取調拒否権を考える(4)
前回と同じ2017年の京都強盗殺人事件容疑における取調拒否実践の報告である。
それまで主に救援連絡センターの『救援』紙上で論じてきたが、京都強盗殺人事件の実践例が出たことで、法律雑誌に掲載してもらった。法律雑誌で取調拒否権が取り上げられたのはこれが初めてではないだろうか。
これを機に、取調拒否が各地に広がる、と私は大いに期待した。ところが、そうはならなかった。
取調拒否権は、東京の著名な刑事弁護士たちから忌避された。面と向かって反対され、相手にされなかった。
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『法と民主主義』522号(2017年10月号)
前田 朗「取調拒否権行使で不起訴処分勝ち取る――黙秘権の正しい実践のために」
一 はじめに
本年八月一四日、尾関利一・京都地検検事から高田卓爾弁護士に届いた「不起訴処分告知書」によると、Fさんに対する強盗殺人被疑事件について、七月二五日付で「嫌疑不十分」で不起訴処分となった(1)。
身に覚えのない強盗殺人事件で逮捕されたFさんは黙秘権行使を宣言し、出房を拒否した。何の証拠もなしにFさんに嫌疑をかけて逮捕したものの、虚偽自白をとることができず、不起訴に追い込まれた警察・検察の失態である。
本件は黙秘権とは何かという問題を刑事弁護に突きつける。従来の刑事弁護は黙秘権の意義を理解してこなかったのではないか。本件を通じて再考したい(2)。
二 事案の警戒
Fさんは本年一月二一日、京都府警に失業保険金詐欺容疑で逮捕され、南警察署に留置された。本件詐欺事件については四月一一日に京都地裁で判決(執行猶予付)が言い渡された。Fさんは強盗殺人事件に関する別件取調べに積極的に協力し、懸命に事実を陳述した。にもかかわらず判決当日、強盗殺人容疑で逮捕された。
逮捕の翌一二日、Fさんは黙秘することを決意し、取調室で黙秘する旨を伝えたが、「逮捕状出てるから強制で取調べができる」、「黙秘するのはいいけど逮捕状の意味わかる?裁判所からこの人は犯人である証拠があるから逮捕状が出てるんやで」と言われた。
一三日、高田弁護士から出房拒否という方法を教わったFさんは「読み上げられた逮捕内容には全て関与してません」と一言述べて否認の上、黙秘を伝えた。別件取調べに際して繰り返し供述したにもかかわらず逮捕されるのなら、供述の意味がないと思ったと言う。高田弁護士は前田朗著『黙秘権と取調拒否権』を差し入れ、Fさんは本書を留置場内で熟読した(3)。
一四日、Fさんは留置係から「受忍義務を無視していいんやね」と確認されたが、出房を拒否した。一五日も拒否した。
一六日、押収品返還手続きのため指印が欲しいとの口実で取調室に出向いたため、「弁護士が受忍義務がないとか大きな間違いや」、「自分がこのまま取調べに応じなかったら、家族、知人、近所に聞き込みにいくから、またまわりに迷惑がかかるで」などと言われたが、取調拒否を貫いた。
一七日、弁護人から絶対に出房しないように助言を受け、取調べを拒否した。留置係は「本当なら引きずってでも取調べる義務があるけど、担当刑事は優しいからそこまでいいって言うたはるけどどうする」と言ったという。
一九日、検事調べで「何も関わっていないのに逮捕された事が意味がわからない」と訴えた。検事は「正直よく逮捕状がとれたな」と言った。
二〇日以後も黙秘を貫いた。留置係が何度も説得に来て「引っ張り出してまでする気はないけど、ちょっと前まではしてたんやで。取調出てきて黙秘するのと、一度も出たないのとでは起訴された時の裁判官のイメージが違うで。弁護士は一生責任とってくれる訳ちゃうしな」と言われたが、拒否した。そして五月二日、処分保留により釈放された。
三 黙秘権の意義
Fさんは次のように述べる。
「刑事から毎日毎日、①証拠があるんや、②逮捕状が出ているのは証拠があるからや、③お前がいくらやっていないと言っても通らない、④早く白状したほうが有利になる、⑤黙秘していて裁判になったらもう遅い、と言われ続けていたら、自分はやっていないと思っていたが、ほんまはやっていたんと違うか、刑事の言っていることの方が正しいのと違うか、というような気持になりました。そんな気持ちになるのは到底信じられないかもしれませんが、実際逮捕・勾留され密室の部屋で毎日『やった。やった。証拠がある。証拠がある』と言われ続けられれば、そんな気持ちになってくるというのを実感しました。密室の中の取調べが冤罪を生むのだということが実感しました。黙秘するには房から出ないことが大切であることがわかりました。」
本件弁護人(高田卓爾、石側亮太、斉藤麻耶)は次のような努力を重ねた。
第一に、連日の接見において「被疑者ノート」の記入を勧め、黙秘権や出房拒否の意味をていねいに説明し、取調受忍義務がなく、取調拒否の正当性につき確信を持たせた。
第二に、Fさんが押収品返還手続きという口実で出房した後には、絶対に出ないように助言した。
第三に、検察庁、警察本部長、警察署長宛てに「苦情申出及び申入書」を繰り返し提出した。四月一八日の申入書(一回目)では、留置係らの発言について「黙秘権や無罪推定、立証責任について法的に著しく誤った説明であることは言うまでもありません。また、被疑者と弁護人との信頼関係を破壊しようとするものであることも明らかです。かかる説明により、被疑者を著しい不安に陥れ、正当な黙秘権行使を断念させようとすることは、黙秘権侵害及び弁護人による弁護を受ける権利の侵害であり、重大な違法が存することは明らかです」と抗議した。さらに、「露骨な黙秘権侵害・弁護権侵害の違法行為が行われる恐れがあることに鑑み、取調べに応じること自体を拒否します。具体的には、留置場居房から取調べのために出房することを拒否しますので、その旨ご承知おき下さい。留置業務管理者たる警察署長及び留置主任官におかれては、捜査と留置の分離の趣旨を徹底し、被疑者の意思に反して被疑者を出房させ、取調官に引き渡すことのないように求めます。万一、被疑者を強制的に出房させ、取調べに応じることを強要した場合、それ自体が黙秘権の重大な侵害であり、同取調べにおける供述の任意性も当然に失われるものと解し、この点を徹底して争うことになる予定ですので、あらかじめ申し添えます」と申入れた。
Fさんは闘いを通じて黙秘権の本質をつかみ取った。黙秘するということは捜査官に情報提供しないことである。一切情報提供しないのだから、そもそも取調室に行く理由がない。黙秘権行使とは取調べを受けないこと、取調べを中断させること、そもそも取調室に行かないことである。権力の言いなりになって取調室に行ってはいけない。これが黙秘権である。
黙秘権の意義を理解したFさんは出房拒否、取調拒否を貫徹した。警察・検察は虚偽自白強要に失敗し、不起訴処分に追い込まれた。
四 刑事司法の惨状
京都府警は、実行犯に殺害を依頼した人物がいると見てKを「主犯格」として疑い、Fさんも一緒に逮捕した。府警捜査一課は、逮捕に際して次のような報道資料を記者クラブで配布した。
<二人は(他の)被疑者らと共謀の上、一六年九月二八日午前零時五分ごろ、伏見区の路上で、Wさんに対し、その頸部などを刃物様で突き刺すなどし、同人を頸部刺創による失血死により、殺害し、同人から借り受けていた数千万円の返還を免れて、財産上、不法利益を得た>(要旨、Wは資料では実名)
京都府警はFさんの職業、氏名、年齢、住所(町名まで)を公表し、マスコミは逮捕を実名で大きく報道した。テレビには顔も出た。
ジャーナリストの浅野健一(同志社大学教授=大阪高裁で地位係争中)は、府警、地検、地裁の広報担当者に、Fさん逮捕の担当刑事、検事、逮捕状・勾留状発付裁判官の氏名を質した(4)。
これに対し、府警広報応接課の枡田栄次広報官は八月一八日、「捜査官の氏名についてはコメントできない」、地検の樫原広報官も「全ての質問に回答を差し控える。京都地検(土持敏裕検事正)としての回答だ」と回答した。京都地裁総務課広報係の中村智係長は八月二八日、「(裁判官の氏名は)回答することができない」と回答した。
誤認逮捕と人権侵害を繰り返し、冤罪を量産しながら法と正義に無頓着な刑事司法の体質が浮き彫りになる無責任回答である。
五 黙秘権と刑事弁護
本件は強盗殺人事件で身柄拘束された被疑者の事例である。これまで取調拒否権行使の例は主に公安事件・弾圧事件であった。安保法制反対国会前行動などで不当逮捕された事案が知られる。暴力団関係者の事案で、弁護人が捜査側と交渉するために被疑者に取調拒否をさせる例もある。
しかし、高田弁護士は「一般刑事事件でこそ取調拒否権の意義が高いのではないか」と述べる。一般刑事事件の被疑者が人格権と無罪の推定を理解し、黙秘権の意義を理解したならば、虚偽自白強要の場である取調室にわざわざ出向くことなく、出房を拒否することによって、憲法上の黙秘権を正しく行使することができる。
取調拒否権の実践から見えてきたことは、これまでの刑事弁護が黙秘権の意義を適切に理解してこなかったことである。黙秘権とは被疑者・被告人がしゃべらないことであり、取調室で「説得」と称して自白強要を続けることは捜査官の当然の権限であるかのごとく語られてきた。取調受忍義務論の悪影響ははかり知れない。「代用監獄と取調べという名の自白強要」をセットとする現状は人権侵害である。身柄拘束された被疑者が黙秘権を行使する場合、取調べを受ける理由はなく、取調室に行く理由もない。被疑者を取調室に連行する法的根拠もない(5)。
刑事弁護人は、身柄拘束された被疑者を孤立無援の状態で取調室に行かせてはいけない。被疑者を一人で取調室に行かせる弁護士は、警察による虚偽自白強要の「共犯」と言って過言でない。取調べへの弁護人立会を求めるか、それが実現しなければ取調拒否権を行使させるべきである。
注
(1) 筆者はこれまで被疑者Aと表記してきたが、現在、Fさんは実名を名乗って警察の責任を追及している。
(2) 前田朗「取調拒否権行使の実践例」『救援』五七八・五七九号(二〇一七年)。
(3) 前田朗『黙秘権と取調拒否権――刑事訴訟における主体性』(三一書房、二〇一六年)。
(4) 浅野健一「Fさん、『出房拒否』の闘いから学ぶ」『週刊金曜日』一一五一号(二〇一七年)。
(5) 前田朗「弾圧・冤罪と闘う黙秘権の法理」『救援』五七二~五七六号(二〇一七年)。
*本稿執筆時、Fさんは実名を名乗って警察の責任を追及していたので、実名表記したが、今回はFさんと表記する。