Sunday, May 19, 2019

四半世紀の腐敗と停滞を思う


映画『主戦場』を観た。


同僚だったかわなかのぶひろがイメージフォーラム映像研究所の責任者だった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/かわなかのぶひろ


映画は評判に違わぬ好作品だ。

慰安婦の事実を否定する歴史修正主義者が無責任な言動を連ねる。これに対して歴史学者や法学者を始め、慰安婦問題に取り組む人々が反論する。これをつなぐ監督の台詞がスピーディで、徐々に迫力を増していく。多様な観点、多様な事実、多様な立場を意識しつつ、観る者に自ら判断させる組み立てだ。

登場人物の半数以上が旧知の人物なので、その都度、「おっ、次は何を言うのか」と楽しみながら観ることが出来た。

良い映画なので大いに勧めたい。


ただ、ここで言われていることは、四半世紀前に言われていたことと変わらない。

例えば、「奴隷が財産を持っているのか」「自由があれば奴隷ではないのか」といった話は1990年代に、かつてのアメリカ黒人奴隷を取り上げて論じていたことだ。奴隷が財産を持っているのはむしろ当たり前のことだ。奴隷が結婚し、独立家屋に居住し、子どもを作り、黒人教会に通っていたのは、当たり前のことだ。奴隷に子どもができるということは、奴隷主の財産が増えることだから、推奨されることなのだ。奴隷身分の買い戻しが認められていたのは、奴隷が蓄財して、自由人になるための手立てだ。奴隷は財産を持てた。こうした当たり前のことを、四半世紀たっても語らなければならない。

議論の中身は全く変わっていない。変わったのは日本の社会意識だ。事実を否定し、およそ考えられない非常識を堂々と語る歴史修正主義が、この国の権力を簒奪し、メディアを支配し、デマを全国に広めてきた。ひたすら嘘をついて、日本の歴史と伝統を誇り、日本は素晴らしいと豪語し、同時に他者を貶める傲慢なレイシストがこの国のメディアに跋扈し、社会意識を左右している。

あまりにも議論のレベルが低くて情けなくなる。

だからこそ、この映画がつくられなければならなかった。だからこそ、一人でも多くの人々にこの映画を観てもらいたい。