体の性質及び活動歴等で判断するのは内容審査の最たるものであるし、また、ヘイト・スピーチを行った経験のある者が、次に公の施設においてヘイト・スピーチを行うとは限らない」としている(榎論文2728頁)。

内容審査、観点規制は許されないというのが憲法学の有力説とされている。

(3)「公の施設」の利用制限問題でまず確認しなければならないことは、地方自治体が差別に加担してよいか、である。地方自治体がヘイト団体に公の施設を貸して、ヘイト団体がヘイト・スピーチを行えば、地方公共団体が差別行為に加担したことになる。利便性が高く廉価な施設を貸した場合は、地方公共団体がヘイト団体に資金援助したことになる。地方公共団体がわざわざ税金を支出してヘイト行為に加担してよいだろうか。

これにNOと唱えるのが私である(前田朗『ヘイト・スピーチと地方自治体』)。私は当たり前のことを言っていると思うが、多くの憲法学者は逆の主張をする。「地方公共団体はヘイト団体といえども公の施設を貸し出す義務がある」と主張する論者もいる(大阪市審議会報告書)。つまり、地方公共団体は差別に協力する義務があるというのだ。

憲法前文、第12条、第13条、第14条の規定から言って、地方公共団体は差別やヘイトに加担してはならないのではないか。私は長年こう唱えて、憲法学者に問いかけてきたが、規制消極派とされる憲法学者は誰も応答しない。

榎もこの問いに沈黙を貫くのだろうか。

6 拡散防止策

(1) 榎は拡散防止策として、氏名公表と削除要請を取り上げ、まず、削除要請は可能だが、削除の強制には「憲法の規定と衝突しないような形での立法措置が必要になる」(榎論文29頁)という。

ヘイト・スピーチの削除等の対処をプロバイダーに義務付ける法律はドイツでもフランスでも既に存在する。欧州では条約化されている。榎は、そうした実例を検討することなく、アメリカ法を紹介することもなく、上記の結論を2~3行書いているだけである。

日本では、匿名のヘイト・スピーカーを特定することが困難なため、民事訴訟を提起するためにヘイト被害者が大変な苦労をしてきた。現実に起きている問題について榎の見解を知りたいものだ。

(2)   榎は次のように述べる。

「要請にせよ強制にせよ、問題の『ヘイトスピーチ』が削除されたとしても、悪質な者であればまた別のところで、インターネットを使っておそらく拡散に走る可能性がある。そうすると、別の対策を講じなければならない。」(榎論文29頁)

1に、長年にわたって現実に起きていることを、なぜ「おそらく~~可能性がある」と書くのだろうか。マイノリティに対するヘイト・スピーチはもとより、対抗言論をする者に対する誹謗中傷も、ネット上ではあっという間に拡散される。

2に、だから、どうなのか。榎は「削除しても、どうせ拡散されるのだから、削除は意味がない」と主張したいのだろうか。川崎市がガイドラインを作成することになった協議会報告書はすでに「どれだけ繰り返されようと、差別やヘイトにはNOと言い続けなければならない」という思想を明快に打ち出した。それが政府(国も地方自治体も)の任務ではないのか。それこそ憲法学者がするべきことではないのだろうか。

3に「別の対策を講じなければならない。」で終わっているのはなぜなのか。「別の対策」とは何なのか、不明である。

(3) 榎は実名公表について、電気通信事業法を根拠に「現行法の枠組みでは事業者に情報提供を強制することは困難である」(榎論文29頁)という。確かに手続きを踏まなければならないが、実現できないわけではない。「困難である」で済ますべき問題ではないだろう。

ここでも問われるべき第1の問題は、プロバイダーは差別やヘイトに協力・加担してよいのか、加担・協力してはならないのか、である。この問いに答を出さないまま、手続きがどうのこうのと議論をする理由は何だろうか。

Thursday, April 15, 2021

ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン呼びかけ

*「ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン」の呼びかけ文を紹介します。


ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン

(略称:あたりまえキャンペーン)

202127

2021213日修正

202134日修正

202144日修正

 

ダーバン反差別世界会議とは何だったのか?

植民地主義をいかに乗り越えるか?

ブラック・ライヴズ・マターBLMは何を求めているか?

新型コロナはマイノリティを直撃していないか?

ダーバン宣言20周年を私たちはどう迎えるか?

レイシズムを克服するために何が必要か?

あなたもダーバン+20キャンペーンに参加しませんか?

 

2021年は、2001年のダーバン会議(人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界会議)から20年目となります。

国連の歴史上初めて植民地時代の奴隷制は人道に対する罪であったと認め、被害者に謝罪し、財政支援をすることを掲げた「ダーバン宣言及び行動計画」は、世界中の人種主義や人種差別に光を当て、その歴史的本質と現象形態を分析し、それが現代世界に及ぼしている暗雲を振り払うために国際社会の協調が必要であることを強く打ち出しました。

アメリカでも欧州諸国でも、かつての奴隷制と奴隷取引への反省が始まり、大統領や首相による謝罪発言も続きました。植民地主義と人種主義が差別や抑圧を生み出していることが共通の理解となってきました。

そしてこの20年、国連人権機関では「ダーバン・フォローアップ」が重要課題とされてきました。

2007年には国連先住民族権利宣言、2015年には「持続可能な開発目標SDGs」、2016年には国連平和への権利宣言、2017年には核兵器禁止条約が採択されるなど、環境、平和、人権のための国際社会の取り組みは飛躍的に進んでいます。

ところが、現実には世界各地で宗教対立、民族対立、資源紛争などさまざまな混迷が続いています。中東やアフリカからの難民に対する排除と差別、ロヒンギャ難民の発生、ヘイト・クライム/スピーチ多発、「アメリカ・ファースト」による差別の激化が続いています。

これに対して、アメリカのBLM運動に代表されるように、人権と解放のための闘いも力強く立ち上がっています。世界各地のマイノリティや先住民族の人権運動も粘り強く続いています。ダーバン宣言と行動計画の実施を求める声は、被差別当事者だけでなく、各国政府や人権NGOのコミットを引き出してきました。

 

日本では、2001年のダーバン会議に参加した市民グループ「ダーバン2001日本」の取り組みがあり、多くの人権NGOや個人が関心を寄せてきました。

ダーバン10周年には、シンポジウムと宣言運動の取り組みもなされました。2010年は1910年の韓国併合100周年であったことから、日韓市民共同宣言、及び東アジア歴史・人権・平和宣言という2つの宣言を作成しました。他方、2011年、同志社大学で、ダーバン会議の事務局長だったピエール・サネ氏を招請して10周年シンポジウムが開催されました。

しかし、この20年間を見ると、反差別と人権擁護の闘いは一貫して大きな壁に直面してきたと言わなければなりません。21世紀に入ってヘイト・クライムとヘイト・スピーチが悪質さを増し、難民(及び認定申請者)や移住者が置かれた状況も改善しているとは言えません。

アイヌ民族について日本政府は先住民族と認めながら、先住民族としての権利を認めたとは言えません。遺骨返還問題も裁判所で闘われています。

琉球民族について日本政府は先住民族と認めず、辺野古基地建設強行に見られるように、ますます差別と弾圧を強化しているのが現実です。遺骨返還問題も裁判中です。

在日朝鮮人に対する差別と迫害は改善に向かうどころか、悪化の一途を辿っています。在留資格問題や指紋押捺拒否問題の時代を経て、今日では朝鮮学校に対する激しい差別、民族団体を標的としたヘイト・クライム、そしてヘイト・スピーチが深刻になっています。

被差別部落については、部落差別解消法が制定され、各地で自治体条例を求める運動が続いていますが、他方でネット上の新たな「部落地名総鑑」事件が起きるなど、差別事件が後を絶ちません。

さまざまなマイノリティに対する差別が競合し、重層的になる「複合差別」現象も喫緊の課題です。ヘイト・スピーチ裁判の中で日本の裁判所が「複合差別」を認定する事例も出てきました。

日本におけるさまざまな差別は、総体として見ると、戦争と植民地支配の歴史や、階級階層あるいは地域や職業など社会的要因に根ざした「構造的差別」として被害を拡大していることがわかります。

日本軍性奴隷制(慰安婦)問題や徴用工問題をはじめとする「戦後補償」問題においては、戦争と植民地支配の歴史を忘失し、植民地支配犯罪に開き直る姿勢が顕著であり、東アジアの連帯と平和を妨げています。

日本における人種民族差別について、この20年間に人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会で4回の審議が実施されました。2001年、2010年、2014年及び2018年に、日本政府が提出した報告書について、人種差別撤廃委員会での審査を経て、改善勧告が出されています。

国連人権理事会における「普遍的定期審査(UPR)」でも日本の人権状況が審査され、各国から数多くの改善勧告が出ています。拷問問題、死刑問題、子どもの権利など多くの勧告とともに、人種民族差別の是正を求める勧告が続いています。

日本社会に生きる私たちはダーバン会議から20年を経た日本で、反差別と人権擁護の闘いをさらに推進し、差別のない、共に生きる社会を構築するための取り組みを、いっそう幅広く、いっそう深く進めていかなくてはなりません。

過去の戦争と植民地支配における加害の側に立つ日本の市民には、とりわけ歴史的差別と現在の人権状況に対する大きな責任があります。

過去の戦争と植民地支配における被害の側に立つさまざまな市民、そして現在の日本社会に由来する差別被害を被っているマイノリティや先住民族である市民には、差別のない共に生きる社会を求める権利があります。

そこで私たちはダーバン会議から20年の2021年度に「ダーバン+20」キャンペーンを立ち上げ、ダーバン宣言と行動計画を基礎に、次の10年に向けた反差別と人権の宣言と行動計画を作り出す運動を呼びかけます。

 

 

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ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン

<共同代表>

上村英明(恵泉女学園大学)

藤岡美恵子(法政大学)

前田 朗(東京造形大学)

<実行委員>

稲葉奈々子(上智大学) 上村英明(恵泉女学園大学) 清末愛砂(室蘭工業大学) 熊本理抄(近畿大学) 乗松聡子(『アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス』 エディター) 藤岡美恵子(法政大学) 藤本伸樹(ヒューライツ大阪) 前田朗(東京造形大学) 矢野秀喜(強制動員問題解決と過去清算のための共同行動事務局) 渡辺美奈(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)

2021.3.26現在)

Wednesday, April 14, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(171c)憲法と憲法学との微妙な関係(3)

榎 透「日本におけるヘイト・スピーチ対策に関する一考察」『専修法学論集』第138号(2020年)

憲法と憲法学との微妙な関係についてもう少し考えたい。換言すると、日本憲法学は日本国憲法を基に議論しているのか、という論点である。

先に書いた第1の論点は榎論文の「3 憲法と国際法、憲法上の人権と国際人権」における、憲法と条約(国際法)の関係をいかに理解するかであった。

だが、それ以上に気になるのは、憲法解釈方法論である。憲法解釈に当たって、私が重視するのは次の4つである。言うまでもないが優先順である。

    日本国憲法(前文及び各条文)

    確立した判例

    日本が批准した国際条約

    慣習国際法

ここには比較法的知見、外国法情報は含まれない。

私は世界150カ国のヘイト・スピーチ法制定状況を紹介してきた。これを「前田は世界150カ国でヘイト・スピーチを処罰するから日本も処罰するべきだと主張している」と誤解する論者が少なくない。私はそうした主張をしていない。

ヘイト・スピーチの議論において、私は比較法研究や外国法研究にはあまり関心を持っていない。私が世界各国の状況を紹介してきたのは、③の国際条約、及び④の慣習国際法への関心であり、国際法の「実行例」を確認するためである。比較法や外国法研究にはその限りでしか関心がない。

榎はどうであろうか。前回見たように、榎は①日本国憲法前文、第12条、第13条、第14条に関心を示さない。そして、憲法第21条を「マジョリティの表現の自由の優越性」として位置付けているように見える。

榎は②最高裁判例を批判し、それとは異なる法理を唱える。

榎は③の国際条約、及び④の慣習国際法については、榎が考える日本国憲法に抵触しない限りでこれを認める。つまり、重視しない。日本国憲法に抵触しない限りで認めること自体は、私も賛成である。

そして、榎が重要視するのは、アメリカ法(憲法及び判例)である。榎のヘイト・スピーチに関する旧論文はアメリカ判例研究であった。本論文は日本の状況を検討しているが、その中でも前回引用したように、「これに対して、判例はアメリカ法由来の明白かつ危険の基準やブランデンバーグ法理を用いていないので、日本のヘイト・スピーチ規制を考えるうえで考慮する必要はないとの指摘があるかもしれない。」と述べる。この文章は短いが、榎の他の論文等を読んだ者には、榎は「アメリカ法由来の明白かつ危険の基準やブランデンバーグ法理」を参照するべきだと主張していることが明白である。

榎に限らず、日本憲法学の主流は、表現の自由についてはアメリカ法研究が圧倒的に多く、しかもアメリカの判例法理を日本国憲法第21条の解釈に直接持ち込んできた。イギリス、フランス、ドイツ法の研究も見られるが、圧倒的多くがアメリカ法研究である。しかも、単に紹介するのではなく、「アメリカ判例法理を適用せよと主張してきた」と言って良い。榎はアメリカ法を適用せよとは言わないが、アメリカの法理を紹介して、これを参照するべきだと言う。実際には、榎はもっぱら「アメリカ法だけを参照するべきだ」と主張してきたと言える。少なくとも、榎はアメリカ法以外を参照すべきだとは主張しない。

榎に限らず、日本憲法学の主流は、憲法第1条の解釈においてアメリカ法を研究しない。同様に憲法第9条の解釈においても、憲法第10条でも、第25条でも、第41条でも、第65条でも、第92条でも、アメリカ法を参照しない。ところが、第21条だけは絶対的にアメリカ法を参照するべきだと主張する。アメリカの判例であるブランデンバーグ法理を直接採用するように唱える論文がいくつも書かれてきた。世界でもまれに見る極端なアメリカ絶対主義であり、属国主義である。

アメリカ憲法の表現の自由と日本国憲法の表現の自由が同じ条文であるのなら、まだわからないでもないが、両者に類似性はない。日本国憲法の表現の自由の規定上の特徴は欧州諸国の憲法の表現の自由規定により近いし、国際人権規約と同じ構造を持っている。しかし、日本憲法学の主流は、理由を示すことなく(理由を示す必要があるなどと考えるまでもなく)ひたすらアメリカ法理を参照する。

日本の法学研究はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスをはじめとする諸外国の法制・判例・法学説の研究に力を注いできた。その成果は大きなものがあったし、今後もそれは続くだろう。その意義は私も認める。外国法情報が適時に多く紹介されるのは良いことだ。

しかし、憲法解釈に当たって重視するべき順序は次のように考えるべきであろう。

①日本国憲法(前文及び各条文)

②確立した判例

③日本が批准した国際条約

慣習国際法

諸外国の法制・判例

私は法解釈に当たって①②が最重要であり、必要に応じて③④を参照するべきだが、⑤はごくごく軽い参考にとどめるべきだと考える。

⑤が③④よりも優先する理由はないだろう。憲法前文は国際協調主義を強く押し出しているうえ、憲法第97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」と表現して、国際社会が形成・獲得してきた人権の重要性を明示している。そのうえで、憲法第98条2項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」としている。

これに対して、榎は、前回すでに明らかにした通り、①日本国憲法(前文、第12条、第13条、第14条)を度外視し、②最高裁判例(公共の福祉論)を批判し、③④を重視せず、⑤のうちアメリカの判例法理を最重要視する。イギリスやフランスやドイツには言及しない。

榎は「憲法の規定を基準に規制の是非を判断している」と述べるが、憲法第21条の規定を根拠にしない。榎が基準として持ち出すのは、「アメリカ法由来の明白かつ危険の基準やブランデンバーグ法理」である。榎はこれを直接適用するとは言っていないが、憲法解釈の基準として参照するべきとしている。榎は「憲法の規定を基準に規制の是非を判断」せず、「憲法の規定を<アメリカ法由来の明白かつ危険の基準やブランデンバーグ法理>に置き換えている」のではないだろうか。

アメリカ判例法理を研究し、それを参照することを私は批判しない。明白かつ現在の危険の基準やブランデンバーグ法理を私は批判しない。

私が疑問を抱くのは、①日本国憲法(前文、第12条、第13条、第14条)を度外視し、最高裁判例(公共の福祉論)を批判し、③④を重視せず、のうちアメリカの判例法理を最重要視する方法論である。

余談だが、ついでに書いておくと、私は国連人権理事会や人種差別撤廃委員会などの国際人権法の紹介をしてきたが、それが私の主たる仕事ではない。私がこの四半世紀、主として取り組んできたのは、日本の状況を国連人権理事会や人種差別撤廃委員会に紹介することであった。それが主たる目的であり、主たる仕事であった。その結果として、国際人権法を日本に紹介する作業も行ってきた。日本の情報を国連に報告してきた。

日本憲法学の主流は、アメリカ法理の輸入に邁進してきたが、日本法の紹介・輸出にもっと精を出してはどうだろうか。いまや世界中の法状況がオンラインで繋がり始めている。アメリカ法の紹介は、大勢の専門研究者が取り組むまでもないのではないか。日本の法理をアメリカに輸出することこそ有意義な仕事になるのではないだろうか。

Tuesday, April 13, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(171b)憲法と憲法学との微妙な関係(2)

榎 透「日本におけるヘイト・スピーチ対策に関する一考察」『専修法学論集』第138号(2020年)

前回は榎論文における前田批判の内容を紹介した。いちおう3つの論点に分けておいたが、ポイントは「憲法」とは何かであり、「憲法学」とは何かである。今回はもう少し踏み込んで、榎に教わりたいことを書いてみる。

私が「日本国憲法に従ってヘイト・スピーチを刑事規制する。」と述べているのは、憲法前文、第12条、第13条、第14条、第21条に基づいてヘイト・スピーチを処罰するという考え方である。このことを何度も明示してきた。私は『ヘイト・スピーチ法研究序説』第1章及び第8章、『原論』第4章などで、ヘイト・スピーチの憲法論を取り上げ、論じてきた。その骨子を確認しておこう。

1に民主主義論である。民主主義とレイシズムは両立しない。レイシズムは民主主義を破壊する。ヘイト・スピーチは他者の殺害や排除を主張し、民主主義の基盤を損なう。民主主義を守るためにヘイト・スピーチの何らかの規制が必要である。

(なお、私は人間の尊厳を重視しているが、日本国憲法にはこの概念がない。憲法論において直接、人間の尊厳を唱えるのではなく、民主主義論とセットにして考え、その上で憲法13条や14条に繋げて考えている。憲法学では、人間の尊厳を唱える論者もいれば、13条の個人の尊重や24条の個人の尊厳を唱える論者もいる。)

2に日本国憲法前文である。国際協調主義、圧迫と偏狭の除去、平和的生存権、恐怖からの自由の思想は「かつて日本による侵略戦争の被害を受けたアジアの人民が日本でヘイト・スピーチを受けない権利」を支える。憲法第9条はその具体化の規定である。

3に憲法第12条である。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」

4に憲法第13条である。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

5に憲法第14条1項である。

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

6に憲法第211項である。

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

他にもあるが、ここでは以上の1~6をもとに議論しておこう。表現の自由はきわめて重要な自由である。榎も引用しているが、アメリカの憲法学者エマーソンは、人格権や民主主義論から表現の自由の重要性を論じている。私も賛成である。表現の自由は民主主義の発展に不可欠であり、重要である。民主主義を否定し破壊するヘイト・スピーチは表現の自由に反する。特にマジョリティがマイノリティを攻撃することによって、マイノリティの表現の自由が剥奪される。

それゆえ、憲法第12条が自由及び権利の濫用を戒め、「公共の福祉」を掲げ、「責任」について言及している。表現の自由には責任が伴うことを私は何度も強調してきた。同時に私は憲法学者の表現の自由論には責任論が欠落していると指摘してきた。

憲法第13条も「公共の福祉に反しない限り」と明示して、公共の福祉による表現の自由の制約を明示している。

憲法第14条は法の下の平等と差別の禁止の2つを掲げる。多くの国の憲法ではどちらか1つを掲げるが、日本国憲法は両方を掲げる。それだけ重要と考えるべきだ。金子匡良は「差別されない権利」を唱えている。

https://maeda-akira.blogspot.com/2019/02/blog-post_23.html

憲法前文、第9条、第14条を体系的に考えれば、「アジアの人民が日本で差別されない権利」「アジアの人民が日本でヘイト・スピーチを受けない権利」を想定することができる。

憲法第211項の意味も以上の文脈で考えるべきである。かつて、日本のマスコミは表現の自由を濫用して、侵略戦争を煽り、民族差別を煽った。このことを反省して憲法前文、第9条、第14条ができている。

同様に、憲法第21条も、すべての市民の表現の自由を保障しているので、「日本国民だけの表現の自由を保障する」考え方を採用するべきではない。マジョリティの表現の自由の優越性を強調してきたのが憲法学の主流である。表現の自由を「マジョリティの表現の特権」と置き換えてはならない。むしろ、「マイノリティの表現の自由の優越的地位」を保障する方策を考えることこそが憲法学者の任務であろう。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを処罰するべきである。

以上のことから、日本国憲法の立場はヘイト・スピーチの刑事規制を求めていると理解するべきである。これが私の主張の骨子である。

それでは榎はどのように主張しているだろうか。

榎は、第1に国際人権ではなく、憲法上の人権に限定する。規制が憲法上許されるための条件を明らかにしようとする。第2に、「憲法の規定を基準」にすると述べる。第3に、「日本国憲法の表現の自由に基づく種々の検討事項(Ⅰ2を見よ)を考慮」する必要性を強調する。この限りでは、私もとりたてて異論をはさむ理由がない。

私が疑問を抱かずにいられないのは、榎が憲法第21条の表現の自由だけを論じていることである。

1に、榎は民主主義について一定の言及をしているものの、民主主義とヘイト・スピーチの関係について言及しないように見える。榎はヘイト・スピーチを容認することが民主主義の発展に資すると考えているのだろうか。この点は後述する。

2に、榎はなぜ日本国憲法前文に言及しないのだろうか。国際協調主義、圧迫と偏狭の除去、平和的生存権、恐怖からの自由をどのように理解しているのだろうか。日本国憲法前文には憲法の精神、主たる思想が明示されているのであり、各条文の解釈の指針の一つと考える私は間違っているのだろうか。

3に、榎は憲法第12条に言及しない。自由及び権利の濫用の戒め、「公共の福祉」、「責任」についてどのように理解しているのだろうか。

4に、榎は憲法第13条に言及しない。「公共の福祉に反しない限り」と明示していることをどのように理解しているのであろうか。

5に、榎は憲法第14条に言及しない。「差別されない権利」をどのように考えているのだろうか。

以上のうち「公共の福祉」については、榎も言及している。

「これに対して、判例はアメリカ法由来の明白かつ危険の基準やブランデンバーグ法理を用いていないので、日本のヘイト・スピーチ規制を考えるうえで考慮する必要はないとの指摘があるかもしれない。しかし、判例のように『公共の福祉』という簡単な理由付けで煽動の処罰を合憲とする立場に立つとしても、煽動したときに重大犯罪を引き起こすよう具体的な危険がなければ、当該煽動を処罰できないと考えられている。」(榎論文22頁)

榎の見解は、第1にアメリカ法由来の法理を参照するべきだ、第2に、判例はその法理を採用してないので批判すべきである、第3に、判例の立場に立っても「公共の福祉」があれば刑事規制できると見るべきではなく、具体的危険が必要であるという意見がある、というものであろう。

確認しておくべきことは、憲法第12条も第13条も「公共の福祉」を明示しており、最高裁判例もこれを適用しているにもかかわらず、榎は公共の福祉の適用に批判的であり、アメリカ由来の法理こそ正当と考えつつ、仮に公共の福祉によるとしても一定の限界づけが必要としていることである。

「憲法の規定を基準」とするはずの榎は、なぜ憲法第12条も第13条も無視し、「公共の福祉」に違和感を表明しているのだろうか。

もちろん公共の福祉があれば刑事規制できるとするのは乱暴であり、公共の福祉概念の精密化が必要であること、その適用の仕方についてなお議論が必要であることは当然である。とりわけ表現の自由の重要性に鑑みて、検討すべき課題が多いことはもちろんである。それはここでの論点ではない。

ここでの論点は、榎が、憲法第12条と第13条に明記されている概念を否定的にしかとらえていないように見えることである。私の誤読だろうか。

民主主義についても2点、確認しておきたい。

1に、私が「日本国憲法に従ってヘイト・スピーチを刑事規制する。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを規制する」と主張するのに対して、榎は「彼(…前田のこと)の見解を理解しようとすれば、それは日本国憲法の表現の自由を、ドイツの採用する『戦う民主主義』のように<自由の敵には自由を与えない>…というもの(あるいは、それに類似するもの)であると考えることになろうか」と述べる。

なぜ、ここでドイツの「戦う民主主義」が引き合いに出されるのか、私には理解できない。私の『序説』第7章及び第8章では、ヘイト・スピーチを処罰する法制を持つ国を120カ国ほど紹介した。『原論』第7章でも多くの国を紹介した。正確に数えていないが、最近は150カ国にヘイト・スピーチ規制法があると主張している。国連加盟国は193カ国である。150カ国にヘイト・スピーチ規制法があるのは、民主主義と人間の尊厳を守るためであり、差別被害を適切に認識しているからであり、国際人権法の要請だからである。榎はなぜドイツの「戦う民主主義」を持ち出すのだろうか。

2に、民主主義の内実に関わることだが、民主主義とレイシズムは両立しない。レイシズムは民主主義を破壊する。国連憲章や戦後の国際人権法においては、レイシズムやファシズムは民主主義を損なうと見るのが常識である。どのような民主主義観を取ろうとも、それが民主主義である限り、以上のように考えるべきであろう。この理解は間違っているのだろうか。

ヘイト・スピーチにも多様性があるが、世界でもっとも深刻でもっとも多く発生しているのが「人種主義レイシズム」であり、その具体的現象形態として人種主義動機に基づくヘイト・クライム/スピーチがある。この理解は間違っているのだろうか。

ヘイト・スピーチは「**人を殺せ」「**人は出ていけ」と迫害と排除を煽動する。マイノリティを迫害し、社会から排除しようと煽動する。

「**人を殺せ」と迫害し排除し差別を煽動するヘイト・スピーチを容認しておくと、その社会に民主主義は成立しない。レイシズムと民主主義は両立しない。

私の主張のどこがどのように間違っているのか、榎には具体的に指摘してもらえると助かる。

Sunday, April 11, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(171a)憲法と憲法学との微妙な関係(1)

榎 透「日本におけるヘイト・スピーチ対策に関する一考察」『専修法学論集』第138号(2020年)

はじめに

 共有されている/いない前提

 1 「ヘイト・スピーチ」という語

 2 表現の自由

 3 憲法と国際法、憲法上の人権と国際人権

 4 「効果」がある/ないという思考

 日本におけるヘイト・スピーチ対策とその評価

 1 思想の自由市場・対抗言論

 2 教育・啓発

 3 相談体制

 4 禁止規定・罰則規定

 5 「公の施設」の利用制限

 6 拡散防止策

むすびにかえて

榎はこれまで数本の論文においてヘイト・スピーチについて論じてきた。主にアメリカ憲法・判例を研究し、その理論的影響の下で日本国憲法の解釈を展開しようとするものだが、アメリカ憲法への論及が中心であって、これまで日本国憲法の下での議論を積極的に展開してこなかったように見える。本論文は、榎の「日本国憲法の下でのヘイト・スピーチ論」として重要である。冒頭に「本稿は、簡単なものではあるが」(榎論文1頁)と断り書きがあり、末尾にも「簡単ではあるが、憲法学の視点からヘイトスピーチ対策の内容と問題点を整理したものである。それぞれの条例等の包括的検討や、近年注目される学説の検討を行うことはできなかった。本格的な検討は他日を期したい」(榎論文29頁)とあるように、本論文は榎のヘイト・スピーチ論のエッセンス、あらすじを示したものである。結論が示されていても論証が省略されている面がある。結論があいまいな個所も見られる。

とはいえ、ヘイト・スピーチ刑事規制について消極論の代表格と見られてきた榎のヘイト・スピーチ論の骨子が明らかにされたので注目される。

私は『ヘイト・スピーチ法研究原論』257260頁で榎の旧論文を紹介して、3点の批判をした。榎は本論文において、私の主張を取り上げて批判的に検討している。

これまで憲法学者に中には、私を批判しながら、私の名前をあげず、しかし誰が見ても私のこととわかるように書き、直接的にではなく当てこすりの批判をする例が見られる。しかも、私が主張していないことを、さも私が主張しているかのごとく書く論者がいる。これらを私は上記『原論』で批判してきた。

これに対して、榎は私の名前を明示し、私の主張を引用・紹介した上で批判を加えている。まっとうな批判方法であり、フェアーな姿勢であるので歓迎したい。論点が明確になる。

榎の前田批判は2カ所に見られる。1つは目次の「3 憲法と国際法、憲法上の人権と国際人権」の論点、もう一つは「「効果」がある/ないという思考」の部分で、註の中での言及である。ただ、いくつかの論点が含まれるので、以下では分けて論述する。

 

 

1の論点:「3 憲法と国際法、憲法上の人権と国際人権」

私が国際人権法上の義務の尊重を強調したのに対して、榎は次のように反論する。

「しかし、国連人権理事会の理事国に日本が立候補する点についての評価は別として、条約の規定があるからといって、日本政府が憲法の規定を無視してまで条約上の義務を履行すべきことにはならない。また、条約上の規定を遵守する場合でも、それは日本国憲法の規定に抵触しない範囲で行わなければならない。このことは、前田が条約優位説に立つのであればともかく、憲法優位説を受け入れているのであれば、当然に首肯されるべきものである。」(榎論文9頁)

明快な指摘であり、私自身も本来は憲法優位説を採用するので、榎の主張はもっともであるとも言える。「日本政府が憲法の規定を無視してまで条約上の義務を履行すべきことにはならない」というのは適切である。

しかし、実は事柄はそう単純ではない。榎は議論の場を明示せずに条約優位説か憲法優位説かを問う。しかし、私はそうした議論に意味があるとは考えない。日本国憲法が憲法優位説をとっているかどうかとか、私が憲法優位説をとっているかとは別に、重要なのは日本国家の憲法実態(憲法政治)がどうかを見ることだからだ。日米安保条約体系を見れば明らかなように、日本の憲法政治は現実に条約優位がほとんど完璧に採用され、それは議論の対象ですらなく当たり前のこととされてきた。条約優位説と憲法優位説が、いわばご都合主義的に使い分けられてきたのが実態である。この現実を無視して、条約優位説か憲法優位説かを問うことに意味があるとは考えない。

 

2の論点:「3 憲法と国際法、憲法上の人権と国際人権」

 

榎は次のように述べる。

「もっとも、前田自身は『日本国憲法に従ってヘイト・スピーチを刑事規制する。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを規制する』ということから、自身の立場が日本国憲法の規定に矛盾しないと考えていると思われる。つまり、条約上の義務を実施すべく刑事規制を行うことは、日本国憲法とも矛盾しないというのであろう。しかし、それが日本国憲法の表現の自由に基づく種々の検討事項(2を見よ)を考慮したうえでたどり着いた結論であればともかく、そのような検討を行うことなく刑事規制に賛成の立場を示しているのだとすれば、それは日本国憲法の表現の自由を無視、あるいは、軽視した議論であると言わざるを得ない。つまり、本人の言に反し、それは日本国憲法に従わずにヘイト・スピーチを刑事規制を目指すものである。」(榎論文910)

(1)まず、右に引用された私の見解は「第三に比較法に関する理解である。」と始まる段落からの引用である。私の『原論』259頁の文章は、榎がもっぱらアメリカ法だけを根拠として立論していることに疑問を提示し、「アメリカだけに学ぶべきだという榎の見解には合理性がない。」と結論付けている。比較法についての論述であって、国際法についての論述ではない。

条約及び国際人権法については、私はその次の段落で言及している。比較法の議論と国際人権法の議論はまったく別だからである。

私は『ヘイト・スピーチ法研究序説』第1章及び第8章、『原論』第4章などで、ヘイト・スピーチの憲法論を取り上げ、日本の憲法学説の比較法研究の方法を批判してきた。榎への批判もその文脈で書いたものである。

(2)次に、榎が引用するように、「日本国憲法に従ってヘイト・スピーチを刑事規制する。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを規制する」というのが、私の基本主張である。この点を引用せずに私を批判する論者がいるが、榎は的確に引用している。

ただ、榎は私の基本主張がどのような構造を持っているかには言及しない。それは「憲法と国際法、憲法上の人権と国際人権」という文脈の話ではない。私の基本主張は『序説』第112節、及び『原論』第4章において詳述した。なぜか榎はこれらにまったく関心を寄せない。

(3)ここが最重要論点である。詳しくは後述するが(次回のブログ投稿)、榎が「しかし、それが日本国憲法の表現の自由に基づく種々の検討事項(Ⅰ2を見よ)を考慮したうえでたどり着いた結論であればともかく」と言い、「それは日本国憲法の表現の自由を無視、あるいは、軽視した議論であると言わざるを得ない」と述べていることに関わる。

私が「日本国憲法に従ってヘイト・スピーチを刑事規制する。」と述べているのは、憲法前文、第12条、第13条、第14条、第21条に基づいてヘイト・スピーチを処罰するという考え方である。このことを何度も明示してきた。

榎が「日本国憲法」と述べる際に言及するのは憲法第21条の表現の自由だけである。上記の引用箇所だけではない。29頁に及ぶ榎論文は憲法第21条の表現の自由だけに言及し、憲法前文、第12条、第13条、第14条に一切言及しない。

多くの憲法学者が憲法前文、第12条、第13条、第14条に一切言及しないことを、私はしつこく批判してきた。

その私に対する反論なのに、榎は憲法前文、第12条、第13条、第14条には絶対に言及しないという原則を固く守る。これはなぜなのか。

ここが最重要論点であり、「憲法と憲法学との微妙な関係」に関わるので、次回に続く。

(4)なお、上記引用の次に、榎は「彼(…前田のこと)の見解を理解しようとすれば、それは日本国憲法の表現の自由を、ドイツの採用する『戦う民主主義』のように<自由の敵には自由を与えない>…というもの(あるいは、それに類似するもの)であると考えることになろうか」と述べ、「その憲法上の根拠は何であろうか」と問う(榎論文10頁)。

しかし、私は「ドイツの採用する『戦う民主主義』」を採用していない。

ヘイト・スピーチの議論にとって民主主義論は極めて重要であり、私は『原論』第41節「憲法原理とレイシズム――民主主義と人間の尊厳」において詳しく論じた。

この点も最重要論点の一つであり、やはり「憲法と憲法学との微妙な関係」に関わるので、次回に続く。

 

3の論点:「「効果」がある/ないという思考」の註

私が「規制の必要性と効果は別問題である」と批判したのに対して、榎は次のように述べる。

筆者は、規制の必要性を基準に規制の是非を判断しているのではなく、憲法の規定を基準に規制の是非を判断している。ゆえに、この点における前田の理解は正しくない。」(榎論文1011頁)

榎は「憲法の規定を基準」に傍点を付して強調している。「憲法の規定」というが、榎論文で言及している憲法の規定は表現の自由だけであり、憲法第21条のことである。

この点も最重要論点の一つであり、やはり「憲法と憲法学との微妙な関係」に関わるので、後述する。

なお、榎はさらに次のように続ける。

「日本社会からヘイト・スピーチをなくすことを目指して対策を講じるはずだから、規制目的を明確にしたうえで必要な対策はとられるべきであるし、その対策に一定の効果を期待しているはずである。その対策に効果がなければ、別の対策を講ずる必要がある。そうでなければ、その対策は象徴的な意味合いをもつにとどまる。但し、当然のことであるが、採用されたヘイト・スピーチ対策に『効果』を期待できるとしても、憲法規定に抵触するものは許されない。『差別は許されないのだから、差別を止めさせる努力を続けるのが当たり前である』という指摘は、無論である。」(榎論文11頁)

この部分は私にはよく理解できない。

(1)まず前半の「日本社会から~~象徴的な意味合いをもつにとどまる。」は何を言おうとしているのだろうか。憲法学者の中には、「刑事規制してもヘイト・スピーチはなくならないから、規制は象徴的立法にすぎず、(あまり)意味がない」として刑事規制を否定する論者がいる。榎は「筆者は、規制の必要性を基準に規制の是非を判断しているのではなく」と書いているから、規制の必要性や効果は主要論点ではないはずだが、「その対策は象徴的な意味合いをもつにとどまる。」と効果に言及しているように見える。榎自身の見解としてではなく、規制必要論者の主張を検討する文脈で、「効果のない規制は象徴的立法にとどまる」と批判しているのかもしれない。

しかし、効果のない刑事規制はいくらでもある。効果が十分に証明されていない刑事規制、長年にわたって効果が見られない刑事規制はふつうである。むしろ一般的である。

刑法199条は殺人を犯罪として人の生命を保護しようとする。しかし、100年以上にわたって殺人はなくならない。榎は刑法199条について「効果のない規制は象徴的立法にとどまる」と批判するのだろうか。

刑法235条は窃盗を犯罪として財産権を保護しようとする。しかし、100年以上にわたって窃盗はなくならない。榎は刑法235条について「効果のない規制は象徴的立法にとどまる」と批判するのだろうか。

(2)後半の「但し、当然のことであるが、~~無論である。」の意味もよく分からない。「憲法規定に抵触する刑事規制は許されない」という主張はもちろんよく理解できるし、正当である。「憲法規定に抵触する」か否かは、見解の相違であり、それについては後述する。次の文章の「~~という指摘は、無論である。」の意味がよくわからないが、「前田は~~と指摘するが、憲法規定に抵触するものは許されないのは無論である」という意味であろうか。それならば理解できる。

榎の前田批判は以上である。ただ、榎論文の主張の大半は、実質的に私の見解と対立しており、応答するべき点が少なくない。その全体について応答する余裕はない。

Friday, April 09, 2021

スガ疫病神首相語録27 We are the Virus 向かうところ敵なし

4月8日、スガは東京都、京都府、沖縄県をはじめ各地の自治体に蔓延防止等重点措置の適用の方針を公表したが、記者会見で「蔓延防止等重点措置」を2度も言い間違えた。何度でも間違えるスガである。

4月9日、スガは蔓延防止等重点措置の適用を公表したが、言い間違える不安にさいなまれてか、記者会見ではこの名称をなるべく口にしないようにした。9文字の単語も覚えられない稀有の才能をもった最強の首相である。向かうところ敵なし。

 

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Parody of We are the World.

 

We are the Virus 向かうところ敵なし

 

There comes a time when we heed a certain call

When the world must come together as one

There are people dying

And its time to lend a hand to life

The greatest gift of all

  (Happy New Life Style)

 

We can't go on without human being

That someone, somewhere will soon make a change

We are all a part of Gods great big family

And the truth, you know,

Love is all we need

  (Happy New Life Style)

 

We are the Virus, we are the COVID-19

We are the ones who make a brighter day

So lets start giving

There's a choice we're making

We're saving our own lives

Its true we'll make a better day

Just with human being

  (Say love human being forever)

 

Send us your heart so we'll know that someone cares

And our lives will be stronger and free

As God has shown us by turning stones to bread

So you all must lend a helping hand

  (Happy New Life Style)

 

We are the Virus, we are the COVID-19

We are the ones who make a brighter day

So lets start giving

There's a choice we're making

We're saving our own lives

Its true we'll make a better day

Just with human being

  (Say love human being forever)

 

*

 

We are the World.  by USA for Africa

https://www.youtube.com/watch?v=9AjkUyX0rVw

Thursday, April 08, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(170)大阪市条例

久禮義一「ヘイトスピーチに関する一考察:大阪市条例を中心に」『人権を考える』第20号(関西外国語大学、2017年)

一 はじめに

二 ヘイトスピーチ

1 実態

2 被害

三 大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例

1 制定の背景

2 制定経過

3 概要

4 評価

5 課題

四 ヘイトスピーチ防止に向けて

1 現行制度の課題

2 ヘイトスピーチ防止対策

 a 公共施設使用について

 bヘイトデモ、街宣活動について

五 結びにかえて

久禮は冒頭に二つの注目すべき記述をしている。

一つは「在日コリアンに対するヘイト・スピーチは戦後も日常的に行われてきたが、2000年代半ばから・・・」という記述である。多くの論者が、「200709年ころからヘイト・スピーチが起きるようになった」と主張して、過去のヘイト・スピーチを隠ぺいしてきた。久禮は「戦後も日常的に行われてきた」と的確に認識している。もう一つは「筆者はヘイト・スピーチのスピーチは『言論』でなく『暴論』『暴力』であるという見解」という記述である。

それゆえ、久禮はヘイト・スピーチの被害を確認している。多くの論者がヘイト・スピーチの被害に言及しない。あるいは、「被害はない」と言い切る。久禮は被害の大きさを理解している。

久禮は大阪市条例が初めてヘイト・スピーチを定義したこと、氏名公表という措置を定めたことを高く評価しつつ、再発防止に役立たない可能性があること、公共施設利用制限がないこと、氏名公表を歓迎する確信犯には効果がないこと、被差別部落出身者やアイヌ民族が対象外であることなどの限界を指摘している。

久禮は大阪市条例やヘイト・スピーチ解消法では一定の効果はあるものの、仮処分を無視して街宣が行われた例もあり、「裁判で勝訴を得ても…一回限りに限られる」ため不十分であると見る。公共施設利用について、東京弁護士会意見書や人種差別撤廃条約を参照して使用制限を肯定的に見ている。

他方、ヘイトデモについて、「このデモは単なる政治上の意見の表現ではなくヘイト・スピーチを行い他人の人権を侵害することは明らかであり、その被害を受ける人の立場に立った場合このデモ申請は許可されるべきではない。/ヘイトデモ差別街宣は『表現』などではない。それはこの社会でマイノリティが『幸福を追求する権利』を否定し、民主主義の基盤である『法の下の平等』それ自体を破滅する暴力に他ならない」という。

久禮の結論は、

「表現の自由とは、個人が表現・言論活動を通じて人格を発展させ、互いに意見を交わすことにより、よりよい民主社会を築くためにある。在日外国人らに聞くに堪えない罵声を浴びせ、その存在を根底から否定するような行為は、憲法が目指す所の対極にある。/始めから他人に苦痛を与えることがわかっていながら発言する人に日本国憲法が認める『言論の自由』が適用されない。」

久禮がが主に引用するのは中村一成、師岡康子、金尚均、前田朗である。

久禮は政治学者で、日本における差別の歴史に通じており、ヘイト・スピーチについても差別の歴史の中に位置づけてみている。ヘイト・デモにおける差別の煽動を、「表現」に着目し切り離して論じるのではなく、差別行為がもたらす被害を認識している。それゆえ、ヘイト・スピーチの「暴力性」を的確に把握している。民主主義に言及している点は、ヘイトは民主主義を破壊するから、民主主義擁護のためにヘイトを規制する必要があるという金尚均及び私と同じ立場と言って良い。

Wednesday, April 07, 2021

スガ疫病神首相語録26 イシンのセカンドステージ

4月1日、ヨッシー知事の要請を受けて、政府は宮城県、大阪府、兵庫県に新型コロナの感染拡大を防ぐ蔓延防止等重点措置の指定を初めて行った。

4月5日、措置が開始され、飲食店の感染防止対策をチェックする「見回り隊」が動き始めた。感染「第4波」阻止を目的に人海戦術をとり、大阪市内では約4万店舗を個別訪問する。

4月7日、後れを取ったユリコ知事が蔓延防止等重点措置の適用を政府に求める検討をすると表明した。

 

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いよいよ大阪イシンのセカンドステージがやってまいりました。

このたび私どもは全国で初めて新型コロナ対策のため蔓延防止等重点措置の指定を受けました。

東京一極集中は、地震や感染症等の大災害時に国家機能の全てがストップしてしまうので、復旧復興が困難であるというリスクが表面化しています。大阪に首都機能の一部を持たせ、先ずは二極化することによりそのリスクを解消し、その後に多極分散型の国家を確立します。

当面は政府に蔓延防止等重点措置をお願いする形でしたが、首都東京が指定を受けるのに先んじて、わが大阪が蔓延防止措置を指定されたことは、文字通り二極化であり、多極分散への第一歩です。

国家機能の全てがストップしてしまう前に、大阪がいち早く機能停止になることで、全国の都道府県にモデルを提供します。

しかも、大阪府独自の宣言として医療緊急事態宣言を全国で最初に出すことができました。

大阪の経済成長戦略として、私どもは国際エンターテインメント都市、防災強化、そのために二重行政の根絶を掲げてきましたが、防災強化の一環として医療緊急事態宣言は先駆的な意義を有するものです。

副首都、国際エンターテインメント都市”OSAKA”を実現するためには、大きな投資が必要であり、1円の税金も無駄にできません。二重行政は典型的な無駄です。大阪都構想は、一部の無理解な勢力による妨害と、無知な府民のために、残念ながら住民投票で否決されましたが、私どもは決してあきらめません。大阪都構想の議論を終結させず、住民の意向に過剰に忖度することなく、新たな大阪都構想の設計図を描いてまいりました。

大阪を豊かにするマニフェスト、それがOne Osaka!であります。首都東京やライバル都市に後れを取ることなく、大阪がナンバーワンになること、それがついに実現しました。

このたび、新型コロナ感染者数がついに東京都を追い抜き、わが大阪が全国一の栄誉に輝きました。これもひとえに、2月に首都圏に先んじて緊急事態宣言を強引に解除してもらった成果であります。このチャンスを活かさない手はありません。

全国ネットのテレビニュースでも、主要な全国紙の一面でも、わが大阪のニュースが独占状態です。ユリコ知事の姿が画面から消え、ヨッシー知事の雄姿が全国のお茶の間に元気を届けています。宮城県も追いかけてきていますが、大阪の敵ではありません。大阪発のニュースが全国を制覇し、大阪が元気になることで、次のステージが見えてきました。

もちろん、私どもは一時的な感染者数全国一の栄誉に安住することなく、さまざまな工夫と努力を通じて、病床使用率や重症化率におきましても全国一を目指して営為努力を続けてまいります。

新型コロナ対策パーソナルサポートも実施しており、府民のための給付金・助成金・貸付の政策も万全の準備をしておりますので、ご安心ください。

大阪イシンのセカンドステージを夏に向けて邁進しましょう。

Sunday, April 04, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(169)大阪市条例研究

魚住真司「大阪市反ヘイトスピーチ条例:その経緯と今後」『人権を考える』第20号(関西外国語大学、2017年)

 問題の所在

Ⅱ 大阪市条例の経緯

Ⅲ 全国実態調査と大阪

Ⅳ 今後の課題

Ⅴ 提言

マス・コミュニケーション学会の研究発表会ワークショップの準備草稿を論文化したもの。法律ではなくマスコミ研究の一環。

魚住は法規制について「ヘイトスピーチの抑制を法規制に頼り始めると、やがて社会は思考停止に陥るのではないかと危惧する」と言い、「言論規制は一時的に効果を発揮したとしても根本解決ではないように思われる」と明言する。

その上で、大阪市条例の経緯を確認し、2016年の法務省によるヘイト・スピーチ実態調査を瞥見し、「今後の課題」において、人種差別撤廃条約やヘイト・スピーチ解消法にも触れ、日本における法規制の可能性について、積極説の明戸隆浩の議論に消極説の市川正人の議論を対置する。註では私の主張も紹介している。

魚住自身の主張は、ロンドンのハイドパークの「スピーカーズ・コーナー」のような「パブリックフォーラム」を日本につくることである。

最後の「提言」では、「慰安婦問題」について、日韓対話を進めていくには世代交代が必要という三浦瑠璃の主張を紹介し、日本語や韓国語ではなく、お互いに英語を使って会話をすることだという。それによって「合理的な対話が実現するかもしれない。日韓合意への達成感は融和を促進するだろうし、在日コリアンに対するヘイトスピーチを減少させることにもつながるだろう」という。

魚住の最後の一文は、「世代交代と外国語による対話が、結果としてヘイトスピーチ抑制に少しでも役立つのであれば、それに期待しても良いのではないか」である。

コメント

1に、魚住は「ヘイトスピーチの抑制を法規制に頼り始めると、やがて社会は思考停止に陥るのではないかと危惧する」と言う。魚住は法規制をどう理解しているのだろうか。法規制するためには、議会において討論を尽くし、法律を作る必要がある。これが民主主義である。ところが、魚住は法規制に頼り始めると、「やがて社会は思考停止に陥る」と言う。魚住は民主主義をどう理解しているのであろうか。「社会は思考停止に陥る」というのは、何を根拠に、いかなる事態を想定しているのだろうか。殺人も、詐欺も、麻薬取引も、人身売買も、スピード違反も、無免許運転も、酩酊運転も、食品衛生も、医薬品も、保険も、年金も、日本ではすべて法規制しているが、「社会は思考停止に陥る」のだろうか。

第2に、魚住は「言論規制は一時的に効果を発揮したとしても根本解決ではないように思われる」という。いま求められているのは「根本解決」だろうか。とりあえず、目の前で起きている差別と暴力を止めることが課題ではないのか。目の前の差別と暴力を放置して、10年先、100年先の根本的解決を議論するのであろうか。

「法規制は根本的解決にならない。むしろ対抗言論を」「むしろ教育を」というのはありふれた意見の一つである。こう主張するのであれば、「対抗言論が根本的解決になる」ことを証明し、実践する責任がある。「教育が根本的解決になる」ことを証明する責任がある。どのような対抗言論を、どのように実践し、いつまでにヘイト・スピーチをなくすのか。教育はどうなのか。私は何度もこう指摘し、具体的方法を示すように要請してきた。しかし、私の要請に応答した論者は一人もいない。

魚住は「世代交代と外国語による対話」という。世代交代とは、どのレベルの世代交代なのあろう。大雑把すぎて、議論にならないのではないか。魚住は「合理的な対話が実現するかもしれない。」という。「かもしれない」って、いくら何でも、これはない。「根本解決」にならないと法規制を否定しながら、魚住自身の主張は「かもしれない」だ。

魚住は「結果としてヘイトスピーチ抑制に少しでも役立つのであれば」という。「結果として…役立つのであれば」って、いくら何でも、これはない。現に起きている差別と暴力のヘイト・スピーチを抑止するための法規制を否定しながら、「結果として…役立つのであれば」とは、ちょっと信じがたい話である。

Saturday, April 03, 2021

政府・自民党の「敵基地攻撃論」に関する意見書

 政府・自民党の「敵基地攻撃論」に関する意見書

2021年4月5日

 

改憲問題対策法律家6団体連絡会

社会文化法律センター   共同代表理事 宮里 邦雄

自由法曹団            団長 吉田 健一

青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野  格

日本国際法律家協会        会長 大熊 政一

日本反核法律家協会        会長 大久保賢一

日本民主法律家協会       理事長 新倉  修

 

はじめに

2020年6月15日、河野防衛大臣は「イージス・アショア」の秋田と山口への配備停止を表明し、同月24日に国家安全保障会議で正式に秋田・山口への配備停止を決定した。一方、同月16日、自民党国防部会などで小野寺五典元防衛大臣や稲田朋美元防衛大臣がイージス・アショの代替手段として敵基地攻撃能力の保有を主張し、同月18日、安倍首相(当時)も会見において「敵基地攻撃能力を含む安全保障戦略の見直し」に言及した。同年8月4日、自民党政務調査会/国防部会・安全保障調査会は、「国民を守るための抑止力向上に関する提言」を発表。安倍後継の菅政権は、同年12月18日の「新たなミサイル防衛システムの整備等及びスタンド・オフ防衛能力の強化」と題する閣議決定で、「敵基地攻撃能力」という表現を使わず、「抑止力の強化について、引き続き政府において検討を行う」としながら、イージス・システム搭載艦2隻の整備とスタンド・オフミサイルの整備及び研究開発を決定している。

本意見書は、このように昨年6月以降急浮上した「敵基地攻撃論」について、「Ⅰ 敵基地攻撃論の変遷と日米安保体制の深化」、「Ⅱ 敵基地攻撃能力保有の実態」、「Ⅲ 敵基地攻撃論批判」の柱を立て議論を整理し、意見を述べるものである。

初めにお断りすることは、本意見書で述べる見解は、各論考を執筆した個人の9条解釈論とは必ずしも一致するものではないということである。本意見書のスタンスは、あくまでも、2014年7月1日の集団的自衛権一部容認の閣議決定前、2015年9月19日に強行採決により成立した安保関連法(いわゆる戦争法)以前の、政府の9条に関する解釈及び「専守防衛論」をはじめとする外交防衛政策をひとつの起点として、そこから現時点の政府自民党による「敵基地攻撃論」について、批判的に検証することを目的とする。

2012年12月に成立した第2次安倍政権以降、日本を戦争する国に作り替えるための様々な立法・政策・解釈改憲が進んでいる。本意見書が、ここで立ち止まり、憲法の平和主義と憲法9条の理念に基づく安全保障の在り方について積極的に議論するための資料として活用いただければ幸いである。

 

 

 

目次

 

はじめに

Ⅰ 敵基地攻撃論の変遷と日米安保体制の深化

第1章 敵基地攻撃論とは何か~これまでの政府・自民党の見解 ………………… 3頁

  1 2020年6月イージス・アショア配備計画停止発表後

  2 1950年代の政府見解

  3 2000年代以降の政府・自民党の見解・議論

第2章 日米安保体制の「深化」と敵基地攻撃論  ………………………………  5頁

  1 日米安保体制の「深化」

  2 米国のミサイル防衛戦略と敵基地攻撃論

 

Ⅱ 敵基地攻撃能力保有の実態

第3章 進む敵基地攻撃能力保有の実態  …………………………………………  7頁

  1 敵基地攻撃能力を有する装備品等の導入…「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」

  2 2019年度防衛予算

  3 2020年度防衛予算

  4 2021年度防衛予算

 

Ⅲ 敵基地攻撃論批判

第4章 憲法9条と敵基地攻撃論 ……………………………………………………  10

  1 憲法9条の解釈

  2 9条1項(戦争の放棄・武力行使の禁止)と敵基地攻撃論

  3 9条2項(戦力保持の禁止)と敵基地攻撃論

第5章 国際法上の先制攻撃・予防戦争との境界は明確か ………………………  14

  1 国際法が禁じた先制攻撃と侵略

  2 国際法が容認する自衛のための武力行使

  3 グレーゾーン

第6章 そもそも敵基地攻撃論に軍事的な合理性があるか ………………………… 15

  1 そもそもミサイル防衛は可能なのか~「敵基地攻撃能力の保有」の実現可能性

  2 軍事力の増強で平和が守れるのか

第7章 民主主義と敵基地攻撃論  …………………………………………………… 17

  1 防衛政策の決定プロセスと国会の関与・民主的統制

  2 財政民主主義・財政立憲主義の形骸化

  3 予算は何に使われるべきか~敵基地攻撃能力保有と四つの犠牲

第8章 平和憲法の理念の下で安全保障政策はどうあるべきか …………………… 20

  1 アジア地域での軍拡競争と軍事的緊張の高まり

  2 期待される日本の役割

  3 憲法の積極的平和主義

 

Ⅰ 敵基地攻撃論の変遷と日米安保体制の深化

1章 敵基地攻撃論とは何か~これまでの政府・自民党の見解

1  20206月イージス・アショア配備計画停止発表後

2020年6月15日、河野防衛大臣がイージス・アショアの配備計画停止を突然発表し、当時の安倍首相もこれを了承した。そして、6月18日には安倍首相が「敵基地攻撃能力を含む安全保障戦略の見直し」を発表する。これを受けて、8月4日に自民党政務調査会/国防部会・安全保障調査会が「国民を守るための抑止力向上に関する提言」を発表し、9月11日には安倍首相が「内閣総理大臣の談話」を発表した。この中で以下のように言う。

「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しています。特に、北朝鮮は我が国を射程に収める弾道ミサイルを数百発保有しています。……/……弾道ミサイル等の脅威から、我が国を防衛しうる迎撃能力を確保していくこととしています。/しかしながら、迎撃能力を向上させるだけで本当に国民の命と平和な暮らしを守り抜くことが出来るのか。そういった問題意識の下、抑止力を強化するため、ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針を検討してまいりました。もとより、この検討は、憲法の範囲内において、国際法を遵守しつつ、行われているものであり、専守防衛の考え方については、いささかの変更もありません。また、日米の基本的な役割分担を変えることもありません。……」

ここでは、「敵基地攻撃能力」という直接的な表現を避けて「抑止力を強化」するための「ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針」としているが、新たな方針とは、敵基地攻撃能力保有を指すことは、明らかであろう。また、「憲法の範囲内」「国際法を遵守」「専守防衛……の変更もありません」「日米の基本的な役割分担を変えることもありません」としているが、果たしてそうなのであろうか。この点については第2章・第4章で検討したい。

その後、安倍首相が退陣し、9月16日に菅政権が誕生した。菅首相は、12月18日の「新たなミサイル防衛システムの整備等及びスタンド・オフ防衛能力の強化」と題する閣議決定で、「敵基地攻撃能力」という表現を使わず、「抑止力の強化について、引き続き政府において検討を行う」と先送りにした。ただ、この閣議決定では、イージス・システム搭載艦2隻の整備とスタンド・オフミサイルの整備及び研究開発を決定している。

 

2 1950年代の政府見解

以上の動きから、イージス・アショア配備計画停止発表後に敵基地攻撃論が出てきたよう にも見えるが、そうではない。以前からこれに関する議論があった。

時は1950年代までさかのぼるが、まず、1956年2月29日の衆議院内閣委員会で船田中防衛庁長官が鳩山一郎首相答弁の代読として以下のような答弁を行った。

「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。」

また、1959年3月19日の衆議院内閣委員会で伊能繁治郎防衛庁長官が以下のような答弁を行う。

「……根本は法理上の問題、かように私どもは考えまして、誘導弾等による攻撃を受けて、 これを防御する手段がほかに全然ないというような場合、敵基地をたたくことも自衛権の範囲に入るということは、独立国として自衛権を持つ以上、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨ではあるまい。そういうような場合にはそのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに他に全然方法がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくということは、法理的には自衛の範囲に含まれており、また可能であると私どもは考えております。しかしこのような事態は今日においては現実の問題として起りがたいのでありまして、こういう仮定の事態を想定して、その危険があるからといって平生から他国を攻撃するような、攻撃的な脅威を与えるような兵器を持っているということは、憲法の趣旨とするところではない。かようにこの二つの観念は別個の問題で、決して矛盾するものではない、かように私どもは考えております。」

すなわち、1956年答弁では「法理上」敵基地攻撃は可能とし、1959年答弁でもその考えを維持しつつ、現時点の政策として採用しないとしたのである。したがって、情勢が変われば敵基地攻撃兵器を保有する余地は残したが、この立場が長らく維持されてきた。また、当時の敵基地攻撃論は先制攻撃論ではなく、日本に対する攻撃を前提にしていた。

 

3 2000年代以降の政府・自民党の見解・議論

しかし、2000年代に入ると、従来とは異なる政府答弁が見られるようになる。例えば、 2002年5月20日の衆議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会で福田康夫内閣官房長官は以下のような答弁を行う。

「……相手の日本を攻撃する意図が明示されているとか、そのときの国際情勢、もろもろの情勢を判断して、その上でどの時点が武力攻撃の発生の時点かというのは、その個々の状況によって違うと思いますけれども、理論というか理屈で言えば、ミサイルが日本に着弾したという以前においても、攻撃の発生ということが認められるということがあり得るということであります。/……着手をしたときに、相手の、何で着手をしたのかというその理由があるわけですね。それは、相手が日本を攻撃するぞという明示があるということであれば非常にわかりやすいということは言えますね。そういうことであれば、これから攻撃するといって、攻撃のためのミサイルに燃料を注入するとかその他の準備を始めるとかいうことであれば、それは着手というように考えていいのではないかと思います。」

さらに、2003年1月24日の衆議院予算委員会で石破茂防衛庁長官が以下のような答弁を行った。

「……北朝鮮が東京を灰じんに帰すというふうに宣言をし、ミサイルを屹立させたという ことに相なるとすれば、それは着手ということを考える。それが私は国際法上も理解できることだと思います。しかし、それは、その時点において防衛出動を下令するのか何なのかということは時の政府として判断をすべきことですが、法理上はそのようなことは可能であると考えております。」

すなわち、実際に日本に対する攻撃がなくても、日本に対する攻撃の意図を明らかにし、ミサイルへの燃料注入や屹立を「着手」と捉え、敵基地攻撃は可能とする見解を示すのである。

このような政府の国会答弁に呼応し、自民党も敵基地攻撃論を積み重ねていく。例えば、2010年6月14日の自民党政務調査会・国防部会「提言・新防衛計画の大綱について」(この中では、「敵ミサイル基地攻撃能力の保有」の検討を提案)、2017年3月30日の自民党「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」(この中では、「敵基地反撃能力の保有」の検討を提案)、2018年5月29日自民党政務調査会「新たな防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画の策定に向けた提言」(この中では、「敵基地反撃能力の保有」の検討を提案)などがあり、ずっと議論・提案してきたのである。

 

2章 日米安保体制の「深化」と敵基地攻撃論

1 日米安保体制の「深化」

日米安保体制は、以下に述べるように「深化」(変容)している。これとともに、敵基地攻撃が現実化する危険が高まっている。

⑴ 米軍の敵基地攻撃・先制攻撃

トランプ政権は、対北朝鮮ミサイル防衛の方策の一つとして、先制攻撃のあることを公言 していた(2017年アメリカ国家安全保障戦略)。日米安保条約6条を根拠に、米軍は、日本国内の基地や施設を利用すること、そのために必要な協定を制定することを求める可能性がある。そのため日本は、米軍の敵基地・先制攻撃にいやおうなしにかかわるのだ。

バイデン政権の誕生とともに、こういった危惧が一掃されたわけではない。2021年2月25日、米軍は、シリア領域にある親イラン組織の施設を空爆した。バイデンが空爆を行った背景には、核合意をめぐるイランとの駆け引きがあるといわれている。

 ⑵ 日米の立ち位置の変化

1959年の政府答弁では、敵基地攻撃の可能性について「設例として、国連の援助もなし、また日米安全保障条約もないというような、他に全く援助の手段がない、かような場合における憲法上の解釈の設例としてのお話でございます」として、国連の援助とならんで、日米安保条約が存在することによって、「他に全く援助の手段がない」とはならないから、敵基地攻撃はする必要がないと述べている。この場合、日米安保条約と国連の援助は、自衛隊による敵基地攻撃に対する一種の歯止めとして機能していたといえる。

1996年4月17日の日米安保共同宣言(米クリントン橋本会談)の「安保再定義」を受けて、1997年9月に「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)が改訂(第2次ガイドライン)され、「日本周辺地域」における日本の対米協力が規定された。集団的自衛権の行使を一部容認した2014年7月1日の閣議決定を受けて、2015年4月27日には「新たな日米協力のための指針」(新ガイドライン)が合意され、集団的自衛権の行使を盛り込むとともに、アジア・太平洋地域を超えたグローバルな対米協力が規定され、これに合わせて集団的自衛権を一部容認する安保法制が制定された。このように、日米同盟は地域的にも内容的にも大きく変質(深化)していった。これと併せて、従来、米国は、日本が敵基地攻撃能力を保有することについては、日本が打撃力を保有すれば東アジアの軍事バランスを崩しかねないとの懸念や米国が提供する抑止力への信頼が同盟国の間で揺らいでいるのではないかとの憶測を呼ぶ恐れがあることから、消極的であったものが、近年、日本が、敵基地攻撃能力を保有することを部分的に認容したり、さらにはそれを積極的に求める方向に転換したといわれている(朝日新聞2018年4月24日のアーミテージ・インタビュー「日本も敵基地攻撃能力を」を参照)。

つまり、かつては、日本の敵基地攻撃(武力行使)を否定する根拠ともなった日米安保条約が、その後の日米安保体制の下での日本の位置づけの変化によって、逆に自衛隊の敵基地攻撃やその能力保有を容認・促進する要素となっているのである。

 

2 米国のミサイル防衛戦略と敵基地攻撃論

⑴ 米国のミサイル防衛戦略

米・中・ロが開発競争を続ける新型ミサイル、なかでも極超音速兵器(「極超音速滑空ミサイル」と「極超音速巡航ミサイル」に分類される)は、音速の5倍以上で大気圏と宇宙の境界領域を飛行し、弾道ミサイル並みの射程と速度を持ちつつ通常の弾道飛行を行わないことから、地上のレーダーシステムでは探知が難しく、従来のミサイル防衛システムでは迎撃が困難とされている。

米国防総省は、巡航ミサイルや無人機に対応するため、2013年に「統合防空ミサイル防衛(IAMD)」[i]構想を発表し、さらに2019年1月に発表した「ミサイル防衛見直し」(MDR)では、前述の新型ミサイルに対抗するため、「ミサイル防衛」への「包括的アプローチ」として、敵のミサイルを発射前に無力化する「攻撃作戦」を挙げ、先制的な敵基地攻撃に道を開くとともに、同盟国に対して、ミサイル防衛の協力関係の強化と防衛責任の分担を求めている。

さらに、MDRは、宇宙を新たな戦闘領域と位置づけ、ミサイル発射を監視、検出、追跡することができる宇宙配備センサーを設置し、それにより最も脆弱な初期ブースト段階(発射・上昇)で敵ミサイルを破壊するとしており、米国ではこれらの具体化のために、指向性エネルギー兵器(高エネルギーレーザー、高出力マイクロ波、粒子ビーム)の開発や衛星コンステレーションの開発に取り組んでいる。

⑵ 米国の補完戦力としての日本の「敵基地攻撃能力」の保有

日本の「敵基地攻撃能力」の保有は、こうした米国のミサイル防衛戦略に沿ったものであり、米軍との共同作戦を前提として、米軍の補完戦力として位置づけられるものである。

河野防衛大臣は「敵基地攻撃能力」について、国会答弁(2020年7月8日)で、①ミサイルの発射基地のリアルタイムの把握、②敵の防空用レーダーやミサイルの無力化、③発射装置や地下施設を攻撃・破壊、④攻撃の結果を正確に評価する一連の能力としている。

この答弁に沿って、保有をめざす具体的な自衛隊の装備品等は、①については、早期警戒衛星や電子偵察機、レーダーシステムの強化等、②については、相手国のレーダー網を破壊する電子戦機、敵防空網制圧や破壊する戦闘機の導入等、③については、空母をはじめ戦闘爆撃機や空中給油機、各種の対地ミサイルなどの打撃力の整備等ということになる。[ii]

しかし、河野防衛大臣が述べる①~④の敵基地攻撃能力は、日本単独では不可能であり、米軍との情報共有や指揮システムの統合等による共同作戦が前提になっており、自衛隊は圧倒的な軍事力と情報収集・指揮能力を有する米軍の補完戦力となるものである。

 

Ⅱ 敵基地攻撃能力保有の実態

3章 進む敵基地攻撃能力保有の実態

 1 敵基地攻撃能力を有する装備品等の導入…「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」

自衛隊がどのような防衛装備品を保有するかは、「防衛計画の大綱」(以下「防衛大綱」という。)に基づいて策定される「中期防衛力整備計画」(以下「中期防」という。)に5年間の防衛関係費の総額と主要装備品の整備数が具体的に盛り込まれ、これをもとに各年度の予算措置を通じて防衛力整備が実施される。

敵基地攻撃能力を有する防衛装備品等については、既に「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱について」(以下「30大綱」という。)で導入が決められており、2019年度以降の防衛予算はその延長線上にある。

30大綱では、「弾道ミサイル、巡航ミサイル、航空機等の多様化・複雑化する経空脅威に対して、最適な手段による効果的・効率的な対処を行う」として、「総合ミサイル防空能力」(米軍のIAMDに相当するもの)の強化を述べており、米軍との装備の共通化も進められている。

① 短距離離陸・垂直着陸(STOVL)が可能なステルス戦闘機F35B(F35のセンサーシステムはブースト中のミサイルの赤外線を探知し、ミサイルの位置を同定できる)を導入し、STOVL機が運用可能となるように「いずも」型護衛艦を改修(空母化)

  ② 長距離スタンド・オフミサイル導入

   ・JSM(空対地巡行誘導弾):射程500㎞以上でF35Aに搭載

・JASSM(空対地巡行誘導弾):射程926㎞以上でF15J(要改修)とF35A に搭載

・LRASM(艦対艦巡行誘導弾):射程800㎞以上で護衛艦からの垂直発射と潜水艦の魚雷管からの発射

③ 各自衛隊が保有する各種装備品を一元的に指揮統制するための自動管制システム(JADGE)の能力向上及び対空戦闘指揮システムの整備とCEC導入による米軍との戦闘情報ネットワークの共有

※ CEC(共同交戦能力):米海軍が開発したもので、戦域に展開する米軍、同盟国 軍部隊の全ての探知情報と射撃管制を統合化し部隊間で共有し、戦闘部隊群を一つの部隊として一体的に連携動作できるようにするシステムで、「CECによる自衛隊の米軍への情報伝達は、武力行使の一体化」との批判がされている。

・E2D早期警戒管制機:探知距離は555㎞以上、2000個以上の目標を同時に識別・追跡し、味方の迎撃機最大40機に対し飛行方向や高度などを命令、指揮することができ、味方の航空機や艦艇と情報を共有できるCECを導入する予定。

・SM-6長距離艦対空ミサイル:巡航ミサイルに対処する新型の迎撃ミサイル

・「まや」型護衛艦:「まや」型は「あたご」型をベースに開発され、当初から弾道ミサイルの迎撃能力を備えており、CECも導入されている。

  ④ 電子戦能力の強化

   ・F15迎撃戦闘機の近代化改修(電子戦能力を付与)

・スタンド・オフ電子戦機(敵のミサイル基地や軍艦を先制攻撃するのに先立って、敵レーダーや通信機器、コンピュータの電子機器、地対空ミサイルシステムを妨害・攻撃し、無力化にさせる電子戦機)の開発

  ⑤ 宇宙作戦隊の創設と米宇宙軍との連携

    宇宙状況監視情報(SSA)の日米共有と米宇宙軍へ自衛隊連絡将校を派遣

  ⑥ 高速滑空弾、極超音速ミサイルの開発

    島嶼防衛用高速滑空弾、島嶼防衛用対艦誘導弾及び極超音速誘導弾の研究開発を推進

 

2 2019年度防衛予算

① 宇宙状況監視(SSA)システムの整備費等(262億円)

米軍及びJAXA等の国内関係機関と連携し、宇宙状況監視の実運用を担うため、Deep Space監視用レーダー及び運用システムの整備など

② F15の能力向上(スタンド・オフミサイルの搭載、電子戦能力向上等の改修:108億円)

③ 自動警戒管制システム(JADGE)の電子情報の共有・処理能力の向上(29億円)

④ F35A戦闘機6機の取得(681億円)

⑤ 早期警戒機(E2D)9機の取得(1940億円)

⑥ 護衛艦「いずも」の改修に向けた調査研究(0.7億円)

⑦ スタンド・オフミサイル(JSM)の取得(79億円)

➇ イージス・アショアの整備(1757億円)

⑨ SM-3ブロックⅡA、ⅠBの取得(717億円)

⑩ FCネットワーク(護衛艦のセンサー情報をリアルタイムに共有し、ネットワーク射撃を  可能にする)の研究費(63億円)

⑪ 島嶼防衛用高速滑空弾の研究(58億円)

 

3 2020年度防衛予算

① 宇宙関連経費(524億円)

② スタンド・オフ電子戦機の開発(207億円)

③ F35A戦闘機3機(310億円)及びF35B戦闘機6機(846億円)の取得

④ F15の能力向上(390億円)

⑤ 空中給油・輸送機4機の取得(1121億円)

⑥ 護衛艦「いずも」の改修(31億円)

⑦ スタンド・オフミサイル(JSM)の取得(136億円)

➇ ASM-3(空対艦誘導弾)の射程延伸等の能力向上(103億円)

 

4 2021年度防衛予算

 ⑴ 2021年度予算案で明らかになった巨額の防衛装備費

菅内閣が2020年12月21日に決定した2021年度当初予算案の防衛装備費は、5兆3422億円に上り、7年連続で過去最大を更新し、前年比0.5%増となった。

防衛省は、21年度予算の考え方について、多次元統合防衛力の構築に向け、防衛力を整備するとして、横断領域作戦を実現するため、優先的な資源配分や我が国の優れた科学技術の活用により、宇宙・サイバー・電磁波といった新たな領域における能力を獲得・強化、海空領域における能力、スタンド・オフ防衛能力、総合ミサイル防空能力、機動・展開能力を強化、日米同盟・諸外国との安全保障協力を強化するなどとしている。

また、この予算案には、「米軍再編関係経費」という名目で、2044億円を加えており、そこには沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設費用552億円(歳出ベース)や鹿児島県西之表市の馬毛島への米空母艦載機着陸訓練(FCLP)のための基地建設に向けた費用として31億円(同)が含まれている。

⑵ 敵基地攻撃能力の保有のための予算計上

㋐ この予算決定に先立つ12月18日、「島嶼防衛」を口実に開発を進めてきた「12式地対艦誘導弾」(SSM)について、陸上だけでなく航空機や艦船からも発射でき、射程を900㎞に伸延する新たな能力向上型の長距離巡航ミサイルの開発を決定し、2021年度予算案に、開発費335億円(契約ベース)を計上した。

㋑ これまで導入を進めてきたF35A戦闘機の4機調達(391億円)に加えて、同機に搭載する長距離巡航ミサイル「JSM」の取得費(149億円)を盛り込んだ。

㋒ 敵に迎撃されないよう高高度を不規則に飛ぶ高速滑空弾の早期装備化に向けた研究費(150億円)などを計上している。

㋓ 護衛艦「いずも」の事実上の空母化に向けた改修(203億円)や同艦に搭載するF35B戦闘機の取得費(2機・259億円)を計上している。

㋔ レーダーを妨害電波で無力化する電子戦機の開発費100億円を計上。

㋕ 新規事業として、相手国の兵器などを監視するため、複数の小型衛星を運用する「衛星 コンステレーション」の研究費2億円など宇宙関連経費として532億円を計上。

⑶ 補正予算に潜り込ませた防衛装備費

また、菅内閣は2020年12月15日に、新型コロナ対策を中心とした2020年度第3次補正予算案を決定している。

この中には、防衛装備費3867億円が含まれており、その7割強に当たる2816億円は、潜水艦やミサイルなどの兵器調達費を前倒しで支払うための経費である。2021年度当初予算案に計上せず、補正予算に潜り込ませるやり方で国民の目を欺こうとしている。

⑷ 無駄なイージス・アショア導入と代替策

日本政府は、イージス・アショア導入の総経費に関して、1基1260億円の本体費用や教育訓練費、維持管理費を含め4504億と見積もり、うち1787億円は契約済みで、イージス・システム情報の取得費125億円は既に米政府に支払いを終えている。また、ロッキード・マーチン社と契約した新型のSPY7レーダーについても、契約額350億円のうち144億円が支払済みである。米政府からの有償軍事援助(FMS)の約款上、購入国が契約を解除することは可能であるが、その際「契約解除に起因する費用は購入国側が負う」との規定があることから、どこまでを「解約に起因する費用」とするかは米政府との協議次第ということになり、加えてロッキード・マーチン社とも解約に伴う費用負担の協議が必要になることから、協議の結果次第では、日本政府が多額の費用を負担しなければならなくなる恐れがあった。

そうしたことから、政府と与党はイージス・アショアの代替策を検討していたが、2020年12月、政府はイージス・アショアの代替策として「イージス・システム搭載艦」2隻を新造することを閣議決定した。防衛省の試算では、イージス・システム搭載艦の建造費は2隻で4800億~5000億円以上とされており、最新鋭の「まや」型イージス護衛艦の調達費の約1700億円を大きく超えており、維持整備費やミサイル調達費用等を加えると1兆円を超えるとの試算も出ており、代替策の費用は青天井状態になっている。

 

Ⅲ 敵基地攻撃論批判

4章 憲法9条と敵基地攻撃論

1 憲法9条の解釈

      政府の憲法9条解釈の変遷

   憲法9条1項は、「日本国民は、……国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の 行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と、憲法9条2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定する。

   戦後当初は、政府も憲法9条は自衛のための戦争も放棄していると考えていた(1946年6月26日衆議院帝国憲法改正委員会における吉田茂首相答弁)が、1950年に警察予備隊を創設する時に警察予備隊は軍隊ではないとし(1950年7月30日参議院本会議における吉田首相答弁)、1954年に陸海空から成る自衛隊が誕生する時に、自衛隊は「戦力」にあたらないと政府は解釈した(1972年11月13日参議院予算委員会における吉国一郎内閣法制局長官答弁)。

 ⑵ 『防衛白書』の説明

   以上の9条解釈から、さらに細かい点について具体的に政府がどのような説明をしてきたのか、『令和2年版 防衛白書』から見ていく。

   まず、「憲法と自衛権」の関係については、以下のように説明している。

「……この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦 権の否認に関する規定を置いている。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解している。このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきている。」

次に、「保持できる自衛力」については、以下のように説明している。

「わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えている。……憲法第9条第2項で保持が禁止されている『戦力』にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められる。/しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されない。例えば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えている。」

   さらに、「専守防衛」については、以下のように説明している。

「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様  も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。」

この専守防衛論は、1955年7月9日衆議院内閣委員会での杉原防衛庁長官の次の発言を起源とするとされている。

「わが国の今の防衛の建前といたしましては…あくまでわが国が受身で、侵略を受けた場合にこれを守る、いやしくも、名目のいかんにかかわらず、外に出て行って侵略することということではないことははっきりしておりますのでございます。特にここが自分のところの仮想敵国だというふうにきめてのそういうふうな考え方ではございません。ただし、日本を守るということだけは、あくまで侵略に対しては守るということで考えておる次第であります。言葉は少し堅苦しいかもしれませんが、専守防衛、もっぱら守る、これはあくまで守る、こういう考え方でございます。」

専守防衛論は、戦後65年にわたり守られてきた(政府は今もこの立場を踏襲すると説明している)わが国防衛の基本立場であり、それは、憲法9条の従来の政府解釈と自衛権行使の(旧)3要件とも一致する考え方といえる。

⑶ 9条の下での制約と形骸化

このように、憲法9条がありながら日本は再軍備の道を歩む一方、当初は憲法9条の存在によって一定の制約を課してきた。それが徐々に形骸化し、今につながる。

政府解釈からすると、自衛隊はいわば警察以上軍隊未満の組織であるため、他国の軍隊とは異なる位置づけがされてきた。その中でも大きな役割を果たしてきたのは、平和を求める世論に応えて野党が政府と論戦することで確立された制約である。

すなわち、自衛隊の海外派兵の禁止(1954年参議院決議)、専守防衛(1955年杉原荒太防衛庁長官答弁など)、武器輸出3原則(1967年に佐藤栄作首相答弁で共産圏・国連決議により輸出が禁止されている国・国際紛争当事国への武器輸出を禁止し、1976年に三木武夫首相答弁で事実上これら対象国以外も禁止)、非核3原則(核兵器を持たず・作らず・持ち込ませずという原則。1967年の佐藤首相答弁)、集団的自衛権行使の否認(1972年・1981年政府見解など)、防衛費のGNP比1%枠(1976年閣議決定)である。

特に、自衛権行使の3要件(1954年政府見解)は重要である。我が国に対する急   迫不正の侵害があること、これを排除するために他の適当な手段がないこと、必要最小限度の実力行使にとどまること、というこの3要件は、一定の歯止めになってきたことも事実である。特に第1要件は誰が見ても明らかな客観的要件である。

ところが、これらの制約が徐々に形骸化してきた。自衛隊の海外派兵の禁止については、1991年の湾岸戦争後に機雷を除去する掃海艇をペルシャ湾に派遣し、1992年から自衛隊のPKO活動への参加が始まり、2001年からアフガン戦争に従事する米軍に海上自衛隊がインド洋で給油活動を行い、2003年からイラク戦争後に陸海空3自衛隊をイラクなどに派兵し、エスカレートしていく。武器輸出3原則については、1983年に中曽根康弘政権が対米武器技術輸出を解禁し、2014年に安倍政権が防衛装備移転3原則に変えてしまう。非核3原則については、実際にはアメリカの核持ち込みを認めることで、「非核2原則」というようなものであった。GNP比1%枠については、中曽根政権が1987年に撤廃している。

そして、自衛権行使の3要件は2014年閣議決定で武力行使の新3要件に変更された。この内容は、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき、必要最小限度の実力を行使することは許容される、という3要件に該当する場合は武力行使が可能になるというものである。これによって、限定的な集団的自衛権行使が可能になった。

 

2 9条1項(戦争の放棄・武力行使の禁止)と敵基地攻撃論

 ⑴ 9条1項の政府解釈と敵基地攻撃論

   憲法9条1項の解釈については、「国際紛争を解決する手段」としての戦争を侵略戦争の意味であるとし、9条1項は、侵略戦争を放棄したのであって、自衛戦争は放棄していないとする説(限定放棄説説)と、およそ戦争はすべて「国際紛争を解決する手段」としてなされるのであるから、自衛戦争も含めてすべての戦争が放棄されているとする説に大別される。限定放棄説は、第1次世界大戦という世界戦争の悲劇を繰り返さないために1928年に制定された戦争抛棄ニ関スル条約(不戦条約)の1条、すなわち、「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非ト[ス]」という規定の解釈をそのまま憲法にもあてはめたものである。不戦条約は戦争一般を放棄したと考えられているが、実際には自衛権行使までは放棄していないと考えるので、事実上「国際紛争解決ノ為」の「戦争」を侵略戦争と解し、ここで放棄したのは侵略戦争であると考えている。学説の多数説であり、政府もこの立場である。

   9条1項は、自衛戦争を含むすべての戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を放棄したする後者の説からは、敵基地攻撃が、9条1項に違反して違憲であることは自明である。

   では、政府の採用する限定放棄説と専守防衛の立場からは、どうか。

自衛権行使の3要件(1954年政府見解)との関係で、9条1項違反となるかという問題である。上記要件の①「我が国に対する急迫不正の侵害」(専守防衛論では「相手から武力攻撃を受けたとき」)との関係では、それが敵基地攻撃の関係でいつかという問題である。

この点についての、従来の政府の立場は、以下のとおりである。

「憲法9条のもとにおいて許容されている自衛権を発動するためには、政府は、従来から、いわゆる自衛権発動の三要件というものがございます。すなわち、一つは、わが国に対する急迫不正の侵害があること、一つは、これを排除するために他の適当な手段がないこと、一つは、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、このいう三つの要件がございます。これに該当する場合に武力の行使は許されると解されております。(中略)

この場合に、わが国に対する急迫不正の侵害がある場合については、従来からわが国に対する武力攻撃が発生した場合を指しておりまして、この武力攻撃が発生した場合とは、侵害のおそれがあるときではなく、また、わが国が現実に被害を受けたときでもなく、侵略国がわが国に対して武力攻撃に着手したときである。こういうふうに解されているところであります。」(1999年3月3日衆議院安全保障委員会野呂田防衛庁長官答弁)。

   「わが国に対して武力攻撃に着手したとき」の判断は、現実に被害が発生したときとは異なり、それ自体、幅のある概念である。この点は、第5章を参照されたい(しかも、その判断は非公開の国家安全保障会議で行われ、加えて秘密保護法により厳重に秘匿されて、国会も国民も検証することができないという重大な問題もある。)

しかし、少なくとも、従来の専守防衛の考え方、すなわち、「あくまでわが国が受身で、侵略を受けた場合にこれを守る、いやしくも、名目のいかんにかかわらず、外に出て行って侵略することということではない。」「特にここが自分のところの仮想敵国だというふうにきめてのそういうふうな考え方ではございません。」からすれば、着手の時期を前倒しで判断することは許されず、現実的な被害の発生の蓋然性が極めて高い時期に厳格に解釈すべきである。さらに、自衛権行使のその余の要件も合わせて考慮するならば、現在、政府、自民党が想定している敵基地攻撃は、憲法9条1項に違反する疑いが極めて高いというべきである。

 ⑵ 自衛権行使の新3要件・専守防衛とは質が異なる敵基地攻撃論

   上記のとおり、従来の自衛権行使の3要件、専守防衛論からは、敵基地攻撃に対して、客観的要件により、一定の歯止めをかけることができる。

これに対して、武力行使の新3要件は、「我が国と密接な関係にある他国」とはどの国か、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」とはどのような場合なのかという主観的要素が加わることで、一層、限界があいまいになる。従来政府の個別的自衛権行使だけ認めていた解釈と集団的自衛権行使容認の解釈では、質が全く異なるのである。

1956年答弁は「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合」、そのような攻撃を防ぐための敵基地攻撃を、自衛権行使にふくまれるものとして正当化した。「わが国に対して」とあるから、アメリカが攻撃されただけでは、日本が敵基地攻撃をおこなうという議論にはならない。

しかし、2014年7月の閣議決定は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」は、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃があったばあいに、「必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」とした。だとすれば、14年閣議決定が「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を従来の政府解釈にいう「我が国に対する武力攻撃」と同一視したのとおなじように、いままた政府は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を1956年答弁にいう「わが国に対する急迫不正の侵害」と同一視する、ということはないだろうか。

その同一視が通用するのなら、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更を迂回路にして、自衛隊は集団的自衛権の行使としての敵基地攻撃をおこないうるということになる。

経緯を整理しよう。①まず憲法解釈変更と安保関連法の制定によって、それまで違憲とされてきた集団的自衛権の行使が合法化された。②つぎに軍事施策を変更し、敵基地攻撃に必要な装備を保有する。その結果、憲法上できなかった集団的自衛権としての敵基地攻撃が、可能ということになり、日本が攻撃されていなくても、日本に向けての武力攻撃の着手がなくても、自衛隊が「敵」を先に攻撃する危険性があり、憲法9条1項が禁止した武力の行使や国権の発動たる戦争へとつながる危険性が、飛躍的に高まることになる(下図)。

              

 

3 9条2項(戦力保持の禁止)と敵基地攻撃論

⑴ 9条2項の政府解釈

   これについての政府解釈は、第4章1で紹介した通りである。

⑵ 「実力」と敵基地攻撃論

しかし、この政府解釈は、国民自身が憲法を改正する気がないので、自衛隊と憲法9条を両立させるために政府が編み出した解釈である。自衛隊が戦車や戦艦を保持しようと、米軍と同じ戦闘機を保持しようと、毎年防衛費が増えようと、自衛隊は軍隊ではないというのは、国際的には通用しない、国内だけで完結する論理である。自衛隊の実態については、世界の軍事費・防衛費ランキングで日本は第8位又は第9位であり、とても「警察以上軍隊未満の組織」とはいえない。

憲法9条の下で自衛隊の保持を認める政府解釈に立った場合でも、敵基地攻撃能力の保有は、憲法9条2項に違反する。憲法9条がある以上、自衛隊は戦力、軍隊ではなく、あくまでも「実力」にすぎない。しかし、2017年以降事実上進められている敵基地攻撃能力の保有の実態、2021年度予算案では敵基地攻撃に利用可能な兵器として、12式地対艦誘導弾の射程延長や「いずも」型護衛艦の空母化のための費用、長距離巡航ミサイルJSMやF35A・F35B戦闘機の取得等は、到底「実力」に留まるものではないことは明らかである。

 

第5章 国際法上の先制攻撃・予防戦争との境界は明確か

1 国際法が禁じた先制攻撃と侵略

20世紀の人類は、2度にわたる世界大戦を経験した。しかし同時に国際法は発展をとげ、戦争を違法化する試みも着実に進められ、実を結んできた。そのなかで1920年代に(不完全ながら)違法化・否定された行為の一つが、他国に対する侵略攻撃だった。

では侵略攻撃とは何か。国連総会は、「侵略の定義に関する決議」(1974年)において、侵略を「国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」と定義するが(同決議1条)、続く第2条では「国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用」すなわち先制が、この侵略に当たるとする。つまり先制攻撃は侵略の一つを構成し、明確に国際法違反とされたのである。

 

2 国際法が容認する自衛のための武力行使

これに対して、他国から攻撃を受けたのち、それを排除するために行われる武力の行使は、自衛権の行使として、現在の国際法の通説が容認している。

ここで注意しなければならないのは、自衛といっても、その行使の仕方には一定の制限があることだ。たとえば、相手国を排除する以上の打撃(たとえば相手国土に壊滅的な打撃を与えること)は許されない。また自衛権の行使は、国連安全保障理事会が「国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限られている(国連憲章51条)。一方で安全保障理事会が必要な措置をとることに協力せず、他方で自衛権としての武力を行使するようなことは、国連憲章が採用した集団安全保障システムを換骨奪胎するものである。

 

3 グレーゾーン

このように国際法は、①先制攻撃=違法、②自衛権行使=合法と捉えている。ところが①と②のあいだにグレーゾーンがある。「敵国が攻撃態勢を整えたり、攻撃を開始した(とみなされる)」のちで、しかし被害がいまだ生じていない場合はどうか。相手国の攻撃の意思や準備が明らかなら、攻撃があった場合に準ずるものとして、その場合に相手国に対する攻撃を容認するという立場がある。

しかしこのようなグレーゾーンにおける相手国への攻撃は、主観的判断に基づいてしまう。そのため、国際法で禁じられた①との境界は、実際には不明だったり、恣意的なものとなる危険が常につきまとう。つまり、敵基地攻撃論は、国際法上禁止されている先制攻撃と区別がつかないか、つけることは極めて困難である。

もし誤った判断によって相手の基地や国土を攻撃したら、取り返しがつかない。アメリカがこれまで行ってきた敵基地攻撃(イラン攻撃など)は、しばしば先制攻撃だったのだ。このことからも、敵基地攻撃を容認することがいかに危険か、はっきりしている。

 

第6章 そもそも敵基地攻撃論に軍事的な合理性があるのか

1  そもそもミサイル防衛は可能なのか 「敵基地攻撃能力の保有」の実現可能性

2020年6月15日、河野防衛大臣は「イージス・アショア」の秋田と山口への配備停 止を表明した。6月24日に国家安全保障会議(以下「安全保障会議」という。)で正式に秋田・山口への配備停止が決定した。一方、6月16日、自民党国防部会などで小野寺五典元防衛大臣や稲田朋美元防衛大臣がイージス・アショの代替手段として敵基地攻撃能力の保有を主張し、党内論議が開始された。8月4日、自民党は敵基地攻撃の提言を発表した。こうして「敵基地攻撃論」が政治の場で再び俎上に載せられた。

しかし現実問題として、自民党の提言する「敵基地攻撃能力の保有」は可能なのか。『令和元年版 防衛白書』には、北朝鮮のミサイル発射手段として、「発射台付き車両(TEL: Transporter-Erector-Launcher)」についての記述がある。『令和元年版 防衛白書』によれば、TELとは「固定式発射台からの発射の兆候は敵に把握されやすく、敵からの攻撃に対し脆弱であることから、発射の兆候把握を困難にし、残存性を高めるため、旧ソ連などを中心に開発が行われた発射台付き車両」である。そして「18(平成30)年5月に公表された米国防省『朝鮮民主主義人民共和国の軍事及び安全保障の進展に関する報告』によれば、北朝鮮は、スカッド用のTELを最大100両、ノドン用のTELを最大50両、IRBM(ムスダン)用のTELを最大50両保有している」。そして「TEL搭載式ミサイルの発射については、TELに搭載され移動して運用されることに加え、全土にわたって軍事関連の地下施設が存在するとみられていることから、その詳細な発射位置や発射のタイミングなどに関する個別具体的な兆候を事前に把握することは困難であると考えられる」(傍線は筆者)。『防衛白書』でも「困難」と記されているように、TELの発射の兆候を把握するのは極めて困難である。北朝鮮が「おとり」の車両などを走らせたら、さらにTELの発見は困難になる。その上、北朝鮮は潜水艦からミサイルを発射することも可能である。仮に北朝鮮の発射場所を特定できたとしても、北朝鮮から弾道ミサイルなどを発射すれば、10分程度で日本に着弾する。しかも米国務省の報告書にあるように、200発のミサイル発射場所を特定し、発射前に攻撃できると考えるのは非現実的である。

実際、第2次世界大戦中、ドイツのV-2に対する連合国軍の攻撃、湾岸戦争の際のアメリカ軍によるイラク軍TELの事前発見破壊作戦「スカッド狩り(Scud hunt)」、イラク戦争の際のランチャー攻撃などを見ても、相手の攻撃よりも先に攻撃する「敵基地攻撃」に成功した事例はない。

 

2  軍事力の増強で平和が守れるのか 

日本が攻められたらどうするか」との問いを立てて、「軍事力の増強が必要だ」と主張されることがある。「憲法9条を護れ」と主唱する人たちに対しては「平和ボケ」「お花畑」との批判がなされることもある。では、軍事力で日本を守ることができるのか。北朝鮮や中国は脅威なので、軍事力により日本を守るべきだ、先に攻撃される前に日本が先に攻撃する能力を持つ必要があるという「敵基地攻撃能力の保有」も唱えられている。本当に武力や戦争などで日本を守ることができるのか。「軍事」の問題から考えてみよう。 

まず、「中国」「北朝鮮」(朝鮮民主主義人民北朝鮮)が脅威だと考えるのであれば、「原発再稼働」は支離滅裂である。とりわけ「北朝鮮」のミサイルを脅威というのであれば、北朝鮮側の福井県などに原発を設置して稼働するなどは論外である。北朝鮮のミサイルの脅威をあおりながら原発を再稼働した安倍自公政権の政治は矛盾以外の何物でもない。

その上、北朝鮮や中国のミサイルを防ぐことはできるのか。さきに米国防省『朝鮮民主主義人民北朝鮮の軍事及び安全保障の進展に関する報告』で紹介したように、北朝鮮はスカッド用のTELを最大100両、ノドン用のTEL最大50両、IRBM(ムスダン)用のTELを最大50両保有している。合計200発のミサイルをどのように防ぐのか。中国に至っては、INF条約の廃棄対象となるミサイルを約2000発保有しているとされる。北朝鮮や中国が日本に「飽和攻撃」をした際、日本はこれらを防ぐ手段はない。とりわけ大都市に人口が集中する日本では、実際に戦争になれば壊滅的破壊を被る。

だからこそ日本も軍事力を格段に増強させれば良いというのも、「非現実的」である。中国に対応できるだけの軍備を備えようとすれば、国家予算をいくらかかるか分からない。そして莫大な国家予算を費やし、核兵器を含め、あらゆる兵器を日本が備えたとしても、日本に対する攻撃を完全に無力化することはできない。

最後に、日本が格段に軍事力を増強しても、中国や北朝鮮から「サイバー攻撃」をされれば、そうした巨大な軍事力も全く意味をなさない。原発の非常電源を止めれば福島第一原発事故の悲劇が生じることを、日本は不幸な事故を通じて世界中に明らかにした。そこで原発などへのサイバー攻撃により非常電源を止めれば、日本に核兵器を投下したのと同様の犠牲をもたらすことも可能となる。交通信号を止めたり誤作動をさせたりすれば、交通麻痺が生じるし、金融機関や銀行へのサイバー攻撃により、これらの情報を混乱させれば、それこそ市民生活は大混乱を引き起こす。こうした現実を想定せず、「戦争」や「武力」で日本を守ろうとすることこそ、現実を直視しない思考と言わざるを得ない。科学技術が格段に発展した現在、本格的な戦争になればお互いに壊滅的な破壊を受ける。だからこそ外交などによる平和的手段により国際紛争を解決することが求められる。

 

第7章 民主主義と敵基地攻撃論

1 防衛政策の決定プロセスと国会の関与・民主的統制

 敵基地攻撃能力を保有の問題は、自衛隊がどのような防衛装備品(兵器)を保有するかの 問題でもある。前述のように、自衛隊がどのような防衛装備品を保有するかは、「防衛大綱」に基づいて策定される「中期防」に5年間の防衛関係費の総額と主要装備品の整備数が具体的に盛り込まれ、これをもとに各年度の予算措置を通じて防衛力整備が実施される。

 ⑵ 「防衛大綱」は「日本の防衛力のあり方、自衛隊の態勢・定員・装備などを長期的見地に立って規定する最高方針文書で、安全保障会議の審議を経て、閣議決定によって自衛隊に示される文書」であるとされる。

   国家安全保障会議設置法では、国家安全保障会議は、国家安全保障に関する重要事項を審議する機関として位置づけられ、国防の基本方針、防衛計画の大綱、国家安全保障に関する外交政策及び防衛政策の基本方針並びにこれらの政策に関する重要事項等を審議し、内閣総理大臣に対して意見を述べるとしているが、議事録の作成が同法において義務付けられておらず、また審議内容についても国家安全保障会議のメンバーに守秘義務がある(同法7条)ことから公開されていない。また、「防衛大綱」を決定する閣議については、議事録の作成と公開が行われているが、閣議で議論が行われることはほとんどなく、事前に提出された文書の読み上げで終わることが多いなど形式化していることから、閣議の意思決定過程を検証することは困難とされている。

   「防衛大綱」は、わが国をめぐる安全保障・防衛政策という重要な問題であるにもかかわらず、最終的な決定権限は内閣にあり、国会に対する「防衛大綱」の報告及びこれに対する質疑が行われるものの、前述のように、国家安全保障会議や閣議において、どのような審議・議論を経て「防衛大綱」が決定されたのか、その過程を明らかにすることが困難であることから、実質的に国会による行政に対するコントロールは制限されている。

   さらに「防衛大綱」は、日米同盟を前提として策定されており、「30大綱」でも「日米防衛協力のための指針」(いわゆる「ガイドライン」)の下で、日米防衛協力を一層強化するとして、日米共同の活動に資する装備品の共通化、各種ネットワークの共有、情報協力・情報保全の取組等を進めるとしている。しかし、日米安保条約に基づく防衛協力の具体的なあり方を取り決めた「ガイドライン」は、日米両政府間の政策文書であり、条約ではないことから国会における批准、承認の手続きは必要ではなく、しかも「ガイドライン」の具体化のための日米間の協議の内容についても、秘密保護法によって秘密指定されることで、国会に提供される情報・条件が厳しく制限されるため、国会による行政に対するコントロールが機能し得ない状況にある。

現在、「30大綱」に基づく「31中期防」において、「スタンド・オフ防衛能力」としてJSM、JASSM及びLRASMを導入するとされ、「総合ミサイル防空能力」としてイージス・アショアの整備、現有のイージス護衛艦の能力向上を進める等とされていた。しかし、2020年6月にイージス・アショアの配備が撤回されたものの、12月にはその代替としてイージス・システム搭載の護衛艦2隻の建造が閣議決定され、21年度防衛予算では、敵基地攻撃能力を有する装備品の導入が進められている。

前述のように国会での質疑や予算審議を通じての国会によるコントロールが十分に機能しない状況にあり、国民的議論にさらされることがないまま基本的な防衛政策の方針が変更され、日本が他国を攻撃する軍事国家に変質させられていると言っても過言ではない。

 

2 財政民主主義・財政立憲主義の形骸化

 ⑴ 財政民主主義と財政立憲主義

国民から選挙で選ばれた国会議員で構成される国会(議院)が、主権者=国民のために、国の財政(歳入・歳出)について実質的な権限を行使し、それによって財政面における議会制民主主義を実現することを、財政民主主義(あるいは財政議会主義)という。財政民主主義は、憲法第7章(83条以下)の規定によって具体化されている。

さらに財政の具体的な内容は、憲法が求める価値(とりわけ基本的人権の尊重、国民主権、平和主義)の実現に資するものでなければならない。これを財政立憲主義という。日本国憲法では、立憲主義の中に民主主義(国民主権)が含まれるので、財政立憲主義は必然的に財政民主主義(財政議会主義)を包摂したものとなる。それだけでなく、基本的人権の尊重や平和主義に適合した財政でなければならないのだ。

⑵ 敵基地攻撃論と国会の役割

敵基地攻撃は、日本に対して現実の攻撃がないにもかかわらず行われる。敵(と目された国)からの攻撃(と目された行為)を対象にする。そのため、様々な国の様々な行為を、しかもかなり恣意的に、その対象として認定する可能性がある。それに伴って、敵基地攻撃のためにあれもこれも、と武器の「爆買い」につながる危険がある。

近年は、政府・与党によって、議会制民主主義の軽視・形骸化が常態化している。「仮定のことは答えない」と豪語する首相のもと、国会(とくに野党)には、将来の予測やこれからの方針のことについて議論する機会を奪われている。結果的に、将来の予測や方針の問題は、国会以外の場所(官庁や首相官邸周辺)で決まってしまう。敵基地攻撃とそれに関わる国家財政にも、同様の問題がある。

⑶ 財政立憲主義と軍事研究

⑴で述べたように、財政立憲主義のもとでは、財政の具体的内容は、憲法の求める価値の実現に資するものでなければならない。これとの関わりで問題になるのが、大学や研究機関における軍事研究に国が多額の支援をする「安全保障技術研究推進制度」である。憲法9条2項は戦力の保持を禁じている。だから、戦力を保持するための研究、それに対する国庫の支出、いずれも憲法違反の可能性がある。

近年、防衛装備庁がとくに力を入れている分野の一つに、極超音速誘導弾の開発がある。防衛装備庁の支援をうけ、JAXA(宇宙航空研究開発機構)、岡山大学、東海大などでこの分野の研究が進められている。極超音速誘導弾の研究の成果として、近い将来、南西諸島地域に、敵基地攻撃ともつながる長距離巡航ミサイルを配備することが可能になるのではないかといわれている。

3 予算は何に使われるべきか~敵基地攻撃能力保有と四つの犠牲

限られた国家財政のもとで、敵基地攻撃能力の保有を目指そうとすれば、それは次の四つの犠牲の上でしかあり得ない。

第一に、9条の平和主義を犠牲にすることである。

第二に、憲法25条・26条・27条・28条が規定する福祉国家の理想を犠牲にすることである。

自民党政権のもとですすめられた新自由主義の政治の結果、貧困と較差が深刻化している。また医療福祉などに対する国家の責任は果たされず、それらは市場原理に委ねられている(自助)。これを解決するには、大砲よりバターを優先し、福祉国家を立て直す以外に道はないはずだ。

第三に、持続可能な社会の構築を犠牲にすることである。

敵基地攻撃に必要な財源を捻出するには、再生可能エネルギーの導入、気候変動への対策、環境保全、子育て支援、ジェンダー平等、国内的・国際的な貧困解消など、SDGsの目標実現を先送りにする必要がある。しかしSDGsの実現を先送りしても構わないほど、地球環境や社会や人々に耐久力があるだろうか。

第四に、新型コロナウイルスの感染拡大によって疲弊した人々の生活を立ち直らせるのに必要な支援を犠牲にすることである。

新型コロナウイルスは、補償なき営業自粛・停止、労働機会と賃金の喪失、教育を受ける機会の制限などといったかたちで、とくに社会経済的な弱者に負担を強いるものとなっている。いま必要なのは、こういった人々を支えるための公正な経済的支援であり、武器の爆買いではないはずだ。

前述のように軍事力の増強により平和は守れない。また、イージス・アショアの導入自体が、軍事的な必要性合理性がなく、その代替策も含めて大きな無駄遣いであり、撤回する必要がある。

韓国政府は2020年4月16日、新型コロナの感染拡大に伴う緊急災害支援金の財源確保のため、追加補正予算案を編成し、国防費を9047億ウォン(約795億円)削減して財源に充てることを閣議決定した。削減するのはF35戦闘機、イージス艦の戦闘システムの購入費などである。

一方で、日本は、韓国が削減したのと同じタイプのF35戦闘機の導入を進めている。

こうした無駄な防衛装備費はただちに削り、コロナ禍に苦しむ国民の暮らしや営業支援、医療機関への支援に回すべきである。

ICAN国際運営委員の川崎哲氏の試算では、20年度の防衛予算のうち、戦闘機購入や護衛艦「いずも」の事実上の空母化など新規契約分の1兆1000億円は、ICUのベッド1万5000床と人工呼吸器2万台に加え、看護師7万人と医師1万人の給与に相当するとしており、コロナ対策のために防衛予算を削減するなどの抜本的な予算の組替えこそが必要である。

 

8 平和憲法の理念の下で安全保障政策はどうあるべきか

1 アジア地域での軍拡競争と軍事的緊張の高まり

北朝鮮の弾道ミサイル発射、貿易戦争やIT覇権争い等をめぐる米国と中国の対立と緊張 の激化の中で、アジア地域では軍拡競争の危険が高まっている。

日本の敵基地攻撃能力保有論は、北朝鮮のミサイルを阻止するためのもと理解されているが、南西諸島での基地建設と軍備増強、島嶼防衛用高速滑空弾の開発など、中国への対応の一環という性格も持っている。しかし、日本の敵基地攻撃能力保有により、相手国内への攻撃が可能になることは、相手国が日本を攻撃する口実にもなり、双方とも先制攻撃へと傾斜してゆくことになる。こうした状況は、アジアに安全保障のジレンマと呼ばれる軍拡競争を際限なく呼び込み、偶発的な衝突や過剰なエスカレーションを招き、却ってアジアの全ての国の安全を害することになる。

 

2 期待される日本の役割

そこで、日本は、専守防衛を堅持するとともに、持続的なアジアの安全保障環境を構築するために、主体的な役割を果たす必要がある。

⑴ 専守防衛を堅持し、これを変更すると受け止められるような政策を止めること

専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法9条の精神に則った受動的な防衛戦略(相手に脅威を与えず戦争の動機をなくす戦略)をいい、そこから、攻撃的兵器を保持しないという原則をとってきた。

そこで、専守防衛を堅持するために①「攻撃的兵器の不保持」原則の厳格化[iii]、②「敵基地攻撃能力」を有するあらゆる兵器の導入や開発の中止、③南西諸島における対艦・対空ミサイル部隊の配備と基地建設の中止、④専守防衛と矛盾する集団的自衛権の行使等を認める安保法制の廃止が必要となる。

 ⑵ アジアにおける平和構築のために、核・ミサイルの管理、削減に向けた協議を行うこと

安倍政権が打ち出し、菅政権も引き継いだ「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、中国の海洋進出に対抗しての日米豪印4か国の安全保障の連携(「クアッド」 最近では、英国がこれに加わるとの報道もされている)という対中同盟としての側面を持ち、2020年11月には、日米豪印の共同訓練がベンガル湾とアラビア海北部で実施されている。これに対して中国は、こうした動きを対中包囲網だと警戒するとともに、「インド太平洋版の新たなNATO」だと批判し、対中包囲網への対抗からASEAN諸国の取り込みを強化している。さらに、米国は、中国の中距離精密誘導ミサイルに対抗して、INF(中距離核戦力全廃)条約失効後、中距離精密誘導ミサイルの開発・配備を進めており、その配備先として南西諸島を含む日本列島、フィリピン、ベトナム等が挙げられていることなどから、アジア地域は、米中対立のいわば「新冷戦」状態に陥りつつあり、地域での軍拡競争・ミサイル競争に歯止めが掛らなくなる恐れが出ている。

そこで、日本は、「米国をとるか、中国をとるか」の二項対立ではなく、米中両国にミサイル軍縮を求めるとともに、米中ロ韓朝にASEAN、オーストラリア、インドも含めた多国間協同による安全保障の道を追求すべきである。

また、北朝鮮の核放棄に向けた米朝協議は、2019年6月に行われた米朝首脳会談以降実質的な進展が見られない。そこで、これまでの協議や交渉を踏まえて、①米朝交渉と南北交渉を通じた朝鮮戦争の終結と朝鮮半島の非核化のための国際的行動の促進、②米ロ中韓朝日6か国によるミサイルを含む北東アジア軍縮・軍備管理協議の促進、③北東アジア非核兵器地帯構想[iv]の深化・促進に日本が積極的な役割を果たす必要がある[v]。そして、こうした外交活動を通じて、中国や北朝鮮などの核保有国との信頼関係を構築することと並行して、日本は、米国の核抑止力に依存しないことを宣言し、率先して核兵器禁止条約に署名することが必要である。

⑶ 安全保障の概念を人間中心のものへと再定義し、国家と人々の安全保障を追求すること

国境を越えて広がる気候変動や感染症は「人間の安全保障」に深刻な脅威をもたらしており、こうした事態に対応するためには、国家や人々の間の分断ではなく協調、憎悪や敵意ではなく相互の信頼と協働、経済封鎖や制裁ではなく経済協力を確保すること、国家の過度な軍事を削減し、温暖化対策、医療資源確保のための資金を確保することが必要である。そこで、①東アジア諸国間でコロナ対策に関する情報交換を行うとともに、軍事支出を削減して医療・保健に転用すること、②東アジア諸国間で感染症対策、気候変動、災害対応など「人間の安全保障」の協力を強化することが求められる[vi]

 

3 憲法の積極的平和主義

政府の専守防衛の定義は、「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と説明して  いる。つまり自衛権としての武力行使の3要件が包摂し尽くしていない「憲法の精神」を含めての定義といえる。

憲法は前文で、「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去 しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。」としており、こうした憲法の理念に沿って、日本は、平和構築のための役割を果たす必要がある。

 



[i] IAMDとは、「敵の航空・ミサイル能力から悪影響を及ぼしうる力を無効にすることにより、米本土と国益を防衛し、統合部隊を防護し、行動の自由を可能にするために行う諸能力と重層的な諸作戦の統合」と定義されている。また、「重層的な諸作戦」は、①敵の航空機・ミサイル攻撃を未然に防止する (敵基地攻撃の意味)、②攻撃してくる敵の航空機・ミサイルを破壊 (防空作戦やミサイル防衛の意味)、③攻撃を受けた場合の影響を最小にする (基地の抗堪化、被害復旧の迅速化の意味) とされている。

[ii] 「虚構の新冷戦」東アジア共同体研究所編 菅沼幹夫「国民の命を脅かす『ミサイル防衛』-『敵基地攻撃』論の危険性-

[iii] 府は、「攻撃的兵器」について、「性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器」と定義しているが、その範囲は曖昧で、なし崩し的に拡大される恐れがあることから、例えば「他国に侵略的攻撃的脅威を与える兵器」(小西洋之参議院議員)と定義すること等が考えられる。

[iv] 日韓朝の3カ国(「地帯内国家」)で非核兵器地帯条約を締結し、米中ロの周辺核保有3カ国(「近隣核兵器国」)が、地帯内国家3カ国に対する核攻撃・核攻撃の威嚇を行わない「消極的な安全」を保証する議定書に参加するという方式(スリー・プラス・スリー)で、東北アジアに非核兵器地帯を創設する構想

[v] 集団的自衛権問題研究会:緊急提言「敵基地攻撃能力ではなく、北東アジアの軍縮協議を」岩波書店『世界』10月号

[vi] 同上