Friday, May 06, 2011

外交能力ゼロの地平   拡散する精神/萎縮する表現(1)

 あまりにも広漠とした地平が広がり、政治の砂漠化が進行している。いったいどこから何を言えばよいのか、言葉を失ってしまう状態が続いている。




「空き菅内閣」とか「すっから管内閣」と揶揄され、内政もほとんど無免許酩酊運転かと疑わしいが、外交となると、もはや茫然自失の域に達している。首相も外相も果てしなく無能だ。




菅直人首相の「メドベージェフ露大統領の北方領土訪問は許し難い暴挙」とした発言は、外交常識を無視したもので、文字通りネット右翼レベルである。ロシア側の反発も当然だ。それ以前から、前原誠司前外相は「北方領土はわが国固有の領土。ロシアが不法占拠」などと述べてきた。さすがに微妙な時期には「不法占拠」という言葉を封印したが、撤回したわけではない(自民党政権時代の麻生首相も同じ言葉を用いていたが「ふほうせんきょ」と読めたかどうかは確認されていない)。どこまで幼稚なのだろうと呆れてしまう。ところが、政界でも支持する意見があるうえ、マスメディアも基本的には前原発言を擁護して、せいぜい事を荒立てる表現には注文をつける程度である。




北千島も含めて全千島が日本の固有の領土だという奇妙奇天烈な主張をしている政党もあるが、それは別論として、なるほど「北方領土」と呼ばれるようになった南千島(国後・択捉・歯舞・色丹)は、歴史的に日本以外の国家の領土になったことが一度もないから、ロシアとの関係では日本政府の主張に理がある。しかし、これほど単純化した議論は、国際法から見ても、歴史的経過から見ても、現在では通用しない。




第一に、そもそも「わが国固有の領土」などという主張は国際社会で容易に通用する理屈ではない。英語にストレートに翻訳できない「わが国固有の用語」であり、言い換えれば妄想にすぎない。近代欧州諸国がその国境線を何度も何度も書き換えてきたことを考えればすぐにわかることだ。「わが国固有の領土」などと言い出せば、欧州の秩序は崩壊するしかない。ましてアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の随所で領土紛争が再燃してしまう。日本政府の主張はきわめて危険で無責任な主張に道を拓くのだ。「わが国固有の領土」論は、奈良や京都について言うのならともかく、現に紛争の渦中にある北方領土について使ってもまったく説得力がなく、有害である。




第二に、ロシアが一九九〇年代から大変な外交努力を払って周辺諸国(旧ソ連邦から独立した東欧諸国・中央アジア諸国、そして中国やスウェーデン)との間で領土問題を解決し、国境を画定してきたことを正確に認識するべきである(岩下明裕『北方領土問題』中公新書など参照)。相手は領土問題を話し合いで冷静に解決してきたプーチンとメドベージェフである。これに対して日本側は北方領土も竹島/独島も尖閣諸島もまったく解決できず、無意味にこじらせてきた。両者の差は何よりも外交に向き合う姿勢である。他人に唾を吐きかけるだけの菅首相や前原前外相の態度は、井の中の蛙であり、誰からも相手にされない。




第三に、二〇〇七年の国連先住民族権利宣言には先住民族の土地の権利が明記されている。北海道(アイヌモシリ)も千島(クリル)も元来はアイヌ民族の土地である。サハリン(樺太)もアイヌやニブフ民族の土地である。先住民族権利宣言は、先住民族の土地の権利(土地所有権)や資源の権利を明確に認めている。北方領土も北海道もアイヌ民族の土地であり、その返還から議論しなければならない。日露交渉において、双方の先住民族を交えた問題解決を図る必要があるのに、日本政府はそれすら無視している。




尖閣諸島中国船・海上保安庁事件でも明らかだが、「前原前外相問題」とは、外交交渉の途を自分で潰してしまう信じ難い「無能」ぶりである。小沢一郎への対抗意識からか自分でハードルを低くした「政治とカネ」問題で、自分の足を掬って窮地に立たされ辞任を余儀なくされたお粗末には笑うしかないが、政治資金問題よりも深刻なのは、そもそも外交能力がなく、政治家の資質がないことだ。偽メール事件から少しも成長していない「子ども一日大臣」は退場するしかない。







「マスコミ市民」507号(2011年4月)