Sunday, February 01, 2026

関東大震災朝鮮人虐殺103年 茅ヶ崎追悼会2026年度連続市民学習会・第一回学習会

関東大震災朝鮮人虐殺103

茅ヶ崎追悼会2026年度連続市民学習会・第一回学習会

 

コリアン・ジェノサイドとは何か

関東大虐殺を国際法から読む

前田 朗

 

震災から100年を経て、市民と歴史家の協力で、関東大震災朝鮮人中国人虐殺の歴史研究が急速に進展しています。本講演ではジェノサイドや人道に対する罪といった国際法の視点で事件を問い直し、国家責任と民衆責任の全体像を解明します。ジェノサイドの最高責任者は誰かを考えましょう。それは世界史における関東ジェノサイドの位置を明らかにすることです。

 

3 月1日(日)14時~17時(1330分開場)      

茅ケ崎市立図書館第1 会議室

アクセス 茅ヶ崎駅南口から徒歩5

参加費  資料代 500円(学生・障がい者無料)

主催  関東大震災茅ヶ崎での朝鮮人虐殺犠牲者を追悼する市民の会

共催  ビースカフェ ちがさき

協力  ソーラーハウスにしかわ

予約  定員72名

お開合せ/電話お申込先 090-8815-0150(あまの)

0467-53-4448(おごせ)

Friday, January 30, 2026

反差別連続講座第6回 同化を強制されない権利

反差別連続講座第6

同化を強制されない権利

前田 朗(朝鮮大学校講師)

 

313日(金)開場18:00

18202030

浦和コミュニティセンター第13集会室

浦和駅東口 浦和パルコ上10

参加費800

 

日本が朝鮮を植民地にした時代、皇民化教育、同化政策を強制しました。戦後もその植民地支配、同化政策を反省することなく、朝鮮学校に対しては弾圧、迫害、差別的施策を行ってきました。

2007年、国連総会で圧倒的多数の賛成(日本も含む)により採択された「先住民の権利に関する国連宣言」の第8条に「強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利」が謳われています。

「同化を強制されない権利」について前田朗さんに紐解いていただき、理解を深めたいと思います。

 

主催: 外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク埼玉

協賛: ヘイトスピーチ禁止条例を求める埼玉の会、子どもの人権埼玉ネット、朝鮮・韓国の女性と連帯する埼玉の会

問合せ・申込:080-1245-3553(斎藤)

Thursday, January 29, 2026

平和をつくるオンライン講座<第2回>

台湾有事の高市首相発言が東アジアの緊張を高めているようだ。日本の軍事化が進んでいるけど、何が起こっているのかよく理解できない。日本の平和をどのようにつくることができるのか分からない。このままいったら日本が本当に戦争への道を進んで、平和な生活が脅かされるのではないのか。

・・・と不安に感じている皆さん、いま改めて平和主義の原点に立ち返って、考えてみませんか?

沖縄と平和主義

南西諸島自衛隊強化に抗する

住民の平和主義

2026年3月10日(火)1921

講師 : 飯島滋明(名古屋学院大学教授)

戦争をさせない1000人委員会事務局次長。安保法制違憲訴訟常任幹事。各地の裁判所で闘われた安保法制違憲訴訟で多数の意見書を執筆執筆、証人として出廷。著書に『日本軍事入門QA』(吉川弘文館)、『自衛隊の変貌と平和憲法』(現代人文社)、『国会審議から防衛論を読み解く』(三省堂)、『9条で政治を変える 平和基本法』(高文研)など多数。

<参加無料>

本講座はZOOMで行います。参加希望者は、3月8日までにEメールで申し込んでください。

ZOOMURL)をお知らせします。

第1回に申し込んだ方はあらためて申し込み不要です。

3回:317日(火)1830分~2030

東京ボランティア市民活動センター会議室(リアル開催)

非武装中立のリアリズム/纐纈厚(山口大学名誉教授)

主催:「無防備地域をいま、改めて考える」実行委員会

問合せ先:090-4092-8581(土橋)

申込み先:E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

E-mail: akio-t@e-mail.jp

Sunday, January 18, 2026

深沢潮を読む(11)日本軍性奴隷制と沖縄戦を描く

深沢潮『翡翠色の海へうたう』(角川書店、2021年)

 

昨日は茅ケ崎市役所のコミュニティーホールで「第四の被曝」上映と講演の集いに参加した。1958712日の水爆実験ポプラによって被曝した海上保安庁・拓洋の乗員が白血病で亡くなったが、日米両政府は懸命にもみ消し、ほとんど記憶されていない。2024年のNHK番組が「第四の被曝」と命名し、2025年、「第四の被曝」を広める会を結成し、各地で上映会・学習会を開催している。昨日は、第五福竜丸展示館の市田真理(学芸員)が、第五福竜丸事件(ビキニ水爆)と第四の被曝について講演した。第五福竜丸事件の歴史的経過だけでなく、その被害の広がり、マーシャル諸島の人々の被曝問題を含めて、世界史的視野で全体像を解説する見事な講演だった。おかげで第四の被曝(拓洋事件)の歴史的位置がよくわかった。また、真相解明の闘いにとって、地元の人々の努力と、国際的な連帯の両方が重要であることもよくわかった。

『翡翠色の海へうたう』で深沢潮は跳躍を試みた。

本書は作家深沢の<前期>の終了、<中期(ないし後期)>の始まりを高らかに告げる。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322403000802/

https://kadobun.jp/reviews/bunko/entry-123045.html

重くて、痛いこの作品を、深沢は2020年の新型コロナ騒ぎの中で書いたのだろう。あの異様な緊張感・恐怖感に耐えながら、日本軍性奴隷制の実態、そして沖縄戦の悲惨さをこれだけ描きだすことはいかにして可能だろうか。

語り手の葉菜がそうであったように、作家として主題を探し当てたにもかかわらず、すぐには書くことが出来ず、ずっと寝かせておいたのだろう。

そして、作家として10作品を送り出し、地歩を固めた深沢があらためてこのテーマに向き合い、物語を紡ぎ出した時に新型コロナである。どうしようもなくしんどい日々を重ねながらの執筆だったと推測できる。

『ひとかどの父へ』が梁石日の『血と骨』へのアンチテーゼだったとすれば、本作品は同じ梁石日の『めぐりくる春』へのアンチテーゼだ。

抜群の力量を持つ物語作家の梁石日にしても、日本軍性奴隷制への視線は男性視線を越えることはなかった。

女性視線であればよいと言うものでもない。

日本軍性奴隷制と沖縄戦という苛烈な植民地暴力の実相を、地べたを這いずり回ることを余儀なくされた女性視線で描き直し、作家の想像力を駆使して一つの作品にまとめあげることは容易ならざる苦行である。深沢潮以外の誰にもなしえない奇跡のような作品だ。

Wednesday, January 14, 2026

日本友和会連続講座第2回 分断より和解へ

日本友和会創立100周年に向けて

連続講座第2

分断より和解へ

――貧困・格差 守られない人権

講師:雨宮処凛さん

1975 年、北海道生まれ。作家。反貧困ネットワーク世話人。フリーターなどを経て00 年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』( 太田出版/ ちくま文庫)でデビュー。06 年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07 年、太田出版/ ちくま文庫) は日本ジャーナリスト会議のJCJ 賞を受賞。最新刊は『25 年、フリーランスで食べてます 隙間産業で生きていく』( 河出新書)

日時:214日(土)13301530(開場1300

場所:日本基督教団・信濃町教会(新宿区信濃町30

参加費:無料

日本友和会

問合せ080-41916515(野副)

Monday, January 12, 2026

のんびり古典を読もう(02)

111日は、<『人権再入門』出版記念シンポジウム ヘイトとたたかう市民>を開催した。パネリストは佐高信(評論家)「差別を助長する政治」、清水雅彦(日本体育大学教授)「反差別の憲法論」、辛淑玉(のりこえねっと共同代表)「のりこえねっとの活動を通じて」、竹信三恵子(ジャーナリスト、和光大学名誉教授)「生存を脅かす差別」という豪華メンバーで、それぞれ興味深い話をしてくれたので、参加者には大好評だった。

差別とヘイトと排外主義が激化する一方の日本で、差別といかにたたかううか。憲法学や国際人権法学の人権論だけでは十分たたかえない。シンポでは、例えば嘘の効用が語られた。権力側は嘘ばかりなのに、庶民に対して「嘘をつくな」という教育がなされる。しかし、庶民の抵抗の一方法としての嘘の効用を考え直す必要がある。その延長で考えるとすれば、笑いの効用も重要だ。文学的想像力も無視できない。

2次会は佐高信さん出身の山形のお酒、くどき上手・大吟醸ばくれんだった。山形では、私は出羽桜・純米吟醸が一番好きだが、くどき上手、栄光富士、十四代をはじめ、名酒がたくさんある。

夏堀正元の『渦の真空』(朝日新聞社)を3章まで読み進めた。

夏堀悌二郎は釧路地裁から小樽地裁に転任した。小樽はいまではごく平凡な地方都市だが、明治から昭和初期にかけて、北海道随一のにぎやかな町だった。北海道庁は札幌にあったが、日銀支店は小樽と言うように、経済の中心地であった。北海道のニシン漁、鮭漁、日本海貿易の拠点であり、空知地方の石炭の移出港である。悌二郎と信子の間に長男正元が生まれたところで第3章が終わる。

悌二郎は八戸出身の貧しい庶民だが、勉学優秀で裁判官となり、出世の道を歩む。信子の叔父は<宮中某重大事件>の宮内大臣・波多野敬直だ。波多野と山県有朋の衝突として知られる、天皇家の血筋に関わる重大事件は秘密のまま闇に閉ざされたが、信子は叔父の無念を耳にしていたし、その雪冤を願ってもいた。この件は小説にも繰り返し登場する。信子の家族や親戚筋は宮中や政界の大立者たちだ。

他方で、舞台は北海道であり、アイヌ民族の大地である。和人による侵略を受け、土地を奪われ、酷使されるアイヌの歴史的被害も描かれている。夏堀正元には『人間の岬』『幻の北海道共和国』のような北海道歴史小説があり、自由民権の闘いを描いた作品もある。

おまけに第2章には小林多喜二が登場する。第1章では小樽から釧路に流れた石川啄木に筆が及ぶが、第2章では秋田から小樽に来た多喜二のエピソードが出て来る。小樽地裁判事になった悌二郎は、小樽高商(小樽商科大学)で民法の授業を担当するが、その教室には多喜二や伊藤整がいた。多喜二と悌二郎のエピソードは、多喜二の伝記に描かれている。多喜二生誕100年・死後70年を記念して制作された映画『時代を撃て・多喜二』(2008年)でも重要なエピソードとして登場する。

他方、悌二郎の大学の同級生だった弁護士・増川才吉も小樽で開業していたので、第3章に登場する。増川の妻は山田順子のペンネームで小説家を志すが、徳田秋聲に取り入り、後には竹久夢二と同棲し、最後は徳田秋聲の愛人として文壇で権力をふるう。そんな人物まで登場して、『渦の真空』の舞台が徐々に明らかになるが、まだほんの序章というところだ。小樽とその周辺が舞台だけになじみの地名が次々と出て来るので、風景が浮かんでくる。ちょっと浮かびすぎかもしれない。

Friday, January 09, 2026

誰がパレスチナを語るのか

イザベラ・ハンマード(岡真理訳)『見知らぬ人を認識する』(みすず書房、2025年)

心が折れるという表現がある。呑気に、のんびり生きてきた私たちが安易に使う言葉でもある。

本当に心が折れることを、私たちは想像できるだろうか。

否、このような反問は不適切かもしれない。

心が折れる、押しつぶされる、縮みあがる。現実の前に、言葉の無力さに打ちひしがれながら、それでも言葉を紡がなくてはならない。生きるために、そして生きるために闘うために。

人間らしく生きる。人間として生きる。そのことさえ全否定された、灼けるように凍り付いたこの世界で、言葉を唯一の武器として暴力に抗する精神はいかにして形成されるか。

2023928日に、コロンビア大学エドワード・サイード記念講演において、イザベラ・ハンマードは、「人生において転換点がどこに存在するのか」と問い、ただちに「転換点なるものもまた同様に人間の構築物であり、あとから遡って見出されるものです」と折り返す。

あまりにも当たり前で、平凡な転換点の思考は、しかし、例えば1939年や、1947/48年や、1967年や、2007年という時代に引き寄せていくと、現代史の大きなテーマとして立ち現われ、小説など文学の未踏の課題として浮き彫りになる。ハンマードは「サイードのおかげで、とりわけ文学をはじめとするヨーロッパの表象の伝統と帝国権力の働きとの関係」に論究する。サイードに学び、再演し、さらに一歩を踏み出そうとするハンマードの精神は、思いがけないほど穏やかに、しかし想像を超える鋭さをもって、鮮やかな言葉の数々を運び出す。

対位法、アナグノリシス(認識の場面)、ナクバ、入植者植民地主義、「ユダヤ人の救済」、エピファニー、「人間の物語」、認識/承認、「異邦人」。

2023107日の直前に語られたハンマードのテクストは、そのはるか以前に及ぶのと同じように、その後の現在にまで及んでいる。

20241月に書かれた「ガザについて」という短文が追加されて1冊の著書に編まれることで、あらためてパレスチナの苦難の全史に読者は向き合うことになる。

訳者による「解説 ホロサイドに抗して」は、サイードからハンマードへ手渡された精神のリレーをすべて引き受け、さらにその先へとリレーする意志の産物である。

訳者は、読者に向かって、「あなたはこのリレーに加わるつもりがあるのか。あなたはあなた自身の闘いを、どこでどのようにして完遂するのか」と問いかける。

ガザでジェノサイドが行われている。人道に対する罪が行われている。ホミサイド、リンギサイド、ドミサイド、ホロサイドがこれでもかと言わんばかりに続いてきたし、いっそう激化して世界を震撼させている。

訳者はホロコーストとジェノサイドを掛け合わせて、ホロサイドと言う。

2002年に出版した私の『ジェノサイド論』(青木書店)において、リンギサイドやプラネティサイドと言った言葉を紹介したことがある。その後も多様な言葉が提案されてきた。私自身の関心はアフガニスタンやイラクだった。ジェンダー・アパルトヘイトやジェンダー迫害という概念が国際人権法では用いられている。

2025年、イタリアでフェミサイド刑法が制定され、日本でもニュースになった。だが、イタリア刑法は必ずしも新しくない。ラテンアメリカ刑法では普通の規定だ。前田朗「フェミサイド研究のために――ラテンアメリカのフェミサイド刑法の紹介」『女性・戦争・人権』23号(2024年)に詳しく紹介した。

先週調べていた所、フェミサイド研究の中で、「フェミジェノサイド」の提唱もなされているので、『マスコミ市民』2月号に紹介する原稿を書いた。

ジェノサイドの周辺に新しい言葉を作ることに意味があるというわけではない。ジェノサイドと対立する概念を明快に打ち出すことに意味がある。

訳者は例えば「人間として認められる権利」を提起する。1948年の世界人権宣言第6条に明記された言葉だ。同じころナクバが起きていた。国連総会は、ナクバを知りながら、何もせず、何もできず、他方で「人間として認められる権利」を創案した。

この言葉は日本国憲法には書かれていないため、日本ではまったく使われない。そのことに私は驚愕し、震撼した。前田朗「人として認められる権利――世界人権宣言第六条を読み直す」『明日を拓く』129130号(2021年、東日本部落解放研究所)

だが、日本では全く反応がなかった。訳者がガザの事態を前にこの言葉に着目したのは見事である。

どん底のどん底から立ち上がり、這い上がるために、暴力に抗して言葉で闘うために、ハンマードと岡真理が見据えているのは、何よりも私たちを、だ。果たして私は人間なのか。