Monday, March 16, 2020

マルチェロを探して(3)


フリブールにはマルチェロMarcelloの名前を冠した通りがあるというので、探した。

フリブール美術歴史博物館で尋ねてみたが、知らないという。フリブール駅の国鉄窓口で聞いたが、知らないということで、他の職員に聞いてもらったところ、「マルチェロ通りRue Maecelloがあるはずだが、どこかな、場所は知らない」という返事だった。

駅近くのロモン通りの書店で、大きなフリブール地図を買った。索引を見ると、たしかにRue Maecelloが載っている。ところが、地図の中には記載されていない。大きな通りには名前が示されているが、小さな通りには記されていない。困った。地図表示上の「K5」の区分なので、この地区を順に歩くことにした。幸い、K5は、フリブールの中心部で、駅、大学、大広場、フニクリ斜面鉄道、カントン新庁舎群、旧市街のローザンヌ通りとアルプ通りが入る。全部歩けば見つかるだろう。

主要な通りを一通り歩き、両サイドの通りを確認したが、見つからない。K5からはみ出るが、ついでに旧市街の一番谷底の部分も全部歩くことにして、坂道を下った。観光客が一番歩くコースだが、観光客もあまりいない。新型コロナのせいだろう。一番下の広場に出て、昼食。ベルン橋、猫の党、ミリュー橋を渡り、マリオネット博物館があるが、今回はパス。そして、サンジャン橋を渡る。

しかし、旧市街は16世紀にはできていたから、ここの通りにマルチェロの名前はついていないよな、と気づく。気づくのが遅い。もっと新しい地区の通りについているはずだ。

フリ美術館Fri-Art Museumに行ってみた。サリーヌ河の低いところの堤上にある現代アートの美術館だ。2つの展示だった。1つは、KettyRoccaという映像アーティストの作品。暗い画面の中に、白い手のひらだけが映っている。手を開いたり握ったり。こすったり、曲げたり。無音で、その映像が10分くらい。もう1つは、複数の男性作家の映像作品。モニターを10個並べているが、全部向きが違うので、一度に3つくらいしか見えない。妙に宗教じみた、男性のしゃべりと、カタストロフィの映像。出るときに、念のため受付でマルチェロ通りを聞いてみたら、当たった。そこに住んでいるという女性がいた。私が通った幼稚園の前の通りよ。

カントン新庁舎群の向かい側だ。ピトン広場からカントン新庁舎に向けて高台まで坂を上り、ジャン・グリモー通りを抜けると、その先に彼女が昔、通った幼稚園がある。ここだ。

マルチェロ通りは、鉄道添いの北通りと新庁舎を結ぶ通りで、住宅地の間だ。そのはずれに幼稚園があって、そこまでの通りだ。長さは100メートルあるかどうか。車2台がすれ違うのがやっとの通りだ。片側はちょっとしゃれた窓のマンション建築。反対側は事務所ビルだ。幼稚園の壁には楽しい絵が描いてある。子ども達が遊んでいる。4カ所に、彫刻家のマルチェロ通りというプレートがあった。

あまり苦労せずに見つかって良かった。といっても、3時間、坂を上ったり、降りたり、結構疲れた。

「新にっぽん診断」平和力フォーラム2020企画

新型コロナの影響のため、本企画は、秋以後に延期します。



平和力フォーラム2020企画「新にっぽん診断」



1回 5月9日(土)午後2時30分~5時30分(開場2時)
       *当初、曜日を間違えて日曜日と記載していましたが、
        正しくは土曜日です。失礼いたしました。

企業栄えて人間滅ぶ――虚妄の「働き方改革」がつくる社会

竹信三恵子(ジャーナリスト、和光大学名誉教授)



 今年は東京オリンピックを頂点に、さらなる上からのナショナリズムによる国民動員が進められる一方、弱者切り捨て、文化破壊の「国家改造」が進行していくことでしょう。(*新型コロナの影響がどこまで及ぶか不分明ですが)

 こうした状況を前に、私たちは何を考え、どのように行動するべきなのでしょうか。平和力フォーラムでは「新にっぽん診断」と題して、各分野における日本の問題を問い直すインタヴュー講座を開催します。

 1964年、1冊の書物、『にっぽん診断』(三一書房)が世に送り出されました。東京オリンピックに沸き立つ日本社会に警鐘を鳴らす日高六郎ら知識人たちの精神の闘いの書です。

 日髙六郎ら知識人の境地にはるかに遠く及ばない私たちですが、各分野における「日本問題」を根底から問い直す公開インタヴュー講座をシリーズで開催します。日本のいまを検証し、人間解放の理論と実践を提起し続けたいと思います。



1回 5月9日(日)午後2時30分~5時30分(開場2時)

企業栄えて人間滅ぶ――虚妄の「働き方改革」がつくる社会

竹信三恵子(ジャーナリスト、和光大学名誉教授)

<プロフィル>

竹信三恵子:ジャーナリスト、和光大学名誉教授。主著に『ルポ雇⽤劣化不況』(岩波新書)『⼥性を活⽤する国、しない国』(岩波ブックレット)『ルポ賃⾦差別』(ちくま新書)『家事労働ハラスメント』(岩波新書)『正社員消滅』(朝⽇新書)『企業ファースト化する⽇本――虚妄の「働き⽅改⾰」を問う』(岩波書店)など多数。

<インタヴュアー>

前田朗:東京造形大学教授。スペース・オルタにおけるインタヴュー記録として、鵜飼哲・岡野八代・田中利幸・前田朗『思想の廃墟から』(彩流社)、高橋哲哉・前田朗『思想はいま何を語るべきか』(三一書房)、佐藤嘉幸・田口卓臣・前田朗・村田弘『「脱原発の哲学」は語る』(読書人・電子書籍)、前田朗・黒澤知弘・小出裕章・崎山比早子・村田弘・佐藤嘉幸『福島原発集団訴訟の判決を巡って』(読書人)。



会場:SPACE ALTA

横浜市港北区新横浜2-8-4オルタナティブ生活館

Tel&Fax 045-472-6349

E-mail予約:spacealta1985@gmail.com



各回参加費:当日1,200円、前売り・予約1,000円、4回通し券3,500円)



主催:平和力フォーラム(maeda@zokei.ac.jp

協賛:三一書房、市民セクター政策機構、スペース・オルタ



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今後の予定



第2回 6月7日(日)午後2時30分~5時30分(開場2時)

尊厳ある解決を求めて――日本軍性奴隷制問題に見る歴史歪曲

渡辺美奈(wam館長)



3回 6月14日(日)午後2時30分~5時30分(開場2時)

原発があらゆる絆を断ち切る――被災者、刑事裁判、廃炉問題

海渡雄一(弁護士)



第4回 7月5日(日)午後1時30分~4時30分(開場1時)

「属国」づくりの改憲を許さない――日米安保、自衛隊、軍事研究

清末愛砂(室蘭工業大学大学院准教授)

Sunday, March 15, 2020

星野智幸を読む(6)時代の変調をいかに読み取るか


星野智幸『ファンタジスタ』(集英社、2003年)

表題作「ファンタジスタ」は雑誌で読んだが、サッカー(フットボール)が日本を支配している設定に違和感があったためか、読み流した感じだった。

サッカーが野球その他をはるかに凌駕して、日本のスポーツの中心になり、ついには元サッカー選手であった政治家が首相選に出る。首相は公選制(直接選挙)になっている。最初の首相選で有力候補となったのがスター選手だった長田だ。熱狂的な人気を集め、有力候補である。

登場人物達は、選挙で投票するかいなか、誰に投票するかをしきりに話題にする。サッカーをしながら、選挙の話に明け暮れる。そうしたサッカーファン達の前に、突如、長田が颯爽と登場し、試合に出た上、その映像がニュースで流れて、これも選挙運動。

長田とは何者なのか。政策は何なのか。この国をどうしようとしているのか。わかりそうで、わからないまま、ついに選挙当日となり、スタジアムの応援の雰囲気のまま、長田が勝利する。そして「開国宣言」だ。なぜなら、戦後日本は借り物だったから、自主憲法制定が必要であり、そのために昭和天皇の戦争責任に遡ってけりをつけなくてはならないという。「日本を戦いの場として差し出す」という宣言。「ねじれた民主主義が育てた空洞」を意識しつつ、長田政治が始まる。

冒頭の短編「砂の惑星」は、埼玉の新米新聞記者の取材を通じて、現代日本のひび割れ状態を浮き彫りにする。小学校における食中毒は集団無差別殺人事件か、という冒頭の謎から、話はホームレス問題や、埼玉の林や山林の所有権問題など、よくわからないまま拡散していく。ところが、最後に、思いがけない形で話がつながる。

その中心に据えられたのが、かつてのドミニカ移民問題だ。豊かな土地での農業生活を約束され、だまされて、ドミニカの荒れ地に捨てられた日本人達。その困窮と恨み。その主人公が、林の中で演じる一人芝居を、新聞記者が追跡する。

「棄民が世は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで」。

マルチェロを探して(2)


今日は天才女性彫刻家マルチェロMarcelloが生まれた家を探した。

マルチェロの本名はアデレ・ダフリーAdele d’Affry, Duchess de Castiglione Colonna。ダフリー家はフリブールの名門一族だ。アデレ(母親はアダという愛称で呼んだようだ)は、フリブール市大通り58番地の自宅で生まれた。

その前にまずルイ・ダフリー通りを見に行った。フリブール駅の西側を走る幹線道路がルイ・ダフリー通りRue Louis- d’Affryなので、行くとすぐにわかった。フリブール駅から地下のバスターミナルに出て、エレベータでスーパーのミグロとCOOPに上がり、外に出ると、ルイ・ダフリー通りだ。

ルイ・ダフリーLouis-Auguste-Augustine- d’Affryの息子がCount Louis Auguste-Philipe d’Affry(1743~1810年)なので、どちらのルイだろうかと思ったが、息子の方だった。息子は、スイス政府代表としてナポレオンと外交交渉し、欧州制覇をめざすナポレオンの軍事攻撃を外交でかわし、スイスの独立と中立を守った。ルイ・ダフリーの肖像画が残されている。画家は地元フリブールのジョセフ・デ・ランデルセだが、中心にルイが正装して直立。ナポレオンと交渉した60歳頃。机の上に置かれているのが、フランス・スイス間の条約だ。これでスイスが守られた。画面の左上に小さな人物画があるが、これが34歳のナポレオンだ。

このルイが、フリブール市大通り58番地に家を持っていた。ダフリー家は、もともとはフリブール郊外のジビジエに邸宅を持っていたが、両方に暮らすようになり、孫娘のマルチェロは58番地で生まれ、ジビジエで育ったようだ。妹のセシル・ダフリーも同じようだ。セシルは、外交官と結婚して、平穏な人生を送ったとされている。

さて、58番地だ。フリブール駅からサンピエール通り、元は城壁があったあたりを抜けると旧市街に入る。アルプ通りを、ずっと右下を流れるサリーヌ河を見下ろし、前方のカテドラルを見ながら歩いて、カントン旧庁舎の前を抜けると、大通りGrand-Rueだ。車2台がすれ違うのもやっとの通りだが、城壁時代のメインストリートだったのだろう。58番地は歩いてすぐだった。

当時とは番地表示が変わっているかもしれないと思いつつ、行ってみると、玄関脇にプレートがはめ込まれていて、ここがダフリー家であったと説明がついていた。現在はミシン、アイロン、掃除機など家庭用機器のミニ博物館になっている。

http://museewassmer.com/

上記サイトのトップの写真、左側の5階建ての家の玄関の右側に、小さくてよくわからないかもしれないが、1階の窓と窓の間に、ダフリー家の紋章と説明板がはめ込まれている。



Noir Divin Satigny Geneve 2018.

Saturday, March 14, 2020

マルチェロを探して(1)


フリブール駅は、もともとのフリブールの町の外に後でつくられた。15~16世紀のフリブールは、城壁に囲まれていたが、いまは城壁の跡形もない。フリブール駅周辺は近代的なビルがならぶが、駅前通を歩き、ロモン通りを抜けると建物ががらりと変わる。昔の町並みで、城壁があったところから坂道を下ることになる。

というのも、フリブールは、サリーヌ河が地面を掘り下げていった谷に向かって下る斜面の上につくられた町だ。かつての町並み、旧市街は坂道だらけだ。ローザンヌ通りの商店街を過ぎると、小さな広場に出る。目の前が州庁舎だが、玄関前は工事中だった。左手に回ってモラ通りに出ると、ジャン・ティングリとニキ・ド・サンファルジョ記念館だが、今回は素通りする。裏のグーテンベルク博物館も素通りだ。

1分とかからずにフリブール美術歴史博物館に出る。新型コロナの影響か、町中も人影が少なかったが、美術館も閑散としていた。受付で、早速確認した。マルセロか、マルチェッロかを。

天才女性彫刻家マルセロMarcelloだ。マルセロの本名はアデレ・ダフリーAdele d’Affry, Duchess de Castiglione Colonna。フリブールで生まれ、ローマで彫刻を学んだが、結婚して主婦業になるはずが、新婚まもなく夫が病死したため、彫刻家を目指した。パリに出て、美術界で活躍する。当時のアカデミーやサロンは男しか入会できず、作品を出品できなかったので、男の名前マルセロで作品を出して、サロンで展示され、入賞もしていた。すぐに実は女性とわかったが、批評家から高く評価されたので、閉め出されなかった。

これまでマルセロと表記してきたが、イタリア語の名前なのでマルチェッロの方が正しいかもしれない。受付で質問したところ、マルセロで良いと思うとのことだった。もっとも、受付係の言葉が正しいとは限らない。

フリブールは、フランス語圏とドイツ語圏の境にある町で、サリーヌ川の東はドイツ語圏、西はフランス語圏で、多くの市民がバイリンガルだ。フリブールというのはフランス名で、ドイツ語ではフライブルクだ。モラはムルテン、ビエンヌはビールというように、スイスには両方の言葉が使われる町がいくつもあるが、フリブールはその代表だ。イタリア語の町ではないので、マルセロと発音しただけかもしれない。

と思ったところ、マルセロの解説映像を見ることができた。育った家や、彫刻や絵画の作品などを写し、専門家が解説する映像で、フランス語なのでよくわからないが、ずっと見ていたところ、フリブール大学の美術史教授や、音楽教授達が、解説をしていた。みな、マルチェロと発音していた。マルセロでもマルチェッロでもなく、マルチェロだ。

パリで実際にどう呼ばれていたのか、当時の発音はわからないが、今後はマルチェロと表記することにした。

美術館は旧館と新館の2つから成る。旧館は歴史博物館だ。12~15世紀の地元の絵画と彫刻が多数ある。多くが宗教画・彫刻で、聖母マリアや、キリスト、聖人たちを描いている。15~17世紀のステンドグラスも美しい。啓蒙時代頃の衣類、家具、食器、宝飾品なども展示されている。その中にマルチェロの彫刻と絵画も1点ずつ展示されていた。

新館は美術館で、近代絵画もホドラーやピカソが数点あるほか、地元の画家の作品をそろえている。
新館の中に、マルチェロのコーナーができている。昔、来たときはなかったが、2013年に来たときにはコーナーがつくられていた。その後繰り返し来ていたが、今回あらためて見てきた。代表作の<ピティア>は何度見ても素晴らしい。といっても、フリブールにあるのはレプリカだ。本物はパリのガルニエにあって、以前、ジュネーヴで展示された時に見た。

他に大理石の胸像が10点ほど並んでいたのが、圧巻だ。マルチェロはローマで彫刻家ハインリヒ・マックス・イムホフに彫刻を教わったが、作風は似ていないという。マルチェロは、一貫してミケランジェロを尊敬し、学び、模倣した新古典主義の作風だ。大理石の胸像はその典型である。他方、テラコッタの<ロッシーナ>は前回はなかったような気がする。



1836年、アデレ・ダフリーAdele d’Affryフリブールで生まれ、郊外のジビジエで育つ。スイス衛兵の軍人一族。歴代の軍人、外交官を輩出した一族で、祖父はナポレオンと外交交渉をした人物だった。だが、父親は絵画もたしなんだ。15歳まで家庭で教育。

1855年、ナポリの宮廷でカルロ・コロナCarlo Colonna, Duke of Castiglione Alitibrantiと出会う。

1856年4月、Carlo Colonnaと結婚し、Duchess de Castiglione Colonnaとなるが、同年12月、Carlo Colonnaが病死。

1857年、21歳でいったん故郷のジビジエに戻るが、彫刻に専念することに決めてローマに戻り、イムホフに学ぶ。この時期<自画像>と<カルロ・コロナ像>を制作。

1858年、ニースとパリにでて、夏にはフリブールに。

1859年、パリに出る。ドラクロワEugene Delacrixの従兄弟であるレオン・リースナーLeon Riesenerのアパートを借りる。ベルテ・モリゾBerthe Morisotらとの交友始まる。パリ社交界で著名人。

1861年、彫刻家として立つために、帝国美術学校入りを希望するが、男性限定という理由から拒否される。ブロンズの<美しいヘレン>が評判になり出世作。

1863年頃、男性名Marcelloを名乗ることにする。由来は、イタリアの作曲家Benedetto Marcello(1686~1739年)。


Friday, March 13, 2020

国連人権理事会43会期中止に


国連人権理事会が予定会期一週間を残して、中止になりました。新型コロナの影響です。



開会直後に、サイドイベント中止の連絡が来ました。それでも本会議は開かれていました。私は3月3日にジュネーヴに来て、4日から参加していました。いたりが酷い状況になり、フランスやスイスでも発症していたため、徐々に厳しくなってきました。



今週は、ついに会場変更となり、一番大きな会場に、政府代表も4名ではなく2名にしぼり、NGOメンバーは発言予定でないと会場には入れないという状態。並んで座らず、1列おきに座ることに。



それでもなんとか進行してきましたが、一昨日、WTO事務局長がパンデミック発言をしたのが大きいようです。WHOのお膝元のジュネーヴ、国連会議から発症が増えたらしゃれになりませんし。というわけで、13日を持って人権理事会43会期は終了です。



ですから私の発言もありません。今回は4つの発言を準備していたのですが、「慰安婦」問題ひとつだけで、ヘイト・スピーチ、琉球・辺野古、フクシマ避難者についての発言は残念ながらできませんでした。



あるNGOメンバーは、「このためにカンパ集めてジュネーヴに来たのに、どうして」と国連事務局スタッフに詰め寄っていました。一度も発言できずに、帰らなくてはならないので。でも事務局スタッフも応答しようがありません。



長年来ていますが、初めての事態に私も困惑しているところです。といいつつ、週末は天才女性彫刻家マルセロの調査のためフリブールへ行ってきます。

https://maeda-akira.blogspot.com/2017/03/blog-post_16.html




Thursday, March 12, 2020

ヘイト・スピーチ研究文献(151)反ヘイト文学批評の最前線


岡和田晃『反ヘイト・反新自由主義の批評精神――いま読まれるべき〈文学〉とは何か』(寿郎社、2018年)

寿郎社

https://www.ju-rousha.com/

サブタイトルに「いま読まれるべき〈文学〉とは何か」とある。現代日本文学におけるヘイトとの闘い、植民地主義との闘いの先頭に立つ文芸批評だ。

見たことのある名前だと思ったら、『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社)の編者であり、さらには『北の想像力――《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』の編者でもある。前者は読んだが、後者は読んでいない。

著者は文芸評論家だが、同時にゲームデザイナーでもある。文芸批評にも大きな特徴があり、一つは「北海道」にこだわり、アイヌ民族に対する差別の歴史を徹底して問い直している。もう一つは、タイトルの通り、反ヘイト・反新自由主義である。

「政治と文学」をめぐる「論争」は長いこと続いてきたが、とりわけ近年は、「政治と文学」の切り離し傾向が強い。「虚飾とシニシズムが積み重なり、現実は閉塞に満ちている」。

岡和田は、文芸批評の現在を、第1に歴史の改竄と陰謀論を柱とする「極右(ネトウヨ)」批評、第2に現実を政治的文脈から逸らす「オタク」批評、第3に「魂」、死者、安直な癒しに向井「スピリチュアリズム」批評である。情けない現実をいかに受け止め、いかに変革していくのか。ポストコロニアリズムの視点を踏まえて、文芸批評の復権をめざす。

 ネオリベラリズムに抗する批評精神

 ネオリベラリズムを超克する思弁的文学

 北方文学の探究、アイヌ民族否定論との戦い

 沖縄、そして世界の再地図化へ

以上の4部構成で、長短とりまぜて40本以上の論説を収める。総頁400を超える力作だ。

取り上げられる作家、作品は、大江健三郎、はだしのゲンの中沢啓治、大西巨人、高橋和巳、神山睦美、山城むつみ、青木淳悟、藤野可織、、笙野頼子、小熊秀雄、向井豊昭、木村友祐、津島佑子、石純姫、宮内勝典など、有名無名を含めて、幅広い。特に北海道文学、アイヌ文学への視線が目立つ。著者自身、1981年、富良野生まれだという。

ただし、北海道文学に詳しいと言っても、地域文学の閉じこもる話ではない。逆に、北海道文学から日本文学という名の東京文学を撃つ。北海道文学を掘り下げていけば、世界文学への視野が開けるし、宇宙論的視座を獲得できる。そうでなければわざわざ北海道文学と称する理由がなくなる。

こうした方法論を支えるのが、ポストコロニアリズムであり、反植民地主義であり、反ヘイトである。この姿勢は一貫している。

こういう文芸評論家が活躍していたことを十分認識していなかったのは、うかつだった。『北の想像力』出版時に話題になったし、書評を読んだ記憶があるが、きちんと受け止めていなかったのだろう。今後、注目すべき、期待できる評論家である。



林美子という詩人の『タエ・恩寵の道行』という詩集があり、岡和田は何度も林に言及している。まさに、いま読まれるべき文学の代表のようだ。恥ずかしながら、まったく知らなかった。文学を専門としない私が知らなかったのはやむを得ないが、驚いたのは次の一節だ。

「そこから本詩集の表題にある『タエ』を見返せば、自意識を無機物へと換える『砂』に仮託して、極小と極大が同一する空間を描き続けた画家・松尾多英の連作を指しながら、一方で、絶える言葉、耐える身体、逆説的に生まれた妙なる浄化の宙音をも意味するとわかる。」

 なんと画家・松尾多英だ。ついこの前まで、私の同僚だった。

 松尾多英への私のインタヴューを下記の本に収録した。

前田朗編『美術家・デザイナーになるまで――いま語られる青春の造形』(彩流社)

http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2634-5.html

砂を描く日本画家― 松尾多英ホームページ

http://www.matsuotae.com/

Sunday, March 08, 2020

アベノミクスは社会主義だという奇手


鯨岡仁『安部晋三と社会主義』(朝日新書)

元日経、後に朝日新聞の安部首相番記者による安倍晋三論。

<満州国を主導した岸信介を継ぐ「統制経済」の思想水脈と、恐るべき結末>との惹句にあるように、1940年の統制経済、岸信介、その後の「日本は社会主義」論、そしてアベノミクスまで、「社会主義」という特質が貫かれていると見る。

日銀の株爆買い、出口なき金融緩和、経産省の市場への介入、安倍首相による財界への賃上げ要請など、いずれも社会主義的であるという。

話の接ぎ穂は、岸信介と社会主義者・三輪壮寿の友人関係であり、近衛新体制であり、岸による国民皆保険・皆年金であり、「公益資本主義」論であり、アベノミクスの「変節」である。

「左派の政策? いいじゃないか」という安倍発言も証左となる。「瑞穂の国の資本主義」とは実は社会主義であった。

なかなかおもしろい本だ。

もっとも、社会主義の定義がなされていない。統制経済、計画経済を言うのか。何らかの国家介入があれば社会主義なのか。おまけに国家社会主義には言及がない。この論法なら「全ての資本主義は社会主義である」と言える。

1940年の統制経済、岸信介、そして「護送船団」方式も含めて戦後日本型経済を社会主義と見なしているかと思えば、戦後は資本主義だったが、アベノミクスは社会主義、と言っているようにも読める。叙述がやや混乱しているのも定義がないためだ。

1940年体制にしても戦後高度経済成長にしても、日本型システムのメリットだけが語られる。植民地支配や占領には特段の言及がない。戦後の朝鮮特需やベトナム特需にも言及がない。日本型システムの優秀性だけが取り上げられる。つまり、周辺諸民族を踏みつけにして、略奪し、荒稼ぎして、日本経済を成長させた歴史に疑問を感じてはならない。「一国資本主義=社会主義」論が徹底している。

末尾に文献が多数列挙されているが、青木理『安倍三代』がない。朝日文庫なのに。

Friday, March 06, 2020

鵜飼哲はどこから到来したか


鵜飼哲『テロルはどこから到来したか――その政治的主体と思想』(インパクト出版会)

http://impact-shuppankai.com/products/detail/292

<支配的な政治構造からラディカルに断絶するためにかつても今も、私たちは「テロルの時代」に生きている。世界が、時代が、多くの変化にもかかわらず、相変わらず同じ問いの前に立たされている。反戦の論理はどの方向に研ぎ澄まされるべきか?  私たちは、みずからの置かれてきた歴史的状況をいかに思考しうるか?

フランス、アルジェリア、パレスチナ、南アフリカ、スペイン、アラブ世界、そして日本――「遭遇」と考察の軌跡。>



『抵抗への招待』から23年、『応答する力――来たるべき言葉たちへ』から17年、『主権のかなたで』から12年、そして『ジャッキー・デリダの墓』から6年。

ジャン・ジュネの研究者にして、ジャック・デリダの翻訳者。ナショナリズムとレイシズムの厳しい批判者として、天皇制との思想的闘いの先陣を切ってきた鵜飼哲。反東京オリンピックの理論と運動の仕掛け人でもある鵜飼哲。

現代思想の最前線を疾駆しながら、つねに立ち止まり、反芻し、言葉を紡ぎ直し、問い返し、だがつねに光速の鮮烈な思考を掲げ続けてきた鵜飼哲。

本書ではテロ、テロル、テロリズムという言葉の彼方にある歴史と思想の激突を、幾本もの補助線を引きながら、分画し、併合し、裏返し、重ね合わせ、時に溶解しながら、詰めていく。その手つきは、他の誰にも真似の出来ない鵜飼流だ。鵜飼が引く補助線は簡明でありながら独特だ。意外な場所に細く小さな補助線を挟むかと思えば、長く太い、太すぎる補助線を強引に割り込ませる。鵜飼が引く補助線は直線とは限らない。緩やかにうねり、迂回して元に返る。補助線の上にそれを否定するかのような補助線が引き直されたと思うと、消失したはずの補助線が図面を支配する。そんな比喩しか出来ないが、ここに私たちが鵜飼の文章を30年も読み続けてきた深奥の秘密がある。えっ、秘密ではないって? それはそうだ。



本書の各所で、鵜飼は、「世代論的」と言われることも覚悟の上で、同時代に向き合ってきた自分の年代・経験に言及している。フランス文学・思想研究が本来なので、いつ、どのような時代にパリに滞在したかは、決して偶然的なこととしてではなく、鵜飼の思想形成につねに影響を与えていることが、明確に自覚されている。また、パレスチナと南アフリカを「類比」しながら語る際に、南アフリカの最初のイメージは出張した父親からの絵はがきであり、1965年頃、小学生時代のことだという。鉱物資源、金やダイヤモンドの、そして同時にアパルトヘイトの南アフリカ。学生時代にシャープビルの虐殺を知り、アパルトヘイトへの認識を深めていく。

1955年生まれの鵜飼にとって、どの出来事にどのように遭遇したかは、思索を積み重ねるために常に意識されていなければならない。先行世代は、いわゆる全共闘世代であり、圧倒的にこの国の青年達の思想に影響を与えてきた。いや、引きずり回してきたといった方が良い。そのことも踏まえて、鵜飼の問いは複雑化していく。複雑化した問いを、一つひとつていねいに解きほぐしながら、世代論を意識しながら、世代論に回収されない思想をデザインする必要がある。これが鵜飼の思考であり、生き方である。

1955年生まれで、鵜飼と同じ世代論的経験をしてきた私にとって、「ああ、やっぱり」とか「そうだったのか」という言葉を何度も繰り返しながら、鵜飼の著書を読むことは、ある種の愉しみである。世代が一緒だからと言って、同じ風景を見てきたわけではない。鵜飼に見えたものが私には見えなかったことも少なくない。それでも、かなりの程度、「ああ、やっぱり」なのだ。



フランス、アルジェリア、イスラエル、パレスチナ、南アフリカといったテーマとともに、死刑も鵜飼の重要テーマの一つであり、本書でも「政治犯の処刑」というテーゼが打ち出される。本書奥付の次の頁に、私の『500冊の死刑――死刑廃止再入門』の広告がのっているが、同書での私の言葉で言えば、「非国民の死刑」となる。同書は500冊の本の紹介のため、詳細を説き起こしているわけではないが、「死刑」は「国民と非国民を分かつ制度」であり、「生きるに値する者と生きるに値しない者を分かつ制度」である。鵜飼は「政治犯の処刑」を視野に入れつつ、天皇制ファシズムの日本で死刑が多用されなかったのは、「転向」「思想犯保護観察」のゆえであったことに気づいている。転向を迫るファシズムの風土はいまなお健在なのだから。



本書には1980年代後半に書かれた文章も収められている。当時から現在まで、フランスで、あるいは世界的に、テロルは目の前の現実であり、思想の課題であり、運動のバネであった。このことが見えていたのは、鵜飼と、ごく僅かの思想家だけだろう。「生きてやつらにやりかえせ」という2016年の講演は、テロルに立ち向かい、テロルを飲み込み、テロルをわがものとし、テロルをつぶさに分析する鵜飼の革命的離れ業を鮮やかに見せてくれる。



宙空を彷徨う思想ではなく、足下の運動論的課題を引き受けた思想の可能性を信じる読者にとって、もっとも学ぶべき参照軸を提供してくれる鵜飼の最新刊である。

と思ったら、なんと続編が予告されている。『まつろわぬ者たちの祭り――日本型祝賀資本主義批判』は3月刊だという。

「慰安婦」問題を国連人権理事会に報告


3月6日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会第43会期において、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、議題3(市民的政治的経済的社会的文化的権利)のセッションで次のように発言した。



 <「慰安婦」問題、第二次大戦時における日本軍性奴隷制の最近の状況を報告したい。

3月2日、大邱市(韓国)で元慰安婦、92歳の韓国女性が亡くなった。被害=生存者240人の内222人が謝罪も補償もないまま死んだ。現在生存者は18人に過ぎない。

 2月24日、カン・キュンファ韓国外相は、北京宣言から25周年であるが、女性に対する暴力及び戦争の武器としての性暴力を根絶するためにまだまだ多くの仕事が必要だと述べた。彼女は、政府は尊厳と名誉の回復を求めている「慰安婦」被害生存者の努力を支援していると述べた。彼女の発言を歓迎する。

 私たちは1992年以来、国連人権機関で日本軍性奴隷制問題の解決を要請してきた。

 日本軍性奴隷制は韓国と日本の2国間問題ではない。1945年の日本敗戦まで、アジア太平洋全域で行われた。被害者は韓国人だけでなく、中国人、台湾人、マレーシア人、インドネシア人、東ティモール人、パプアニューギニア人、オランダ女性であった。国際法の下で、日本には全ての生存者に救済を提供する責任があり、被害者には賠償を受ける権利が或る。

 私たちは国連人権理事会が日本軍性奴隷制の歴史の事実を調査するよう繰り返し要請している。>



私自身は19948月の国連人権委員会差別防止少数者保護小委員会に参加して発言して以来、四半世紀にわたって国連人権委員会、その後の人権理事会に参加してきた。今回で86回目の発言になる。なかでも「慰安婦」問題と、在日朝鮮人の人権問題の2つを一貫して取り上げてきた。「慰安婦」問題は、いまでは正面から議論されることはないが、それでも韓国政府や朝鮮政府が発言し、日本政府も一言反論する。NGOからの発言も必要だ。



新型コロナがイタリアでも猛威を振るっていて、フランスやスイスでも発祥している。スイスでは東南部のティチーノやグラウビュンデンのほうのようだ。最西部のジュネーヴではない。とはいえ、国連欧州本部では、人権理事会は予定通り開かれているが、それ以外のサイドイベントは中止になった。サイドイベント関係者や観光客は中に入れない。もっとも、ジュネーヴは世界中から人が集まる町なので、いつ発症するかわからない。世界保健機関WHOのお膝元で発症すると困る。私はWHOに徒歩3分の所に滞在している。郊外の岡の上だ。当面、宿と国連を往復するだけで、町中には出ないことにしている。

Thursday, March 05, 2020

ますます進む社会の分断


橘玲『上級国民/下級国民』(小学館新書)

成田空港の書店で購入し、飛行機の中で読んだ。初めて知る著者だが、国際金融小説を書く作家で、同時に金融・人生設計に関する著作も多いという。池袋でおきた自動車暴走事故によって2人が亡くなったのに、運転したのが元高級官僚で、逮捕されなかったことから、「上級国民」なる言葉が生まれた。実際には高齢であり、自身が骨折していたために逮捕されなかったようだが、前後に似たようなケースもあったことから、「上級国民/下級国民」という言葉が使われるようになったという。

本書は、バブル崩壊後の平成の労働市場がどのように分断を強化したのかを示す。「雇用破壊」とか、日本型雇用の変質が指摘されたが、実は「正社員の雇用は全体として守られた」という。守られたのは団塊の世代である。そのあおりで就職できなかったのが団塊ジュニア世代というから、ややこしい。次に起きるのは「働き方改革」の進行と、年金制度をめぐる対抗のようだ。続いて、「モテ」と「非モテ」の分断に焦点が当てられる。社会の分断によって生み出されたアンダークラスには浮上のチャンスがきわめて乏しい。そもそも教育の本質は「格差拡大装置」なので、教育による格差是正は期待できないという。最後に、リベラル化する世界では「人口爆発」と「ゆたかさの爆発」の先に、人生の自由な選択と設計が実現しており、「リスク」を自分で引き受けなければならない。知識社会の憂鬱が語られる。

数千年単位でのマクロの話と、数十年単位のミクロの変化を強引につなげて話を進めるなど、説得力に欠けるが、案外、すんなり読める。読者を引き込む文章はさすが作家と言える。統計の読み方も独特であり、ウケる新書の書き方はお得意のようだ。

Wednesday, March 04, 2020

そうだったのか、バンクシー


毛利嘉孝『バンクシー アート・テロリスト』(光文社新書)

いまをときめくストリート・アーティストのバンクシーを取り上げた新書だ。サザビーズ・オークションにおける作品裁断事件で世界的に話題となり、東京都港区の日の出駅近くのネズミの絵で、日本にもバンクシーが、と更に話題となった。いまや誰でも知っている匿名作家に、『ストリートの思想』の著者が挑む格好だが、著者はかなり以前からバンクシーをフォローしていたので、新書の入門書とはいえ、よくできている。知らないことばかりだが、読みやすい。

おもしろいエピソードが次々と紹介されている。一番おもしろかったのは、キング・ロボとバンクシーの「戦争」だ。1980年代にイギリスにグラフィティを持ち込んだキング・ロボと、後輩世代のバンクシーだが、あるすれ違いから敵対関係となった。バンクシーが、キング・ロボの絵に、上書きをして「戦争」を仕掛けた。これに激怒したキング・ロボが、さらにその上に絵を書き足して反撃した。すると、バンクシーはKINGの署名の前にFUCを加えてFUCKINGとして侮辱した。今度は、キング・ロボだけではなく、他のグラフィティ・アーティストたちが「参戦」して、バンクシーの作品を消しまくった。ところが、2011年にキング・ロボが事故で意識不明の重体になると、バンクシーはキング・ロボの回復を願う作品を描いて、「戦争」は終結したという。町中に、路上に、壁に、勝手に、時には違法に描いていくグラフィティなので、完成した作品の上に他の作家が書き足して意味を変えることが可能だ。ここが凄い。

西欧ではたしかに鉄道沿線の壁や、トンネルの壁に見事なグラフィティ・アートを見かけることが多い。上に書き加えられている者が多いが、前の作品が古いから、上に描いているかと思っていた。どうやらそれだけではなく、作家同士の対話、共同、時に「戦争」がおきているようだ。今後は注意してみよう。

バンクシーはブリストル出身で、その活動はブリストルからロンドンへ、そしてアメリカへ、パレスチナへ、さらには世界へと広がったという。また、今は一人ではなく、プロジェクト・チームによる活動のようだ。

Sunday, March 01, 2020

星野智幸を読む(5)毒身帰属の会とは何か


星野智幸『毒身温泉』(講談社、2002年)

「毒身帰属」「毒身温泉」「ブラジルの毒身」の3作が収録されている。前2作はつながりがあり、「毒身帰属の会」の物語。「ブラジルの毒身」は、その延長で構想されたのであろうが、独立した作品といったほうが良い。

1989年に設立された「毒身帰属の会」は「独身貴族は体に毒だ」という発想からなり、「毒身者の存在の根拠は自分自身にある。毒身者は、毒身者自身という単位に帰属している。そういう単位のネットワーク」として、プリンス・シキシマによって提言された。大家が取り壊す予定の古いアパートを買い取って、「毒身帰属の会」の拠点とし、毒身者が挙動生活をするというアイデアの実現を目指す。ここに集まった人々の物語だ。性や、年齢や、家族の枠にとらわれず、人々の新たなネットワークを作ろうという試みだが、人間関係はそう単純ではない。

「ブラジルの毒身」は異色の作品だ。「天国行きのトラック」に乗った一団はブラジルに移住した日系移民たちで、アマゾンで開催される日系一世同窓会をめざす。果たして行きつけるかどうか定かでない無謀な旅の途中、それぞれの人生が語られる。浦島太郎のような体験である。語りの間にいつのまにやらトラックの乗客がどんどん増えていく。誰がいつどのように乗ったのかもわからない。無縁仏の多い地域だからか。足もとに「影」のない人々も混じる。最後に登場するおばあさんは、日本と家族から捨てられてブラジルに嫁ぐはずが、それさえままならず、ブラジルで一人で生きてきた。「婚期を逃したガイジンの年増女なんか、一人前の人間とは見なされないわけよ」。過酷な人生体験が開陳されるかと思うと、いきなり「盆踊りとカーニバルとどっちが偉いかで論争」が始まり、乗客たちは踊りだす。盆踊り派とカーニバル派のダンス合戦だ。奇妙奇天烈な挿話だ。

さて、ここから何を考えるべきか。読者は途方に暮れるが、それも作者の計算か。