田口卓臣『怪物的思考 近代思想の転覆者ディドロ』(講談社選書メチエ)
*
<「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」──この著名な一文を記したのは、テオドール・アドルノ(1903-69年)である。そのアドルノが第二次大戦直後にマックス・ホルクハイマー(1895-1973年)との共著で刊行した書物の表題が『啓蒙の弁証法』(1947年)だったことは、よく知られている。この書物の表題に「啓蒙」の語が含まれていることがもつ意味は、今日ますます重くのしかかってきている。実証主義に基づいて自然を理解し、合理的思考に基づく技術で自然を支配できると考え、人間の理性を絶対視する思考。それこそが「啓蒙」と呼ばれてきたものだが、まさにその「啓蒙」の結果、人間は大量殺戮を可能にする兵器を生み、みずから統制できない危険をもたらす技術を生んできた。アドルノとホルクハイマーが糾弾したこの事実は、しかし、まさに「啓蒙」思想の全盛期である18世紀フランスを代表する人物によって、はっきりと、そして過激に示されていた。その人物こそ、『百科全書』を編集したことで知られる啓蒙思想を代表する巨人ドニ・ディドロ(1713-84年)にほかならない。本書は、その事実を明らかにし、西欧の近代思想に対して抱かれているイメージを根底から覆すことを企図した、きわめて野心的な1冊である。この課題のために、著者はディドロの代表作『自然の解明に関する断想』(1753年)を精緻に読解する。具体的な文章の向こう側に先達の、あるいは同時代の思想との関係を読み解く。あるいは、具体的な表現に込められた意図をディドロ自身の他の作品を参照しながら解明する。「法則/例外」、「基準/逸脱」、「正常/異常」といった区別を無効にする「怪物的思考」のスリリングさを体感させてくれる本書は、私たちの思考がとらわれている常識を心地よく転覆することだろう。その読解の果てに広がっているのは、実証主義や合理主義がもたらす危険や弊害から目をそらせなくなっている現在、真に必要な「新しい思考」にほかならない。>
*
はじめに──ディドロから思想史の森へ:『自然の解明に関する断想』を読む
第一章 幾何学と実験科学の間で
第二章 寓話、再録、補遺
第三章 偏差、怪物、夢想
第四章 流体、異種混交、理論的離脱
第五章 寄生、内破、創出
第六章 「私」の位置どり、「後世」への開け
終 章 近代思想の転覆者ディドロ──アドルノ&ホルクハイマー、ミシェル・フ
ーコーとともに考える
*
以上の紹介文に言い尽くされているかもしれないが、読後感を少々。
第1に、思想史研究としての特質であるが、対象となる人物の思想そのものを扱いつつ、実は思想そのものではなく思想の方法に焦点を当てている。思想の方法と言えば、ヘーゲルなりマルクスなりの思想を思いがちだ。そこではヘーゲルもマルクスも自らの思想の方法について概説している。思想内容と思想の方法の密接な関連を、自ら対象化していたからである。それらとは異なり、本書では、ディドロの著作の徹底した精読を通じて、ディドロが意識はしていたであろうが、それとして記述してはいない方法を浮き彫りにし、発掘する。その手法だけをとっても魅力的である。
第2に、発掘されたディドロの方法は、合理主義でも経験論でもあり、同時にそれらとはまた区別された方法である。帰納と演繹、法則と例外等々の諸方法ではなく、「寓話、再録、補遺」、「偏差、怪物、夢想」、「流体、異種混交、理論的離脱」、「寄生、内破、創出」といった方法として描き出される。それはディドロの方法であると同時に田口の方法でもある。と言うよりも、ディドロから発掘し、精錬し、(時に)加工した田口の思想の方法である。ディドロ/田口の怪物的思考が、250年の歳月を越えて蘇り、再録され、変容しながら、牙を研ぎ澄ましている。
*
論理的思考を促すために論理学、心理学その他さまざまな方法論が提起されてきた。法学分野では、文理解釈、拡大解釈、縮小解釈、勿論解釈、反対解釈、類推解釈、目的論的解釈がよく知られる。それぞれの分野によって表現の仕方は異なるが、発想法や論理的思考の基本はそう違わないだろう。田口の言う怪物的思考もそうした多様な思考方法と重なるが、合理主義や経験論の幅や射程を広げるために、意識的に提示されている。新たな知見に基づいて思考の射程を広げ、自らの思考の限界を発見するためにも、怪物的思考という観点を知っておくことは重要だ。
*
田口は、宇都宮大学国際学部准教授。専門は、18世紀フランス思想・文学。著書に、『ディドロ 限界の思考』(風間書房、2009年。第27回渋沢・クローデル賞特別賞)ほか。共著に『脱原発の哲学』(人文書院、2016年、佐藤嘉幸と共著)、訳書に、ディドロ『運命論者ジャックとその主人』(共訳、白水社、2006年)、『ディドロ著作集』第4巻(共訳、法政大学出版局、2013年)ほか。
*
佐藤嘉幸との共著『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)は、昨年夏に読んだ。
根源的民主主義への変革を求める脱原発の哲学
佐藤嘉幸『権力と抵抗――フーコー・ドゥルーズ・アルチュセール・デリダ』(人文書院、2008年)
佐藤と田口、二人は、これからも目を離せない研究者だ。