Wednesday, September 04, 2019

吹田枚方事件――日本国憲法を裏側から突き破る


西村秀樹『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(三一書房)


<朝鮮戦争でアメリカの基地国家となった日本。その最中に、吹田枚方事件は起きた。

いま、新たな戦前の雰囲気が漂い始めた。

本書を支えているものは、著者の執念と情熱、そして対象への愛だと思う。

  金石範(作家)>


戦後史や憲法判例の世界ではずっと知られてきた著名事件だが、吹田事件、枚方事件、いいずれもしだいに忘れられてきつつある。
だが、1952年の吹田「騒乱」事件の関係者はまだ存命である。
西村は研究会の仲間とともに長年にわたって事件を追いかけてきた。その研究成果を公刊してきたが、本書はその最新の加筆増補版である。

吹田事件は日本三大騒乱事件に数えられるが、他の騒乱事件とは性格を異にする面がある。
直接の背景が朝鮮戦争であり、事件関係者には在日朝鮮人が多数含まれていた。日本の植民地から解放されて間のない朝鮮半島における戦争であり、日本駐留の米軍が出動し、日本は「朝鮮特需」により高度経済成長に向かう。そして、事件関係者には在日朝鮮人。
つまり、戦後民主主義が排除して、見て見ぬふりをしてきた植民地・朝鮮こそが主題だった。このことの意味を私たちは十分に詰めてこなかった。

西村は記者生命をかけ、研究者生命をかけて吹田枚方事件に肉薄する。それが西村の生き様だ。だが西村の生き様が独立して、そこに、ある、のではない。
西村たちが手分けして探り当て、取材した事件関係者たちの生き様こそが、西村を「事件」に引きずり込み、離れがたくさせ、のめりこんでいくことになる。
反戦に賭けた青春があり、裁判に奪われた青春があり、転身があり、裏切りがあり、身悶えするような物語の数々がある。知らなければ良かったかもしれない事実があり、知ってしまった不安と葛藤が皮膚の1ミリ下を震わせる。
それでも、知らなければならない。語られなければならない。書き留めなければならない。伝えなければならない。闘いの記憶のリレーが始まった。それを金石範は「執念と情熱、そして愛」と表現する。

本書は日本国憲法を裏側から突き破る。朝鮮戦争とは何か。米軍基地とは何か。半世紀以上を経たいまなお米軍基地が存在する日米安保体制とは何か。沖縄の米軍基地問題とは何か。西村が突きつける問いは、「未答」のままである。

本書は次の2行で終わる。


金時鐘が夫徳秀に贈った言葉を、わたしはそっと心の中で反復した。

「いいじゃないか、そこには私の至純な歳月があったのだから」


あまりにも優しく、あまりにも悲しく、あまりにも激しい言葉の意味を、ほとんどの日本人は理解することができない。

かく言う私も、この言葉の意味を理解するにはあまりに無知であり、あまりに凡庸であることが無念である。