Tuesday, December 16, 2008

カブール川、水清く――

がたごと、がたごと砂利道を、車は右へ左へ揺れながら進む。時速二〇キロかそこらで地べたを這うように。場所によっては昔の舗装がかろうじて残っていて快適だ。彼方に白い頂のヒンドークシ山脈も見える。絶景に次ぐ絶景のドライブだが、カブール川と並走するあたりは、道は狭いし、砂利ばかりだ。道路とカブール川の間にはガードレールもない。対向車がトラックだったりすると、こちらは路肩ぎりぎりまで寄せなければならず、眼下の奔流がグググッと迫ってくる。

初めてアフガニスタンを訪れたのは二〇〇二年八月の終わりだった。これまで四回訪問したが、最初はこれ以上ない猛烈な緊張感でピリピリしながらトルカムの国境を越えた。

パキスタンのイスラマバードからペシャワールを経て遥かなカイバル峠へ向かう。峠を越えて下ると国境のトルカム検問所だ。年代モノの車でトルカムから沙漠を突き抜ける。ジャララバードは穀倉地帯で、緑が広がり、灌漑用水も流れている。ジャララバードからカブールまでは沙漠を横切り、丘陵地帯を駆け抜け、断崖絶壁のマイパー峠を這い登る。登り切れば標高一八〇〇メートルのカブール高原に爽やかな風が吹いている。

途中、道路の脇をカブール川が流れている。パンシール渓谷に端を発するパンシール川はカブール市内を抜けるとカブール川となって東へ向かう。マイパー峠を滝のように一気に流れ落ちる。激流が炸裂する。飛沫が煌めく虹をかける。うねりながらジャララバードを通過してパキスタンに分け入り、大河インダスに合流する。

沙漠の中にはオアシスもある。蛇行する川を挟んで緑豊かな林があり、集落がある。遊牧民のテントが並ぶ。子どもたちが遊んでいる。ここだけはカブール川もゆったりと流れている。オンボロ車に揺られながら、呟くように歌う。

カブール川、水清く

滔々と流る――

「9.11」を口実にブッシュ政権は「テロとの戦い」と称してアフガニスタン侵略戦争を開始した。猛烈な空爆で民衆を殺戮し、放射能爆弾をいたる所にばら撒き、タリバン政権を崩壊させた。カルザイ傀儡政権をでっちあげ、「復興支援」という名の植民地政策を進め、NATO軍を巻き込んでアフガニスタンを破壊し続けている。

 二〇〇五年頃からは状況がいっそう厳しくなった。米軍、NATO軍、アフガン軍が一体となってタリバン制圧作戦を続けている。誤爆という名の皆殺しのメロディが流れ、民衆は惨禍に喘いでいる。ジャーナリストもNGOも退避しはじめた。今や、日本が米軍に協力していることも知られてしまった。これでは日本人はアフガニスタンで活動できない。そんな矢先に日本人NGOスタッフが殺されてしまった。日本政府が日本人への信頼を破壊してしまったからだ。

 国際政治の世界では近代アフガニスタン史を「グレート・ゲーム」と特徴付けている。一九世紀中葉、インド洋への通路を求めて南下するロシアと、現在のパキスタンも含むインドを植民地としていたイギリスの利害が対立した。イギリスはアフガニスタンを手中に収めるべく、三度にわたってイギリス・アフガニスタン戦争を惹き起こした。二〇世紀にアフガニスタンは独立国家となって、二〇年代や六〇年代には西欧風の文化が花開いたこともあった。しかし、七〇年代以後、ソ連軍の侵攻、ムジャヒディンの内戦、タリバンの支配、そしてブッシュ政権による侵略と、アフガニスタンはいつも戦場だ。ロシア、イギリス、アメリカ、あるいはパキスタン、イランなどによるグレート・ゲームの被害者はいつもアフガニスタンだ。ゲームのフィールドとされてきたのだ。

 極東の日本もグレート・ゲームの餌食になりかけたが、運良く免れて独立を維持した。沿海州・オホーツク海から太平洋をうかがうロシアと、太平洋覇権国家の英米。その狭間に立たされながら、明治維新による文明開化・富国強兵によって日本はグレート・ゲームの競技者になった。中国をはさんで対極に位置する中央アジアのアフガニスタンと極東の日本は、まったく異なる道を歩んだ。

 極東におけるグレート・ゲームのフィールドとされたのは、日本ではなく、朝鮮半島だった。ロシア、中国、日本、アメリカ――朝鮮半島の国際政治は、ゲームのルールを決める者たちによって展開された。日清戦争、日露戦争、韓国併合、「満州事変」と続く日本の戦争。朝鮮分断、朝鮮戦争、「冷戦」と続くアメリカの戦争。自らの歴史を刻み、発展させたいと希う朝鮮人の意思に反して、周辺諸国の勝手なルールによって朝鮮半島の現代史は翻弄されてきた。

今もなお朝鮮人は歴史を取り戻す闘いを余儀なくさせられている。「六者協議」と名づけられたゲームが以前と異なるのは、朝鮮人が競技の担い手としてフィールドに立ち、ルール形成に参与していることだ。朝鮮も韓国も、数々の苦難を乗り越えて、時には互いにぶつかり合いながら、ともに自らの足でフィールドに立っている。だから、日本の戦争の歴史清算が前提条件となる。休戦状態のままの朝鮮戦争を終結しなければならない。その上で朝鮮半島の非核化こそが課題である。

フィールドに立った朝鮮と、まだ立てずにいるアフガニスタン。その対比に思いをめぐらせているうちに、車はマイパー峠の大渓谷を登り切った。カブール高原にかかる虹がくっきりと鮮やかだ。抜けるように青い空を仰ぎ、悲しいまでに爽やかな風に吹かれながら、そっと声を出して歌ってみよう。

カブール河、空遠く

虹よ、かかっておくれ――

(「イオ」2008年10月号)