Wednesday, August 19, 2009

空に歌えば――平和・人権・環境(32)

「月刊マスコミ市民」487号

 「第九で9条」を世界に響かせたい
     あきもとゆみこ


 第九で9条ピースパレード


 本連載第一二回目に紹介したように、あきもとゆみこは第九のメロディで日本国憲法第九条を唄ってきた。毎月一回、仲間と一緒に大阪・御堂筋をパレードしている(本誌二〇〇七年一二月号参照)。
 ところが、最近になって、無断で改作したCDが発行され、週刊誌に宣伝記事まで掲載された。その経過を振り返ってみよう。
 「二〇〇六年一月にこの歌を作りました。誰もが知っている第九のメロディにのせれば憲法第九条も広がるかなという思いと、第九の9と憲法九条の9のロゴがいいということで『第九で9条』と命名しました。そして、その二月からステージなどで唄う活動や毎月この歌を唄う『第九で9条ピースパレード』を続けています」。
 あきもとは、大阪府出身の絵描きだ。ミナミの街で、ある放浪画家と出会ったのがきっかけで似顔絵師になった。流しのギター弾きならぬ「流しの似顔絵描き」としても活動歴がある。ジャーナリストの斎藤貴男の推薦を貰って、平和主義を地域で実現するための無防備地域運動の漫画『マンガ無防備マンが行く!』(同時代社)も出版している。
 「ベートーベンの交響曲第九番の『歓喜の歌』のメロディに憲法第九条の条文をのせて唄います。『戦争はしません』と戦争放棄を掲げたのが、憲法第九条です。世界的にもとても貴重な平和憲法なのです。だけど、与党の自民党新憲法草案は、憲法第九条二項を変えて、自衛隊を自衛軍に変えて、戦争ができる国にしようとしています。軍隊になるということは『人を殺せる』ということなのです!
世界第四位の軍事費をもつ自衛隊でも、今まで人ひとり殺すことがなかったのは、第九条が歯止めになってくれたからなのです」。
 二〇〇六年五月三日、大阪の「中之島まつり」で披露し、一一月三日、おおさか九条の会の大阪城野外ステージで二五〇〇人の大合唱にこぎつけた。二〇〇八年の9条ピースウォークや、9条世界会議in関西のステージでも披露してきた。そして、大阪のメインストリート御堂筋で「第九で9条ピースパレード」 を毎月実施してきた。

 三年かけて定着


 『毎日新聞』二〇〇六年六月一七日記事「第九に託す憲法9条――平和『喚起の歌』に」は、「憲法改正の手続きを定める国民投票法案を巡る議論などが本格化する中、今年一月ごろ、『第九』を発案。メロディに合うよう、条文の息継ぎする箇所を調整してつくり上げ」たとして、あきもとの写真とともに紹介している。
 『大阪日日新聞』同年一〇月二五日記事「戦争放棄『第九』にのせて――憲法九条を歌で提唱」も、市民祭りのイベントで歌うあきもと の写真とともに、「九条は多くの人の平和への思いをつなぐ“最大公約数”。もっと知ってほしい」という言葉を紹介している。
 『しんぶん赤旗』同年一〇月二日の「近畿のページ」は、「今人気の歌『第九で9条』発案者です――目標は九九九九人の合唱」として、アカペラの CD『第九で9条』を作成したことも紹介し、「歌手を目指し、レコード会社からミュージックテープを出したことがあります。大きくてハスキーな声。のびのびと九条を歌い上げます」と報じている。
 『毎日新聞』同六年一二月二四日記事「『第九』で憲法9条を歌おう」も、御堂筋パレードを取り上げている。
 二〇〇七年にも、『毎日新聞』七月八日記事「第九で9条歌い御堂筋をパレード」が、パレードの様子を紹介している。
 『朝日新聞』一二月二五日「青鉛筆」欄も「この日はサンタクロースやトナカイの仮装をした約三〇人が参加し、御堂筋などを練り歩いた」、「けげんな顔の通行人も『9つながり』に気づくと納得。『平和を誓う9条も、長年歌い継がれる歓喜の歌と同様、国民に愛されてほしい』と主催者」と報じている。
 また、「憲法9条――世界へ未来へ連絡会」の機関紙『9条連』一六一号(二〇〇八年)にも「第九で9!大阪・御堂筋ピースパレード発」として
第九で9条が掲載された。
 二〇〇八年五月六日の「9条世界会議・関西」でも精一杯歌った。その様子はパンフレット『9条世界会議・関西報告集』(9条世界会議in関西実行委員会)に2枚の写真が収録されている。
 このように、さまざまな機会に歌ってきたので、努力の甲斐あって広く知られ、定着してきた。また、二〇〇八年三月には広島・原爆ドーム前でも歌った。今後は全国に広げて、みんなで九条を歌いたい。「九九九九人の第九」をめざしている。「肩肘をはらずに、みんなで平和を考えるきっかけになれば」という思いから、クリスマス・イヴに、九九九九人の参加者を募って「第九で9条」を歌うパレードやカウントダウン・ライブコンサートを実現したいという。「さらに夢を膨らませると、紅白で唄えたら最高です!」。

 週刊金曜日の記事


 ところが、あきもとの第九で9条を改作して、オリジナルであるかのように振舞う人々が登場した。
 『週刊金曜日』七四九号(二〇〇九年五月一日・八日号)に、宮本有紀「第九のメロディで九条を歌う 戦争の放棄」という文章が掲載された(『週刊金曜日』同号四二ページ)。筆者は同誌編集者である。記事は、次のように構成されている(引用に当たって個人名をアルファベットにした)。
 
冒頭、SやMらの発案で「第九で9条」の作成を始めたと書いている。「『第九』で有名なベートーベンの交響曲第九番四楽章。このメロディに憲法九条の条文を歌詞につけて合唱し、CDまでつくってしまった人たちがいる」。二〇〇八年四月、SとMが「偶然隣り合わせになり、雑談中に『第九に九条を歌詞としてつけるのは無理ですかね』と問われた」。その問いを聞いたMは「頭の中でちかっと共鳴した」という。奇怪な話だ。
 
②記事の途中にあきもとのことが出てくるが、あきもとの作品とは違うという説明に力点がある。「そこで『第九を歌うなら(秋元さんの作の歌詞ではなく)憲法九条そのものを歌詞に合唱しよう』ということになり、Mさんがヘ長調に編曲し、Sさんと歌詞構成を考えた『戦争の放棄』を歌うことに」したという。
 この文章だと、あきもとは第九条の条文ではなく、自分で作詞して歌っていることになる。しかし、楽譜を見れば一目瞭然だが、あきもとは第九条の条文を歌っている。そこに四番を付け加えているが、三番までは第九条そのものである。
 改作の方はというと、一番と二番は第九条だが、三番は「戦争放棄、戦争放棄、戦争放棄」となっていて、第九条そのままではない。「憲法九条そのものを歌詞に合唱しよう」という理由を掲げているが、実際は違う。『週刊金曜日』記事は事実と異なる。
 
記事は、次にCD作成過程を紹介した上で、二〇〇九年三月に収録を終えたが、CD完成直前にMが亡くなったことに触れ、Mがなぜ第九で九条を思いついたか、その思い入れが書かれている。「CD作成は遺言なんです」という言葉が踊る。Mは、ベートーベン、カント、ルソー、シラーに言及し、「絶対平和主義と、自由と平等の精神を背景に『人類はみな兄弟となる』というのであれば、日本国憲法第9条こそは、この原曲にもっとも相応しい歌詞」と述べたのだという。 
 
第九で9条をつくり、三年がかりでようやく広めてきたあきもとの思いは、見事に丸ごと横取りされる。
 
右の引用に続いて、記事は「そう言われると九の重なりが単なる偶然ではなく思えてくる。/たまたま隣に座ったMさんとSさんが互いに音楽に造詣が深く、共に九条を音楽で広めたいと思っていた偶然。たまたま同時期に提案された『第九で9条』の合唱。偶然も積み重なれば必然だ」と、「偶然」の積み重なりを強調する。
 あきもとの思いも努力も、御堂筋パレードの仲間の思いも、すべてMの遺言のための「偶然」にされてしまう。二〇〇六年以来の三年間は無視され、なかったことにされる。「たまたま同時期に提案された」「偶然」だと強弁する。先に紹介した数々の新聞記事や雑誌記事もなかったことにされてしまう。

 他者を黙殺する人々


 改作されたことをあきもとが知ったのは、二〇〇八年夏のことだ。インターネットで目に止まったのだ。
 「たまたま『第九で9条』で検索した時に、この事実を知り、とてもショックでした。すぐにこの人たちに、抗議をしました。」
 あきもとだけではない。御堂筋パレードに参加してきた仲間も繰り返し抗議のEメールを送った。しかし、何も返事がなかった。

そこで、あきもとの作った唄い方でいっしょに唄ってもらえないかという手紙を送った所、ようやく返事がきた。内容は、あきもとの「名前を入れて敬意を示した文を入れている」というおわびの文はあったが、それには「もっと唄いやすいように変えた」などという文が楽譜に載せられていた。結局、あきもとの要請は受け入れられなかった。

唄いやすいということについても、どうだろうか。歌いやすいか否かは主観的な判断なので、比較は難しい。だが、『戦争の放棄』は、一つの音符に言葉を詰め込んだり、逆に音符にまたがって言葉を長く伸ばしている。しかも、一番は長いのに、二番はいたずらに引き伸ばした挙句、途中でプツンと切れてしまう。これに対して、『第九で9条』は、音符に言葉を平均的に盛り込んでいるので、平明である。
 今回の『週刊金曜日』記事を見て、今度はCDも製作されたことに驚いたあきもとは、二〇〇九年五月、再び抗議の手紙を出した。しかし、返事はない。
 あきもとは『週刊金曜日』編集部にも要請の手紙を出した。
 「今回の記事を読んで思ったことは、この第九のメロディに9条をのせると言うアイディアが、偶然の重なりとされたことが、違うということです。そもそも私は、三年前の二〇〇六年一月に、ベートーベンの第九のメロディで憲法9条をのせた『第九で9条』という歌を作っております。第九の9と憲法9条の9のゴロがいいなあということで『第九で9条』と名づけました。そして、第九なら誰もが知っているし、歓喜の歌というメッセージもピッタリだし、大勢の人たちと唄えるということで、これはいいと、ひらめいたわけです」。
 それから二ヶ月になるが、返事はない。

 9条への思い


 あきもとは、自分がなぜ『第九で9条』を作ったのか、自分自身の思いを改めて考えた。
 「一つは、9条を広げて行くという大きな目的です。だからこそ、色々な方に協力してもらえ広がっているわけです」。
 しかし、それだけではない。
 「もう一つは、自分が作ったという自己主張、自己アイデンティティの存在です。これがあるから、自分自身の存在意義が認識できて、何かを作ったりできるわけで、原動力になっているわけです。今回は、後者の理由である私自身の存在をないがしろにされたことに、不快な気分になりました。けど、前者の目的は、今回のことを通しても広がっているのは事実です。」

 憲法第九条への思いは、人それぞれだ。その思いをどう表現するか、それぞれ工夫している。第九条をロックにした人も、フォークソングにした人も、詩吟にした人もいる(本連載二〇〇九年二月号参照)。第九条改悪を阻止し、一歩でも二歩でも平和のために歩みたいという思いは共通だろう。

 しかし、相手が嫌がっているのを知りながら、あえて改作しCDをつくり、週刊誌に宣伝記事を載せてしまうのは、どうだろうか。事実と異なる記事によって傷ついた読者に返事もないのは、いかがなものだろうか。

 「私は、憲法9条や平和の運動をしている人たちの中でも、色々な主義や思想があって、なかなか一つになれないと感じていました。それなら歌ならどうかと思い第九で9条を考えた次第です。みんなで唄えば一つになれるのではと思い、広げてきたのですが、今回のことで、平和運動という名のもとので自己主張をなにより大事だと思う人がケッコウいるということがわかりました。平和をつくる以上に、まず自分たちの主張を通したいということなんですね。だから平和をつくるという大意を忘れ、自己主張をしすぎて、思想や主義が違って、まとまらないんですわ。音楽でも同じことなんですね。今回のことをキッカケに、改めて平和運動とは何かという本質を深く考えさせられました。」

 しかし、今回のことを引きずることなく、9条世界会議・大阪で精一杯歌ったように、世界に9条を響かせたいと願う。

「この件で9条全体の運動にとって支障にならないよう、これで終わりにしたいと思います。とにかく、今まで一緒に広めてきてくれた人たちのためにも『第九で9条』をこれからも楽しく唄っていきますので、みなさん、よろしくでーす!

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第九で9(ピースケのページ)

 http://peaceke.blog65.fc2.com/

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<経過>
2006年 1月 あきもとゆみこ『第九で9条』製作し、歌い始める

独唱・アカペラCD作成
2006年12月 御堂筋でパレード始める(以後、毎月定例化)
2008年 3月 あきもと、演奏付CD作成
2008年 4月 SとMの会話で「発案」
2008年 6月以後 SとMが改作

(当初は『第九で9条』のタイトルも同じ)
2008年夏頃  あきもと等、改作に抗議

2009年 5月 改作のCD『戦争の放棄』発売