Sunday, August 27, 2017

思想を震撼させる方法、豊かにする方法

田口卓臣『怪物的思考 近代思想の転覆者ディドロ』(講談社選書メチエ)
<「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」──この著名な一文を記したのは、テオドール・アドルノ(1903-69年)である。そのアドルノが第二次大戦直後にマックス・ホルクハイマー(1895-1973年)との共著で刊行した書物の表題が『啓蒙の弁証法』(1947年)だったことは、よく知られている。この書物の表題に「啓蒙」の語が含まれていることがもつ意味は、今日ますます重くのしかかってきている。実証主義に基づいて自然を理解し、合理的思考に基づく技術で自然を支配できると考え、人間の理性を絶対視する思考。それこそが「啓蒙」と呼ばれてきたものだが、まさにその「啓蒙」の結果、人間は大量殺戮を可能にする兵器を生み、みずから統制できない危険をもたらす技術を生んできた。アドルノとホルクハイマーが糾弾したこの事実は、しかし、まさに「啓蒙」思想の全盛期である18世紀フランスを代表する人物によって、はっきりと、そして過激に示されていた。その人物こそ、『百科全書』を編集したことで知られる啓蒙思想を代表する巨人ドニ・ディドロ(1713-84年)にほかならない。本書は、その事実を明らかにし、西欧の近代思想に対して抱かれているイメージを根底から覆すことを企図した、きわめて野心的な1冊である。この課題のために、著者はディドロの代表作『自然の解明に関する断想』(1753年)を精緻に読解する。具体的な文章の向こう側に先達の、あるいは同時代の思想との関係を読み解く。あるいは、具体的な表現に込められた意図をディドロ自身の他の作品を参照しながら解明する。「法則/例外」、「基準/逸脱」、「正常/異常」といった区別を無効にする「怪物的思考」のスリリングさを体感させてくれる本書は、私たちの思考がとらわれている常識を心地よく転覆することだろう。その読解の果てに広がっているのは、実証主義や合理主義がもたらす危険や弊害から目をそらせなくなっている現在、真に必要な「新しい思考」にほかならない。>
はじめに──ディドロから思想史の森へ:『自然の解明に関する断想』を読む
第一章 幾何学と実験科学の間で
第二章 寓話、再録、補遺
第三章 偏差、怪物、夢想
第四章 流体、異種混交、理論的離脱
第五章 寄生、内破、創出
第六章 「私」の位置どり、「後世」への開け
終 章 近代思想の転覆者ディドロ──アドルノ&ホルクハイマー、ミシェル・フ
ーコーとともに考える
以上の紹介文に言い尽くされているかもしれないが、読後感を少々。
第1に、思想史研究としての特質であるが、対象となる人物の思想そのものを扱いつつ、実は思想そのものではなく思想の方法に焦点を当てている。思想の方法と言えば、ヘーゲルなりマルクスなりの思想を思いがちだ。そこではヘーゲルもマルクスも自らの思想の方法について概説している。思想内容と思想の方法の密接な関連を、自ら対象化していたからである。それらとは異なり、本書では、ディドロの著作の徹底した精読を通じて、ディドロが意識はしていたであろうが、それとして記述してはいない方法を浮き彫りにし、発掘する。その手法だけをとっても魅力的である。
第2に、発掘されたディドロの方法は、合理主義でも経験論でもあり、同時にそれらとはまた区別された方法である。帰納と演繹、法則と例外等々の諸方法ではなく、「寓話、再録、補遺」、「偏差、怪物、夢想」、「流体、異種混交、理論的離脱」、「寄生、内破、創出」といった方法として描き出される。それはディドロの方法であると同時に田口の方法でもある。と言うよりも、ディドロから発掘し、精錬し、(時に)加工した田口の思想の方法である。ディドロ/田口の怪物的思考が、250年の歳月を越えて蘇り、再録され、変容しながら、牙を研ぎ澄ましている。

論理的思考を促すために論理学、心理学その他さまざまな方法論が提起されてきた。法学分野では、文理解釈、拡大解釈、縮小解釈、勿論解釈、反対解釈、類推解釈、目的論的解釈がよく知られる。それぞれの分野によって表現の仕方は異なるが、発想法や論理的思考の基本はそう違わないだろう。田口の言う怪物的思考もそうした多様な思考方法と重なるが、合理主義や経験論の幅や射程を広げるために、意識的に提示されている。新たな知見に基づいて思考の射程を広げ、自らの思考の限界を発見するためにも、怪物的思考という観点を知っておくことは重要だ。
田口は、宇都宮大学国際学部准教授。専門は、18世紀フランス思想・文学。著書に、『ディドロ 限界の思考』(風間書房、2009年。第27回渋沢・クローデル賞特別賞)ほか。共著に『脱原発の哲学』(人文書院、2016年、佐藤嘉幸と共著)、訳書に、ディドロ『運命論者ジャックとその主人』(共訳、白水社、2006年)、『ディドロ著作集』第4巻(共訳、法政大学出版局、2013年)ほか。
佐藤嘉幸との共著『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)は、昨年夏に読んだ。
根源的民主主義への変革を求める脱原発の哲学
佐藤嘉幸『権力と抵抗――フーコー・ドゥルーズ・アルチュセール・デリダ』(人文書院、2008年)
佐藤と田口、二人は、これからも目を離せない研究者だ。

Monday, August 21, 2017

実践国際人権法講座第4回 人種差別撤廃条約の日本への勧告

市民のための実践国際人権法講座第4回

人種差別撤廃条約の日本への勧告

日時:9月23日(土)18時~20時30分(開場17時40分)
場所:吉祥寺南町コミュニティセンター・多目的ホール
(吉祥寺駅から徒歩10分)
講師:前田 朗
参加費:500円

主催:沖縄と東アジアの平和をつくる会


「人種差別」とは人種、皮膚の色、民族的,種族的出身などに基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先のことで、政治的、経済的、社会的、文化的などの分野における人権及び基本的自由を享有、行使することを妨げ、害する目的や効果を持つ差別のことです。人種差別撤廃条約は1965年、国連総会で採択され、日本は1995年にこれを批准しました。
しかし、今なお日本には在日コリアン、アイヌ民族や沖縄/琉球、部落に対する差別、ヘイトスピーチなど、さまざまな人種差別が存在しています。
日本政府はこれらの人種差別をなくすための施策について終始消極的です。これに対して、人種差別撤廃条約の下で作られる人種差別撤廃委員会はこれらの差別をなくし、人種差別を日本の国内法で禁止し、処罰するとともに、マイノリティの権利を保障することを勧告してきました。
日本国内の状況を見てみると、7月28日には、大阪地裁が大阪朝鮮高級学校を無償化の適用対象外とした国の処分を取り消し、無償化の適用を義務付ける判決を出しました。判決では、教育の機会均等とは無関係な、外交的・政治的意見に基づき、無償化から外した行為を違法としました。
この判決を足がかりにして、在日コリアンや朝鮮学校に対する差別や今なお続く植民地主義を日本社会から清算していかなくてはなりません。そのためにも、人種差別撤廃条約を活用することができるでしょう。
 今回の講座を通じて、人種差別撤廃条約とその委員会の勧告を学び、人種差別のない社会を実現するために何ができるかを一緒に考えましょう。



最先端テクノロジー・アート創造企業の世界

宮津大輔『アートxテクノロジーの時代』(光文社新書)
IT、AI、SNSなどめざましい技術革新を前に、アートに何ができるか。技術革新はアートやデザインにどのような影響を与えるか。その最先端の具体例が紹介されている。
作家、画家、彫刻家、デザイナー。時に集団作業がなされるにしても、特定の個人名で語られてきたアートだが、いまやアート創造企業が大胆にして意欲的な特筆すべき作品群を生み出している。アートとテクノロジーを総合するには、個人よりも企業の方が利点があるからだ。
チームラボ
タクラム
ライゾマティクス
ザ・ユージーン
いずれも世界的に活躍するアート創造企業で、目の覚めるようなアイデア、夢と感動の美、伝統と現代と未来の総合、マクロからミクロまで世界への挑戦を続ける。その作品群は、多彩であり、驚きであり、偶然と必然の産物である。
著者はアート・コレクター、横浜美術大学教授。広告代理店で広報や人事を担当しながら、現代アートを収集し、独自の学問分野を切り開いてきた。内外の最先端のアート事情を紹介し、さらに先へと進む推進力ともなってきた。小さな新書にたまらない魅力がギュッと詰まっている。


Sunday, August 20, 2017

ローザンヌ美術館散歩

「ヤエル・バルタナ――震える時間」展(Yael Bartana, TREMBLING TIMES)を見た。
初めて知る名前だが、バルタナは、1970年イスラエル生まれ、イェルサレムのベザレル美術デザイン学校、ニューヨークのビジュアルアート学校で学び、ドキュメンタリー映像作家になった。現在ベルリン、テルアヴィブ、アムステルダムを拠点に活動している。実際の歴史をフィクショナルに再構成し、政治的ユートピアを模索しているようだ。代表作は「Profile」(2000年)、「Trembling Time」(2001年)、「And Europe Will Be Stunned」(2007~11年)、「True Finn」(2014年)など。
バルタナの問題意識を端的に示すのが、写真作品「Stalag: The Photographer」シリーズだ。バルタナ自身が被写体として登場する(他の作品では登場したことがないと言う)。1枚の写真はイスラエル女性兵士の制服を着てカメラを構えてこちらを向いて、まさにシャッターを押そうとしている。もう1枚の写真はナチス・ドイツの親衛隊の制服を着てカメラを構えてこちらを向いて、まさにシャッターを押そうとしている。そういうシリーズで、その容姿はリニ・リーフェンシュタールを想起させる。バルタナは兵士、市民、アーティストの責任を問う。日本では森村泰昌を思い出すことになるが。
展示の柱は「And Europe Will Be Stunned」3部作である。
第1作の「Mary Koszmary(Nightmares)」は、ポーランドにおけるユダヤ人ルネサンス運動を扱う。左翼運動家シエラコフスキーが「ユダヤ人はポーランドに帰還し、ポーランド人とともに、反セミティズムとホロコーストのトラウマを克服、新しい社会をつくるべきだ」と主張したという。その運動の呼びかけを映像化しているが、それは1930年代のナチスのプロパガンダ映像に類似していく。
第2作の「Mur I wieza(Wall and Tower)」はシエラコフスキーの呼びかけに答えた若者たちが、ワルシャワの元ユダヤ人居住地の公園にキブツを建設する。参加者全員で、木材を持ち寄り、家屋2棟と見張り塔を建設する。建設作業の中で精神的コミュニティができていく。が、それは第二次大戦時のゲットーに類似していく。あるいは、強制収容所に似ていき、さらには戦後の占領期の検問所に似ていく。
第3作の「Zamach(Assassination)」は、ポーランドに帰還したユダヤ人たちが、暗殺されたシエラコフスキーの追悼式を行う。シエラコフスキーの巨大な胸像が置かれる。人々が追想し、象徴的死を悼む。その参加者たちが徐々に表情を失い、真っ白な顔になっていく。個性を失った人々の前で、2人の若者が最後の追悼の辞を朗読する。その最後の言葉が、”Join us, and Europe will be stunned.”
かなり骨のある作品で、全部見るととても疲れた。イスラエル出身のバルタナがポーランド、ヨーロッパに向けて政治的パロディによる告発をしている。解釈の幅はかなり広いので、悩みながら、まだ結論が出ない。宿題が増えた。

Clemence, Cabernet Franc, 2015, Geneve.






預言者イエス=朴裕河と15人の使徒

浅野豊美・小倉紀蔵・西成彦編著『対話のために――「帝国の慰安婦」という問いをひらく』(クレイン)
1.本書出版の経緯と編集方針
(1)ドグマとの闘い
(2)イエスの受難
2.本書の基本的特徴
(1)第1の欠落:「応答しない」
(2)第2の欠落:「批判者を明示しない、引用しない」
(3)第3の欠落:「法を否定する」
(4)第4の欠落:「解決策に関心がない」
3.復活の日のために

1.本書出版の経緯と編集方針

(1)  ドグマとの闘い

しっかりした編集方針のもと、15人の執筆者が一糸乱れず編集方針を守って、ていねいにつくった本である。編集方針が確固としていて、言葉も明晰で、誤読の余地がない。迷いもブレもなく、目的に従ってまっしぐらの直球である。

日韓で政治的社会的問題となった朴裕河『帝国の慰安婦』を擁護する15人の著者による論文集である。
本書編集の直接のきっかけは「まえがき」(西成彦)に書かれているように、2016年3月に東京大学で開催された研究集会<「慰安婦問題」にどう向き合うか/朴裕河氏の論著とその評価を素材に>である。
「対話」を求めた研究集会(3.28集会)だったが、「オウムのように過去の主張をくり返す」(3頁)、「『ドグマ』にしがみつこうとする『帝国の慰安婦』批判の声は想像以上にかたくなで、『対話』らしい『対話』は成立しなかった」(5頁)からであるという。

つまり、問題は批判者の「ドグマ」である。あるいは、
「踏み絵」(24頁、浅野豊美)、
「自らの鏡に見えているものに誠実でありたいと考える人を窒息させようとする人たち」(44頁、東郷和彦)、
「レッテル貼り」(78頁、中山大将)、
「誹謗中傷」(96頁)
「悪意あるデマゴギー」(96頁)
「狂信」(104頁)
「病理」(104頁)
「集団ヒステリー」(112頁、以上の5つは、四方田犬彦)、
「暗黒の恐怖が渦巻いている」(277頁)
「恥ずべき暗澹たる汚点」(285頁、以上の2つは小倉紀蔵)である。
批判者は「暴力」「暴力的」である(本書に頻繁に登場する指弾の言葉である)。
――本書はこうした悪罵のオンパレードである。他人を罵る表現に磨きをかけるためにひたすら時間を費やした金字塔である。
本書の著者たちは冷静に学問的に話しているのに、批判者はオウム、ドグマ、デマゴギー、狂信、病理、集団ヒステリーである。このことを何十回でも言わなくてはならない。

このように宣言して、本書では15人の著者が、歴史学、文学、フェミニズム等々の領域からこの問題に切り込んでいる。

私も、オウム、ドグマ、デマゴギー、狂信と切り捨てられている側の一員だ。例えば、次の出版に関わっているからだ。
前田朗編『「慰安婦」問題の現在――「朴裕河現象」と知識人』(三一書房)
前田朗編『「慰安婦」問題・日韓合意を考える』(彩流社)
「戦争と女性への暴力リサーチセンター」編『日本人「慰安婦」』(現代書館)
「戦争と女性への暴力リサーチセンター」編『「慰安婦」バッシングを越えて』(大月書店)
日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編『性奴隷とは何か:シンポジウム全記録』(お茶の水書房)

なお、私も上記3.28集会に参加した一人であるが、発言の機会は与えられなかった。批判派50名、擁護派50名という規模なので、それはやむを得ない。秘密集会であったことに違和感を抱いたが、それも当時の「雰囲気」の中で主催者が選択したことであり、とやかく言うことではないと思った。ともあれ、この集会を企画・実現した主催者に感謝している。

(2)イエスの受難

この件では、朴裕河をハンナ・アーレントに喩える驚愕の珍事があったが、本書では、なんとエドワード・サイードに喩える(93~95頁、四方田犬彦)。そして、本書の随所で、朴裕河は実直誠実な研究者であり、不当な「誹謗中傷」に耐えているとされる。不当な批判が裁判にまでなり、朴裕河は精神的にも物理的にも迫害されているという。
こうした記述がえんえんと続いた後に、「もし彼女が精神を病んだり、自死したりしていれば、批判者たちはひとりの知識人の社会的生命のみならず、生存さえ奪った」ことになるという(257頁、上野千鶴子)。他人にここまで筋違いの因縁をつけて恫喝を加えるのだから、ぶっ飛んでいる。チンピラヤクザそのものである、と思ってはいけない。著者たちは、まじめなのだ。
何しろ、朴裕河は「民族の預言者」(264頁)であり、『帝国の慰安婦』は「十字架」(274頁)であり、すべては「イエスの受難」(274頁、以上の3つは天江喜久)であるのだから。

神の子にして預言者であるイエス=朴裕河の著書『帝国の慰安婦』への批判など許されるはずがない。それはオウムであり、ドグマであり、狂信であり、暴力である。それゆえ預言者を守るために15人の使徒が立ち上がったのである。

15人の使徒は次の通り(なぜ名前を明示・列挙するかは後述する)。
浅野豊美(早稲田大学教授、国際政治
小倉紀蔵(京都大学教授、韓国思想
西成彦(立命館大学教授、比較文学
東郷和彦(京都産業大学教授、国際政治・元外交官)
外村大(東京大学教授、日本近現代史
中山大将(京都大学助教、北東アジア地域研究
四方田犬彦(明治学院大学教授、比較文学
熊木勉(天理大学教授、朝鮮現代文学
中川成美(立命館大学特任教授、日本近現代文学
加納実紀代(女性史研究)
藤井貞和(詩人・日本文学
熊谷奈緒子(国際大学准教授、国際関係
上野千鶴子(東京大学名誉教授、会学
天江喜久(台湾・長栄大学副教授、台湾近現代史
金哲(延世大学校名誉教授、東アジア近現代文学

2 本書の基本的特徴

本書には数多くの特徴があるが、それをいちいち列挙できない。ここでは、その一つであり、基本的と思われる、「欠落、否定、無視、忘却」に限って示しておこう。明確な編集方針をしっかり守り、決して道を踏み外すことのない使徒の懸命の努力がうかがえる。

(1)  第1の欠落:「応答しない」

3.28集会前半の一つ焦点は、『帝国の慰安婦』には数えきれない事実誤認があり、しかもその事実誤認がすべて朴裕河の主張に都合の良い方向での事実誤認であるという論点であった。
批判者側は数人が次々と事実誤認を論証し、「事実誤認の上に学問が成り立つのか」と迫った。「朴裕河はSTAP細胞の小保方晴子だ」という趣旨の発言が締めとなった。
擁護派はこれについて応答しなかった。問題を特定せずに、一般的に「仮に事実誤認があったとしても」といったレベルの応答がなされるにとどまったといえよう。このため対話が成立しないのは当然であった。本書も同じことの繰り返しである。15人の執筆者たちは、事実誤認を認めようとしない。

そして、「なぜ<数>を問うのか?」(中山大将)のように、論点そのものを審判に付し、批判派が数や多寡を問うことそれ自体を批判する。数や多寡を問題にしたのは朴裕河であるにもかかわらず、中山は、批判派を非難する。

中には「確かに歴史的事実の誤認や不適当な説明」(50頁、外村大)があることを認める表現もあり、歴史研究において史料群を調査すると「自分にとって“都合の悪い史料”に出会ってしまう、ということは往々にしてありうる」(52頁)とし、「“都合の悪い史料”を無視することは、プロパガンダでは許されるかもしれないが、研究の世界においては行ってはならない」と正論を唱える。ならば、朴裕河はどうなのか。“都合の悪い史料”を書き換えているのではないかと疑われている『帝国の慰安婦』はどうなのか。ところが、外村の矛先は朴裕河ではなく、慰安婦をめぐる従来の歴史研究に向かう。「不都合な史料について考える作業は軽視されてきたのではないだろうか」(54頁)と。かくして事態は反転する。朴裕河の事実誤認は容認され、天上の星よりも高く評価されるが、それ以前の歴史研究の側にこそ問題があったことにされる。
ここで外村の学問方法論においては許される事実誤認と許されない事実誤認があることが判明する。そう考えないと理解できない。外村は許される事実誤認と許されない事実誤認をどのように区別しているのだろうか。外村自身が、歴史研究において、いったいどれだけの許される事実誤認を駆使してきたのか、それは書かれない。

私は刑事法専攻である。日本において刑事法を専攻するということは、自分の理論において他人に死をもたらすことがあるということである(私は死刑廃止論者だが)。刑事法においては、てにをはのミスも許されない。てにをはの一文字の違いで、死刑か無罪が分かれるのだから。従って、刑事法学の世界では、慎重さが求められると同時に、誤りは速やかに訂正しなければならない。擁護派・中山・外村のような主張をすることはおよそ考えられない。歴史学では許される事実誤認や許される書き換えがあるという事実が、本書を読んでわかったが、納得しかねる。たぶん、それは私のドグマであり、狂信なのだろう。

(2)  第2の欠落:「批判者を明示しない、引用しない」

本書では、15人すべてが、「批判者」を非難しながら、その「批判者」の氏名を名指ししない。「批判者」の文献・出典を明示しない。編集方針として明確に「批判者を明示しない、引用しない」と決めたのであろう。そう考えない限り、ありえないことが起きている。
他の著作で、このようなことがありうるだろうか。15人の著者が、同じ「批判者」をひたすら非難しているにもかかわらず、その「批判者」の名前を書かない、文献も引用しない、出典を確認できない、という稀有の事態である。
本書で用いられるのは、
「一部の市民運動」(19頁)
「この本をめぐる批判」(26頁、以上の2つは浅野豊美)、
「制度的レイプ派」(40頁、東郷和彦)、
「諸研究者」(81頁、中山大将)、
「彼らの一部」(111頁、四方田犬彦)
といった言葉ばかりである。

本書には韓国挺身隊問題対策協議会の名前が頻繁に出てきて、何度も非難されている。ところが、韓国挺対協の主張をその文書から引用することはしない。論者が自在にまとめた言葉で語られるに過ぎない。
本書には吉見義明の名前が出てくる(54頁、外村大)が、「重要な資料を発掘し」たとされるだけで、吉見の研究内容は紹介されず、主張が引用されることもない。
本書には女性国際戦犯法廷が出てくる(171頁、西成彦)が、時代背景の説明のために出てくるにとどまり、女性国際戦犯法廷がいつどのように開かれたのか、主催者はだれか、判事はだれか、どのような判決かは紹介されない。
本書には、松井やより、西野瑠美子、中原道子、鈴木裕子、大森典子、金富子、小野沢あかね等々が登場しない。吉見義明、林博史、戸塚悦郎、荒井信一、鄭栄桓らも登場しない(吉見の名前は上記の形で一度出てくるだけである)。VAWW NET/RACも登場しない。

このことが意味することは、次の3つにまとめることができるだろう。
1つは、朴裕河が事実や証言の引用箇所を明示しない方法を愛用しているので、本書でも同じ方法を採用した。
2つは、具体的に名指しして引用すると、反論される恐れがある。反論を許さないために、相手を特定しない方法が望ましい。誰かが反論してきても「いやそれはあなたのことではありません」。
3つは、批判者はオウムであり、ドグマであり、暗黒の恐怖である。まともな人格的存在として扱う必要はない。預言者を批判するなどという裏切りと堕落と暗澹たる汚点である。名前を出すのも汚らわしい。
4つは、もともと15人の使徒は事実誤認を容認している。事実誤認が許されないなどと狂信する批判対象を明示しないのは驚くに値しない。相手に反論を許さず、一方的に叩いて叩いて叩きまくること、それだけが真実への道なのである。

私は、上記で15人全員の名前を列挙した。煩瑣だがいちいち頁数も明示した(ブログの記事で、普通、ここまではしない)。

批判する時には相手の氏名、具体的な主張内容を特定し、出典を明示するのが通常の方法だと思う私は、悪意あるデマゴギーであり、狂信であり、病理であるに違いない。

(3)  第3の欠落:「法を否定する」(ただし、都合の良い時は「法」を使う)

法の否定は2つの局面で明示される。

1つに、国際法の否定・軽視である。「慰安婦」問題では、国連人権委員会や国際労働機関で議論がなされ、国際法に照らして結論が示された。性奴隷制であり奴隷条約違反及び奴隷の禁止の慣習国際法違反。強制労働条約違反。そして戦争犯罪と人道に対する罪。女性国際戦犯法廷や、本書で批判派とひとくくりにされているらしき論者の多くが、国際人権法と国際人道法を引用してきた。
朴裕河が韓国挺対協批判を通じて、国際法に基づく議論を切り捨てたことは有名である。特に国際法における奴隷制概念は諸悪の根源であるかのごとく扱われる。15人の使徒も預言者に従って法を否定し、国際法を排除する。

奴隷制については興味深い記述がみられる。「慰安婦」が「預金通帳」を持っていた、私有財産を持っていた。だから、「”salve”とは呼べないと考えても不思議ではない」(80頁、中山大将)。
1990年代から何度も議論されたことだが、アメリカ黒人奴隷に典型的なように奴隷は「私有財産」を持っていた。いつでも取り上げることのできるカギかっこ付きの「私有財産」であるが、奴隷も蓄財して自由身分を買い戻すことが認められていたのだ。こうした常識を否定する中山は藤岡信勝や小林よしのりと祝杯を挙げることになる。

2つに、国内法の否定である。近代市民国家の法が否定される。朴裕河が訴えられた裁判の否定である。本書の随所で、名誉毀損を理由とする民事訴訟と刑事訴訟を繰り返し何度も非難している。法とか裁判とか検察など国家権力の装置であって、歴史学がこれに拘泥するべきではない。預言者を世俗の裁判にかけるなど許されるはずがない、と。近代法における裁判を受ける権利に唾を吐きかける。

ただし、15人の使徒は、都合の良い時だけ法を利用する。近代憲法における基本的権利としての学問の自由を根拠に、朴裕河免罪を主張する。そして、近代憲法における学問の自由を、学問ならば何でもあり、誹謗中傷の自由と読み替える。新聞や雑誌やTVやインターネットや街頭演説における名誉毀損が不法行為となり、時に犯罪になるのはよい。しかし、書物による名誉毀損があったとしてもそれは自由である。ここでは学問の自由が、学問の特権、学者の特権と読み替えられているのだが、そんなことを指摘するのは狂信である。ただし、学問の自由にも一定の慎重さを要するとの見解もあるが(231頁、熊谷奈緒子)、それも一般論にすぎず、朴裕河を擁護する。預言者を擁護することだけが目的となっている。

(4)  第4の欠落:「解決策に関心がない」

「慰安婦」問題について議論しているのだが、本書ではその解決策に関心が向けられることがない(ほとんどない)。国際法を否定し、国連人権機関からの解決勧告を無視する。

しかし、代替案は提示しない。アジア女性基金の積極的肯定(東郷和彦)、2015年12月の日韓合意の肯定(東郷和彦)、「平和の像(少女像)」への批判(本書各所)が明示されるが、それでは、慰安婦問題をいかに解決するべきか、には関心が向けられない。
法を否定し、国家権力を否定する仕草を続けながら、日本政府によるアジア女性基金政策を支持する態度しか示すことができない。こっそり権力に寄り添うことも忘れない。
使徒の関心が向けられるのは、あらゆる手段を用いて預言者を擁護することだから当然のことであり、これに疑問を抱くのはユダへの転落であり、暗澹たる汚点である。
中には、当事者を置き去りにしてはならないとの感想も示されるが(例えば82頁、中山大将)、そこから先を論じることはしない。
以上のように、本書では、周到な準備のもと細心の注意を払って編集方針を貫徹し、読者からいかなる誤読もされないように配慮している。
それゆえ、まともな研究者がやらないこと、やってはいけないことが満載である。
時間をかけて念入りに準備し、学問破壊の福音書として十全の内容を備えるように工夫したのである。

3.復活の日のために

 本書で15人の著者は何をしようとしたのか。それも具体的に、鮮やかに示されている。
聖なる15人の使徒は預言者を擁護するために立ち上がったのである。それでは、預言者を擁護するとはどういうことか。

サイードが「石を投げている写真なるもの」(94頁)、水に落ちた犬に「石を投げる」エピソード(110頁、四方田犬彦)にはじまり、イスラエル・パレスチナに注目を集める。
アーレントに言及したのも、やはりイスラエル・パレスチナに注目を集めることにつながる。
予想通り、朴裕河は「民族の預言者」(264頁)であり、『帝国の慰安婦』は「十字架」(274頁)であり、すべては「イエスの受難」(274頁、以上の3つは天江喜久)であると続く使徒の合唱は、いよいよクライマックスに近づく。
感動に打ち震えながら、「もし彼女が精神を病んだり、自死したりしていれば、批判者たちはひとりの知識人の社会的声明のみならず、生存さえ奪った」(257頁、上野千鶴子)と、朴裕河の「死」を予言する欲望にかられた絶叫が響き渡る。「死」を、「死」を、という激烈な欲望である。
自分たちが何を言っているのかすらわからない恍惚状態で、「死」を、との叫びだけが反響する。
そして、「『預言者』はあたかも十字架を背負ってゴルゴダの丘を上がってゆくようである。嗚呼、学問の自由の代価はかくも重いのか! しかし、十字架の先にあるのは復活の希望である」(274頁、天江喜久)と、朴裕河を無理やりゴルゴダの丘に登らせる。
誠実なる使徒たちは、ひたすら「死」を願う敬虔な祈りをささげる。「死」への欲望が赤裸々に語られる。「死」こそすべてである。
なぜなら「復活の日」を待ち望むことこそ使徒の使命だからだ。
「朴裕河氏の『英雄性』は、五年後、十年後にはいまと比較できないほど確固たるものとなっているだろう」(287頁、小倉紀蔵)。
かくして15人の使徒は「確固たる」意思と熱意と欲望で「死」を謳いあげ、「復活」を夢見る。
その日のために、15人の使徒は一切の疑念を断ち、ユダに転落することなく、預言者と心を重ね合わせながら、嬉々として最後の審判への苦難の途を歩むのである。




Saturday, August 19, 2017

クローズアップ現代の23年を読む

国谷裕子『キャスターという仕事』(岩波新書)
1993年4月に始まったクローズアップ現代。23年間で3784本の放送がなされたという。2016年の番組再編により降板するまで、一部を除いて大半にニュースキャスターとして登場した国谷が、その23年間を振り返る。
もともとジャーナリストやアナウンサー志望ではなく、英語が流暢だったことから、英語放送のニュース原稿を読むことを頼まれたのがきっかけで、たまたまNHKに出るようになったという。
いったんやめて、アメリカに行ったところ、今度はニューヨークでNHKに頼まれてリサーチャーになった。資料集めや通訳やインタヴュー相手を探すなど雑多な手伝いをしているうちにキャスターとして出ることになった。いわゆる帰国子女で、日本の学校教育をほとんど受けていないため、日本語に自信がなく、猛勉強したようだ。
そうした様々な経緯からNHKのキャスターとなり、1993年からクローズアップ現代が始まった。数年で終わるはずが、23年も続く看板番組になった。
番組作りの様子が次々と紹介される。国際ニュースと国内ニュースの両方を取り上げていき、内外の要人にインタヴューを行った経験も紹介される。国内の労働問題をはじめ、阪神淡路大震災から東日本大震災まで、9.11、犯罪被害者問題、沖縄基地問題はもとより、科学、教育、政治その他実に多くのテーマを取り上げた。
数々の失敗も紹介される。失敗が結果としてよかった場合もあれば、思わぬミスもあれば、2015年の「出家詐欺」番組の大失態もある。印象的だったのは何といっても高倉健の「17秒の沈黙」だ。
ニュースとは何か。ジャーナリズムとは何か、キャスターの仕事は。悩み続けながら、「言葉の力を信じて」走り続けた23年間だと言う。
この本はぜひ学生たちに読ませよう。


ムルテン城壁散歩

ムルテンは10年ぶりだろうか。ムルテン湖の南岸にツェリンゲン一族が築いた城壁の町だ。スイス各地の都市の城壁は、ルツェルンのように部分的にしか残っていないところや、ベルンのようになくなったところが多いが、ムルテンは完璧に残っていて、保存されている。重要な観光資源だ。
ムルテン駅から歩いて5分ほどでムルテン城に出る。市役所付近は道路工事中だったので、もう1本の通りに出ようとしたら、新婚カップルとすれ違った。夏の青空の下、真っ白なタキシードとウェディングドレスが鮮やかだ。数人と連れ立って街中を歩いている。教会での結婚を済ませて、披露宴に行くところだろうか。
城壁に囲まれた旧市街をぶらぶら歩く。一番奥にある教会の裏側から階段を上って、城壁の2階の回廊を歩く。何度も観光客とすれ違う。一部は3階の登楼に上がることもできる。旧市街を上から見渡せる。白と教会にはさまれた狭い市内に赤い屋根の民家がひしめく。その向こうにムルテン湖が広がり、さらに向こうにブドウ畑が見える。
登楼から降りてふたたび回廊を歩く。と、先ほどの新婚カップルが記念撮影していた。反対側の階段から上がって、回廊を歩いているシーンを撮影している。このカップルのアイデアだろうか。それとも、ムルテンの新婚さんにはよくあることなのだろうか。たまたまであった観光客数人が写真を撮っていた。
市街に降り立って中華レストランで海老焼きそば。
食後は、湖岸に出てみた。遊覧船乗り場、ヨットハーバー、公園がある。芝生に座ってしばらく読書。国谷裕子『キャスターという仕事』を読了。陽射しが落ち始めていた。
FEU, d’Amour, Pinot Noir,Yvorne,2014.


Friday, August 18, 2017

トゥーン城博物館散歩

ベルンから南に特急で20分ほど、トゥーン湖からアーレ川が流れだすところにトゥーンの町がある。遊覧船、湖畔のリゾート地、トゥーン城。
はじめて来たが、もともとベルンやムルテンと同じく、ツェーリンゲン家が築いた要塞都市だ。アーレ川の水門や丘の上のトゥーン城をはじめ、街並みはベルンやムルテンと似ているところもある。もっとも、ムルテンは城壁が残っているが、ベルンとトゥーンは城壁がない。
トゥーンのオベレ・ハウプト通りのペデストリアンデッキが面白い。通りに面した2階部分が歩道になっている。ベルンはアーケードだが、トゥーンは一画だけだがペデストリアンデッキが特徴だろう。
ペデストリアンデッキをおりて、市役所前広場からトゥーン城に登る。小さな丘の小さな城で、すぐについた。中は博物館になっている。かつての生活用品などが展示されているが、何といってもトゥーン焼きの陶器が素晴らしい。ニヨン焼きがはかない城と朱色に特徴があるのに対して、トゥーン焼きは藍と黒が大胆に使われている。鳥の絵柄が多いのは、それが一般的だったのか、たまたま保存されているものがそうなのか。解説には、オリエントの影響も書かれていた。明示されていないが中国の影響だろうか。
城の隣の教区教会に入ると、パイプオルガンの演奏中だった。バッハのコラールだろうか。誰もいない中に静かに響いていたので、しばらく座って拝聴。
アーレ川両岸をぶらぶら散歩するがすぐに終わるので、美術館に行ったところ展示入れ替え中で休館だった。残念。美術館のカフェでコーヒーを飲んで、読書。日本から持参した『預言者イエス=朴裕河と15人の使徒』という貴重な本で、なかなか楽しめる。