Wednesday, September 28, 2016

大江健三郎を読み直す(65)思索小説としての大江SF

大江健三郎『治療塔惑星』(岩波書店、1991年)
前作『治療塔』に続く大江SFであり、同様に武満徹、磯崎新、原広司、山口昌男らとともに編集した同人誌『へるめす』に連載された。単行本で読んだ。
視点人物「リッチャン」は、人類の大出発に「選ばれた者」ではなく、残留組である。荒廃した地球で悲惨な経験をしたリッチャンと、選ばれた者として帰還した朔ちゃん、二人の子どもであるタイくん。新しい地球の治療塔。以上の設定はまったく同じで、後日譚である。
物語は、ふたたび宇宙に出た朔ちゃんと離れ離れになったリッチャンの見分記として語られるが、なぜ、リッチャンがこのような体験を語りうるのかがよくわからなかった。世界宗教、宇宙ミドリ蟹、向こう側の知性体など次々と繰り出される小道具大道具はそれなりにおもしろいが、治療塔を設置した向こう側の知性体との接触を図るも、実現しない。全体の構図が目にくい印象があるのと、結末がいささか肩透かしではあった。

ただ、文庫版のお解説で小谷真理が本作をエイリアン・テーマのSFの流れに位置付け、スぺキュラティヴ・フィクションとしての意味に言及しているのを読んで、なるほどそういう読み方もあるかと思った。