Thursday, March 04, 2021

ヘイト・スピーチとソーシャルメディア(1)

2020111920日、マイノリティ問題フォーラム第13会期が「ヘイト・スピーチ、ソーシャルメディア及びマイノリティ」をテーマに開催された。パネルディスカッションの話題は4つである。

1)    ソーシャルメディア上のマイノリティを標的としたヘイト・スピーチの原因、規模、影響

2)    国際法・制度枠組み

3)    オンライン・ヘイト・スピーチ規制

4)    マイノリティにより安全な空間に向けて

議論はアジア太平洋と欧州の2つの領域に即して行われた。パネルにおいて、1993年のマイノリティ権利宣言等の国際人権法に基づいて数多くの勧告が提案された。世界人権宣言、国際自由権規約、国際社会権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障害者権利条約、国内マイノリティ欧州評議会枠組み条約、ラバト行動計画、ビジネスと人権原則、ヘイト・スピーチに関する国連戦略と行動計画に従っている。

国連人権理事会のフェルナンド・デ・ヴァレンヌ「マイノリティ問題特別報告者」が、現在開会中の国連人権理事会(2月22日~3月19日)に提出した報告書(A/HRC/46/58. 26 January 2021)はパネルの報告であり、そこで出された勧告をまとめている。

 

報告書が最初に掲げるのは「人権を基礎にしたアプローチを用いてソーシャルメディア上のマイノリティに対するヘイト・スピーチに対処する一般的勧告」である。主な内容は次の通り。

    各国は、オフライン・オンライン双方で、マイノリティの権利を保護促進するすべての国際人権文書及び地域人権文書を批准、同意、遵守するべきである。

    各国は、オフライン・オンライン双方で、マイノリティの人権を尊重、保護、実現する義務と責任を効果的に履行するべきである。各国は、特に被害を受けやすい、危機又は周縁化されやすい状況にあるマイノリティに属する者――女性、子ども、若者、LGBTI、移住者、障害者、及びハラスメント、脅迫、障害を受ける人権活動家に注意を払うべきである。

    各国は、意見・表現の自由及びプライヴァシーの権利を完全に尊重しつつ、平等を促進し、差別、敵意、暴力の煽動に反対するべきである。これらの自由の制限を含む規制には完全に国際人権法の根拠を要する。

    各国はオンライン・コミュニケーションにおけるマイノリティに対するヘイト・スピーチに断固として、迅速に、効果的に対処し、反対するべきである。それには素早く効果的に、責任者を捜査し訴追し、責任を負わせ、被害者に司法と救済に効果的にアクセスできるようにすることが含まれる。

    各国及びテクノロジー企業は、開かれた、安全でグローバルなインターネット、及びデジタル世界への包摂的なアクセスを確保するべきである。

    各国、国際組織、地域組織は、誰もがデジタル世界に参加でき、適切な内容メカニズムの透明性を促進すること規則と手続きを確立するべきである。

    マイノリティ自身及び市民社会は、オンラインの権利に関する法、政策、計画を形成するのに協議し、関与するべきである。内容規制課程に関する協議は、公開で、真に民主的課程で行われるべきである。

    各国は、マイノリティに対する不寛容とヘイト・スピーチに対抗する予防措置を取るべきであり、社会的経済的安定、包摂及び団結の条件を作り出すことが含まれる。

    各国は特に学校教育課程におけるマイノリティの権利に関する人権教育を採用するべきである。多様性と多元主義の促進。差別、ステレオタイプ、排外主義、レイシズム、ヘイト・スピーチと闘うこと。

    各国、国際組織、地域組織、テクノロジー企業、国内人権機関及び市民社会は、マイノリティに対するヘイト・スピーチに対処し、多様性、多元主義、対話、他者の受け入れの文化を促進する専門知、知識、効果的実践を共有するために協力を強化するよう促される。

    各国、国内人権機関及び市民社会代表は、国連人権理事会の特別手続き、普遍的定期審査、人権条約機関、地域人権機関、その他のマイノリティに向けられたオンライン・ヘイト・スピーチと闘うのに適したフォーラムを利用するよう促される。

    すべての関係者は、ヘイト・スピーチに対抗するために、分岐したコミュニティを保護、促進する革新的、教育的、予防的戦略を強化するべきである。

スガ疫病神首相語録20 先手のスガ

3月3日、スガは周囲の予想に反して新型コロナ緊急事態宣言の2週間延長を宣言した。「これから専門家や知事の意見を聞いて決める」と付け加えたが、首相が先に「2週間延長」と口にしたため既定事項となった感がある。

首相就任以来、「後手、後手」との批判を浴びてきたため「先手を演出」しようとしたと見られる。

また、ユリコ都知事が延長要請姿勢を示したため、要請される前に首相権限で自ら判断した形をつくりたかったとの観測も。

この2つが理由であって、新型コロナ対策も経済対策も二の次であることが露呈した。

タロー新型コロナウイルスワクチン接種担当大臣は、就任当時の勢いが直ちに失われ、接種延期が相次ぎ、世界第75位の上、スケジュール不明のまま地方自治体に押し付ける発言を繰り返している。

3月3日、IOCバッハも含めて、東京オリンピック協議が始まった。セイコ会長、タマヨ五輪相、ユリコ知事揃い踏み。女性陣の活躍はひとときの涼風となったが、新型コロナ対策も十分できないのに五輪開催に向けて暴走していると、国際的批判が起きている。

 

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夕暮れのスガとかけて、なぜか観音様と解く。

その心は?

後手は踏まず、先手(千手)でお願いします。

*剣道では「後の先(ごのせん)」といって、相手が仕掛けてきた技に合わせて掛ける技がある。別名カウンター、返し技だが、スガ疫病神の場合、相手が仕掛けていないのに恐怖心から返し技を出したつもりが空を切って転ぶ。

 

タロー・ワクチン担当大臣とかけて、季節外れの五月雨と解く。

その心は?

接種の小出し延期ばかりで、ワクワクしない。

*「パパは一気果断の性格だったので、ぼくちんは1日1ミリ、1日1センチのマイウエイなんです。」

 

タマヨ五輪相とかけて、無色透明の煙幕と解く。

その心は?

別姓反対理由を言えない理由も言えないために必死の煙幕だがあえなく頓死。

*別姓同姓どうせいと言うの?

 

セイコ会長とかけて、氷上の自転車アスリートと解く。

その心は?

父と慕うシンキローとの二人羽織だが、滑りまくりで暴走するしかなし。

*祝・女性理事40%実現。だが、セイコ会長の行く手には難題ばかり。

Monday, March 01, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(163)「記憶法」の概観

ニコライ・コーポソフ「『フランス・ヴィールス』――ヨーロッパにおける刑事立法と記憶の政治」『思想』1157号(2020年)

1980年代に始まり、今日では約30カ国で制定されている刑事法としての「記憶法」――ドイツでは「アウシュヴィツの嘘犯罪」「民衆扇動罪」と呼ばれ、「ホロコースト否定犯罪」「歴史修正主義犯罪」ともいわれる――に関する研究である。ヘイト・スピーチの一種である。「記憶法」という言葉には後述するように疑問がある。

ジェノサイドや人道に対する罪のような重大人権侵害についての記憶をめぐる研究は歴史学、心理学をはじめさまざまな分野で深められているが、歴史の事実を否定する修正主義犯罪を処罰する動きは1990年代に西欧で急速に進んだ。

それゆえ、法的研究が先行したと言って良い。ドイツ法については楠本孝、金尚均、桜庭総、フランス法やスペイン法については光信一宏による研究があり、韓国における議論については日韓シンポジウムで報告されたが、それ以外あまり知られていない。

私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』第10章第5節では11カ国紹介した。『ヘイト・スピーチ法研究原論』第7章では3カ国紹介した。

韓国の議論については、

前田朗「日韓ニューライトの「歴史否定」とは」『部落解放』785号(2020年)

国際的動向としては次の2著がとりわけ重要である。

エマヌエル・フロンツアの著書『記憶と処罰――歴史否定主義、自由な言論、刑法の限界』(スプリンガー出版、2018年)は以前紹介した。

https://maeda-akira.blogspot.com/2019/10/blog-post_22.html

ウラディスラウ・べラヴサウ&アレクサンドラ・グリシェンスカ-グラビアス編『法と記憶――歴史の法的統制に向けて』(ケンブリッジ大学出版、2017年)も最近紹介しているところである。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_47.html

このテーマについて歴史学で豊かな研究を提示してきた橋本伸也(関西学院大学教授)がコーソポフ論文を翻訳した。

コーソポフはロシア出身でレニングラード大学(サンクトペテルブルク国立大学)の歴史学者だったが、ロシアにいられなくなり、現在はアトランタ大学客員研究員だという。私と同じ年齢だ。歴史と記憶、法と記憶、知識人の歴史に関する多彩で精力的な研究成果を送り出してきた。中でも、ナチスドイツの過去と共産主義の過去に関連するこのテーマでの発言が、独特のナショナリズムを利用する現在のロシア政治に反するために事実上の迫害を受けたようである。

本論文の特徴、メリットは、何と言っても、法と記憶をめぐる議論と立法の全体を概観している点である。理論的には、西欧型と東欧型の分類、特にフランス法、ポーランド法、そしてさらに独自のロシア法について分析している。この視点によって、従来の「アウシュヴィツの嘘犯罪」論とは異なる論点が浮上する。

198090年代に立法が始まった西欧型は、ドイツにせよフランスにせよ、ナチスドイツによるユダヤ人迫害などの人道に対する罪の否定を犯罪とする。スペインではフランコ政権時代の犯罪や、スイスではアルメニア・ジェノサイドを裁く動きが見られたが、基本は同じである。私たちが研究してきたのはこのタイプである。

これに対して、2000年代から立法が始まった東欧型は、ナチス犯罪の否定の処罰と並んで、スターリン体制犯罪の否定の処罰が含まれる。共産主義犯罪の否定の処罰である。ここでは、ナチスに加担協力した歴史のある国、ソ連に占領された国、自ら解放した国によって、さまざまな差異が生じる。特にロシアの場合、対ナチス抵抗戦争を大祖国戦争として英雄視するが、それもスターリン時代のことだから、ねじれた関係になる。

コーソポフは、西欧型と東欧型をそれぞれ、どのような歴史経過で、どのような課題を達成するたえに立法されたか、政治力学的な分析を施している。ナチスドイツの過去の克服のために始まった刑事立法が、異なる文脈、異なる政治力学の場に持ち込まれ、それぞれの国におけるナショナリズムと絡んで複雑な展開をしていることが分かる。訳者の橋本の言葉では「権威主義的でポピュリズム的な政治の道具として『記憶法』を濫用する事例が相当の広がりを見せている」という。

重要な問題提起である。フロンツアの著書は東欧型も射程に入れているが、具体的な分析対象となっているのはやはり主に西欧の立法例である。べラヴサウ&グリシェンスカ-グラビアスの著書は欧州全体を射程に入れているが、私が紹介した部分はまだ東欧を含んでいない。これから紹介していきたい。今後の研究は、コーソポフと橋本に学んで進めなくてはならない。コーソポフと橋本のような歴史的政治的考察と、法的考察の両方に目を配る必要がある。

コーソポフの最後の一節を引用しておこう。

「このように記憶立法の展開はおおいに問題を含んだ、危険とも言えるほどの側面をはらんでいる。民主主義の勝利の瞬間に平和の政治の道具として考案された記憶立法が、国民神話の擁護とヨーロッパ諸国の国内と諸国間の記憶戦争の道具として利用される例がますます多くなっている。そのような展開には、リベラル・デモクラシーの減退やナショナリズムとポピュリズムの高揚に関わる外的要因が存在する。だがそこには、現代的な歴史意識の現れとしての記憶法の特質にかかわる内的原因もある。そこには、普遍主義と個別主義の間の葛藤、つまり全人類的価値と多種多様な記憶コミュニティの儀式的シンボルの間の葛藤が埋め込まれている。だからこそ、ナショナリストとポピュリストはかくも容易に、この民主主義的記憶政治の道具を『横領』することができたのである。」

ただし、言葉の使い方については、やや注意が必要だ。

1に、「記憶法」という名称自体が疑問である。記憶を処罰する法律は作ってはならないことは言うまでもない。ドイツ法は民衆扇動罪と呼ばれるように、ヘイト・スピーチの一種としての扇動罪である。ユダヤ人迫害の事実を否定したり、正当化することによって、差別や暴力を煽動するから処罰する。記憶を処罰するのではない。コーソポフのように「記憶法」という名称を用いることは適切ではない。

2に、論文タイトルに「フランス・ヴィールス」とある。鍵かっこで用いられていて、コーソポフの言葉ではないようだが、わざわざ論文タイトルに用いる必要があるだろうか。トランプ元大統領が「中国ヴィールス」を連発したように、この用法は他者への非難を呼びかけるものであり、差別の煽動につながる危険性もある。

スガ疫病神首相語録19 そのまま続けて

2月25日、「首相の息子」高額接待問題のマキコ内閣広報官は衆議院予算委員会で陳謝したが、辞職しないとし、事実関係を隠ぺいしたまま責任を取らないと批判された。

スガは「女性初の内閣広報官をそのまま続けてもらう。Let It Be」などと、女性尊重であるかのごとくごまかそうとした。ふだんは女性差別的なのに、こういう時だけ女性尊重のふりをする。

3月1日、マキコ内閣広報官は体調不良と入院の必要ありと辞表を提出し、これが受理され、辞任となった。収賄疑惑マキコを更迭せず、判断力不足を露呈したスガに、野党やメディアだけでなく、ジミン党内からもため息が漏れる。

 

********************************

 

Let It Be

 

When I find myself in times of trouble

Mother Makiko comes to me

Speaking words of Settai

Let it be

 

And in my hour of darkness

She is standing right in front of me

Don’t pass Settai

Let it be

 

Let it be, let it be

Let it be, let it be

Not to be absent from Settai

Let it be

 

And when the broken-hearted prime minister

Living in the Hell agree

There will be an answer

Let it be

 

For through they may be parted

There is still a chance of bribery

There will be answer

Let it be

 

Let it be, let it be

Oh, let it be, let it be

Yeah, there will be an answer

Let it be

 

Let it be, let it be

Let it be, let it be

Speaking words of Settai

Let it be

 

And when there is the son of prime minister

There is still a light that shines on me

Shine on still tomorrow

Let it be

 

I wake up to the sound of music

Mother Makiko comes to me

Speaking words of Settai

Let it be

 

Yeah, let it be, let it be

Oh, let it be, let it be

Yeah, there will be an answer

Let it be

 

The Beatles - Let It Be

https://www.youtube.com/watch?v=7P6X3IWLECY

https://www.youtube.com/watch?v=ToOLuVzMAro

The Beatles - Let It be lyrics

https://www.youtube.com/watch?v=6d5ST3tbPIU

Thursday, February 25, 2021

スガ疫病神首相語録18 首相長男接待

2月24日、首相長男接待事件で総務省幹部の処分が公表された。形ばかりの減給処分である。同25日、山田真貴子内閣広報官は衆議院予算委員会に出席して陳謝した。給与の一部返上という。

同日、農林水産省も、「アキタフーズ」会食接待事件で事務次官らを減給や戒告とした。

強大な許認可権を持つ総務省と農林水産省の官僚たちが業界関係者から異常な接待を常習的に受けていたことが発覚したが、官僚制の腐敗について誠実な調査を行う姿勢は政権には見られない。早期の処分で臭いものに蓋の姿勢である。

なんで俺のせいにされるんだ。首相の息子だからって差別するなよな。ずっとこうだったんだ。昔は国会議員の息子と言って差別された。総務大臣の息子だ、親の七光りだ、官房長官の息子だって、いつもこうだ。俺の努力が認められたためしがない。何をやっても、どんなに頑張っても、どうせ父親のおかげ、だよ。

だいたい俺は総務大臣秘書官なんてやるつもりはなかったんだ。バンドを続けたかったのに、親父がうるさく、恩着せがましく秘書官になれって命令だよ。ぷよぷよ遊んでいたから秘書官にしてやったなんて吹聴されて、いい迷惑だ。

そりゃあ、大臣秘書官になった時は舞い上がったよ。こんな俺でも大臣秘書官だ、しっかり仕事をこなして、国家社会のために頑張ろうと思ったくらいさ。そんな俺をバカ者扱い、邪魔者扱いしたのがあいつらだ。総務省の官僚たちだよ。なにしろ総務省SOUMUSHOUだ。頭のSを取ればオウム省だよ。権力の亡者たるやすさまじいこと。それでもって、東大卒の我々の中に異質な奴が紛れ込んできたと言わんばかり。

俺には役人の世界なんてまったく経験がないから、手も足も出ない。何をやってもうまくいかない。奴らときたら陰でひそひそ、いや、わざと聞こえるように悪口のオンパレードさ。表向きはひたすら忖度、親父に取り入るために俺にぺこぺこするけど、陰では嘲笑ってやがる。山田真貴子なんてシンゾー首相と親父に取り入ろうと、なんでもやります、あなた様の命ずるままです。土下座して俺の靴をなめる有様だ。でも目つきではっきりとわかるんだよ。俺のことを見下して、後ろから唾を吐いてるんだ。

実は東北新社に就職させてもらった時に、秘かに考えたんだ。放送業界なら手も足も出ないってことはない。元バンドマンだからね。なんとか渡っていけそうだし、社長に気に入られたから、総務大臣秘書官経験を売り来んで、総務省幹部への接待攻勢を仕組んでもらったのさ。「ササニシキ送りますよ」はいつものセリフって訳だ。東北新社らしく、りんごとさくらんぼを餌にすれば奴らはがっついてくる。ろくに味も分からないくせに、ロマネコンティが飲みたい、ドンペリが飲みたいって、値段で決める連中だからあしらうのは簡単さ。

こっちは許認可権なんてどうでもいいんだ。そりゃ、社長は高級官僚に取り入って権限をもらいたいって考えてたさ。でも、俺はこの日のために、じっと我慢して連中に接待攻勢。だから、どこかで足が出るように振るまったって訳さ。週刊文春はさすがだね。足取りをつかんで、連中の写真までそろえてスクープだ。さすがの俺も、録音されてたとは知らなかった。

という訳で、ガースーSay Go!Go To Settai 、お楽しみいただけたようで。

あっ、これは事実ではありませんが、もちろん真実です。それでは今夜はこれにて。

Wednesday, February 24, 2021

奴隷制ノート01

ジェームス・M・バーダマン『アメリカ黒人史――奴隷制からBLMまで』(ちくま新書)

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480073587/

<奴隷制開始からブラック・ライヴズ・マターが再燃する今日に至るまで。アメリカ黒人の歴史をまとめた名著を改題・大改訂した新版。>

<奴隷制が始まって以来、黒人は白人による差別や迫害に常に遭ってきた。奴隷船やプランテーションでの非人間的な扱いを生き延び、解放され自由民になっても、「約束の地」である北部に逃れても、彼らが人種差別から解放されることはなかった。四〇〇年にわたり黒人の生活と命を脅かしつづけてきた差別と、地下鉄道、公民権運動、そしてブラック・ライブズ・マター(BLM)に至る「たたかい」の歴史を、アメリカ南部出身の著者が解説する。>

目次

第1章 アフリカの自由民からアメリカの奴隷へ

第2章 奴隷としての生活

第3章 南北戦争と再建―一八六一〜一八七七

第4章 「ジム・クロウ」とその時代―一八七七〜一九四〇

第5章 第二の「大移動」から公民権運動まで―一九四〇〜一九六八

第6章 公民権運動後からオバマ政権まで―一九六八〜二〇一七

第7章 アメリカ黒人の現在と未来

アメリカ南部出身の早稲田大学名誉教授によるアメリカ黒人通史である。新書1冊でアメリカ奴隷制の歴史を概観できる。読みやすく有益な本である。オバマ政権時代のことや、現在のBLMも取り上げている。バスケットボールの八村塁の「ブラックニーズ」(ブラック+ジャパニーズ)も紹介されている。

現在のアメリカにとって重要なテーマだが、世界じゅうの人種差別にも直接関係する。日本の人種差別にも関連するが、同時に日本軍性奴隷制のような奴隷制への視点としても重要である。著者は「慰安婦」制度等には言及していない。日本関連で著者が言及しているのは、第2次大戦中の在米日系人に対する収容所政策とアメリカの公式謝罪である。在米日系人に謝罪・補償したのなら、黒人奴隷制にも謝罪・補償が必要ではないかという文脈である。もっともだ。アメリカ黒人が受けた被害に対する賠償は最大24兆ドルとの推計があるという。

本書で一番引用したくなった箇所は次の1節である。

「『レイシズム』という言葉に中立性はない。『レイシスト』の反対語は『非レイシスト』ではない。その反対語は、『反レイシスト』であり、それは、権力や政策や個々人の態度のなかに問題の根幹を見出し、解体しようと行動する者のことである。『反レイシズム』は異なる『人種』の人びとを理解しようとする絶え間ない試みであり、レイシズムに向き合わない、ただの『人種にたいする受動的な態度』である『カラー・ブラインド』になることではない。だれかが他者を、生物学的に、あるいは民族性によって、身体の特徴によって、文化的背景、ふるまい、階級、もしくは肌の色によってジャッジする――そのとき『レイシズム』があらわれる。『レイシズム』は一人の人間をステレオタイプに押し込め、その個人を、対等に権利と機会を与えられた、対等な存在として認めない。」

日本ではこのことがなかなか理解されない。

「非レイシストのつもり」程度の論者が幅を利かせている。

そして「非レイシストのつもりの立場から、レイシストと反レイシストの間に立っているかのごとく錯覚して発言する論者」が少なくない。

「レイシズムは良くないと言いながら、レイシズムを容認する論者」があまりに多い。

「ヘイト・スピーチは良くないと言いながら、ヘイト・スピーチ規制には断固反対と唱えることによって、実際にはヘイト・スピーチを容認する論者」である。

多数の憲法学者やジャーナリストがこの立場である。この論者たちは、一転して「反レイシズム」を「過激だ」「極論だ」などと攻撃し始める。

それによって、自分が、「その個人を、対等に権利と機会を与えられた、対等な存在として認めない」立場に加担・協力していることに気づこうとしない。

本書はこうした論調に対する批判としても有意義である。

日本軍性奴隷制をめぐる議論が始まった1990年代から奴隷制について何度も何度も発言してきた。

前田朗「性奴隷とはなにか」荒井信一・西野瑠美子・前田朗編『従軍慰安婦と歴史認識』(新興出版社、1997年)

前田朗『戦争犯罪と人権』(明石書店、1998年)

クマラスワミ『女性に対する暴力』(明石書店、2000年)

マクドウーガル『戦時性暴力をどう裁くか』(凱風社、2000年)

1926年の奴隷条約、ILO強制労働条約、「醜業協定」「醜業条約」等の解釈が中心である。また、国連人権委員会の「奴隷制の現代的諸形態に関する作業部会」の議論を紹介してきた。2001年のダーバン会議の時も奴隷制をめぐる議論が中心だった。さらに、国際人道法における「人道に対する罪としての奴隷制」についても国際的議論を紹介してきた。

何度も発言してきたが、奴隷制について日本では今だに理解されていない。歴史的な奴隷制概念や、国際法における奴隷制概念を無視した議論が横行している。

最近では次の本で「慰安婦」問題との関連で奴隷制概念について論じておいた。

日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編『性奴隷とは何か』(御茶の水書房、2015年)

奴隷制、性奴隷制、性暴力概念について議論するための基礎知識として、今後時々、奴隷制に関連する勉強をして、ノートを書き留めていくことにする。

Monday, February 22, 2021

国際自由権委員会・平和的な集会の権利に関する一般的勧告第37号の紹介

「市民的政治的権利に関する国際規約(国際自由権規約)」に基づく国際自由権委員会は、第129会期(2020629日~724日)に「平和的な集会の権利に関する一般的勧告第37号」を採択した。

 

平和的な集会は国際自由権規約第21条に定めがある。

「平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。」

 

21条の解釈のために国際自由権委員会がこれまでの審議を踏まえ、現在の国際人権法の水準で確認したのが一般的勧告第37号である。一般的勧告第37号は全部で102のパラグラフから成る長文であるが、その中にヘイト・スピーチに関連するパラグラフがあるので、以下で紹介したい。

 

一般的勧告第37号は次のような構成である。

Ⅰ 序論

Ⅱ 平和的な集会の権利の射程

Ⅲ 平和的な集会の権利に関する当事国の義務

Ⅳ 平和的な集会の権利の制限

Ⅴ 届出制

Ⅵ 法執行機関の義務と権限

Ⅶ 緊急事態及び武力紛争における集会

Ⅷ 国際自由権規約第21条、その他の規定、その他の法制の関連

 

規約第21条は平和的な集会の権利の法律に基づく制限を次のように明示している。

公共の安全

公の秩序

公衆の健康若しくは道徳の保護

他の者の権利及び自由の保護

 

一般的勧告第37号によると、平和的な集会の権利は、規約第21条の他に、世界人権宣言第201項、欧州人権条約第11条、米州人権条約第15条、アフリカ人権憲章第11条、アラブ人権憲章第24条に規定されている。また、子どもの権利条約第15条、人種差別撤廃条約第5条(d)(ix)、アフリカ子どもの権利憲章第8条にも規定されている。さらに、欧州安全協力機構のワルシャワ・ガイドライン、アフリカ人権憲章に基づくバンジュール・ガイドライン、米州人権委員会・表現の自由特別報告者の社会的抗議の権利基準がある。欧州人権裁判所や米州人権裁判所の関連判例がある。加えて、国連加盟国193カ国の内184カ国の憲法に集会の権利が規定されている。これらの規定と解釈を参照する必要がある。

 

*上記の「ワルシャワ・ガイドライン」は、私が勝手に命名したもので、国際的にはこの名称ではない。

前田朗「デモの自由を獲得するために――道路の憲法的機能・序論」三一書房編集部編『デモ!オキュパイ!未来のための直接行動』(三一書房、2012年)120144頁。

[ここで紹介したのは2007年の第1版である。その後、同ガイドラインは改訂され現在は2019年の第3版となっている]

 

一般的勧告第37全体の紹介はここでは行わない。国際自由権委員会の一般的勧告については、これまで日弁連が精力的に翻訳・紹介を行ってきた。一般的勧告第37号はまだ掲載されていない。

https://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library/human_rights/liberty_general-comment.html

 

一般的勧告第37号の「Ⅳ 平和的な集会の権利の制限」は、上記①~④についての解釈を提示している。「他の者の権利及び自由の保護」の中に、ヘイト・スピーチに関連する記述がある。

 

パラ47パラでは、「他の者の権利及び自由」の保護のために課される制限は、集会に参加していない他の者の規約やその他の人権の保護に関連することが確認される。

パラ48では、第21条で用視される制限のための一般的枠組みに加えて、追加の条件が重要であるとする。権利の実現の中心は、いかなる制限も、原則として、内容中立的であり、集会によって伝達されるメッセージに関連しないことが要請されるという。そうでなければ、まさに平和的な集会の目的が、人々に思想を前進させる政治的社会的参加の潜在的手段とすることができなくなる。

パラ49では、表現の自由に適用できるルールは、集会の表現的要素を扱う場合にも適用されるべきであるという。平和的な集会への制限は、明示的であれ黙示的であれ、政府に対する政治的反対者、政府の民主的転換のような当局への挑戦の表現を妨害するために用いられてはならないとする。公務員や国家機関の名誉や名声に対する批判を禁止するために用いられてはならない。

パラ50では、国際自由権規約第20条に従って、平和的な集会は、戦争の宣伝(第201項)、又は差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道(第202項)のために利用してはならないとされる。主なメッセージが第20条の範囲にある集会の参加者は、第19条及び第21条に示された制限のための要件に合致して対応されなければならないという。

パラ51では、一般論として、旗、制服、サイン及び横断幕の使用は、過去の苦痛を想起させるとしても、表現の合法的形式とみなされ、制限されてはならないとする。例外的場合、そのシンボルの使用が直接に及び主要に、差別、敵意又は暴力の煽動(第202項)と結びつく場合、適切な制限が適用されるべきである。

上記パラ50では、5つの文書が註に掲げられている。

    国際自由権委員会・意見表現の自由に関する一般的勧告第34号(パラ5052

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/data/HRC_GC_34j.pdf

    人種差別撤廃条約第4

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html

    人種差別撤廃委員会・人種主義ヘイト・スピーチと闘う一般的勧告第35

https://www.hurights.or.jp/archives/opinion/2013/11/post-9.html

    ラバト行動計画(パラ29

http://imadr.net/wordpress/wp-content/uploads/2018/04/9c7e71e676c12fe282a592ba7dd72f34.pdf

    権利のための信仰に関するベイルート宣言

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_19.html

 

上記パラ51では、2つの文書が註に掲げられている。

    OSCEとヴェニス委員会「平和的な集会の自由ガイドライン」(パラ152

[ワルシャワ・ガイドライン]

    欧州人権裁判所ファーバー対ハンガリー事件判決(20121024日)パラ5658

 

平和的な集会と言えるためには、ヘイト・スピーチを行ってはならないことが明確である。

 

これに対して、日本の議論では、どんなにヘイト・スピーチを行っても平和的な集会であるという異様な見解がまかり通っていることに注意。

 

なお、日本では「道路の交通機能」「道路の輸送機能」「道路の経済的機能」が圧倒的に優先される。私はデモやアートやお祭りパレード等の表現行為について「道路の憲法的機能」と呼んでいるが、憲法学者は誰も賛同してくれない。

Sunday, February 21, 2021

<被害者中心アプローチ>をめぐって(10)

日本国際法律家協会の機関誌『Interjurist』に、ウラディスラウ・べラヴサウ&アレクサンドラ・グリシェンスカ-グラビアス編『法と記憶――歴史の法的統制に向けて』(ケンブリッジ大学出版、2017年)に収録された論文を紹介しているさなかである。このテーマについて欧州を中心として、各国の状況を詳細に分析した研究書である。

日本国際法律家協会(JALISA

https://www.jalisa.info/

 

『救援』『部落解放』の論文なども含めて、法と記憶に関する比較法研究、及び国際人権法の論文の紹介を5年以上続けてきた。日本ではこれまで研究の蓄積がないためだ。まだまだ紹介しておかなくてはならない文献があまりに多い。基礎知識なしに、安直な議論に陥らないようにしたい。

 

前田朗「「法と記憶」をめぐる国際研究の紹介(1)」『Interjurist202号(2020年)では、編者による巻頭の序論「記憶法――比較法と移行期の正義における新たな課題」を紹介した。

前田朗「「法と記憶」をめぐる国際研究の紹介(2)」『Interjurist203号(2020年)では、アントン・デ・ベーツの論文「国連自由権規約委員会の過去についての見解」を紹介した。

前田朗「「法と記憶」をめぐる国際研究の紹介(3)」『Interjurist204号(2021年・予定)では、パトリシア・ナフタリの論文「国際法における『真実への権利』――最後のユートピアか?」を紹介した。

 

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デ・ベーツの論文「国連自由権規約委員会の過去についての見解」は、個人通報申立て、一般的勧告など自由権規約委員会の文書(1976年~2015年)を調査して、108件の事例を分析して、自由権規約委員会の過去に関する見解を分析している。そのための分析枠組みとして4つの指標(14項目)を掲げている。

 

 第1:基層としての時に関する見解

  ①時間を制約する要素(不遡及原則、個人請求原則等)

  ②時間を拡張する要素(継承原則、国家承継原則、侵害継続原理、合法性原則、過去の世代についての見解等)

 第2:権利としての記憶に関する見解

  ①喪に服する権利

  ②記念する権利

  ③記憶する権利

  ④歴史見解を禁止する記憶法の不存在

  ⑤自由な表現を制限しない伝統

 第3:権利としての歴史に関する見解

  ①過去についての真実への権利

  ②過去についての情報への権利

  ③過去の犯罪を捜査する国家の義務

 第4:技術職能としての歴史に関する見解

  ④歴史についての意見の保護

  ⑤間違える権利

  ⑥歴史教育における客観性、中立性、非差別の原則

  ⑦歴史研究における誠実さの原則

 

真実への権利、記憶する権利は、被害者の権利の正面玄関である。こうした認識自体、日本では共有されてこなかった。

 

デ・ベーツの4つの指標を参考にすることによって、日本軍性奴隷制に関する被害者中心アプローチを再考することができるだろう。

 

なお、上記の「技術職能」というのは翻訳が稚拙だが、要するに歴史研究者のことである。

 

<被害者中心アプローチ>とは何か。私はいまだに100字で説明することができないし、明確な定義はないだろう。とはいえ、その形成過程、議論の文脈、主要な概念装置は明確にできたと思う。

 

日本軍性奴隷制問題の解決のために努力してきた運動体の女性たち、男性たちは、被害者中心アプローチを一言で説明できなくても、被害者中心アプローチに立って運動してきたと言えるだろう。しかし、政治家やメディアは、被害者中心アプローチを身勝手な意味合いで用いている。真実への権利や和解や正義についても、わざと誤解しているのではないかと疑いたくなるような議論が多い。

 

まだ不十分だが、このシリーズは今回で終了。

Friday, February 19, 2021

スガ疫病神首相語録17 「透明性」

2月18日、世界で75カ国目という素晴らしい遅さで、新型コロナのワクチン接種が始まった。ワクチン国内生産を阻止し、輸入もできるだけ遅らせる政府方針が貫かれたが、その経緯は不明である。

「透明性」を掲げた東京オリンピック組織委員会の会長選考ができて、ようやく一段落。これで支持率回復、と思ったがそうはいかなかった。2月19日、セイコ新会長就任。シンキローと比べてぐっと若い女性でアスリート出身のため順当であり、幅広い支持を得た。もっとも、離党騒ぎでミソをつけ、キス強要事件は不問となった。男のセクハラは許されないが、女のセクハラは許されるという奇妙な先例ができた。ともあれ、女性理事4割の実現が期待される。

2月18日、自民党の白須賀貴樹衆院議員が緊急事態宣言下にもかかわらず、夜の麻布十番の高級ラウンジで女性と会食が発覚して、離党騒ぎ。マツジュン銀座3バカで懲りたはずが、何も考えていない4番目のおバカさん。

加えて、ガースー息子の総務省接待問題で、総務省局長「国会虚偽答弁」問題に発展。2月19日、国会虚偽答弁の総務省局長が更迭に追い込まれた。

それどころか、スガ自身が東北新社から政治献金を受け取っていたことが一部で報じられた。親子そろってウソとカネ。見事な「透明性」ゲームであるが、主要マスコミはこれを報じない。まだまだ御用マスコミの体質は変わらないようだ。

 

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一席二銚(一夕二銚とも言う)

*夜の会食で官僚や女性に接待すること。お銚子(酒)がどんどん進んで話が弾むが、後が怖い。ひたすら嘘でごまかすと録音記録がばれて一席二懲の懲らしめ、一席二凋の凋落につながるおそれが。

 

二人三脚

*議員と女性、又は父親と息子が、世間に知られないように接待三昧、できれば領収書不要の税金で二人三昧。東北新社の場合は、社長と息子が3人の官僚を接待した二人三客。

 

三寒四寒

*夜の銀座をはしご酒のマツジュン3バカのため震えた自民党だが、反省能力がないため、麻布十番ラウンジ事件の白馬鹿、もとい白須賀が4番目に登場し、ガースーの写真をはがして記者会見の寒々とした光景。

 

四書五経

*儒教の経典。

中国では、四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』のこと。

日本では――

黒川東京高検検事長の『ロン語』後付けアリ

加計学園は岡山理科『大学』シンゾーとバキューム文科大臣

自民党議員の反知性『虫様』はしご酒

ガースー政権の『申し』訳ございません

新型コロナの『疫経』対策遅延(なにしろ疫病神なので)

『書経』、書くのは大変だから、題目唱えるだけの南無なんとやら

コロナ患者は『死経』家族にも会えず

今年はだめでも『来季』はまともな政治をと叶わぬ願い

カネと利権の前では一切『逡巡』せず(ジミン魂)

 

五臓六腑

*ステーキ会食、パンケーキ、銀座クラブ、麻布十番ラウンジ、接待、接待が五臓六腑に染み渡る。だから政治家はやめられない。

 

六難七艱

*壁に耳あり、障子に目あり、供賄に密告あり、接待に録音あり。「放送業界の話題が出た記憶はありません」。

 

七転八倒

*廉恥と責任を忘れた政治家の末路。ただし、その前に国民が被害を受けて七転八倒。嘲笑いながら七転八起きするのは政治家の方が早い。七天抜刀の天罰はくだるか。

 

八卦九卦

*当たるも八卦とはよく言うが、当たり続ける「文春砲」。週刊誌ジャーナリズム、ここにあり。

権利のための信仰に関するベイルート宣言の紹介

201732829日、国連人権高等弁務官事務所が主催して、ベイルート(レバノン)で信仰と人権に関する会議が開かれた。会議の成果文書として「権利のための信仰に関するベイルート宣言」及び「『権利のための信仰』に関する18のコミットメント」という2つの文書が採択された。

 

私はこの会議に参加していない。201923月に開催された国連人権理事会第40会期で、「宗教又は信仰の自由に関する特別報告者」がプレゼンテーションした際に、2つの文書に言及したので初めて知った。2つの文書は、同特別報告者の報告書に付録として掲載された(A/HRC/40 /58. 5 March 2019)。

 

ベイルート宣言に宗教的ヘイト・スピーチに関連する記述があったので、日本に紹介しようと思ってメモを作成したが、そのままになってしまい、これまで紹介してこなかった。最近、PCの中にそのデータを発見したので、若干補充をしてブログにアップすることにした。他にどなたかが紹介又は翻訳しているかもしれないが、いまのところ、それらしきものを発見できていない。

 

ベイルート宣言の中で、ヘイト・スピーチ対策についてはラバト行動計画に言及している。ラバト会議を含めて、国連人権高等弁務官事務所が開催した一連の会議である。ラバト行動計画策定後も研究を続けて、宗教に関連してベイルート宣言となった。

 

ラバト行動計画は私たちの翻訳を公表している。

http://imadr.net/wordpress/wp-content/uploads/2018/04/9c7e71e676c12fe282a592ba7dd72f34.pdf

 

歴代の「宗教又は信仰の自由に関する特別報告者」は、アンジェロ・リベイロ(ポルトガル)、アブデルファタ・アモール(チュニジア)、アスマ・ジャハンギル(パキスタン)、ハイナー・ビーレフェルト(ドイツ)だが、2016年からアーメド・シャヒード(モルディヴ)である。シャヒード特別報告者はモルディブの元外交官であり、国際人権法を担当した。「イランの人権状況に関する特別報告者」を務めた。現在、エセックス人権センター事務局次長。

 

報告書及び宣言ではbelieffaithconvictioncreed等のさまざまな言葉が用いられているが、以下では、訳し分けていない。

 

なお、「権利のための信仰Faith for Rights」は、文中では「F4R」という略語で表現されているところがある。

 

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シャヒード報告書は次の構成。

Ⅰ 2018年以後の特別報告者の活動

Ⅱ 序論――思想、良心、宗教又は信仰、意見及び表現の自由

Ⅲ 国際人権枠組

Ⅳ 表現の自由への制限及び宗教又は信仰の自由へのその影響

Ⅴ 象徴的事案

A 冒涜及び宗教の誹謗

B 公共秩序措置

C 反背教法

D 反改宗法

E 宗教的憎悪と過激主義

Ⅵ オンライン・プラットフォームの影響と関連する制限

Ⅶ 結論と勧告

付録Ⅰ 権利のための信仰に関するベイルート宣言

付録Ⅱ 「権利のための信仰」に関する18のコミットメント

 

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権利のための信仰に関するベイルート宣言

 

宣言は22のパラグラフから成る。随所に聖典(聖書、クルアーン、ハディース、ブッダ)の言葉が引用されている。21か所。

例えば、「一人の命を守る者はすべての命を守る者に等しい」(クルアーン)といった引用形式。

 

以下、パラグラフごとに要約紹介する。

 

1. 信仰者及び人権活動家が2017年3月2829日、ベイルートで国連人権高等弁務官事務所主催の一連の会合に集まった。すべての人間の尊厳と平等の価値を支持し、宗教と信仰を尊重する。人間的価値と平等の尊厳は私たちの諸文化の共通の根である。信仰と権利は相互に補強し合う。人権は、宗教又は信仰から提供される倫理的精神的基礎に根差している。

2. 宗教又は信仰が生命、思想、良心、宗教、信仰、意見及び表現の自由から、欠乏と恐怖からの自由、暴力からの自由まで不可分の権利として保護される。

3. 宗教又は信仰は人間の尊厳、すべての個人と共同体の自由がいかなる理由でも差別されないことを保護する基本的な源泉の一つである。宗教、倫理及び哲学文献は、人類の唯一性、生命権の神聖性、信仰する者の心に基礎を持つ個人と集団の義務を支持することで、国際法を促進した。

4. 私たちを一つのものとする共通の人間的価値を広めることを誓約する。神学に関する相違はあるが、相違を利用して暴力、差別、宗教的憎悪を唱導することと闘うことを引き受ける。

5. 宗教又は信仰の自由は思想及び良心の自由なしには存在しない。人は全体としてすべての信仰の基礎であり、愛、赦し、尊重を通じて成長する。

6. 私たちはここベイルートから、ともに、利己主義、自己中心、人為的分断に反対する闘い、平和的だが力強い、最も気高い闘いを始める。

7. ベイルート宣言は、団結した、平和的で尊重溢れる社会の観点で、世界のすべての地域の宗教又は信仰に属する人々に及ぶ。ベイルート宣言は、「差別、敵意又は暴力の煽動に関するラバト行動計画(2012年)」と同様に、国連人権機関の協力の下で作成された。

8. これまで信仰と権利を結び付ける努力がなされてきたが、その試みは目標達成に及ばない。宗教活動家は、国内的にも国際的にも、憎悪の煽動に反対する人間性を擁護する責任を有する。ベイルート宣言によって、私たちすべての者の間の共通の根拠をもって、信仰が権利のためにあるその道を定義するために、手と心を一つにする。

9. ベイルート宣言をつくるために、私たちは多元的な連帯を通じて信仰を実践する。権利のための信仰のグローバルな連帯によって、それぞれの領域で具体的なロードマップを描くことになる。

10.      目標を達成するため、私たちは信仰者として5つの基本原則を遵守する。

(a)     伝統的な信仰間の対話を、地方レベルで具体的な「権利のための信仰」プロジェクトに変換する。対話は重要だが、対話に終わりはない。行動を通じて具体的な目標に到達できる。

(b)     神学的教条的分断を避ける。ベイルート宣言は宗教間対話の手段ではなく、すべての人間の尊厳を擁護する共通の活動のための共同プラットフォームである。

(c)     内省は私たちが大切にする美徳である。何よりもまず私たち自身の弱点を語り、行動につなげる。

(d)     特に、暴力、差別又は平等の尊厳の侵害を煽動する憎悪の唱道に反対して、一つの声で話す。宗教的理由による憎悪、不正義、差別の煽動を非難するだけでは十分でない。救済的な共感と連帯をもってヘイト・スピーチを矯正する義務が私たちにある。矯正という言葉は、宗教の境界を超えるべきである。煽動者、排外主義者、ポピュリスト、暴力的過激主義者の自由な土地を残してはならない。

(e)     私たちは良心のみに拘束され、完全に独立して行動する。

11.平等の尊厳を擁護する一つの声で語り、人間は完全に平等に尊重される。すべての信仰者に自らの責任で正義と平等を深く育むよう励ます。

12.世界中の草の根レベルの人々のために具体的な方法で目標を達成したい。お互いに活動を支え合い、毎年1210日に多様性の中の連帯の表明として、「権利のための信仰の歩み」を行う。

13.2012年のラバト行動計画を基礎に、暗闇の力を武装解除し、恐怖と憎悪の間で揺れ動く心を解体する。宗教の名による暴力は宗教の基礎としての慈悲と共感を台無しにする。慈悲と共感のメッセージを多元的社会の連帯活動に変換する。

14.普遍的に承認された価値としての国際人権を受け入れる。すべての者が人間人格の自由で完全な発達を可能にする共同体に義務を有している。

15.宗教と現行国際法規範は宗教活動家に責任を帰する。宗教活動家を支援することは立法、制度改革、支援的公共政策の領域における活動を必要とする。国際条約はジェノサイド、難民、宗教差別、宗教の自由を法的用語で定義している。これらの概念はさまさまざまな宗教に根差している。

16.私たちは人間としてすべての人間に責任を有する。私たちは行動するべき時に適切に行動しないことについても責任を有する。

17.すべての人権の促進と保護にまず責任を有するのは国家であるが、私たちは宗教活動家として又は個人の信仰者として人間性と平等の尊厳のために立ち上がるそれぞれの責任を有する。

18.宗教共同体、その指導者及び信者には、国内法や国際法の下での公的人物とは独立にそれぞれの役割と責任がある。1981年の「宗教又は信仰に基づくすべての形態の不寛容と差別の撤廃に関する国連宣言」第21項に従って、国家、制度、集団、個人による宗教差別に従ってはならない。

19.紛争時における非国家活動家の責任について、宗教指導者にはつねに同様の法的倫理的正当性が求められる。

20.言論は個人および共同体が繁栄する基礎である。言論は人間の善と悪の両面にとって決定的なメディアである。戦争は心に隠された憎悪の唱道を呼び覚まし、燃料をつぎ込む。

積極的言論は和解と平和構築のための癒しの手段となる。言論は私たちがコミットしようとするもっとも戦略的な領域の一つである。

21.国際自由権規約第202項の下で、国家は差別、敵意又は暴力の煽動となる国民的人種的宗教的憎悪の唱道を禁止する義務がある。これには宗教の名による宗教指導者への憎悪の煽動が含まれる。発話する者の地位、文脈、その程度により、宗教指導者の発言は憎悪の煽動の導入になることがある。こうした煽動の禁止だけでは十分ではない。和解のための救済の唱道が等しく義務である。

22.この領域で最も重要なガイダンスは2012年のラバト行動計画によって提供されている。(a)宗教指導者は暴力、敵意又は差別を煽動する不寛容のメッセージや表現を用いないようにすべきである。(b)宗教指導者には不寛容、差別的ステレオタイプ、ヘイト・スピーチに確実かつ迅速に反対する発言をする重要な役割がある。(c)宗教指導者にとって、憎悪の煽動に呼応して暴力に寛容であってはならない。

 

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引用されている言葉の例

 

There are as many paths to God as there are souls on Earth. (Rumi)

Rumiはアフガニスタン出身のペルシャの詩人?

 

Whoever preserves one life, is considered by Scripture as if one has preserved the whole world.(Talmud, Sandhedrin,37,a)

 

Ye are the fruits of one tree, and the leaves of one branch. (Baha’u llah)

 

On the long journey of human life, Faith is the best of companions. Buddha

Thursday, February 18, 2021

<被害者中心アプローチ>をめぐって(9)

<被害者中心アプローチ>の中核は、被害事実認定、謝罪、賠償、加害者処罰、再発防止、被害者救済(補償、リハビリテーション)等々だが、真実と記憶をめぐる議論はいまも継続中である。

「慰安婦」問題では、記憶の問題を「記憶する側」「研究者」に引き付けて理解する傾向が増えてきたが、原点を見失った議論はいつ二次加害に転化するかわからない。「アウシュヴィツの嘘」「ホロコースト否定」「歴史修正主義」の犯罪に向き合う必要がある。

不正義を美化・称賛するメモリアルへの批判と、真実を残すメモリアルとの「論争」が作り出されることになる。

旧ソ連東欧圏でレーニン像が破壊されたこと、イラクでフセイン像が倒されたこと、アメリカで南北戦争の英雄像が社会問題となったことが想起される。

ルーマニアでは、ファシズム・シンボル法が制定され、ファシストのシンボル(旗、紋章、バッジ、制服、スローガン、公式・決まり文句のあいさつを、公共の場で用いると犯罪になることがある(前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』三一書房、608頁)。

他方、被害者側の真実への権利、記憶してもらうこと、語りを聴いてもらうこと等の関連では、「平和の少女像」も重要な位置にあるし、「慰安婦」メモリアルデーも同様の意味を持つ。真実への権利の欧州での議論では、博物館、記念館、歴史教育にも言及がある。

<被害者中心アプローチ>をめぐって(5)において次のように書いた。

「私たちは新しい国際メモリアルデー運動を始めた。金学順さんがカムアウトした八月一四日を記念して、先月、東京その他世界各地で最初のメモリアルデー行事をもち、八月一四日を国連メモリアルデーにしようと宣言した。」

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_96.html

忘れかけていたが、私が国連人権理事会にこの報告をしたのは2013912日のことだ。前年12月に台北で開催された第11回アジア連帯会議で、814日を「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とすることが決まった。そこで春頃に、メモリアルデーを作る運動を立ち上げるための学習会で国際メモリアルデーについて話した。その内容を基に、たしか日本の戦争責任資料センターの『Let’s』に一文を書いたはずだが、データがみつからない。さがしてみると、学習会のために準備したメモがあったので、その一部を紹介する。

 

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(1)一月二七日 ホロコースト犠牲者の記憶記念デー

  一九四五年一月二七日、ナチス最大のアウシュヴィツ強制収容所がソ連軍によって解放された日をもとにしている。国連で承認されたのは比較的新しく、二〇〇五年のことであった。それ以前に一九九六年、ヘルツォーク・ドイツ連邦共和国大統領が提唱してドイツなどで記念式典が催され、二〇〇一年からはイギリスやイタリアなど各国に広がった。それを受けて、ナチス収容所解放六〇周年を機に、二〇〇五年一月二四日、国連総会決議が採択され、一月二七日が国連デーとなった。イニシアティヴをとったのは、シルヴァン・シャローム・イスラエル外相だった。決議は、ホロコーストの歴史教育の発展、ホロコーストの否定を拒否すること、人種的不寛容や、民族的出身や宗教的信念に基づく煽動や暴力を非難することを明示している。その後、毎年、国連本部で記念行事が行われている。

(2)三月二一日 人種差別撤廃デー

  一九六〇年三月二一日、南アフリカ共和国においてシャープビル事件が起きた。アパルトヘイト法に反対するデモが行われたが、デモ隊は平穏に行進していたにもかかわらず、警察が発砲して大混乱となり、六九人の市民が殺害された。南アフリカではかなり以前から、子の火がパブリック・ホリデーとなっていた。一九六六年一〇月二六日、国連総会決議によりこの日が国際デーとなった。その後、毎年、国連本部でも南アフリカでも記念行事が行われている。

(3)四月七日 一九九四年ルワンダ・ジェノサイド反省デー

  一九九四年四月七日、ルワンダにおいてツチ民族に対する迫害と虐殺が始まり、八〇万と言われる虐殺が行われた。二〇〇四年四月七日、国連総会で決議が採択された。キガリ(ルワンダ)、ニューヨーク(アメリカ)、ダルエスサラーム(タンザニア)、ジュネーヴ(スイス)で記念行事が行われ、一分間の黙祷が行われた。

(4)五月八・九日 第二次大戦時に生命を失った者の記憶と和解の時

  一九四五年五月八日、ナチス・ドイツが無条件降伏をし、アドルフ・ヒトラーの第三帝国が終焉した。二〇〇四年一一月二二日、国連総会で決議が採択された。決議は、各国、国際機関、NGOに、第二次大戦犠牲者に敬意をささげるように呼びかけている。

(5)八月二九日 核実験反対デー

  一九九一年八月二九日、セミパラチンスク核実験場が閉鎖された。二〇〇九年一二月二日、カザフスタンが提案した国連総会決議が全会一致で採択された。決議は、核実験爆発の影響に言及し、核兵器のない世界という目標を達成する手段の一つとして核実験中止の必要性を訴えている。

(6)一一月二五日 女性に対する暴力撤廃デー

  一九六〇年一一月二五日、ドミニカ共和国で、政治活動家であるミラバル三姉妹が、トルヒーヨ独裁政権によって暗殺された。一九八一年、主にラテン・アメリカの活動家たち、NGOが、女性に対する暴力と闘う日として記念行事を行ってきた。一九九三年五月、ウィーン世界人権会議で女性に対する暴力のテーマが正式に取り上げられ、一二月には国連総会で女性に対する暴力撤廃宣言が採択された。翌年から国連人権委員会の議題となり、その後、現在にいたっている。一九九九年一二月一七日、国連総会決議によって国際デーとなった。その後、毎年、国連、列国議会同盟、UNIFEMが記念行事を行っている。

(7)一二月二日 奴隷廃止デー

  一九四九年一二月二日、国連総会は人身売買禁止条約(人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約)を採択した。国連は一九八六年以来、この日を国際デーとして記念してきた。

Wednesday, February 17, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(162)人として認められる権利

若林三奈「集団に対する差別的言動と不法行為――人間の尊厳と平穏生活権」『法律時報』93巻2号(2021年)

入会拒否のような拒否型差別行為と異なり、不当な差別的言動は人間の尊厳の否定と評価しうるが、それが個人ではなく、「特定の属性(集団)のみを攻撃対象とする場面では、その言動を直ちにその属性を有する個々人の名誉毀損と捉えることは、対象の特定性を欠くことから妥当でない、という理解が一般的である」とされてきたが、近時いくつかの裁判事例が出たことから、さらに検討を要するとして書かれた論文である。

京都朝鮮学校事件判決をもとに「集団へのヘイトスピーチと個人の現実の損害発生の可能性」について見た上で、「集団へのヘイトスピーチと個人の保護法益」として、第1に「名誉」について、「特定人の社会的評価の(現実の)低下」という通説的な不法行為上の名誉概念を相対化することにより、個人の「名誉」侵害と捉える可能性を指摘する。

2に平穏生活権(住居における平穏生活する人格権)について、川崎市ヘイトデモ差止仮処分命令を素材に検討し、次のように述べる。

「人間の尊厳を否定するヘイトスピーチは、人間の生活に不可欠な人間の生物的・社会的生存条件(環境)を侵害するものであるから、たとえそれが集団に向けられたものであったとしても、そこに属する個人の人格権を侵害するおそれのあるものとして(=現実化すれば絶対権の侵害となる)平穏生活権侵害の問題として捉えうる。ヘイトスピーチは、他者を『人間として適切に承認されること』(私法上の権利能力平等原則)を否定する行為であり、個人が権利主体として権利を平等に享受する前提(社会的生存条件・環境)を客観的に侵害する行為である。その意味で、絶対権の侵害であるから、たとえそれが直接に特定個人の人格に向けられたものではなく、その個人が属する集団に向けられたものであっても、因果関係を補充・拡張し、特定個人の『平穏生活権侵害』として保護することが必要ではなかろうか。」

ただ、著者は最後に「かかる救済を常に事後的に、しかも私人のイニシアティブのもとにのみ期待することが適切であるかは疑問である」とし、「果たして法は自らの権利のために闘う強い個人の登場を期待するだけで良いのか。併せて、言論市場における対等平等性が当事者に真に確保されているのかも問われるべきであり、これを保障できない場面では、経済市場と同様に、何らかの公法的な規制――適正手続によるデモや集会の道路・施設利用の規制等を含む――を検討すべきではないか。このことは『誰一人取り残さない』社会の実現からも不可欠となろう。」として、パリ原則に準拠した国内人権機関や、SDGsにも言及している。

ヘイト・スピーチの民事不法行為に関する解釈を前進させる論文であり、賛同できる。著者に感謝。

「人間として適切に承認されること」について、私は長年、世界人権宣言第6条の「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。」に依拠して、これを主張してきた。ところが、従来、賛成してくれた研究者はほとんどいない。研究会の場で賛成してくれる者はいたが、研究論文レベルでは皆無である。

上記のように「ヘイトスピーチは、他者を『人間として適切に承認されること』(私法上の権利能力平等原則)を否定する行為」と書いてくれるとありがたいが、さらに踏み込んで書いてくれないものか。

Sunday, February 14, 2021

ヘイト・クライム禁止法(196)バーレーン

バーレーンがCERDに提出した報告書(CERD/C/BHR/8-14. 11 June 2019

憲法は私権とその行使を人種や性の区別なしに保障し、信仰の自由の原則を採用している。憲法第18条は「人々は人間の尊厳の尊重において平等であり、公的な権利と義務において市民は法の前に平等である。性、言語、宗教又は信条に基づいて差別してはならない」とする。

刑法第172条は共同体間の憎悪や侮蔑の煽動を、刑法第309条は宗教宗派の公然中傷や侮辱を犯罪とする。刑法第310条は、承認された宗教の意味を改ざんし、その原則を貶める書物を印刷出版すること、教授すること、宗教シンボルを侮辱すること、宗教儀式を嘲笑する意図をもって嘲ることを犯罪とし、刑法第311条は故意に宗教儀式を妨害し、宗教行事の実行のための建築や宗教シンボルを損壊、摩耗又は汚すことを犯罪とする。

ハマド国王の平和的共存グローバルセンターが設置されており、文明と文化の価値観の共有、寛容の文化、平和的共存を目指している。新しい啓蒙運動として道徳的価値と人権の価値を基礎に、暴力や憎悪を導く過激主義イデオロギーと闘い、多元主義を推進している。

2002年の印刷・出版に関する法令第47号は、表現の自由を保障しつつ、宗教を中傷する出版物を犯罪化する。2006年のテロリズムから社会を保護する法令第58号は、宗教に対する犯罪がテロ活動の過程で行われた場合に刑罰を加重する。刑法第75条は、民族、宗教、性別、又は皮膚の色を根拠に差別的動機で犯罪が行われた場合に刑罰加重事由とする。

2015年、公共情報省はバーレーン・ジャーナリスト協会と協力して、プレス行動綱領を策定し、人種的優越性、人種憎悪、煽動を助長する報道を行わないことを掲げた。

情報省は、最近のグローバルな発展に対応して、人種差別や憎悪を刑罰加重事由とするプレスと電子メディアに関する法案を作成中である。

2015~17年、59のワークショップを開催し、主にメディア関係者ら461人が参加した。差別唱道、憎悪煽動、その助長について55の書物と出版物の捜査と没収が行われた。3つの地方新聞に対して法に従うよう求める7つの警告を発した。

法令の適用状況、裁判事例は不明である。

バーレーンの審査は20208月予定だったが新型コロナのため延期となった。

<被害者中心アプローチ>をめぐって(8)

前回、真実和解委員会や真実和解特別報告者について紹介したところ、いくつか質問をいただいた。1つは、真実和解委員会のそのものについて具体的な内容をもっと知りたいという趣旨である。もう1つは、日本軍性奴隷制(慰安婦)問題における和解についてである。

1の真実和解委員会については、次の著書が有益である。

歴史的記憶の回復プロジェクト『グアテマラ虐殺の記憶――真実と和解を求めて』(岩波書店、2000年)

プリシナ・ヘイナー『語りえぬ真実――真実委員会の挑戦』(平凡社、2006年)

阿部利洋『紛争後社会と向き合う――南アフリカ真実和解委員会』(京都大学学術出版会、2007年)

阿部利洋『真実委員会という選択――紛争後社会の再生のために』(岩波書店、2008年)

アレックス・ボレイン『国家の仮面が剥がされるとき――南アフリカ真実和解委員会の記録』(第三書館、2008年)

アンキー・クロッホ『カントリー・オブ・マイ・スカル――南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩』(現代企画室、2010年)

杉山知子『移行期の正義とラテンアメリカの教訓』(北樹出版、2011年)

真実和解委員会は1980年代からラテンアメリカで始まった一方、南アフリカのアパルトヘイトに関する真実和解委員会が有名であるので、その両方を見ればおおよそのことはわかる。日本でも2000年代に上記のような研究が進んだ。

 

2の日本軍性奴隷制(慰安婦)問題における和解については、2つの論点がある。

(1)   和解と裁きの関係――真実和解委員会と刑事裁判の関係

(2)   朴裕河著『和解のために』をどう見るか

 

(1)    和解と裁きの関係――真実和解委員会と刑事裁判の関係

この点は必ずしも明確ではないと思う。真実和解委員会と刑事裁判を矛盾すると捉える見解もあるが、並列的と見る見解もあるし、刑事裁判には真実発見機能や和解機能もあると見る立場もあるからだ。

また、真実和解委員会は198090年代に多かったが、1998年の国際刑事裁判所規程により2002年に国際刑事裁判所が発足して以後、真実和解委員会から刑事裁判への流れができたと言えるかもしれない。

慰安婦問題について、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書は、責任者処罰という形での裁きを勧告した。同時に、両報告書は国際的レベルで真実発見機能を持ったといえよう。

慰安婦問題について政治権力レベルでは国際裁判も国内裁判も行われなかったが、2000年女性国際戦犯法廷が実施された。女性法廷は判決宣告・有罪認定にとどまり、刑罰負荷も量刑もなかったが、「民衆法廷という形態をとった真実和解委員会でもあった」。

ただ、慰安婦問題では、すでに30年に及ぶ議論がなされてきた中で、誰と誰の和解なのかが混乱してきた面がある。本来なら加害者と被害者の間の和解が語られるべきだが、加害者には中曽根康弘のような慰安所設置に関与した個人と、日本軍という組織及び日本政府の加害性が問題となる。個人の法的責任とは別に、国家の法的責任と道義的責任が浮上する。日本政府は法的責任を否定しつつ、道義的責任をとると称してきたが、実際には道義的責任も否定する言動が目に付く。アジア女性基金や日韓合意は、道義的責任のための措置ともいえるが、道義的責任を解除するためのトリックでもあった。

日韓合意について、

前田朗編『「慰安婦」問題・日韓「合意」を考える』(彩流社、2016年)

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784779122132

 

(2)    朴裕河著『和解のために』をどう見るか

『和解のために』及び『帝国の慰安婦』については、すでに何度もコメントした。要するに、「和解」概念を身勝手に改竄して、被害者に「和解」を押し付ける議論はセカンドレイプに等しいということだ。

前田朗編『「慰安婦」問題の現在』(三一書房、2016年)

https://31shobo.com/2015/10/16001/

 

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以下は、前田朗「真実・正義・補償に関する特別報告書(一)」『統一評論』577号(2013年)より

 

三 日本軍慰安婦問題の場合

 

 デ・グリーフ報告書の紹介は次回も続けるが、以上に紹介した前半部分について、日本軍慰安婦問題に照らして、最低限必要なコメントを付しておこう。

 第一に、真実への権利である。慰安婦問題が浮上した一九九〇年代、何よりも真実発見が重要であったことは言うまでもない。日本政府は事実を否定しようとしたが、歴史学者や支援団体の調査によって次々と事実が明るみに出て、韓国のみならずアジア各地から被害者が名乗り出ることによって、事態が一気に明らかになっていった。そのことが河野談話や村山談話につながった。

 しかし、九〇年代後半から現在に至るまで、真実を闇に葬り去るための策動が続いていることは言うまでもない。

 第二に、国際社会では四〇を超える真実和解委員会の実例があるという。日本軍慰安婦問題については、研究者、被害者団体その他の民間団体による多くの調査があるが、公的な真実和解委員会は設置されなかった。日本政府は内部的な調査を行い、事実を否定できなくなったために河野談話と村山談話を出さざるを得ず、あとは「アジア女性基金」で幕引きを図った。本格的な調査は行われず、しかも情報公開も不十分であった。国家責任を逃れるためのアジア女性基金政策は欺瞞的であり、破綻せざるを得なかった。ただし、アジア女性基金関係者の調査によって一定程度の事実が明らかにされた。いずれにせよ、日本軍慰安婦問題については公的な真実和解委員会が設置されなかった。

 他方、国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告書」及び人権小委員会のゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制特別報告書」が、国連人権機関レベルにおける真実発見機能を果たしたと言えよう。

 また、民間における調査・研究は今日に至るまで長期的に行われている。特に、二〇〇〇年に東京で開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」は、民衆法廷という形態をとった真実和解委員会でもあったと言えるだろう。

 第三に、委員会の期間である。初期の真実和解委員会はいずれも短期間であったという。日本政府もごく短期間の内部調査しか行わず、重要な関連資料を明らかにすることさえしなかった。形式的に調査したアリバイだけを残して、真相を闇に葬るための「調査」というしかない。民間における調査・研究は長期にわたった。九〇年代における調査は女性国際戦犯法廷に取り入れられて、大きな前進となった。

 第四に、調査するべき対象の期間である。アルゼンチンが七年、ケニアの場合は四四年という。日本軍慰安婦問題は一九三〇年代から一九四五年までの一五年と言えよう。もっとも、軍慰安婦以前からの近代日本における性奴隷制という観点ではもっと長期にわたる調査が必要ということになる。

 他方、デ・グリーフ報告者は言及していないが、対象期間と調査機関との間の時間の隔たりを見ておく必要もある。南アフリカ真実和解委員会は、アパルトヘイト体制終了後に比較的短期間で開始された。東ティモールも同様である。これに対して、日本軍慰安婦問題は、被害女性が半世紀の沈黙を破ったことから調査が始まったという点で大きな特徴がある。旧ユーゴスラヴィアやルワンダの悲劇と異なり、被害時期と調査時期の間の大きな隔たりが調査を困難にした面がある。もっとも、軍による犯罪のため、数多くの証拠が隠蔽されたとはいえ、それでも一定程度の証拠が残されていた。

 日本軍慰安婦問題について、いかなる形態の機関によって真相解明が行われるべきだったのか、一九九〇年代初期の議論では、必ずしも十分な議論がなされなかったと言えよう。日本政府にどのような調査をさせるべきかという議論も不十分であったかもしれない。

内閣部局が調査に当たるのは当然だったかもしれないが、朝鮮総督府、内務省、陸軍・海軍などの全体的な資料調査は十分に行えなかった。また、法務省や裁判所も調査に協力していないため、国外移送目的誘拐罪の判決があることさえ、いまだに日本政府は認めていない。被害女性と支援団体が東京地検に告訴・告発しようとした時にも、東京地検は何ら捜査することなく、告訴・告発を不受理とした。

当時、研究者や支援団体の中で真実和解委員会という発想はなかったように思う。ラテンアメリカ諸国における真実和解委員会の実践に関する知識がほとんどなかったためであろう。グアテマラ真実和解委員会の成果が紹介されたり、南アフリカ真実和解委員会が動き出したニュースが流れたのは、やや後の事だったように思う。韓国の過去事整理委員会の活動もやや後に始まった。現在では、そうした多くの成果を基に考えることが出来るが、九〇年代初頭にそのような発想を持てなかったのは、やむを得なかったのかもしれない。

Saturday, February 13, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(161)

「特集:インターネット上の誹謗中傷問題――プロ責法の課題」『ジュリスト』1554号(2021年)

◇インターネット上の誹謗中傷問題――特集に当たって…宍戸常寿

◇媒介者の責任――責任制限法制の変容…丸橋 透

◇発信者情報開示手続の今後…垣内秀介

◇名誉毀損(信用毀損)に当たる誹謗中傷とは…北澤一樹

◇誹謗中傷と有害情報…上沼紫野

◇匿名表現の自由…曽我部真裕

◇総務省の取組…中川北斗

総務省の「プラットフォームサービス研究会」座長の宍戸論文は特集の趣旨説明。

垣内論文は、総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会」のとりまとめ見解の解説で、新たな裁判手続き案の概要を示す。

北沢論文及び上沼論文はオンラインの名誉毀損に関する判例、現状を整理する。

いずれの論文も、個人見解と称しているが、総務省の方針を提示しているので重要。

理論的に重要なのは、総務省の「発信者情報開示の在り方に関する研究会」の座長である曽我部論文である。匿名による誹謗中傷表現にいかに対処するかという現実的、かつ難しい問題の検討がなされている。匿名表現の価値に関する理解は、海野敦史「匿名表現の自由の保障の程度」『情報通信学会誌』37巻1=2号(2019年)に依拠している。曽我部は本論文では比較法研究を行っていないが、先行研究として毛利透、岩倉秀樹、大島義則、岡根好彦、高橋義人らの論文を挙げている。

本論では、「匿名表現の自由の保障が、表現の自由の一般的な保障構造の中でどのように位置づけられているのかについては明らかにされていないように思われる」という。曽我部自身は「顕名だろうが匿名だろうが、表現であれば表現の自由の保障を受けるのである。また、表現者にとっても、匿名によって『自由に表現できる』という点が重要なのであって、匿名であること自体に意味を見出しているわけでは必ずしもないだろう」と結論付ける。匿名表現者の主観を根拠にする議論である。違憲審査の在り方については「委縮効果が特に懸念される場合には、匿名性を剥奪しようとする制約の合憲性は慎重に審査されるべきである」とする。匿名であること自体を憲法上の保障に含める議論である。

その上で、曽我部は、発信者情報開示制度と匿名表現の自由について論じ、「発信者情報開示は、民事掲示責任を追及する前提として住所・氏名等の開示がなされるものであり、発信者に対する委縮効果は大きい。…正当な表現を委縮させることがあってはならない」とし、その手続きについても検討する。

曽我部の議論の特徴は、もともと、近代市民法においては「自由・平等・対等の主体としての市民の表現の自由」を論じていたはずなのに、自由・平等・独立という前提を完全に投げ捨てて、匿名表現者による闇討ち的差別表現を規制することによる委縮効果を論じていることである。誰のどのような表現であるのかという具体性は消去される。なぜなら抽象的市民法を仮設しているからである。自由・平等・独立の論理を用いて不自由・不平等・非対等を擁護する理論枠組みである。

それがすべてではなく、曽我部なりの悩みが見え隠れするが、実質的には、マジョリティの表現の自由を擁護するためにマイノリティの表現の自由を犠牲にしてもやむを得ないという立場が鮮明になる。だが、この論理を乗り越えるのはなかなか容易ではない。日本国憲法にはマジョリティやマイノリティという言葉がなく、国民概念(市民)の平等性が仮構されているからだ。