Monday, August 03, 2009

ヘイト・クライム(10)

『統一評論』517号(2008年11月号)

(2008「在日朝鮮人歴史・人権全国集会」シンポジウムより)

コリアン・ジェノサイドとは何か

 私の報告では、少し視点を変えて、関東大震災時朝鮮人虐殺を国際基準で見ていこうという話をします。国際法に照らして考えてみます。キーワードはジェノサイドです。

 第一に、議論の手がかりとして石原慎太郎東京都知事の「三国人」発言を取り上げます。第二に、ジェノサイドを考えるために、最初のジェノサイドであるアルメニア・ジェノサイドについて見ます。第三に、ジェノサイドとは何かという法律の定義を確認します。第四に、「関東大震災朝鮮人虐殺はジェノサイドである」「ジェノサイドを教唆したのは日本政府である」ことを確認します。コリアン・ジェノサイドを世界史の中に位置づけてみましょう。

石原都知事の差別発言

 第一に、石原都知事の差別発言です。いま「差別発言」と言いましたが、ここでは単なる「差別発言」ではなく「人種差別の煽動」であることに関心を向けていきたいと思います。それが「ジェノサイドの教唆」ともつながりを持つからです。

 石原都知事発言とは、二〇〇〇年四月九日、陸上自衛隊の記念式典において「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな騒擾事件すらですね、想定される、そういう状況であります」と挨拶したものです。

 この発言は、単なる差別発言ではなく、いくつもの嘘をまぎれこませた悪質な差別の煽動です。①「三国人」という言葉自体が、戦後日本で在日朝鮮人・中国人に対して差別的に用いられた言葉です。②「三国人」とされた人々のほとんどは、日本で生まれ育っていますから「不法入国」などしません。できません。③「三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」という事実がありません。外国人も日本人もさまざまな犯罪をしている事実はあります。しかし、凶悪犯罪は減少してきたのが事実です。それでも残念ながら凶悪犯罪が起きますが、その大半は日本人によるものです。④災害時に自然に騒擾事件が起きたことはありません。起きたのは関東大震災朝鮮人虐殺のように日本政府が仕組んだ騒擾事件です。最初から最後まで嘘で固めた石原発言です。虚偽に基づく差別と差別煽動の発言を、陸上自衛隊の前で行ったのです。意味するところは明白です。

 二〇〇一年三月、ジュネーヴ(スイス)のパレ・ウィルソン(人権高等弁務官事務所)で開催された人種差別撤廃委員会における日本政府報告書の審査の結果、人種差別撤廃委員会は日本政府に対して次のような勧告を出しました。

 「委員会は、高位の公務員が行った差別的な発言と、特に、条約第四条(c)違反の結果として、当局が取るべき行政上または法律上の措置をとっていないこと、またそうした行為は人種差別を助長、煽動する意図があった場合にのみ処罰されるという解釈に、懸念をもって注目する。締約国が、こうした事件の再発を防ぐための適切な措置をとり、特に、公務員、法執行官および行政官に対し、条約第七条に従って、人種差別につながる偏見と闘う目的で適切な訓練を行うよう求める。」

人種差別撤廃委員会は、石原都知事発言が差別的な発言であり、人種差別撤廃条約第四条(c)に違反すると認定しています。ここには石原都知事の名前は出ていませんが、「高位の公務員」とは石原都知事のことです。②人種差別撤廃委員会は、石原都知事発言に対して、当局が「政治上または法律上の措置」をとるべきだとしています。③日本政府は「石原都知事には差別を助長、煽動する意図がなかった」と言う弁解をしましたが、人種差別撤廃委員会は、そうした解釈に懸念を表明しています。「差別を煽動する意図がないとさえ言えば、どんな差別発言もやりたい放題」という日本政府の解釈は世界に通用しません。差別を煽動した事実が問題なのです。④人種差別撤廃委員会は、差別再発防止のための訓練を行うように求めています。しかし、日本政府は右のような解釈を公然と主張していますから、まともな訓練をしていません。それどころか、差別を煽動する差別発言を公然と擁護していますから、日本社会では差別発言が続発しました。

 以上をまとめます。石原都知事発言は人種差別発言です。本人は、辞書の意味がどうのこうのとか、他にもこの言葉を使った人がいるとか言い訳をしていましたが、石原都知事がこの言葉を使ったのは明白に差別的文脈でした。単なる人種差別発言にとどまりません。人種差別撤廃条約にいう「人種差別の煽動」です。日本政府は「差別を煽動する意図がなかったから、煽動ではない」と言い訳しましたが、およそ説得力がありません。人種差別撤廃委員会でも、日本政府の主張は完全に否定されました。歴史的なジェノサイドとの関連抜きに語ることはできません。単なる「人種差別の煽動」ではなく、自衛隊の前で、地震などの際に自衛隊の出動を、と呼びかけたのですから、「ジェノサイドの教唆」の一歩手前と言うべきなのです。関東大震災朝鮮人虐殺の歴史を持ちながら、あえてこのような発言をしたのですから極めて悪質です。

ジェノサイドとは

それではジェノサイドとは何でしょうか。いまジェノサイドについて語ることにどのような意味があるのでしょうか。

 一九四八年一二月九日に第三回国連総会で採択されたジェノサイド条約(一九五一年発効、批准国は一三四カ国、日本は未批准)は、その前文で「ジェノサイドが、国連の精神および目的に反し、かつ、文明世界から強く非難された国際法上の犯罪であるとする、一九四六年一二月一一日の国連総会決議九六(I)を考慮し、歴史上あらゆる時期においてジェノサイドが人類に多大な損失をもたらしたことを認め、この忌まわしい苦悩から人類を解放するためには国際協力が必要である」としています。

 ジェノサイド条約第一条は「締約国は、ジェノサイドが、平時に行なわれるか戦時に行なわれるかを問わず、国際法上の犯罪であることを確認し、かつ、これを防止し処罰することを約束する」としています。条約第二条はジェノサイドの定義を示し、同第三条は処罰すべき行為について明示しています。条約第四条は、犯罪者の地位は問わないとし、「憲法上の責任ある統治者であるか、公務員であるか、または私人であるか」を問わず、いかなる者によるジェノサイドも処罰すべきだとしています。

 それでは関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイド概念に照らして位置づけ直すことにしましょう。従来、関東大震災を語る人はジェノサイドについて語りません。ジェノサイドを語る人は関東大震災を語りません。

アルメニア・ジェノサイド

 ジェノサイドの典型例は、誰もが知るように、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺です。ただ、ジェノサイドという言葉を作ったときに、念頭にあった最初のジェノサイドは、一九一五年のアルメニア・ジェノサイドです。ジェノサイドという言葉は、後に説明するように、ラファエル・レムキンが一九四四年につくりましたが、念頭にあったのはアルメニア・ジェノサイドです。ジェノサイドという言葉ができるよりも前の出来事ですが、アルメニア・ジェノサイドと呼ばれています。

 二〇〇二年の映画『アララトの聖母』を思いおこしてみましょう。画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、アルメニア人虐殺の悲劇と現代の親子の物語を交錯させて描いたドラマです。監督・製作・脚本はフェリシアの旅のアトム・エゴヤンです。シャンソンのベテラン歌手、「ピアニストを撃て」のシャルル・アズナブールも重要な役で出演していました。アズナブールもアルメニア系フランス人です。

 映画作家のエドワード・サロヤン(アズナブール)は、アルメニア人にとって聖なる山アララトの麓で起きたアルメニア人虐殺を映画にするため、カナダのトロントに撮影にやってきます。カナダには亡命してきたアルメニア人のコミュニティがあります。サロヤンは、虐殺で母を亡くした画家アーシル・ゴーキーに注目し、少年時代の彼を映画に登場させようと考え、ゴーキー研究家・美術史家アニに撮影の顧問を依頼します。アニには二回の結婚歴があり、最初の夫との息子ラフィは、死んだ父親がテロリストなのか英雄なのかと悩んでいました。二度目の夫の娘シリアは、ラフィの恋人ですが、自分の父親の事故死の原因がアニにあると考え、激しく憎んでいました。そしてサロヤンの映画がクランク・インします。撮影現場で雑用係として働いていたラフィは、映画の内容に触発され、父の真実を知るためにアララトへと旅立ちます。帰国したラフィは、空港の税関で取り調べを受けます。ラフィは「喪失の歴史」を語り終え、解放されます。アーシル・ゴーキーの絵画「アララトの聖母」の秘密は何であったのか。アルメニアで何があったのか。何が、なぜ、「喪失」させられたのか。映画は歴史と現在を重ね合わせながら描きます。

第一次大戦時、ロシアとトルコが交戦状態になりました。トルコはアルメニア人がロシア側につくと考え、アララト山周辺地域のアルメニア人を強制移住させ、従わない場合には攻撃しました。被害は五〇万とも一〇〇万とも言われます。多数のアルメニア人が外国に逃れました。アズナブールもその子孫です。フランスやオランダでアルメニア系の人と出会うことは決して珍しくありません。現在、カスピ海沿岸につくられたアルメニア国家の人口は三五〇万人です。被害の大きさは想像を絶するものでした。

アルメニアと言っても、どこにあるのかわからないと思うかもしれませんが、皆さんはこの夏にテレビで毎日のように見ています。ロシア軍がグルジアに侵攻しましたが、グルジアの隣がアルメニアです。黒海とカスピ海の間で、グルジア、オセチアなどでの事件、カスピ海沿岸の石油とガスをめぐる国際政治が吹き荒れる地域です。

アルメニア人が多数フランスに逃げたこともあって、二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて、フランス議会でこの問題が取り上げられ、フランス議会は「アルメニア事件はジェノサイドであった」と決議しました。このためトルコとフランスの外交問題に発展しました。二〇〇五年にはアメリカ議会でも議論が巻き起こっています。そのくらい有名な事件で、西欧ではアルメニア人を「第二のユダヤ人」と呼ぶくらいです。在日朝鮮人の間でも「第二のユダヤ人」という言葉が使われてきたと思いますが、国際社会ではそれはアルメニア人のことです。

 一九一五年当時、フランス・イギリス・ロシアの共同宣言では、この事件を「人道と文明に対する罪」と呼んでいます。国際法上、人道に対する罪という言葉が用いられたのはこれが最初だとも言われています。ジェノサイドと人道に対する罪という二つの異なった概念は、登場した最初から共通性を持っていたのです。

 一九一九年にキャルソープ高等弁務官が責任者処罰が必要だと唱え、イギリス軍がトルコに進出して、トルコ人容疑者六七人を身柄拘束し、マルタ島に送りました。裁判のために協議が続けられ、一九二〇年のセヴル条約案では戦争犯罪条項がつくられました。しかし、ナショナリズムに燃えるトルコ側の反発が激しくなり、イギリスは一九二一年にトルコと捕虜交換協定を結び、六七人は釈放されました。一九二三年のローザンヌ条約では恩赦が決定され、責任者処罰は実現しませんでした。一部の犯罪者がトルコのイスタンブール裁判所で裁かれるにとどまりました。その裁判でも人道に対する罪を裁くということが意識されていました(前田朗「ヴェルサイユからローマへ(二)」Let’s四六号)

 アルメニア・ジェノサイドについて、いくつか確認しておきましょう。①最初のジェノサイドです。もちろん歴史的には古くから大虐殺がありますが、ジェノサイドという考え方に直接の関連を持った最初の事件です。二十世紀最初のジェノサイドです。②当時すでに重大犯罪として処罰が要請されました。実際の処罰は不十分でしたが、当時から処罰するべき重大犯罪でした。③戦争の混乱は弁解にはなりません。トルコは今でも、アルメニア人の被害事実はあるが、戦争の混乱の中で起きた悲劇だと弁解しています。トルコ人も苦労したのだと言います。アルメニアも、フランスやアメリカもこの弁解を認めていません。④九〇年たってもフランス議会やアメリカ議会で議論が行われています。トルコ政府が責任を認めず、弁解を繰り返しているからです。ただし、フランス議会などで議論が行われているのは、トルコのEU加盟問題との関係で、トルコに圧力を加える政治目的と言う面もあります。アルメニア人の努力も指摘しておく必要があります。フランス議会を動かしたのは亡命アルメニア人です。もしアルメニア人に会えば、「朝鮮人はなぜこんなに淡白なのか」と質問されるかもしれません。戦争犯罪やジェノサイドには時効がありません。人道に衝撃を与えるような重大かつ深刻な犯罪は適切に扱う必要があります。

レムキンの提案

 ポーランドの刑法学者ラファエル・レムキンは、すでに一九三〇年代に国際刑法の分野で、重大な虐殺を特別な犯罪として処罰するための議論を展開していました。ところが、ナチス・ドイツがポーランドを支配したので、ユダヤ人であったレムキンはアメリカに亡命します。そして、一九四四年に、アルメニアやナチスのユダヤ人虐殺を念頭において、ジェノサイドという犯罪類型を考えました。レムキンは、国際社会がアルメニア・ジェノサイドに適切に対処していれば、ナチスの犯罪を防げたのに、と考えたといいます。

第二次大戦後、国連ができると、レムキンは国連に乗り込んでジェノサイド条約の制定を推進しました。レムキンはジェノサイドを次のように定義しました(以下詳しくは前田朗『ジェノサイド論』青木書店)

 「国民集団の生命の本質的基礎を、その集団自体を全滅させようとして、破壊しようとするさまざまの行為の連結した企図。その企図の目的は、国民集団の文化や、言語、国民感情、宗教、経済の存在を解体したり、その集団に属する個人の人身の安全、自由、健康、尊厳や生命を破壊することである。ジェノサイドは、統一体としての国民集団に向けられ、その行為が個人に向けられるのは、その個人の特性によるのではなく、その国民集団の一員であることによる。」

 これが初発の定義です。さらに、レムキンは、ジェノサイドのカテゴリー定義として、次のような要素を列挙しています。

とらわれた人々の生活のさまざまの面に向けられた共時的な攻撃

政治領域:自己の政府制度の破壊、ドイツ流の統治の押し付け、ドイツによる植民地化

社会領域:国民の社会的統合の分裂、精神的指導を与える知識人などの殺害や移動

文化領域:文化施設や文化活動の禁止と破壊、教養教育の取替え

経済領域:ドイツ人への富の移動、通商の禁止

生物領域:人口減少政策、占領地域におけるドイツ人生殖促進

身体存在:非ドイツ人飢餓政策の導入、ユダヤ人、ポーランド人、スロヴェニア人、ロシア人の大量殺害

宗教領域:教会活動の妨害

道徳領域:ポルノ出版物や映画を通じた道徳低下の試み

 レムキンの提案には、後にまとめられたジェノサイド条約と大きく違う点があります。文化、宗教、道徳を重視していることです。物理的生物学的に民族を抹殺することだけではなく、民族の文化や宗教を奪うことによって、結果として民族を抹殺することもジェノサイドの典型だと考えたのです。ですから、学校教育の組み換え、図書館利用の禁止、新聞の停止などによって、その民族の言葉を奪って、別の言葉を押し付けることも、レムキンの考えでは、ジェノサイドの要素なのです。日本の朝鮮植民地政策が何であったのかも、ジェノサイドの観点で見直す必要があります。

ジェノサイドの定義

 国連は一九四六年から一九四八年にかけてジェノサイド条約を準備しました。一九四八年一二月に条約ができ上がりましたが、その議論の過程で、文化ジェノサイドについては、犯罪の成立要件を明示することは難しいと考えられたため、ジェノサイド概念は主に物理的ジェノサイドと生物学的ジェノサイドを中心に整理されました。レムキンのジェノサイド概念とはやや異なることになります。ジェノサイド条約第二条はジェノサイドを次のように定義しています。

国民、民族、種族または宗教集団の全部または一部を破壊する意図をもって、次に掲げる行為を行なうこと

a 集団の構成員を殺害すること

b 集団の構成員に対して、重大な身体的または精神的な害悪を加えること

c 集団の全部または一部についてその身体の破壊をもたらすことを意図した集団生活の条件をことさらに押し付けること

d 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと

e 集団の子どもを他の集団に強制的に移転すること

 以上の五類型がジェノサイドと決まりました。注意してほしいのは、ジェノサイドは「集団殺害」ではないということです。従来、集団殺害という訳語が用いられてきましたし、私もこの訳語を使うことがあります。しかし、ジェノサイドは、殺害以外に、心身の害悪を加えることや、子どもを強制移転することなども含みます。一九四八年の定義が、一九九八年の国際刑事裁判所規程にも引き継がれたので、今も同じ定義が採用されています。国際法におけるジェノサイドの定義は確定したと言えます。

戦争犯罪やジェノサイドを裁くために設立された国際刑事裁判所の締約国会議において承認された『犯罪の成立要素は、例えば、aの「殺害によるジェノサイド」について次のように示しています。b~eについては省略します。

第六条a 殺害によるジェノサイド

1 実行者が、一人または複数の人を殺した。

2 その一人または複数の人が、特定の国民、民族、種族または宗教集団に属していた。

3 実行者が、その国民、民族、種族または宗教集団をそれ自体として全部または一部を破壊することを意図した。

4 実行行為が、その集団に対して向けられた明らかに同様の行為のパターンの文脈で行なわれた。または、その行為が、それ自体、そうした破壊をもたらしうるものであった。

 さらに、ジェノサイド条約第三条は、処罰すべき行為を次のように明示しています。

a ジェノサイド

b ジェノサイドの共同謀議

c ジェノサイドの直接かつ公然たる教唆

d ジェノサイドの未遂

e ジェノサイドの共犯

 ジェノサイドそのものが五つの行為類型からなっているのに加えて、共同謀議、教唆、未遂、共犯も処罰されるべきだというのです。まず、「ジェノサイドの直接かつ公然たる教唆」とあるのに注意してください。

 教唆とは、他人をそそのかして犯罪を実行させることです。一般には、ひそかに教唆することも含まれますが、ジェノサイドの教唆は「直接かつ公然たる教唆」に限られます。そそのかしたことで、相手が初めて特定の犯罪を実行することを決意することが必要です。もともと犯罪を行うつもりだった人にそそのかしても教唆にはなりません。それは従犯(幇助犯)です。実際には教唆と幇助が同時並行的に行われることがあります。いずれにせよ、教唆か幇助を行えば犯罪です。

 次にeに「共犯」とあります。「共犯」には教唆や従犯が含まれるので、cの「直接かつ公然たる教唆」と重複するように見えます。

コリアン・ジェノサイド

 以上のジェノサイド概念に照らして、コリアン・ジェノサイドについて考えていきましょう。私の見解では、コリアン・ジェノサイドを考えるには、少なくとも、①植民地朝鮮におけるジェノサイド、②関東大震災ジェノサイド、③第二次大戦後における在日朝鮮人弾圧、をそれぞれ検討する必要があります。しかし、ここでは関東大震災ジェノサイドに限定して話を進めます。

 第一に、ジェノサイドは、実行者が「特別の意図」をもって客観的行為を行ったことが必要です。特別の意図とは「国民、民族、種族または宗教集団を全部または一部を破壊する意図」です。これは通常の犯罪のメンズ・レア(主観的要素)とは異なります。通常の犯罪のメンズ・レアは、「事実」を知っていたことです。殺人罪であれば、「自分が生きている人を殺そうとしていると知りながら、その人を殺すための行為をしようと決意する」ことです。ジェノサイドでは、「事実」を知っていたことに加えて、「特別の意図」を持っていたことを必要とします。「破壊」は身体的物理的破壊を意味しています。文化ジェノサイドを除外する含意をもっているからです。

関東大震災朝鮮人虐殺時に、朝鮮人集団、在日朝鮮人集団の全部または一部を破壊する意図があったか否かが問題になります。鈴木という日本人が、日頃から個人的に恨みを持っていた李という朝鮮人を殺しても、ジェノサイドではなく、殺人罪です。鈴木が、朝鮮人一般を憎んで、朝鮮人迫害のさなかに、李が朝鮮人であるが故に、李を殺せば、ジェノサイドです。

 ルワンダにおけるツチ虐殺を裁いたアカイェス事件ICTR一審判決は、特別の意図とは「実行者が、訴追された犯罪を引き起こす明白な意図をもっていた」ことを要するとしています。実行者は特別の意図を持って客観的行為を行った場合にだけ責任を問われます。ICTRとはルワンダにおけるツチ虐殺を裁くためにつくられたルワンダ国際刑事裁判所です。

 それでは、実行者が「そんな意図はなかった」と言い張れば、ジェノサイドが成立しないのでしょうか。

クリスティン・バイロンの論文「ジェノサイドの罪」(ドミニク・マッゴルリック、ピーター・ローウェ、エリック・ドネリー編集常設国際刑事裁判所--法律問題と政策問題』)は、「破壊する意図は被告人の行為から推認できるか」と問いを立てています。多くの学者の論文でも、国際法廷であるICTRやICTY(旧ユーゴスラヴィア国際法廷)の判決でも、この問いには肯定の答えが出されてきました。実行者の自白がなければ特別の意図を認定できないことになってしまっては、ジェノサイドはほとんど成立しないことになってしまうからです。とはいえ、検察官が被告人に特別の意図があったことを合理的な疑いを超えて立証しなければならないので、こうした意図が推論できるのは補強証拠が十分に存在する場合だけということになります。

少し複雑な話になってきましたが、自分が、どのような状況でどのような位置にあって何をしようとしているのかを知りながら、特定の集団の一員を殺す決意をしたとすれば「特別の意図」があったと認定できることになります。

関東大震災時の日本内務省や、殺人実行にかかわった日本人の中に、朝鮮人に対する差別を基礎とした、迫害、排除、破壊の意図があったことを確認することは、客観的証拠、状況証拠によって可能となるはずです。補強証拠は十分といえるでしょう。

 第二に、「集団の構成員を殺害すること」について見ておきましょう。特定の集団の構成員を、その構成員であると認識し、集団の全部または一部を破壊することを意図して殺害することです。多数の構成員を殺害したことを必要としません。ジェノサイドがしばしば「集団虐殺・大量虐殺」と訳されるために誤解されがちですが、個人の刑事責任としての犯罪の成立要件としては、一人殺せば足ります。実際に一人の殺害でジェノサイドの認定が行なわれることはまれでしょうが、多数の犯行者によるジェノサイドが行なわれている状況で、同じ意図をもって一人殺害すれば、理論的にはジェノサイドが成立します。

 関東大震災朝鮮人虐殺は、非常に広範囲にわたって実行されました。それぞれの実行犯には全体状況がどうなっていたかの認識が十分になかったかもしれません。相互の連絡があったわけでもないでしょう。しかし、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマ宣伝が上から組織的に行われたことによって、互いに知り合いでもない多くの人々が、類似の状況で類似の社会心理を持たされ、朝鮮人に対する迫害行為に出ることになったのです。わざわざ朝鮮人を探して、朝鮮人であるという理由だけで殺しました。一人ひとりの実行犯が「殺害によるジェノサイド」を犯したと考えられます。

 第三に、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆です。石田貞さん、山田昭次さん、梓澤和幸さん、三人のご報告が既に十分明らかにしたように、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」の類のデマ宣伝は、内務省から県へ、県から市町村へ、市町村から自警団へと伝達されたのです。大震災で混乱し、騒然としている状況において、デマ宣伝が果たした役割は非常に大きなものがありました。人々を恐怖に陥しいれ、反朝鮮人感情を爆発させ、結果として各地で朝鮮人虐殺が発生したのです。

 以上のことから、次の帰結を導くことができます。①関東大震災朝鮮人虐殺は、上からのデマ宣伝によって、つまり「直接かつ公然たる教唆」によって、組織的意図的に惹き起こされたジェノサイドです。デマ宣伝に加担した者には、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆という犯罪が成立します。②虐殺に手を染めた実行犯のそれぞれにジェノサイドの犯罪が成立します。殺害によるジェノサイドです。ジェノサイドは未遂や共犯も処罰されるべき犯罪です。ジェノサイドの教唆と、ジェノサイドは、ともに、個人ではなく、組織としての日本政府の犯罪が中核にあります。個人によるジェノサイドも犯罪ですから見逃せませんが、最大の犯罪者は日本政府です。

ジェノサイドは終わったか

 関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。

関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もしていません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかにしていません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでした。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていません。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボタージュあるのみです。

関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見たように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を擁護しています。

事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「アウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていることはよく知られています。エクスター大学のキャロライン・フォーネットの著作『破壊犯罪とジェノサイドの法』(アシュゲート出版)は、実際にジェノサイドがあった事実を否定する「ジェノサイドの否定」について論じています。「否定は、犯罪実行者にとって防御機制となります。防御はすべてのジェノサイドにおいて現に用いられています。言い換えると、ジェノサイドの否定は今やおきまりとなっているのです」。フォーネットは、ジェノサイドの否定が次のジェノサイドの教唆につながる恐れを指摘し、ジェノサイドの否定が被害者に対する精神的加害となると指摘しています。

終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。

戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょうか。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することはできません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。

いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありません。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。

世界史の中で考えよう

 関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の中で考えることです。

レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のアルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないのでしょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語られていません。

今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、そしてアフガニスタンとイラクで続いている戦争における膨大な民間人被害――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければなりません。

 歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありません。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。石田貞、山田昭次、梓澤和幸報告が突きつけているのは、コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。