Tuesday, May 28, 2019

ヘイト・スピーチ研究文献(136)人権保障のネット空間づくりへ


川口泰司「ネット社会と部落差別の現実」『コリアNGOセンターNews Letter』51号(2019年)


著者は山口県人権啓発センター事務局長。「寝た子を起こすな」論は通用せず、「寝た子はネットで差別的に起こされる」状況にあります、という確信犯である差別主義者が「部落地名総鑑」をネット上で公開しているからだ。さらに地名だけでなく「部落人名総鑑」もある。「鳥取ループ」「示現舎」がバラまいた「総鑑」のコピーサイトが存在し、身元調査や土地差別調査に悪用されている。差別投書や、住所や電話番号を晒す等の被害が起きている。

「鳥取ループ」「示現舎」に対する訴訟のために裁判支援サイト(ABDARC)を立ち上げ、イベント・学習会を開催している。ネット差別の解消のため、部落差別解消法やヘイト・スピーチ解消法を経た現在、ネットパトロール、人権保障のネット空間づくりが進められているという。

Sunday, May 26, 2019

鹿砦社・松岡利康さんへの返信


松岡利康さん



お手紙ありがとうございました(2019年5月22日に落手しました)。

「デジタル鹿砦社通信」の記事「カウンター大学院生リンチ事件前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康」(2019年5月23日)も拝見いたしました。

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康




数々のご指摘ありがとうございます。「公開質問状(あるいは公開糾弾状)」をいただきましたので、私なりのお返事を、公開で、差し上げたいと存じます。



直接の話題となっているのは、本年1月に出版した私の『ヘイト・スピーチ法研究原論』、及び6月7日に大阪で開催予定の「ヘイト&組合弾圧」と闘うための大学習会です。問われている実質的な内容は、「リンチ事件」に関連する私の文章(救援連絡センター機関紙「救援」記事)と、上記2件との関連です。私が「豹変(=コペルニクス的転換)」したのではないかとのご指摘をいただきました。



ご指摘にお答えするためには、単に「救援」記事での発言と上記2件との整合性を示すだけでは不十分であり、私の研究及び実践の基本的立場をご説明する必要があります。そこで以下では次の順で説明させていただきます。やや長くなりますが、ご理解願います。

1 私の基本的立場――研究及び実践のスタンス

2 「リンチ事件」に関する認識

3 『原論』における謝辞

4 戸田ひさよしさんのこと

5 最後に



1 私の基本的立場――研究及び実践のスタンス



鹿砦社と松岡さんに長い人生経験、闘争経験、出版の歴史があるように、私にも私なりの経験があります。そのすべてをご説明することはとうてい不可能ですが、ごくかいつまんで重要な部分を摘示させてください。

私のもともとの専攻は刑事法学であり、日本民主法律家協会や青年法律家協会(東京支部)で活動していましたが、以下ではヘイト・スピーチ関連に限定します。



(1)   1989年

1989年春に私は、研究者や弁護士などの仲間とともに「在日朝鮮人・人権セミナー」というグループを旗揚げしました。呼びかけ人は社会学・人類学者の鈴木二郎(東京都立大学名誉教授)、実行委員長は床井茂(弁護士)、事務局長は私です。きっかけは1988年12月に世界人権宣言40周年記念集会を開いたことでした。人権セミナー発足直後の1989年春、公安当局は朝鮮学校に対する弾圧、違法捜査の挙に出ました。引き続いて朝鮮学校の児童・生徒たちに対する差別と暴力が吹き荒れました。そこから私たちの多忙な日々が始まりました。被害生徒たちへの聞き取り調査を行い、社会的にアピールし、事件のビデオ映像を作りました。活動の一部は後に、床井茂編『いま在日朝鮮人の人権は』(日本評論社、1990年)にまとめました。

1994年春にもふたたび朝鮮学校に対する弾圧、嫌がらせ、脅迫電話が殺到し、児童・生徒に対する暴力事件が多発しました。私たちは被害調査を実施し、朝鮮人学生に対する人権侵害調査委員会編『切られたチマ・チョゴリ』(1994年)というブックレットを出版しました。1998年にも全く同じ事態が生じたため、私たちは『再び狙われたチマ・チョゴリ』(1998年)というブックレットをつくりました。以上の調査活動をもとに、在日朝鮮人・人権セミナー編『在日朝鮮人と日本社会』(明石書店。1999年)をまとめました。これが、私がヘイト・クライム/スピーチ研究にのめりこむことになった出発点です。

日本国家が在日朝鮮人に暴力的に襲いかかり、日本社会が排除と差別を実践する異様な時代が続きました。国内でいくら訴えてもらちがあきません。そこで私たちは国際人権機関に訴える途を模索しました。最初は、市民的政治的権利に関する国際規約に基づいて設置された人権委員会(国際自由権委員会)に手紙を出して情報提供しました。続いて1994年8月、ジュネーヴの国連欧州本部で開催された国連人権委員会・差別防止少数者保護小委員会に参加して、事件を報告しました。その後、国連人権委員会、及び同小委員会に毎年のように参加して、在日朝鮮人の人権(差別と暴力、朝鮮学校卒業生の大学受験資格問題、看護師受験資格問題、高校無償化除外問題)を訴え続けてきました。国連人権理事会、国際自由権委員会、人種差別撤廃委員会、子どもの権利委員会などに四半世紀通ってきました。

1991年当時、JR各社が朝鮮学校生徒に通学定期券を発行することを拒否していたため、JRに要請行動を行いました。国会議員に協力をお願いして、国会質問をしてもらいました。JR電車通学をしていた静岡県内の子どもがいました。その祖父は強制連行されてトンネル工事に従事しました。孫は電車でそのトンネルを毎日通っていました。JRはこの孫に通学定期券を販売しません。とてもわかりやすい話なので、国会質問で取り上げてもらいました。1991年6月のことです。この時に強制連行とは何かを勉強し、さらに「従軍慰安婦」についても国会質問で問い質してもらいました。これに対して労働省職業安定局長が「いわゆる従軍慰安婦につきましては民間の業者が連れ歩いたもので、日本軍は関与しておりません」と答弁をしました。これがニュースとなり、後にはソウルの金学順さんのカムアウトにつながりました。ここから内外での「慰安婦」調査が始まりました。

ですから、1990年代、国連人権機関に通った私は、1つは在日朝鮮人の人権、もう1つは「慰安婦」問題をテーマとして取り上げ続けたのです。本年3月の国連人権理事会でも同じです。私が関与した著書は、前田朗『戦争犯罪と人権』(明石書店、1998年)、『戦争犯罪論』(青木書店、2000年)、『ジェノサイド論』(青木書店、2002年)、『人道に対する罪』(青木書店、2009年)、さらに翻訳として、ラディカ・クマラスワミ『女性に対する暴力』(明石書店、2000年)、ゲイ・マクドーガル『戦時・性暴力を裁く』(凱風社、1998年)等です。

以上をまとめます。1989年以来、私の研究及び実践は、在日朝鮮人の人権(その最大のテーマがヘイト・クライム/スピーチ)と「慰安婦」問題でした。それ以前とは異なって、思いがけず、国際人権法という分野で活動し、発信するようになりました。



(2)   1999年

1999年4月、朝鮮大学校は政治経済学部に法律学科を開設しました。日本の法律を学び各種資格を取得し、あるいは朝鮮人同胞企業で活躍する人材を育てるための学科です。今年が20周年になります。一学年5~10人程度の超ミニ学科ですが、すでに20人を超える弁護士を輩出しています。

発足時の日本人教員は3人でした。憲法は「平和的生存権」という思想の開拓者である星野安三郎先生(東京学芸大学名誉教授)。民法は東京都知事選に立候補経験のある黒木三郎先生(早稲田大学名誉教授)。刑法は私です。それから20年、私はずっと朝鮮大学校非常勤講師を務めています。

この間、数多くの日本人が非常勤講師として朝鮮大学校で教鞭をとっていますが、対外的に公表しているのは例外的です。松岡さんならすぐにピンとくると思いますが、朝鮮大学校講師であることは公安当局による調査及び嫌がらせの対象となる危険性が高いからです。現に私は何度も調査されました(公然及び非公然の調査の両方を経験しました)。

いわゆる右翼と呼ばれる勢力から「忠告」や「挨拶」をいただいたことは何度もあります。勤務先に「前田を馘にしろ」という「要請」が届きます。

しかし、朝鮮大学校の学生は勉学意欲に富み、まじめで楽しい学生たちです。弁護士だけでなく、公認会計士、税理士、司法書士、大学研究者も育っています。彼らの勉学のお手伝いができることは、私にとって誇りですから非常勤講師を続けさせてもらっています。

2001年3月、人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会が初めて日本政府の報告書の審査を行いました。いくつものNGOの仲間達とジュネーヴに出かけて委員会でロビー活動をしました。同年8~9月、南アフリカのダーバンで、国連人権高等弁務官主催の反人種差別世界会議が開催されました。世界中から数万の人権活動家が集合しましたが、日本からも「ダーバン2001日本」と称して、共同で活動しました。ダーバンの経験は私の研究及び実践に根底的な影響を与えて今日に至っています。

ダーバン宣言及び行動計画




(3)   2009年

2000年代に入って、2002年の日朝会談以後、在日朝鮮人に対する差別とヘイトはいっそう悪質になってきました。2009年の京都朝鮮学校襲撃事件、これに続く徳島事件、新大久保ヘイト事件、川崎ヘイト事件のことは改めて説明するまでもありません。

第1に、私は直ちに京都朝鮮学校事件に抗議する集会を開きました。事件から2週間後です。周囲に相談する暇もなかったので、私個人主催でした。ここに在特会が押し寄せてきて大騒ぎになりましたが集会は無事開催できました。その翌週にやはり私主催で大阪でも抗議集会を開きました。

第2に、大急ぎで原稿を取りまとめて、『ヘイト・クライム』(三一書房労組、2010年)を緊急出版しました。正月休みに構想を立て1か月後には原稿を仕上げました。

第3に、関心を持つ研究者、弁護士、ジャーナリストなどの仲間とヘイト・クライム研究会を発足させました。当初は京都の龍谷大学で開きましたが、ヘイト・スピーチ法制定に向けたロビー活動にもかかわるため東京で開くようになりました。これまでに38回開催しています。ヘイト・クライム/スピーチに関する最重要の研究会と言ってよいでしょう。

4に、人種差別撤廃NGOネットワークも私に大きな影響を与えています。2001年のジュネーヴとダーバンでの活動をふまえて、その後、人種差別撤廃NGOネットワークを発足させました。人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査は、2001年に続いて、2回目が2010年、3回目が2014年、4回目が2018年に行われ、委員会は日本政府に対して数多くの改善勧告を出しました。ヘイト・スピーチ対策はその中核です。人種差別撤廃NGOネットワークの活動の成果です。

これらの活動を踏まえて、前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)、『ヘイト・スピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』(共著、七つ森書 館、2014年)、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』(三一書房、2015年)、木村朗・前田朗編『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房、2018年)を世に問いました。



(4)   2019年

以上をまとめます。この30年間、在日朝鮮人・人権セミナーをはじめ、多くの諸団体と協力して、日本及び国連人権機関において、反差別と反ヘイトの活動をしてきました。その到達点が『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房、2019年)です。

これと並行して、ここ数年、植民地主義批判の研究を続けています。上記『ヘイト・クライムと植民地主義』に収録した「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」、そして『さようなら!福沢諭吉』に連載中の「日本植民地主義をいかに把握するか」が中心ですが、その理論的基礎はダーバン宣言であり、「植民地支配犯罪論」です。植民地主義、人種主義(レイシズム)がヘイト・スピーチの培養器であることは言うまでもありません。

以上のように、反ヘイトの研究と実践は私の基本的立場であり、このスタンスは30年変わることがありませんでした。今後も変わることはありません。

私としては、以上で松岡さんからのご指摘へのお答えになっていると考えますが、個別の点についてもう少し具体的にご説明する必要があります。



2 「リンチ事件」に関する認識



松岡さんは一貫して「カウンター大学院生リンチ事件」という言葉を用いていますが、最初に確認しておかなければならないのは、「リンチ事件」そのものの存否です。

なるほど出来事の全体を見れば、リンチ事件があったと推測するのが自然なことでした。私もその疑いが高いことを前提に議論してきました。事件当時、私は事件の存在を知りませんでした。加害者とも被害者とも面識がありません。ネット上で話題になった時も関心はありませんでした。松岡さんから鹿砦社の本3冊をいただいたので、オンラインの情報をチェックし、一部の関係者に問合せをした上で、私自身の判断として「リンチ事件があった可能性が高い」と見ました。「救援」記事では、リンチ事件があろうと、なかろうと、関係者の対応には疑問があることを指摘しました。

しかし、刑事事件としては、実行犯は一人とされて、判決が確定しました。民事事件としても、同様の結論になったと言えます。「リンチ事件」という言葉が、複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件はなかったことになります。李信恵さんについて言えば、共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました。

松岡さんとしては、判決にはとうてい納得できないことと思います。民事訴訟の事実認定も法律論も奇妙な結論になっていると言わざるを得ません。私も判決には疑問を感じます。

しかし、双方の立証活動をふまえた上で裁判所が下した判断が確定したのですから、事件は単独犯の暴力事件であって、リンチ事件はなかったことを前提として議論しなければなりません。松岡さんが裁判所の認定を批判するのはもちろん自由ですが、その理屈を李信恵さんに差し向けるのは不適切です。

日本の裁判所はもともと特権の上に胡座をかいて、どんな杜撰な事実認定でも押し通してきましたし、こじつけの法律論が得意技です。そのことを承知の上で、裁判に訴えたのですから、結果が気に入らないからと言って自説に固執するべきではないでしょう。

その上で私の判断を申し上げますと、法的責任はないとしても、道義的責任は残り、かつ大きいはずだと考えます。その意味で「救援」記事を訂正する必要はありません。関係者の行動にはやはり疑問が残ると言わなければなりません。

「救援」記事に対して、松岡さんとは全く逆の立場から、私を非難してきた人物が数名います。中には私を「敵」として非難し、「おまえのような馬鹿はもう相手にしない」と罵倒する絶縁メールを30回も送りつけてきた人物がいます。返事は出していません。この種の人物に返事を出しても時間の無駄です。ただ、ここで紹介したのは、この人物と松岡さんには一つ共通点があるからです。それは「敵/味方」関係で物事を考えていることです。

私はもともと「敵/味方」関係で考えていません。上記のように、反差別と反ヘイトの研究と活動の仲間たちですから、その行動に疑問があると指摘しましたが、敵対関係ではありません。「敵」がいるとすれば、それは差別する権力、差別させる権力、差別を利用する権力です。

李信恵さんとは2度ほどお目にかかったことがありますが、ほとんど話をした記憶はありません。しかし、反差別、反ヘイトの闘いには敬意を表してきました。在特会裁判については、雑誌『マスコミ市民』に連載しているコラムで取り上げました。国連人権理事会にも報告しました。


まもなく出る『思想運動』という新聞でも反ヘイト裁判判決を取り上げています。

他方、「リンチ事件」と呼ばれた件における言動は厳しく批判される十分な理由があります。また、鹿砦社との間の名誉毀損事件も批判されるべきです。お互いに名誉毀損で訴え合っているわけですが、こうした行為の全体が反ヘイトの闘いの妨害になっています。残念です。

ちなみに、鹿砦社が勝訴した一審判決について短い文章を書きましたが、未公刊です。反ヘイト裁判をはじめ、裁判で連戦連勝してきた李信恵さんが名誉毀損訴訟で敗訴したことはニュース価値が高いにもかかわらず、マスコミが一切報じていないことは奇妙なことですので、その点を指摘する文章です。マスコミも関係者も、李信恵さんによる名誉毀損の事実を隠蔽しているのは疑問です。



3 『原論』における謝辞



『ヘイト・スピーチ法研究原論』「あとがき」における謝辞について一言述べておきます。そこで列挙した方々の多くが、上記のヘイト・クライム研究会のメンバー、及び人種差別撤廃NGOネットワークで活動をともにしてきたメンバーです。いずれも私のヘイト・クライム/スピーチ研究のもっとも中心を成す研究会であり、NGOです。彼らとの協力がなければ私の研究も実践も成立しません。



4 戸田ひさよしさんのこと



戸田ひさよしさんとは門真市民会館事件以来のおつきあいです。『ヘイト・スピーチ法研究原論』272~288頁に詳しく書いておきましたが、2014年、在特会が門真市民会館を借りて差別集会を開催しようとした時、戸田さんがこれを取り上げて、門真市がヘイトに協力してはならないと論陣を張りました。戸田さんの依頼を受けて、私も市民会館利用を拒否するように要請しました。結局、門真市は施設利用許可を撤回して、差別集会を開催させませんでした。門真市が私を招いて、市役所の全職場研修を行い、200名の職員に私がヘイト・スピーチに関する講演をしました。

これは画期的なことでした。その後、関西の多くの自治体から、門真市や私に問い合わせがありました。私はこのチャンスに、ヘイト団体に公共施設を利用させない運動を展開しようとしました。

ところが、大阪市の審議会が、「ヘイト団体によるヘイト集会であっても、公共施設を利用させないと憲法21条違反である、地方公共団体にはヘイト集会に施設を利用させる義務がある」という異常な報告書を公表しました。デタラメな憲法学者と弁護士達が異常な報告書をでっち上げたのです。これによって、多くの地方自治体が、ヘイト集会に施設を貸し出す事態となり、被害が拡大しました。その後、川崎市におけるヘイト・デモ問題を巡って改めてヘイトに公共施設を貸すなという雰囲気が盛り上がったのは2016年春のことでした。大阪市審議会の無責任な報告書のため2年以上もヘイトが野放しになったのです。深刻なのは、「地方公共団体は差別集会に協力する義務がある」という馬鹿げた理屈が猛威を振るったことです。

こうしたヘイト状況に敢然と立ち向かったのが戸田さんでした。ですから2014年、私は戸田さん主催のヘイト問題集会にも出かけることになりました。私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』出版記念会(2015年、大阪)にも戸田さんは参加してくれました。

次の3つを比較してください。

A 地方公共団体は差別集会のために公共施設を貸す義務がある。貸さなければ憲法違反である。

B 地方公共団体は差別集会のために公共施設を貸さないことのできる場合がある。

C 地方公共団体は差別集会のために公共施設を貸してはならない。貸せば憲法違反である。

大阪市の審議会の立場がAです。川崎市のガイドラインの立場がBです。最近はこの立場が徐々に増えていると思います。『原論』312~319頁に示したとおり、私の立場はCです。これを支持する憲法学者は一人もいません。私と同じ考えを最初に提唱したのは、戸田さんと言うことができます。

松岡さんには松岡さんの人間関係があり、それを基準に私にご指摘をいただていますが、それは私のあずかり知らぬことです。私には私の人間関係があり、戸田さんの問題提起と実践は私のヘイト研究と実践にとって最重要なのです。

なお、「"ヘイト&組合弾圧"と闘うための大学習会」は戸田さんの発案ではありません。私が思いついて戸田さんに相談したのです。




5 最後に



以上が私からの説明となりますが、最後に補足しておきたいと思います。

松岡さんと鹿砦社の5冊の著書の問題提起はとても重要なものでした。松岡さんとしては、誰も反省していない、誰も謝罪していないと、お怒りかと思います。松岡さんとしては、関係者に反省を促し、謝罪させるまでは気分が収まらないかもしれません。しかし、上に述べたように裁判の結果は出たのです。いかに説得力のない判決であっても、これが確定した以上は、ひとまず結果を受け入れて発言されてはいかがでしょうか。

改めて考えれば、多くの人たちが沈黙したのは、松岡さんの問題提起にそれなりの理があったからではないでしょうか。少なくともそう受け止めた人は多いはずです。

松岡さんがあくまでも自説に固執して、従来と同じ発言を繰り返し、李信恵さんを非難し、関係者を非難し続けることは、今や不適切なことと言わざるをえません。

李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、闘い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に「複合差別」を認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか。

松岡さんは、李信恵・上瀧浩子『#黙らない女たち』(かもがわ出版)をお読みになったはずです。どのような読み方をされたでしょうか。この本に鹿砦社との名誉毀損訴訟について何か書いていないかを確認するためにお読みになったことでしょう。それはそれで結構ですが、同時に「複合差別」とは何か、その被害はいかに甚大であるか、「複合差別」との闘いがいかに大変であるかを、本書から読み取るべきではないでしょうか。

機会がありましたら、元百合子さん(元大阪女学院大学教授)の論文「在日朝鮮人女性に対する複合差別としてのヘイト・スピーチ」『アジア太平洋研究センター年報2016-2017』(大阪経済法科大学)をお読みください。


その上で、複合差別と闘ってきた人々の苦労に思いを馳せていただけませんか。松岡さんも私も日本社会のマジョリティ側の一員です。複合差別がいかに深刻な被害を生み出し、いかに生活空間をねじ曲げ、いかにマイノリティを押しつぶしてきたか。

敵対関係にいつまでも拘泥することなく、あらん限りの想像力をもって、松岡さんらしい眼力と構想力をもって、今回の教訓をいかに今後に結びつけていけば良いのか、お考えいただけませんか。

長文失礼いたしました。

松岡さんと鹿砦社のますますのご発展、ご活躍を祈ります。

Sunday, May 19, 2019

"ヘイト&組合弾圧"と闘うための大学習会


ヒゲ戸田パギやん共謀企画

6/7"ヘイト&組合弾圧"と闘うための大学習会」  



 日時:6/7 () 1830開場、1900開始~2100まで 

 会場:浪速区民センター (地下鉄千日前線「桜川駅」から徒歩7分)

    https://www.osakacommunity.jp/naniwa/access.html

    大阪市浪速区稲荷2丁目43 /電話:06-6568-2171



 参加費:無料(☆会場で千円程度のカンパをお願いします)

      (前田朗の著書「ヘイト・スピーチ法 研究原論」持参の方はカンパ不要)



◆「反ヘイトの行政・国政をつくっていく実践論」

 講師:前田朗教授(反ヘイトの国際的・実践的研究者。国連でも発言多数)

       「ヘイト・スピーチ法 研究原論」著者     



 特別報告:

◆「弁護士から見たヘイトと労組弾圧の現状・現場」

 ・仲岡しゅん弁護士(戸籍上は男性だが女性として弁護士登録。切れ味鋭い活動展開)

 ・中井雅人弁護士(大阪労働者弁護団、連帯労組弾圧弁護団)



連絡先

E-mail:tamazo@fanto.org

Tel: 090-8146-1929「コラボ玉造」

四半世紀の腐敗と停滞を思う


映画『主戦場』を観た。


同僚だったかわなかのぶひろがイメージフォーラム映像研究所の責任者だった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/かわなかのぶひろ


映画は評判に違わぬ好作品だ。

慰安婦の事実を否定する歴史修正主義者が無責任な言動を連ねる。これに対して歴史学者や法学者を始め、慰安婦問題に取り組む人々が反論する。これをつなぐ監督の台詞がスピーディで、徐々に迫力を増していく。多様な観点、多様な事実、多様な立場を意識しつつ、観る者に自ら判断させる組み立てだ。

登場人物の半数以上が旧知の人物なので、その都度、「おっ、次は何を言うのか」と楽しみながら観ることが出来た。

良い映画なので大いに勧めたい。


ただ、ここで言われていることは、四半世紀前に言われていたことと変わらない。

例えば、「奴隷が財産を持っているのか」「自由があれば奴隷ではないのか」といった話は1990年代に、かつてのアメリカ黒人奴隷を取り上げて論じていたことだ。奴隷が財産を持っているのはむしろ当たり前のことだ。奴隷が結婚し、独立家屋に居住し、子どもを作り、黒人教会に通っていたのは、当たり前のことだ。奴隷に子どもができるということは、奴隷主の財産が増えることだから、推奨されることなのだ。奴隷身分の買い戻しが認められていたのは、奴隷が蓄財して、自由人になるための手立てだ。奴隷は財産を持てた。こうした当たり前のことを、四半世紀たっても語らなければならない。

議論の中身は全く変わっていない。変わったのは日本の社会意識だ。事実を否定し、およそ考えられない非常識を堂々と語る歴史修正主義が、この国の権力を簒奪し、メディアを支配し、デマを全国に広めてきた。ひたすら嘘をついて、日本の歴史と伝統を誇り、日本は素晴らしいと豪語し、同時に他者を貶める傲慢なレイシストがこの国のメディアに跋扈し、社会意識を左右している。

あまりにも議論のレベルが低くて情けなくなる。

だからこそ、この映画がつくられなければならなかった。だからこそ、一人でも多くの人々にこの映画を観てもらいたい。

Saturday, May 18, 2019

ヘイト・スピーチの本格的比較法研究


奈須祐治『ヘイト・スピーチ法の比較研究』(信山社、2019年)




待望の本格的比較法研究である。

これまでのヘイト・スピーチ法研究(特に憲法研究)は、アメリカの法の状況について偶然入手した断片的な情報を元に大胆に断定するレベルの研究が多い。私は2冊の本でこう指摘してきた。

そうした中、ドイツ法(特に刑法学)、イギリス法、フランス法等について一定の水準の外国法研究・紹介の積み重ねができてきた。しかし、そこでは、ある一国の法律状況を紹介するのが通例であった。立法を紹介する、判例を紹介する、学説を紹介する。その総合ができている研究はまだ少なかった。まして、複数の外国法の状況を比較するレベルにはなかなか達していなかった。

奈須は、アメリカ、カナダ、イギリスの状況を紹介する。しかも、立法、判例、学説に広く視線を送り、詳細かつ丁寧に研究する。アメリカの立法史についての研究は多数あるが、アメリカ史に十分さかのぼった研究はなかった。イギリスやカナダの紹介もあるが、奈須は連邦だけでなく州レベルの法の紹介も行う。

なぜこの3カ国なのか。奈須は「いずれもコモン・ロー系の国」であり、「同じ英語圏の立憲民主政をとる先進国」であり、判例及び学説の蓄積があることをあげている。つまり、直接比較することが意味を持つ3カ国である。大陸法系の国の立法や判例の比較には、より慎重な手続きが必要となる。

500頁を超える大著であり、各国の法状況の詳細かつ精緻な研究のため、読み進むにも時間がかかり、しかも一度読んだだけでは十分咀嚼できない。

個別には、アメリカではヘイト・スピーチ規制は非常に困難であるという従来の通念が、決して誤りではないものの、単純化の所産であることが明らかにされていることを始め、数多くの発見があり、まさに読み応えのある1冊である。

日本については、30人を超える法学者の見解をまとめている点で有益である。もっとも、日本における立法と理論の今後という点ではまだ踏み込んだ議論は十分提示されていない。奈須理論の骨格はほぼ推測できるが、詳細は次の奈須論文に期待することになる。是非読みたい。

とにかくヘイト・スピーチ法だけで500頁もの本格的研究を出版するだけで、とんでもなく意欲的で挑戦的である。近日中に再読して、書評を書こう。

Sunday, May 12, 2019

西岡力、櫻井よしこの「捏造」疑惑


植村裁判取材チーム編『慰安婦報道「捏造」の真実――検証・植村裁判』(花伝社、2018年)



誰が、何を、「捏造」したのか

法廷で明かされた“保守派論客”の杜撰な言論

櫻井よしこ・西岡力が事実を歪曲し、世論をミスリードした慰安婦問題

「事実」をめぐる論戦はまだ続く


1 問われる「慰安婦報道」とジャーナリズム

2 個人攻撃の標的にされた「小さなスクープ」

3 櫻井よしこが世界に広げた「虚構」は崩れた

4 西岡力は自身の証拠改変と「捏造」を認めた

5 櫻井と西岡の主張を突き崩した尋問場面

6 「真実」は不問にされ、「事実」は置き去りにされた

7 植村裁判札幌訴訟判決 判決要旨(201811月9日)


「慰安婦」問題を取り上げた植村隆(朝日新聞記者・当時)の記事は、金学順さんの経歴、「慰安婦」になった経緯を誤報した。事実を書かず、事実でないことを書いた、しかも義母の便宜供与によって事実を歪めて書いた。それゆえ「捏造」である。――2014年に大騒動となった「慰安婦」記事捏造問題は、実はまったく逆に西岡力、櫻井よしこによる「捏造」であった。この驚くべき事実を、本書は見事に解明している。


西岡と櫻井は、金学順さんの1991年のカムアウト、記者会見、及び訴状をもとに、植村記者が事実を歪めて書いたと主張した。例えば櫻井は次のように書いた。

「訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳のとき、再び継父によって、北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。

 植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけではく、慰安婦とは何の関係もない『女子挺身隊』と結びつけて報じた。」

西岡と櫻井は、植村記者に「捏造」とのレッテルを貼り、大宣伝した。これにより週刊誌やインターネット上では、捏造記者・植村に対する非難の嵐となった。植村は就職が決まっていた大学教授の地位を失い、家族のプライバシーを侵害され、社会的に抹殺されそうになった。

これに対して、植村は己の名誉と家族の安全のために、反撃に出た。「私は捏造記者ではない」。そして、西岡と櫻井それぞれを相手に名誉毀損裁判を起こした。

裁判において明らかになったのは、植村の記事は事実を正確に紹介したこと、これに対して、西岡と櫻井の記事はおよそ事実からかけ離れていたことであった。

2018年3月23日札幌地裁での尋問である。

川上(原告代理人弁護士)「訴状には『継父によって』という記載がない、これは間違いないですね」

櫻井「はい」

川上「『40円で』という言葉も訴状には出ていないことも間違いありませんね」

櫻井「はい」

川上「『売られた』という単語も入っていませんね」

櫻井「はい」

川上「あるいは、訴状には、『継父に慰安婦にさせられた』との記載もありませんね」

櫻井「はい」

川上「訴状には、『継父によって人身売買された』との記載もありませんね」

櫻井「はい」


金学順が継父によって人身売買されて慰安婦となったという櫻井や西岡の主張には何ひとつ根拠がなかった。二人の「創作」である。櫻井と西岡は、自分たちの「創作」に基づいて、植村に「捏造」との非難を浴びせたのだ。このことを本書はていねいに明らかにしている。本書の結論は明快である。

「櫻井の言説こそ『ジャーナリストとしてあってはならない』ものではないのか。」

「自ら法廷で示した定義によって、西岡力は自らが『捏造学者』であることを立証した、と言っても過言ではない。」

両名の尋問記録が収録されているので、読者は迫真の「捏造暴露」過程をを読むことができる。



 

Friday, May 10, 2019

桐山襲を読む(8)第三書館版・パルチザン伝説


『パルチザン伝説・コペンハーゲン天尿組始末』(第三書館、1984年)

作者桐山の意志に反して出版された、海賊版である。

1983年10月の『文藝』に「パルチザン伝説」が掲載された。『週刊新潮』10月26日号が「第二の風流夢譚事件か?」をあおり、右翼が河出書房新社に押しかけ、河出は単行本にしないことを「約束」してしまった。桐山はやむをえず作品社からの出版計画を進めたが、先行して第三書館が桐山の意志に反して出版した。

また、第三書館版は、文学作品としての小説の出版ではなく、「最後のタブー=天皇に挑戦!! 昭和IS OVER!!」と打ち出し、座談会「コペンハーゲン天尿組始末」、高野孟「天皇Xディ--昭和が終わる時」、ドキュメント「天皇戒厳令の街から」などと併せて1冊とした。政治文書としてのパルチザン伝説である。

第三書館版は1984年3月、桐山自身の作品社版は1984年6月の出版。


さらに、桐山による『「パルチザン伝説」事件』は1987年である。



1983年の事件はニュースで見たように記憶していたが、はっきりしない。1987年の『「パルチザン伝説」事件』を読んで、2冊のパルチザン伝説が出ていることを知り、生協書籍部で第三書館版を購入して読んだ。当時作品社版を手にしていない。事件のニュースを見たという記憶も怪しい。『「パルチザン伝説」事件』に収録された資料を読んだ記憶と混同しているかもしれない。

Wednesday, May 08, 2019

脱植民地化運動としての琉球民族の遺骨返還運動


「東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会」主催

 19回公開シンポジウム(琉球開催)

「脱植民地化運動としての琉球民族の遺骨返還運動」                



 2018124日、京都地方裁判所において「琉球民族遺骨返還請求事件」が提訴され、201938日に第一回、517日に第二回の口頭弁論が行なわれる。また、2019年3月18日に台湾大学から百按司墓琉球人遺骨33体を含む63体の遺骨が沖縄県に返還された。本研究会ではこれまで本件に関する研究集会を開催してきたが、その研究成果として201810月に松島泰勝『琉球 奪われた骨遺骨に刻まれた植民地主義』岩波書店、20192月に松島泰勝・木村朗編著『大学による盗骨』耕文社が発刊された。本シンポにおいて、本件に関する訴訟、研究成果を踏まえて、どのように琉球民族の遺骨返還運動が日本による琉球の植民地支配と、脱植民地運動に結びついているのかを多様な角度から熱く議論したい!



期 日:2019年6月2(日)14:00~17:00(開場13:30)

会 場:琉球大学文系講義棟215教室

資料代:300円(非会員のみ) ※事前申し込みは不要です。



●プログラム●

Ⅰ 共同代表からの開会のご挨拶(14:00~14:15)

高良鉄美(琉球大学名誉教授)



Ⅱ 個別報告(14151615

琉球遺骨問題の歴史的、社会的、国際的背景

前田  朗(東京造形大学教授)

宮城隆尋 (琉球新報記者)

与那嶺功(沖縄タイムス記者)



琉球民族遺骨返還請求訴訟原告として訴える

亀谷正子(琉球民族遺骨返還請求訴訟原告)

玉城  毅(琉球民族遺骨返還請求訴訟原告)

松島泰勝(琉球民族遺骨返還請求訴訟原告団長)



琉球民族遺骨返還訴訟支援団として訴える

具志堅隆松(ガマフヤー)

与那嶺義雄(琉球人遺骨返還訴訟を支える会/琉球・沖縄共同代表)

根保  清次(琉球人遺骨返還訴訟を支える会/琉球・沖縄共同代表)

玉城  和宏(琉球人遺骨返還訴訟を支える会/琉球・沖縄事務局長)

渡口  正三(琉球人遺骨返還訴訟を支える会/琉球・沖縄事務次長)

       休    憩  (16151630

Ⅲ 質疑応答(16301655

本シンポのまとめと今後の実践について(165517:00) 松島泰勝



ご不明な点等がございましたら以下までお願いいたします。

松島泰勝(龍谷大学):matusima@econ.ryukoku.ac.jp,075-645-8418

※会場については、

池上大祐(琉大、事務局):east.asian.community.okinawa@gmail.com 090-1352-5208

Tuesday, May 07, 2019

桐山襲を読む(7)世界の始まりから終わりまで


桐山襲『亜熱帯の涙』(河出書房新社、1988年)

初めて読む作品だ。

7ヶ月続いた日照りから逃れるためにサバニをこぎ出した比嘉ガジラーチンと恋人のウパーヤは伝説の青い泉のある島に辿り着く。白い砂浜はすべて人間の骨でできていた。黒い仮面をつけて上陸した2人は島に広場を作り、大通りを作り、島の各地を探検し、日時計を作り、暮らしの基礎を固めていく。やがて島に辿り着いた人々とともに、畑を作り、町を作る。

島では人々の暮らしが穏やかに続くが、比嘉ガジラーチンが巨人化したり、ウパーヤを先頭に女達が狂乱に陥り火災で死んでいく。島は祝祭空間だからである。やがて村長と警察署長が訪れ、権力がそびえ立つ。権力は島の外からやってきた。

比嘉ガジラーチンが年老い、ウパーヤが他界した後、2人の子どもである比嘉ガジュラール・ガジュラールと恋人のユーナがもう一つの精神世界を築きはじめるが、島には外部から分身が流れ込み、支配が強化され、租税が始まり、肥大化した権力は女達を軍隊の慰安婦に送り出す。軍隊が島に秩序をもたらす。腐敗した狂乱の島のジャングルにこもった比嘉ガジュラール・ガジュラールとユーナたちは革命軍<希望への道>を組織し、蜂起するが、軍隊によって逮捕、処刑されてしまう。革命は失敗に終わるが、2人は<希望への道>が継承されていくことを信じる。

ついには島は外国軍に攻撃され、すべての住民が死に絶える。後には人間の骨で出来た白い砂浜が残される。人間の造形による町や広場は消滅していくジャングルの奥の洞窟に比嘉ガジュラール・ガジュラールとユーナの記憶と願いと希望への道が残される。

「時の流れの止まった場所、世界から見放された暗い場所で、尾てい骨をつなぎあわせた二人の子供が、微かに動き始めた。」

物語はこうして終わる。遙か彼方のいつの日か、海の向こうから次のサバニが比嘉ガジラーチンとウパーヤを運んでくるだろう。

桐山はここで創世記作家となり、伝奇小説作家となり、終末譚を提示する。

パルチザン伝説をはじめとする作品では、1960~70年代の日本の現実を素材に、100年の歴史を遡行して、物語を組み立ててきた桐山だが、本書では一転して、モデルなき神話的世界を自らの想像力で綴った。夢と祝祭と狂気と暴力のあふれる世界を描き出した。

サバニ、マブイ、アダン、ギンネム、パパイヤ・・・と、沖縄をモチーフにした神話的世界だが、沖縄の歴史やおもろそうしとは切り離されている。登場人物はいかなる民族であるかは明示されないが、マイノリティとして抑圧される朝鮮人が登場する。つまり日本でありながら、日本でない、どこでもない、そうした島の歴史である。

Monday, May 06, 2019

戦後ジャーナリズムにおける松井やよりと増田れい子


根津朝彦『戦後日本ジャーナリズムの思想』(東京大学出版会、2019年)


<ジャーナリズムはいかにあるべきか.1945年の敗戦以降からの戦後日本ジャーナリズム史研究の領域を確立し,メディアが多様化する現代に対して,戦後の日本社会におけるジャーナリストたちが創造的な言論・報道を体現していく歴史をひもとき,ジャーナリズムの思想的財産を解き明かす.>

書店で手にとって、著者の名前はなんとなく記憶にあるなとか、よくあるジャーナリズム史論かなと思いつつ、買おうかどうしようか悩んだ。通史ではなく、重点的に描いている。そのほうが突っ込んだ議論になっているかもしれない。「第II部 ジャーナリズム論の到達点」で「ジャーナリズム論の先駆者・戸坂潤」を取り扱っているのが気になった。戸坂潤を「ジャーナリズム論の原点」ではなく「ジャーナリズム論の到達点」としている。いかなる含意なのか。

と思いながら目次を辿ると、荒瀬豊や原寿雄を論じているが、それに続いて、「第6章 「戦中派」以降のジャーナリスト群像」に「三 男社会における女性記者たちの試練」という項目が眼に入った。

なんと松井やより、吉武輝子、増田れい子、矢島翠を扱っている。主に松井やよりと増田れい子。400頁の本に僅か16頁とはいえ、女性記者を位置づけている。

「矢島翠が天皇制の問題を通じて記者をやめる一方で、後の二○○○年に女性国際戦犯法廷で天皇の戦争責任にも向き合っていくことになるのが松井やよりであった。」との一文もある。

著者は「あとがき」で「一番読んでもらいたい章」が第六章だという。戦後日本のジャーナリストの問題意識と志を扱っているからだ。というわけで本書を購入した。

著者の名前を以前に見たのは『季刊戦争責任研究』で「8.15社説における加害責任」の分析をしていたからだ。

これから読もう。