Monday, April 27, 2020

星野智幸を読む(7)差別がないと成り立たない社会?


星野智幸『在日ヲロシヤ人の悲劇』(講談社、2005年)



新型コロナのため、スイスから帰国して2週間、外出自粛だったが、終了時期に政府の緊急事態宣言が出た。おかげで外出自粛が6週間目に突入した。運動不足がたたってぼけ老人状態だ。読書や原稿執筆はしていたものの、連日、暗いニュースを見てはため息をついてきた。

『在日ヲロシヤ人の悲劇』は、新しい「家族小説」と銘打っているが、タイトルから推測できるように、在日外国人が日本の政治や社会に直面して受ける「処遇」に苦悶する事態を前提としている。

「日本を生きるという空疎」という言葉が用いられるが、ヲロシヤ国、露連、アナメリカ、日本を行き来する家族の物語を、一方で外国人処遇、他方で親と子の関係において、描き出す。

イスラム過激派壊滅のため露連大統領がアナメリカに「テロ撲滅共同作戦」を呼びかける。厳しい独裁体制にあえぐ亡命ヲロシヤ人たちが人道支援を訴える。国際社会は非難の合唱。アナメリカは共同作戦を拒否するかと思いきや、派兵の挙に出る。在日アナメリカ軍が派遣され、日本国軍にも派兵を求めた。日本の主要メディアは即刻派兵を唱えた。

熱狂的な派兵ムードに抗して立ち上がり、在日ヲロシヤ人の保護を訴える「左翼」好美はNGO「ヲロシヤン・コネクション」の主催者として矢面に立たされながら、悪意ある攻撃と闘い、ハンガーストライキの果てに死んだ。

娘をなくした父親はヲロシヤン・コネクションの活動に加わり、日本という空疎な壁に突き当たる。父親や好美と離反して一人暮らしていた弟・純も事態に巻き込まれていく。

日本と日本人がもっとも生き生きとする時――それは他者を排除し、差別し、非難し、猛烈に講義する時だ。他者を非難しないと「日本」なるものは存在意義を失う。意識的であれ無意識的であれ、差別と排外主義によって己を保つ日本社会。差別しないとアイデンティティの危機に脅える日本人。執拗に攻撃していても、自分が攻撃されていると不安になる日本。悪罵を発散することで連帯を獲得する日本社会。善意も悪意も混ざり合って区別のつかない日本。