Saturday, April 29, 2023

包括的差別禁止法のために03

『マイノリティの権利を保護する――包括的差別禁止法を発展させるための実務ガイド』の「第5部 差別と表現」は次の構成である。

Ⅰ 差別禁止法に直接関係する言説の局面

Ⅱ ヘイト・スピーチ及び差別、敵意、暴力の煽動の禁止

Ⅲ 煽動及びその他の憎悪や偏見に基づく表現に対する制裁

Ⅳ 非法的措置

「第5部 差別と表現」の冒頭に要約が掲げられている。

・表現とコミュニケーションは、差別禁止法の下で記述された行為、理由に基づくハラスメントを生じさせる行為の要素になりうる。

・表現とコミュニケーションは、特に故意や動機の証拠のように、差別禁止法において、並びに差別の命令に関する事件において、役割を果たす。

・各国は、国際法の下で承認されたすべての理由に基づいて、暴力、差別、敵意又は憎悪を煽動することを禁止しなければならない。それには年齢、障害、ジェンダー表明、ジェンダー・アイデンティティ、国籍、人種又は民族、宗教、性別、性的特徴、性的指向が含まれるが、これらに限られない。

・国際法は、各国が、一つの人種、又は一つの皮膚の色や民族的出身の人の集団の優越性の思想や理論に基づく、又はいかなる形態でも人種憎悪や差別を正当化又は助長しようとする、すべてのプロパガンダやすべての団体を非難することを要請する。

・禁止が必ずしも犯罪化を意味するとは限らない。各国は、犯罪化を必要とする表現、民事制裁や行政制裁を必要とする表現、その他の形態の対応にメリットのある表現を区別するべきである。

・各国は、ヘイト・スピーチと闘う措置の採用が、人又は集団に対するいかなる形態の差別にならないように確保するべきである。

・ヘイト・スピーチには積極的な介入によって対処するべきである。教育、啓発、対抗言論を可能とする被害者支援、積極的な語りの流布、積極的な多様性を擁護するメッセージの公的情報キャンペーンが含まれる。

「第5部 差別と表現」では、非差別の権利と表現行為の関係が、複雑で多面的なものであることが論じられる。3つの要素が関連する。(1)思想、(2)表現、(3)行為、である。心の中のことは絶対的に保護される。差別禁止法の中には、表現と行為の間に高い壁を認定しようとする例がある。ただ、過度に単純化した議論をすべきではない。表現は差別禁止法において一連の領域における役割を有する。

Ⅰ 差別禁止法に直接関係する言説の局面

言説その他の表現の形態は、差別の権利と、幅広く複雑な相互関連にある。差別の形態の文脈では、言説や表現はハラスメントのような禁止された行為の要素となる。ハラスメントの多くは、言説や表現の形態であり、特定の人々に対して、敵意や傷つける環境を作り出す効果を有する。障害者権利委員会が述べたように、ハラスメントは、障害その他の根拠に関連して望まれない行為が人の尊厳を侵害する目的や効果を持って行われたり、敵意や傷つける環境を作り出す目的や効果を持って行われた差別の形態である。それは、障害者を抑圧する効果を有する行為や言葉を通じて実現されうる。障害者権利委員会は2018年、一般的勧告第6号で、ハラスメントにはサイバーいじめやサイバーヘイトが含まれるとした。

根拠に基づくハラスメントは、表現と差別の禁止の複雑な関係の一面に過ぎない。表現は、権力、影響力、権威ある立場にある者が差別を指令する場合のように、差別を生み出す手段を提供することがある。ハラスメントも差別の指令も、法で禁止されなければならない差別の形態である。標準的事例としては、これらの行為は民事法、行政法、労働法で扱われるべきであり、刑事法の対象ではない。しかし、旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷のカラジッチ事件判決(2016年)が述べたように、重大な危害を生み出すような差別の指令や命令は刑事責任を生じることがある。

言説その他の表現の形態は、差別事件の裁決において、差別動機や差別意図の証拠のように、重要な役割を果たすことがある。例えば、法執行官の人種差別事案において、欧州人権裁判所は、2人のロマ人を射殺した直後に軍人がロマ人への悪口を述べたという証言に依拠した。下級審では、その証言及びその他の証拠から差別が認定できるとしたが、欧州人権裁判所大法廷は、実体ではなく、手続きに着目して差別があるとした。反ロマ言説及びその他の証拠によって、国家当局は、人種主義や人種差別が手続きに影響を与えた可能性があれば、捜査を行うべきであったとした(欧州人権裁判所、ナチョヴァ等対ブルガリア事件、200576日判決)。同様の判断は、CERDのコプトヴァ対スロヴァキア事件(個人通報)1998年決定にも見られる。

以下、私のコメント

思想、表現、行為の3つを対比して、思想の自由の保障は絶対的であるとしている点は、極めて常識的である。

日本では、表現と行為だけをいきなり対比して、表現の自由の保障を絶対化する言説が少なくない。思想の自由と表現の自由を取り違えた、ありえない見解である。出発点からして非常識と言うしかない。

問題は、表現が重大な被害を生む場合である。思想を外部に表出する表現は、「表現行為」でもあり、他者との関係に影響を与えることがあるからだ。「表現作品」もそうだが、特に問題となるのは「表現行為」であろう。行為から切り離された表現だけを論じるべきではない。人種差別、セクシュアル・ハラスメント、パワー・ハラスメント、障害者差別のいずれの分野でも国際常識である。