Saturday, October 23, 2021

非国民がやってきた! 004

三浦綾子『道ありき』(新潮文庫)

三浦綾子の自伝的小説3部作の第1作<青春編>である。1964年にベストセラー『氷点』で作家として知られるようになった三浦が、196768年雑誌「主婦の友」に連載し、1969年に単行本になった。後に第2部『この土の器をも』、第3部『光あるうちに』が書かれる。

青春編は24歳からの13年間を扱う。高校を卒業して学校教師になった著者だが、敗戦による混乱期、教えることへの疑問にかられて教職を辞し、虚無的な生活の中、肺結核での入院生活を余儀なくされる。

13年間の闘病生活の中での家族や、人との出会い、短歌、そして聖書の教えに導かれる日々を過ごす。自ら病に倒れ、愛する者が病で去っていく過酷な日々に、著者が思い、綴った手紙や日記や短歌が著者の心象風景を映し出す。西中一郎との婚約と別れ、前川正との愛と前川の死、32歳で三浦光世と出遭い、37歳で結婚し、闘病生活に終わりを告げることになる。

ここで描かれた自然や街の様子(旭川や札幌)、登場する人々は『氷点』のモデルにもなっている。もっとも、名前を借用しただけでモデルではない場合もあるという。

いずれにせよ、風景、旋律、文体、諧調は『氷点』と同じである。三浦綾子の文体は、華美でも華麗でも鮮烈でもなく、すべてがたんたんと綴られる。説明調のようでいて、説明ではない。心象の吐露のようでいて、吐露ではない。地の文も会話も、すべてが淡々と進む。悲嘆あり、激情あり、出遭いがあり、永遠の別れがありながら、どこか自省的であり、にもかかわらず諄々とたゆみなく続く。

何よりも不思議なのは、194659年という時期の旭川と札幌の中産家庭と病院を舞台にしながら、敗戦後の混乱や、新しい平和憲法の制定や、戦後民主主義が直接には描かれていない。

もちろん時代相を無視しているわけではない。共産党員による平和懇親会にも言及がある。戦時中には戦争に熱狂していた人々が戦後になるとキリスト教に目覚めて教会に通っていることを、虚無主義の時期には冷笑的に見ているが、後に聖書に導かれて、洗礼を受ける。あの時代に、平和憲法と戦後民主主義に浮かれた思想を病室から冷ややかに見ていたであろう三浦綾子の内面がつづられる。そこに現れない時代、世相を読者は想像しながら読み進むことになる。生きること、人と出会うことを、この時代の社会の表層とからは限りなく遠い地点で、著者は思い続け、問い続け、自分を審問し続ける。

Thursday, October 21, 2021

キシリトール政権語録04 海産総選挙

秘境・小幌駅のある豊浦町が「海産総選挙」を実施中である。素敵なアイデアだ。

立候補は、ホタテ、毛ガニ、カレイ・ヒラメ、ボタンエビ、カキ、ブリ、ウニ、鮭。前回はホタテがトップ当選したという。

豊浦町海産総選挙

https://toyoura-feel.com/kaisan/

噴火湾産魚介類の人気投票「海産総選挙」始まる 豊浦

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/602318

豊浦町が海の幸PRで「海産総選挙」実施 4年前に続き2回目

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20211020/7000039408.html

豊浦町

http://www.town.toyoura.hokkaido.jp/

 

今後、各地の自治体で「総選挙」ブームになるかもしれない。

 

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A県では「おいしいフルーツ総選挙」

B市では「わが市出身のお笑い芸人総選挙」

C町では「わが町の立ち飲み酒場総選挙」

D県では「わが県出身のアスリート総選挙」

E市では「わが市出身の汚職政治家・官僚総選挙」

など、「総選挙」と「ふるさと納税」をからめて売り込む。

 

青森県五所川原市(旧津軽の金木村・金木町)では「太宰治総選挙」を企画中である。斜陽、津軽、晩年、人間失格、走れメロスなど代表作が立候補し、激しい選挙戦が予想される。

 

福井県では「若狭湾エネルギー総選挙」が始まる。高浜、大飯、美浜、敦賀、もんじゅ、ふげんが覇を競う。敦賀は日本で最初の商業用沸騰水型軽水炉、美浜は大阪万博「原子の灯」、もんじゅはMOX燃料へのチャレンジが売りである。福島県や新潟県からの参戦申し込みは受理されなかったという。

 

日本世襲政治理論研究会は「三代目総選挙」を提唱した。古くから、長者三代、売り家と唐様で書く三代目と言うように、三代目は身上を潰す。政治家は地盤、看板を引き継ぐことが増え、世襲化し、今や二代目ではなく三代目が増えてきた。自己中、リケンあさりの才能は抜群で、世の中に害を垂れ流す三代目が目立つ。研究会は二代目、三代目から候補者を募っている。小泉純一郎、安倍晋三、麻生太郎、岸田文雄、石原伸晃、小渕優子、河野太郎、世耕弘成、野田聖子、橋本岳、林芳正、福田達夫、船田元、森喜朗など有力候補がひしめいている。小泉進次郎は「ぼくは三代目じゃありませんから」と立候補を見送るという。研究会はテーマ曲として、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE Unfair Worldを使いたいと交渉したが、断られたとの噂。

 

Unfair World/三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE

https://www.youtube.com/watch?v=ttt8uls_uaw

 

Tuesday, October 19, 2021

キシリトール政権語録03 バランシング・クイーン

 内閣総理大臣のキッシーです。私の果断な決断によって総選挙が始まりました。わがジミンと、下駄の雪ことコーメイの政権維持のため過半数確保が目標です。

 わが内閣の支持率は40%台で、ガースー政権より20ポイント減との報道がございますが、ご心配は無用です。内閣発足時のご祝儀支持率は一時の気休めにすぎません。最初に高すぎるとあとは減るだけです。アクムのシンゾー政権もガースー政権も鉄壁の右肩下がりを貫きました。実にアンバランスです。わが政権はバランスが命ですので、徐々に実力を発揮して安定運営を心がけます。

 何しろアベさんとアッソーさんの間できちんとバランスをとらなくてはなりません。そのために忖度と調整の達人、政界のアマビエことアマリンを党幹事長にいただき、調整を図りました。閣僚も、ホーソーダ派、アッソー派、キッシー派など各派閥のバランスをとり、ベテランと若手を配置し、女性も揃えました。見事なバランス内閣です。

 政策面では、「成長と分配の好循環」をバランスよく追及します。分配だけに特化した政策は悪循環を生みます。トリクルダウンは起きていないとのことですが、均衡と調整の分配政策で調和のとれた経済政策を実現します。

  この10年間、経済成長していないとのご指摘は当たりません。アベノミクスが失敗したなどということはございません。経済成長したと断言できなくとも、停滞したと断言できるわけでもございません。実質賃金が低下したとの見方も一面的であります。総合的に見れば調和のとれた賃金体系で経済がバランスよく現状維持を続けております。

「金融所得課税の見直し」が消えた? いえいえ消えたわけではございません。成長と分配の好循環のためバランスよく中間層に分配する政策の中に位置づけたのです。優先順位があるということです。

「令和の所得倍増」が消えた? 消えたわけではございません。総合的な調和の取れた政策の中に位置づけました。

  新型コロナ対策はワクチン接種率を高めつつ、予防薬の開発に期待しております。えっ、ガースー政権と変わらない? とんでもございません。私は人の話を聞くことが特技であります。きちんと説明もいたします。ですから、一件似ているようでいて、まったく違うのであります。ポスト・コロナ時代を生きるためウイズ・コロナで経済も成長させます。

  核政策におきましても、核兵器禁止条約の重要性は認識しておりますが、核保有国と非保有国の間でバランスをとりながら、一方的な政策変更ではなく、対話と調整の結果、アメリカの言いなりになって、調和のとれた核と共に生きる社会、ウイズ・ニュクリアで世界平和をめざします。原発もバランスのとれた基盤エネルギーとして世界一安全な原発を維持してまいります。

 

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ABBADancing Queenのメロディで

 

You can balance, you can jive, you can jimin

Having the time of your life Woo Woo Woo

See that man, watch that scene

Dig in the Balancing Queen

 

Friday night and the lights are high

Looking out for the money to get

Where they play the jimin music

Getting in the swing

You come to look for Abe, and Assoh

Anybody could be that man

Night is fool and musics low

With a bit of junk music

Everything is bad

Youre in the mood for a balance

And when you get the money

 

You are the Balancing Queen

Old and bitter only sixty

Balancing Queen

Feel the baet from the tambourine Oh Yeah

You can balance, you can jive

Having the time of your life Woo Woo Woo

See that man, watch that scene

Dig in the Balancing Queen

 

Youre a faker , you turnem on

Leaveem burning and then

Youre gone

Looking out for another

Anyone will do

Youre in the mood for a balance

And when you get the money

 

You are the Balancing Queen

Old and bitter only sixty

Balancing Queen

Feel the beast from the Nagata-cho Oh Yeah

You can balance, you can jive

Having the time of your life Woo Woo Woo

See that man, watch that scene

Dig in the Balancing Queen

 

Abba - Dancing Queen

https://www.youtube.com/watch?v=xFrGuyw1V8s

 

Thursday, October 14, 2021

なるほど、主権者のいない国

白井聡『主権者のいない国』(講談社、2021年)

<「なぜ私たちは、私たちの政府はどうせロクでもないと思っているのか。その一方で、なぜ私たちは、決して主権者であろうとしないのか。この二つの現象は、相互補完的なものであるように思われる。私たちが決して主権者でないならば、政府がロクでもないものであっても、私たちには何の責任もない。あるいは逆に、政府はつねにロクでもないので、私たちに責任を持たせようとはしない。

 だが、責任とは何か。それは誰かに与えてもらうものなのか。そして、ここで言う責任とは誰に対するものなのか。それは究極的には自分の人生・生活・生命に対する責任である」>

3月に出た本だが、ようやく読んだ。『永続敗戦論』や『国体論』においてアメリカに敗戦し、支配されている日本の戦後意識が、敗戦の否認、服従の否認にあることを鮮やかに分析した著者の最新の時論である。3月出版なので、菅政権時のものだが、主な文章は安倍政権時代に書かれたもので、安倍政権に代表される「戦後政治のレジーム」批判でもある。戦後政治を否定したり、乗り越えると称する安倍政権こそが戦後レジームであり、対米追従にはまり込んでいることを鋭く指摘する。

この国の政治、経済、社会、文化の隅々まで対米追従が浸透している。日米安保と日本国憲法の体制は度し難い売国政策なのに、政治家も国民も戦後政治を寿いできた。あられもない対米追随を誇りに思う異様さである。絶望的な欺瞞政治に気づこうとしない愚鈍な精神の謎を著者は追跡し続ける。

序章  未来のために想起せよ

第一章 「戦後の国体」は新型コロナに出会った

第二章 現代の構造――新自由主義と反知性主義

第三章 新・国体論

第四章 沖縄からの問い 朝鮮半島への想像力

第五章 歴史のなかの人間

終章  なぜ私たちは主権者であろうとしないのか

近代国家は、単純化すれば、領土、国民、主権の3要素で説明される。主権は君主主権や国民主権という形で構成されるが、対外的には主権国家の平等性が仮設された国際社会のプレイヤーとして理解できる。

日本国の主権は、憲法上は国民主権として設定されているが、外交・軍事的側面に着目すると、典型的な主権国家というよりも、対米従属の主権制限状態という特徴を有する。このことは長らく議論されてきたとおりであり、かつては「従属帝国主義論」という奇妙な状態をいかに理論化するかなどとまじめに議論されたこともある。この状態を著者は『永続敗戦論』という切り口で見事に分析した。主権者のいない国であり、「主権者たろうとする気概がない」。同じことについて、私は「自己植民地主義」とか「植民地になりたがる精神」という表現を用いてきた。アメリカとの関係では植民地になりたがり、アジアに対しては空虚な優越感を持って対する幼稚な感性に、現代日本の基本特徴が表れている。

本書の随所で、著者はこの日本的なるもののいかがわしさに挑んでいる。著者の分析は鋭く、実に説得的であるが、にもかかわらず、鵺的な日本的なるものを乗り越えることができない。そのことも著者は自覚し、分析対象としている。

Friday, October 08, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(188)イギリスの宗教的ヘイト・スピーチ法

村上玲「宗教批判の自由と差別の禁止(一)(二):イギリスにおける神冒瀆罪から宗教的憎悪扇動罪への転換に関する考察」阪大法学62巻5号・6号(2013年)

はじめに

第一章      神冒瀆罪の概要

第一節      神冒瀆罪の歴史

第二節      神冒瀆罪が適用される宗教と同罪の成立要件

第三節      神冒瀆罪と欧州人権条約

第二章      宗教的憎悪煽動罪の創設と神冒瀆罪の廃止

第一節      神冒瀆罪の問題点と改廃に関する議論

第二節      宗教的憎悪煽動罪の創設

第三節      神冒瀆罪の廃止

第四節      宗教的憎悪煽動罪の創設と神冒瀆罪の廃止に関する検討

おわりに

村上によると、イギリスでは1688年の王政復古期以来、神冒瀆罪がコモンロー上及び制定法上の犯罪とされてきた。欧州人権条約を批准しても、まだ国内効力が十分なかった時期まで、それが続いた。しかも、宗教一般を保護するのではなく、キリスト教だけを保護する法制であった。1998年の人権法以後、状況が変わり始め、宗教的憎悪煽動罪の創設が2006年、神冒瀆罪の廃止が2008年に実現した。村上はその歴史をていねいにフォローし、20062008年法改正の意味を解き明かす。

神冒瀆罪は20世紀後半まで有効とされていたが、1985年の法律委員会は廃止を提案し、2003年の貴族院特別委員会は、神冒瀆罪は欧州人権条約に適合しないとした。神冒瀆罪の実際の適用はほとんどなくなっていたこと、犯罪成立要件が不明確であったこと、欧州人権条約に適合しないことが意識される中、社会情勢や法律状況にも変化があった。法律では、1986年の公共秩序法により人種的憎悪煽動の禁止が定着した。宗教的憎悪に応用できるかが意識された。2001年の9.11同時多発テロによって、テロ対策法の必要性と、他方で反イスラムの動きが社会問題となった。

1998年の人権法制定を受けて、2003年、貴族院の特別委員会が設置され、神冒瀆罪は差別的なので、非差別の法改正の必要性が指摘された。政府は欧州人権条約に適合した宗教的憎悪煽動罪の創設をめざした。2006年、人種的及び宗教的憎悪法が制定され、宗教的憎悪扇動罪が1986年の公共秩序法に組み入れられた。

村上によると、宗教的憎悪煽動罪が新設されたのは、2005年選挙で労働党がイスラム教指導者らを守ることを公約に入れていたこともあったという。ただ、人種的憎悪扇動罪では、「威嚇的な」の他に、「口汚い」や「侮辱的な」が要件になっていたのに、宗教的憎悪扇動罪では、「口汚い」や「侮辱的な」が削除され、「威嚇的な」場合だけ犯罪となる。また、表現の自由との調整のために、「特定の宗教や信条、信仰体系等に対する、議論、批判又は反感、嫌悪、嘲笑、侮辱を表現することを禁止し、又は制限するといった効果を与えるものではない」と明示されたという。宗教的憎悪扇動罪だが、嫌悪、嘲笑、侮辱の表現は禁止されない。このように宗教的憎悪扇動罪の成立範囲がほんのわずかになったことで、実際の適用事例も限られたものになると予想された。「イスラム教徒をなだめる目的で」最初からザル法をつくったということになる。

村上によると、日本には民事損害賠償裁判はあるが、関連刑事法は存在しない。他方、表現の自由は極めて重要とはいえ、最高裁判所は絶対的保障を認めず、「たとえ表現の自由といえども、決して他の権利に比して絶対的な優越的地位を占めているとは断言していない」。その意味では宗教的憎悪扇動罪の可能性が全くないわけではないようだ。

ただ、宗教の定義の困難性、保護される宗教と保護されない宗教という差別が生じる恐れ等を考えると、村上は、「どの宗教に対しても国家が平等であるためには、積極的に保護を与えるのではなく、敢えてどの宗教にも関与しない」ことが「公正」だという。議論は二転三転する。憲法201項後段や憲法21条の趣旨からいっても、イギリスの宗教的憎悪扇動罪の手法を採用すると、日本国憲法に反する恐れがあるという。「以上のことから考えても、現状において日本政府が宗教に関する差別的表現に関して採りうる方策について、神冒瀆罪及び宗教的憎悪扇動罪と憲法との適合性を鑑みる」ならば、「差別的行為を放置し、何もしないという方策」を補強する要素しか見当たらないという。宗教的ヘイト・スピーチを規制せず、放置せよという結論である。

そう述べつつも、村上は、最後に、子どもの権利条約と子どもポルノ禁止法の関係のように、国内外の要請を受けて新しい罪が制定される可能性も残されているので、宗教的憎悪扇動罪の可能性を全否定はしない。国際自由権規約があるからだろう。立法事実があるのであれば「社会及び治安の維持を目的に一定の表現機影が認められうる余地が生じてくる」という。

それでは可能性があるかというと、そうではなく、議論は三転四転して、「イギリスが採用した表現規制をあくまで参考に留め、当該規制を日本の宗教観を踏まえた日本国憲法の解釈に合わせた形で、制約を極力限定化することによって表現の自由を最大限確保するという法政策がなされなくてはならないものと考える」――これが村上の最後の結論である。

村上論文はイギリスの宗教的憎悪扇動罪を、神冒瀆罪の歴史の検討、そこからの変遷過程の分析を通じて詳細に論じているので、とても参考になる。

最後に議論が三転四転するのは、「キリスト教原理主義」に匹敵する「表現の自由原理主義」にとらわれているからである。村上に限らず、多くの論者に共通だが、論理が空転している。次のような構造になっている。

1.宗教的ヘイトが増えているから、対策が必要だ。

2.しかし、表現の自由が大切だ。

3.国際条約でも処罰せよとしているから、対策が必要だ。

4.しかし、表現の自由が大切だ。

5.イギリスでも立法しているので参考になる。

6.しかし、表現の自由が大切だ。

7.立法事実があるのであれば立法も必要だ。

8.しかし、表現の自由が大切だ。

この論法は日本の憲法学に共通である。「アベスガ論法」とさして変わらない。奇怪な話である。

日本国憲法の表現の自由の解釈・法理について、村上の議論はぶれる。(1)途中まではアメリカ憲法論を参考にした憲法学のレベルで論じていると見える。(2)だが、途中で村上は「最高裁判所は絶対的保障を認めていない」ことに注意を喚起している。(3)ところが最後に村上は「当該規制を日本の宗教観を踏まえた日本国憲法の解釈に合わせた形で、制約を極力限定化することによって表現の自由を最大限確保するという法政策がなされなくてはならない」とする。ここでは最高裁判例よりもアメリカ憲法流の憲法学が念頭に置かれていると思われる。

日本の憲法学は表現の自由については、最高裁判所の確立した判例を理由も示さずに排斥する。頭にあるのはアメリカ絶対主義だからだ。

最高裁判所判例が確立していても、そこに不備があれば批判するのは当然である。しかし、憲法学は1970年代以来半世紀の間、アメリカ判例という古くさい法理を持ち出して最高裁判所を批判してきた。その批判は受け容れられなかった。同じ批判を延々と続けても、そこに対話は生まれない。それでもえんえんと続けるのは、芸がないというか、思考力がないというか。

キシリトール政権語録02 シャオシャオとレイレイ

10月8日、岸田首相の所信表明演説が衆議院本会議で行われた。直後に解散する方針を表明しておいて、何が所信表明なのかよくわからないが、それを了とするのが日本社会である。野党もメディアも含めて、まともな政治はしない、というお約束。

 

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100代総理のキッシーです。

1代の伊藤博文公にはじまり、ついにわが国の総理が第100代となりました。わたくしキッシーが、この記念すべき第100代となりましたことは、やはり選ばれたる首相と申しますか、わたくしがこの日本という国の舵取りをお任せいただいたことに万感の思いでおります。

中学歴史教科書にも第1代伊藤博文公のお名前が出てまいりますが、次の教科書には私の名前も並べて記載することにします。そのための深慮遠謀として、文科大臣を変えました。バキュームハギューダ文科大臣も優れモノではありますが、彼に任せておくと、伊藤博文公とアクムのシンゾー前首相が教科書に載ることになりそうです。私の名前を載せるために、バキュームハギューダさんを経済産業大臣に横滑りさせて、世も末のスエちゃんを文科大臣に任命しました。先ほどスエちゃんに教科書検定基準の「歴代総理の扱い」を見直すよう指示したところです。世間ではアクムのシンゾーの「二人羽織内閣」などと称しているようですが、私なりにきっちり計算の上での周到な人事であります。他の大臣は誰でもよかったのです。どうせ10日間ですし。

次に、新型コロナウイルス感染症の対応に関してでありますが、これまで欠けていたシレっと司令塔機能を強化いたします。対応が不十分な場合や、政策の失敗が明らかになった時に、批判をシレっとかわす機能は危機管理として最重要です。新型コロナにつきましては、人流抑制と医療資源確保のための法改正で危機管理を抜本的に見直す方針です。今頃になって遅いと言われますが、ご批判はアクムのシンゾーとパンケーキのガースーに言ってください。わが政権としては、遅ればせながら対応策をとった振りをいたします。

経済政策としましては、格差是正という夢を抱いて、「馬鹿らしい資本主義」をめざします。「成長と分配の混乱循環」と「コロナ後の馬鹿らしい社会の開拓」による実現が肝要であります。持たざる者から徹底的にハギトール、ムシリトール、キシリトール「馬鹿らしい資本主義」の実現こそ、日本が生き延びる道であります。格差是正は夢のままですが、夢は夢として大切にいたします。

わたくしキッシーは被爆地・広島出身の首相として「核兵器のない世界」をめざす決意も、ここにいちおう、ついでに表明しておきたいと思わないでもありません。現実無視の核兵器禁止条約を批准することは金輪際ありえませんが、核兵器がなくなると良いな、という希望だけは持ち続けたいと存じます。はい、もちろん、「北の核兵器」をなくし、アメリカの核戦略に付き従う。この素晴らしい二枚舌路線をしっかりと維持いたします。本来なら自前の核武装によって一人前の国家をめざしたいところですが、アメリカ様のお許しが出るまではおとなしくしておきます。

ちょうど先ほど、上野公園の双子パンダの名前が決まりました。オスを「シャオシャオ(暁暁)」、メスを「レイレイ(蕾蕾)」と命名したとのことであります。一瞬、シャアシャアかと思いました。私のことを「いけしゃあしゃあと」などと非難する輩がいたものですから。わが政権はいけしゃあしゃあと麗々しく本領発揮と行ききたいものです。

 最後に、国民の声を真摯に受け止める信頼と共感を得られる政治が必要であります。わたくし自身と全閣僚による市民との車座対話を始めます。人の話を聞くことが私の特技であり、天性であり、才能でありますから、国民の声を聞き、内政は上に忖度しながら、外交はアメリカの命令を聞いて、それぞれ着実に実行いたします。パンダに学びながら、いけしゃあしゃと麗々しく総選挙にチャレンジいたします。

Thursday, October 07, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(187)宗教冒涜表現に関する研究

村上玲「欧州人権裁判所判例における宗教を冒涜する表現に関する考察」『淑徳大学大学院研究紀要』26(2019)

欧州人権裁判所における宗教的ヘイト・スピーチに関する研究が、既に存在していた。著者は淑徳大学コミュニティ政策学部助教の村上玲。以前、「阪大法学」にイギリスにおける宗教的ヘイト・スピーチに関連する論文を書いていた。それもまだ読んでいないので、これから読まなくてはいけない。

本論文で、村上は欧州人権裁判所の宗教冒涜に関連する判例を5つ取り上げて分析している。

    Otto-Preminger-Institute v. Austira事件(1994)

    Wingrove v. UK事件(1996)

    I.A. v. Turkey事件(2005)

    Giniewski v. France事件(2006)

    Klein v. Slovakia事件(2006)

これらの分析を通じて、村上は、欧州人権裁判所判例における宗教冒涜表現に関連して、表現の自由の判断枠組みが深化してきたことを示す。

判例は表現の自由の制約するために必要な3つの要件として、特に「制約が民主社会にとって必要であること」を重視し、より子細に検討するようになってきたという。初期の判決以後、一貫して、①表現の自由は民主社会の本質的基礎の一つであること、②好意的な表現だけでなく、衝撃や攻撃となる表現にも表現の自由が保障されること、③民主社会における多元主義、寛容さ、寛大さが必要であること、④しかし、自由と権利の行使には「義務と責任」が伴うこと(信徒の宗教感情や他者の権利を侵害する表現を、可能な限り避ける義務)、⑤この問題について欧州に統一的な概念が存在しないので、加盟国には広い評価の余地が残されているとしつつ、欧州人権裁判所は、「民主社会にとって必要であること」の要件をさらに細分化して議論するようになってきたという。

村上論文は、5つの判例分析を通じて、欧州人権裁判所の判断枠組みの深化を抽出している。分かりやすく、説得力がある。

村上論文は2019年発表だが、論文に含まれている情報は2007年以前のものである。その後の欧州人権裁判所には関連する動きがないのだろうか。

私は欧州人権裁判所については研究してこなかった。最近、若干の資料を紹介したにとどまる。

ファクトシート:ヘイト・スピーチ(欧州人権裁判所)(1)

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post.html

また、ヘイト・スピーチについては特に人種・民族ヘイト・スピーチを重視して研究してきたため、宗教的ヘイト・スピーチについては研究できていない。

預言者ムハンマドの風刺画と宗教的ヘイト・スピーチ

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/10/blog-post_40.html

Tuesday, October 05, 2021

預言者ムハンマドの風刺画と宗教的ヘイト・スピーチ

103日、犬の体をしたイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描き、命を狙われていたスウェーデンの画家ラルス・ビルクスが、交通事故に巻き込まれて死亡した。

ビルクスは何度も命を狙われてきたため、警察の保護対象であり、同乗していた警察官2人も死亡した。走行中にタイヤが破裂した可能性があるという。

いくつかのニュースを見たが、最初は単なる交通事故と報じていたのが、やがてタイヤの破裂が判明したようだ。

また、ニュースではヘイト・スピーチについて不正確な情報が流されている。

1に、日本ではヘイト・スピーチが犯罪とされていない、許されているので、それを前提とした解説をする評論家がいる。しかし、欧州ではヘイト・スピーチは犯罪と見るのが普通であり(EU加盟国はすべて犯罪としている)、スウェーデンも一定のヘイト・スピーチを犯罪としている。

2に、ヘイト・スピーチの中でも宗教に関連する場合をどう理解するか。宗教的ヘイト・スピーチを犯罪とするかどうかである。ニュースでは、マクロン大統領の「宗教批判の自由がある」という発言を紹介して、宗教批判はヘイト・スピーチに当たらないという解説をしている。

しかし、欧州諸国の中には宗教的ヘイト・スピーチを処罰する例がある。フランス刑法でも宗教的動機によるヘイト・スピーチを犯罪としている。マクロン大統領の発言は、たしかにそう述べたのだろうが、「ヘイト・スピーチに当たらない限り、宗教批判の自由がある」という意味のはずだ。そうでないと、理解できない。

フランスについては私も誤解していた。シャルリ・エブド事件の時、最初、私はフランス刑法では宗教的ヘイト・スピーチを処罰しないと思い込んでいた。後に訂正した。

スウェーデンについて私は十分な情報を持っていないので、ここでは断定的なことを言えない。なお、欧州人権裁判所も宗教的ヘイト・スピーチの処罰を肯定している。

宗教的ヘイト・スピーチについては、フランスやイギリスについて憲法学者による論文が書かれているが、総合的研究はこれまで行われていないと思う。今後研究が重要だ。

 

シャルリ・エブド事件の時の私の誤解は、下記。

宗教的ヘイト・スピーチ(1)

https://maeda-akira.blogspot.com/2015/01/blog-post_13.html

宗教的ヘイト・スピーチ(2)

https://maeda-akira.blogspot.com/2015/01/blog-post_87.html

宗教的ヘイト・スピーチ(3)

https://maeda-akira.blogspot.com/2015/01/blog-post_14.html

 

また、宗教的ヘイト・スピーチに関する欧州人権裁判所の判決については、

ファクトシート:ヘイト・スピーチ(欧州人権裁判所)(5)

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post_6.html

自壊しつつある国と社会の点検

青木理・安田浩一『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』(講談社+α新書)

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000352460

いま一番信頼できるジャーナリストの対談である。共同通信記者出身の青木と、週刊誌記者出身の安田。社会部出身で警察、司法に強い青木は、外信部にもいてソウル特派員も経験。いまは政治・社会に幅広く発言している。ヘイト・スピーチや外国人に対する差別問題の第一人者の安田は右翼取材も手がけてきた。この2人が、「ネットに吹き荒れる誹謗中傷、国民を見殺しにする政府や権力者、強気を助け、弱気を挫くメディアの病巣、日本の歪な現実の病巣」を抉る。

まえがき 切り捨ての時代を招いたもの

第一章 対韓感情悪化の源流とそれをもたらした日本社会の構造的変化

第二章 友好から対立へ 日韓それぞれの事情

第三章 恫喝と狡猾の政治が生む嫌な空気

第四章 社会を蝕む憎悪の病理 ヘイトクライムを生む確信犯的無責任と無知

かつて世界で第2位の経済力を誇った日本だが、バブルがはじけ、1990年代の「失われた10年」に始まり「失われた20年」を経て、経済成長が止まったまま、ついに経済競争力は世界で30位と言われるようになった。世界で稀に見る極度な高齢化社会となり、高度経済成長時代に整備した社会資本にも限界が来た。傾向的低下がとどまらない。

それだけに自己認識が分裂し、傲慢と嫉妬のナショナリズムに走る。ヘイトと排外主義、周辺諸国に対する羨望と蔑視、外国人に対する排斥と差別が、文字通り濁流となって社会のど真ん中を覆っている。線状降水帯的な自画自賛と、集中豪雨的な他者蔑視。論理も倫理も失われた憎悪の社会が形成されてきた。

青木と安田は「日本社会の構造的変化」を指摘し、特に日韓関係にそれが顕著に表出されていると見る。社会だけでなく、政治も恫喝と狡猾、隠蔽と改竄、腐敗が根深く、どこまでも転落していく様を確認する。

この国の病理は深刻だが、矛盾から逃げずに、いかに生きるべきなのか。ジャーナリストとして2人はこれからも疾走し続けるのだろう。

Sunday, October 03, 2021

非国民がやってきた! 003

三浦綾子『続・氷点(上下)』(角川文庫) 

大ベストセラー『氷点』(1965)の続編である。三浦綾子は、その後『ひつじが丘』『積木の箱』『塩狩峠』『道ありき』『裁きの家』を続々と送り出し、『続・氷点』(1971)に至っている。どれも読んでいない。三浦綾子の代表作をいくつか読もうと思うが、長編小説だけでも『雨はあした晴れるだろう』(1998年)まで夥しいので、ごく一部しか読めない。というわけで、『続・氷点』である。

陽子の自殺未遂で幕を閉じた前編では人間の原罪が主題だった。続編も同じ人物群が中心だ。父親啓造、母親夏枝、息子の徹、娘の陽子、医師の村井など。続編では陽子の実母である恵子、その息子・達哉らが加わる。旭川と札幌を中心に北海道という場も同じである。京都・南禅寺にも出かけるが、サロベツ原野や北海道大学キャンパスや支笏湖など、北海道という舞台を駆使する。主題は赦しである。前編と続編を通じて全体テーマは愛と罪と赦しということになる。

稚内でのエピソードとともにサハリン(樺太)が出て来る。樺太が出て来る小説は珍しいのではないだろうか。1945年まで樺太は日本領だった。千島樺太交換条約で千島が日本、樺太がロシアとなったものの、その後の歴史過程で南樺太が日本領となった。第二次大戦終了後に、ソ連軍が千島に攻め込んで、現在の北方領土問題となっているが、何処からどう見ても奇妙な話だ。千島列島全体を日本領土と主張する声はほとんどない。なぜか南千島を「北方領土」と呼び換えて領土主張をしているが、北千島や中千島と切り離す合理性がない。また樺太については領土主張をしていない。北海道でも、千島の択捉・国後出身者による「北方領土返還運動」は続くが、樺太については聞いたことがない。

私は札幌郊外の生まれ育ちだ。子どもの頃、近所に2カ所、樺太からの引揚者住宅があり、そこの子どもが遊び仲間だった。特に2人は小学校の同級生で親しかった。周囲は一戸建ての住宅地に、2カ所だけ引揚者住宅の貧しい長屋があり、真ん中には小さな広場と井戸があった。子どもの頃、樺太からの引揚者住宅とは何か、その意味を知らなかった。1か所は中学生の頃に、1970年までに、長屋がなくなった。

もう1か所がいつなくなったかはわからない。私は1974年に東京に出た。1990年に帰省した時、すでに長屋はなくなり、大きなマンションが建っていた。一戸建て住宅地に1カ所だけマンションビルになっていたのを記憶している。

『続・氷点』(1971)の頃、北海道各地に樺太からの引揚者住宅があったのだろう。樺太からの引揚者がどのくらい、どこに住んでいたのか知らない。彼らの歴史も現在も知らない。

樺太が私の視野に入ってきたのは1990年代、サハリン残留韓国人問題が浮上した時だ。1つは、残留問題だ。日韓併合で韓国人に日本国籍を押し付けて、サハリンに強制連行しておきながら、戦後、日本国籍を剥奪した。日本人だけが帰国し、韓国人を現地に棄ててきた。日本人でないからだ。もう1つは、虐殺事件だ。正確なことは知らないが、敷香などで帰国を訴える韓国人を殺して、日本人だけが逃げた話があったようだ。

近現代日本史に樺太はほとんど登場しない。これも奇妙な話だ。日本文学でも樺太は忘れられているのではないだろうか。『続・氷点』にも小さなエピソードとして少し登場するだけで、主題となっているわけではないが、三浦綾子は樺太問題を知っていたのだろう。

非国民がやってきた! 001

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/07/blog-post_11.html

非国民がやってきた! 002

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post_76.html

Friday, October 01, 2021

キシリトール政権語録01 アマリモノの福笑い

ジミン新総裁は大方の予想通り、キッシーの勝利に終わった。予想外だったのは、1回目投票でキッシーが1票差とはいえトップに立ったことと、サナエが多くの票をさらったことであり、「ブロック本部長」ことワクチンタローの惨敗であった。

キッシーはまずジミンの党役職を選任した。アホのアッソー副総裁、アマリモノ幹事長、サナエ政務調査会長、フックン総務会長、ブチユーコ組織運動本部長、ワクチンタロー広報本部長など。要職はアホのアッソーとアクムのシンゾーの配下が占めることとなり、論功行賞だとか、3A人事だとか、忖度人事だとか、八方美人人事だとか、真空人事だとか、さまざまな論評がなされた。内閣官房長官にも、最初はバキュームハギューダを予定したものの、あまりに露骨との批判を受けて、プッツンマックンになる見込みである。

 

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 え~この度、ジミン幹事長を仰せつかったアマリモノでございます。ホーソーダ派でありながら、キッシー候補の選対部長として大活躍しましたので、当然の功労人事でありまして、ありがたく堂々と拝命することにいたしました。何より、キッシー総裁とアホのアッソー副総裁とアクムのシンゾー前総裁を繋ぐ忖度の赤い糸をしっかりと結びつけたのがわたくしでございます。アマリモノに福と昔から言うじゃありませんか。ハッ、ハッ。

メディアでもジミン内部でも「論功行賞だ」などと低レベルな妬みの声があがっていますが、論功行賞こそ人事の王道であり、わがジミンの伝統であります。何もしない輩に限って「論功行賞はけしからん」などと頓珍漢な嫉妬発言に陥るのであります。

一部メディアでは「真空人事」などと意味不明の非難をしておりますが、とんでもございません。党人事も閣僚人事も、キッシー新総裁の指導と采配の下、アホのアッソー副総裁とアクムのシンゾー前総裁の思し召しのまま、すべて完璧に忖度した「3密人事」であります。3Aならぬ3密です。時節外れにモリカケサクラの3点セットなどと壊れた蓄音機ががなりたてていますが、もちろんすべて闇の彼方の空遠くです。再調査など言語道断。人の道に外れた愚策を弄する人物はジミンから出て行ってもらいます。ハッ、ハッ。

えっ、お前の不祥事はどうしたですって? いい加減なことを言わないでもらいたいものです。わたくしは不祥事など、これっぽっちも、露一つもございません。ちょっと大臣室で現金授受を行っただけです。何か問題ありますか。こそこそ口座払い込みなどせずに、堂々と現金授受。株券や裏証文ではなく堂々と現金授受です。何も後ろ暗いところはございません。私はちゃっかり席を外したことにしていますから、何も問題ありません。責任は全て秘書が被ることになっています。これがジミンの基本のキ、美しい伝統です。ジミンミンゼミの秘書になるということは、全責任を負って議員を守るということです。もちろん、その後の人生は最後まで支援しますよ。後顧に憂いなく、場合によっては命に代えてでもボスの地位を守るのが有能な秘書の仕事です。不祥事だらけのブチユーコも組織運動本部長として活躍することになりました。キッシー新総裁のもと、心機一転、従来通りのリケン政治をしっかりと推進していく所存です。エダーノのリケンミンシュだって、リケン、リケンと吠えているじゃありませんか。わがジミンもリケンでは負けません。

説明責任? 何をおっしゃる。説明責任などという言葉は日本国憲法のどこにも書かれておりません。ジミン綱領にも説明責任などという言葉は見当たらないのであります。わたくしは日本国憲法とジミン綱領に従って、何一つ恥じることなく、政治家としての本分、職責を果たしてまいりました。これからも説明すべきは説明し、隠すべきはしっかり隠し、改竄すべきは徹底改竄して、この国の民主主義を守る所存です。

わがジミンは自由と民主主義を柱とする政党であり、国民の負託に応える責務があります。表現の自由、学問の自由、学術会議任命拒否の自由、営業の自由、資本の自由、賄賂の自由、改竄の自由、解雇の自由、増税の自由を基調として、美しい国をつくっていくのがキッシー新総裁のお約束です。

今やスガーリンも過去の人です。キッシー新総裁はパンケーキなど口にすることなく、新型コロナ緊急宣言解除のおかげで堂々と料亭にこもって酒色にふけることができます。料亭政治こそジミンのお家芸ですから、徐々に本領発揮といきたいものです。ハッ、ハッ。