Tuesday, September 28, 2021

真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告書の紹介(4)

Ⅷ 勧告

 

 サルヴィオリ特別報告者は最後に多くの勧告をまとめている。

 

 各国は、重大人権侵害と国際人道法の重大違反で告発された実行犯を裁判にかけ、適切な場合、問題の行為の重大性に見合った効果的な刑罰を科すべきである。その際、正義や責任へのアクセスの妨げとなくすようにすべきである。

 各国は、刑事法における免責、全体的恩赦や部分的恩赦、猶予、時効の適用、不遡及等々のような、責任追及の法的障害、司法上の障害、又は事実上の障害に頼ることを止めるべきである。

 各国は、刑事処罰から実行犯を守る免除に頼ることを止めるべきである。例えば、適切に服従した、上官の責任、真実を告白して悔恨を示したなどの事由を直ちに免責事由とすること。

 各国は重大人権侵害や国際人道法の重大違反を行った国家元首や公務員のための免責や法的保護につながる障壁を除去するべきである。

 人道に対する罪で有罪とされた者の判決の無効化や減刑(刑期の短縮、釈放条件、早期釈放)は、いかなる場合にも、通常版材で有罪とされた者の場合よりも大きなものとなってはならない。

 人道的理由による赦免は切迫した重病の場合にのみ認められるべきである。

 人道的理由又は健康上の理由による自宅謹慎の利用は、緊急の場合に用いられる一時的措置としてのみ認められるべきである。

 告発された実行犯は、通常の国内法廷、混合法定又はハイブリッド法定、特別の移行期司法で裁判にかけられる。

 軍人、警察官、諜報部員等が人権・人道法の重大侵害で告発されている事案では軍事法廷が認められるべきではない。

 司法手続きはすべての当事者にとって適正手続きの国際法基準を守るべきである。

 裁判の公平性と独立性は、捜査、公判、判決のすべての段階で保障されるべきである。

 各国は、被疑者や有罪判決を言い渡された者を引き渡し、証拠を提供し、証人にビザを出すなど、国際レベルの責任追及に完全に協力するべきである。

 各国は、人権法と人道法に違反した者、その告発を受けている者を、刑事訴追から免れさせるために、難民受け入れをしたり保護してはならない。ノン・ルフールマン原則に従って被疑者の引き渡しをしない場合は、国際基準に従って裁判にかけるべきである。

 被害者は、告発人及び補償請求人として法手続きへの完全な参加を許されるべきである。

 被害者及び家族には事件ごとの事情に応じて精神的及び法的援助が国家によって提供されるべきである。

 侵害が、その者が特定の集団に属しているがゆえに被害者とされた場合、権利に基づいたアプローチを採用し、司法へのアクセスに関する国際基準に応じて補償がなされるべきである。

 効果的に責任を問う司法にアクセスするために、各国は透明な手続きを用意するべきである。

 国際共同体は、移行期の司法手続き中の各国に、重大侵害の責任者の責任を問うため二必要な援助を提供するべきである。

 各国は自国の法的枠組みに普遍的管轄権を採用することを検討するべきである。

 

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 以上、サルヴィオリのごく簡潔な紹介である。

 人道に対する罪やジェノサイドが犯罪として定義されていない国があると指摘されている。名前は出ていないが、日本はその一つである。日本ではジェノサイドも人道に対する罪も犯罪とされていない。

 国際刑事裁判所規程を批准した国は、例えばドイツのように国内法を制定して、国内法化した。国内法を制定しなくても、条約をそのまま国内適用する国もある。

 日本はどちらでもない。国際刑事裁判所規程に加入した時、日本政府はこれを国内法化しないことを決定した。それゆえ、ジェノサイドも人道に対する罪も日本では犯罪ではない。

 もちろん、殺人や傷害はもともと犯罪である。しかし、人道に対する罪としての殺人、殲滅、奴隷化、アパルトヘイト、迫害などが独立の犯罪とされていない。それゆえ、裁判官や検察官への研修・教育もない。自衛官への教育は、戦争犯罪についてはいちおうやっているようである。

拙著への抗議・絶版要求への回答(2)

抗議への回答第二便を下記に公表します。

 

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 拝啓

 

 お手紙(2021911日付)、ありがとうございました。

 

 前便(第一便)ではご指摘への直接の「回答」をお届けしました。

 ただ、前便では、「沖縄が歴史的に置かれている差別構造」が基地押し付けとして現象していること、その差別構造を作っているのは政府のみではなく「それを支えるヤマトの人たち」であることについての私の認識をお示しすることはできておりません。

 お手紙に示された歴史認識を、私はある程度共有しております。しかし、歴史認識は多様であり、立場性の認識も人それぞれです。このように言うと、「相対化している」とご批判をいただくかもしれませんが、自らの歴史認識を絶対化して議論することは避けなければなりません。対話を拒否して性急に「絶版」を要求する前に、歴史認識をめぐって言葉を紡ぐことが必要ではないでしょうか。

 

 さて、お手紙では「基本的な認識」として、次のように述べられています。

 「沖縄が歴史的に置かれている差別構造は、現在も変わらず、普天間の代替施設と称し、『軍事的には沖縄でなくても良いが、本土の理解が得られないから』という不合理な区分=差別により決定され、強行されていることがそれを象徴しています。そしてその社会構造を作っているのは、なにも政府のみではなくそれを支えるヤマトの人たちです。しかもこれは積極的に政府を支持するヤマトの人たちのみならず、『沖縄に要らないものはどこにもいらない』という左派も含めて、その『本土の理解が得られないから』という差別を可能にしている社会構造があるからなのです。この構造を踏まえた抗議や告発などの抵抗を、『独立系』という雑な括りで、『在特会』などのレイシストと並列に扱い『複雑な排外主義という課題を背負う状況』と述べる西岡氏は、自身の立場性・暴力性にあまりにも無自覚です。こうした『本土と沖縄』という権力構造を踏まえず、政府や1%の超富裕層のみと対峙するだけで、差別やヘイトスピーチが解消・克服できるわけがありません。」

 

 上述の通り、沖縄に対して歴史的に形成された差別構造に関する歴史認識については、私もある程度共有しているつもりです。ただ、上記引用のような形で、これを「基本的な認識」と表現されても、いったい何についての「基本的な認識」であるのか不明です。また、どのレベル、どの論者の「基本的な認識」であるのかも不明です。この点は後述させていただきます。

 

 さて、本論に入る前に、お願いしておくべきことがあります。元の文章を書き換えることなくお読みいただきたいということです。

 例えば、上記引用の「この構造を踏まえた抗議や告発などの抵抗を、『独立系』という雑な括りで、『在特会』などのレイシストと並列に扱い『複雑な排外主義という課題を背負う状況』と述べる西岡氏」という記述では、西岡氏の元の記述を書き換えています。

前便でもご説明しましたが、西岡氏は「独立系の団体のなかには」「一部の琉球民族独立系による」と対象を明示しております。「『独立系』という雑な括り」ではなく、明確に「なかには」「一部の」と絞り込んでいます。西岡論稿は該当箇所で「沖縄一般」を対象にしておりませんし、「沖縄の人たち」「ウチナーンチュ一般」を対象にしていません。元の文章を「この構造を踏まえた抗議や告発などの抵抗を、『独立系』という雑な括りで」という具合に読み替えて批判をいただいても、困惑するしかありません。

また、上記引用の「政府や1%の超富裕層のみと対峙するだけで、差別やヘイトスピーチが解消・克服できるわけがありません」との記述も、元の文章を書き換えています。前便でもお願いしました通り、元の文章を書き換えることのないようにお願いします。「対話」のための最低限の条件ですので、よろしくお願いします。

 

 以上をお断りした上で、お手紙の「基本的な認識」に関連して、私の認識をごくかいつまんでご説明します。

 

 

1 私たちはなぜ植民地主義者になったのか

 

 私がここ数年用いてきた言葉で言えば、「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」という問題があります。ここで「私たち」とは主に「本土」の日本人(ヤマトンチュ)・日本国籍・男性・健常者を指します。

朝鮮民族に対して、先住民族であるアイヌ民族及び琉球民族に対して、あるいは移住者、難民、難民認定申請者を含めた「外国人」に対して、日本社会に根深く定着している植民地主義について、歴史を振り返り、現在を問うことが必要であると考えます。

私は500年の植民地主義」「150年の植民地主義」「70年の植民地主義」と呼んでおりますが、日本の対外進出に伴って形成された植民地主義はまさに500年の歴史を持ちます。このことを私は各所で論じてきましたが、近刊の『ヘイト・スピーチ法研究要綱』(三一書房、202110月予定)の「第3章 日本植民地主義の構造」にて詳しく展開しております。

 沖縄に絞っていえば、「薩摩の琉球侵攻」に始まり、「琉球併合(琉球処分)」、そして沖縄戦、昭和天皇のメッセージ、間接占領からの沖縄切り離し(米軍統治)、沖縄返還、その後も続く基地押し付けの歴史は、日本社会に根深い植民地主義を形成しました。

 にもかかわらず、「本土」の側の多くの人々の歴史認識において、このような意味での植民地主義は忘却されているように見えます。朝鮮半島に対する日本軍性奴隷制(慰安婦)問題や徴用工問題をめぐる日本社会の反応をみるならば、過去の植民地支配への反省どころか、尊大な自己肯定、自己中心主義から他者を貶める言説が幅を利かせています。朝鮮学校に対する制度的差別や、在日朝鮮人に対するヘイト・スピーチはいっそう悪質なものとなっています。アイヌ民族を先住民族と認めたはずなのに、先住民族の権利は全く認めていません。日本政府は琉球民族の先住性を認めようとしません。沖縄(琉球)への基地押し付けと差別も連綿と続いています。

私自身がこのように考えるようになった経緯についてご説明します。私は1980年代末から、仲間と「在日朝鮮人・人権セミナー」を結成して事務局長として活動を始め、在日朝鮮人に対する差別や人権侵害に取り組み、日本軍性奴隷制問題をはじめとする戦争責任と植民地支配犯罪について研究し、運動に取り組んできました。植民地主義について研究すればするほど、その克服の困難性に気づかされてきました。「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」と問い続ける必要性を痛感しております。

 沖縄についても同様です。現在の基地問題の根源を考える時、「500年の植民地主義」「150年の植民地主義」「70年の植民地主義」の総体を踏まえて議論しなければならないと考えます。沖縄の歴史(日本による植民地化とこれに対する抵抗・闘いの歴史)を学ぶことで、日本の植民地主義の構造がよく見えてきました。私の歴史認識の形成に影響を与えたのは、主に沖縄の研究者、論客たちの著作ですが、特に最近の重要な思索と運動を4つだけ明記しておきます。

 第1に後多田敦『琉球救国運動――抗日の思想と行動』(出版舎Mugen2010年)は、近代における琉球の歴史――琉球処分、謝花昇の闘い、沖縄戦、昭和天皇の沖縄メッセージ、沖縄復帰――を知っているつもりの私がいかに無知であるかを悟らせてくれました。「救国」が「抗日」を射程に入れ、東アジアにおける「抗日」と真っ直ぐに繋がっているという歴史認識は私の歴史認識を塗り替えざるを得ないものでした。その後の、後多田敦『「海邦小国』をめざして――「史軸」批評による沖縄「現在史」』(出版舎Mugen2016年)、同『救国と真世――琉球・沖縄・海邦の史志』(琉球館、2019年)に学び続けています。

 第2に、野村浩也『無意識の植民地主義』(御茶の水書房、2005年)の鋭い問題提起に感銘を受けたのは、私も皆さんと同様です。出版直後にパレットくもじの書店で購入して、那覇から羽田への機内で読了した私は、野村氏が提起する問題の強烈さと深さに呆然としていたのを覚えています。知念ウシ『ウシがゆく――植民地主義を探検し、私をさがす旅』(沖縄タイムス社、2010年)も見事な問題提起であり、沖縄だけでなく「本土」で広める必要があると考えた私は本書を100冊、東京で販売しました。

 第3に、新垣毅『沖縄の自己決定権――その歴史的根拠と近未来の展望』(琉球新報社、2015年)を挙げることができます。本書出版後、私は著者の新垣毅氏のご協力をいただいて、友人たちと「琉球沖縄シンポジウム実行委員会」を立ち上げ、東京で数回のシンポジウムを開催することになりました。そこでの中心テーマは、後述する「基地引き取り論」です。

 第4に、松島泰勝『琉球独立論』(バジリコ、2014年)をはじめとする松島氏の一連の琉球独立論です。北海道出身の私は、以前からアイヌ民族は先住民族であると認識しており、上村英明氏(恵泉女学園大学教授)の立論に学んできましたから、アイヌ民族と琉球民族はいずれも先住民族の地位と権利を享有するべきだと考えます。ですから、松島氏の研究は非常に説得的であり、琉球民族には先住民族としての権利を認めるべきであり、独立論が実際に政治課題となれば私自身も独立論を支持すると判断するに至っております。

また、近年の琉球民族遺骨返還問題でも松島氏の研究と運動には敬意を抱いており、木村朗・前田朗編『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房、2018年)には、島袋純氏、高良沙哉氏、新垣毅氏、宮城隆尋氏とともに、松島氏の寄稿をいただくことができました。他方、松島泰勝・木村朗編『大学による盗骨――研究利用され続ける琉球人・アイヌ遺骨』(耕文社、2019年)に私の文章を収録していただきました。

 以上の4つの思索と運動を列記したのは、この10数年の間に私が琉球沖縄の思想にいかに影響を受けたかを示すためですが、そのことは同時に、私がいかに無知であり不勉強であったかを裏付けることでもあります。

 これらの思索と運動に学ぶことを通じて、ようやく私は「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」を自らの研究テーマの重要な軸に加えることになりました。ここにたどり着くまでの自分を振り返ると、たんに無知であるだけでなく、その都度「わかったつもり」になりながら実は問題の根源を十分理解していなかったこと、そのため何度も思考がぶれたり、変遷を重ねてきたことを痛感させられます。

 これは決して自虐的に表現しているのではありません。日本の対外進出に伴って形成された植民地主義はまさに500年の歴史を持ちます。日本植民地主義がいかに歴史的に根深く、日本社会において「自然」であるかを知る必要があります。日本で生まれ育った日本人は植民地主義の中で自己形成するため、普通は植民地主義者になるのです。野村浩也氏の卓抜な表現を借りると「無意識の植民地主義」です。

 しかし、問題は「無意識の植民地主義」にとどまりません。野村浩也氏の問題提起がなされた後は、「無意識の植民地主義を解体する課題に気づきながら、その課題に向き合おうとしない植民地主義」になりかねないからです。

 植民地主義の克服が口で言うほど容易ではないにしても、常にそのために努力しなければならないことは言うまでもありません。私自身、「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」を問いながら、試行錯誤を続けてきたのが実情です。①私のヘイト・クライム/スピーチ研究についてはすでにお知らせしました。徐勝・前田朗編『文明と野蛮を超えて――わたしたちの東アジア歴史・人権・平和宣言』(かもがわ出版、2011年)においては、日本植民地主義と人種主義について掘り下げました。③他方、木村朗・前田朗編『21世紀のグローバル・ファシズム――侵略戦争と暗黒社会を許さないために』(耕文社、2013年)では、特定秘密保護法、集団的自衛権、国防軍創設の憲法「改正」、他方で領土問題やヘイト・スピーチなど偏狭なナショナリズムの煽動が続く現状を批判的に解剖しました。④レイシズムやナショナリズムを相対化するための非国民研究として、前田朗『非国民がやってきた!』(耕文社、2009年)、『国民を殺す国家――非国民がやってきた!Part2』(耕文社、2013年)、『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(耕文社、2016年)の3冊も公にしました。⑤他方、平和主義研究としては、前田朗『軍隊のない国家』(日本評論社、2008年)『9条を生きる――平和を生きる民衆』(青木書店、2012年)、『旅する平和学』(彩流社、2017年)と続き、最近では『憲法9条再入門』(三一書房、2020年)を出しています。ここでは平和主義と植民地主義の関連について検討しています。そして、国連平和への権利宣言づくりに参加しましたので、笹本潤・前田朗編『平和への権利を世界に』(かもがわ出版、2011年)、共著『いまこそ知りたい平和への権利48のQ&A』(合同出版、2014年)も編集することができ、国連レベルでの世界の平和運動の視点から日本と沖縄を考える良い機会となりました。⑥沖縄・尖閣諸島を含む領土問題について、民族派の代表である木村三浩氏(一水会代表)とともに『領土とナショナリズム』(三一書房、2013年)及び『東アジアに平和の海を』(彩流社、2015年)を出したことは、異なる立場の間での「対話」の経験として貴重でした。⑦また、原発問題をめぐる権力と民衆の対峙について、共著『原発民衆法廷①~④』(三一書房、201516年)に続いて、共著『思想の廃墟から――歴史への責任、権力への対峙のために』(彩流社、2018年)を刊行し、さらに共著『「脱原発の哲学」は語る』(読書人、2018年)、『福島原発集団訴訟の判決を巡って――民衆の視座から』(読書人、2019年)を公刊することができました。

 以上の経験を経て、不十分ながら、私なりの歴史認識――日本植民地主義論、人種主義論、日本ナショナリズム論、それを乗り越えるための平和主義、国際的な平和への権利論を形成してきました。

 

 

2 基地引き取り論(県外移設論)について

 

 以上を踏まえて、お手紙のバックボーンとなる「新しい提案」における「県外移設論」又は「基地引き取り論」についての私見をお知らせします。

 沖縄への米軍基地押し付け、そのもとで起きた事故や米兵犯罪による被害等についてはあらためて述べるまでもありません。

 1995年の「米兵少女暴行事件」以後、長期にわたって沖縄の人々が基地撤去をはじめ基地問題の解決を求めてきたことも言うまでもありません。鳩山民主党政権が「県外移設論」を掲げながら、失敗に終わったことも記憶に新しいところです。

 県知事選、総選挙、市長村長・議員選挙などを通じて、沖縄県民が何度も繰り返し「県外移設」を求める明確な意思を表明してきたことも言うまでもありません。

 こうした中、例えば野村浩也『無意識の植民地主義』、知念ウシ『ウシがゆく』といった問題提起を受けて、「本土」の側から応答したのが高橋哲哉『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)でした。同様の思考をした方は他にもいらしたかもしれませんが、「県外移設」を単に論評するのではなく、「基地引き取り論」を「本土」の側の責任として明快に論じたのは高橋氏が初めてと言って良いと思います。

 私自身の思考の変遷という点で言いますと、1995年には沖縄基地問題の解決は「基地縮小論」のレベルでした。2005年に野村浩也『無意識の植民地主義』に出会った時に、「基地を持って帰れ」という言葉に驚き、半ば納得しつつ、半ば思考停止に陥っていたと思います。そして、2015年に高橋氏の著作に接することで、私は基地引き取り論に説得され、基地引き取り論を「本土」で広める努力を始めることになりました。

 なお、高橋氏にはそれ以前に『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、2012年)があり、そこですでに沖縄における米軍基地問題を「犠牲のシステム」批判の形で論じていますが、一般に高橋氏の基地引き取り論が知られるようになったのは『沖縄の米軍基地』だったと言って良いでしょう。

2015年は、高橋氏の基地引き取り論が明快に打ち出された年であり、同時に新垣毅『沖縄の自己決定権』が出版された年でもあります。そこで、私は友人たちと「琉球沖縄シンポジウム実行委員会」を立ち上げ、東京で数回のシンポジウムを開催することになりました。このシンポジウムには新垣毅氏(琉球新報社)と高橋哲哉氏にご協力いただきました。そこでの中心テーマは、「沖縄の自己決定権」と「基地引き取り論」です。

最初のシンポジウム(2015923日)は「『基地過重負担は差別』 自己決定権めぐり東京でシンポ」(琉球新報2015924日)に報道されている通り、新垣毅氏、高橋哲哉氏、阿部浩己氏(神奈川大学教授・当時)、上原公子氏(前国立市長)をパネリストとしてお迎えしました。

3回シンポジウム「『植民地主義と決別を』 東京で自己決定権シンポ」(2016424日)は、新垣毅氏、中野敏男氏(東京外国語大学名誉教授)、上村英明氏(恵泉女学園大学教授)をパネリストにお招きしました(琉球新報2016430日)。

 第4回シンポジウム「沖縄シンポジウム ヤマトンチュの選択――問われる責任、その果たし方」(2016925日)は、高橋哲哉氏に基地引き取り論を展開していただき、基地引き取り論に反対する成澤宗男氏(ジャーナリスト)と対論していただきました(琉球新報2016930日)。

連続シンポジウムの第9回「県民投票を受けて、いま何をすべきか~沖縄の自己決定権と『本土』の応答」(2019427)には、パネル発言者として元山仁士郎氏(「辺野古」県民投票の会代表)、佐々木史世氏(沖縄の基地を引き取る会・東京)、野平晋作氏(ピースボート共同代表)とともに、米須清真さんに登壇していただきました。その節はありがとうございました。

 また、連続シンポジウムとは別に、新横浜のスペースオルタの協力を得て、私は高橋哲哉氏にインタヴューする機会を得ることができました。その記録は高橋哲哉・前田朗『思想はいまなにを語るべきか――福島・沖縄・憲法』(三一書房、2018年)としてまとめることができました。

 以上の通り、不十分ながら、私自身も基地引き取り論を受容して、微力ながら行動してきたつもりです。

 本年、高橋哲哉『日米安保と沖縄基地論争――〈犠牲のシステム〉を問う』(朝日新聞出版、2021年)が出版されました。本書で高橋氏は、基地引き取り論への批判に応答しています。批判対象は、沖縄の映像批評家・中里効、沖縄近現代文学・ポストコロニアル批評の新城郁夫、思想史家・鹿野政直、ドゥールーズ=ガタリをはじめとする現代思想研究者の廣瀬純と佐藤嘉幸、そして社会思想史の大畑凛――いずれも私たちが敬愛してきた研究者であり、豊かな研究業績、鋭い分析、幅広い視野で私たちに思想と理論の輝きを教えてくれた論客です。高橋氏の基地引取り論がそれだけ論争誘発的な意欲作だったためです。

 ただ、この論争は主に「琉球新報」「沖縄タイムス」をはじめとする琉球沖縄のメディア上での論争です。

私の観点からは、この論争は「本土」のメディアにおいて行われる必要があります。高橋氏の果敢な取り組みや、東京、大阪、福岡などで動き始めた市民による基地引き取り論を「本土」でさらに広めることが課題です。

 

 

3 歴史認識について

 

 さて、冒頭で述べた通り、沖縄に対して歴史的に形成された差別構造に関する歴史認識については、私もある程度共有しているつもりです。ただ、上記引用のような形で、これを「基本的な認識」と表現されても、いったい何についての「基本的な認識」であるのか不明です。また、どのレベル、どの論者の「基本的な認識」であるのかも不明です。

 「沖縄が歴史的に置かれている差別構造は、現在も変わらず」という点は私も同感です。

 「普天間の代替施設と称し、『軍事的には沖縄でなくても良いが、本土の理解が得られないから』という不合理な区分=差別により決定され、強行されていることがそれを象徴しています」というのも、その通りだと思います。

 「そしてその社会構造を作っているのは、なにも政府のみではなくそれを支えるヤマトの人たちです」というご指摘もまさにその通りです。

 「しかもこれは積極的に政府を支持するヤマトの人たちのみならず、『沖縄に要らないものはどこにもいらない』という左派も含めて、その『本土の理解が得られないから』という差別を可能にしている社会構造があるからなのです」というのも適切なご指摘だと思います。

 上記引用の最後の4~5行において西岡論稿を書き換えている点は是認できませんが、それ以外は私も「その通りです」とお答えします。

 しかし、上記引用の10行余りの文章「全体」については「その通りです」とは言えません。個別のパーツが正しくても、全体としては正しいとは限らないからです。これらが「基本的な認識」であると主張されても、残念ながら理解しかねます。なぜなら、これらの文章は2013年の西岡論稿に向けられた非難だからです。これは奇妙なことと言わなければなりません。

 2013年当時、このような歴史認識が一般的であったとは到底考えられないからです。もちろん、沖縄に対する歴史的な差別についての認識はもっと以前からありました。しかし、米軍基地の県外移設論とこれらの歴史認識が一体のものとして語られるようになったのはいつのことでしょうか。

 こうした歴史認識は現在の沖縄においてさえ、一般的と言えるかどうか疑問です。なるほど県外移設は沖縄県民の明確な意思です。しかし、県外移設論を支える歴史認識が一枚岩であるわけではありません。歴史認識は多様です。「県外移設論」には多様な思いが含まれており、「県外移設論」=「基地引き取り論」という訳ではないことは明らかです。そのことは、2015年の高橋哲哉氏の基地引き取り論に対して、他ならぬ沖縄の中からも次々と批判と反論が寄せられたことから明らかです。

 また、『沖縄発新しい提案――辺野古新基地を止める民主主義の実践』が公表されたのは2018年のことだと承知しています。その紹介の文章には「2017年ごろ、沖縄県内外のさまざまな世代のウチナーンチュによって、憲法や民主主義の観点から県外移設論を検討するネットワークが生まれました」という記述を見ることができます。

 2018年の「新しい提案」の歴史認識を根拠にして、2013年の西岡論稿にはそれが欠けていると非難することが、いかにして可能となるのでしょうか。

 繰り返しますが、私は「基本的な認識」をある程度共有していますが、それも上記の通り、時にぶれたり、変遷した結果としてようやくたどり着いた認識です。

 そして、残念なことに、「本土」ではこのような認識は全く共有されていません。高橋氏や引き取り運動のみなさんが苦労しているのはこのためです。

 私はこの認識を「本土」に広めることが重要であると考えます。そのために東京でシンポジウムを繰り返し開催してきました。その際、他人の文章を書き換えたり読み替えたりすることなく、議論を進めました。2018年の認識を基に2013年の文章を非難するのではなく、その都度、正確な事実に基づいて対話を進めることに留意しました。

 

 

 以上で、ご指摘への「回答」とさせていただきます。

お手紙をいただいたおかげで、改めて私自身のこれまでを振り返ることができました。思考の及ばなかったところ、浅かったところが見えてきました。我ながら迂闊だったと思うところもあれば、それなりに努力してきたのにと言い訳したくなるところもありました。

 いずれにせよ、過去を変えることはできませんので、至らない点はご容赦を願うしかありません。私にできることは、とりあえず基地引き取り論を本土で少しでも広げるよう努力を続けることです。

 さらに疑問点がございましたら、お知らせいただけますと幸いです。「対話」が遮断されることなく、議論を始める端緒となることを期待して、私なりのお返事とさせていただきます。

 なお、第一便と同様に、本便は公開していただいて結構ですが、書き換えたり前後を入れ替えたりすることのないようにお願いいたします。

 ありがとうございました。

 

敬具

 

                        2021年9月22日

 

                             前田 朗

拙著への抗議・絶版要求への回答(1)

私が8年前に編集した『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)について、読者のお2人から、収録論稿の記載がヘイト・スピーチであるとして抗議するとともに、同書を絶版にするべきだとの趣旨のお手紙(2021911日付)を頂きました。

その手紙はお2人によって、ツイッターですでに公開されています。

 これに対する回答を9月22日付で、出版社より発送してもらいました。回答は2通ありますが、そのうち第一便を下記に公表します。

 

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 拝啓

 

 お手紙(2021911日付)、ありがとうございました。

 

 私(前田朗)が編者となった『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)をご購読いただきましてありがとうございます。

 ご存じの通り、日本でヘイト・スピーチという言葉が知られるようになったのが2013年であり、同年の流行語大賞に選ばれました。同時期に出版された本書は、最も早い時期に「ヘイト・スピーチ」と冠した書物であることから、反差別・反ヘイトに関心を寄せる方々から歓迎され、その後の反差別の議論と運動に少なからず役割を果たすことができたものと自負しております。

私自身、本書の出版を通じて、ヘイト・スピーチに関する研究と運動のいっそうの重要性を痛感しました。そこで、その後も研究を続けることとし、『ヘイト・スピーチ法研究序説』(三一書房、2015年)『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房、2019年)『ヘイト・スピーチと地方自治体』(三一書房、2019年)を執筆することになりました。これらの研究の出発点となった本書が幅広い方々から歓迎され、吟味され、運動に資することができたことを、改めて思い起こしております。

その後の8年間を振り返ると、毎年のように「ヘイト・スピーチ」と冠する書物が公にされ、ヘイト現場でのカウンター行動が広まり、2016年には不十分な法律ながら「ヘイト・スピーチ解消法」が制定されました。大阪市、京都府、京都市、川崎市、国立市を始め各地の自治体で反ヘイト条例が制定されました。こうした議論と運動の現場に、私たちも加わることができたことは幸いでした。もちろん、反差別・反ヘイトの思想と運動にはさらなる奮起が必要とされていることも事実であり、私たちも次の歩みを始めているところです。

 

 さて、同書に収録された西岡信之著「沖縄における憎悪犯罪」(以下「西岡論稿」)に関連して、ご意見とご質問をお寄せいただきましてありがとうございます。西岡論稿は、沖縄におけるヘイト・クライム/スピーチについて論じた、当時としては数少ない論考であり、出版時に多方面から好評をいただきました。

 西岡論稿は、当時、西岡氏が実際に体験した人格攻撃に関連して、その苦境を表明する記述を含むものでした。西岡氏は平和運動や基地反対闘争の国際的視点に立って、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけました。本書出版時、「本土」のみならず、沖縄の人々からもこれに賛同するご意見を伺うことができたと承知しております。編者の私も、沖縄の人々から連帯の重要性についてご意見を伺い、本書に感謝の意を述べる方もいらして恐縮するとともに、平和運動における国際連帯の重要性を改めて痛感させられたことを記憶しております。

 

 それから8年の歳月を経て、まったく思いがけない方向から、思いがけない内容のご批判をいただいて、大変当惑しております。

 お手紙には、「貴殿らに対し抗議する」と「抗議」が明記されており、「真摯な回答を求めます」と記されている一方、末尾では、「回答」の如何に関わりなく、「本書は絶版にすべきである」との結論が提示されており、対話が全面拒否されています。そうであれば、「認識」をお示しして「回答」をお届けしても意味がないことが明白です。

とはいえ、読者から「抗議」のお手紙をいただいた訳ですし、特に「ウチナーンチュ」の「代表」と宣言されての「抗議」と質問です。編者として私の認識をお示しして「回答」とさせていただくことで、「対話」を始める端緒となることを期待して、私なりのお返事とさせていただきます。

 なお、執筆者である西岡信之氏は現在リタイアしており、お手紙に自ら応答することができませんので、ご了解ください。

 

 

1 西岡論稿の基本趣旨

 

 さて、ご指摘は西岡信之氏の論稿「沖縄における憎悪犯罪」における下記の記述に対するものです(同書118頁)。

「また独立系の団体のなかには、日米両政府ばかりか本土の日本人批判、県内に移住してきた日本人に対しても批判を始めるなど、民族排外主義が高まっています。

 右翼・保守系団体による沖縄への差別、排外主義とともに、沖縄における一部の琉球民族独立系による日本人への差別、排外主義など、沖縄はいまやひとつの小さな島嶼県内で、複雑な排外主義という課題を背負う状況に陥っています。

 圧倒的多くの民衆の敵は、1%の超富裕層からなる支配者階層であって、民衆の99%は、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけます。」

 

 この記述に対して、お手紙では次のようなご指摘がなされています。

 「『独立系の団体』とはどの団体を指しているものなのかこの記述からは明らかではありませんが、『本土』の日本人批判や県内に移住してきた日本人に対して『批判』することがなぜ、日本人への差別、民族排外主義なのでしょうか。この記述はまさに人種差別撤廃条約が禁止し、国連の人種差別撤廃委員会も勧告している沖縄の人たちが、その権利を主張し、訴えることを妨げ又は害する目的又は効果を有するものであり、本書が克服すべきテーマとして掲げたヘイトスピーチそのものです。」

 

ご指摘に関連して、以下で私の認識をお示しします。

 第1に、西岡論稿の基本趣旨を、全体の文脈と流れに即して確認させていただきます。

 西岡論稿は、沖縄におけるヘイト・クライム/スピーチ現象を取り上げ、2013年の日比谷野外音楽堂における「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」に続くパレードに対して投げつけられたヘイト・スピーチを報告しています。ヘイト活動は「在特会」だけでなく、一定の広がりを見せ始めていることを検証し、これに対する批判を強めることを課題としています。沖縄に対する攻撃は、沖縄戦の歴史記述や靖国神社問題などで顕著となり、「琉球新報」「沖縄タイムス」に対する攻撃が始まっていることに言及しています。ヘイト活動が一部では過激化し、直接行動に出て来るようになったことに警鐘を鳴らしています。2013年の政府主催の「主権回復・国際社会復帰式典」に見られる歴史認識と米軍基地強化に反対する必要性を唱えています。

 これが西岡論稿の全体像であり、基本趣旨であることをまず確認させていただきます。

 西岡信之氏は長年にわたって平和運動、憲法9条擁護運動に携わり、「本土」(大阪や東京)で基地反対闘争、安保法制反対運動等において活躍しました。そのため2000年代初頭に沖縄に移住し、基地反対闘争に加わりました。その経験と認識を基に西岡論稿が書かれています。

同時に2010年頃から、西岡氏は日本人であるがゆえに運動の現場から排除される経験をし、時に人格を否定されるような経験をしました。当時、私は西岡氏からその悩みを直接聞いたので、はっきりと記憶しています。

 西岡氏は平和運動、憲法9条擁護運動の立場ですから、日米安保条約に反対し、すべての軍事基地に反対する運動に参加してきました。「圧倒的多くの民衆の敵は、1%の超富裕層からなる支配者階層であって、民衆の99%は、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけます」というのは西岡氏の基本的スタンスの表明と言えます。

 

 第2に、西岡論稿に書かれた内容それ自体を確認させていただきます。

西岡論稿は該当箇所で「独立系の団体のなかには」「一部の琉球民族独立系による」と対象を明示しております。西岡論稿は該当箇所で「沖縄一般」を対象にしておりませんし、「沖縄の人たち」「ウチナーンチュ一般」を対象にしていません。

 お手紙では「独立系の団体のなかには」「沖縄における一部の琉球民族独立系による」という批判が「沖縄の人たちが、その権利を主張することを妨げる」としていますが、論理があまりにも飛躍しています。

西岡論稿は「沖縄の人たち」一般について言及していません。ほのめかしてもいません。読者がそのように誤解することのないように、2回にわたって「独立系の団体のなかには」「一部の琉球民族独立系による」と明示しています。西岡論稿は難しいレトリックを用いることなく、通常の表現を用いて対象を明示していますので、普通の読者であれば読み違えることは考えられません。

 西岡論稿が「独立系の団体」「一部の琉球民族独立系」による人格攻撃を取り上げる際に、あえて団体名を特定しなかったのは、「民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけ」るためです。団体名を特定しなくても、当時の状況下で読めば、関係者にはわかります。名指しを避けることによって、その後の連帯が可能となります。

 実際、西岡氏は事前に沖縄の友人知人に原稿を読んでもらい、これで関係者に意味が伝わることを確認しています。本書出版後、読者から本書に好意的な感想が伝えられましたが、批判する声を聞いたことはないとのことでした。

 私自身も、本書について沖縄の複数の友人知人から感想を伺いましたが、今回のお手紙でいただいたような指摘を受けたことはありません。読者が、西岡論稿の基本趣旨を理解し、その意図や意味を正確に、つまり、書いてある通りに読み取ってくれたからです。

 

 第3に、西岡論稿に書いていないことをご批判いただいても、お返事のしようがありません。

お手紙の別の個所では「政府や1%の超富裕層のみと対峙するだけで、差別やヘイトスピーチが解消・克服できるわけがありません」と、元の文章を書き換えてご批判されています。西岡論稿では「圧倒的多くの民衆の敵は、1%の超富裕層からなる支配者階層であって、民衆の99%は、民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけます。」と書いています。「政府や1%の超富裕層のみと対峙するだけで、差別やヘイトスピーチが解消・克服できる」などと意味不明のことを書いておりません。

元の文章を書き換えないようにお願いします。「対話」のための最低限の条件ですので、今後はよろしくお願いします。

 

 

2 ヘイト・スピーチについて

 

 ヘイト・スピーチは、よく誤解されるのですが、「汚い言葉」や「気に入らない言葉」ではありません。

 ヘイト・スピーチに関連する国際文書として知られるのは、ご存じの通り、市民的政治的権利に関する国際規約(以下「国際自由権規約」)と人種差別撤廃条約です。

 

 第1に、国際自由権規約第202項は「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」としています。

要件は、①「差別、敵意又は暴力」に関連し、②「扇動」となること、③「国民的、人種的又は宗教的憎悪」にかかわること、④「唱道」することに分けることができます。

 この条項の解釈については、国連人権高等弁務官事務所が主導して開催された連続専門家セミナーの成果文書としての「ラバト行動計画」に明示されています(詳しくは前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』500頁以下参照)。

 西岡論稿についてこれを見ると、西岡氏は差別に反対し、②いかなる扇動も行わず、③憎悪に反対して、④連帯を呼びかけています。立場の異なる人にも「民族や国籍、宗派、国境を越えて、共通の敵に対して手を結ぶことを呼びかけ」ることが明示されています。

 

 第2に、人種差別撤廃条約第4条は「締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う」として、同条(a)が次のように定めています。

 「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。」

要件としては、①「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布」、②「人種差別の扇動」、③「いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動」、④「人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供」が掲げられています。

この条項の解釈については、同条約第8条に基づいて設置された人種差別撤廃委員会が長期にわたる検討の結果としてまとめた「一般的勧告第35号 人種主義ヘイト・スピーチと闘う」にまとめられています(詳しくは前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』489頁以下参照)。

西岡論稿についてこれを見ると、①西岡氏は「人種的優越又は憎悪に基づく思想」に反対し、②「人種差別の扇動」を行わず、③「暴力行為又はその行為の扇動」とは無縁であり、④「人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供」も行っていません。

 

 第3に、ヘイト・スピーチの定義については、国際自由権規約及び人種差別撤廃条約が代表的な文書ですが、定義について国際社会に完全な一致がある訳ではありません。欧州人権裁判所や米州人権裁判所でも議論が行われていますし、欧州連合(EU)加盟国はすべてヘイト・スピーチ処罰規定を有していますが、その条文の体裁や内容は多様です(世界150カ国のヘイト・スピーチ規制状況について前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』第8章、及び同『ヘイト・スピーチ法研究原論』第7章参照)。

 国連レベルの条約(国際自由権規約及び人種差別撤廃条約)、地域機関の法理論(欧州人権条約・同裁判所等)、世界各国の法規制状況を踏まえてみると、ヘイト・スピーチの必須要件としては、①人種、国民、言語等の動機・属性、②差別及び暴力、③その扇動が共通に掲げられていることが分かります。

 このようにヘイト・スピーチに関する国際常識はすでに明らかとなっています。そして、国際常識に従って西岡論稿を見るならば、これがヘイト・スピーチに該当しないことは明らかです。

 

 第4に、日本の「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進に関する法律(以下「ヘイト・スピーチ解消法」)を見てみます。同法第2条は次のように定めます。

 「この法律において『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において『本邦外出身者』という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。」

 ヘイト・スピーチ解消法は対象を「本邦外出身者」に限定していますが、「本邦外出身者」以外の者に対するヘイト・スピーチも許されないことは言うまでもありません。

 ヘイト・スピーチ解消法の要件は、差別的意識を助長し又は誘発する目的で、公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し、又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動、に分けることができます。文章の組み立てから言って、①が目的、④が理由であり、②③がその例示であり、ヘイト・スピーチの本体となる実行行為が、「地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」となっています。

 西岡論稿についてこれを見ると、①西岡氏には法律が定める「目的」がなく、②「危害を加える旨の告知」もなく、③「著しく侮蔑する」こともなく、④一定の「地域の出身たることを理由」とすることもなく、⑤「地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」もありません。

 

 以上の通り、西岡論稿はいかなる意味においてもヘイト・スピーチに該当しません。西岡論稿全体について見ても、当該記述だけを取り上げても、これらがヘイト・スピーチに該当しないことは疑問の余地がありません。繰り返しますが、ヘイト・スピーチは「気に入らない言葉」ではありません。

 

 

3 おわりに

 

 さて、お手紙では「沖縄が歴史的に置かれている差別構造」が基地押し付けとして現象していること、その差別構造を作っているのは政府のみではなく「それを支えるヤマトの人たち」であることが指摘されています。

 お手紙に示された歴史認識を、私はある程度共有しております。しかし、歴史認識は多様であり、立場性の認識も人それぞれです。このように言うと「相対化している」とご批判をいただくかもしれませんが、自らの歴史認識を絶対化して議論することは避けなければなりません。

 ただ、この論点についての私の認識をお示しするには、かなりの紙幅を必要とします。そこで、私見の提示は別便にて行うことにさせていただきます。本回答と併せて第二便をお読みいただけますと幸いです。

 

 

 以上で、ご指摘への「回答」とさせていただきます。「対話」が遮断されることなく、議論を始める端緒となることを期待して、私なりのお返事とさせていただきます。

 なお、本便は公開していただいて結構ですが、書き換えたり前後を入れ替えたりすることのないようにお願いいたします。

 ありがとうございました。

 

敬具

 

                        2021年9月22日

 

                             前田 朗

 

Sunday, September 26, 2021

真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告書の紹介(3)

引き続き、ファビアン・サルヴィオリ「真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告者」の報告書を要約して紹介する。

 

Ⅵ 良き実行例と教訓

 

 A 法的枠組み

 

 サルヴィオリによると、拷問、強制失踪、ジェノサイド、人道に対する罪を法的に定義していない国もあるが、多くの国では刑法か特別法で定義している。ウクライナ刑法は、拷問、残虐な取り扱い、強制労働、国際的に禁止された方法での戦争の使用等の最重大犯罪の刑罰として、八年から一二年の刑事施設収容、被害者が死亡した場合は一〇年から一五年の刑事施設収容としている。ウガンダでは、国際刑事裁判所規程第五条の犯罪を法律で犯罪としているが、有罪判決が出たことはない。グアテマラでは、ジェノサイド犯罪は三〇年から五〇年、ジェノサイドの煽動は五年から一五年、人道の義務に対する犯罪は二〇年から三〇年とされている。

 アイルランドでは、国際刑事裁判所規程が定める犯罪について、アイルランド国内で起きても国外で起きても捜査を開始できるとしている。犯罪によって得た財産を没収して被害者補償に充てる規定もある。刑罰は終身刑、又は三〇年以下である。アルバニアは、国際刑事裁判所規程を国内法に取り入れ、普遍的管轄権を認めている。

 国際刑事裁判所規程は強姦犯罪を定義するだけでなく、性奴隷制、強制売春、強制妊娠、強制不妊、その他の性暴力というジェンダーに基づく犯罪を定義する。旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷とルワンダ国際刑事法廷は強姦を人道に対する罪と戦争犯罪としている。

 

 B 恩赦の撤回

 

 適切な責任追及を妨げるので、恩赦を取り消した国内法廷や、恩赦を憲法違反とした国内裁判所がある。ペルーでは、憲法裁判所が二つの恩赦法を憲法違反とした。ネパール最高裁は、被害者の共催の権利に反するとして、恩赦規定を破棄した。アルゼンチンでは、自己恩赦法は無効とした。あるサルバドル最高裁・憲法審は一般恩赦法を憲法違反とした。

 

 C 制度の容量、市民社会の参加、被害者中心性

 

 国際犯罪を記録するのに国際協力が貢献してきた。法医学捜査、専門センターのある国がある。ビッグデータの記録と分析が開発されている。ラテンアメリカでは、市民社会や被害者団体が専門分野で中心的役割を果たしている。

 アルバニアでは、司法改革によって人道に対する罪を担当する特別検察局が設置され、共産主義体制下で行われた行為の記録と訴追に貢献している。リベリアでは、内戦期の重大犯罪の特別法廷の記録出版に市民社会が貢献した。ルワンダ・ジェノサイドでは、二〇〇五年から一二年に開催されたガチャチャ法廷を国際的協力が支えた。コロンビアでは真実・正義・補償・再発防止包括的システムが被害者中心アプローチを採用した。

 立法レベルでは、重大人権侵害と国際人道法の重大違反の適切な法的定義を刑事法で行っている国がある。移行期の正義枠組みが通常の警報システムを補完している。公共政策レベルでは、重大人権侵害の訴追のために特別機関を設置している国があり、被害者や市民社会との協力関係を構築している。

 

 D 国際制度と国内制度の共生

 

 国内管轄権と国際管轄権の関係が近年、関心を集めている。普遍的管轄権原則が多くの国内法枠組みに導入され、外国の裁判所における有罪判決を獲得するようになった。1985年のスペイン司法制度法第234項の適用によって、外国でのピノチェット大統領の逮捕が可能となった。最近のドイツの判決では、シリア政府職員が人道に対する罪の共犯で有罪となった。アメリカでは、リベリア元大統領リチャード・テイラーの息子が拷問で有罪となり、スイスではリベリア反乱軍指揮官が強姦、殺人で有罪となった。

 国際制度と国内制度の共生には多くの積極的事例が出てきた。ボスニア・ヘルツェゴヴィナやセルビアでは、旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所判決が国際基準を尊重する効果を持った。グアテマラでは、人道に対する罪の訴追に際して国際法を適用している。ハイリスク裁判所はドス・エレス虐殺事件などの訴追に際して国際法を適用してきた。

 リベリアとフランスは、第一次リベリア内戦時の行為の捜査に、裁判官、検察官レベルの密接協力をしてきた。

 ウガンダは国内状況で発生した事案について、国際刑事裁判所規程に言及し、ヨセフ・コニーと神の抵抗軍司令官の国際逮捕状を発行した。

 ウクライナでは、国内レベルと国際レベルの相乗効果が見られる。国債刑事裁判所検事局は、キエフとクリミアにおけるマイダン抵抗時に起きた事件について予備審査を行い、捜査開始を要請した。国内レベルでは、ウクライナ検察局は国際犯罪を捜査する特別部局を設置した。両者を総合する包括的制度は出来ていない。

 米州人権裁判所、国連人権委員会(国際自由権委員会)、国連拷問禁止委員会は、重大人権侵害と国際人道法違反の責任追及の義務に関して拡大司法機関を設置し、恩赦、免責、時効、不遡及等々のような法律上または事実上の障害の不許容性について吟味している。

 これえらの判決が国内レベルでの責任追及基準に影響を及ぼしている。米州人権裁判所のバリオス・アルトス対ペルー事件判決で、ペルー政府は、フジモリ政権下で国家機関による司法外処刑が行われた事実を認め、被害者が正義と真実を手にする権利にとって、恩赦法が障害となっていることも認めた。続いて、憲法裁判所が、問題の恩赦法を無効と判断した。エルサルバドルでは、米州人権裁判所の判断に促されて、恩赦法が無効とされた。ある千珍憲法裁判所は、シモン事件で、世界人権宣言、国際自由権規約、米州人権条約といった国際文書が国内法よりも上位にあると解釈した。

 不処罰と闘うための国内司法権と国際司法圏の協力は、例えば国際刑事警察機構(INTERPOL)に見られる。ルワンダ国際刑事裁判所では、性暴力・ジェンダー暴力に関する捜査と訴追、国際犯罪の国内管轄権について実践的マニュアルを作成した。ルワンダ国際刑事裁判所はプレスと協力して、ジェノサイド記念日を定め、ジェノサイド再発防止のため子ども向けの本を出版した。

 しかし、国際基準を適用しない国もある。ロヒンギャを標的とした事件では、国際司法裁判所や国連人権高等弁務官、国連人権理事会独立調査団による非難にもかかわらず、ミャンマー国内では前進が見られない。国際司法裁判所、国際刑事裁判所、国連人権理事会独立調査団、常設民衆法廷による努力に加えて、ガンビアの裁判所とアルゼンチンの裁判所が、数千人の殺害と七〇万人の国内避難の事件を追及しようとしている。

Friday, September 24, 2021

真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告書の紹介(2)

Ⅴ 挑戦と障害

 

 サルヴィオリによると、国際犯罪や人道に対する罪の実行の被疑者は数が多いが、刑事捜査には、人的にも財政的にも資源、権限、意志の点で、制約があるという。効果的な捜査と処罰を追及できないことが、訴追と処罰の障害となる。これには様々な要因があるという。

 

A 法的不処罰

 

 法的に不処罰の原因となるのは、①恩赦と免責、②時効、③犯罪の定義の不十分性、④猶予、特赦、減刑、⑤制裁の代替策である。

 

    恩赦と免責

 恩赦は、裁判官による裁判絵を受ける被害者の権利や、効果的な救済を受ける権利のような権利を侵害する。恩赦は、人権侵害に責任のある者の捜査、身柄拘束、訴追、処罰を妨げ、不処罰への道を開く。

 アルゼンチン、ブラジル、チリ、コンゴ民主共和国、エルサルバドル、シエラレオネ、スペイン、南アフリカ、ウルグアイなど多くの国は、責任者の捜査と処罰を妨げる恩赦法を制定した。アルゼンチンやエルサルバドルはこうした恩赦法を見直したが、そのままにしている国もある。

 真実を告白することと引き換えに恩赦を認める国もある。南アフリカ真実和解委員会は、条件付きの恩赦・真実モデルを提供し、ケニア、リベリア、シエラレオネも同様のモデルを採用した。

 ウガンダでは恩赦が蔓延し、リビアでも恩赦が広く利用されている。犯行者の刑事責任追及を妨げる免責にもいくつものタイプがある。インドでは、公務員、民間人、文人を裁判にかけることを妨げる免責が法的枠組みに盛り込まれている。トルコでは、あいまいな免責条項があって、公務員の免責をしている。リビアでは、上官の命令で行動した者の免責を定める刑法がある。ミャンマーでは、憲法が政府の要職に就いたものの法手続きを妨げている。

 

    時効

 サルヴィオリによると、国際法ではこれらの犯罪には時効が適用されないが、時効や不遡及規定を利用して、重大人権侵害や人道に対する罪の捜査と処罰を妨げる国がある。エルサルバドル最高裁は、198911月に起きたイエズス会信徒虐殺の煽動者に対する刑法の適用を時効を理由に妨げた。

 

    犯罪の定義の不十分性

 人道に対する罪や重大人権侵害が刑法上定義されていないため、実行犯に適切な刑罰を科すことが困難な国がある。インドではジェノサイドと人道に対する罪が法的に定義されていない。ガンビアでは、憲法も刑法も強制失踪を犯罪として定義していない。拷問犯罪は憲法で禁止されているのに刑法で定義されていない。チュニジアでは、強制失踪や拷問が刑法制度に導入されていない。リビアの国内法は、国際法で定義された犯罪をカバーしていない。

 

    猶予、特赦、減刑

サルヴィオリによると、有罪とされても、釈放されたり、猶予されたり、自宅謹慎に変更されたり、一時的に釈放される国がある。アルバニアでは、共産主義体制の指導者たちが一審裁判所でジェノサイドで有罪とされたが、最高裁で破棄された。共産主義体制下で侵されたほとんどの犯罪が今日まで捜査されていない。アイルランドとイギリスの良い金曜日協定は、協定で定められた一定の犯罪で有罪とされた者の釈放を定めている。二年後には全員が釈放された。人道に対する罪で有罪とされた者の早期釈放である。後に人道に対する罪に関してはこの規定は適用されないことになった。

アルゼンチンでは、1980年代に有罪とされた最高指導者が猶予にされた。刑事捜査を妨げる法が無効とされたのちに、数百人の軍人と民間人が裁判にかけられ有罪となったが、損赤には高齢を理由に自宅謹慎を言い渡された。アルゼンチン最高裁は、最終判決以前に身柄拘束された一日を刑事施設収容二日に等しいとする法律を適用した。これにより人道に対する罪で有罪とされた者が早期釈放された。この適用は後に法律で禁止された。

チリでは、人道に対する罪で有罪とされた者を、健康状態を理由に刑事施設収容ではなく他の手段に変更する努力がなされている。セネガルでは、前チャド大統領ヒセネ・ハブレが、単独房に収容されていたにも関わらず、新型コロナ禍の刑務所状況から、健康を理由に一時釈放された。スーダンでは、前大統領オマール・ハッサン・アーマド・アル・バシールが同様の理由で釈放を要求した。

ペルーでは、アルベルト・フジモリが高齢を理由に猶予を言い渡されたが、後に覆された。人道的理由から猶予を与える際には恣意的にならないように慎重に検討する必要がある。切迫した重病は猶予を与えられる理由があるが、単に時間が経過したとか、高齢であると言うだけでは十分な理由とは言えない。

 

    制裁の代替策

 サルヴィオリによると、移行期の正義の文脈で、重大人権侵害実行犯について施設収容しない代替策を用いる国がある。損害賠償の制裁は生じた被害に焦点を当てる。責任を自認し、真実を語ることと引き換えにする例もある。

 リベリアでは、「国民的癒し、平和構築、和解のための戦略的ロードマップ」は、真実和解委員会の勧告の履行を支援するものであり、刑事責任よりも修復的司法に焦点を当てる。リベリア特別法廷の設立は、政治意志の欠如のために遅延している。

 コロンビアでは、「準軍事勢力の復員のための正義と平和法」が重大犯罪実行犯の刑期を五年以上八年以下に限定した。「真実、正義、補償、再発防止包括システム」がつくられ、多様な代替策を可能としている。

 

 

B 事実上の不処罰

 

サルヴィオリによると、人的財政的資源の不足、技術的能力の不足、被害者・証人の案z年確保メカニズムの不在等により、重大人権侵害実行犯の捜査が事実上妨げられている。裁判官や検察官が圧力を受け、脅迫される。マイノリティ集団に対する構造的偏見が事実上の不処罰を帰結する。

 グアテマラでは、重大人権侵害に関する法手続きが、裁判官や検察官に対する脅迫により妨げられた。インドでは、警察が被害者を威嚇して法手続きを終了させようとする。リベリアでは、真実和解委員会が実行犯と名指しした人物が政権にとどまっており、裁判を行えない。アルバニアでは、司法機関に公平性と正当性が欠如している。

 ウガンダでは国際犯罪部局が被害者参加について、証人保護や被害者救済が難しく、手続きの困難を抱えている。ガンビアでは、司法医学が制約されており、ジェンダー暴力の告発ができにくい。モルディヴも、証拠収集と証人保護に難点がある。

 国際法廷も挑戦に直面している。ルワンダ国際刑事裁判所はスタッフの安全確保に苦労しており、事務局は十分なスタッフを見いだせずにいる。レバノン特別法廷は、財政不足のため閉鎖の危機にある。カンボジア特別法廷は、外部資金に依拠しており、財政の自律性を保てない。

 

C 政治意志の欠如

 

 国際刑事裁判所規程を批准した国は一三三カ国だが、中国、ロシア、アメリカが参加していない。アフガニスタン領で行われた犯罪の捜査の文脈では、アメリカは国際刑事裁判所の管轄権を認めていない。南アフリカ、ガンビア、ブルンジは国際刑事裁判所の手続きを回避してきた。

 国際司法裁判所で、ミャンマー政府はマイノリティに対する制度的差別の一部が問われたが、ロヒンギャという言葉を用いることを避け「コミュニティ間暴力」と表現した。国際司法裁判所におけるガンビア対ミャンマー事件(ジェノサイド条約の適用)2020123日決定。

 サルヴィオリによると、政治意志の欠如を示す特徴は数多い。人道に対する罪を定義する法律が存在しないこと。恩赦や免責の適用。時効や不遡及の適用。犯罪の重大性に見合わない刑罰。犯罪の性格に合わない特徴づけ。宣告刑の減刑、早期釈放、自宅謹慎への変更。国際裁判所との協力をしない、普遍的管轄権を認めない。国際基準に反する協定締結。被害者支援を提供しない。恩赦法を正当化する公的言説。軍隊、警察、行政が保有する記録の破棄・隠蔽。被害を受けやすい集団(女性、子ども等を含む)の司法へのアクセスの困難さ。被害者が弁護を受ける権利がないこと。

スガ疫病神首相語録61 汚職担当庁

 デジタル庁は24日、事業者から3回にわたって計約12万円の接待を受けたとして、事務方ナンバー2で事務次官級の赤石浩一デジタル審議官(58)を減給10分の11カ月)の懲戒処分にしたと発表。接待の一部には平井卓也デジタル相が同席した。

 平井氏は24日の記者会見で、赤石氏の辞職を否定した。「有能な人材であることは間違いない。引き続きデジタル審議官として、職責を果たしてもらいたいと考えている」と述べた。

 

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順調に 初仕事は 違法接待

 

最初から 汚職めざして デジタル庁

 

デジタル相 接待同席 知らぬ振り

 

ヒラタクは 電卓レベルの デジタル相

  *ヒラタク(平井卓也)

 

違法接待 できるほど 有能な人材

 

最後まで アベスガ政権 法を無視

 

赤石は 私の息子じゃ ないけれど

 

小さいな たかだか12万 発覚しない巨額汚職

 

責任も 説明責任も 知らない言葉

 

責任は 国家が 国民に問うもの

Thursday, September 23, 2021

真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告書の紹介(1)

国連人権理事会第四八会期にファビアン・サルヴィオリ「真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告者」の報告書が提出された。

最初の「真実・正義・補償・再発防止保障に関する特別報告者」はパブロ・デ・グリーフであった。デ・グリーフは二〇〇一年からニューヨークの「移行期司法のための国際センター」研究局長であった。ニューヨーク州立大学哲学准教授で、倫理学と政治理論も教えた。民主主義、民主主義理論、道徳・政治・法の関係に関する研究をし、著作を公表し、移行期司法のための国際センターで関連著書を出している。その報告書は例えば以下で紹介した。前田朗「真実・正義・補償に関する特別報告書(一)(二)」『統一評論』五七七号、五七九号(二〇一三年)。

ファビアン・サルヴィオリは、ラプラタ大学の国際人権法教授であり、人権研究所所長である。ストラスブール(フランス)の国際人権研究所及びサンホセ(コスタリカ)の米州人権研究所のメンバーでもある。国連人権メカニズム、米州人権メカニズム、補償、人権諸原則の解釈、及び国際司法を研究してきた。二〇〇九~一六年には国際自由権規約の自由権規約委員会委員であり、二〇一六年に同委員会による「補償に関するガイドライン」を執筆した。また、米州人権委員会及び米州人権裁判所において事案を扱った経験がある。米州人権裁判所に真実への権利に関する初めてのアミカス・キュリエ(法廷の友としての専門家意見書)を提出した。二〇一八年五月一日から、前任者のデ・グリーフに続く二人目の特別報告者として活動を始めた。前回報告書は以下で紹介した。前田朗「被害者の権利と歴史記憶化過程」『部落解放』二〇二〇年一二月号。

 

今回のサルヴィオリ報告書には次のようなタイトルがついている。

Accountability: Prosecuting and punishing gross violations of human rights and serious violations of international humanitarian law in the context of transitional justice processes. Report of the Special Rapporteur on the promotion of truth, justice, reparation and guarantees of non-recurrence, Fabian Salvioli (A/HRC/48/60. 9 July 2021)

以下、報告書を簡潔に紹介する。

 

目次

Ⅰ 序文

Ⅱ 特別報告者の活動

Ⅲ 概論

Ⅳ 捜査し処罰する義務

Ⅴ 挑戦と障害

A 法的不処罰

B 事実上の不処罰

C 政治意志の欠如

Ⅵ 良き実行例と教訓

 A 法的枠組み

 B アムネスティ

 C 制度の容量、市民社会の参加、被害者中心性

 D 国際制度と国内制度の

Ⅶ 結論

Ⅷ 勧告

 

 

Ⅰ 序文、Ⅱ 特別報告者の活動は省略する。

 

Ⅲ 概論

 

 サルヴィオリによると、第二次大戦終結以来、重大人権侵害と国際人道法の重大違反を訴追・処罰するために多様な責任追及モデルが用いられてきた。国際法廷、ハイブリッド法廷、国内レベルで設置された特別法廷、既存の通常の国内法廷である。例としては、旧ユーゴスラヴィア国際法廷、カンボジア特別法廷、ルワンダ国際法廷、シエラレオネ特別法廷がある。ハイブリッド(混合)法廷としてはボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソヴォ、レバノン、東ティモール法廷がある。

国内レベルでは、コロンビアにおける真実、正義、補償、再発防止の包括的システムの特別平和管轄権、グアテマラの国内武力紛争に関する特別事件のためのハイ・リスク法廷と人権検察官、ウガンダの国際犯罪法廷、ルワンダのガチャチャ法廷がある。アルゼンチン、ペルー、ウルグアイなどでは通常の国内法廷がある。

これえらは不処罰と闘うための重要な前進を示す。しかし正義の追及には巨大な障害があった。19482008年に、850万から1700万もの人々が国内武力紛争及び国際武力紛争の結果、亡くなったと見積もられている。圧倒的多数の場合、重大国際犯罪の実行犯は不処罰のままである。

サルヴィオリによると、武力紛争を終わらせ民主的移行を実現するには、責任追及過程に否定的な影響が存在した。スペインでは、フランコ政権下の侵害行為が不処罰となった。エルサルバドルの事件では米州人権裁判所が非難の判決を出したが、政治的又は法的障害が立ちはだかった。スリランカにおける政権交代は紛争時における違反行為の捜査と訴追を始めることになったが、有罪とされた実行犯が恩赦になった。ガンビアでは、ヤヒャ・ジャメー前大統領の訴追を求める国際連合の呼びかけがなされたが、ジャメーが他国に亡命した。

 

Ⅳ 捜査し処罰する義務

 

 サルヴィオリによると、訴追に関する義務を明確に理解する必要がある。裁きくことにより、被害者には権利の担い手としての認知が可能となり、法制度が信頼性を形成する機会を得られる。訴追が適切になされれば、法の支配を強化し、社会的和解に寄与する。大規模又は組織的人権侵害の被害者の正義の要求にとって、刑事司法だけでは十分でないが、記憶、真実、再発防止保障などほかの要素も必要である。しかし各国は真実と正義の間で選択する必要はない。移行期の正義は、重大人権侵害と国際人道法の重大違反の実行犯の刑事責任追及に対する代替案で見るべきではない。

 国家の国際人権義務は、移行期の正義に完全に適用できる。責任追及義務は国際法に根拠を有する。

 重大人権侵害と国際人道法の重大違反に責任ある者を捜査、訴追、処罰する国家の義務を確認した国際文書として、ジェノサイド条約、1949年のジュネーヴ諸条約、強制失踪保護条約、拷問等禁止条約がある。

 人権委員会(国際自由権委員会)は、国家の訴追義務は、市民的政治的権利に関する国際規約第二条に定められた効果的救済の権利から引き出されると確認した。こうした侵害の捜査と訴追をしないことは、人権条約規定に対する違反となる。こうした侵害の不処罰は、その再発をもたらす否定的要因となる。

 慣習国際法も、ジェノサイド、戦争犯罪及び人道に対する罪を捜査し処罰する義務を認めている。国際司法裁判所は、201523日のクロアチア対セルビア事件判決で、ジェノサイドの処罰は強行規範であるとした。国際司法裁判所は、2007226日のボスニア・ヘルツェゴヴィナ対セルビア・モンテネグロ事件判決で、重大犯罪を行ったものを処罰することは、予防の最も効果的な形態の一つであるとした。さらに、米州人権裁判所は、2006926日のアルモナシド-アレジャーノ対チリ事件判決で、人道に対する罪の禁止は強行規範であり、その処罰は一般国際法の下で義務的であるとした。

 人権委員会(国際自由権委員会)は、重大人権侵害と戦争犯罪の実行犯と告発されたすべての者が公平に訴追され、有罪の場合は、有罪宣告をして、その地位に関わらず、国内の免責条項に関わらず、行われた犯罪の重大性に従って処罰されるようにすることが、国家の義務であると確認した。

 サルヴィオリによると、国際人権法は、人道に対する罪について課される刑罰は犯罪の重大性に比例していなければならないとする。旧ユーゴスラヴィア国際法廷は、1997107日のエルデモヴィチ事件控訴審判決で、人道に対する罪は極度に重大であり、最も重い刑罰を要求するという基準に言及した。刑罰について明確で一般的な基準があるわけではないものの、拷問等禁止条約第42項は「犯罪の重大な性質を考慮した適切な刑罰」としている。ジュネーヴ第一条約四九条は「効果的な刑事制裁」、ジェノサイド条約第五条は「効果的な」、強制失踪保護条約第七条は「極度の重大性を考慮した適切な刑罰」としている。国債刑事裁判所規程第七八条は有罪とされた者の個人事情を考慮するとしている。犯行の重大性、被告人の事件への関与の程度、個人的事情、その他の減軽事由・加重事由が考慮されなければならない。国債刑事裁判所規程第七七条はジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪、侵略の罪について、(a30年以下の刑事施設収容、又は(b)特に重大な場合、終身刑を定める。米州人権裁判所の20151121日のガルシア・イバラ対エクアドル事件判決は、不適切な法的特徴付けや犯罪に不均衡な刑罰は不処罰の要素となり得るとした。米州人権裁判所の201297日のバリオス・アルトス対ペルー事件判決は、この義務を果たすため、国家は犯罪の性質、被告人の関与、被告人の責任を考慮しなければならないとした。

 サルヴィオリによると、責任追及に対する国際法上の障害としては、アムネスティ(恩赦)、免責、時効等がある。戦争犯罪時効不適用条約があるが、人権委員会(国際自由権委員会)一般的勧告第三一号(二〇〇四年)は、刑事責任追及の認定に対する障害を除去しなければならず、重大人権侵害の実行犯を恩赦や免責によって法的責任を逃れさせてはならないと述べた。米州人権裁判所の2001314日のバリオス・アルトス対ペルー事件判決に基づいて、国家は、恩赦や時効や刑法の不遡及等によって重大人権侵害に責任ある者を責任から逃れさせ、捜査や処罰を妨げようとしてはならないとした。2011831日のコントレラ対エルサルバドル事件判決、20141014日のロチャク・ヘルナンデス対エルサルバドル事件判決も同旨。

 重大人権侵害で有罪とされた者の早期釈放も国際法に合致しない。国際共同体は、特赦や判決からの減刑のような法規範の利用を制限する必要を認めている。拷問禁止委員会は、重大人権侵害で有罪とされた者の早期釈放は拷問等禁止条約に違反すると述べた。米州人権裁判所によれば、特赦や判決からの減刑の過度の適用は不処罰の一形態となる。国債刑事裁判所規程第一一〇条は、刑を執行する国は、裁判所が言い渡した刑期の終了前にその刑を言い渡された者を釈放してはならないとし、裁判所が減刑を判断する際に、刑期の三分の二の期間又は終身刑の場合は二五年間刑に服した時に再審査するとしている。

Sunday, September 19, 2021

魂の帰郷、道の精神史

立野正裕『紀行 忘却を恐れよ』(彩流社、2021年)

https://sairyusha.co.jp/products/978-4-7791-2767-0

<コロナ禍により移動できなくなった旅人は故郷へ、日本国内へ、「思索」の旅をする。

第1部では故郷・遠野を軸に「語り」の世界を追究し、第2部では日本全国を舞台とした文学作品、映画作品を辿ることで思考をめぐらした。>

立野の「紀行」シリーズ10冊目である。30年余りに及ぶ旅の数々、その旅先での思索の数々を、この10年余の間に続々と著書として世に送り出してきた。

矢継ぎ早に「紀行」を送り出してきた立野は休む間もないのではないかと見えるが、旅先でいかに多忙であり、いかに北へ南へ移動し、いかに思索を巡らせようとも、その旅先こそが心の休まる時間でもあるのだろう。

第1部は、故郷・遠野の旅である。

第1章・花冷えの道 吉里吉里四十八坂

第2章・沖縄と遠野 三つの手紙

第3章・遠野物語の土俗的想像力

第4章・河童と羅漢 旱魃の記憶

第5章・語り部礼讃 遠野物語と千夜一夜物語

第6章・語り部の墓 佐々木喜善

第7章・忘却を恐れよ 大津波の跡

遠野における少年時代の記憶、文学研究者となってからの短い帰郷、そして3.11以後の様相を変えた「故郷」への帰還の折々に、柳田国男『遠野物語』を手掛かりに、あるいは東北の文学者たちの仕事、世界の文学の名作を手掛かりに、生きること、語ること、笑うこと、伝えることを、問い続ける。

表紙の写真「遠野荒川高原に立つマダの木」は著者撮影――「自分が何処を旅し、何処を漂泊しようと、自分のうちに一本のマダの木が根を張っている」。

第2部は、日本各地への旅であり、北海道、津軽に始まり、奄美まで南下するが、いったん秋田に戻り、最後は宮本武蔵の「我事に於て後悔せず」の読解で終わる。

第1章・北海道への旅 朱鞠内湖

第2章・津軽への旅 龍飛崎

第3章・若狭への旅 水上勉・古河力作・徳富蘆花

第4章・土佐への旅 物部川渓谷

第5章・奄美大島への旅 田中一村

第6章・秋田への旅 戸嶋靖昌

第7章・精神の旅 宮本武蔵と独行道

朱鞠内湖では殿平善彦らの空知民衆史講座による朝鮮人遺骨発掘に学びながら、立野は「自分の心を掘る」――歴史意識や人権意識の根源を探る。物部川渓谷では『きけわだつみのこえ』の木村久夫の遺書を手掛かりに、カーニコバル島のスパイ事件に思いをめぐらせ、「処刑までの日々の揺れ動く心のありようを、絶望と怒り、諦念と執着、感動と感謝、敬虔と慎み、その一つ一つに向き合っ」た木村の「運命」――絶望と将来の世代へのかすかな希望に目を向ける。

旅する文学者が辿り着いた境地

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/01/blog-post_11.html

遡行する旅、氾濫する旅

https://maeda-akira.blogspot.com/2017/03/blog-post_5.html

文学者が旅するということ

https://maeda-akira.blogspot.com/2015/06/blog-post_14.html

Saturday, September 18, 2021

スガ疫病神首相語録60 ZOOMは踊る

ジミン総裁選がいよいよ始まった。917日、告示。29日、投開票。

マスコミ・ジャックと呼ばれるように、総裁選報道に名を借りたジミン大宣伝が全国にいきわたっているが、国際社会はほとんど関心を持っていないと言う。

 

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ジョー――もしもし、ボリス、お前の予想は全くアテにならないな。「日本ジミンの総裁選は、アメリカで言えば民主党の大統領候補選びに匹敵するから、政治家の理念と構想が語られるはずだ。しっかり見ておこう」、だなんて、まったく違うじゃないか。時間の無駄だった。

ボリス――いや~すまん、すまん。うちの保守党でも党首選びの時は、候補者は政治家としての見識を問われるから、世界観、文明観の基本に立ち返って演説するし、党員だけでなく国民全体に語りかけるんだが。日本はどうも違うようだ。アベさんに忖度とか言って、前々首相の犯罪を隠蔽することが最大の課題になるなんて、不思議なものだ。

エマニュエル――派閥がどうとか、女系天皇がどうとか、そんなこと言われても我々には何のことだか。日本には日本のやり方があるのだろうけど、地球環境が丸ごと危機に陥っている時に、地球的視野の見識のないお子様が出て来るのは困りものだね。私は独立系の大統領候補だったから、全党派、全国民に直接語りかけると同時に、全欧州に、そして全世界に向けて演説したものだ。そうしないとフランスではやっていけない時代だ。

アンゲラ――キリスト教民主同盟なら、党首になるどころか、議員資格が疑われるわよ。脱原発と言っていたのに、突如、封印ですって。政治家としての信念に基づいてのことならまだしも、派閥のボスに気兼ねして意見を変えたなんて、信じられない。クズね。

ウラジミール――だから言っただろう。日本の政治家には見識もなければ、責任意識もない。我が家の飼い猫並みの知性もない。公文書を改ざんするか、文字が読めず漫画を読むか、パンケーキを食べるかしかできない連中だ。ウオッカをガブッと煽る力量もない。

アンゲラ――あなたはただのアルコール依存症でしょう(笑)。

ウラジミール――あんたは相変わらず、きついな。それにしても、ロシアの野党がみな日本の政治家だったら最高に楽なんだがな。ナワリヌイみたいなやつは日本に強制送還して、代わりに日本の政治家を拉致してこようかな。

ボリス――やっぱり、ウラジミールはナワリヌイを不当弾圧してたのか。

ウラジミール――冗談だよ。怒るな。

ジョー――うちのドナルドも引き取ってくれないか()

ウラジミール――それだけは勘弁してくれ。ドナルドはヤンゴンかカブールに送ってくれ。カブールで地雷を踏んだことにすれば大丈夫だ。

エマニュエル――おいおい、本音を言っちゃだめだ。壁に耳あり、障子に目ありというからな。

アンゲラ――日本のことわざを勉強してるのね。今はZOOMに録音ありよ。

エマニュエル――でも、野党のトレードはいい案かもしれないぞ。うちの黄色いベスト運動には手を焼いてるんだ。奴らを日本に送り込んで、日本のリッケンミンシュをパリに招待しよう。そうすればわが政権は安泰だ。昼寝してても大丈夫。

ジョー――でも日本にはコミュニストがいるぞ。パリについて行ったらどうするんだ。

エマニュエル――「敵の出方論」を封印したそうだから、黄色いベスト運動のようなことにはならないさ。

ボリス――ロックバンドのドラマーだったという女性候補がいたな。日本も案外、破天荒かもしれない。ジョン・ボーナムやニック・メイスンの女性版が首相候補というのはなかなかイケテるぞ。

アンゲラ――女性候補が2人というのは初めてのようよ。ここは評価できるわ。

ウラジミール――女が政治に口を出したらおしまいだ()

ジョー――まだそんなギャグを言っているのか。いくらロシアでも国民の支持を失うぞ。

ウラジミール――お前のところのカマラを見てみろ。人気は瞬間風速で、あとは転落あるのみじゃないか。

アンゲラ――ジョーが倒れたら初の女性大統領誕生って、世界中が期待してたんだけど(笑)。

ジョー――いい加減にしてくれ!! 私は元気だ!!

ボリス――怒鳴るなよ。タローのようにキレていては政治家は務まらないぞ。

エマニュエル――キレないやつほどすぐキレる(笑)。

ジョー――私がタロー並みだというのか!! 宣戦布告だな、これは。

エマニュエル――いいじゃないか、日本の首相が決まったらワシントンに呼びつけて命令するのがあんたのお楽しみだろ。

ジョー――知っていたか。スタッフも「子どもの使いに命令遊び」と呼んでいて、ホワイトハウスの伝統なんだ。待ちきれないから先にスガを呼んだくらいだ。今度、見学にこないか。パリに呼ぶときの参考になる。

エマニュエル――遠慮しとくよ。TOKYOからPARISはオリンピックだけにしておきたいからね。

Wednesday, September 15, 2021

非国民がやってきた! 002

三浦綾子『氷点(上下)』(角川文庫)

7月に田中綾『非国民文学論』(青弓社)を読んだ。ハンセン病療養者や徴兵忌避者を取り上げて、「抵抗の文学」や「反戦の文学」と区別される「非国民文学」という枠組みを設定する著作だ。

非国民がやってきた! 001

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/07/blog-post_11.html

私は「抵抗の文学」や「反戦の文学」と「非国民文学」を区別せず、重なるものとして理解してきたが、田中綾の著書を読んで、「非国民文学」にはもっとさまざまな広がりがあるのだろうと思った。そもそもかつての日本では女性はすべて「非国民」扱いだったと言って構わないだろう。私が取り上げた女性非国民は、管野すが、金子文子、伊藤千代子、そして治安維持法と闘った女たちだが、他にも多くの非国民女性たちの歴史がある。

田中綾は三浦綾子記念文学館館長だという。私は三浦綾子をきちんと読んでいない。なんと、『氷点』だけだ。『銃口』を青年劇場で見た時にきちんと読んでおくべきだった。『銃口』はまさに非国民の闘いだが、それ以前に三浦綾子は小林多喜二の母をモデルにしたと言う『母』を書いている。にもかかわらず三浦綾子による「非国民文学」を私は読んでいない。遅まきながら少しは読まなくてはと思い、まずは、確かに読んだのに、いつ読んだかさえ定かでない『氷点』を読んだ。

三浦綾子(19221999)のデヴュー作であり、大ベストセラー、代表作である『氷点』は196412月から朝日新聞に連載され、その後、単行本になったという。映画化され、何度もテレビドラマになった。映画は見ていないが、テレビの一部を確かに見た記憶がある。小説を読んだのは高校時代か大学時代だと思うが、定かでない。大雑把なあらすじは、その主題が明確なだけに、覚えているが、細部は全く覚えていない。唯一覚えているのは、最後のどんでん返しに不満を持ったことだけだ。

『氷点』の主題は人間存在の根源に関わる原罪である。三浦綾子自身が、幼い時に妹を亡くしており、肺結核の療養中に洗礼を受けてクリスチャンとなり、愛と信仰を生きた作家である。その後の30数年に及ぶ作家活動で送り出した数々の名作においても、問い続けた主題である。生涯をかけたテーマと言って良いだろう。

「大衆文学」と「純文学」が截然と分けられていた時代に、「大衆文学」の代表作ながら、日本の「純文学」がなしえなかった問いに挑み続けた稀有の作家である。江藤淳が「この作品は文壇への挑戦である」と言ったという。その後の日本文学史において、三浦綾子の名前が登場しない文学史がいくらでもある。まして文壇史には一切登場しない。だが、どちらが文学の名にふさわしいか言うまでもない。

と、ここまで書いて思い出した。岡和田晃()『北の想像力――《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』(寿郎社、2014年)にも三浦綾子は登場しない。「《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅」と銘打った800頁の大著である。

 「安部公房・荒巻義雄の古典的作品から清水博子・円城塔の実験的作品、アイヌ民族の口承文学、北海道が描かれた海外作品、北の風土にかかわる映画・アニメ・ソフトウエア・音楽にいたるまで――。ジャンルを超えた批評家たちの倦まざる批評実践によって日本近代文学の限界を炙り出し、〈辺境文学〉としての北海道文学と北海道SFを〈世界文学〉〈スペキュレィティヴ・フィクション〉として読み直すことで、文学とSFの新たな可能性を〈北の大地〉から見出した、空前絶後の評論大全、北海道の出版社から刊行。」

 この宣伝文句にふさわしい大著であり、私も感銘を受けた。北海道出身なのに、北海道文学に無知であり、荒巻義雄のファンであるが、他の北海道SFを知らない私にとって、『北の想像力』は素晴らしいナビゲーターだ。しかし、『北の想像力』に三浦綾子は出てこなかったと思う。

確認したところ、やはり出てこない。「《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅」に北海道文学の最高峰・三浦綾子の名前が登場しないのは信じがたいことだ。編者である岡和田に何らかのポリシーがあって、三浦綾子には絶対言及しないと決めたのだろうか。よくわからない。

『氷点』をかつて読んだ時に気にも留めなかった、忘れていたことで2つ。

1つ、主人公夏枝の友人の辰子のセリフに、戦争中に東京で付き合った男のことが出て来る。

「相手はマルキストでね。節を曲げずに獄死したのよ。万葉集なんか読んでね。死なすのが惜しい人だった。」

非国民という観点からは気になるセリフだ。これ以上のことは分からないが、小林多喜二をはじめ、治安維持法と闘い、倒れた人々を想起する。

もう1つ、主人公啓造が娘陽子を連れて、アイヌの墓地に連れて行くシーンだ。

「ここがアイヌの墓地だよ。旭川に住んでいる以上、一度は陽子にも見せたかったのだがね」。

「明治三十八年には一万坪だったアイヌ墓地が、今は九百五十坪に減らされたということだけでも、アイヌの人たちに気の毒なことだと啓造は思った。」

この文章を三浦綾子は1964年に書いた。その後、半世紀を超える歳月、この大ベストセラーのこの文章を日本文学は如何に読んできただろうか。

アイヌ遺骨返還が裁判で戦われている現在、つまり日本の学問と行政がアイヌの墓地を暴いて盗んだ遺骨をいまだに返さない現在、私たちはこの一節をどう読むのか。