Friday, July 30, 2021

検察審査会、安倍晋三不起訴不当議決

令和3年東京第一検察審査会審査事件(申立)第8号

申立書記載罪名 公職選挙法違反,政治資金規正法違反

検察官裁定罪名 公職選挙法違反,政治資金規正法違反

議決年月日 令和3年7月15日

議決書作成年月日 令和3年7月28日

 

議  決  の  要  旨

 

被 疑 者  安 倍 晋 三

被 疑 者  配 川 博 之

被 疑 者  阿 立 豊 彦

被 疑 者  西 山   猛

 

不起訴処分をした検察官

   東京地方検察庁 検事  田 渕 大 輔

議決書の作成を補助した審査補助員    弁護士  宇田川 博 史

 

 上記被疑者安倍晋三に対する公職選挙法違反,政治資金規正法違反被疑事件

 (東京地検令和2年検第18325号),被疑者配川博之に対する公職選挙法違

反被疑事件(同第18326号),被疑者阿立豊彦に対する政治資金規正法違反

被疑事件(同第18327号),被疑者西山猛に対する政治資金規正法違反被疑

事件(同第32650号)につき,令和2年12月24目上記検察官がした不起

訴処分の各当否に関し,当検察審査会は,上記審査申立人の申立てにより審査を

行い,次のとおり議決する。

 

            譜  決  の  趣  旨

 本件各不起訴処分は,

1 被疑者安倍晋三について,

(1)    公職選挙法違反(後援団体関係寄附)及び政治資金規正法違反(晋和会代

  表者の会計責任者に対する選任監督責任)は不当である。

 (2)政治資金規正法違反(後援会の収支報告書不記載,晋和会の収支報告書不

  記載,晋和会代表者の重過失責任)については相当である。

2 被疑者配川博之について,公職選挙法違反(後援団体関係寄附)は不当であ

 る。

3 被疑者阿立豊彦について,政治資金規正法違反(後援会の収支報告書不記載)

 は相当である。

4 被疑者西山猛について,政治資金規正法違反(晋和会の収支報告書不記載)

 は不当である。

 

           議  決  の  理  由

 

1 被疑事実

 (1)公職選挙法違反(後援団体関係寄附)

   都内のホテルで,桜を見る会に先立ち行われた「安倍晋三後援会桜を見る

  会前夜祭」において,選挙区内の後援会員に対し,飲食代金不足分を補てん

  したことが後援団体関係寄附に当たるという被疑者安倍及び被疑者配川に対

  する公職選挙法違反

 (2)政治資金規正法違反(後援会の収支報告書不記載)

   前記前夜祭に関する収入及び支出を後援会の収支報告書に記載せず,選挙

  管理委員会に提出したという被疑者安倍及び被疑者阿立に対する政治資金規

  正法違反

 (3)政治資金規正法違反(晋和会の収支報告書不記載)

   前記前夜祭に関するホテルに支払うべき代金の補てん分として,後援会に

  代わり、晋和会が支払ったことにつき、晋和会の収支報告書に支出及び収入

  を記載せず,総務大臣に提出したという被疑者安倍及び被疑者西山に対する

  政治資金規正法違反

 (4)政治資金規正法違反(晋和会代表者の会計責任者に対する選任監督責任)

   被疑事実(3)事件につき,晋和会の会計責任者である被疑者西山の選任及び

  監督につき,相当の注意を怠ったという被疑者安倍に対する政治資金規正法

  違反

 (5)政治資金規正法違反(晋和会代表者の重過失責任)

   被疑事実(3)事件につき,重大な過失があったという被疑者安倍に対する政

  治資金規正法違反

2 被疑者安倍及び被疑者配川に対する公職選挙法違反(後援団体関係寄附)

 ついて

  前夜祭における会費収入を上回る費用が発生し,その不足額を後援会側が補

 てんした事実が認められるものの,寄附を受けた側に,寄附を受けた認識があ

 ったことを認定する十分な証拠がないとする。

  しかしながら,寄附の成否は,あくまで個々に判断されるべきであり,一部

 の参加者の供述をもって,参加者全体について寄附を受けた認識に関する判断

 の目安をつけるのは不十分と言わざるを得ない。

  また,実際に提供された飲食物の総額を参加人数で除すると1人当たりの不

 足額は大した金額ではなく,参加者において不足分があることを認識し得なか

 ったとも考えられるが,都心の高級ホテルで飲食するという付加価値も含まれ

 ているのであるから,単純に提供された飲食物の内容だけで寄附を受けたこと

 の認識を判断するのは相当とは言えない。

  さらに,被疑者安倍の犯意について,不足額の発生や支払等について,秘書

 らと被疑者安倍の供述だけでなく,メール等の客観的資料も入手した上で,被

 疑者安倍の犯意の有無を認定すべきである。

  以上のとおり、寄附を受けた側の認識及び被疑者安倍の犯意のいずれについ

 ても,十分な捜査を尽くした上でこれを肯定する十分な証拠がないとは言いが

 たく,不起訴処分の判断には納得がいかない。したがって,被疑者安倍及び被

 疑者配川両名とも不起訴処分は不当である。

3 被疑者安倍及び被疑者阿立に対する政治資金規正法違反(後援会の収支報告

 書不記載)について

  被疑者安倍は,後援会の会計責任者でも会計責任者の職務を補佐する者でも

 なく,被疑者配川と意を通じ,後援会の収支報告書の不記載の罪を実行したと

 言えるような,共謀の事実を認定することは困難と思われるため,不起訴処分

 はやむを得ないと判断する。

  被疑者阿立については,仮にも内閣総理大臣の後援会の会計責任者という立

 場を自覚していたはずであり,責任を問われないことには納得がいかないが,

 犯意を認定することは困難であり,不起訴処分はやむを得ないと判断する。

4 被疑者安倍及び被疑者西山に対する政治資金規正法違反(晋和会の収支報告

 書不記載)について

  前夜祭の主催者は後援会であるとしても,前夜祭の開催には,被疑者西山が

 主体的,実質的に関与していたと認められるから,晋和会による政治資金規正

 法違反(収支報告書の不記載)の事実が認められるか否かについては,慎重な

 捜査が行われなければならない。

また,領収証は,一般的には宛名に記載された者が領収証記載の額を支払っ

 たことの証憑とされるから,宛名となっていない者が支払ったという場合は,

 積極的な説明や資料提出を求めるべきであり,その信用性は,慎重に判断され

 るべきである。

  以上のとおり,晋和会の資金による支払があったかどうかについて,十分な

 捜査が尽くされているとは言いがたいため,不起訴処分の判断には納得がいか

 ず,被疑者西山の不起訴処分は不当である。

  被疑者安倍については, 今後捜査を尽くしても収支報告書の不記載につき,

 認識があったという証拠を入手できる見込みが大きいとは考えにくいことを踏

 まえ,不起訴処分は相当と判断する。

5 被疑者安倍に対する政治資金規正法違反(晋和会代表者の会計責任者に対

る選任監督責任,晋和会代表者の重過失責任)について

  前述のとおり,政治資金規正法違反(晋和会の収支報告書不記載)について,

 被疑者西山の不起訴処分は不当であり,今後,同事実に関し再検査が行われる

 のに併せて,被疑者安倍の会計責任者被疑者西山に対する選任監督に対する注

 意義務違反の有無の捜査も行われるべきであり,不起訴処分は不当である。

  なお,被疑者安倍の収支報告書不記載に関する重過失責任については,今後

 捜査を尽くしても重過失を裏付ける新たな証拠を入手できる見込みが大きいと

 は考えにくいことを踏まえ,不起訴処分は相当と判断する。

6 まとめ

  よって,上記趣旨のとおり議決する。

  付言すれば,「桜を見る会」は税金を使用した公的な行事であるにもかかわ

 らず,本来招待されるべき資格のない後援会の人達が多数参加しているのは事

 実であって,今後は,候補者の選定に当たっては,国民からの疑念が持たれな

 いように,選定基準に則って厳格かつ透明性の高いものにしてもらいたい。

  また「桜を見る会前夜祭」の費用の不足分を現金で補てんしているが,現金

 の管理が杜撰であると言わざるをえず,そういった経費を政治家の資産から補

 てんするのであれば,その原資についても明確にしておく必要があると思われ,

 この点についても疑義が生じないように証拠書類を保存し,透明性のある資金

 管理を行ってもらいたい。

  最後に,政治家はもとより総理大臣であった者が,秘書がやったことだと言

 って関知しないという姿勢は国民感情として納得できない。国民の代表者であ

 る自覚を持ち,清廉潔白な政治活動を行い,疑義が生じた際には,きちんと説

 明責任を果たすべきであると考える。

Wednesday, July 28, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)d アンチレイシスト入門

イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

著者はレイシズムの現象形態を次々と取り上げて批判的に分析し、アンチレイシズムの必要性を説く。人種だけではなく、文化や空間やジェンダーにいたるまで、あらゆる領域にレイシズムが潜み、機能する。その一つ一つを順に取り上げて、誰もがレイシストになりうること、「私はレイシストではない」とうそぶいても仮面をかぶったレイシストにすぎないことを抉り出す。自らの体験を通じて、誰もがレイシストにもアンチレイシストにもなることをこれでもかと描き出す。

その上で、著者は「アンチレイシストであるためには」どうすればよいのかを論じる(1618章)。

差別をなくし、レイシズムを克服するための努力には長い歴史があるが、成功していない。それどころか、世界は差別に満ち、レイシズムにあふれている。レイシズムの被害は途方もない巨大さになっている。これまでのアンチレイシズムの戦略が間違っていたからだ、と著者は主張する。レイシズムとアンチレイシズムの関係を的確に認識し、戦略を立て直さなければならない。

アンチレイシストであろうとするためのステップを明示して確認しなくてはならない。

・「わたしはレイシストではない」「わたしは黒人だからレイシストにはなれない」という否定の言葉を使わない。

・レイシスト(レイシズムポリシーを支持している人、レイシズム的な考えを表明している人)の定義を受けいれる

・自分がレイシズムポリシーを支持し、レイシズム的な考えを表明したことに気づいたら、それを告白する。

・自分のなかにレイシズムを生じさせる源があることを自覚する(ぼくは人をレイシストにする国で育った)

・アンチレイシストの定義(アンチレイシズムポリシーを支持している人、アンチレイシズム的な考えを表明している人)を受け入れる

・自分の空間でアンチレイシズムへの権力移行とアンチレイシズムポリシーを求めて奮闘する。

・レイシズムがほかの偏見と交わる交差点で、アンチレイシズムの立場をつらぬく。

・アンチレイシズムの思想に基づいて指向する。

このステップは、日本の反差別運動が取り組んできたことと全く同じと言って良い。私は「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」を問い続けてきた。日本という空間に生まれ育ち、その文化を身に着けた者は、黙っていれば植民地主義者になるからだ。その自覚から、反植民地主義、反レイシズムへの道が始まる。

著者は第18章「アンチレイシストであるためには」において、次のステップを提示する。

・「人種的不公平」の原因は“人ではなくポリシーにある”ことを認める。

・抑圧や偏見が交差し、顕在化しているあらゆる場所で「人種的不公平」を特定する。

・「人種的不公平」を惹き起こすレイシズムポリシーを調査し、実態を明らかにする。

・「人種的不公平」をなくすためのアンチレイシズムポリシーを考案し、探求する。

・アンチレイシズムポリシーを実施する力を持っている個人や集団をあきらかにする。

・あきらかにした“レイシズムポリシー”や、それらを”アンチレイシズムポリシーにするための是正案“についての普及活動や啓発活動をおこなう。

・共感のあるアンチレイシズムのポリシーメーカーと協力し、アンチレイシズムポリシーを実施する。

・共感のないレイシズムのポリシーメーカーを権力の座から追いおとすためにアンチレイシズムの力を展開し、アンチレイシズムポリシーを実施する。

・アンチレイシズムポリシーが「人種的不公平」を減らし、解消することを確認するため、注意深く見守る。

・ポリシーが失敗しても人のせいにはしない。最初からなりなおし、新たな効果的なアンチレイシズムポリシーを、成果が出るまで模索し続ける。

・新たなレイシズムポリシーが実施されないように、監視の目を光らせる。

いずれももっともな提案である。日本の反差別運動もこれと同じことを長年にわたって続けてきた。

ただ、著者の提案は非常に一般的かつ抽象的である。日本の反差別運動は、日本政府に対して、地方自治体に対して、裁判所に対して、国会に対して、あるいはマスコミに対して、企業に対して、学校に対して、反差別政策の提言をずっと具体的に行ってきた。労働についても教育についても、不動産賃貸でも、様々な場面における差別に取り組んできた。著者には、こうした具体的な場面での提言はない。その意味では本書に学ぶべき新しい点はさほどないようにも見える。

しかし、レイシズムとアンチレイシズムの位置づけ、把握の仕方、考えるための素材が具体的で、わかりやすく、はじめの一歩として非常に重要な著作だ。全米で130万部のベストセラーだという。130万人の読者が本書を理解し、共感し、具体的な取り組みを始めれば、状況を変える大きな力になるだろう。実際に本書出版後のBLM運動の盛り上がりに対して影響を与えた重要著作だという。今後のアンチレイシズム運動にとって大きな意義があるだろう。

本書はレイシズムの歴史と現在を包括的かつ多角的にていねいに分析しているが、不思議な欠落がある。

1に、言語レイシズムに全く言及がない。人種差別撤廃条約を始めとする国際人権文書では、差別の動機として必ず言語が挙げられる。どの国に行っても、言語に基づく差別はもっとも目立つ、重要なテーマである。ところが、本書では実に多くのレイシズムを取り上げているのに、言語は取り上げない。著者は、英語で思考し、対話し、英語で暮らすのが当たり前のことで、それ以外のことは考えたことがないのかもしれない。

1冊の本で全てを取り上げることなどできないので、言語レイシズムを取り上げていないことは、たまたま書いていないだけで、さして重要でないとも言える。

ただ、もっと重要なことを指摘しておく必要がある。

すなわち、第2に、本書では「レイシズムとミリタリズム」への言及がない。著者が生まれ育ち、現在もその一員であるアメリカ合州国の最大にして最悪のレイシズムは「ミリタリズムと結びついたレイシズム」である。第二次大戦以後に絞っても、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア空爆、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争によって、かの国はアジアにおいて数えきれない人々を殺戮した。難民に追い込んだ。そのことを誇り、凱歌を上げ、経済的に潤ってきた。米軍のミリタリズムとレイシズムを切り離して考えることはできない。米軍の歴史と現在、そして軍学校における軍事教育などを抜きに現代レイシズムを測定することもできない。この最重要論点を著者は懸命に回避する。アメリカン・ドリームが外部にとってはアメリカン・ナイトメアでしかないことを著者はどれだけ理解しているだろうか。

このことをきちんと指摘しておく必要がある。同時に、平和憲法を持つはずの日本においても、日本政府や社会が持っている「ミリタリズムとレイシズム」問題を俎上に載せていく必要がある。

Tuesday, July 27, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)c アンチレイシスト入門

イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

4章以下で、著者はさまざまなレイシズムとアンチレイシズムを俎上に載せて、分析していく。生物学的レイシズムと生物学的アンチレイシズム(第4章)、民族レイシズムと民族アンチレイシズム(第5章)、身体レイシストと身体アンチレイシスト(第6章)、文化レイシストと文化アンチレイシスト(第7章)、行動レイシストと行動アンチレイシスト(第8章)と、レイシズムは多様な現象形態を有する。

著者はこれらのレイシズムを理論的に提示するのではなく、自分自身の体験を通じて提示する。ある時は友人が、ある時は教師が、そしてある時は著者自身がレイシストとして登場し、レイシズムに影響された発言や行動をする。ある時は、レイシズムに気づき、レイシズムを乗り越えようと格闘するが、こちらのレイシズムからあちらのレイシズムに移行してしまう。著者の成長過程はレイシズムからレイシズムへの旅であり、逆戻りであり、試行錯誤であり、失態の連続である。

もちろん、著者は単に個人的体験を語っているのではない。1980年代にアメリカに生まれ、1990年代から2000年代にかけて成長した黒人男性が遭遇するレイシズムと、それとの葛藤を描くと同時に、個人的体験を全米の黒人男性の問題としてとらえ返し、さらに近代の奴隷制や黒人差別の歴史と照らし合わせ、現代のアメリカの政策を検証する。これによって叙述が厚みを増し、多角的な分析が可能となり、読者は一つひとつ確認しながら読み進めることができる。

「ぼくは優秀なクラスメートたちの目を通して自分を見ていた――この場にいるのがふさわしくない者だと。無視してもいいやつだと。ぼくは優秀な知性の海のただなかで、独り溺れて死にそうになっていた。/ぼくは、自分が勉強の出来が悪くて苦しんでいるのは、自分だけでなく、黒人全体の出来が悪いからだと考えていた。なぜなら、ぼくは周りの人々の目――あるいはぼくが勝手に想像していた周りの人々の目――と、自分自身の目を通して、黒人を代表していると考えていたからだ。」

カラーリズムとカラーアンチレイシスト(第9章)、反白人のレイシスト(第10章)、黒人のレイシスト(無力だからという自己弁護)(第11章)、階級レイシストとアンチレイシストの反資本主義者(第12章)、空間レイシズムと空間アンチレイシズム(13)、ジェンダーレイシズムとジェンダーアンチレイシズム(14)、クィアレイシズムとクィアアンチレイシズム(第15章)。

あらゆる差異がレイシズムを生み出す。皮膚の色もジェンダーも階級も性的マイノリティも。白人優越主義が隆盛するが、反白人のレイシストも生まれる。黒人が黒人を卑下し、見下すレイシズムも存在する。レイシズムはくみしやすい敵ではない。レイシズムは外からやってくるだけでもない。反レイシズムのつもりがレイシズムを内面化してしまっている場合もある。多様なレイシズムの生命力を軽視してはならない。アンチレイシズムは固定した使嗾ではなく、つねにレイシズムとの格闘を求められている、現在進行形の思想でなくてはならない。

「アンチレイシストであろうとする者は、レイシストと白人を混同しない。白人のなかにもアンチレイシストはいるし、有色の人々にもレイシストはいることを知っているのだから。/アンチレイシストであろうとする者は、白人をひとくくりにしない。一般的な白人は、有色人種を踏みつけにすることもあるが、頻繁にレイシズムパワーの被害を受けてもいる。」

 「レイシズムとアンチレイシズムは表裏一体なのだと認めれば、ぼくたちは自分の内面にあるレイシズム思想やレイシズムポリシーについて未整理な考えを客観視できるようになる。/たとえば、ぼくは人生の大部分で、レイシズムとアンチレイシズムの両方の考えをもち、レイシズムとアンチレイシズムの両方のポリシーを支持してきた。ある瞬間にはレイシストだったし、またある瞬間にはアンチレイシストだった。」

 第12章「資本主義とレイシズムの双子」では、階級レイシストを、階級を人種化し、そうした階級を圧迫する人種資本主義ポリシーを支持し、正当化している人と定義する。マーティン・ルーサー・キングにならって、レイシズムの問題、経済搾取の問題、戦争の問題は結びついていると見る。「世界システム」論を参照し、大航海時代が植民地主義、帝国主義の時代であり、植民地と奴隷制の中に「資本主義とレイシズム」を確認する。アンチレイシズム的反資本主義への入り口に立つ。

Monday, July 26, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)b アンチレイシスト入門

 イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

著者は1982年、ニューヨーク州生まれである。90年代にサウスサイド・クイーンズで少年時代を過ごし、ヒップホップカルチャーを全身に浴びて育った。黒人文化の代表格とされるヒップホップは「とりわけ垢抜けていて芸術的にも成熟している」と感じるか、「下品な言葉で悪影響が生じる」と感じるか。文化レイシズムの問いを身をもって生きたとも言える。

 第1章で著者は基本的立場を打ち出す。さまざまな人種的不公平を生み出し、維持するためのあらゆる手段がレイシズムポリシーであり、これに対してアンチレイシズムポリシーとは、人種的公平を生み出し、維持するためのあらゆる手段になる。著者は「非レイシズム」のポリシーや、「人種中立的」なポリシーは存在しないという。ただし、人種差別ばかりに目を向けるとレイシズムの中心にあるものが見えなくなるという。中心にあるものとは権力であり、レイシズムパワーである(第3章)。

 第2章「引き裂かれる心」で著者は、黒人がしばしば経験する葛藤に言及する。黒人でありたいという思いと、アイルランド人のようにアメリカ人のなかにまぎれこみたいという思いである。アンチレイシズムと同化主義の葛藤である。同化主義はレイシズムであり、それゆえレイシズムとアンチレイシズムの間で揺れ動く心に悩むことになる。「黒人の自立の問題は両刃の剣」である。白人にも分離主義と同化主義の対立がある。そして「白人のほうが優位な社会にあって、白人の内なる対立意識は、黒人の内なる対立意識に大きな影響を及ぼした」。アンチレイシストになるためには、この対立意識から解放される必要がある。

 第3章で、人種とは権力がつくり出した幻想であるという。定義としては「権力が、さまざま集団に見られる違いを、集約あるいは融合することでつくりあげた概念」となる。このことを著者は植民地支配と奴隷制の歴史の中で形成された人種概念にさかのぼって検証する。そして「レイシズムポリシーの背後には経済的、政治的、文化的に強い私利私欲――ポルトガル王室や奴隷商人の場合は昔ながらの富の蓄積――がある。ズラーラの系譜につらなる有力で狡猾な知識人たちは、その時代のレイシズムポリシーを正当化するためにレイシズム思想を生み出し、その時代に存在した『人種的不公平』はポリシーではなく特定の人々のせいだと責任転嫁してきた」。

人種は幻想にすぎない、あるいは人種というものは存在しないということは、欧州でもずっと以前から語られてきた。存在しないにもかかわらず、その社会の中で何らかの理由で、つまり利益不利益の関係構造の中で人種概念はつくられる。ここでは人種が存在するか否かは本当の問題ではない。あらゆる差異が利用される。民族、言語、宗教、皮膚の色、容貌、社会的地位、世系・出身、性別、性的アイデンティティ、あらゆる差異を基に集団が作られ、差別が始まる。

いったんつくられると、人種概念は猛威を振るう。あらゆる法、制度、政策、規則、ガイドライン、文化が、優越者の利益に奉仕するように仕向けられる。レイシズムの機能をもっとも活性化させるのが、中立幻想である。「私はレイシストではない」と言いながら、中立であるかのごとく振舞い、結果としてレイシズムを放置する。差別を容認し、維持する。「私はレイシストではない」はレイシストの仮装の抗弁にすぎないことが多い。「私はアンチレイシストである」と立場を明確にするべき理由はここにある。

 この議論は、中立公平のふりをする日本の憲法学がヘイト・スピーチを擁護する時に、同じメカニズムが作動していることを教えてくれる。憲法学は、表現の内容と形式を恣意的に分離し、「表現内容中立規制は許されるが、表現内容規制は許されない」とし、「ヘイト・スピーチの規制は表現内容規制だから許されない」と言う。日本国憲法を無視して、差別と差別表現を守るためならどんな理屈でも持ち出す。「私はレイシストではない」ふりをするが、アンチレイシズムに対して猛烈な批判を繰り返す。

Sunday, July 25, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(182)a アンチレイシスト入門

イブラム・X・ケンディ『アンチレイシストであるためには』(辰巳出版、2021年)

http://www.tg-net.co.jp/item/4777827739.html

<全米130万部ベストセラー!

《米Amazon1位》《NYタイムズ・ベストセラー第1位》

2020年最も影響力のある100"に選ばれた世界が注目する歴史学者による世界に蔓延るレイシズム(人種主義)を解き明かすためのガイドブック。>

<アンチレイシストとは人種だけでなく、民族、文化、階級、ジェンダー、セクシュアリティなどの違いを平等に扱う人のこと。

世界に蔓延るレイシズム(人種主義)の構造や本質をみずからの体験を織り交ぜながら解き明かし、制度としてのレイシズムを変え、「アンチレイシスト」としての態度をとりつづけることがその解決策だと訴える。

レイシズムが深く浸透した社会では、自身をふくむほとんどの人の心にレイシズム的な考え方が潜んでいる。

レイシストの権利者たちがつくりだす「ポリシー(政策、制度、ルール)」を変えない限りレイシズムは解決できず、「レイシストではない」と発言する人も、そのポリシーを容認する限り仮面を被ったレイシストなのだと厳しい目を向ける。

だからこそ、「アンチレイシスト」でありつづけるためには、レイシズムを生物学、民族、身体、文化、行動、肌の色、空間、階級に基づいてよく理解し、レイシズム的な考え方を見つけるたびに取り除いていく必要がある。

問題の根源が「人々」ではなく「権力」に、「人々の集団」ではなく「ポリシー」にあることに目を向ければ、アンチレイシズムの世界が実現可能となる。

ぼくたちはレイシストであるための方法を知っている。

レイシストでないふりをする方法も知っている。

だからいま、アンチレイシストであるための方法を学び始めよう。>

著者は歴史学者で作家であり、ボストン大学の反人種主義研究・政策センター所長。本書は2019年に出版され、アメリカでベストセラーになったという。

 半分ほど読んだところだが、いくつか本書の特徴を示しておこう。

1の特徴は、著者自身の出身、子ども時代の体験を素材に、日常生活の具体的な一コマ一コマを通じてレイシズムがいかに発言しているか、いかに乗り越えるかを説明している点である。このためにとても読みやすい。

アフリカ系アメリカ人の両親がどのように出会って、結婚し、著者が生まれたか。その歴史を見ただけでアメリカにおけるレイシズムの多様な網の目の中で考える必要がよくわかる。やる気のない高校生だった著者がマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・スピーチコンテストの決勝に残り、スピーチをした時のエピソードも、レイシズムの複雑さを考える最適の事例となっている。著者がなぜ、どのように転校し、どの高校に通ったのか、それもレイシズム抜きに説明できない。アフリカ系アメリカ人やアフリカやカリブ地域からの移民アフリカ人を取り巻いている生活世界そのものがレイシズム渦巻く世界である。アフリカ系であれインド系であれ白人であれ、それぞれに社会条件に規定された人生を生きざるを得ない。その諸相を、当時の少年の視点と、現在の歴史学者の視点で、巧みに描き出しているので、読みやすく、叙述が具体的である。

2の特徴はレイシズムの定義方法にある。従来の諸学問におけるレイシズムにとらわれることなく、独自の定義を試みる。第1章「定義することからはじめよう」の冒頭に次のような定義が示される。

レイシスト 行動する(しない)こと、またはレイシズム的な考えを表明することによって、レイシズムのポリシーを支持している人

アンチレイシスト 行動する(しない)こと、またはアンチレイシズム的な考えを表明することによって、アンチレイシズムのポリシーを支持している人

一目見てわかるように、これは実は定義になっていない。「レイシストとはレイシズムのポリシーを支持している人」ならば「デモクラットとはデモクラシーのポリシーを支持している人」であり、「ファシストとはファシズムのポリシーを支持している人」である。

定義になっていないのに、本書を読み進めると、この定義は妙に説得力のあるものだということがわかる。著者は第2章以下で、同様に同化主義者、分離主義者、生物学的レイシスト、生物学的アンチレイシスト、民族レイシズム、民族アンチレイシズム、身体レイシスト、身体アンチレイシストなどを定義していく。いずれも定義になっていない。でも、説得力のある定義である。ここが重要なところだ。定義することは大切だが、定義のための定義をする必要はない。重要なのは具体的な事例を提示して、著者の定義が何を意味しているかをきっちり伝えることである。それが本書の方法である。

3の特徴は歴史的考察である。アメリカにおける黒人に対する差別を論じているので当たり前のことだが、近代奴隷制の歴史を踏まえて、そこからさまざまな事例を取り出して、現代アメリカの現実に立ち向かう。世界的な奴隷制の歴史と思想が何を生み出し、現在の私たちを支配しているかを巧みに、鮮やかに描き出している。

4の特徴はレイシズムの多様性を十分に考慮している。白人が黒人を差別して捏造したレイシズムだが、いったんつくられたレイシズムは多様な局面で機能する。特に黒人内部への影響である。著者自身が子ども時代にレイシズムの影響を受け、レイシズムを内面化していた。著者の両親もそれぞれにレイシズムに脅かされていた。黒人の間でも、アフリカ系アメリカ人と移住アフリカ人の間の差別がある。黒人がアジア系に対して持つ差別、経済的に成功した黒人が失業している黒人に対して持つレイシズム。人種、民族、言語、皮膚の色、宗教、身体的特徴、性別、性的アイデンティティなど多様な要因がレイシズムに巻き込まれていく。このことをしっかり認識しておかなくてはならない。レイシズムとアンチレイシズムの区分けを忘れてはならないが、レイシズムは一枚岩ではない。

Saturday, July 24, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(181)差別と闘うために

角南圭祐『ヘイトスピーチと対抗報道』(集英社新書、2021年)

共同通信ヘイト問題取材班で「反ヘイト報道」を続けてきた著者による新書本である。

<「私は差別をしない」では差別はなくならない。「私は差別に反対する。闘う」でなければならない。そのために、差別に反対する政策と法制度をつくり出し、差別に反対する仲間を増やしていきた。>

私が書いた文章かと思うほど、最初から最後まで共感を抱くことの多い本だ。

著者は日本軍慰安婦や徴用工などの戦後補償問題の取材をしてきた経験に続いて、ヘイト・スピーチの取材に入っている。それだけに歴史認識と反差別の軸がしっかりしている。安直などっちもどっち論に流されることなく、差別は許されないという視点が本物であり、いかにして差別をなくすかに一歩踏み出している。

<「公正・中立」に慣れている記者は、社会を破壊し、マイノリティの魂を殺すヘイトスピーチ吹き荒れるデモを取材しても、両論併記的な“お利口さん”記事を書く傾向が強い。ヘイトスピーチを批判しながらも、「ヘイトスピーチ規制は、憲法が保障する表現の自由の侵害になる」というものだ。しかし、ヘイトスピーチは表現の範疇に入るものではなく、暴力そのものだ。暴力に対して、中立はあり得ない。>

的確な認識である。

1章 ヘイトスピーチと報道

2章 ヘイトの現場から

3章 ネット上のヘイト

4章 官製ヘイト

5章 歴史改竄によるヘイト

6章 ヘイト包囲網

路上におけるヘイト、オンラインのヘイト、そして官製ヘイト、歴史改竄ヘイトに目を配り、反ヘイトのための立法論にも及ぶ。

ヘイト被害を受けて闘ってきた人々も様々な形で紹介されている。また、ヘイトと闘ってきた先輩の石橋学記者、師岡康子弁護士、上瀧浩子弁護士、神原元弁護士、金竜介弁護士、ジャーナリスト安田浩一、中村一成、しばき隊・CRACの野間易通、国際人権法学の阿部浩己・明治学院大学教授、刑法学の金尚均・龍谷大学教授、日本軍慰安婦問題では強制動員真相究明ネットワークの小林久公、永井和・京都大学教授、吉見義明・中央大学名誉教授をはじめ、理論と運動を支えてきた人々が多数登場する。

運動の成果としてヘイトスピーチ解消法や川崎市条例ができたが、内容は十分とは言い難いし、運用を見ても限界がある。著者はこう述べる。

<さまざまな形が考えられるだろうが、私が考える望ましい形は、「人種差別撤廃基本法」で差別言動を違法とした理念を示した上で、「人種差別禁止法」で禁止条項と罰則条項を設け、刑法にも差別罪を設けることだと考える。>

Thursday, July 22, 2021

小林賢太郎解任問題 ――歴史の事実を矮小化する犯罪について

1.小林発言の法律問題

 

東京オリンピック開会式の演出担当だった小林賢太郎が過去に「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」なる差別的揶揄と受け取られる発言をしていたことが発覚して、五輪組織委員会が小林を解任した。

小山田圭吾の差別と差別発言が発覚した時の対応のまずさに比較すると、迅速な解任となった。後手後手との批判を避けるためであったことと、ユダヤ人差別という国際問題になることが明らかだったためだろう。橋本聖子も「外交に関わる」と述べた。

本件は解任によってすでに決着がついた形になった。とはいえ、なぜこのような事態になったかの総括は、後日、組織委員会がきちんとしなくてはならないだろう。

ネット上の発言のごく一部を見たが、小林発言を「アウシュヴィツの嘘」犯罪と関連付けている例が見られる。

「アウシュヴィツの嘘」犯罪を引き合いに出して考えておかなくてはならないことは確かである。小林発言は、ユダヤ人虐殺をお笑いにしたことによって、「肯定」したものと受け止められる可能性がある。

さらに問われるべきは「矮小化」である。事実を矮小化すると犯罪になる場合がある(後述する)。小林発言は事実の矮小化に当たるか否か、検討しなくてはならない。その意味で深刻な問題であることを理解しておくべきである。

ただ、「アウシュヴィツの嘘」犯罪についての不正確な情報、断片的な情報を基に発言している例が少なくない。

 

2.「ホロコースト否定犯罪」とは

 

ドイツにおける「アウシュヴィツの嘘」犯罪については、下記の2点が重要文献である。

1.      櫻庭総『ドイツにおける民衆煽動罪と過去の克服』(福村出版、2012年)

2.      金尚均『差別表現の法的規制: 排除社会へのプレリュードとしてのヘイト・スピーチ』(法律文化社、2017年)

いずれも専門書なので、一般の人が手に取ることは少ないと思われるが、ドイツ法についてはネット上で見ることのできる情報もある。

ユダヤ人虐殺を正当化したり、事実を否定する発言を犯罪とするのはドイツだけであるかのごとく誤解する人も少なくない。

憲法学者たちが、ドイツではヘイト・スピーチや、歴史否定発言を処罰するが、アメリカでは表現の自由だから処罰しない、という発言を繰り返してきたからである。

極めて大雑把に言えば、これは決して間違いではないが、ちゃんとした法律専門家がこのような発言をすることはない。そもそもドイツだけに絞るのは妥当ではない。欧州を中心に、同種の犯罪類型を持つ国は30近くあるからだ。

私がこれまでに紹介した国は、ドイツ、フランス、スイス、オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、キプロス、チェコ、ギリシア、ハンガリー、イタリア、ラトヴィア、リトアニア、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、マルタ、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニア、アルバニア、マケドニア、スペイン、ロシア、イスラエル、ジブチなどである。

ちなみに、何らかのヘイト・スピーチを処罰する国は約150カ国あることを紹介してきた。

何を「同種」と見るか自体、実は難しい問題を孕む。

ドイツの場合、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の事実を否定したり、正当化することが犯罪とされる。

フランスの場合、国際刑事裁判で有罪とされた人道に対する罪の事件の事実を否定したり、正当化することが犯罪とされる。これにはナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺だけでなく、それ以外の地域における人道に対する罪の犯罪が含まれる。

スイスも同様であり、このため第一次大戦時のトルコによるアルメニア・ジェノサイドの事実を否定したり、正当化する発言が犯罪となるという実際の裁判例がある。

何を犯罪とするかは国によって異なる。全体を表現する適切な名称がないが、「ホロコースト否定」犯罪、「歴史否定犯罪」、「法と記憶」問題などの言葉で表現される。ヴィダル・ナケの著名な本のタイトルを借りると「記憶の暗殺者」問題である。

ただし、記憶という表現を用いると、記憶の否定が直ちに犯罪になるかのような誤解を与えかねない。

事実を否定し、歴史を歪曲し、記憶を抹消することが直ちに犯罪となる国はあまりないだろう。

これらが犯罪とされるのは、歴史を歪曲することによって被害者集団を中傷・侮辱するからという理解が普通である。

西欧と東欧とではやや事情が異なる、バルト3国でも同様の法律があるが、その適用に際して、スターリン時代の国家犯罪の否定や正当化を犯罪とする例がある。議論のベクトルが異なるので、単純に一括することは避けたほうが良い。

1.橋本伸也『記憶の政治――ヨーロッパの歴史認識紛争』(岩波書店、2016年)

2.橋本伸也編『紛争化させられる過去――アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化』(岩波書店、2018年)

3.ニコライ・コーポソフ「『フランス・ヴィールス』――ヨーロッパにおける刑事立法と記憶の政治」『思想』1157号(2020年)

 

3 韓国の状況

 

他方、韓国では同様の法律案が国会に何度か上程されてきた。法律はできていないが、日本よりもずっと研究が進んでいる。

1.康誠賢著『歴史否定とポスト真実の時代――日韓「合作」の「反日種族主義」現象』(大月書店、2020年)

この本に、ソウル・シンポジウムにおける私の報告とホン・ソンス(洪誠秀)の報告が紹介されている。ホン・ソンスの研究が重要である。

日本軍性奴隷制や、植民地支配時代の事実の否定を犯罪とする法案や、軍事独裁政権時代の犯罪をどう扱うかなどの議論が成されてきた。

 

4 実行行為――矮小化も犯罪となる国がある

 

もう1つ、実行行為(何をすると犯罪となるか)については、否定や正当化など、これも国によって異なる。

オーストリアでは、否定、重大な矮小化、是認、正当化である。

ブルガリアでは、否定、とるにたりないと矮小化、正当化である。

チェコでは、否定、問題視(疑問視)、称賛、及び正当化である。

スペインでは、法律では否定、賛美、矮小化であるが、憲法裁判所は「否定しただけで犯罪にするのは憲法違反」とした。

矮小化の例は、例えば、1)ナチス・ドイツによって殺害されたユダヤ人の数はもっと少ないとして、事実を小さく見せる場合、2)被害事実はあったが、それは取るに足りないことだ、小さな出来事だと述べる場合、3)被害事実はあったが、被害者の側にも問題があったとして相対化する場合などである。

小林発言の場合、「***ごっこ」として遊びの対象とするお笑いであるので、遊びとお笑いが重なって「矮小化」に当たる可能性が出てくるだろう。

 

5 刑罰はどうか

 

刑罰も紹介しておこう。

スロヴァキアでは、1年以上3年以下の刑事施設収容である。つまり、懲役だ。

ポルトガルでは、6月以上5年以下の刑事施設収容である。

イタリアでは、2年以上6年以下の刑事施設収容である

ラトヴィアでは、5年以下の刑事施設収容、罰金、又は社会奉仕命令である。

このように、刑罰がかなり重いことが分かる。それだけ重大犯罪とされている。

もちろん、ついうっかりの発言がそれほど重く処罰されるわけではない。重く処罰されるのは、ネオナチのような確信犯が違法発言を公然と繰り返した場合に限られる。

とはいえ、日本では歴史偽造や歪曲が平気で行われている。重大な被害を生む重大犯罪であり、刑罰は重いことを知る必要がある。

Tuesday, July 20, 2021

スガ疫病神首相語録48 華麗なる辞退劇

五輪開会式の音楽担当の小山田圭吾の障害者差別問題で、組織委員会は世間の期待通りに右往左往、迷走してみせた。

 

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1時間後

セイコ――小山田さんのいじめ発言って、何言ってるの、いじめはいつだってあったじゃない。どうってことないわよ。

ユリコ――何も問題ないわ。子どもの遊びでちょっといじめただけでしょ。

タマヨ――ニードロップですって、なんだか楽しそうね。

 

12時間後

セイコ――20年以上も昔のこと、なんで今さら取り上げるのよ。ネットはこれだから困るのよ。

ユリコ――雑誌発言ですからね、おもしろおかしく書いただけじゃないの。

タマヨ――いじめられる側には絶対問題なかったなんて断定できるかしら。

 

24時間後

セイコ――そりゃあ、まずかもしれないけど、冗談交じりの差別でしょ、小さなことよ。マスコミが騒いでるだけよ。開会式が迫ってるんだから、今さら変更なんてできないわ。

ユリコ――本人は反省して、謝罪してるっていうから問題ないわ。

タマヨ――いつまでも許さないなんて、心の狭い人たちね。

 

36時間後

セイコ――何か、やばいみたいね、どうしたらいいの、事務局、なんとかしなさいよ。えっ、私が何を言ったかですって、秘密よ、秘密。漏らしたりしたら、ただじゃおきませねんからね。モリ先生に言いつけるわよ。

ユリコ――ネット炎上だけでは収まらないみたいね。謝罪文を公表したらどう。

タマヨ――被害者に謝罪したいって言ってるし、誠実な様子だから大丈夫よ。

 

48時間後

セイコ――辞退? どういうこと? 本人が辞退したのね。ちょっと、待って、コメント考えなくちゃ。

ユリコ――なんでこうなるのよ、二転三転してみっともない。私のせいじゃありませんからね。

タマヨ――最初からきちんと対応しておけばよかったのよ。五輪の精神に相応しいかどうか、ちゃんと判断してよね。

 

60時間後

セイコ――小山田さんから辞任の届けがございました、組織委員会としても、今回のことは大変残念に思っております。

ユリコ――はい、最初から私が申しておりました通り、東京オリンピック・パラリンピックの理念に相応しい、みなさまに楽しんでいただける素晴らしい五輪にいたします。

タマヨ――今回のことは非常に残念です。最初から申しておりますように、差別は絶対に許されません。

 

72時間後

セイコ――多様性を重んじる組織委員会として、今回のことは大変残念です。すべては私の責任です(もちろん言葉だけで、実際の責任は取りませんからマスコミの皆さん、いつものように、よろしく)。

ユリコ――組織委員会において適切に判断したものと承知しております(いつまでもしつこいわね。もう済んだことでしょ)。

タマヨ――私には全く理解できない事態でした。多様性を大切に、適切に開催してまいります(被害、被害って、ひがみ根性の人間が多くて困るのよね)。

 

84時間後

セイコ――えっ、パラリンピックの文化プログラムの絵本作家・のぶみさんも辞退ですって、もういい加減にしてほしいわ。選んだのは組織委員会だろうって、だから何だっていうのよ。あ、いけない、本音を言っちゃ。

ユリコ――私は知りませんよ。組織委員会の問題でしょ。

タマヨ――ノーコメントです(なによ、差別したことのない奴なんているわけ? あんたたちだって、真っ白じゃないでしょ)。

Saturday, July 17, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(180)

前田朗「ヘイト・スピーチ処罰は民主主義の条件」『思想運動』1066号(2021年)

前田朗「部落差別解消マニュアルを読む」『部落解放』807号(2021年)

前田朗「表現の不自由展・その後妨害事件再び」『マスコミ市民』630号(2021年)

前田朗「生きる、学ぶ、闘う――不屈の歴史学」『救援』626号(2021年)

前田朗「国連人権理事会強姦法モデル案」『救援』627号(2021年)

前田朗「日本植民地主義をいかに把握するか(七)コリアン文化ジェノサイド再論」『さようなら!福沢諭吉』第11号(2021年)

Friday, July 16, 2021

スガ疫病神首相語録47 ヒロシマで平和を祈る

7月15日、バッハIOC会長がヒロシマを訪問し、コーツ調整委員長がナガサキを訪問した。

 

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 ついに平和都市ヒロシマにやってきた。感慨深いものだ。76年前、科学の力がこの上空で炸裂し、日本軍国主義の息の根を止め、平和をもたらした。戦後の国際平和を念願してこのまちの人々は目覚め、国際平和都市として再出発したそうだ。平和の祭典オリンピックはこの国の首都・東京で開催だが、ヒロシマという平和のまちをIOC会長が訪問することによって、われわれは平和と正義の力を示すことができる。聖なる五輪に幸いあれ。

 ここが平和公園か。素晴らしい場所だ。高く澄み渡る空にヒコーキ雲、日差しは厳しいが爽やかな微風が心地よい。誰もが敬虔な思いで平和を願い、佇んでいる。この人々はなんて素晴らしいのだろう。日本国民は模範的で、まさに五輪精神にフィットしている。整然と、静かに、優しく、笑顔で私を迎えてくれる。私を神のごとく崇め奉り、憧れの眼差しで讃えてくれる。いま、この瞬間がIOCの世界精神と平和を願う日本の人々が重なり、波長を合わせ、一つになる時だ。

 それにしても日本国民は素晴らしい。一瞬にして20万もの犠牲者を生んだ科学の力に帰順し、ひたすら寛容で、アメリカに平伏し、穏やかに付き従っている。蹴られても、踏みにじられても、殴り倒されても、あらゆる苦悩を振り捨てて、命令に従い、不平も言わずじっと耐えている。新型コロナ禍にもかかわらず、五輪開催にもかかわらず、黙って言いなりになる強い精神の持ち主だ。この人々にやさしい言葉はいらない。押し付け、騙し、振り回し、やりたい放題やってあげるのが恩寵というものだ。

他の国民なら何度暴動が起きるか分からない。暴れまわり、多数の犠牲者が出て、政権が崩壊してもおかしくない。マンハッタンなら10人は死ぬな。シャンゼリゼの店舗は壊滅だ。中央アフリカやウガンダなら町が一つ消えてしまうかもしれない。それがどうだ、日本国民は結束し、沈黙し、礼儀正しく、私たちの言いなりになってくれる。この鍛えられた国民精神こそ文字通り五輪に相応しい。鋼というよりも、チタンというよりも、ダイヤモンドのように硬質な純度100%の従順だ。当たり外れなし。五輪開催と新型コロナで必ずや医療崩壊をきたし、犠牲が増えると聞いているが、それも彼らは気に留めない。いや、崇高なる五輪のための犠牲となることを心の底から願っている。ひょっとすると、これが特攻精神というやつかもしれない。玉砕精神とも言ったかな。死をも恐れず邁進する犠牲のための犠牲となり、代償を求めることなく、ひたすら滅私奉公の死の精神。おかげでIOCの財政は安泰だ。

 さあ、世界平和のために祈りを捧げよう。何よりも、私と私の家族のために。IOCの永遠の未来のために。ついでに、世界の紛争地で脅えている子どもたちのために。屈従と危険のために苦しむ女性たちのために。どうでもいいけど、東京とヒロシマの栄のために。率先して犠牲となってくれる日本国民の誠意に心から感謝して。無能なスガと無責任なユリコ、2人のお調子者を持ち上げておけば、すべてが許される。神の祝福と五輪の平和のために、祈りを捧げよう。すべてが静謐で、滑らかで、波一つ立たず、心の平穏に満たされたヒロシマに幸いあれ。

 んんんっ? どこかで声が聞こえる。「バッハ、ゴーホーム」?

 気のせいだろう。いずれにしても、さあ帰ろう。パフォーマンスはおしまいだ。東京に戻って快適なホテルで五輪開催を待つことにしよう。命令を出すまでもなく、すべて完璧に忖度してくれる日本国民とともに。

Monday, July 12, 2021

スガ疫病神首相語録46 晴海の恋の物語

タロー・ワクチン混乱大臣はモデルナ・ワクチンが足りないことは連休前からわかっていたと認めた。足りないことが分かっていながら、足りると嘘をついて配布を調整していたことが発覚。打ちすぎた自治体のせいにして責任逃れを繰り返している。嘘つき天国。

ニッシー経済破壊担当大臣は、金融機関が酒の提供停止を拒む飲食店に圧力をかけるよう求める発言をして、業界の反発を招いた。ニッシー発言はガースーの了解を得ていたとの情報があるが、ガースーは口をつぐみ、マスコミはすべてニッシーのせいにしている。忖度しろよと圧力天国。

東京五輪、いよいよ開幕を迎え、組織委員会は選手団に配布するコンドームの準備も万端。五輪選手村では連日連夜、福島の被災者そっちのけでアスリート・ファーストの「夜の復興」、新型コロナ感染恐怖に「打ち勝った証」としての「平和の祭典」――何が何でも五輪開催、ハルマゲドンでも五輪開催。

https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/3212040/

https://news.goo.ne.jp/article/mag2/nation/mag2-488742.html

 

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*銀座の恋の物語のメロディで

 

武漢で生まれた その日のように

東京五輪の 真夏の夜に

イギリスで生まれた あの日のように

思わず蒸せる 暑い夜

東京で一つ

晴海で一つ

若い2人が はじめて逢った

ほんとの 恋の 物語

 

インドで生まれた デルタ型

ブラジル生まれの 私たち

空を越えて 海を越えて

飛んでくと言う娘の いじらしさ

東京で一つ

晴海で一つ

若い2人が 命をかけた

ほんとの コロナの 物語

 

ビレッジプラザで 瞼をとじて

次々生み出す 変異株

観客なしでも このままで

嵐が来たって 五輪開催

東京で一つ

晴海で一つ

若い2人が 誓った夜の

ほんとの コロナの 物語

 

世界に広める コロナ禍を

ほんとの コロナの 物語

 

*銀座の恋の物語

https://www.youtube.com/watch?v=Xa7aMt2rvVI

Sunday, July 11, 2021

非国民がやってきた! 001

田中綾『非国民文学論』(青弓社)

https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787292520/

<ハンセン病を理由に徴兵されなかった病者、徴兵検査で丙種合格になった作家、さまざまな手段で徴兵を拒否した者――。総動員体制から排除された戦時下「非国民」の短歌や小説を読み込み疎外感と喪失感を腑分けし、そこから生じる逆説的な国民意識を解明する。>

「いのちの回復」への苦悩の歩みを、「「絶望」を超えて――〈書く〉ことによるいのちの回復」と表現し、ハンセン病療養者の存在、生き様、そして短歌に「〈国民〉を照射する生〉を見る。

歌集『白描』の明石海人に「〈幻視〉という生」の視点から迫り、精神の自由を求めて歌誌「日本歌人」にたどり着いたもう一つの思いを探り、二・二六事件歌に「天刑と刑死」の厳しさを確認する。

次に、ハンセン病療養者とともに非国民とされた徴兵忌避者について、金子光晴『詩集 三人』と丸谷才一『笹まくら』を素材に検討する。

著者は「抵抗の文学」や「反戦の文学」と区別される「非国民文学」という枠組みを設定する。徴兵検査から排除され、国民から除外されながら、なお<国民>的な心性を持ち、国民への激しい希求を抱きながら、やはり「非国民」でしかありえない存在とされたところに「非国民文学」の場を設定する。金子光晴は「抵抗の文学」に数えられてきたが、著者は金子の場合、国家から排除されたために家族によりどころを求めたという。

他方、明治天皇御製が一九四〇年前後(昭和十年代)にいかなる位置を得て、いかなる影響を及ぼしたか。『国体の本義』などにみる明治天皇御製を追跡し、御歌所所員らの「謹話」にみる明治天皇御製にも目を配る。

著者は最後に「仕遂げて死なむ――金子文子と石川啄木」として、大逆の文子と啄木の短歌世界を論じて本書を閉じる。

本書で扱えなかった「非<国民>文学」として著者は太宰治、高見順、伊東静雄、亀井勝一郎、保田輿重郎をあげる。「女こどもについてはほとんど言及することができなかった」と述べるように、取り上げられた女性は金子文子だけであるが、少数者への視線――「国家からとりこぼされてしまう人々をこそ見つめたい」という意識を持っていることが分かる。

著者は北海道出身で、北海学園大学教授、三浦綾子記念文学館館長である。

私は長年「非国民研究者」と自称してきた。10年間、勤務先で「非国民」という日本唯一の授業も開講した。<非国民がやってきた!>シリーズを3冊出版している。

『非国民がやってきた!――戦争と差別に抗して』(耕文社、2009年)

『国民を殺す国家――非国民がやってきた!Part.2』(耕文社、2013年)

『パロディのパロディ 井上ひさし再入門――非国民がやってきた!Part.3』(耕文社、2016年)

1作の『非国民がやってきた!』では、やはり北海道を描いた作家の夏堀正元の『非国民の思想』と、ジャーナリストの斎藤貴男の『非国民のすすめ』を手掛かりに、幸徳秋水・管野すが、石川啄木、鶴彬、金子文子・朴烈らを取り上げた。

2作の『国民を殺す国家』では石川啄木、伊藤千代子、小林多喜二、槇村浩、そして治安維持法と闘った女たち・男たちを取り上げた。

3作の『パロディのパロディ 井上ひさし再入門』では非国民にこだわった井上ひさしと、非国民として亡くなった父親を取り上げた。

天皇と国民の野合(憲法第1条)でまとめられた日本という国民主義の世界では、マイノリティ、先住民族、外国人、そして思想的マイノリティ、変革を志す人々は非国民として指弾され、殺されていく。非国民を生み出す国民国家・日本は現在も変わらない。

田中綾『非国民文学論』はハンセン病療養者と徴兵忌避者に焦点を当てつつ、最後には文子と啄木にたどり着く。続きを読みたくなる本だ。

北海道出身ながら、北海道文芸には通じていない私は、夏堀正元の『渦の真空』を文学史のベスト10にいれている。ちなみに『死霊』は個人的に好きではないので、井上ひさしや大江健三郎は別格として、大西巨人の『神聖喜劇』がトップクラスになる。つまり北海道文芸としては夏堀ということになる。

田中綾は三浦綾子記念文学館館長だという。私は三浦綾子をきちんと読んでいない。なんと、『氷点』だけだ。『銃口』を青年劇場で見た時にきちんと読んでおくべきだった。反省。

Saturday, July 10, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(179)ネット差別と法

月刊『部落解放』807号(20217月号)

https://www.kaihou-s.com/book/b586694.html

特集●ネット差別と法

明戸隆浩「ネット上のヘイトスピーチの現状と課題―「2016年」以後を考える」

唐澤貴洋「インターネット上の扇動表現と発信者情報開示請求」

上瀧浩子「インターネット上の複合差別と闘う」

金尚均「ドイツのネットワーク法執行法について」

宮下萌「インターネット上の人権侵害に対する法整備のあり方」

Saturday, July 03, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(178)都市計画の視点

中澤知己・杉田早苗・土肥真人「川崎市ヘイトスピーチ解消に向けた条例制定の動きとその成立事情」『都市計画論文集』55巻3号(公益財団法人日本都市計画学会、2020年)

ヘイトスピーチ規制の刑事罰を導入した「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」の成立に至る議事録とパブリックコメントを分析する論文である。分析の視点として都市における多文化共生という認識が示される。

ヘイト・スピーチの沿革、内外におけるヘイト対策を概観し、川崎市の人権施策の変遷を確認した上で、条例制定経過を追跡する。活字部分だけを読むと従来指摘されてきたことの繰り返しがほとんどに見えるが、著者らが作成した図表を見ると、周到な研究をしていることがわかる。

320132020にかけての川崎市のヘイト関連年表。

4は川崎市議会における議員の発言回数と賛否の一覧。

5は市の担当部局の発言数と賛否

圧巻は図2「市議会での議論の変遷」という図である。川崎市における出来事、市議会における議論の移り変わり、ヘイト・スピーチ一般への対応、公共施設利用ガイドライン、条例化、罰則、インターネットのヘイト等について、2015~2020の動向をまとめた図で、盛り込まれた情報が多く、カラーで見やすく、いろんな読み方ができる。この図ひとつだけで極めて有益な論文である。さらにパブリックコメント結果についても分析している。

結論として、川崎の場合、独自の歴史を通じて、「都市の中に多文化共生の意識が醸成されてきたと考えられる。ヘイトデモに対抗する市民の数の多さや、ヘイトデモに対する迅速で粘り強いカウンター行動は、そうした歴史が素地になったと考察される」という。

「都市の中に多文化共生の共通認識があり、市民、市議会、行政が同じ方向を向き一丸となったからこそ、全国で初めてとなる対策を実行できた。都市のビジョンを共有する事は、都市問題に立ち向かう力になりうることがわかった。」

結論も、従来から知られていることと同じと言えば同じだが、この結論に至る調査の裏打ちが豊富である。

スガ疫病神首相語録45 適度の疲労(ヒーロー)

7月1日、「過度の疲労」で入院していた小池都知事が退院した。前週から感染者が増加して、前日には700人を超え、非常事態が迫る中、「過労」とは言えないのに「過度の疲労」で入院していた。マスコミは横並びで「過度の疲労」という珍妙な言葉を振りまいた。

政界では、都知事選からの逃走説、小池知事と菅首相の連係プレー説、愛猫死亡による黄昏説が飛び交った。過度の疲労で同情集めのヒーロー/ヒロイン演技説も。

 

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セイコ――ユリコさんは過度の疲労ですって。大変だわ(この大事な時にお休みだなんて何なの。私は休んでる暇なんてないのよ)

タマヨ――平和の祭典開催に向けて準備に追いまくられたから(逃げたに決まってるわ、敵前逃亡よ)

セイコ――いよいよ3週間よ(マスコミも中止と言わなくなって良かった)

タマヨ――ユリコさんのいない間、私たちでフォローしなくちゃ(ユリコのいない間に方針を決めましょう)。

セイコ――そうしましょう(何言ってるの、あなたは方針と関係ないのよ)

タマヨ――無観客か有観客かって大騒ぎですもの(無観客なんてありえないわ、IOCに顔向けできないじゃない)

セイコ――無取材陣なら素敵だけど。

タマヨ――ダメよ、セイコさん、本音を漏らすとまたマスコミからとやかく言われるわ。

セイコ――そうね、自分では何もできないくせに揚げ足取りだけは上手な連中だから(あなたのことなんだけど)

タマヨ――だ、か、ら、セイコさん、本音を漏らしちゃダメだって(マスコミに告げ口しておくわよ)

セイコ――ここにはタマヨさんしかいないから大丈夫よ(何の政治的見識もないあなただから安心よ)

タマヨ――そうね(……スケートと自転車の二股セイコを信用するのはアブナイかも)

セイコ――「バブルだから大丈夫」なんて嘘をつくのも疲れてきたわね。

タマヨ――だ、か、ら、セイコさん、本音を漏らしちゃダメだって(何言ってるの、この馬鹿、バブルは安全安心なのよ)

ユリコ――どうも、入院でご迷惑をおかけしました。

セイコ・タマヨ――わっ、出た!!(何よいきなり、ミドリムシおばさん)。

ユリコ――この度はご迷惑をおかけして(私のいない間に勝手なことしてないでしょうね)

セイコ――お元気そうでよかったわ(もっと入院してればよかったのに)

タマヨ――本当に退院おめでとう(仮病のくせにわざとらしい)

ユリコ――それじゃあ、これから3週間、言動には気を付けてくださいね。

セイコ――気をつけろですって?

ユリコ――あら、失礼。言い間違えよ。3週間、ラストスパート、よろしくお願いします。

セイコ・タマヨ――大和撫子トリオで頑張りましょう。

ユリコ――よろしくね(無能なあなたたちと一緒じゃ、お笑いトリオになってしまうけど)