Tuesday, April 05, 2022

歴史学の真髄に触れる05 帝国主義国の軍隊と性b

林博史『帝国主義国の軍隊と性――売春規制と軍用性的施設』(吉川弘文館、2021年)

第四章「英国のインド植民地支配と英軍の性病対策」

第五章「インドでの売春規制廃止運動」

本書は470頁の大部であるが、この2章で140頁ほどある。第三章まではイギリス帝国本国の軍用性的施設とその廃止運動、その前提としてイギリス社会における廃娼運動を扱っているが、この2章はインドにおけるイギリス軍が対象である。本国における軍隊の性差別に加えて、植民地における軍隊は人種差別を政策化・組織化する。「軍隊と性」をめぐる問題群は、つねにどこでも同じなのではなく、植民地帝国の軍隊であっても、本国と植民地と出は様相が異なる。イギリス軍としての共通性と、植民地軍の特殊性がある。

林は第四章「英国のインド植民地支配と英軍の性病対策」において、インド支配と軍隊の関係を提示し、インド軍の性病対策の実態を明らかにする。

次いで第五章「インドでの売春規制廃止運動」で、英政府・インド軍の対応、英インド軍用売春宿の実態、規制廃止へ、そして規制支持者の反撃を論じて、植民地軍の特質を浮き彫りにする。

林は大英帝国という、世界を支配した軍隊の、本国と植民地における共通点と差異を解明することで、軍隊と性をめぐる問題の多角的な検討の可能性を具体的に示す。

すでに欧米のフェミニストによる優れた研究があり、イギリスの軍事史研究者による研究もあるというが、日本軍「慰安婦」問題の議論に際して、それが十分参照されずに来た。本書によってようやく「比較」が可能となる。

軍隊の性暴力についてみる場合、軍隊一般を論じる傾向があった。侵略軍と抵抗軍とで違いがあることは意識されていたが、帝国の本国と植民地における差異を見ておく必要がある。本国に駐留している場合と、海外派遣された場合とで、組織編制、軍の行動実体、兵士の意識に相違が生じるだろう。植民地の実態が本国に知らされない場合、肺寸動が成立しない。本国の視線がどれだけ植民地に到達するかが重要となる。

日本軍の場合も、国内に駐留した時と、侵略先で行動するときとでは、その論理が異なる。植民地軍と占領軍とでも異なるだろう。占領軍の組織的行動と、派遣先の部隊の論理も異なりうる。

本書で用いた資料の多くはロンドン大学図書館、英国図書館、英国立公文書館、ウエルカム図書館、フレンズ協会図書館、国際連合・国際連盟図書館、ジブラルタル公文書館など各地の図書館・公文書館の資料だ。資料の探索だけでも大変な苦労である。巻末の参考文献だけで50頁に及ぶ。

国際連合・国際連盟図書館は、ジュネーヴの国連欧州本部パレ・デ・ナシオンにある図書館だ。私は四半世紀ここに通ってきたので、国際連合図書館にはいつもお世話になってきた。他方、国際連盟図書館はふだん利用しないが、10数年前、数日間通ったことがある。

戦時性奴隷制概念との関係で、1926年の奴隷条約の成立過程を調べようと思い、国際連盟図書館に出かけた。資料は45のケースに収められている。3つほどケースを出してもらって、閲覧した。条約作成過程の外交資料が収められていた。タイプの資料もあるが、手書きの書き込みが多かった。ほとんど判読できない。慣れるまでに相当の時間がかかるだろう。ところが、文書のかなりがフランス語である。当時の国際法は英語とフランス語が用いられることが多かった。国際連合になってからは英語優位だが、国際連盟時代はフランス語がかなり優位を保っていた。フランス語の読めない私は、この段階で研究を断念した。フランス語の堪能な研究者が奴隷条約の成立過程を調査してくれると良いのだが。

私は歴史研究者ではないので、現在の国連人権理事会等の資料を手にするにとどまり(しかも今ではインターネットで)、古い一次資料を直接調査することは、ふだんはない。歴史研究者の苦労と、同時に、楽しみはこういうところにもあるのだろうと思う。