Sunday, March 22, 2015

大江健三郎を読み直す(42)「想像力的日本人」はどこにいるか

大江健三郎『状況へ』(岩波書店、1974年)

小田実の『状況から』と同時発売され、2冊とも買った。大江の新刊を初めて買ったのがこの本だった。大学1年の時だ。小田実は『世直しの倫理と論理』に続いてだが、『何でも見てやろう』はまだ読んでいなかったと思う。

プロローグ冒頭に「構造主義の言語学者にみちびかれて」という言葉が出てくる。当時すでにポスト実存主義の構造主義が思想界で流行になっていることは知っていたが、自分では読んだことがなく、知識はなかった。大江が構造主義の言語学を勉強しているのだな、ということがわかっただけだったが。すぐ後に大江が文化人類学や言語学の影響を受けた作品世界に突入していくとまで予感できていなかった。だいたい、私は「大学生になったらマルクスを読もう、サルトルを読もう」と思っていたのだから、ここで遅れを取っていたのかもしれない(笑)。遅れることはいいことでもある。
「日韓条約の強行採決、沖縄返還協定の強行採決の日、その直後、なにが日本人の現実生活におこったかを、すでにわれわれの多くは忘れている。政府・与党の『暴挙』を糾弾した野党のそれぞれの言葉がどのようであったかも、忘れている。そもそもこれらの『暴挙』がいったいどのような暴挙であったかすらも、忘れた人びとは多いかもしれない。しかしその『暴挙』の現実的な結果は、朝鮮半島全域と日本との関係において、またほかならぬ沖縄のすべての生活の場において、実に露骨に顕在化しつつある。その影響をもろにひっかぶらねばならぬ人びとにとって、それを忘れるなどということはおよそあり得ぬのであるが……」
「いま沖縄でおこっているすべてのことについて、日本人である自分の責任は逃れられぬ。それは生きつづける個人には背おいきれぬほどの重さであるから不様によろめくことも結局さけえられるものではない。しかし沖縄で剥きだしに尖鋭化しているすべての矛盾は、ごく近いうちに日本全体にかえってきてそこを襲うはずのものである。」
「絶対天皇制的なるものをいまなお教育の根幹にすえているといわれる学校の生徒たちの、在日朝鮮人学生へのたびかさなる、しかもしだいに激化する暴行事件は、根柢においてこの危機感に立っているであろう。この危機感から出発して、日本列島の海と陸を汚染させ、今日と明日の日本人の存立を危うくしているものに眼をむけ、抗議の行動に加わるというのではない。苛立ち、自身をうしない、それゆえになお兇暴な徒党をくんで、弱小者とかれらがみなしている者ら、しかも菊の花を背後にせおっていないことの確かな者らへむけておそいかかってゆくのである。いやこちらからしかけたのではない、われわれは被害者なのだとすらかれらが強弁するのは、深層心理的には決して虚偽の申し立てではないのではあるまいか……」
2015年ではなく、1973年の大江の言葉をいくつか引用するだけで、日本列島の上に成立している国家と社会の悲惨さに、40年の歳月はさしたる変化を与えないのか、と悩ましくもなる。もちろん変化がないのではなく、大いに変化しつつ、根底に同じものが流れ続けているのだが。

大江は、ベトナム戦争におけるアメリカの敗北の歴史的意義を語り、それにもかかわらずアメリカが沖縄を拠点にアジアで軍事行動を続けていることを確認し、批判する。核兵器の時代の戦争において、核が使用されずとも、核に迫る勢いで破壊力を増している「通常兵器」、科学技術の成果が猛威を奮っていること、そのために科学者がいかに「活躍」しているかを問う。沖縄返還とともに始まった日本資本の大量進出による地元経済の破壊と自然破壊にも目を向ける。同じことは韓国でも繰り返されていた。そして、金大中拉致事件をめぐる日韓支配層の談合的処理を問う。

大江は「想像力的日本人」に期待を寄せる。

「想像力は、じつはストイックなほどにも現実の内奥に根をおろし、現実に縛られ、また究極において現実にむかうものでなければならぬのである。科学的な認識と言うことにつきつけていえば、想像力はそのうちにくいこんでいなければならぬし、想像力的な現実認識の展開は、つねに科学的な認識によって裏打ちされつづけなければならないのである。」


しかし、1973年にも2015年にも、「想像力的日本人」は果たしてどこにいるだろうか。

VIGNA D'ANTAN, Rosso del Ticino, 2010.