Sunday, March 31, 2019

桐山襲を読む(1)100年のパルチザン伝説


桐山襲『パルチザン伝説』(作品社、1984年)


「言葉が扼殺された世界――それがこの国の1980年代の風景であることを、兄さんは誰よりも理解しているはずだ。」

 1945年8月14日のパルチザン伝説の主人公・穂積一作の後継者である息子兄弟の、兄は強固な決意とともに言葉を失った。

1974年8月14日のパルチザン伝説の主人公の一人である弟は、失敗後、南の島へと「失踪」し、いまや視力を失いつつあり、兄に最後の手紙を書く。2人に後継者はいない。

 1945年と1974年の2つの8月14日のパルチザン伝説とは何か。その謎が、弟の手紙と、父親の手記、その友人の記録を通じて、徐々に明らかにされていく。


 「なるほど民は自らの水準に応じてその支配者を持つのだとするならば、知は力であるという段階を通過せぬまま権威と屈従の感覚だけは鋭敏にさせてきたこの国の民の水準に、郡部のごろつきたちはまことに適合しているのかもしれなかった。しかし――」

 「今日からは、俺ひとりがパルチザンだ」と宣言してブリキ缶爆弾を手に御文庫めざして木立のなかへと駆け込んでいった穂積一作。


 「1960年代末期の街路という街路を乾いた風のように駆け抜けていった学生の社会的叛乱の中から、叛逆者の極北たることを志して生まれた僕たちのグループが、あのことの計画に辿り着いたのは1973年の秋――つまり、あの壮大な祭りの終わりの年ともいうべき1969年から数えて、ちょうど4年目の秋だった。」

 荒川鉄橋に向けて1000メートルの電線を這わせる作戦に賭けた7人のグループは、しかし、その夜、無念の撤退を余儀なくされた。


1910年の宮下太吉の精神を呼び起こす物語が、カンディンスキー、セザール・フランク、ブレヒトの名とともに、濃密な文体で描き出されている。史上まれに見る愚劣と下劣と卑劣の人格的体現者を標的とした2つのパルチザンはかくして未発に終わり、人々の記憶には微かな伝説としてのみ残される。知的頽廃と凡庸と抑圧の戯画しか描き出せない澱んだこの国から、「虹」が燦めくことのないこの国から、お隣の国の「光」の都市に暮らすはずの妹の長い髪への想いをひらめかせて。


『パルチザン伝説』を初めて読んだのはいつのことだったか覚えていない。『文藝』1983年10月号を手にしていないし、本書・作品社版も見た記憶がない。私が手にしたのは、著者・桐山の意志に反して海賊出版された第三書館版だった。

深沢七郎の『風流夢譚』や大江健三郎の『政治少年死す』は学生時代に、学生の時の英文学ゼミの教授からコピーをもらって読んでいたから、本書がそれらに次ぐ問題の書ということはよく理解していた。第三書館版が当時どのくらい世に出たのかは知らないが、大学生協の書店で普通に購入したように思う。院生時代、たぶん1980年代後半だったのだろう。


 2019年4月、この国はふたたび知性を嬲り殺しにし、幼稚で愚劣な継承の馬鹿騒ぎを演じている。

「言葉が扼殺された世界――それがこの国の21世紀の風景であることを」、私たちは幾度も幾度も見せつけられてきた。その再現に過ぎないと言ってしまえばそれだけのことだが、あまりにも空虚な茶番が、時代を規定し、この国と社会の有り様を規定していくのだからたまったものではない。
 こんな時に読むべきはパルチザン伝説くらいしかないだろう。というわけで、しばらく桐山の小説を読むことにした。

Wednesday, March 27, 2019

「テロを許すな」の真贋


2月22日、マドリッド(スペイン)で発生した朝鮮大使館襲撃事件の真相が少し見えてきた。実行犯は「自由朝鮮」という団体で、背後でFBIが協力していたという。





米国政府の関与の下、大使館という外交官条約で保護される外交施設を襲撃するという前代未聞の犯罪である。



世界各地でテロ事件が発生するたびに、安倍晋三をはじめとする日本の政治家、及び朝日新聞をはじめとするメディアは、拳を握りしめて「テロを許すな」と叫んできた。



その多くが、昨年の朝鮮総連襲撃事件に際して沈黙を決め込んだ。



(参考)「在日本朝鮮人総連合会中央本部への銃撃テロに対する声明」





それでは、今回の朝鮮大使館襲撃事件ではどうだろうか。



あまりに容易に予測できるのがつまらないところだが、彼らは今回も沈黙するだろう。あるいは、「テロではない」とごまかすだろう。



それならば、世界各地の日本大使館をいくら襲撃しても良いことになる。



パリのシャルリ・エブド事件の際、私は「『テロを許すな』と叫ぶテロリストを許すな」と書いた。「テロを許すな」「表現の自由を守れ」と行進した政治家達こそまぎれもないテロリストだからだ。



これから数日の政治家とメディアの様子にご注目。

Friday, March 22, 2019

「盗人猛々しい」と言われて仕方のない国もある


2月中旬の、韓国の文喜相国会議長の「盗人猛々しい」発言に対して、日本側では激しい非難、悪罵が飛び交った。

すぐに書こうと思ったのだが、その頃は多忙だったため、何も書けなかった。

日韓間の感情的な対立は残念なことだし、国会議長が「盗人猛々しい」と外国政府を非難するのが適切とは言いがたいことも事実だが、日本側の反応はもっと不適切だ。

この間、きちんと全てを見ているわけではないが、どの論評にも肝心な事実が出てこない。



ほんの数年前に中国外相が、国連で、尖閣諸島問題に関連して「日本が盗んだ」と何度も発言したことを、もう忘れているのだろうか。

その場で日本政府がろくに抗議もしなかったのではないか。

「日本が盗んだ」発言も、国連での公式発言としては穏当ではない。



しかし、もし日本政府が反論すれば、カイロ宣言に注目が集まることになる。そこには、奪取や略取と並んで、「日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還」と書かれていることはよく知られている。

カイロ宣言の国際的な位置づけについては議論の余地がある。

しかし、ポツダム宣言にはカイロ宣言の履行が明記されている。日本はポツダム宣言を受諾した。日本側の勝手な主張でカイロ宣言を無効化することはできない。

このことをメディアはきちんと指摘するべきだろう。



韓国国会議長の発言は、その言及する対象がまったく異なるので、カイロ宣言を根拠にはしていないが、問題は、国際外交の公式の場で「盗人」と言われても反論できない日本政府にある。



そこで思い出すのは、1999年8月だったと思うが、国連人権委員会・差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)において、朝鮮政府が日本政府を「ギャングスター」と罵倒したのに、日本政府が沈黙したことだ。

この時のことはよく覚えている。

当時、キューバとニカラグアが非難合戦をしていた。ニカラグアが、キューバの人権状況が悪化していると批判。これにキューバが、かつてニカラグアの医療を支援したのに、こんな非難をするのは「ギャングスター」だと罵った(キューバ政府はスペイン語で発言し、通訳は「ギャングスター」と訳した)。

その途端、ニカラグア政府が机をバンと叩き、「政府に対する侮辱は許されない」。議長の権限でキューバ発言は議事録から削除された。

その20~30分後、朝鮮政府が「慰安婦」問題など日本政府の対応を批判した際に「ギャングスター」と言った(朝鮮政府は英語で発言した)。

これにはびっくりしたが、もっと驚いたのは、日本政府が沈黙し、一言も反論しなかったことだ。



国際外交の場で、「盗んだ」「盗人」「ギャングスター」というのは不適切な発言だ。

だが、何度も言われても適時に反論せず、事態を改善することもしてこなかった日本政府らしいと言えば、らしい。






上記に「適時に反論」と書いた。思い出した具体例を2つ。



国連人権理事会では、アメリカ対中国の非難合戦も激しい。年中行事化しているので、みんなまじめに聞いていないが。

数年前、アメリカ発言が中国側担当者の逆鱗に触れたようで、中国が猛烈な反論をした。アメリカの監獄の状況や、医療の貧困、福祉の貧困を並べて、「アメリカこそ人権侵害のチャンピオンだ。人権侵害のスーパーマンだ」と言いたい放題だった。

この時、アメリカが反論しなかったので不思議に思ったが、後で聞くと、事務局を通じて「国連にふさわしい言葉を使うようにしよう」と伝えたと言う。その場でやりとりしてもヒートアップするだけと考えたのだろう。



他方、毎回必ずキューバ批判をする有名なNGOがある。どの議題でも毎回のようにほとんど同じような発言をして、キューバ叩きが目的としか言い様がない。

ある会期で、このNGOは、市民的自由の議題や女性の権利の議題でキューバを非難し、その後、世界の紛争地域における人権状況の議題でもキューバ非難をした。キューバ政府が直ちに「このNGO発言は議題と関係ない」と指摘した。アメリカ政府が「われわれは市民社会の声を聞くべきだ」などと発言したので、このNGOとアメリカ政府の関係が露呈した。議長がNGO発言をやめさせた。似たようなことが何度もあった。

今年も同じことがあった。3月18日、同じNGOが「占領下パレスチナの人権」という議題で、キューバの人権状況を批判した。もちろん、キューバ政府が「議題と関係ない」と指摘。議長が発言をやめさせた。こんなことを繰り返すのは、よほど頭が悪いとしか言い様がない。

それはともかく、ここで書こうとしたのは「適時に反論」である。しかるべき場所で、しかるべきタイミングで、しかるべき手続きで反論しなければ、「そういう政府だ」と見られることになる。日本政府はこういうことが非常に多い。日本外交官が無能なことは今更言うことではないが、それにしても、酷い。


ジュネーヴのヴィーナス像


ジュネーヴ美術歴史館は常設展と企画展だった。

常設展は、近世の宗教画に始まり、近代絵画がずらり。地元スイスやその周辺の画家と、西欧各地の画家の作品が混在している。地元はまずはアルプスの山岳絵画、そしてレマン湖をはじめとする湖。印象派も小品だが有名画家は2~3点そろっている。ホドラーやバロットン、アリス・ベイリーやジャコメティ。シャガールとピカソ。

企画展は、ローヌ川のローマ遺跡がテーマだった。

フランス南部のアルル地方がローマの支配下に入ると、アルルで地中海に注ぐローヌ川をさかのぼってローマが進軍した。リヨンを経て、紀元前1世紀頃にはレマン湖にやってくる。ジュネーヴにも集落が出来たようだが、レマン湖東側のマルティニにはローマの競技場が残っている。現在のスイス南西部がローマ領となった。シーザーの時代にかかっている。ローマからは、イタリア半島を直接北上してフランス南部に来るコースもあるが、もう一つはスペインからピレネーを越えてきた。アルル地方の支配はそうして実現したようだ。

展示は、レマン湖底、ローヌ川、そして周辺沿岸地域で出土した物で、門柱、レリーフ、彫刻、コイン、メダル、食器、壺、棺等だ。

圧巻は大理石のヴィーナス像だ。高さ2メートル50センチくらいの大理石像、一部欠けているが、かなり良好だ。


夕方は、プレニーの展望台でレマン湖を見下ろした。3月中旬までは小雨や曇りの日が多かったが、ここ数日は見事な青空で雲一つない。目の前は緑の野原、その向こうに林があり、その下にレマン湖の青がたたずむ。視界の過半は青空だ。レマン湖の向こう岸はかすんでいたが。A&Gの明日に架ける橋など歌いながらさわやかな風に吹かれていた。

歴代総理の沖縄観をつぶさに検証


塩田潮『内閣総理大臣の沖縄問題』(平凡社新書)

吉田茂、芦田均、佐藤栄作、大平正芳、宮沢喜一、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎、鳩山由紀夫、そして安倍晋三にいたる歴代総理が、沖縄にいかに向き合ってきたかを検証している。前半は沖縄返還問題であり、後半は現在の米軍基地問題である。大筋はみな知っていることだが、その都度、総理がいかなる情勢、いかなる情報の元、どのように行動したかを、エピソードを交えて叙述している。

総理の立場から問題を見て、解決策を求めるので、どの総理もそれぞれの善意で、最善を尽くしていたかのような錯覚に陥る面もないではない。

安倍政権は、アベノミクスや集団的自衛権に力を入れて、沖縄問題に優先的ではなかったのが、ここへ来て重大問題になっている。それならば、と塩田は最後に言う。

「結果重視の安倍が本気で『政治の責務』を意識するなら、『沖縄問題は内閣の最重要課題』と公言した橋本を手本に、沖縄問題の政策的優先順位を格上げして、沖縄とのハートフルなネットワーク作りも含め、総力結集態勢を構築しなければならない。」

「何よりも民主主義に対する深い理解と『沖縄の民意との結託』という道を選択する柔軟さが安倍政権に求められる。問われているのは、内閣総理大臣の沖縄問題に取り組む識見と力量である。」

もっともだが、ないものねだりである。

Thursday, March 21, 2019

「こころ」の謎に迫る脳科学


櫻井武『「こころ」はいかにして生まれるのか』(講談社ブルーバックス)


覚醒を制御する神経ペプチド「オレキシン」の発見者で脳科学の第一人者による新書だ。

大脳皮質の認知機能、大脳辺縁系による記憶と常道の制御機構、そして報酬系の機能などをわかりやすく解説しながら、その「システム」から「こころ」が生まれることを示している。

「こころ」自体は、科学の対象とは言えないようだが、脳の機能が発達して、人間特有の「こころ」ができあがり、科学と文学の交差領域にあるのかもしれない。

脳の情報処理システム、「こころ」と常道の関係、脳内報酬系の謎、神経伝達物質の多様性など、知らないことばかりだ。とても理解したとは言えないが、現代脳科学がどんなことに関心を持って研究を進めているのかがわかっておもしろい。個別のエピソードは理解できるが、構造と機能の中身に立ち入ると素人には難しい。


本書カバーの表紙には、舟越桂の彫刻「山と水の間に」(1998年制作)が使われている。舟越の独特の彫像は、まさに物体に過ぎない彫刻作品に感情が宿るかのごとき錯覚を与える。どれも静謐なイメージで、およそ躍動感からは遠いのに、いまにも眉や眼が動くのではないか、唇が何かを言いたそうだ、と思わせる。表紙にこの作品を使ったのは、著者の意向だろうか、編集者の判断だろうか。いずれにせよ、本書の表紙にふさわしい。舟越とは同僚なので、ちょっと嬉しい。

赤十字の刑務所展


国際赤十字(ICRC)の博物館は、常設展と企画展だった。

常設展「人道主義の冒険」は、赤十字の由来、活動の主な内容に関する資料、証言などの構成。何度か組み替えたり、新たに加わっているが、基本的には赤十字の歴史なので基本はずっと変わらない。

ソルフェリーノの戦いにおけるアンリ・デュナンの活動、その後の赤十字結成、赤十字旗の由来、第一次大戦における名簿カードとメッセージカード、第二次大戦を経て、ルワンダ・ジェノサイドにおける写真カード、そしてコンピュータによる情報管理に至る救援活動の基本。世界的組織とは言え、やはり元は欧州中心なので、朝鮮戦争やヴェトナム戦争はほとんどでてこない。

証言は、戦争や地震や飢餓の中で、難民となった人物、救援活動に加わった人物、国際刑事裁判所に訴追する役割を果たした人物などの証言。3.11以後、東北地方で遺体の歯を調査し、身元情報を確認し、遺体を家族の元に送る作業をすすめた歯科医の証言もある。9カ国語の解説があり、日本語もあるので便利。

企画展「刑務所」は、文字通り「刑務所とは何か」の展示だ。
真っ先に、ベンサムのパノプティコンの図版と解説があり、イギリスやフランスの古い刑務所の写真や図面が展示されている。一望監視装置による被収容者管理の思想が分かりやすく示されている。日本の刑務所も、府中、横浜、千葉など、以前はみな同じスタイルだった。

次に刑務所における処遇と生活の様子だ。

とても興味深かったのは、「刑務所の音」だ。舎房のモデル室に入ると、無機質な壁と床のみで何もない空間だが、音響が流れる。物がぶつかる音、金属音、誰かの呟き、意味不明の叫びが入り交じった雑多な音だ。うるさい。これが、はじめて収容された受刑者が耳にする音。一般生活の中での生活音との違いがわかる。

もっとも、日本の刑務所は違うかもしれない。ここ30年ほど、国際人権法の世界に報告されてきたように、日本の刑務所のキーワードは静寂と沈黙だ。音を立てない静かさ、会話を禁じられた世界。懲役囚の工場での作業は別として、舎房では静寂が求められる。

展示は、刑務所暴動のコーナーもあった。他方、刑務所内暴力も、まずは拷問被害者の写真と拷問用具。政治犯に対する厳しい処遇。また、女性収容者に対するレイプ。

他方、被収容者の工作やアート作品も展示されていた。最後に修復的司法の解説があった。刑務所展は英語とフランス語のみ。

入り口に戻って売店を見ると、デュナンや赤十字の本と並んで、ミシェル・フーコーも売っていた。

Tuesday, March 19, 2019

国連でアイヌ民族遺骨返還問題を訴える


 19日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会40会期の議題9「ダーバン宣言フォローアップ」で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、アイヌ民族遺骨返還問題について、おおよそ次のような発言をした。

<先住民族アイヌの遺骨返還をめぐる最近の状況を紹介する。日本の医学者たちが1930~40年代、北海道各地のアイヌ共同体の墓地から遺骨を持ち出した。

 少なくとも1700の人骨が、医学者の調査活動によって盗まれ、80年間、返還されないままである。これらの人骨はいまなお国立の北海道大学、東京大学等々に保管されている。仮に研究目的だったとしても許されないことである。

 アイヌ民族は1980年以来、遺骨返還を求めてきたが、北海道大学は返還を拒んでいる。それゆえ、アイヌ民族は遺骨返還を求めて札幌地裁に6つの訴訟を提起してきた。

 国連先住民族権利宣言12条は、遺骨の返還の権利を定めている。2018年9月26日、人種差別撤廃委員会は、これに関心を示し、雇用、教育、公共サービスにおけるアイヌ差別があり、アイヌ民族の言語や文化伝統の保護が十分でないとした。

 日本政府は、アイヌ民族の宗教的権利を保護する措置をとるべきである。>


議題8が終わってすぐに議題9になった。議題9は発言する国が少なかったため、NGOの発言も比較的早く始まった。予想よりも早く発言することになった。


人権理事会でアイヌ民族遺骨問題をアピールしたのはたぶん初めてではないだろうか。先住民族作業部会や人種差別撤廃委員会には報告してきたが、人権理事会本会議ではアピールしてこなかったように記憶する。私の知らないところで発言した例があるかもしれないが。

他方、アイヌ新法について一言ふれたかったが、うまく入れられなかた。


同じ日に琉球民族遺骨問題とアイヌ民族遺骨問題の両方を発言できたのは良かった。

国連で琉球民族遺骨返還問題を訴える


19日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会40会期の議題8「ウィーン人権宣言フォローアップ」で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、琉球民族遺骨返還問題について、おおよそ次のような発言をした。

<昨年12月4日、5人の琉球先住民族が、琉球の墓地から持ち出された遺骨の返還を求めて、遺骨問題について京都地裁に提訴した。少なくとも26の人骨が墓から盗まれ、90年間返還されていない。仮に研究目的であっても許されないことである。この琉球人遺骨は、1928~29年に琉球で調査を行った日本人人類学者によって持ち出され、いまなお京都大学が保管している。

 さらに33の琉球の人骨が国立台湾大学に保管されている。これらは琉球諸島から持ち出されて返還されていない遺骨問題のうちの二つの事例に過ぎない。

 1879年の日本による強制併合と植民地化のため、琉球人は国家のないマイノリティとなり、差別にさらされてきた。琉球は日本領土の0.6%にすぎないのに、米軍基地の70%以上が意志に反して琉球に置かれている。

 さらに、日本政府は沖縄島北部の辺野古に新しい軍事基地建設を暴力的に進めている。

 2018年9月26日、人種差別撤廃委員会は、日本政府に、琉球人を先住民族と認め、その人権を保護し、米軍基地の兵士による暴力から琉球女性を保護するように勧告した。>


議題8の審議は18日に終わるはずだったが、長引いたため、私の少し前で終わった。19日朝早くに発言することになった。待つ時間が長引いたのと、朝一番はまだ各国外交官が揃わない時間だったのが残念。


琉球民族遺骨返還問題を国連人権理事会に報告したのは初めてのことだろう。これまで先住民族作業部会には報告されているだろうし、昨年8月の人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査に向けてNGOが提出した報告書には載っていただろうが、人権理事会本会議に報告されたことはなかったと思う。

ここ数年、人権理事会には琉球関連の発言が続いている。たとえば2015年9月には翁長雄志知事が発言した。2017年3月には、山城博治さんの釈放を求める発言があった。

Monday, March 18, 2019

戦後思想史の体験・記憶・対話に学ぶ


清水多吉『語り継ぐ戦後思想史』(彩流社、2019年)


名著『1930年代の光と影』の清水だ。

『ベンヤミンの憂鬱』の清水だ。

ハーバーマスの『社会科学の論理によせて』『史的唯物論の再構成』『討議倫理』の翻訳の清水だ。

著書を通じて数多くのことを学ばせてもらった碩学の、「体験と対話から」語り継ぐ時代の証言である。

僅か215頁の著書に、数々のエピソードが詰め込まれている。目次を見るだけでため息が出そうになる。

登場するのは、福本和夫、吉本隆明、中野重治、日本浪漫派、『新日本文学』と『近代文学』の作家たち、わだつみ世代の村上一郎、三島由紀夫、埴谷雄高、全共闘世代、芳賀登、廣松渉、藤原保信等々。

西欧知識人では、ブレヒト、ブロッホ、マルクーゼ、ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマス、ルーマン、ホネット、ドルーズ、リオタール等々。

こうした知識人の著作や対話を通じて、戦後思想史を描き出している。そこでは、ソ連型マルクス主義崩壊後の現代史における主体形成、社会編成、そして権力をめぐる論戦が様々に形を変えて解き明かされていく。

『1930年代の光と影』の著者のメッセージは、次のようにまとめられる。

<昭和が終わり、平成が代替わりしようとしている現在、

安穏に見える無関心の人たちに支えられた民主主義政治が成り立っている。

かつて世界を二分した熱い戦争の悲劇から、

冷たい戦争の時代を経る過程で、さまざまな思想の葛藤があり、

それに伴う行動があった。

今、世界の政治は

いわゆる「ポピュリズム」(大衆迎合主義)の傾向を強め、

ナショナリズムと分断に誘うリーダーが幅を利かせている。

社会主義体制は内的に自壊したが、

ファシズムは軍事的に敗れたのであり自壊したのではない。

種子がある限り蘇る可能性があるのだ。

本書は、新時代への危惧と次世代への問いかけを含む好著である。>

行間に込められた思いを十分に受け止めるだけの能力がないが、それでも非常に勉強になる著作である。


気になるところもないではない。

ケアレスミスの誤植があるのはともかくとして、その一つが、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を「昭和六一年に発表された」としていることだ(60頁)。これが躓きの始まりだ。「一九六一年」に訂正すれば済む話ではあるが、なぜ元号なのか。清水は西暦と元号を併用し、あるときは元号で、あるときは西暦で表記している。そして本文最後に次のように述べる。

「この『平成』という時期は、あの『大正』期十五年の倍の長さを持ったにも拘わらず、『大正』期の誰しもが感ずる『大正期らしい生きられた思想』に匹敵するものを、生み出さなかったのではあるまいか。」(212頁)

元号を用いていることを直ちにとやかく言う必要はないだろう。ハーバーマスの話の所では西暦を用いて、福本和夫の話の所では元号を用いるのは合理的と言えるかもしれない。

だが、著者は時代区分も元号に従っている。大正や昭和や平成の思想を語る姿勢である。そのことも必ずしも批判されるべきことではないだろう。

だが、やはり気になる。大いに気になる。なぜか。

最大の理由は、本書には天皇も天皇制も登場しないことだ。

コミンテルンの31年テーゼと32年テーゼの比較をするとき、清水は、社会主義革命か民主主義革命かの論点だけに絞り込む。天皇制については語らない。

日本浪漫派や三島由紀夫についてふれることはあっても、天皇制には及ばない。

1989年の激変に世界史の転換を見て、思想史のエポックを画するという位置づけをするが、焦点化されるのは壁が崩壊したことだけであり、朕が崩御したことではない。

清水が天皇及び天皇制に関心のないはずがない。それどころか、語るべき多くを抱え込んでいるはずだ。にもかかわらず、本書で清水は天皇及び天皇制への言及を徹底的に排除した。慎重かつ周到に排除した。

なぜなのか。

「社会主義体制は内的に自壊したが、ファシズムは軍事的に敗れたのであり自壊したのではない。」という言葉にすでに込められているというのだろうか。

それとも、清水は最後にもう一冊、『語り継がれなかった戦後思想史』を世に問う腹案を持っているのだろうか。大いに気になる。


目次

はじめに──忘れられて行く価値 忘れられない価値

第一章 「転向」の諸相

第一節 様々な獄中体験

第二節 ゴーリキーの不可解な死

第三節 いわゆる「転向」「コロビ」

第二章 戦争直後の世代

第一節 『新日本文学』vs.『近代文学』

第二節 「わだつみ世代」の反応

第三節 更に「遅れてきた世代」の受けとめ方

第三章 「自同律の不快さ」

第一節 つまり「私が私であることのこの不快さ」

第二節 「異化作用」

第三節 「ハムレット」劇を例として

第四節 エルンスト・ブロッホ訪問

第五節 フランクフルト大学を尋ねて

第四章 叛乱の季節

第一節 西欧の「学生叛乱」

第二節 日本の東大・日大闘争

第三節 西欧の叛乱学生の資質

第四節 ルガーノ湖畔にホルクハイマー訪問

第五節 『啓蒙の弁証法』の読み方

第六節 テロ事件に直接遭遇

第五章 ニューヨークからミュンヘンへ

第一節 「寺子屋教室」の思い出

第二節 ニューヨーク・ホウフストラ大学での講義体験

第三節 ピストル武装の学生に守られてのニューヨーク見物

第四節 ワーグナーを求めてバイロイトへ

第五節 シュタルンベルクにハーバーマスを尋ねて

第六章 「権力」への問い

第一節 福本和夫、再び

第二節 ルーマンvs. ハーバーマス

第三節 ホネットの『権力の批判』

第四節 フーコーの微視的「権力論」

第五節 フランス哲学への問い

第七章 社会主義体制の自滅

第一節 ソ連での不快な思い出

第二節 東ベルリンでの恐怖の思い出

第三節 東欧・ソ連社会主義体制の自滅

第八章 ベルギーのルーヴァン大学から再びベルリンへ

第一節 リオタールあるいはドゥルーズ批判

第二節 ベルギー、ルーヴァン大学での意見発表

第三節 再び「壁」崩壊後のベルリンへ

第四節 かけがえのない私の友人 廣松渉氏、藤原保信氏の死

第五節 ドゥルーズ、レヴィナス、ルーマンの死。そしてわが友 矢代梓氏の死。

終 章 テロとともに始まった二一世紀

Sunday, March 17, 2019

ラディカル・デモクラシーの可能性を求めて


シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店、2019年)

ポピュリズムが世界を席巻し、ナショナリズムが肥大化し、人権軽視とマイノリティや難民の排除が進行している。アメリカのトランプ現象、フランスのマリーヌ・ルペン・・・という議論をしてきたが、ムフによれば右派ポピュリズムに関する認識の一面性の陥穽があるという。ポピュリズムは右派・左派を問わない。左派にもポピュリズムの歴史と現在があり、その将来を探る必要がある。

ギリシャのシリザ、スペインのポデモス、アメリカのサンダース、イギリスのコービン、フランスのメランションに注目するならば、西欧諸国における新しい左派ポピュリズムが成長していることも確認できる。そうであれば、オリガーキー(少数者支配)に立ち向かう左派ポピュリズムの可能性を追求しなければならない。それは民主主義を回復・深化させるためのラディカル・デモクラシー戦略を伴わなければならない。

オリガーキーに対する不信、政治家や官僚など一部の特権層による政策形成への異議申し立ては、左派よりも右派ポピュリズムのほうが先に対案提示に成功した面がある。しかし、そこで浮動した世論は右派・左派の対抗軸で動いているわけではない。左派ポピュリズムが彼らの要求を掬い、政策形成に活かしていかなくてはならない。今がそのチャンスであり、ここを逃せば左派には可能性が閉ざされてしまうのではないか。

「ポピュリズムが民主主義を強化するための政治戦略を与えてくれることがわかれば、現在の西欧の状況において、この用語を積極的に定義しなおすことがいかに重要であるかを理解できるようになる。これにより、新自由主義的秩序への対抗ヘゲモニーの政治形態を創出できるようになるのだ。ポスト・デモクラシー期において、民主主義の回復と根源化が検討課題として提起されるとき、ポピュリズムこそがこの情勢に適した政治的論理となる。なぜなら、それは、民主主義に必要不可欠な次元として、民衆(デモス)を強調するからである。人民と少数者支配のあいだに政治的フロンティアを構築する政治戦略と捉えれば、ポピュリズムは、民主主義をコンセンサスと同一視するポスト政治的な考え方に異議を申し立てるものとなる。」(109頁)

「ポピュリスト・モーメントを、単にデモクラシーにとっての脅威としてみるのはなく、民主主義の根源化に向けたチャンスでもあると認識することが急務である。この機会を活かすためには、政治が本性上、党派性を帯びたものであり、『私たち』と『彼ら』のあいだには、フロンティアの構築が必要であると認めなければならない。民主主義の闘技的性格を回復することのみが、感情を動員し、民主主義の理想を深化させる集合的意志の創出を可能にするだろう。このプロジェクトは成功するだろうか? もちろんここには何の保証もない。しかし、現在の情勢が生み出したこのチャンスを逃してしまうことは、深刻な過ちになるだろう。」(113頁)

訳者は、ムフが国民国家を重視していること、左派ポピュリズムもナショナリズムを強調し始めていることを指摘している。その上で「左派ポピュリズム勢力に求められているのは、制度外からの批判的視点をとり込み、つねに自己変革する主体としてあることだろう」という。どうやら、「良いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」の間に線を引くことになるらしい。

カタロニア独立デモに参加して


3月16日午後、マドリッドでカタロニアの自由を求めるデモに参加した。

王宮と国会を眺め、スペイン広場でドン・キホーテとサンチョ・パンサの像(セルバンテスの像)を見る。続いてふらふらと裁判所を通り抜けてコロンブスの像に向かって歩いた。 「スペインの植民地主義」などと呟きながら歩いていると、ジェノヴァ通りでデモ行進にぶつかった。

ニュースで見覚えのある黄と赤の旗が林立する。

「カタロニアに自由を」の叫び。

みんな、勝手にわいわい言いながら、歩いている。ざっと1000から2000の間だろうか。警察が出て交通整理をしながらデモ隊を通している。

SOM REPUBLICA CATALANA

最初は写真をとっていたが、いつの間にかデモの中に入ってしまった。

カタロニアに自由を

カタロニアに自由を

コロンブスの像を過ぎると、ゴヤ通りだ。デモ隊はカステリャーナ通りからレコレートス通りに出て、シベーレス広場のほうへ行くという。地下鉄コロン駅前から南へ向かって歩く。

いろんなスローガンがあったが、わかったのはこれだけ。

カタロニアに自由を

カタロニアに自由を

ダヴィドという男性に聞いた。EUが認めないので独立は無理だが、自治権拡大を。

隣の女性は、独立しか道はないのよ!

ともあれ、

カタロニアに自由を

カタロニアに自由を

と叫んでいるうちにシベーレス広場だ。公式にはここで終わりらしいが、どんどん前進するデモ隊もいた。私はここで抜けてコロンブスの像に戻り、東へ折れてゴヤ通りを歩き、ヴェラスケス通りの近くのホテルを探した。初めての町で小さなホテルを探すのは苦労することが多い。今回もネットで予約したミニ・ホテルは裏通りで、看板も出ていなかったので、プレートを見つけるのに時間を要した。


ちょっとマドリッドをお散歩しようと思って来ただけで、カタロニア独立デモに出会えるとは思っていなかった。


昨年11月の『マスコミ市民』に掲載してもらった文章を貼り付ける。

***

カタルーニャはどうなっているか



住民投票一年



 九月二九日、毎日新聞は「カタルーニャ混迷続く」と題して住民投票一周年を迎えようとするカタルーニャの状況を報じた。「独立問題を巡り国と州の分断が続くなか、スペイン中央政府のサンチェス首相は自治州政府との緊張解消を図るが、トラ州首相は『独立』にこだわり、長引く混乱が終息する道筋は今も見えていない」という。

 昨年一〇月一日に実施された住民投票、中央政府による弾圧、独立派のリーダーとされたプッチダモンのベルギー亡命、スペイン政府からの引渡し要求をめぐる政治的駆引きと続いた政治劇の末、一周年を迎える今も政治的経済的な利害関係が錯綜するなか、カタルーニャでは次へ向けた動きが始まっているようだ。そのことを教えてくれたのは、市民の呼びかけによって一〇月五日に開催された「フォーラム『自己決定』をめぐって――カタロニア・沖縄」(於・日比谷図書文化館)であった。

 シンポジウム冒頭、一〇〇〇年に及ぶカタルーニャの歴史を、共和制を求める市民の運動という観点から整理がなされた。続いて、アドリア・アルジナ(ANC全国書記、ヴィック・カタルーニャ中央大学教員)の講演「仮想のカタロニア共和政の一年、そして次は?」が行われた。

 アルジナによると、カタルーニャは分断されているように見えるが、分裂していたわけではない。独立派は住民投票実施に誇りを感じ、一定の満足を覚えている。憤激したのは、独立の可否問題ではなく、政府による警察暴力を用いた問答無用の弾圧である。特に他の地域から導入された警察の暴力はまるで戦争のようだと感じられた。にもかかわらず、フェリペ六世は警察を賛美し、カタルーニャ人を犯罪者のように扱い、仲介役を投げ捨てた。住民投票すら許さない姿勢は民主主義を踏みにじるものと受け止められた。



国民国家の耐用年数



その後もメディアを使ったプロパガンダ合戦が続いている。カタルーニャ議会は圧倒的多数で独立を可決したが、カタルーニャ政府はこれを承認せずに議会を閉会とした。スペイン下院はカタルーニャの自治権剥奪を決定した。こうした事態を前に、市民が立ち上がり共和国防衛委員会を設立し、路上に繰り出して強力なデモが始まった。政治犯が勾留され、政治家だけでなく市民団体メンバーも逮捕され、あるいは亡命を余儀なくされた。

これから統一地方選挙となり、バルセロナ市長選挙が行われる。ANCは、行き詰まったら元に戻って、もっと民主主義を、と訴えている。

続いて松島泰勝(龍谷大学教授)が、カタルーニャとの比較を踏まえながら、琉球独立運動の現状を報告した。自己決定権を基軸に国際法を活用した独立論を展開し、自分たちの納得する政治的地位と自立経済を獲得する市民の闘いが強調された。

近代国民国家というプロジェクトを産み出した西欧諸国は、二一世紀の現在、プロジェクト解体の危機に直面している。一方で、EUという上からの越境システムを構築することによって国民国家を前向きに乗り越える作業が続いてきた。しかし、二つの大いなる挑戦に遭遇して立ち往生している憾がある。

第一の挑戦は中東やイスラム圏からの難民や移住者の大量移入問題である。これは単に外部から西欧への流入ではない。近代国民国家を創設する際に外に排除した残余が逆流入してきたのであり、自らまいた種に悩まされていると見るべきだろう。

第二の挑戦は自己決定権の「再発見」による独立運動である。スコットランド、カタルーニャ、そしてバスク。ベルギーも南北対立から政治的分裂の危機に直面した。ドイツの政治も激しい流動化を呈している。近代国民国家という擬制が、西欧諸国を自家中毒に追い込んでいる。これもまた自らまいた種である。

果たして国民国家の耐用年数は尽きようとしているのか。「明治一五〇年」を神話と帝国と経済成長の夢で粉飾するこの国で、先住民族、マイノリティ、自己決定、東アジアというキーワードを下から賦活する思想は真のエネルギーを手にすることができるだろうか。


Friday, March 15, 2019

右派ポピュリズム・過激主義に対処する討論


国連人権理事会は、15日、ナショナリスト・ポピュリズムや過激優越主義者の台頭に対処するための討論をおこなった。事前に準備されていた討論だが、ちょうどニュージーランドでモスク銃撃事件が起きた。このため開会時に犠牲者のための黙祷が行われた。

冒頭にミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官があいさつ。ダーバン宣言とラバと行動計画の重要性を指摘した(どちらも日本ではあまり知られていないが)。

パネラー

シセンビル・ノンバリ・ンベテ(南アフリカ・プレトリア大学講師)

ペドロ・マルセロ・モラチアン(アルゼンチン・ガバナンス研究センター事務局長)

ラファル・パンコフスキー(ポーランド・「二度と繰り返さない」協会)

イレーヌ・サンティアゴ(フィリピン・ダバオ市長平和アドヴァイザー)


各国政府の発言では、最初にニュージーランドが、事件を簡潔に報告し、犠牲者に思いをはせ、NZはキリスト教徒にもイスラム教徒にも同じ大きな家でなければならない、全ての人が愛されるべきであり、ヘイトに居場所はないし、あってはならない、と述べた。

オマーンは、テロには国境はなく、宗教もない。ダーバン宣言に立ち返るべき、と述べた。

アンゴラは、アフリカ各国を代表して、NZで起きたことは世界で繰り返されてきたことだ、国際協調で対処、と述べた。

コスタリカは、ナショナリスト・ポピュリズムは時と場所によって多様な形態をとるので、これと闘う戦略も多様でなければならないとした。

EU、バーレーン、パキスタン、リビア、サウジアラビア、イラク、スペイン、ロシア、エクアドル、パレスチナ、チュニジア、レバノン、ガンビア、イラン、南アフリカ、ブラジル、インド、スペイン等が、次々と発言した。いずれも事件を非難し、犠牲者に思いをはせ、NZを励まし、パネラーに感謝を述べ、ヘイトや過激活動への厳しい対処の必要性を指摘した。テロ、ヘイト、過激主義との闘いを、国連と各国の協調で実施していこうという雰囲気作りがなされた。

こういう時に、知らん顔して黙っているのが日本政府だ。

ブラジルは、ヘイト・クライムやヘイト・スピーチは民主主義そのものへの攻撃であり、これと闘い、マイノリティや先住民族を守ることが政府の責任である、と述べた。いつも私が言っているのと同じだ。日本では受け入れられないが、国際人権法の世界では常識と言ってよいだろう。

Thursday, March 14, 2019

シャガールのブーケ――ロモン城


ロモンは丘の上にある。

10年くらい前に来たときは青空に浮かぶ城が揺れて見えた。今日は小雨で、時々風が強くなるので、城は見えない。スロープを上り、階段を上る。前を猫が横切る。また、階段を上ると、広場に出る。その向こうがロモンの町の真ん中、ロモン城だ。

城は現在、ステンドグラス博物館になっている。スイス及び周囲の地域の古いステンドグラスの多くは、教会に置かれたもので、聖書や神話の物語を刻んでいる。マリアやイエス、あるいはアダムとイヴも。19世紀後半以後は装飾グラスになる。あたかも抽象画のようなデザインが増えていく。20世紀にはステンドグラス専門の作家が登場する。

ポール・マッカートニーの顔のステンドグラスがあるのは、メアリー・マッカートニーがステンドグラス・ファンで、作品を作っていたからのようだ。

ステンドグラスだけではない。硝子作品も展示されている。さらに、ステンドグラス工房が公開されている。

そして、シャガールのブーケが1点だけ展示されている。マルク・シャガールのステンドグラスと言えば、チューリヒの聖母教会だ。何度か見に行った。聖母教会と比べると、ロモンのブーケは、本当に完成作品なのかな、と思えるところもあって、見劣りがする。とはいえ、シャガールはシャガールだ。


St-Saphorin, Bourg de Plait, 2016.

ユーラシア史のダイナミズム


岡本隆司『世界史序説』(ちくま新書)


西欧中心主義にとらわれた私たちの世界観を反省し、新たな視座を提出する試み。著者は中国史研究者だが、本書ではユーラシア全体の文明史を総合的に展開する。

第1章      アジア史と古代文明

第2章      流動化の世紀

第3章      近世アジアの形成

第4章      西洋近代


古代から始まる前近代のユーラシア史は、文明のはじまり、遊牧と農耕と都市の意義、世界宗教の登場(キリスト教、仏教、イスラム)、中央アジアとトルコ、そしてモンゴル帝国によって特色づけられる。中央アジアやオリエントと呼ばれた地域の2000年を超える激動の歴史である。

この視座から見ると、西欧は歴史の周縁、僻地であり、主役ではなかった。それが大航海時代、植民地分割、宗教革命、産業革命によって西欧資本主義が形成され、世界史をリードする形になった。

同様に、極東の日本も世界史の外にいた。それが近世近代において、世界史に登場し、西欧的思考を取り入れながら、周辺諸国に影響を与える存在となっていった。

今日、西欧中心主義は、「あらゆる学問の本質に埋め込まれている」。このことを自覚しつつ、学問に向き合う必要がある。

ここから、日本史とアジア史と世界史に向けた意欲的な方法論の模索が始まる。


著者の世界史にはアフリカの大半とラテンアメリカやオセアニアは含まれていない。その点では、世界史と言っても限られた視座にとどまるが、それでも従来の世界史とは異なる地平を提示していると言えよう。

かつて増田四郎の世界史は地球規模での海洋の世界史という側面があったと記憶するが、岡本世界史はユーラシアの陸の世界史が海に進出する過程を対象としている。

Wednesday, March 13, 2019

国連で日本のヘイト・スピーチを訴える


13日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会40会期の議題5「人権メカニズム」で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、日本のヘイト・スピーチについて、おおよそ次のような発言をした。



<マイノリティ問題の特別報告者フェルナンド・デ・ヴァレンの報告書(A/HRC/40/64)を歓迎する。これに関連して、日本におけるヘイト・クライムとヘイト・スピーチの最近の状況を紹介したい。

 昨年の東京メトロポリタン放送の琉球における人権活動家に関する番組には放送倫理に対する重大な違反があった。番組は辛淑玉さんを中傷した。彼女は在日朝鮮人で、著名な人権活動家である。番組は、彼女や琉球の人々を「テロリストだ」とレッテルを貼って誹謗した。番組には虚偽と差別的情報が含まれている。それゆえ、琉球の人々と在日朝鮮人に対する人種差別を煽動した。

 在日朝鮮人ジャーナリストの李信恵さんもインターネットで人種主義集団から攻撃されてきた。彼女は数年間、オンライン・ストーキング、オンライン・セクシュアルハラスメント、「晒し」や「荒し」の被害を受けてきた。昨年11月、大阪高裁は、人種主義集団の「在特会」に損害賠償を支払うよう命じた。彼女は「保守速報」に対する裁判も起こしている。

 オンライン暴力の被害結果は、特にジェンダー化されており、女性と少女が特定の烙印を受ける被害を被ってきた。オンライン暴力を受ける女性は有害で否定的なジェンダー・ステレオタイプの被害を受けている。

 2018年9月26日、人種差別撤廃委員会は日本政府に、人種差別を禁止する包括的立法を行い、インターネット上のヘイト・スピーチと闘う効果的な措置をとるよう勧告した。

 しかし、日本政府は表現の自由などと称して、ヘイト・クライムとヘイト・スピーチを予防する措置をとっていない。>


議題5では、マイノリティ・フォーラム報告書、民主主義と法の支配報告書等が報告され、政府の発言に続いてNGO発言だった。13日に回ってくるとは思っていなかったので、慌てたが、無事発言できた。私の前後のNGO が何人も欠席していたのは、まさか今日回ってくると思っていなかったからだろう。

ここ数年、日本のヘイト・スピーチの状況を報告してきた。人権理事会のUPRや、人種差別撤廃委員会でも改善勧告が出されてきたが、日本国内では相変わらず「マジョリティがマイノリティにヘイト・スピーチをする表現の自由」を唱える憲法学者やジャーナリストが多数いる。

「マジョリティがマイノリティにヘイト・スピーチをする表現の自由」と明確に書けば、「いや、私はそんなことを主張していない」と弁解するが、多くの憲法学者が唱えているのは「マジョリティがマイノリティにヘイト・スピーチをする表現の自由」以外の何物でもない。この状況を変える必要がある。

国連でフクシマを訴える


13日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会40会期の議題4で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、ふくかな(福島原発神奈川訴訟)について、次のような発言をした。



<一昨日、3月11日は東日本大震災と津波の8周年であった。昨日、3月12日は福島原発のメルトダウン8周年であった。1986年のチェルノブイリに匹敵すると言われる福島危機の後、およそ16万もの人々が逃げた。本年1月時点で、3万2000以上の人々が福島県外に避難したままである。彼らは国内避難民(IDPs)にあたる。

 2月20日、横浜地裁は、日本政府と福島原発運営会社に対して4億1900万円の損害賠償を命じた。175人の原告のほとんどは、原発事故の後、福島県から東京の近くの神奈川県に避難することを余儀なくされた。自宅に帰りたいが、放射能汚染のために帰ることができない。

 横浜地裁は、専門家の検討によれば、政府は2009年9月には予見できたので、核事故を防ぐことができたと結論づけた。判事は、9世紀に発生したのと同じ大規模津波が再びこの地域を襲い、電源喪失を惹起するであろうと説明した。

 横浜地裁の賠償命令は、東京電力に対する8番目、日本政府に対する5番目の命令である。にもかかわらず、日本政府はこれまで5つの裁判所の命令を拒否している。

 国内避難民(IDPs)に援助と保護を提供するのは、国際法における政府の責任である。国連人権理事会が日本における国内避難民の状況を監視し、検討するよう要請する。>


3月11日から13日にかけて、人権理事会は議題4の審議を行った。議題4は、人権理事会が特に関心を有する国家・地域の人権状況を取り上げる。

このためシリア、ミャンマー、イラン、南スーダン、朝鮮、ブルンジ、エリトリアなどの人権状況が報告された。

各国政府の発言の中では実際には、圧倒的にベネズエラとカシミールの話が多かった。最近の事態だからだ。それに続くのは、イスラエル/パレスチナ、イエメン、中国の状況だった。もっとも、日本のマスコミは「北朝鮮問題」だけを報道するだろう。

欧米諸国からの非難に対して、ベネズエラは、アメリカによる内政干渉を訴えた。イエメン、キューバ、ボリビアなども欧米諸国の発言は政治目的であり、普遍性に欠けると批判した。中国は、アメリカこそ人権侵害大国であり、いまやイギリスやドイツのヘイト・クライムは最悪であると主張した。朝鮮は、欧米諸国のダブルスタンダードを批判し、「イギリスは人種差別が悪化しているし、ドイツではネオナチまがいの集団が大手をふるって活動している。特に日本はひどい。第二次大戦時に20万もの朝鮮女性を性奴隷にしたのに、今だに謝罪も補償もしていない」と述べた。日本政府は反論権を行使しなかった(人権理事会の場で批判された政府には反論権が認められている)。日本のマスコミはこの事実を報道するだろうか。

Monday, March 11, 2019

パウル・クレーと動物展


パウル・クレー・センターは「クレーと動物」展だった。2つある展示ホールの1つは閉鎖されていて、いつもは2種類の展示のところ、今回は1つのみ。入場料が安くなっていた。



クレー作品の中の動物を取り上げて、クレーが人間と動物をどのように対比したり、重ね合わせたか、人間と動物の差異をどのように表現したかを考える展示だ。



10ブロックの構成。「人間化」「動物化」「牛」「人間と動物」「政治パロディ」「ハイブリッド」「自然研究」「魚」「猫」「鳥」。



政治パロディでは、1933年のナチス政権獲得後に迫害され、ドイツからスイスに逃げたクレーだが、この年のスケッチ類には威嚇、暴力、強制などの要素が目立つという。直接的な政治表現をしなかったクレーだが、30年代の作品には幽霊、さまよえる民、そして天使シリーズがある。時代状況をかなり反映している。



もっとも、今回、天使シリーズは展示されていない。指人形も一つもなかった。天使と指人形は世界のどこかを巡回しているのだろう。



猫の絵はおおくはないが、クレーは無類の猫好きだったので、クレー家のアルバムに残された猫たちの写真が展示されていた。



ベルン駅のホールでは、青年達の吹奏楽演奏が行われていた。監獄塔前の路上マーケットスペースでは高齢者中心のバンド演奏だった。

Sunday, March 10, 2019

マルティニの印象派展とフレディの像


マルティニのジアナダ財団美術館に行ってきた。

レマン湖の東南部の小さな町マルティニはローマ時代の町で、遺跡がある。それとジアナダ財団が美術館を置いて、40年間、展覧会を開催してきた。1979年から40年。マネ展、ルノワール展、ピカソ展、ホドラー展といった具合に、超有名作家の展覧会が多い。鉄道とタイアップして、鉄道料金+美術館入場料のセットで、全国から親子や学校単位の見学に来る。今日も大型観光バスのツアー客が来ていた。

今回はOrdrupgaardコレクションの作品展で、大半が印象派だった。ドガ、ドラクロワ、コロー、マネ、モネ、シスレー、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、マチスがずらり。

収穫は、5点。

ドラクロワの「ジョルジュ・サンド」(1838年)

ベルテ・モリゾーの「マリー・ウバール夫人の肖像」(1874年)

モリゾーの「赤い服の少女イサベラ・ランベール」(1885年)

エヴァ・ゴンザレスの「白い服の女性像」(1877-78年)

ゴーギャンの「若いジャンヌの肖像」(1896年)

だ。

エヴァの「白い服の女性像」は、ウイリアム・ジョン・リーチの『日傘』に匹敵する秀作だ。


こういう作品は東京ではなかなか見ることができない。


帰りにモントルーを通ったので、下車してレマン湖岸に出た。湖畔の公園を西へほんの少し歩けば、クイーンのフレディ・マーキュリーの銅像が建っている。モントルーと言えばジャズ・フェスティバルだが、フレディもモントルーがお気に入りだったため、死後に像が建てられた。

湖に向かって立つ像の下には花輪が置かれ、観光客がみんな記念撮影していた。今日は風が強かったので、波が打ち寄せる音が響く。

その中でLove of My LifeSomebody to loveを。

映画『ボヘミアン・ラプソディー』は3回見た。最初は年末に吉祥寺の映画館で。https://maeda-akira.blogspot.com/2018/12/blog-post_28.html

2回目は元旦に京都の映画館で。


3回目は3月1日、成田からコペンハーゲンへの飛行機の中で。これは日本語吹き替えだった。とても小さな画面でもあり、何というか、別の映画だ。


Clemence, Gamaret,Geneve,2016.

ジュネーヴ空港のワイン専門店でお勧めだった。古いのをありがたがるフランスと違って、スイスではできたものから順に呑んでしまう傾向がある。2016がお勧めというのは、元々人気がなくて売れ残りだろう。と思いつつ、格安だったので試してみたら、なかなかいける。フルボディで、かなりの渋みも。今日はついてる。

Saturday, March 09, 2019

セクハラとの闘いが日本を変える


佐藤かおり『セクハラ・サバイバル』(三一書房)


セクハラを受け、仕事も生活も打ちくだかれ、心身ともに追い詰められた一人の女性の闘いの記録であり、再生の物語


第1章では、やりがいを感じて仕事をしていた日々から一転、セクハラの被害にあい当たり前の日常が奪われていく苦悩の日々を

第2章は、人生の転機となるウイメンズ・ネット函館との出会いなどを

第3章は、労災認定を求めて闘う日々を、

第4章では、被害当事者や全国の女性たちの声を受け、国がセクハラ労災認定基準の見直しを行う様子に触れます。

第5章では、退職後も続く精神的後遺症のある期間の補償を求めて行う行政訴訟などを

第6章では、セクハラと闘うパープル・ユニオンを立ち上げ、当事者たちの事例を紹介しながら、今後の課題などについて語ります。


佐藤かおりは、セクハラ被害を受け、会社を辞めざるを得なくなり、セクハラ被害を乗り越えるために懸命の闘いを続けた。会社を辞めれば、心身の調子が良くなるかと言えば、そうではない。悪夢に襲われ、厳しい状況が数年続くのだ。最低に落ち込んだ佐藤を支えてくれたのが、ウイメンズ・ネット函館等の女性たち。佐藤はそこから自己回復の道を歩む。それも順調ではなく、日々、苦難の道である。労災認定や精神的後遺症の補償を求める闘いも決して順調ではなく、何度も諦めかける。それでも、諦めない。その間の苦悩が描かれるが、なぜ闘えたのかも、よくわかる本だ。サブタイトルが「わたしは一人じゃなかった」とあるのはこのためだ。

労災認定、裁判闘争、法改正を求める国会要請・傍聴行動を始め、佐藤はその後ずっと反セクハラ運動の先頭を駆け続ける。自分と同じような被害を受けた女性たちを支え、ともに泣き、ともに闘う。


「おわりに」の最後に、佐藤は書いている。

「そして、暗闇の中にいるかもしれないあなたへ。『あなたはひとりじゃない』と声をかけたい。なぜなら、あなたの痛みは、私たちの痛みにほかならないからです。今は無理でも、いつか一緒に『痛みをちからに』していける日がきます。私がそうだったように。」


「あなたの痛みは、私たちの痛み」の「私たち」はもちろん女性たちである。と、こう書いていることが本当は問題である。「あなたの痛みは、私たちの痛み」と、この社会の男たちが受け止めるような時代にならなければならないからだ。


「女性問題に詳しい法学・医学の専門家が参集」(106頁)という表現が出てくる。山口浩一郎(上智大学名誉教授)らが、その「専門家」らしい。厚労省の専門検討会とやらの専門家である。

セクハラによる精神障害発病について、厚労省は、(1)業務による心理的負荷(セクハラのこと)、(2)業務以外の心理的負荷(家族・親族の出来事も含む)、及び(3)個体側要因(既往症、生活史を含む)の3つの要因で検討する。つまり、セクハラだけではなく、家族の事情や本人の事情で発病するという「予断」が基準になっている。この馬鹿げた基準を支える理論が「ストレス脆弱性理論」という。こういう理論を振りまわす「専門家」がまだまだいるのだ。

もう一度引用する。
「女性問題に詳しい法学・医学の専門家が参集」だ。
どこかおかしくないか。

セクハラ問題で必要なのは「女性問題の専門家」以前に「男性問題の専門家」だろう。セクハラ発生後、セクハラ被害を受けて以後のことは「女性問題の専門家」の重要な役割だ。しかし、なぜセクハラが起きるのか、セクハラ防止にはどうすればいいのか。それには「女性問題の専門家」は不要だ。そもそも「女性問題」の大半は「男性問題」だ。厚労省はこのことを認めないのだろう。だから、佐藤もとりあえず「女性問題に詳しい法学・医学の専門家が参集」と書くしかない。


被害者救済の理論と実践は佐藤たちの闘いによって積み重ねられている。全国で多くの女性たちが奮闘している。同時に必要なのは、加害を未然に防止するための理論と実践だ。例えば、「セクハラ加害者にならないための男性用ガイドブック」。あるいは、「セクハラのない社会をつくるための中学生向けテキスト」「高校生向けテキスト」。

セクハラが深刻な性暴力であることをきちんと明らかにして、暴力のない社会をつくり、暴力を振るわない男をつくる必要がある。
私の「法学」の授業は半期丸ごと「女性に対する暴力」をテーマにしてきた。国連人権委員会の「女性に対する暴力特別報告者」のラディカ・クマラスワミ『女性に対する暴力』を翻訳したときからだから、2000年からだ。でも、セクハラとの闘いの現場にいるわけではないので、国際人権法の入門的知識が中心だ。
もっと現実に即した「セクハラ加害者にならないための男性用ガイドブック」、誰かつくらないかな。

Friday, March 08, 2019

国連で「慰安婦」問題の解決を求める


3月8日、国際女性デーのこの日、国連人権理事会は、人権高等弁務官のHappy Women’s Day発言から始まった。昼休みには国連大学やNGOの国連女性大学が主催して、20カ国が協賛したHappy Women’s Dayシンポジウムが開かれた。協賛は主に欧州とラテンアメリカの諸国だが、アジアからはフィリピンがはいっていた。日本ははいっていないし、参加しなかったようだ。参加者は150名近く。うち40くらいは政府代表か。私の周囲にいたのは、パナマ、ドミニカ、スイス、ノルウェー、モルドヴァ、モンテネグロ、オーストリア、コスタリカなど。


8日午後、議題3で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は次のような発言をした。

<いわゆる「慰安婦」問題、第二次大戦時の日本軍性奴隷制の最近の状況を報告する。1月28日、キム・ボクドン・ハルモニ、92歳がなくなった。ハルモニとはおばあさんである。キム・ハルモニは慰安婦被害者=生存者である。名乗り出た後、彼女は女性の人権と平和を求める活動家になった。3月2日、クク・イェナム・ハルモニ、93歳がなくなった。彼女も被害者=生存者である。彼女たちは1992年以来、日本による謝罪と補償を求めてきたが、謝罪も補償もないまま亡くなった。

2月25日、キュンファ・カン韓国外相は、女性に対する暴力を終わらせようとの主張にもかかわらず、紛争下の性暴力問題が継続していることに注意を喚起した。慰安婦問題について、歴史の真実に基づいた正義を求める被害者中心アプローチを支援する韓国政府の努力について言及した。

われわれは1992年以来、国連人権委員会と人権理事会で日本軍性奴隷制問題の解決を求めてきた。被害者には真実と補償への権利がある。

日本軍性奴隷制は、韓国と日本の2国間問題ではない。それは1945年の日本の敗戦まで、アジア太平洋全域で行われた。被害者は韓国人だけでなく、中国、台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシア、東ティモール、パプアニューギニア、オランダの女性である。国際法の下で、日本には、全ての生存者に補償を提供する責任があり、生存者には補償を受ける権利がある。人権理事会が日本軍性奴隷制の歴史の事実を調査するよう求める。>

Thursday, March 07, 2019

「私たちは右翼の大海原で生きている」


安田浩一『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書、2018年)

『ネットと愛国』『ヘイトスピーチ』『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』の著者・安田が「右翼」の歴史と現在に迫る。

ザイトクに代表されるネトウヨ、ヘイト勢力と、日本会議に代表される「草の根保守」の時代に、日本の右翼とは何であり、どこからどこへ向かっていたのかを検証する。

序章 前史――日本右翼の源流

1章 消えゆく戦前右翼

2章 反米から「親米・反共」へ

3章 政治・暴力組織との融合

4章 新右翼の誕生

5章 宗教右派の台頭と日本会議の躍進

6章 ネット右翼の跋扈


構成は、なるほどジャーナリストならこう書くだろうな、という構成そのものである。ただ、安田は、右翼に関する通念をなぞるだけではない。右翼の代表的論者に取材するだけではない。むしろ、思いがけない人物への取材を挟むことによって、右翼の歴史を右翼の内外から照らし出し、見えやすくする。

おもしろいのは、「我こそ先達なり」と立候補する人物が目立つことだ。教育勅語の朗読と言えば、いまや森友学園が有名だが、もっと前に同じことをやっていた学校側からは、我こそ本家本元なり、の表明がなされる。「どうも森友学園と同じように見られてしまっているようで、困っているんです。」いまは朗読をしていないという。

新右翼についても、我こそ、が登場する。一般に新右翼と言えば、一水会の鈴木邦男氏たちがあげられる。しかし、自分たち、反核防統一戦線こそが新右翼の源流だ、と言いつのる人物もいる。

本家争いにさしたる興味はないが、こういう話をいくつも発掘してくれているので、本書は面白く読める。

もちろん、本筋の、右翼とは何か、新右翼とは何かの問いをめぐる安田の調査と議論も参考になる。

ただ、おもしろいとだけ言っていられないのは、安田は、組織右翼ではなく、ネトウヨの台頭、ヘイトの実態を解明し、「社会の極右化」を描き出している。

「私たちは右翼の大海原で生きている。」

この結語に、読者はたじろぐことになる。

それではどうすれば良いのか。その先を安田は書いていない。
いや、安田はこれまでの諸著においてずっと書いてきたし、これからも書き続けるのだろう。この大海原に、いかに対峙するのか。


REBBIO, Assemblage de Cepages Rouges, Valais, 2017.


部落解放論の最前線(5)


4部「部落解放と人権の展望」は7本の論考から成る。

「現代資本主義をどうとらえるか」小野利明

「『部落差別解消推進法』」友永健三

「部落差別解消推進法の制定と相談体制の整備について」内田博文

「日本国憲法と人権思想」丹羽雅雄

「部落解放論の新たな創造への問題提起」谷元昭信

「差別と人権 展望2017」赤井隆史

「奈良県連がめざす『両側から超える』部落解放運動とは何か」伊藤満

「現在の部落差別をどうとらえ、部落解放をどう考えるか」友永健三


1部から第3部まで多様な視点で部落差別と部落解放について論じてきて、運動論の課題と人権の展望はすでに十分示されているが、さらに第4部で将来に向けての課題を提示している。

部落差別解消推進法の意義と限界については、すでに繰り返し指摘されてきたことだが、限界を指摘するだけではなく、活用方法にも言及がなされている(友永、内田)。

解放の理論としては、部落解放同盟綱領の変遷をフォローした上で、水平社創立100年に向けた大胆な運動転換の議論が呼び掛けられている。特に民主主義の問い直しから解放の理論を再構築する基本姿勢が打ち出されている(谷元)。

同様に、差別撤廃への仕組み作りという関心から、まちづくりとひとづくりの2本柱での取り組みの活性化(赤井)、あるいは、「両側から超える」解放運動の理論と実践が報告されている(伊藤)。

「差別と闘う部落解放同盟型組織と、緩やかにつながるネットワーク型社会運動、加えて共済型地域助け合い運動という三つの仕掛けが求められています。」(赤井)

「私は、歴史的に差別を受けていた部落が存在していたとしても、部落出身者が部落出身であることを明らかにしても、差別されることのない社会をつくることが、『部落が解放された姿』だと考えています。」(友永)


かくして議論は水平社創立時の闘いに直接リンクする。もちろん単に同じ議論をするのではない。100年前の議論とは、「部落を隠したり消したりするのでなく、部落差別の不当性を社会的に明らかにし、部落差別の撤廃を求めていくという方向は、全国水平社創立宣言が主張した方向でもあるのです」ということだ。

100年に及ぶ闘いの中で様々な議論があり、対立があり、時に失敗もあっただろう。だが、そうした実践の積み重ねを通じて鍛えられてきた理論が、本書において全面展開されている。部外者には当たり前に見えることが、闘いの現場で鍛えられた思想と論理として自覚的に打ち出されることに大きな意味がある。本書に学ぶべきことは多い。

Wednesday, March 06, 2019

などてすめろぎはひととなりたまいし


菅孝行『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)

1939年生まれの著者が、新たな視点で三島を読み解く試みだ。80歳、それだけでも感心してしまう。

三島の自衛隊乱入と自刃の謎は、数多くの推測を生み、後世に大きな影響を与えた。市ヶ谷で現場に立ち会った自衛官には何一つ影響を与えることができなかった三島だが、歴史の中で三島の謎はいつまでも語り継がれ、謎解きが続けられている。数多くの著作が世に問われてきた。

本書もその一つだが、論点は明白だ。「天皇への愛憎」である。これ自体は斬新なアイデアではなく、多くの論者が共有してきたはずだが、菅は「天皇への愛憎」という視点で、三島の全生涯をトレースし、主要作品の全てにこの視点が貫通していると喝破し、それゆえ市ヶ谷乱入と自刃の謎もこの視点から解きほぐされる。すべてが合理的に説明できる。つまり、戦後史の矛盾、欺瞞が問題なのだ。

神であったはずの天皇の人間宣言。

最高位の存在のはずがアメリカの僕となりさがった天皇。

人間に転落した天皇を諫め、叱責するため、2・26の磯部浅一は自ら神となった。なるほど、橋川文三、三島、そして磯部にとって、それは「必然」だったろう。

しかし、天皇一族にとってそれはどうでもいいことだった。振り返る必要のない瑣事にすぎない。神だろうと人間だろうとどうでもいい。おめおめとであれ、ぬくぬくとであれ、あらゆるものを振り捨て、引きずり下ろし、蹴落として生き延びることこそが使命だったのだから。アメリカにひざまづき、靴をなめ、沖縄を売り飛ばして、己の安泰を守ることが当然だったからである。そんな簡明なことを理解できなかったのが三島由紀夫だったのではないか。


憂国忌と呼ばれることになったあの日、札幌の中学3年生の私は一人で東京の親戚の家に来ていた。その帰りの上野駅で妙な警備体制を目にして不思議に思ったが、何も知らなかった。東北本線で青森駅に降り立ち、青函連絡船の船中で、大人達が騒いでいるのを見て、三島事件を知った。

直後から書店に三島の本が並べられたので、『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』などを読んだが、当時の私は太宰と安吾に夢中だったから、三島は一応読んでおく作家にすぎなかった。大学時代の乱読の中で『憂国』『豊饒の海』『文化防衛論』等も読んだが、感心しなかった。大学時代の私は戦後文学総漁りの結果、大江と小田実に落ち着いていたから、三島とは疎遠になるばかり。

一水会の鈴木邦男氏が、三島自刃の衝撃から一水会の活動を始め、今日に至るまで思想の基軸に据えていることは理解しているが、当時も今も私にとって、三島は文学者でも思想家でもなく、スキャンダルの主に過ぎない。もっとも、三島自身がそう仕向けたのかもしれない。

菅は、むしろ三島こそが戦後日本の意義と限界の全てを見抜いたのだ、といいたいのだろうが、はたしてどうだろうか。

Tuesday, March 05, 2019

部落解放論の最前線(4)




3部「部落解放の多様な課題」は次の5論文である。

「隣保事業の歴史と隣保館が求められる今日的役割」中尾由喜雄

「戸籍と人権」二宮周平

「部落差別と真宗」阪本仁

「部落民アイデンティティの意義と射程」朝治武

「部落差別の撤廃と国際人権システム」李嘉永


ここでも「多様な課題」と、部落差別に関する問題の多様性が打ち出され、それぞれのテーマに即して、多様性を確認している。「多様性ゆえの困難性」も語られる。第3部は、他の部以上に、異なるテーマ、異なる手法の論考が並ぶ。

李嘉永論文がここに置かれているのはやや不可解である。というのも、第4部「部落解放と人権の展望」の巻頭においた方が据わりが良いからだ。第4部巻頭の小野利明論文「現代資本主義をどうとらえるか」は、第1部の最後においた方が良いだろう。


多いときは980あった隣保館は特措法失効後に減り始め、816になっているという。中尾は隣保館が果たしてきた役割を確認しつつ、これからのまちづくりのモデルとして活性化させるよう提案している。

戸籍制度が部落差別を助長してきた歴史をふまえて、二宮は戸籍法改正と事前登録型本人通知制度の導入を提案する。

阪本は鳥取の部落差別と信仰の関連を問い、真宗大谷派解放運動推進本部での活動をもとに、今後の課題を模索する。

朝治は「部落民アイデンティティ」という問題意識を深めるため、まず歴史研究への視点と方法を見直し、部落民アイデンティティへの総括的な認識を提示し、部落差別問題の解決のためのキーワードとして鍛えようとする。

李嘉永は、国際人権法と部落差別の問題圏を再整理し、「世系に基づく差別に関するガイダンス・ツール」の実施の課題を論じる。

これらにより、部落差別との闘いの現状がさらによく理解できる。制度的差別との闘い、心理的差別との闘い、宗教による差別との闘い、部落を隠さざるを得ない状況との闘い、国愛人権法を活用した闘い、多様な取り組みの総合が必須であることがよくわかる。

部落解放論の最前線(3)


2部「部落と部落差別の現在」は次の5本の論考である。

「大阪府における同和地区実態把握と社会的排除地域析出の試み」内田龍史

「『特別措置法』終了後の差別事件の動向」本多和明

「三度『カムアウト(部落を名乗る)』について」住田一郎

「インターネット社会と部落差別の現実」川口泰司

「近年の新聞と部落問題」戸田栄


ここでも統一的な視点や分析ではなく、それぞれの分野、それぞれの対象、それぞれの分析による論考が並列している。順次開催した研究会の記録であることや、あえて統一性をもたらすような編集を行わなかったことによるが、結果としてそうなっただけではなく、むしろ、多様性、多角的な視点という本書の基本方針に由来するとも言える。


特措法以後の状況について、第1に、主に『全国のあいつぐ差別事件』(1981年~)で取り上げた差別事件の特徴の分析、第2に、インターネット時代における差別現象の変容、第3に、新聞記事の減少傾向の分析。これらを通じて、特措法終了が部落差別の解消を意味するかのごとき観念の登場を許してきたこと、しかし、実態を見ればいまだに許しがたい差別が相次いで生じていることが確認される。

特にインターネット上の差別が深刻化しているので、ネット対策として、行政によるモニタリングと削除要請、被害者救済、法整備の課題、企業の取り組みとして「差別投稿の禁止」、広告配信の停止、差別解消にIT技術を活用する必要性が指摘される。

また、ネットが差別をなくしていく大きな武器になるので、ネット版「部落問題・人権事典」、部落問題の総合サイト・ニュースサイトの作成など時代に即応した対策が提案されている。

Monday, March 04, 2019

アメリカ史における排外主義


浜本隆三『アメリカの排外主義――トランプ時代の源流を探る』(平凡社新書)


アメリカ・ファーストを唱え、壁を作るというレイシスト・トランプが世界を騒がせる状況を前に、浜本は、アメリカ史における排外主義を追跡する。

セイラムの魔女狩り、ネイティヴィズムと「ノウ・ナッシング」、クー・クラックス・クラン、禁酒法の時代、移民制限法、第2期クー・クラックス・クラン、マッカーシズム、公民権運動・・・といったアメリカ史における差別と排外主義が、いかなる自己認識、いかなる利害に基づいて、誰を適し、排外してきたかを描き出す。

これによってアメリカの排外主義の歴史的特徴と現在の課題を探る。新書1冊でアメリカ史のおおまかな流れをコンパクトに提示しているので便利な本だ。


もっとも、新書という制約からか、叙述がかなりおおざっぱで、あちこちで驚かされることになる。

一例だけあげると、浜本は、南北戦争とその帰結として実現した奴隷制廃止について、アメリカ内部の政治的対立、経済的要因に着目して論じ、奴隷制廃止は外的要因によらないものであり、アメリカのバランスを示すものと評価する。

実に奇妙な論法だ。浜本は、アメリカ合州国における奴隷制廃止だけを論じる。浜本にとっては、世界はアメリカ合州国だけでできているらしい。だから、アメリカの内在的要因によって奴隷制廃止が実現したのであり、これはアメリカのバランスの一例となる。

浜本は、ハイチ革命やグレナダ革命には口をつぐむ。1820年~40年代にカリブ地域を始め、各地で続々と奴隷制廃止が実現したことを隠蔽する。カナダの奴隷制廃止もなかったことになる。カナダやカリブ地域で次々と奴隷制廃止が実現したのに、最後まで奴隷制にしがみついたのがアメリカ合州国であることは隠蔽される。そうしないと、アメリカのバランスを語ることができないからだ。

本書あとがきには、平凡社の2人の編集者が「何度も原稿に目を通した」と書いてあるが、平凡社、大丈夫か? ちょっとレベルが・・・