Tuesday, July 27, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)c アンチレイシスト入門

イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

4章以下で、著者はさまざまなレイシズムとアンチレイシズムを俎上に載せて、分析していく。生物学的レイシズムと生物学的アンチレイシズム(第4章)、民族レイシズムと民族アンチレイシズム(第5章)、身体レイシストと身体アンチレイシスト(第6章)、文化レイシストと文化アンチレイシスト(第7章)、行動レイシストと行動アンチレイシスト(第8章)と、レイシズムは多様な現象形態を有する。

著者はこれらのレイシズムを理論的に提示するのではなく、自分自身の体験を通じて提示する。ある時は友人が、ある時は教師が、そしてある時は著者自身がレイシストとして登場し、レイシズムに影響された発言や行動をする。ある時は、レイシズムに気づき、レイシズムを乗り越えようと格闘するが、こちらのレイシズムからあちらのレイシズムに移行してしまう。著者の成長過程はレイシズムからレイシズムへの旅であり、逆戻りであり、試行錯誤であり、失態の連続である。

もちろん、著者は単に個人的体験を語っているのではない。1980年代にアメリカに生まれ、1990年代から2000年代にかけて成長した黒人男性が遭遇するレイシズムと、それとの葛藤を描くと同時に、個人的体験を全米の黒人男性の問題としてとらえ返し、さらに近代の奴隷制や黒人差別の歴史と照らし合わせ、現代のアメリカの政策を検証する。これによって叙述が厚みを増し、多角的な分析が可能となり、読者は一つひとつ確認しながら読み進めることができる。

「ぼくは優秀なクラスメートたちの目を通して自分を見ていた――この場にいるのがふさわしくない者だと。無視してもいいやつだと。ぼくは優秀な知性の海のただなかで、独り溺れて死にそうになっていた。/ぼくは、自分が勉強の出来が悪くて苦しんでいるのは、自分だけでなく、黒人全体の出来が悪いからだと考えていた。なぜなら、ぼくは周りの人々の目――あるいはぼくが勝手に想像していた周りの人々の目――と、自分自身の目を通して、黒人を代表していると考えていたからだ。」

カラーリズムとカラーアンチレイシスト(第9章)、反白人のレイシスト(第10章)、黒人のレイシスト(無力だからという自己弁護)(第11章)、階級レイシストとアンチレイシストの反資本主義者(第12章)、空間レイシズムと空間アンチレイシズム(13)、ジェンダーレイシズムとジェンダーアンチレイシズム(14)、クィアレイシズムとクィアアンチレイシズム(第15章)。

あらゆる差異がレイシズムを生み出す。皮膚の色もジェンダーも階級も性的マイノリティも。白人優越主義が隆盛するが、反白人のレイシストも生まれる。黒人が黒人を卑下し、見下すレイシズムも存在する。レイシズムはくみしやすい敵ではない。レイシズムは外からやってくるだけでもない。反レイシズムのつもりがレイシズムを内面化してしまっている場合もある。多様なレイシズムの生命力を軽視してはならない。アンチレイシズムは固定した使嗾ではなく、つねにレイシズムとの格闘を求められている、現在進行形の思想でなくてはならない。

「アンチレイシストであろうとする者は、レイシストと白人を混同しない。白人のなかにもアンチレイシストはいるし、有色の人々にもレイシストはいることを知っているのだから。/アンチレイシストであろうとする者は、白人をひとくくりにしない。一般的な白人は、有色人種を踏みつけにすることもあるが、頻繁にレイシズムパワーの被害を受けてもいる。」

 「レイシズムとアンチレイシズムは表裏一体なのだと認めれば、ぼくたちは自分の内面にあるレイシズム思想やレイシズムポリシーについて未整理な考えを客観視できるようになる。/たとえば、ぼくは人生の大部分で、レイシズムとアンチレイシズムの両方の考えをもち、レイシズムとアンチレイシズムの両方のポリシーを支持してきた。ある瞬間にはレイシストだったし、またある瞬間にはアンチレイシストだった。」

 第12章「資本主義とレイシズムの双子」では、階級レイシストを、階級を人種化し、そうした階級を圧迫する人種資本主義ポリシーを支持し、正当化している人と定義する。マーティン・ルーサー・キングにならって、レイシズムの問題、経済搾取の問題、戦争の問題は結びついていると見る。「世界システム」論を参照し、大航海時代が植民地主義、帝国主義の時代であり、植民地と奴隷制の中に「資本主義とレイシズム」を確認する。アンチレイシズム的反資本主義への入り口に立つ。

Monday, July 26, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)b アンチレイシスト入門

 イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

著者は1982年、ニューヨーク州生まれである。90年代にサウスサイド・クイーンズで少年時代を過ごし、ヒップホップカルチャーを全身に浴びて育った。黒人文化の代表格とされるヒップホップは「とりわけ垢抜けていて芸術的にも成熟している」と感じるか、「下品な言葉で悪影響が生じる」と感じるか。文化レイシズムの問いを身をもって生きたとも言える。

 第1章で著者は基本的立場を打ち出す。さまざまな人種的不公平を生み出し、維持するためのあらゆる手段がレイシズムポリシーであり、これに対してアンチレイシズムポリシーとは、人種的公平を生み出し、維持するためのあらゆる手段になる。著者は「非レイシズム」のポリシーや、「人種中立的」なポリシーは存在しないという。ただし、人種差別ばかりに目を向けるとレイシズムの中心にあるものが見えなくなるという。中心にあるものとは権力であり、レイシズムパワーである(第3章)。

 第2章「引き裂かれる心」で著者は、黒人がしばしば経験する葛藤に言及する。黒人でありたいという思いと、アイルランド人のようにアメリカ人のなかにまぎれこみたいという思いである。アンチレイシズムと同化主義の葛藤である。同化主義はレイシズムであり、それゆえレイシズムとアンチレイシズムの間で揺れ動く心に悩むことになる。「黒人の自立の問題は両刃の剣」である。白人にも分離主義と同化主義の対立がある。そして「白人のほうが優位な社会にあって、白人の内なる対立意識は、黒人の内なる対立意識に大きな影響を及ぼした」。アンチレイシストになるためには、この対立意識から解放される必要がある。

 第3章で、人種とは権力がつくり出した幻想であるという。定義としては「権力が、さまざま集団に見られる違いを、集約あるいは融合することでつくりあげた概念」となる。このことを著者は植民地支配と奴隷制の歴史の中で形成された人種概念にさかのぼって検証する。そして「レイシズムポリシーの背後には経済的、政治的、文化的に強い私利私欲――ポルトガル王室や奴隷商人の場合は昔ながらの富の蓄積――がある。ズラーラの系譜につらなる有力で狡猾な知識人たちは、その時代のレイシズムポリシーを正当化するためにレイシズム思想を生み出し、その時代に存在した『人種的不公平』はポリシーではなく特定の人々のせいだと責任転嫁してきた」。

人種は幻想にすぎない、あるいは人種というものは存在しないということは、欧州でもずっと以前から語られてきた。存在しないにもかかわらず、その社会の中で何らかの理由で、つまり利益不利益の関係構造の中で人種概念はつくられる。ここでは人種が存在するか否かは本当の問題ではない。あらゆる差異が利用される。民族、言語、宗教、皮膚の色、容貌、社会的地位、世系・出身、性別、性的アイデンティティ、あらゆる差異を基に集団が作られ、差別が始まる。

いったんつくられると、人種概念は猛威を振るう。あらゆる法、制度、政策、規則、ガイドライン、文化が、優越者の利益に奉仕するように仕向けられる。レイシズムの機能をもっとも活性化させるのが、中立幻想である。「私はレイシストではない」と言いながら、中立であるかのごとく振舞い、結果としてレイシズムを放置する。差別を容認し、維持する。「私はレイシストではない」はレイシストの仮装の抗弁にすぎないことが多い。「私はアンチレイシストである」と立場を明確にするべき理由はここにある。

 この議論は、中立公平のふりをする日本の憲法学がヘイト・スピーチを擁護する時に、同じメカニズムが作動していることを教えてくれる。憲法学は、表現の内容と形式を恣意的に分離し、「表現内容中立規制は許されるが、表現内容規制は許されない」とし、「ヘイト・スピーチの規制は表現内容規制だから許されない」と言う。日本国憲法を無視して、差別と差別表現を守るためならどんな理屈でも持ち出す。「私はレイシストではない」ふりをするが、アンチレイシズムに対して猛烈な批判を繰り返す。

Sunday, July 25, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)a アンチレイシスト入門

イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

http://www.tg-net.co.jp/item/4777827739.html

<全米130万部ベストセラー!

《米Amazon1位》《NYタイムズ・ベストセラー第1位》

2020年最も影響力のある100"に選ばれた世界が注目する歴史学者による世界に蔓延るレイシズム(人種主義)を解き明かすためのガイドブック。>

<アンチレイシストとは人種だけでなく、民族、文化、階級、ジェンダー、セクシュアリティなどの違いを平等に扱う人のこと。

世界に蔓延るレイシズム(人種主義)の構造や本質をみずからの体験を織り交ぜながら解き明かし、制度としてのレイシズムを変え、「アンチレイシスト」としての態度をとりつづけることがその解決策だと訴える。

レイシズムが深く浸透した社会では、自身をふくむほとんどの人の心にレイシズム的な考え方が潜んでいる。

レイシストの権利者たちがつくりだす「ポリシー(政策、制度、ルール)」を変えない限りレイシズムは解決できず、「レイシストではない」と発言する人も、そのポリシーを容認する限り仮面を被ったレイシストなのだと厳しい目を向ける。

だからこそ、「アンチレイシスト」でありつづけるためには、レイシズムを生物学、民族、身体、文化、行動、肌の色、空間、階級に基づいてよく理解し、レイシズム的な考え方を見つけるたびに取り除いていく必要がある。

問題の根源が「人々」ではなく「権力」に、「人々の集団」ではなく「ポリシー」にあることに目を向ければ、アンチレイシズムの世界が実現可能となる。

ぼくたちはレイシストであるための方法を知っている。

レイシストでないふりをする方法も知っている。

だからいま、アンチレイシストであるための方法を学び始めよう。>

著者は歴史学者で作家であり、ボストン大学の反人種主義研究・政策センター所長。本書は2019年に出版され、アメリカでベストセラーになったという。

 半分ほど読んだところだが、いくつか本書の特徴を示しておこう。

1の特徴は、著者自身の出身、子ども時代の体験を素材に、日常生活の具体的な一コマ一コマを通じてレイシズムがいかに発言しているか、いかに乗り越えるかを説明している点である。このためにとても読みやすい。

アフリカ系アメリカ人の両親がどのように出会って、結婚し、著者が生まれたか。その歴史を見ただけでアメリカにおけるレイシズムの多様な網の目の中で考える必要がよくわかる。やる気のない高校生だった著者がマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・スピーチコンテストの決勝に残り、スピーチをした時のエピソードも、レイシズムの複雑さを考える最適の事例となっている。著者がなぜ、どのように転校し、どの高校に通ったのか、それもレイシズム抜きに説明できない。アフリカ系アメリカ人やアフリカやカリブ地域からの移民アフリカ人を取り巻いている生活世界そのものがレイシズム渦巻く世界である。アフリカ系であれインド系であれ白人であれ、それぞれに社会条件に規定された人生を生きざるを得ない。その諸相を、当時の少年の視点と、現在の歴史学者の視点で、巧みに描き出しているので、読みやすく、叙述が具体的である。

2の特徴はレイシズムの定義方法にある。従来の諸学問におけるレイシズムにとらわれることなく、独自の定義を試みる。第1章「定義することからはじめよう」の冒頭に次のような定義が示される。

レイシスト 行動する(しない)こと、またはレイシズム的な考えを表明することによって、レイシズムのポリシーを支持している人

アンチレイシスト 行動する(しない)こと、またはアンチレイシズム的な考えを表明することによって、アンチレイシズムのポリシーを支持している人

一目見てわかるように、これは実は定義になっていない。「レイシストとはレイシズムのポリシーを支持している人」ならば「デモクラットとはデモクラシーのポリシーを支持している人」であり、「ファシストとはファシズムのポリシーを支持している人」である。

定義になっていないのに、本書を読み進めると、この定義は妙に説得力のあるものだということがわかる。著者は第2章以下で、同様に同化主義者、分離主義者、生物学的レイシスト、生物学的アンチレイシスト、民族レイシズム、民族アンチレイシズム、身体レイシスト、身体アンチレイシストなどを定義していく。いずれも定義になっていない。でも、説得力のある定義である。ここが重要なところだ。定義することは大切だが、定義のための定義をする必要はない。重要なのは具体的な事例を提示して、著者の定義が何を意味しているかをきっちり伝えることである。それが本書の方法である。

3の特徴は歴史的考察である。アメリカにおける黒人に対する差別を論じているので当たり前のことだが、近代奴隷制の歴史を踏まえて、そこからさまざまな事例を取り出して、現代アメリカの現実に立ち向かう。世界的な奴隷制の歴史と思想が何を生み出し、現在の私たちを支配しているかを巧みに、鮮やかに描き出している。

4の特徴はレイシズムの多様性を十分に考慮している。白人が黒人を差別して捏造したレイシズムだが、いったんつくられたレイシズムは多様な局面で機能する。特に黒人内部への影響である。著者自身が子ども時代にレイシズムの影響を受け、レイシズムを内面化していた。著者の両親もそれぞれにレイシズムに脅かされていた。黒人の間でも、アフリカ系アメリカ人と移住アフリカ人の間の差別がある。黒人がアジア系に対して持つ差別、経済的に成功した黒人が失業している黒人に対して持つレイシズム。人種、民族、言語、皮膚の色、宗教、身体的特徴、性別、性的アイデンティティなど多様な要因がレイシズムに巻き込まれていく。このことをしっかり認識しておかなくてはならない。レイシズムとアンチレイシズムの区分けを忘れてはならないが、レイシズムは一枚岩ではない。

Saturday, July 24, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(181)差別と闘うために

角南圭祐『ヘイトスピーチと対抗報道』(集英社新書、2021年)

共同通信ヘイト問題取材班で「反ヘイト報道」を続けてきた著者による新書本である。

<「私は差別をしない」では差別はなくならない。「私は差別に反対する。闘う」でなければならない。そのために、差別に反対する政策と法制度をつくり出し、差別に反対する仲間を増やしていきた。>

私が書いた文章かと思うほど、最初から最後まで共感を抱くことの多い本だ。

著者は日本軍慰安婦や徴用工などの戦後補償問題の取材をしてきた経験に続いて、ヘイト・スピーチの取材に入っている。それだけに歴史認識と反差別の軸がしっかりしている。安直などっちもどっち論に流されることなく、差別は許されないという視点が本物であり、いかにして差別をなくすかに一歩踏み出している。

<「公正・中立」に慣れている記者は、社会を破壊し、マイノリティの魂を殺すヘイトスピーチ吹き荒れるデモを取材しても、両論併記的な“お利口さん”記事を書く傾向が強い。ヘイトスピーチを批判しながらも、「ヘイトスピーチ規制は、憲法が保障する表現の自由の侵害になる」というものだ。しかし、ヘイトスピーチは表現の範疇に入るものではなく、暴力そのものだ。暴力に対して、中立はあり得ない。>

的確な認識である。

1章 ヘイトスピーチと報道

2章 ヘイトの現場から

3章 ネット上のヘイト

4章 官製ヘイト

5章 歴史改竄によるヘイト

6章 ヘイト包囲網

路上におけるヘイト、オンラインのヘイト、そして官製ヘイト、歴史改竄ヘイトに目を配り、反ヘイトのための立法論にも及ぶ。

ヘイト被害を受けて闘ってきた人々も様々な形で紹介されている。また、ヘイトと闘ってきた先輩の石橋学記者、師岡康子弁護士、上瀧浩子弁護士、神原元弁護士、金竜介弁護士、ジャーナリスト安田浩一、中村一成、しばき隊・CRACの野間易通、国際人権法学の阿部浩己・明治学院大学教授、刑法学の金尚均・龍谷大学教授、日本軍慰安婦問題では強制動員真相究明ネットワークの小林久公、永井和・京都大学教授、吉見義明・中央大学名誉教授をはじめ、理論と運動を支えてきた人々が多数登場する。

運動の成果としてヘイトスピーチ解消法や川崎市条例ができたが、内容は十分とは言い難いし、運用を見ても限界がある。著者はこう述べる。

<さまざまな形が考えられるだろうが、私が考える望ましい形は、「人種差別撤廃基本法」で差別言動を違法とした理念を示した上で、「人種差別禁止法」で禁止条項と罰則条項を設け、刑法にも差別罪を設けることだと考える。>

Thursday, July 22, 2021

小林賢太郎解任問題 ――歴史の事実を矮小化する犯罪について

1.小林発言の法律問題

 

東京オリンピック開会式の演出担当だった小林賢太郎が過去に「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」なる差別的揶揄と受け取られる発言をしていたことが発覚して、五輪組織委員会が小林を解任した。

小山田圭吾の差別と差別発言が発覚した時の対応のまずさに比較すると、迅速な解任となった。後手後手との批判を避けるためであったことと、ユダヤ人差別という国際問題になることが明らかだったためだろう。橋本聖子も「外交に関わる」と述べた。

本件は解任によってすでに決着がついた形になった。とはいえ、なぜこのような事態になったかの総括は、後日、組織委員会がきちんとしなくてはならないだろう。

ネット上の発言のごく一部を見たが、小林発言を「アウシュヴィツの嘘」犯罪と関連付けている例が見られる。

「アウシュヴィツの嘘」犯罪を引き合いに出して考えておかなくてはならないことは確かである。小林発言は、ユダヤ人虐殺をお笑いにしたことによって、「肯定」したものと受け止められる可能性がある。

さらに問われるべきは「矮小化」である。事実を矮小化すると犯罪になる場合がある(後述する)。小林発言は事実の矮小化に当たるか否か、検討しなくてはならない。その意味で深刻な問題であることを理解しておくべきである。

ただ、「アウシュヴィツの嘘」犯罪についての不正確な情報、断片的な情報を基に発言している例が少なくない。

 

2.「ホロコースト否定犯罪」とは

 

ドイツにおける「アウシュヴィツの嘘」犯罪については、下記の2点が重要文献である。

1.      櫻庭総『ドイツにおける民衆煽動罪と過去の克服』(福村出版、2012年)

2.      金尚均『差別表現の法的規制: 排除社会へのプレリュードとしてのヘイト・スピーチ』(法律文化社、2017年)

いずれも専門書なので、一般の人が手に取ることは少ないと思われるが、ドイツ法についてはネット上で見ることのできる情報もある。

ユダヤ人虐殺を正当化したり、事実を否定する発言を犯罪とするのはドイツだけであるかのごとく誤解する人も少なくない。

憲法学者たちが、ドイツではヘイト・スピーチや、歴史否定発言を処罰するが、アメリカでは表現の自由だから処罰しない、という発言を繰り返してきたからである。

極めて大雑把に言えば、これは決して間違いではないが、ちゃんとした法律専門家がこのような発言をすることはない。そもそもドイツだけに絞るのは妥当ではない。欧州を中心に、同種の犯罪類型を持つ国は30近くあるからだ。

私がこれまでに紹介した国は、ドイツ、フランス、スイス、オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、キプロス、チェコ、ギリシア、ハンガリー、イタリア、ラトヴィア、リトアニア、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、マルタ、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニア、アルバニア、マケドニア、スペイン、ロシア、イスラエル、ジブチなどである。

ちなみに、何らかのヘイト・スピーチを処罰する国は約150カ国あることを紹介してきた。

何を「同種」と見るか自体、実は難しい問題を孕む。

ドイツの場合、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の事実を否定したり、正当化することが犯罪とされる。

フランスの場合、国際刑事裁判で有罪とされた人道に対する罪の事件の事実を否定したり、正当化することが犯罪とされる。これにはナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺だけでなく、それ以外の地域における人道に対する罪の犯罪が含まれる。

スイスも同様であり、このため第一次大戦時のトルコによるアルメニア・ジェノサイドの事実を否定したり、正当化する発言が犯罪となるという実際の裁判例がある。

何を犯罪とするかは国によって異なる。全体を表現する適切な名称がないが、「ホロコースト否定」犯罪、「歴史否定犯罪」、「法と記憶」問題などの言葉で表現される。ヴィダル・ナケの著名な本のタイトルを借りると「記憶の暗殺者」問題である。

ただし、記憶という表現を用いると、記憶の否定が直ちに犯罪になるかのような誤解を与えかねない。

事実を否定し、歴史を歪曲し、記憶を抹消することが直ちに犯罪となる国はあまりないだろう。

これらが犯罪とされるのは、歴史を歪曲することによって被害者集団を中傷・侮辱するからという理解が普通である。

西欧と東欧とではやや事情が異なる、バルト3国でも同様の法律があるが、その適用に際して、スターリン時代の国家犯罪の否定や正当化を犯罪とする例がある。議論のベクトルが異なるので、単純に一括することは避けたほうが良い。

1.橋本伸也『記憶の政治――ヨーロッパの歴史認識紛争』(岩波書店、2016年)

2.橋本伸也編『紛争化させられる過去――アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化』(岩波書店、2018年)

3.ニコライ・コーポソフ「『フランス・ヴィールス』――ヨーロッパにおける刑事立法と記憶の政治」『思想』1157号(2020年)

 

3 韓国の状況

 

他方、韓国では同様の法律案が国会に何度か上程されてきた。法律はできていないが、日本よりもずっと研究が進んでいる。

1.康誠賢著『歴史否定とポスト真実の時代――日韓「合作」の「反日種族主義」現象』(大月書店、2020年)

この本に、ソウル・シンポジウムにおける私の報告とホン・ソンス(洪誠秀)の報告が紹介されている。ホン・ソンスの研究が重要である。

日本軍性奴隷制や、植民地支配時代の事実の否定を犯罪とする法案や、軍事独裁政権時代の犯罪をどう扱うかなどの議論が成されてきた。

 

4 実行行為――矮小化も犯罪となる国がある

 

もう1つ、実行行為(何をすると犯罪となるか)については、否定や正当化など、これも国によって異なる。

オーストリアでは、否定、重大な矮小化、是認、正当化である。

ブルガリアでは、否定、とるにたりないと矮小化、正当化である。

チェコでは、否定、問題視(疑問視)、称賛、及び正当化である。

スペインでは、法律では否定、賛美、矮小化であるが、憲法裁判所は「否定しただけで犯罪にするのは憲法違反」とした。

矮小化の例は、例えば、1)ナチス・ドイツによって殺害されたユダヤ人の数はもっと少ないとして、事実を小さく見せる場合、2)被害事実はあったが、それは取るに足りないことだ、小さな出来事だと述べる場合、3)被害事実はあったが、被害者の側にも問題があったとして相対化する場合などである。

小林発言の場合、「***ごっこ」として遊びの対象とするお笑いであるので、遊びとお笑いが重なって「矮小化」に当たる可能性が出てくるだろう。

 

5 刑罰はどうか

 

刑罰も紹介しておこう。

スロヴァキアでは、1年以上3年以下の刑事施設収容である。つまり、懲役だ。

ポルトガルでは、6月以上5年以下の刑事施設収容である。

イタリアでは、2年以上6年以下の刑事施設収容である

ラトヴィアでは、5年以下の刑事施設収容、罰金、又は社会奉仕命令である。

このように、刑罰がかなり重いことが分かる。それだけ重大犯罪とされている。

もちろん、ついうっかりの発言がそれほど重く処罰されるわけではない。重く処罰されるのは、ネオナチのような確信犯が違法発言を公然と繰り返した場合に限られる。

とはいえ、日本では歴史偽造や歪曲が平気で行われている。重大な被害を生む重大犯罪であり、刑罰は重いことを知る必要がある。

Tuesday, July 20, 2021

スガ疫病神首相語録48 華麗なる辞退劇

五輪開会式の音楽担当の小山田圭吾の障害者差別問題で、組織委員会は世間の期待通りに右往左往、迷走してみせた。

 

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1時間後

セイコ――小山田さんのいじめ発言って、何言ってるの、いじめはいつだってあったじゃない。どうってことないわよ。

ユリコ――何も問題ないわ。子どもの遊びでちょっといじめただけでしょ。

タマヨ――ニードロップですって、なんだか楽しそうね。

 

12時間後

セイコ――20年以上も昔のこと、なんで今さら取り上げるのよ。ネットはこれだから困るのよ。

ユリコ――雑誌発言ですからね、おもしろおかしく書いただけじゃないの。

タマヨ――いじめられる側には絶対問題なかったなんて断定できるかしら。

 

24時間後

セイコ――そりゃあ、まずかもしれないけど、冗談交じりの差別でしょ、小さなことよ。マスコミが騒いでるだけよ。開会式が迫ってるんだから、今さら変更なんてできないわ。

ユリコ――本人は反省して、謝罪してるっていうから問題ないわ。

タマヨ――いつまでも許さないなんて、心の狭い人たちね。

 

36時間後

セイコ――何か、やばいみたいね、どうしたらいいの、事務局、なんとかしなさいよ。えっ、私が何を言ったかですって、秘密よ、秘密。漏らしたりしたら、ただじゃおきませねんからね。モリ先生に言いつけるわよ。

ユリコ――ネット炎上だけでは収まらないみたいね。謝罪文を公表したらどう。

タマヨ――被害者に謝罪したいって言ってるし、誠実な様子だから大丈夫よ。

 

48時間後

セイコ――辞退? どういうこと? 本人が辞退したのね。ちょっと、待って、コメント考えなくちゃ。

ユリコ――なんでこうなるのよ、二転三転してみっともない。私のせいじゃありませんからね。

タマヨ――最初からきちんと対応しておけばよかったのよ。五輪の精神に相応しいかどうか、ちゃんと判断してよね。

 

60時間後

セイコ――小山田さんから辞任の届けがございました、組織委員会としても、今回のことは大変残念に思っております。

ユリコ――はい、最初から私が申しておりました通り、東京オリンピック・パラリンピックの理念に相応しい、みなさまに楽しんでいただける素晴らしい五輪にいたします。

タマヨ――今回のことは非常に残念です。最初から申しておりますように、差別は絶対に許されません。

 

72時間後

セイコ――多様性を重んじる組織委員会として、今回のことは大変残念です。すべては私の責任です(もちろん言葉だけで、実際の責任は取りませんからマスコミの皆さん、いつものように、よろしく)。

ユリコ――組織委員会において適切に判断したものと承知しております(いつまでもしつこいわね。もう済んだことでしょ)。

タマヨ――私には全く理解できない事態でした。多様性を大切に、適切に開催してまいります(被害、被害って、ひがみ根性の人間が多くて困るのよね)。

 

84時間後

セイコ――えっ、パラリンピックの文化プログラムの絵本作家・のぶみさんも辞退ですって、もういい加減にしてほしいわ。選んだのは組織委員会だろうって、だから何だっていうのよ。あ、いけない、本音を言っちゃ。

ユリコ――私は知りませんよ。組織委員会の問題でしょ。

タマヨ――ノーコメントです(なによ、差別したことのない奴なんているわけ? あんたたちだって、真っ白じゃないでしょ)。

Saturday, July 17, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(180)

前田朗「ヘイト・スピーチ処罰は民主主義の条件」『思想運動』1066号(2021年)

前田朗「部落差別解消マニュアルを読む」『部落解放』807号(2021年)

前田朗「表現の不自由展・その後妨害事件再び」『マスコミ市民』630号(2021年)

前田朗「生きる、学ぶ、闘う――不屈の歴史学」『救援』626号(2021年)

前田朗「国連人権理事会強姦法モデル案」『救援』627号(2021年)

前田朗「日本植民地主義をいかに把握するか(七)コリアン文化ジェノサイド再論」『さようなら!福沢諭吉』第11号(2021年)