古関彰一『平和憲法の深層』(ちくま新書)
日本国憲法制定過程の研究はそれ自体長い歴史があり、資料が公開されるたびに新たな発見があり、徐々に深められてきた。憲法研究者として、その先頭を走ってきたのが著者である。以前は日本民主法律家協会の会合でお目にかかったりしたが、このところあっていないと思ったら、著者は既に名誉教授になっている。月日のたつのは速いものだ。
本書の特徴をごくごく簡潔に一言で言うと、平和主義と戦争の放棄をいちおう区別して、平和主義が日本国憲法に取り入れられた過程と、戦争の放棄が取り入れられた過程のそれぞれをていねいに検討し、両者がいつ、どのようにして、誰によってとなえられ、日本国憲法の中で合体したのかを解明している。
なるほど、従来は、平和主義と戦争の放棄を一つのものとして把握して、それが日本国憲法にどのように登場したのかと考えてきた。しかし、著者が云うように、両者の来歴は異なる。それぞれの軌跡をきちんとトレースしないと日本国憲法制定過程論として不十分である。
9条については、周知の幣原説、マッカーサー説などをていねいに検討し、芦田修正も確認している。ここで重要なのは、9条だけに視線を送るのではなく、東京裁判との関係で天皇の地位の帰趨と照らし合わせることである。もう一つ重要なのは沖縄の基地である。日本本土は9条により非武装になったが、同時に沖縄は日本から「分離」され、基地の島にされていく。沖縄の基地化がなければ、本土の9条は不可能だったのではないか。つまり、最初から沖縄を犠牲にしての9条だった。
平和主義、平和国家については、森戸辰男、宮沢俊義らの議論を踏まえつつ、実は昭和天皇の勅語において使われていたことを強調している。平和国家の含意は異なるだろうが、言葉としては勅語、その大々的新聞報道によって、当時の社会意識の中に平和国家がしっかり存在していた。
本書のもう一つの柱は憲法研究会と鈴木安蔵だ。私は学生時代にたまたま『憲法制定前後』『憲法学三十年』を読んだし、鈴木安蔵門下の金子勝さん(立正大学教授)に何かとご指導いただいたので知っていたが、かつてはあまり知られることがなく、憲法学者の中でさえ十分知られていなかったのが、最近は映画で有名になった。
憲法制定過程論の研究が深まり、論点も増えてきたためか、新書1冊に収めるのも大変なようだ。本書は充実した1冊である。
細かな点では疑問も残る。
比較憲法的な方法論がないため、議論が単純化しすぎて説得力に欠けるように思われる。一例だけ挙げると、「第1章 平和憲法を見直す(三つの憲法の外見、三つの憲法と人権規定、内側から見た三つの憲法)」は、A大日本帝国憲法、B日本国憲法、Cアメリカ合州国憲法の3つを並べて比較する。そうすると、憲法の構成や用語がAとBが共通で、Cはまったく異なることがすぐにわかる。GHQはアメリカ憲法のスタイルを押し付けるのではなく、日本流の思考を一定程度尊重したといえる。だが、なぜABCの3つなのか。他方、著者は表現の自由(憲法21条)について、A大日本帝国憲法、B日本国憲法、Cアメリカ合州国憲法の3つを並べて比較する。
A「日本臣民は法律の範囲内に於いて言論著作印行集会及結社の自由を有す。」
B「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」(21条1項)
C「連邦議会は、・・・・言論または出版の自由、平和的に集会し、苦情の救済を求めて政府に請願する人民の権利を制限する法律を制定してはならない。」(修正第1条)
誰が見ても、AとBの形式が類似し、Cはまったく異なる。ところが、著者は、Aには「法律の範囲内に於いて」とあるが、BとCにはそれがないことを強調する。そして憲法研究会案を間に挟むことで、BからAを志向した日本政府と、Cの観点をBの中に織り込んだGHQの交渉の結果としてBが成立したと見る。
疑問点をはっきりさせるためには、次の例を対比すればすぐにわかる。
Dフランス人権宣言第11条「思想および意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利の一つである。したがって、すべての市民は、法律によって定められた場合にその自由の濫用について責任を負うほかは、自由に、話し、書き、印刷することができる。」
E国際自由権規約第19条第2項「すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。」
D1789年のフランス人権宣言、B1946年の日本国憲法、E1966年の国際自由権規約――これらの共通点は、表現の自由を個人の権利としての性格を明示して保障していることである。Cアメリカ合州国憲法は、連邦議会の権限の制約を明示する法形式であり、まったく異なる。
フランス人権宣言と日本国憲法の類似性などを主張しようと言うのではない。ここで一番重要なことは、日本国憲法制定過程論における比較法研究の不在である。なぜ、アメリカ合州国憲法だけを比較対象とするのか、理由がない。GHQの中心スタッフはすべてアメリカ人、アメリカの法律家だったからアメリカ憲法に学んだのは当たり前と言うのは、およそ理由にならない。憲法前文も、第一章天皇も、第二章戦争放棄も、議院内閣制も、ことごとくアメリカ憲法とは違うのだ。共通点は例外にすぎない。
文献資料とは別に、映像記録では、GHQ案作成にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンが、憲法草案作成の資料を探すために焼け跡の東京で図書館をまわって世界各国の憲法を集めたと話している。その中身は不明であるが、当時の日本の図書館(日比谷や大学図書館)に会った世界各国の憲法の情報を確認するべきだろう。