Friday, June 17, 2011

国際法の都ハーグ(二) 旅する平和学(40)

 ハーグが国際法の都になった要因の一つは、一八九九年にハーグ平和会議が開催され、ハーグ条約が締結されたことにある。一九〇七年にはハーグ陸戦法規慣例条約(規則)が採択され、後の国際人道法の基礎となった。世界会議から百年後の一九九九年には、第三回ハーグ平和会議が開催された。一九九〇年代には旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷、二一世紀には国際刑事裁判所が置かれることになった。



旧ユーゴ法廷



 一九九一年、かつては東欧社会主義圏における独自の自主管理社会主義を誇ったユーゴスラヴィアが崩壊しはじめた。ユーゴ崩壊過程は複雑な経路を辿ったが、世界を驚愕・震撼させたのは崩壊序幕を彩った「民族浄化」であった。民族浄化とは、一定の地域に共存してきた複数の民族のうち特定の民族を排除して、単一民族社会を構築しようとする思想・政策・行動である。直接的な方法としては、迫害、暴力、殺人、強制移送が用いられる。組織的強姦や強制妊娠という手段も用いられる。歴史的にはさまざまな民族浄化があったが、具体的にはボスニア紛争において、諸民族・諸集団が政治的主導権を握るために採用した政策といわれる。この言葉を広めたのはアメリカの広告代理店であったため背後の陰謀を指摘する声もあるが、後の裁判によって数々の蛮行の事実が証明されている。


 旧ユーゴ紛争を前に、国連安保理事会は一九九三年五月、非軍事的措置の一貫として旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)の設置を決議した。一九九一年以後に旧ユーゴ領域内で行われた民族浄化の諸現象のうち国際人道法に違反したものについて訴追・裁判を行う法廷であり、ハーグに設置された。一九九四年にはアフリカのルワンダで民族大虐殺が発生し、同様に安保理事会決議によってルワンダ国際刑事法廷(ICTR)がアルーシャ(タンザニア)に設置されたが、控訴審はハーグに置かれた。


 ICTY設置については、さまざまな観点での議論がなされた。第二次大戦後のニュルンベルク国際軍事法廷と極東国際軍事法廷(東京裁判)以来四〇年間空白となっていた国際刑事裁判が再始動したからである。ニュルンベルク・東京裁判に引き続き設置されるべきだった国際法廷の再発足として高く評価されたが、他方、安保理事会にそのような権限があるのかとの疑問も提起された。ICTY発足時には被告人の身柄拘束が実現せず、裁判も不十分との厳しい批判が続いたが、一九九七~九八年頃から裁判が本格的に行われるようになった。他方、被告人の身柄拘束のためにNATO軍が出動するなど軍事力に頼った事実も批判されている。さまざまな制約と疑問点のある法廷だが、歴史的にはひじょうに大きな役割を果たした。


 第一に、旧ユーゴ領域における平和構築にとってICTYが果たした役割は否定できない。第二に、フォチャ事件やセレヴィチ事件などで、集団強姦など戦時性暴力が人道に対する罪として裁かれた。性暴力判決の積み重ねはその後の国際人道法の発展に影響を与えた。ICTRも、ジェノサイドの罪を認めた史上初の判決を出し、戦時性暴力がジェノサイドに当たることを認めた点で画期的であった。第三に、手続きにおける証人保護の試みが始まった。第四に、ICTY・ICTRの発足に伴って、特定地域や特定時期だけではなく世界の戦争犯罪など重大犯罪を裁く国際刑事裁判所が必要であるとの国際世論が急速に高まり、国際刑事裁判所の設立につながった。



国際刑事裁判所



 ニュルンベルク・東京裁判の後、国連国際法委員会などにおいて国際裁判所設置の試みが続いたが、冷戦・東西対立によって頓挫した。その後の四〇年の空白の時代に、国際人権法が飛躍的に発展する一方、一九七七年のジュネーヴ諸条約追加議定書によって国際人道法も大きく発展した。しかし、空白は続いた。一九九〇年代になって、ICTY・ICTR設置を決めた国際社会はようやく国際刑事裁判所設立の議論を再開し、一九九八年七月、ローマ全権外交官会議において国際刑事裁判所規程を採択した。規程は、六〇カ国の批准によって二〇〇二年七月一日に発効し、ハーグに国際刑事裁判所(ICC)が設置された。


 ICCは、侵略の罪、集団殺害罪(ジェノサイド)、人道に対する罪、戦争犯罪についての個人責任を裁く常設裁判所である。ジェノサイドは、一九四八年のジェノサイド条約と同様の定義をしている。人道に対する罪については、広範又は組織的な殺人、せん滅、奴隷化、性奴隷制などの性暴力、拷問、迫害、アパルトヘイト、強制失踪などが列挙されている。裁きだけではなく、被害者補償のためのガイドラインをつくり、被害者信託基金も置いている。


 ICCの構成は、検察局と、裁判部(予審部、一審裁判部、上訴裁判部)がある。弁護士については、ICCでの弁護を担当するための組織が別に活動をしている。


 二〇〇九年、コンゴ民主共和国における虐殺に関して初の裁判が始まった。また、スーダン・ダルフール事件についてバシル大統領に対する国際逮捕状が発行された。予審部には中央アフリカ事件、ウガンダ事件も係属している。


 ICCは普遍的管轄権を行使する初の刑事法廷として試行錯誤を重ねているが、国際政治における障害も無視できない。第一に、アメリカ、ロシア、中国という大国が参加していない。締約国は一一四(二〇一〇年一一月)だが、超大国の参加がない。第二に、アメリカは参加しないだけではなく、自国民をICCに引き渡させないために二国間免責協定を多くの諸国と結んでいる。第三に、ICCがこれまで取り上げてきたのはコンゴ民主共和国、スーダン、中央アフリカ、ウガンダのため、アフリカ諸国からは差別的な取り扱いではないかとの批判が起きている。


世界のNGOは、ICCに対してアフガニスタンやイラクにおけるアメリカの犯罪や、パレスチナなどにおけるイスラエルの犯罪を告発し、資料を送ってきた。イスラエルによるレバノン空爆やガザ空爆についても、さまざまな国際調査団がICC付託の勧告を出している。しかし、アメリカ及びイスラエルについてICCが動き出す可能性は低いと見られている。イギリスはICC規程を批准しているので、ブレア元首相のイラク戦争に関する責任も問題になりうるが、ICC側に動きはないようである。


ICC規程は裁判所構成法・裁判法・実体刑法・刑事訴訟法を定めた国際条約であるが、その意義はさらに各国国内法にも及んでいる。例えば、ドイツはICC規程批准に伴って国内法を改正して、ICC国際犯罪を国内犯罪としても認めた。日本は二〇〇七年にICCに加わったので、それに伴う国内法の見直しがなされるべきだったが、行われていない。国際刑法研究は進展しているので、今後、国際人権法、国際人道法、国際刑法の国内法への影響が見込まれる。