爽やかな青空の日が続いている。スイス連邦議会前広場では、噴水で子どもたちがおおはしゃぎ。時計塔の前ではいつにもまして多い観光客。のんびりのどかなベルン郊外に静かにたたずむパウル・クレー・センター、この夏は「クレーとカンディンスキー」展だ。
ロシア出身のカンディンスキーのほうが13歳年長だが、国籍も年齢も関係なく、「青騎士」時代からの盟友だ。日本の美術評論文献では、クレーは「青騎士」ではなかったなどと書いているものもあるが、当時の「青騎士」文献にはクレーの名前があるし、出品している。何より、ここからカンディンスキーとの生涯の交流が始まった。バウハウスでは数年間、同僚教師だったばかりか、デッサウに移転した時期には、グロピウス設計の教員住居で数年間隣人だった。クレーのアトリエで一緒に写した写真なども残っている。展示では、時代順に、両者の作品を並べているのでわかりやすい。1910年代、カンディンスキーは既に次々と大作を仕上げているが、クレーは小さなスケッチが多い。クレーは生涯、あまり大きな作品を残していないので、当たり前だが。バウハウス時代の相互影響関係は、作品を並べると一目で分かる。1933年、ナチスが政権を取ると、クレーはデュッセルドルフ・アカデミー教授の地位を追われてスイスに逃げ帰った。カンディンスキーはパリに逃げた。苦難の時代の作風も少し似ている。ナチスに追われ、さらに病気に苦しんだ時期のクレーの作品からは、チュニジア旅行以来の鮮やかな色彩が消えうせ、失望、悲嘆が画面を覆い、幽霊、秘密審問が取り上げられる。カンディンスキーの奔放な画面構成はバランスを失い、茶色に染まっていく。カタログも充実しているので購入してきた。後日ゆっくり読もう。
気分のいい日はARABESQUE, Chateau Constellation,
Valais-Sion, 2012.